後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

落葉した雑木林の風景をお楽しみ下さい

2011年12月10日 | 写真

碧い、美しい空に誘われて、八王子の小宮公園へ行きました。落葉した雑木林の下の木道を歩いていると、梢の向こうに青空が見えます。気分が良いのでドンドン歩いて行ったから丘の上に出て、急に視界が開けました。小宮公園は思ったより広くて、まだ半分しか歩いていないことが分かりました。

落葉した雑木林の風景をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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木道が何処までも続いています。

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梢の向こうに美しい蒼穹が見えます。

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よく見ると散りのこった紅葉があります。木々によって落葉の時期が違うようです。

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丘に登りつめるとこのような草地が広がっていました。初めて来た所です。公園の北西の端です。遊歩道が向うに伸びていて公園を大きく囲んでいるようです。

またゆっくり散歩に来ることにして今日は登った道をそのまま下って帰って来ました。

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このベンチで一休みして帰って来ました。

落葉した雑木林の中の新鮮な空気をご想像して、ご自分も散歩した気分になって頂けたら嬉しく思います。(終り)


五島列島、久賀島の五輪教会の写真・・・織田寧人さんの作品です

2011年12月10日 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜、テレビで五島列島、久賀島の五輪教会を丁寧に紹介する番組を見ました。以前に確か、織田寧人@風工房 で見た風景です。早速、もう一度見てみました。織田さんはこの交通不便な離れ島へ2回も行って丁寧に写真を撮っています。

明治初年の頃できた国指定の重要文化財です。隠れキリシタンの子孫がカトリック教徒として自分達で教会を大切にしてミサに参加しています。その風景写真を下に示します。久賀島の五輪教会を検索するともっと興味深いことが出ています。

なお39歳、ガンで逝った織田美保子さんの遺稿集の書評(1)分かりやすい文章、美しい日本語という題目の記事を是非ご覧下さい。そしてこの織田美保子さんの遺稿集を是非お読み下さい。この本は、織田寧人@風工房  を開いて織田さんあてのメールへ申し込むと無料で送って下さいます。

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上の左側の古い木造教会が国指定重要文化財の古い五輪教会です。右側の新しい教会は地域の信者が昭和に作った教会です。

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木造教会ですがよく手入れされていて明治初年の姿が保たれています。

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教会の内側です。窓の外には海が広がっています。

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教会の祭壇です。キリスト教が1549年ザビエルによってもたらされた頃のスペイン風の教会の面影を残しています。

写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終り)


生きがいに関する私の本音・・・それは間違っていますが

2011年12月10日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、あなたの生きがいは何ですか?・・・明快に答えられますか? という記事を掲載しました。今日の記事はそれに関する私の本音です。

生きがいを明快に持っていない人は不幸です。立派な人生目的もなくブラブラ生きている人は世の中のお荷物です。何故、最近の小学校や中学校、高校では立派な人生目標を教えないのでしょうか?日本の教育が根本的に間違っていると思います。最近の若者は生きがいを持っていないのです。尊敬する気持ちになりません。

まあ、このへんが私の本音です。多くの老人はそのように思っていると想像しています。

しかし私の生きがいは何だったのでしょうか?どのようにしてそれが決まったのでしょうか?その頃の時代や国際関係はどのようなものだったのでしょうか?私の生きがいや人生目的は日本の国家の方針の影響を受けていなかったのいでしょうか?あるいは宗教や共産主義の影響を受けていなかったのでしょうか?

結論を言えば私の人生目的は国策に沿った公立学校で教わりました。特攻隊帰りの先生に吹き込まれたアメリカに追いつけという教えでした。「身を立て、名を挙げ、やよ励めよ」という明治維新以来の教育方針でした。自分の頭で考えたことでは無かったのです。

しかし国家が個人の人生観や「生きがい」に干渉する時代は終わったのです。少なくとも1990年前後の冷戦の終了と共に崩壊したのです。

その後の時代は幸せな時代です。人類の多くにとってより幸福な時代です。

「生きがい」の見つからない時代ほど幸せな時代はありません。生きがいの見つからない国ほど幸せな国はありません。経済的に破綻したルーマニアや東ヨーロッパの国々、そしてアイスランドやギリシャやイタリーの人々は「生きがい」を簡単に見つけられるでしょうか?不幸ですか?幸福ですか?そのような国々では若者は自分の頭で人生を切り開いて行きます。生きがいを自分で見つけます。それこそ本当に幸多い人生ではないでしょうか?

「生きがい」や立派な人生目的が簡単に手に入った戦前の日本、そして追いつけ、追い越せの戦後の日本。はたしてそのような時代は幸せな時代と言えるでしょうか?

私の本音は変わりません。しかし間違いなく私は時代遅れの人間になったのです。

そういうのを老人になったと言うのです。それもごく小いさな自然現象の一つなのです。皆様は時代遅れの人でしょうか?ご意見を頂ければ嬉しく思います。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)