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遙かな海路


神戸新聞社編      神戸新聞総合出版センター

 かって、神戸に日本一の巨大商社があった。鈴木商店という。神戸の小さな砂糖問屋であった鈴木商店が、いかにして巨大な商社に成長し、そして滅んでいったのか。
 ホンダに本田宗一郎、パナソニックに松下幸之助、ダイエーに中内功がいたように、鈴木に金子直吉がいた。ただ、本田、松下、中内たちは企業の創立者でありオーナーでありカリスマ経営者だ。金子は違う。20歳で高知から神戸に来て、鈴木商店に丁稚として雇われた。
 金子はただの丁稚では終わらなかった。鈴木のトップ「お家さん」鈴木よねに見こまれ、すべてを任され、稀代の名番頭として辣腕をふるい、三井、三菱、住友を凌駕する商社に育て上げた。
 金子自身は商人でありながら「生産こそが人間が行う最も尊い仕事」との信念の元、砂糖、樟脳、食品、製鉄、造船などあらゆる製造業にアメーバのごとき、触手を伸ばし、自ら起業し、はたまた既存企業を買収し、近代日本の製造業の骨組みをつくったといっても過言ではない。
 例えば、日本を代表する製鉄所のひとつ、神戸製鋼は、東京の書籍商、小林が神戸の脇の浜に小さな製鋼所を作った。それを金子が買収して、今の神戸製鋼となった。神戸製鋼のルーツは本屋であったのだ。小生(雫石)が入院して手術を受けた神鋼記念病院の正門の前に「神戸製鋼発祥の碑」がある。
 主人鈴木よねは番頭金子に全幅の信頼を置いている。金子はよねに忠誠をつくす。だから、金子は鈴木を株式会社にしなかった。株式会社にすれば会社はよねのモノではなくなる。だから資金の調達は台湾銀行に頼っていた。ここに金子の誤算があった。昭和初期の恐慌にたえきれず鈴木商店は滅亡した。
 鈴木商店は大きくなりすぎたのだ。金子の暴走ともいえる。西川文蔵という人がいた。鈴木商店本店支配人。事務方の実務を取り仕切っていた。この西川が若くして死ぬ。それは、優秀な補佐役豊臣秀長を失った秀吉である。暴走した秀吉が朝鮮に侵略して豊臣政権を疲弊させたように、西川を失った金子の暴走を止める人はいない。
 鈴木商店は今はない。しかし、神戸製鋼、双日、サッポロビール、帝人、IHIといった企業が鈴木商店の衣鉢を継いでいる。
 鈴木商店は今はないといったが、登記上、鈴木商店は、今もある。金子の意志を受け継いだ人たちが清算手続きをしなかった。
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コメント
 
 
 
映画があります (さすらい日乗)
2017-09-27 19:20:00
加藤泰監督の映画で『日本侠花伝』です。東宝のやくざ映画で、渡哲也のほか、若死にした真木洋子が主演しています。1回しか見ていませんが、最後に鈴木商店が焼き討ちされるシーンがあります。

米騒動については、被差別を描いた今井正の映画『橋のない川』の二部にも出てきますが、これは大阪での米問屋への打壊しですが、結構面白かった記憶があります。先導する若者は地井武男でした。
 
 
 
さすらい日乗さん (雫石鉄也)
2017-09-28 03:33:17
へー、加藤泰監督が東宝でやくざ映画を撮ってましたか。たしか加藤監督は、東映の「緋牡丹博徒」シリーズをいくつか撮ってませんでしたか。だから加藤監督というと東映という先入観がありました。
それに東宝でやくざ映画は意外でしたね。東宝というと、特撮怪獣、駅前、若大将、無責任、と、明るく健康的なイメージの映画会社でしたから。
 
 
 
加藤泰は大好きな監督でした (さすらい日乗)
2017-09-28 08:08:05
加藤泰の監督歴は以下の通りです。

1.1938.03.01 阿部一族  東宝映画東京=前進座  ... 演出助手
2.1943.01.03 泡  理研科学映画
3.1944._._ 虱は怖い 原題:子虱的怕可  満映
4.1944._._ 軍官学校  満映
5.1947.10.28 素浪人罷通る  大映京都  ... 監督助手
6.1948.10.18 王将  大映京都  ... 助監督
7.1949.01.04 天狗飛脚  大映京都  ... 助監督
8.1949.05.16 飛騨の暴れん坊  大映京都  ... 助監督
9.1950.08.26 羅生門  大映京都  ... 助監督
10.1951.11.16 剣難女難 女心伝心の巻  宝プロ
11.1951.11.30 剣難女難 剣光流星の巻  宝プロ
12.1952.07.09 清水港は鬼より怖い  宝プロ
13.1952.10.23 ひよどり草紙  宝プロ
14.1955.01.03 忍術児雷也  新東宝
15.1955.01.29 逆襲大蛇丸  新東宝
16.1957.01.22 恋染め浪人  東映京都
17.1957.04.16 源氏九郎颯爽記 濡れ髪二刀流  東映京都
18.1958.01.29 緋ざくら大名  東映京都
19.1958.03.11 源氏九郎颯爽記 白狐二刀流  東映京都
20.1958.04.15 風と女と旅鴉  東映京都
21.1958.05.27 浪人八景  東映京都
22.1959.06.09 紅顏の密使  東映京都
23.1960.02.07 大江戸の侠児  東映京都
24.1960.05.17 あやめ笠 喧嘩街道  第二東映京都
25.1960.10.30 炎の城  東映京都
26.1961.02.02 朝霧街道  第二東映京都
27.1961.07.02 怪談お岩の亡霊  東映京都
28.1962.01.14 瞼の母  東映京都
29.1962.04.17 丹下左膳 乾雲坤竜の巻  東映京都
30.1963.06.02 真田風雲録  東映京都
31.1964.01.15 風の武士  東映京都
32.1964.04.05 車夫遊侠伝 喧嘩辰  東映京都
33.1964.12.12 幕末残酷物語  東映京都
34.1965.09.18 明治侠客伝 三代目襲名  東映京都
35.1966.04.01 沓掛時次郎 遊侠一匹  東映京都
36.1966.06.12 骨までしゃぶる  東映京都
37.1966.07.15 男の顔は履歴書  松竹大船
38.1966.10.15 阿片台地 地獄部隊突撃せよ  ゴールデンぷろ
39.1967.02.25 懲役十八年  東映京都
40.1968.04.13 みな殺しの霊歌  松竹大船
41.1969.02.01 緋牡丹博徒 花札勝負  東映京都
42.1970.03.05 緋牡丹博徒 お竜参上  東映京都
43.1971.06.01 緋牡丹博徒 お命戴きます  東映京都
44.1972.05.27 昭和おんな博徒  東映京都
45.1972.07.15 人生劇場 青春篇 愛欲篇 残侠篇  松竹大船
46.1973.03.17 花と龍 青雲篇 愛憎篇 怒濤篇  松竹大船
47.1973.07.14 宮本武蔵  松竹大船
48.1973.11.17 日本侠花伝 第一部野あざみ 第二部青い牡丹  東宝映画
49.1977.06.18 江戸川乱歩の陰獣  松竹
50.1981.05.09 炎のごとく  大和新社
51.1994.12.03 ザ・鬼太鼓座  デン事務所=朝日放送=松竹

彼は戦前東宝にいたのですが、戦時中に満映に行き、そこで監督デビューしました。戦後戻ってきて大映に入り、さらに宝プロで監督になります。
大映では黒澤明の『羅生門』のチーフ助監督を務めますが、黒澤と大喧嘩になります。戦前は、同じ東宝の助監督だったのが、黒澤は新進の監督として大映に乗り込んで来て、加藤は助監督ですから愉快ではなかったでしょう。その後、共産党員ではなかったのに、煩い奴だとのことでレッドパージの対象にされて首になってしまい、宝プロに行くのです。
加藤は頑固で有名で、東映で時代劇を作るようになっても、会社の受けはよくなく、晩年は松竹でも作っています。私は大好きな監督ですが、最後の2本は感心しませんでしたね。中で面白いのは、『風の武士』で、原作は司馬遼太郎ですが、歴史小説ではなく、伝奇小説で、司馬が伝奇小説から始まったことがよくわかる作品です。

東宝は、1960年代末は非常に混乱していて、ヤクザ映画も作り、それは1973年の『日本沈没』の大ヒットまで続いたのです。
 
 
 
さすらい日乗さん (雫石鉄也)
2017-09-28 09:54:50
なるほど、加藤泰はあちこちの映画会社で監督をしてたんですね。加藤監督が映画をつくってないのは日活ぐらいですね。
 
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