後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

戦中、戦後育ちの私が初めて触った天体望遠鏡・・・そして11年ぶりの月蝕の写真

2011年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム

天体望遠鏡は私の永い間の憧れのものでした。天体観測の雑誌や本を買っては空想的な趣味を楽しんできました。

それが数分前に自分の手でゆっくり触って月と金星を見ることが出来ました。近くに住む若い友人が見せてくれたのです。下にその小型天体望遠鏡と数分前に撮った月の写真を示します。今後上手な写真を撮りますからお許し下さい。

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下の写真は12月10日午後9時すぎから11年ぶりの月蝕の写真です。

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老人になると最高のものは自然をジット眺めることです・・・無我の境地になります

2011年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム

若い頃、公園のベンチにジッと陽なたぼっこをしている老人を見て不思議に思いました。何が楽しくて陽にあたって居るのでしょうか?誰も話し相手がいなくて悲しそうでもあります。ああ、老人になると不幸になる。いやだ、厭だと思ったものです。

ところが私はその境地になってしまったのです。ジッと自然を眺めていると幸福感が湧いてくるのです。不思議です。下のように小川に落ち葉が流れ、陽が輝いているのを飽きもしないで眺めます。

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小屋に入り、たぬきソバのカップにお湯を入れて昼食です。ソバがふやけるまで3分待つのです。その間は窓の外の景色を見て、また嬉しくなります。小川が明るく輝いていて、ガーデン灯や手製のベンチも見えます。小川の手前の右側には昔使っていた薪ストーブが坐っています。知人が好意から手製してくれたものです。

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ソバを食べてから家内と庭の向こうの斜面を登り、台地に広がる牧草地へ行きました。台地の周囲の林が伐採されていて、急に牧草地からの見晴らしが良くなりました。少しだけ雪が積もっている八ヶ岳が近くになったようです。

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老妻は広い所に来ると急にハシャいで子供のように走り回ります。年を忘れてしまうようです。私は落ち着いていますから絶対に走りません。眺めているだけです。

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近所の別荘の主人が何事が起きたのかといぶかりながら出て来ました。別荘の玄関の上に大きな看板があり、「雲上喫茶店」という風流な額がかかった別荘の主人です。「奥さんはお若いのですね」と言ってくれました。少し立ち話をします。1年の三分の一は山の別荘に独りでいるそうです。「奥さんは来ないのですか?」などと野暮な質問はしません。

その後、大規模な伐採なので、鬼家さんの山荘がどうなったか見に行きました。東側の雑木林が開けてよく見えるようになりました。何となく安心して小屋へ帰って来ました。そんな何事も起きない、凡々たる時間が流れて行きます。その凡々たる時間が老境の至福の時なのです。

こんな凡々たる事しか書いていないブログですが、今後もよろしくお願い申し上げます。(終り)


バブルの崩壊で日本人の心が美しくなった・・・白樺湖、蓼科湖を前にして考える

2011年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム

1990年前後にバブル経済の崩壊が起きました。それ以来、ずうっと不景気です。その上、2011年3月には大震災と原発の爆発が起きました。不幸な出来事が次々に日本を襲って来ます。今度はどんな不運に見舞われるのでしょうか?

しかしよく考えて見ると、不幸な事が起きると、その反面、何か善い事も起きます。例えば日本の徹底的な 敗戦の時、国民の生活は困窮を極めました。しかし、その一方で自由へ対する希望が世の中を明るいものにしました。

それでは今回の日本の不幸では何か善い事が起たのでしょうか?

昨日、白樺湖と蓼科湖を散策しながら考えました。

私の考えでは、人々はお金を失いましたが、心が美しくなったのです。日本人が内省的になり心が浄化されるという善い事が起きたのです。

お金をかけないで自分の人生を豊かに過ごす。無駄使いをせずに精神的な喜びを追求する。趣味もお金のかかるような楽しみ方を一切止める。他人を助けるボランティア活動の苦しさの向こう側にある大きな喜びを求める。

このような変化は文化の質的な向上と思います。

勿論、その日、その日の食費に困っている人々も増えたことも事実です。その事実に対しては心が痛みます。しかしその一方で精神的な美しさや、心の豊かさは大歓迎すべきと信じています。

下に昨日撮った写真を使って日本人の心の変化を説明いたします。

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白樺湖には観光客は居ません。意味も無く、ワイワイ観光地に集まって無駄なお金を使って、出来の悪いお土産物を沢山買うという風潮が消えてしまいました。

レストランに入って昼間からビールを飲む人々が居なくなりました。

結果、土産物屋やレストランが店を閉めています。淋しい光景です。店を営業していた多くの人々にとっては大変不幸な事です。しかしもっと大きな視点で考えると流行に乗ってある観光地だけに人々が集中するのは、はたして立派な事でしょうか?湖畔を散歩しながらそんな考えにとらわれます。12月始めという、雪にはまだ早いシーズンオフなので人気が無いのは当然かもしれませんが本当に淋しい風景です。

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蓼科山の登山口から見上げた頂上です。登山者の駐車場には車が1台停まっているだけで観光客の姿が見えません。ここから山頂までは1時間の登りなので、昔は観光客やハイキングを楽しむ人々が沢山いたのですが人影が見えません。

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蓼科湖です。観光客は独りも居ません。しかし公衆トイレだけは明るく電燈がつき、暖房がしてあって実に清潔です。これこそ人間の心の豊かさの証明ではないでしょうか?昔の観光地の公衆便所の不潔さを知っている私は清潔なトイレを見ただけで幸福感に包まれるのです。

蓼科湖ではたった一軒だけ土産店が開いていました。「みすず飴」を買います。中年の夫婦が嬉しそうに笑いながら550円の飴を売ってくれました。その笑顔が自然なのです。まるで家族に笑いかけるようなのです。

昔の土産物店はこんな雰囲気でなかったのです。550円の「みすず飴」一個だけだと厭な顔をするのです。その上、これもある、あれも土産に良いなどと、押し売りまがいの勧め方をしたものです。ああ、文化が向上したと、又嬉しくなります。

そんな事は当然で別に驚く必要は無いと考えないで下さい。注意深く観察すると不景気になってから起きた良い事、善い事があなたの身のまわりに沢山あるのです。それを発見する事ほど楽しいものは無いと信じています。

それはそれとして、今日もあなたのご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)