後藤和弘のブログ

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銀河鉄道と言えば「銀河鉄道999」か「銀河鉄道の夜」

2016年06月07日 | 日記・エッセイ・コラム

(上の1番目の写真の出典は、http://blogs.yahoo.co.jp/rocky1010akio/folder/1148396.html?m=lc&p=5です。)

銀河鉄道と言えば松本零士の「銀河鉄道999」と宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が有名です。
高齢者は宮沢賢治の作品を読んで感銘を受けましたが、最近の人々は松本零士の作品をテレビなどで見て楽しんでいます。
この二つの作品のどちらを読んだり見ているかによって年齢層が分かれるようです。
どちらが先に発表されたかと言えば勿論、賢治の「銀河鉄道の夜」です。松本零士はそれに感銘を受け彼独自の宇宙観を加えて全く新しいSF漫画を描き、テレビのアニメ番組やアニメ映画になったものです。
この松本零士の漫画は、1977年から1981年にかけて、「少年キング」の作品として連載されました。そして1977年度には小学館漫画賞を受賞しました。連載中にテレビアニメ化や劇場アニメ化されて大ヒットしてアニメブームの原点になった歴史的な傑作です。そして『宇宙戦艦ヤマトシリーズ』とともに昭和50年代の松本零士ブームをも巻き起こした。
このSF漫画は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』とモーリス・メーテルリンクの『青い鳥』をヒントにしています。
全体的に寓話性や教訓性がやや強いものの、物語や登場人物の印象的な描写によって多くの人々を魅了したのです。
物語の枠組みは『銀河鉄道の夜』に登場する銀河鉄道をもとにしていますが、列車や運行システムの細部は日本の旧国鉄をモデルとしているそうです。
このような背景があるので銀河鉄道と言えば松本零士の「銀河鉄道999」を思い出す人々が多いのです。そして宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が少しずつ忘れ去られて行くのでしょう。
そこで今日は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を私が理解した範囲でご紹介したいと思います。
宮沢賢治は法華経を信じていました。そして一方では日本の近代文学に名を残す数多くの童話を書いたのです。
この世の全ての人が幸福にならなければ自分は幸せになれないという信仰を実行して、悩んで、生きて、死んだのです。1896年(明治29年)に生まれ、1933年(昭和8年)に亡くなりました。享年38歳の短い人生でした。

宮沢賢治の作品は彼の心象風景や謎めいた表現が沢山書き込んであります。ですから「銀河鉄道の夜」も読む人はその心象風景や謎めいた表現を自分なりに想像してしまいます。
筑摩書房の宮沢賢治全集第十巻の中にある「銀河鉄道の夜」をもう一度読んでみました。
第十巻には「ポラーノの広場」、「オッペルと象」、「風の又三郎」、「北守将軍と三人兄弟の医者」、「グスコーブドリの伝記」、「銀河鉄道の夜」、そして「セロ弾きのゴーシュ」が編纂されています。その中で何故か「銀河鉄道の夜」には、私にとって理解できない謎が沢山あって、気になって仕方が無い作品なのです。

この作品のあらすじです。
夏の夜空にかがやく天の川には銀河が流れていて、そこに鉄道があり列車が走っているという話です。人間は死んで天に登り、星になる。ですから銀河鉄道の汽車に乗っている人は死んだ人です。
主人公のジョバンニ少年が、星祭りの夜に水死した親友のカンパネルラを探しに行きます。カンパネルラは、水に落ちて溺れそうになっている友人のザネリを助けるために飛び込んで、水死したのです。一方ザネリは助かるのです。
カンパネルラを探そうと暗い丘に登って行きます。そしてジョバンニは、いつの間にか銀河鉄道の汽車に乗っているのです。そして其処でカンパネルラを見つけ、一緒に汽車の旅をします。

その列車にはいろいろな人が乗ってきます。
ただ一つだけご紹介すれば、大きな氷山にぶつかった豪華客船の沈没の時、無理にボートに乗らずに死んでしまった少女と弟がぬれ鼠で乗って来るのです。大学生の家庭教師も一緒です。3人は皆、沈没の衝撃で靴を失い、裸足です。それがいつの間にか温かい柔らかい靴を履いています。それがこの汽車の不思議なところです。童話ですから「タイタニック號」という名前は書いてありませんが、私はそのように想像しています。

最後に、一緒に乗っていたカンパネルラもみんなも銀河鉄道の列車から消えて行きます。ジョバンニは降りて現世に帰る時が来ます。親友のカンパネルラと永遠の別れです。ジョバンニは現世に戻り、病気の母親を助け、真の幸福を求めて元気よく生きて行きます。

この作品のキーは死んでしまった愛する人と再開するという奇蹟です。再開出来るために重要なのは、ジョバンニとカンパネルラの心温まる強い絆です。

カンパネルラは川に落ちたザネリを救って、自分が死んでしまうのです。友のために死んだ者は天国へ行くのです。
行方不明になったカンパネルラの捜索を見ながら、彼の父が自分の腕時計を凝視して、キッパリ言うのです。「もう駄目です。落ちてから45分たちましたから。」
この一言に父の悲しみが溢れています。
ですからこそジョバンニは死せるカンパネルラともう一度会わねばなりません。

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は難しくて自分には分からないと言う人が多いものです。
しかし非常に感動的で、内容の深い、そして美しい作品であることには間違いありません。

この作品の難解な部分は、
七、北十字とプリオシン海岸、
八、鳥を捕る人、
九、ジョバンニの切符、と終わりまです。
この銀河鉄道は軽便鉄道をモデルにしたそうです。そして銀河鉄道の客車がこの世のものでなく、あの世の列車だと描きたかったためにいろいろ不思議なエピソードを長々と書き込んだのでしょう。
車窓から見える風景もこの世の常識では理解されないものです。それは夢幻の世界なので脈略がありません。一貫したストーリがありません。その上、登場人物も風景も数が多過ぎます。

そして、(十)の友との訣別とジョバン二のこの世への帰還で終わります。
カンパネルラはアッというまに母の方へ飛んで行ってしまいます。訣別がこうして起きるのです。
「ジョバン二はまるで鉄砲玉のようにたちあがりました。そして誰にも見えないように窓の外へからだを乗り出して、力いっぱいはげしく胸をうって叫び、それからもう咽喉いっぱいなきだしました。」
その後、ジョバンニはこの世に帰ってくるのです。そして母と一緒に住むのです。

この悲しい、美しい物語の基調低音は「他人の幸福のための自己犠牲」です。宮沢賢治の多くの作品の基調低音と同じです。彼は法華経の精神をそのように理解し、実行しようとして苦しんだのです。38歳で亡くなるまでの短い人生を苦しんだのです。

それはそれれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


(2番目のの写真の出典は、http://gensun.org/pid/86817 です。)

(3番目の写真の出典は、http://www.voiceblog.jp/ilmuffin/car36.html です。)

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