後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「国立の桜並木とピエトロで昼食」

2024年04月11日 | 写真
国立の桜並木を眺めてピエトロで昼食をして来ました。
葉桜の並木も良いものです。国立の桜並木を通ってイタリアンレストランのピエトロで昼食です。息子が運転して家内と3人でパスタの食事をしました。息子は孝行息子になりました。(写真は後部座席から撮ったものです) 

「東京の世田谷城、八王子城、片倉城、渋谷城、江戸城、そして仙台城の石組の写真」

2024年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム
鎌倉時代の後は室町時代と言います。しかし室町幕府の力が弱く、その権力は遠い関東には届きませんでした。関東地方は鎌倉時代の直後からいきなり戦乱の続く戦国時代に突入したのです。
その時代に関東地方では数多くの城や砦が作られたのです。現在の東京都にあった城や館は次の通りです。
江戸城、御殿山城、荏原氏館、品川氏館、池上氏館、馬込城、赤堤砦、奥沢城、世田谷城、渋谷城、滝野川城、板橋城、志村城、石神井城、練馬城、深大寺城、立川氏館、平山氏館、小野路城、小山田城、八王子城、滝山城、片倉城、高月城、桧原城などなどです。東京都だけでこれだけあるのですから関東地方一円にはもっともっと数多くの城が存在していたのです。

今日は世田谷城、八王子城、滝山城、片倉城、渋谷城、江戸城などの石組をご紹介したいと思います。そして我が故郷の仙台城の写真もご紹介します。
世田谷城は、吉良氏によって築かれた平山城で世田谷に本拠を置いた奥州吉良氏が代々居を構えたのです。
貞治5年(1366年)に吉良治家が世田谷郷を領有します。応永年間(1394年 - 1426年)頃には館として整備されたと考えられています。
天正18年(1590年)、吉良氏朝の代に小田原征伐により豊臣氏勢に接収され戦役後廃城になったのです。
世田谷城は経堂台地から南に突き出た舌状の台地に作られており、城の三方を囲む様に烏山川が流れ天然の堀を成していました。
現在は開発が進みましたが豪徳寺付近に本丸を置き現在の世田谷城阯公園付近まで城が拡がっていました
世田谷城阯公園内から北に向けて延びて空堀及び土塁が現存しています。世田谷城阯公園内の遺構は手が加えられていますが豪徳寺住宅脇の遺構は良く旧態を留めています。
前に私が撮って来た写真を示します。

1番目の写真は現在の世田谷城阯公園の正面入り口の石段の写真です。私が撮って来た写真です。 
さて八王子城は世田谷城よりずっと後の時代に作られたのです。
小田原城に北条早雲が拠点を置いてから4代目当主北条氏政は関東中央部までを支配するようになっていました。その氏政の弟の氏照が作ったのです。
武田信玄に攻められ苦戦した氏照が滝山城から山中の八王子城を作って移ったのです。1586年のことでした。しかしその4年後の天正18年、1590年6月23日に落城します。秀吉に忠誠を約束した前田、上杉、真田の軍勢によって滅びされたのです。以前に私が行って写した八王子城跡の写真です。

2番目の写真は本丸の主殿を守る石垣です。私が撮って来た写真です。 
1590年に八王子城を攻めたのは信濃から進撃してきた前田利家、上杉景勝、真田正幸の連合軍です。上州の支城を北から席巻し、6月23日には15000人の勢力で4000人が守る八王子城を速攻し夕方には落城させたのです。
生き残った家臣、婦女子は主殿裏の滝の上で自害し滝壺へ飛び込んだといいます。滝壺から続く谷川は血で三日三晩赤く染まったと言い伝えられています。
八王子城が落ちた6月23日は城主の北条氏照は小田原城に居て留守であったことも敗北を早めた一因でした。
生き残った捕虜は小田原の秀吉のもとへ送られ、7月7日の小田原城の開城後、7月11日の氏政と氏照の切腹と前後して極刑に処せらたのです。
天正18年は関東、東北地方に散在していた多くの戦国大名が秀吉一派に敗北した年である。八王子城のような悲劇は関東全域の各地で起きたのです。
その後徳川家康が豊臣家を滅ぼし全国を統一し江戸幕府を開いたのです。
関東は鎌倉幕府の倒れた1333年から江戸幕府が始まった1600年までの267年間は戦乱が続き実に数多くの城や砦が作られたのです。一般の農民にとっては苦難の時代だったのです。

世田谷城、八王子城のほか滝山城、片倉城、渋谷城、江戸城などの説明は省略してその現存する石組をご紹介したいと思います。
3番目の写真は渋谷城の城石です。私が撮って来た写真です。 
4番目の写真は片倉城の跡にある神社です。石組は残っていません。私が撮って来た写真です。 

5番目の写真は江戸城の富士見多門櫓です。
写真の出典は、http://castle.sunnyday.jp/castle/edo.html です。
6番目の写真は江戸城の坂下門です。
写真の出典は、http://castle.sunnyday.jp/castle/edo.html です。

7番目の写真は江戸城の天主台です。
写真の出典は、http://castle.sunnyday.jp/castle/edo.html です。
8番目の写真は仙台城の石垣です。仙台は我が故郷なので追加しました。

9番目の写真は仙台城の大手門です。

今日は東京の世田谷城、八王子城、片倉城、渋谷城、江戸城などの石組の写真を示しました。そして仙台は我が故郷なので追加しました。

鎌倉時代から江戸時代にかけて東京には御殿山城、荏原氏館、品川氏館、池上氏館、馬込城、赤堤砦、奥沢城、世田谷城、渋谷城、滝野川城、板橋城、志村城、石神井城、練馬城、深大寺城、立川氏館、平山氏館、小野路城、小山田城、八王子城、滝山城、片倉城、高月城、桧原城、そして江戸城などが存在していたのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)