雫石鉄也の
とつぜんブログ
10月19日(金) 海原雄山をののしる
「美味しんぼ」日本のグルメ漫画の草分け的存在で、いまだに続いている長寿漫画。小生も愛読していた。ところが今は読んでいない。この漫画、終わり時を失したのではないか。山岡と栗田が結婚した時点で終了すべきだった。
初期は確かに面白かった。料理を趣味とする小生として参考になる情報もあったし、「食」というものを真摯に考え、先行の同種の漫画「包丁人味平」や並行している「クッキングパパ」とは一線を画していた。
ところが設定にだんだん違和感を感ずるようになった。例えばキャラの造形。社主や編集局長といった新聞社の幹部があまりにアホ。ああまでアホだと現実離れしていて読んでいて白ける。
客が減少したり、海原雄山が出した課題を解決できずに困る料理人を山岡が助けるエピソードが何話かある。これらの話しも不自然だ。
例えば海原からスパゲッテイカルボナーラを作らされたイタリア料理人が海原から怒られる。で、山岡が同様に作る。ぜんぜん違う。なぜか。イタリア料理人はソースに全卵を使っていた。だから滑らかなソースに仕上がっていなかった。山岡は黄身だけを使った。
天ぷらがうまく揚げられない和食の料理人。山岡が教える。衣を作るときは小麦粉を捏ね繰り回さず、冷水で作る。炒飯は強火で一気にダイナミックに炒めることを中華の料理人に山岡が教える。
そんなことは料理を趣味としている素人の小生でも知っている。プロの料理人が知らないはずがない。
それにメインキャラの一人海原雄山の設定もおかしい。なんであんなおやじにみんなヘーコラするのだろう。海原に料理を批判されたら、料理人はただ恐縮して恐れ入るだけ。一人ぐらい「気に食わんのなら食うな」と海原を一喝する料理人もいていいのでは。
海原は北大路魯山人を敬愛して目標としている。魯山人を目標とするようなヤツはたいしたもんではあるまい。魯山人の作品はいくつか見た機会があったが悪くはないが、ハッタリだけといってもいいのでは。それに魯山人個人はわがままで自分勝手で横暴で、どうしようもないおっさんで、あまりなので白洲正子さんにひっぱたかれたとか。そんな魯山人のイヤな部分が海原のキャラのモデルではあるまいか。
原作者の雁屋哲のいうことは分かる。たしかに食の安全は大切だ。本物の食材を使わなくてはいけない。小生も自分の料理に使いたい。醤油にしても味醂にしても伝統的な製法で作っている地方のメーカーの方が、工場で作っている大メーカーの製品よりおいしくて安全なことは小生でも知っている。しかし、そんなものは高い。そのような食材を使うべき、とこの漫画ではいっているが、貧乏人の週末料理人としては困る。
初期は確かに面白かった。料理を趣味とする小生として参考になる情報もあったし、「食」というものを真摯に考え、先行の同種の漫画「包丁人味平」や並行している「クッキングパパ」とは一線を画していた。
ところが設定にだんだん違和感を感ずるようになった。例えばキャラの造形。社主や編集局長といった新聞社の幹部があまりにアホ。ああまでアホだと現実離れしていて読んでいて白ける。
客が減少したり、海原雄山が出した課題を解決できずに困る料理人を山岡が助けるエピソードが何話かある。これらの話しも不自然だ。
例えば海原からスパゲッテイカルボナーラを作らされたイタリア料理人が海原から怒られる。で、山岡が同様に作る。ぜんぜん違う。なぜか。イタリア料理人はソースに全卵を使っていた。だから滑らかなソースに仕上がっていなかった。山岡は黄身だけを使った。
天ぷらがうまく揚げられない和食の料理人。山岡が教える。衣を作るときは小麦粉を捏ね繰り回さず、冷水で作る。炒飯は強火で一気にダイナミックに炒めることを中華の料理人に山岡が教える。
そんなことは料理を趣味としている素人の小生でも知っている。プロの料理人が知らないはずがない。
それにメインキャラの一人海原雄山の設定もおかしい。なんであんなおやじにみんなヘーコラするのだろう。海原に料理を批判されたら、料理人はただ恐縮して恐れ入るだけ。一人ぐらい「気に食わんのなら食うな」と海原を一喝する料理人もいていいのでは。
海原は北大路魯山人を敬愛して目標としている。魯山人を目標とするようなヤツはたいしたもんではあるまい。魯山人の作品はいくつか見た機会があったが悪くはないが、ハッタリだけといってもいいのでは。それに魯山人個人はわがままで自分勝手で横暴で、どうしようもないおっさんで、あまりなので白洲正子さんにひっぱたかれたとか。そんな魯山人のイヤな部分が海原のキャラのモデルではあるまいか。
原作者の雁屋哲のいうことは分かる。たしかに食の安全は大切だ。本物の食材を使わなくてはいけない。小生も自分の料理に使いたい。醤油にしても味醂にしても伝統的な製法で作っている地方のメーカーの方が、工場で作っている大メーカーの製品よりおいしくて安全なことは小生でも知っている。しかし、そんなものは高い。そのような食材を使うべき、とこの漫画ではいっているが、貧乏人の週末料理人としては困る。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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初期はそれなりに考えましたが、最近ではヨーロッパ崇拝とアメリカ・日本バッシングのような感じになったため、相当昔から違和感感じ、読んでいません。
決定的なのは、副部長に鍋物のねぎをぶつ切りにしてのどをやけどさせ、のた打ち回る様子を笑いにする、それと士郎が考え方が合わないからといって、「陶器でも思い通りにいかなければ割るではないか」というような人間性の否定があって、料理と陶芸を見るのがショックになっていました。最近は有田でも壁に失敗作の皿を埋めて壁の材料兼デザインとして有効活用という場所があってほっとしています。
私は福岡県民で、クッキングパパをたまたま見て料理の愛情はキャラの性格や人間性、ローカル話や地域密着兼取材地域の紹介などほのぼの話にほっとすることからです。
ちなみにファンサイトです。
http://www1.bbiq.jp/neko/cooking/
Wikipediaで雁屋哲や北大路魯山人って調べると、相当の変人のようにかかれていました。
確かに食の安全などは重要なことです。しかし高コスト化することで一般庶民から遠い世界にある高級食材を求める人と、ごくふつうの材料を使って作る語句普通の料理だけを口にする人がいることって、格差社会ですね。発泡酒が売れるのも、ビールもどきであるがビールが高くて悩む人がいる、これも不況からです。
あちこちに名物料理がありますが、雁屋哲が見ると憤慨するような料理も多いです。しかしそれなりに土地で評価されているものですし、食べる人の満足でよいのではないでしょうか。クッキングパパは一番優先するのが「食べたときの笑顔」です。
「クッキングパパ」私もファンです。こちらは94巻まで全巻持っております。
ただうえやまさんがサラリーマンの経験がないのか、会社の描き方に違和感を感じる時があります。
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