雫石鉄也の
とつぜんブログ
2月28日(木) 環境に優しい?
環境にやさしい車と称してガソリンエンジンと電気モーター併用の車がある。確かにガソリンを燃やす量は減ったが、この車は「かんばん方式」などという環境にやさしくない生産方式で作られている。
また、太陽発電パネルを作っている企業が「環境」を盛んに訴えている。CO2削減に取り組んだ製品とか、その他いろいろ「環境」を考えた製品がたくさん生産されている。
では聞きますがそれらの製品はどんな工場で作られていますか。その工場の機械はなにで動いていますか。人力ですか。牛馬ですか。その工場のロボットはゴトゴト回る水車が原動力ですか。クレーンは「よいとまけ」「よいとまけ」といって労働者が滑車でロープを引っ張っているのですか。その工場に原料を搬入する車は大八車ですか。その工場のコスト計算や従業員の給料計算はソロバンで計算しているのですか。照明はロウソクですか。本社への連絡はのろしを上げてしているのですか。もしそんな工場で作られている製品なら本当に「環境にやさしい」製品だ。
ところがそうではないでしょう。工場の機械は電気で動いている。その電気は原子力発電や重油を燃やす火力発電で作っている。工場に原料を搬入するトラックは軽油を燃やすディーゼルエンジンで動いている。つまり環境にやさしくない工場で作っているわけ。
「環境にやさしい」製品として広告して、売上を伸ばし「環境にやさしい」製品がどんどん売れれば環境にやさしくない工場が活発に生産活動をして、CO2やら窒素酸化物やらの環境にやさしくないモノをどんどん出す。
ようは人間が活動する限りは環境にやさしいものなどない。「環境にやさしい」とは人間に都合がいいだけ。いま盛んに心配されているCO2の排出も地球が温暖化するから。地球が温暖化すれば人類にとって都合が悪いだけ。温暖化を歓迎する生物もいるかも知れない。
人類の活動によって起きる変動など地球にとってはおり込み済みのことかもしれない。その変動も地球の変動の一つにすぎないのだ。人類がその変動に対応できなかったら滅亡するだけ。そしてその変動した環境に対応した種が繁栄する。これが地球上の生命の進化の大きな流れなのだ。人類もこの流れに乗っている。人類は決して特別な存在ではない。
また、太陽発電パネルを作っている企業が「環境」を盛んに訴えている。CO2削減に取り組んだ製品とか、その他いろいろ「環境」を考えた製品がたくさん生産されている。
では聞きますがそれらの製品はどんな工場で作られていますか。その工場の機械はなにで動いていますか。人力ですか。牛馬ですか。その工場のロボットはゴトゴト回る水車が原動力ですか。クレーンは「よいとまけ」「よいとまけ」といって労働者が滑車でロープを引っ張っているのですか。その工場に原料を搬入する車は大八車ですか。その工場のコスト計算や従業員の給料計算はソロバンで計算しているのですか。照明はロウソクですか。本社への連絡はのろしを上げてしているのですか。もしそんな工場で作られている製品なら本当に「環境にやさしい」製品だ。
ところがそうではないでしょう。工場の機械は電気で動いている。その電気は原子力発電や重油を燃やす火力発電で作っている。工場に原料を搬入するトラックは軽油を燃やすディーゼルエンジンで動いている。つまり環境にやさしくない工場で作っているわけ。
「環境にやさしい」製品として広告して、売上を伸ばし「環境にやさしい」製品がどんどん売れれば環境にやさしくない工場が活発に生産活動をして、CO2やら窒素酸化物やらの環境にやさしくないモノをどんどん出す。
ようは人間が活動する限りは環境にやさしいものなどない。「環境にやさしい」とは人間に都合がいいだけ。いま盛んに心配されているCO2の排出も地球が温暖化するから。地球が温暖化すれば人類にとって都合が悪いだけ。温暖化を歓迎する生物もいるかも知れない。
人類の活動によって起きる変動など地球にとってはおり込み済みのことかもしれない。その変動も地球の変動の一つにすぎないのだ。人類がその変動に対応できなかったら滅亡するだけ。そしてその変動した環境に対応した種が繁栄する。これが地球上の生命の進化の大きな流れなのだ。人類もこの流れに乗っている。人類は決して特別な存在ではない。
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )
« 2月27日(... | 2月29日(... » |
要するにやさしくないのに「環境にやさしい」という嘘ツキなウタイ文句はやめろと言うことです。よね?
特に日本人は・・・なにもかもにおいて特別な存在だと勘違いしているのではないでしょうか?去年東南アジア各国を回ってみて以来、それをずっと感じながらここ「日本」で生活しています。
ところが、今はぜんぜん特別な存在ではないと思います。借金だらけで、一番大切な食料は外国だより。
頼みの技術力は韓国やインドにそのうち追い抜かされるでしょう。
産業革命以前のように、自分の足で行動できる範囲を生活圏としていればともかく、今では例えば車を運転する人なら、道路上で歩行者数人分のスペースをひとりで占有していながら(つまり自動車に一人で乗っている状態で)、それに不自然さを感じず、徒歩に要するエネルギーに比べようもないほどのエネルギーを費やして自動車を足代わりに使っているんだから。 環境問題に敏感な人でも「ちょっとそこまでお買い物」に車使うのが日常風景ではないだろうか。他者には厳しく自分に甘い「自己中」が人間の本質かも知れないな。
本当に偶然です。たまたま今日、読み進めている森達也氏の著書の中でこんな文章がありました。
'02年の一年間において、国内の交通事故における死亡事故は8,000人強だったそうです。これは「即死」した方の統計であり、数日後に死亡された方や重傷者は含まれておりません。
少なく見積もっても一日あたり20人。だけどこれに違和感を感じる人間は少ない・・・。そして企業は散々コマーシャリズムで消費者を煽る。そしてそれに踊らされる「国民」・・・。
想いに耽ってしまいましたことをお詫びします。
穀物を家畜に食わせ、その家畜の肉を人間が食う。
穀物を直接、人間が食った方が、食糧事情が好転するといいますね。
今は貧乏だから、車を手放しましたが、本音はまた車欲しいな、と思っています。ダメですね。
でも、化石燃料を燃やして走る、今の内燃機関の車は近い将来なくなると思います。
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