あなたにとって「風の又三郎」はどのような人だったのでしょうか?
宮沢賢治の「風の又三郎」の原文やあらすじを忠実に紹介しているHPがあります。https://www5a.biglobe.ne.jp/~accent/kazeno/origin.htm です。
どっどどどどうど どどうど どどう、
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんもふきとばせ
どっどどどどうど どどうど どどう
谷川の岸に小さな学校がありました。
教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけであとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたがすぐうしろは栗の木のあるきれいな草の山でしたし運動場の隅にはごぼごぼつめたい水を噴く岩穴もあったのです。
風の又三郎 あらすじ
9月1日 山あいの小さな学校(分教場)に変わった姿の転校生三郎が現れました。みんなは伝説の風の精、風の又三郎だと思います。
9月2日 彼は学校で少し変わった態度を見せ、みんなを緊張させます。
9月4日 みんなは高原へ遊びに行きます。牧場の柵から逃げた馬を追った嘉助は、深い霧の中で昏倒し、三郎がガラスのマントを着て空を飛ぶのを見ます。
9月6日 みんなと一緒にヤマブドウ採りに出かけた三郎はタバコ畑の葉をむしってみんなの非難を浴び、また耕助と風について言い争いをしますが、最後には仲直りをします。
9月7日 みんなは川へ泳ぎに行き、大人の発破漁に遭遇したり、三郎を捕まえに来た専売局の人らしい男から三郎を守ろうとします。
9月8日 また川で遊びますが、夢中の遊びの後天候が急変して不思議な叫び声が聞こえ、三郎は怖くなります。
9月12日 折からの台風に一郎と嘉助は三郎が飛んでいってしまったのではないかという思いにとらわれ、早めに登校して先生から三郎が前日に去ったことを知らされます。
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今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 後藤和弘(藤山杜人)
下の写真は小学校の頃に「かくれんぼ」をして遊んだ山に似ているので掲載しました。以前に行った乗鞍岳の中腹の風景です。
今日は「銀河鉄道の夜」を皆さまと一緒に読んでみようと思います。出典は筑摩書房の宮沢賢治全集第十巻です。
なお第十巻には「ポラーノの広場」、「オッペルと象」、「風の又三郎」、「北守将軍と三人兄弟の医者」、「グスコーブドリの伝記」、「銀河鉄道の夜」、そして「セロ弾きのゴーシュ」が編纂されています。
さて「銀河鉄道の夜」の物語は、星祭りの夜のカンパネルラの水死から始まります。
そしてストーリーは夏の夜空にかがやく銀河の列車に乗ってくるいろいろな人の話として展開して行きます。
人間は死んで天に登り、星になります。ですから銀河鉄道の汽車に乗って来る人は皆な死んだ人です。
主人公のジョバンニ少年も水死した親友のカンパネルラを探すため銀河の列車に乗るのです。
星祭りの夜にカンパネルラは水に落ちた友人のザネリを助け自分は水死してしまうのです。
川に飛び込み消えてしまったカンパネルラの捜索を見ながら、カンパネルラの父が自分の時計を凝視して、キッパリ言うのです。「もう駄目です。落ちてから45分たちましたから。」
この一言に父の悲しみが溢れています。
その後でジョバンニは死んだカンパネルラをもう一度銀河鉄道の中で見つけるのです。そしてジョバンニとカンパネルラは一緒に汽車の旅をします。
その列車にはいろいろな人が乗ってきます。
ただ一つの例だけご紹介すれば、大きな氷山にぶつかった豪華客船の沈没の時です。他人を助けれために、人で溢れる救命ボートに無理に乗らずに死んでしまった少女と弟がぬれ鼠で乗って来るのです。大学生の家庭教師も一緒です。
3人は皆、沈没の衝撃で靴を失い、裸足です。それがいつの間にか温かい柔らかい靴を履いています。それがこの汽車の不思議なところです。童話ですから「タイタニック號」と書いてありませんが、そのように想像出来ます。
最後に一緒に乗っていたカンパネルラも他の乗客もみんなも銀河鉄道の列車から消えて行きます。ジョバンニは胸を打ちながらカンパネルラの名を叫びます。銀河鉄道の列車の窓から暗い星空に向かって。
親友のカンパネルラと永遠の別れです。ジョバンニは現世に戻り病気の母親を助けながら真の幸福を求めて元気よく生きて行きます。
この童話の一行、一行がしみじみとしています。一行、一行にこの世の悲しみが滲んでいるのです。
この作品のキーは死んでしまった愛する人と再会するという奇蹟です。再会出来るために重要なのは、ジョバンニとカンパネルラの心温まる強い絆です。カンパネルラは友人を救って自分が死んでしまうのです。友のために死んだ者は天国へ行くのです。
この悲しい美しい物語の基調低音は「他人の幸福のための自己犠牲」です。宮沢賢治の多くの作品の基調低音と同じです。彼は法華経の教えそのように理解し実行しようとして38歳で亡くなるまで苦しんだのです。
今日の挿し絵代わりの写真は宮沢賢治の生家跡と幼い頃や学生の頃の賢治です。出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E8%B3%A2%E6%B2%BB です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
==下は宮沢賢治についての私のブログの掲載記事です==========
(後藤和弘のブログ、http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama)
(1)宮沢賢治の作品を気楽に読む・・・注文の多い料理店、風の又三郎、オッペルと象、ドングリと山猫、よだかの星、、、掲載年月日:2013/10/27
(2)あなたの「銀河鉄道の夜」、私の「銀河鉄道の夜」(2)北十字、鳥捕り、豪華客船沈没など 2013/10/26
(3)あなたの「銀河鉄道の夜」、私の「銀河鉄道の夜」(1)星祭りの夜のカンパネルラの水死と再会 2013/10/25
(4)宮沢賢治、「銀河鉄道の夜」・・・あなたの銀河鉄道、私の銀河鉄道、2013/10/24
(5)「風の又三郎」・・・あなたの又三郎、私の又三郎 2013/10/24
(6)金子みすずの童謡詩と鯨の戒名 13/04/10
(7)みにくいヨタカの姿・・・宮沢賢治の童話「よだかの星」の鳥 、13/04/04
(8)宮沢賢治の作品を気楽に読む(11)完結編:注文の多い料理店、風の又三郎、オッペルと象、ドングリと山猫、よだかの星、、、12/06/01
(9)日本人の手で全世界を佛教国にするという発想は悪くない・・・そして宮沢賢治のこと、 2012/05/09
(10)宮沢賢治の作品を気楽に読む(9)「雨ニモマケズ」は法華経から生まれた詩、 12/05/09
(11)宮沢賢治の信奉していた法華経と国柱会の説明、12/05/08
(12)宮沢賢治の信奉した法華経の特徴は何でしょうか? 2012/05/08
(13)宮沢賢治が終生会員だった国柱会とは何か? 12/05/08
(14)宮沢賢治の作品を気楽に読む(8)「注文の多い料理店」の序、12/05/08
(15)37歳で逝った賢治の親不幸・・・そして残された原稿の山、12/05/04
(16)宮沢賢治の作品を気楽に読む(7)数多くの旅をしていた宮沢賢治、12/05/03
(17)宮沢賢治の作品を気楽に読む(6)膨大な作品群に踏み迷う、 12/05/02
(18)宮沢賢治の童話集、「注文の多い料理店」の出版、2012/04/20
(19)宮沢賢治の作品を気楽に読む(5)大正13年出版の「春と修羅」から、12/04/20
(20)宮沢賢治の活躍始まる・・・農学校、羅須地人協会、東北砕石工場技師、そして東京、樺太、大島への旅、12/04/17
(21)宮沢賢治の作品を気楽に読む(4)盛岡高等農林学校時代の作品、12/04/16
(22)宮沢賢治の作品を気楽に読む(3)盛岡中学卒業し、病気で岩手病院に入院、 12/04/15
(21)宮沢賢治の作品を気楽に読む(2)盛岡中学3年の頃、2012/04/05
(22)盛岡高等農林学校と宮沢賢治、12/04/04
(23)宮沢賢治の作品を気楽に読む(1)盛岡中学の頃、12/04/03
(24)突然ですが、宮沢賢治の「慟哭」という詩とその朗読をお送りします、11/11/01
(25) 時代が変わっても宮沢賢治の作品は愛されている 2015年12月16日