後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

北杜市、七里ガ岩の今年最後の紅葉の輝きをお楽しみください

2011年12月06日 | 写真

落葉が進んでいます。多分、これが七里ガ岩の今年最後の紅葉の写真になると思います。昨日と今日、家内が撮った写真です。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

017

024

121_2

126

124


諏訪湖、高島城の今朝の写真をお楽しみ下さい

2011年12月06日 | 写真

諏訪氏は武田信玄に攻められ、高島城は信玄のものとなりました。しかし江戸幕府は諏訪氏を再興させ高島城は長い間、諏 訪湖の岸辺に美しい姿を見せていました。明治維新後、諏訪湖は次第に埋め立てられ、現在の高島城は岸辺より800m位引っ込んだ所に立っています。小規模なお城ですが、均整の取れた姿は何時見ても見事です。今朝撮った写真をお送りします。お楽しみ頂ければ嬉しく存じます

119_2

120_2

079


ワインは自分で簡単に作れます・・・でも味は保証出来ません

2011年12月06日 | 日記・エッセイ・コラム

日本では自分が飲むための酒も作ってはいけません。何か個人の人権の侵害のようで不愉快ですが法律でそうなっています。ですから以下に書くことは外国に住む機会があった時に試してみて下さい。そしてこの記事を掲載する目的は、市販されているワインの味わい方をご理解頂く為に筆を取りました。

昔ある国に住んでいた頃の話です。友人がワインを一緒に作ろうと言ってくれたのです。葡萄の実の皮に葡萄酒発酵酵母が自然についているので、実を洗わないで潰して数週間放置しておけば良い。至極簡単で誰にでも作れると言うのです。

葡萄栽培地域へ車を飛ばし、安い規格外の葡萄をバケツ3杯分買って来ました。それを大きな器に入れ、棒でグチャグチャに潰します。規格外のブドウですから糖分が足りません。そこで砂糖をたっぷり加えて又バケツへ入れて寒い地下室に入れて置きます。1週間たったら、その後は必ず2、3日に一度は清潔なスプーンで味をみます。砂糖の甘さがあるうちはまだ発酵が十分進んでいないのです。味見を続けていると次第に甘さが消え、アルコール分に変化しワインが出来あがります。そしたら急いで紙で濾して、皮や果肉を取り除き、ワインの出来上がりです。それ以上放置を続けていると次第にアルコールが酢になってしまいます。

瓶に詰め、冷蔵庫で冷やして、ボージョレ・ヌーボーとしてシャケの燻製やカマンベールとともに楽しみます。

013 

自家製ワインの味ですか?それを聞かれると困るのです。とにかく不味いのです。ありていに言えば酔いますが、どうしようもない位不味いのです。使ったブドウが不味い、そして砂糖の分量が間違ったようです。一緒に食べたシャケの燻製とカマンベールの美味しかった事は今でも良く覚えています。

第一回の失敗の後、2度だけ挑戦してみました。甘さが残っているうちに濾してしまえばブドウの風味の残った甘口のワインになります。発酵を完全にして甘さを消してしまえばコクのある格調高い辛口のワインになる筈です。

しかし、どちらも失敗でした。砂糖の甘味の残っているうちに濾したワインはただ甘ったるいだけのブドウジュースへ焼酎を少し加えたような代物です。ワインという感じではありません。発酵を完全にしたものはアルコールは強いのですが酸っぱいのです。酢と焼酎を混ぜて水で薄めたような味がします。赤ワインは紫の色をしたブドウを使います。白ワインは薄い色のブドウを使います。私は3回とも紫色のブドウを使い、赤ワインを作りました。

結論、「ワインは安いものでも買って飲んだ方が数段美味い!!!」でした。

世の中にはワイン通のひとがよく居ます。得意げにウンチクを傾けているのをたまに聞きます。しかしワインの味の仕上げの難しさは体験していないのです。言葉で説明出来るほど簡単でないことが分かっていないのです。

世の中には言葉で表せられないが重要なことが沢山あります。ブログの限界も感じる今日、この頃です。


日本人のカトリックの心の故郷は長崎や、五島列島の隠れキリシタンの里

2011年12月06日 | インポート

日本のキリスト教は1549年、フランシスコ・ザビエルが鹿児島へ第一歩を印したときに始まります。ザビエル師がたまたまカトリックだったので明治維新までの日本のキリスト教はカトリックになりました。

そしてこれも偶然ですが、私も34歳の頃、カトリック立川教会で塚本金明神父さんから洗礼を授けられました。洗礼名としてシルベスターという名前も頂きました。

そのような経緯で、クリスマスや復活祭の頃になると毎年、長崎や五島列島のことをあれこれ考えます。

今日は長崎の隠れキリシタンの里、外海町のカトリック黒崎教会のHPから写真を3枚ご紹介いたしたいと思います。尚、写真の下にザビエルの紹介を附しました。出典はYahoo百科事典です。

Kurosaki_church_4501 Kurosaki_church_011 Kurosaki_church_p51

フランシスコ・ザビエルの紹介:

ローマ法王の使節、イエズス会の東インド管区長の資格をもって、彼はコモリン岬をはじめインド各地を巡り、さらに1545年から47年にかけて、マラッカからモルッカ諸島まで布教に従事した。その間、マラッカの教会で最初の日本人として鹿児島出身のヤジロウ(アンジロウ)らに会い、彼らの母国日本にキリシタン宗門を広める大いなる熱意を抱いた。

1549年(天文18)8月15日にザビエルは鹿児島に第一歩を印した。薩摩(さつま)(鹿児島県)、平戸(ひらど)(長崎県)を経、周防(すおう)山口(山口県)でも同僚フェルナンデス修道士らと伝道したのち、51年の初めに堺(さかい)に達し、ついで京都に赴いたが、戦乱のために天皇も将軍も権威がないのを悟る。落胆のうちに西下した彼は、周防の大内義隆(よしたか)を再度訪れ、数々の珍奇な品を献上してその好意のもとに山口で布教した。ついで豊後(ぶんご)(大分県)にポルトガル船が入港したとの知らせでその地に移り、大友宗麟(そうりん)(義鎮(よししげ))に謁したのち、51年ひとまず離日してインドに帰った。翌年中国布教を志してゴアから旅立ったが、広東(カントン)沖のサンショアン島で病死した。ときに52年12月2日(3日説は誤り)。遺骸(いがい)は現在ゴアのボン・ジェズ教会にあり、右腕だけはローマのジェズ教会に安置されている。1622年、聖人の位に列せられた。


昨夜は諏訪湖畔のホテルに一泊しました・・・小さな旅です

2011年12月06日 | 日記・エッセイ・コラム

025

001

014

022

昨日から家内と2人で諏訪湖の傍に一泊してました。山の小屋で遊んでから夕方に諏訪湖のほとりのホテルに着きました。

昔の冬の諏訪湖は全面が凍結し、神が渡るように氷が一直線に盛り上がり、割れ目が出来ます。しかし諏訪湖が凍らない年が数年も続いています。

随分前のことですが、子供が小さい頃は冬の諏訪湖でスケートをして遊んだことがあります。

今年も凍る気配もなく、強風で波が立ち騒いでいました。

今朝は9時に宿を出発して、山林の中の小屋で落ち葉焚きをしたり、庭の中を流れる小川の清掃をしたりして遊びました。

往復380Kmの旅ですが、自分で車を運転しましす。高齢なので慎重に車を走らせ、早めの帰宅をするつもりです。冬の諏訪湖の風景写真を御楽しみ頂ければ嬉しいです。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げdます。

後藤和弘(藤山杜人)