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前立腺風雲録 第25回

 なにごとも慣れというモノはエライもので、どんなことでも慣れれば、さして苦にならないのである。
 自己導尿。めんどうくさがりの小生が、よく、こんなめんどうなことをやっていたものである。
 1日に1回、カテーテルの消毒液を替えてやらなければならない。そして1日に5回、自己導尿する。これは、どんなにめんどうでも必ず実行しなくてはならない。めんどうだから1回休み。1回ぐらいはいい。でも、尿は確実に膀胱内にたまっているのである。膀胱はだまっているが、負担がかかっている。
 導尿すれば尿の量を記録しなくていけない。飲んだ水分の量も記録。導尿に失敗して出血することもたびたび。休日に外出するときは、駅のトイレや居酒屋のトイレで導尿する。
 こんなことが一生続くかと思うと暗澹たる気持ちになる。導尿はめんどうだし痛いし出血するからイヤなことばかりだが、いいこともある。排尿を自分でコントロールできるのだ。ふつう、尿意をもよおせば、ある程度はガマンできる。しかし、限界がある。トイレにかけこまなければ、あるいは、どっかで立ちションしなくては、おもらしだ。このころの小生はそれがない。1日中でも排尿しなくてもすむ。そんなことをすれば膀胱に悪いが。
 なにか、集中して仕事をしている。あとひと息できる。ところが出物はれものところ嫌わず。おしっこがしたくなった。しかたがない仕事を中断してトイレへ。これがない。はれものはともかく、出物のうちのおしっこは、仕事ができてから、導尿に行くということができるのである。
 落語会や映画を観るとき、可能な限り通路側の席に座るようにしていた。入院前の小生は頻尿だ。中側の席だと、途中でおしっこがしたくなればがまんできない。ごめんやっしゃ、ごめんやっしゃといって、人の前を通ってトイレに行かなくてはいけない。実に迷惑そうな顔をされる。それの心配がなくなった。どの席でもOKである。
 11月22日手術予定である。早く、この日が来てほしいような。できるだけ来てもらいたくないような。なんとも落ち着かない日々を過ごしていたのである。
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