後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

国木田独歩の「武蔵野」の世界・・・ツルゲーネフが教えた雑木林の美しさとその詩趣

2011年12月22日 | 日記・エッセイ・コラム

007

この写真は武蔵野の雑木林です。

国木田独歩の「武蔵野」の世界を偲びながら、所沢の農村地他を散策し、昨日、撮って来ました。

雑木林は美しいものです。詩的なムードが流れています。

しかし雑木林が文学作品の対象になったのは明治維新後なのです。明治4年生まれ、41年、36歳で亡くなった国木田独歩の「武蔵野」が初めてです。江戸時代以前は松の木や美しい竹林などは文学作品に登場しますが、いろいろな雑木の混じった広葉樹の混生林は美の対象になりませんでした。

明治維新は日本の政治体制や社会構造を変革しただけではありませんでした。

日本人の自然の風景の好みや美意識が変革したのです。

この広葉樹の林の美しさを国木田独歩へ教えたのはロシア人のツルゲーネフでした。そのことは末尾に紹介したURLを開けてみると、国木田独歩自身が書いていることがお分かりになります。

ロシアの大地にある白樺やダケカンバなどの樺の木の林の美しさをツルゲーネフは活き活きと描いています。

国木田独歩は東京市の西の郊外に広がる田園地帯を広く歩きまわり、そこにあるコナラ、クヌギ、カシ、エゴノキなどなどの雑木林の詩的なたたずまいを文章で表現したのです。四季折々の美しさ、朝や夕方の林の輝きを描いたのです。

それ以来、多くの日本人は雑木林は美しいと認識するようになったのです。勿論、昔の日本人も美しいと思ったに違いありません。しかし文学作品にはほとんど現れませんでした。

私も若い頃、国木田独歩の「武蔵野」という本を読んで、すっかり雑木林の魅力にとりつかれました。以来、茫々50年、60年、今でも雑木林が好きで武蔵野を広く散策して写真を撮っています。

何十年か前に山梨県の山の雑木林の中に小屋を作って、通っているのも「武蔵野」という本を読んだお陰です。

昨日、撮った写真をもう少しご紹介したいと思います。

017_2

畑を歩いて行って雑木林に近づきます。この林の中に分け入る道を探しました。

039

林の中の小道が奥へ、奥へと続いています。どんどん歩いて行くと次第に暗い林になって行きます。

036

暗い小道を歩きながら36歳で夭折した国木田独歩の生涯を想います。

小説を沢山書きました。しかし現在世に知られているのは「武蔵野」だけです。残念です。本人も、もっともっと文学作品を書きたかったことでしょう。心残りだったに違いありません。

皆様も国木田独歩のことを想いながら、近所の雑木林の美しさをお楽しみ下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

「武蔵野」の詳細な内容は、http://www.aozora.gr.jp/cards/000038/files/329_15886.html にございます。

そして国木田度独歩の経歴を下にご参考までに掲載して置きます。

================================

国木田 独歩(くにきだ どっぽ、18718月30明治47月15 - 1908(明治41年)6月23)は、日本小説家詩人ジャーナリスト編集者千葉県銚子生まれ、広島県広島市山口県育ち。幼名を亀吉、のちに哲夫と改名した。筆名は独歩の他、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがある。 田山花袋柳田国男らと知り合い「独歩吟」を発表。詩、小説を書いたが、次第に小説に専心。「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」などの浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされる。また現在も続いている雑誌『婦人画報』の創刊者であり、編集者としての手腕も評価されている。夏目漱石は、その短編『巡査』を絶賛した他、芥川龍之介も国木田独歩の作品を高く評価していた。ロシア語などへの翻訳があるが、海外では、夏目漱石や三島由紀夫のような知名度は得ていない。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%9C%A8%E7%94%B0%E7%8B%AC%E6%AD%A9