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こわれざるもの 1

 大学からの帰り道、阪神深江駅前の書店をのぞくのが一行 (かずゆき)の日課。今日は二十五日だからSFマガジンを買わなくっちゃ。しかし、ここ数ヶ月この書店でSFマガジンが買えない時が時々ある。駅から地下道で行ける地下の店で、一階がダイエーそれより上がマンションというビルの地下だ。そう大きくない書店で、SFマガジンは文芸書の並びに一冊置いてあるだけ。
 どうも誰かが先に買っているらしい。気をつけて書店の中を見回すのだが、よくわからない。一行も長年のSFファンで、自分と同類は自分と同じ匂いがするのですぐわかる。別に見つけ出してケンカを売ろうとか、お友だちになろうというわけではない。ただ、どんなヤツか知りたいだけ。店員に聞くほどのことでもない。 
 お、今月はまだある。「小説現代」や「オール読物」が並べてある棚の「ミステリーマガジン」の隣に「SFマガジン」は置いてあった。
 よし、今月はちょっと見張っといてやれ。料理雑誌売場の前に立った「dancyu」や「料理百科」をパラパラめくりながらしばし待つ。
 一人の娘が背後を通った。後ろ姿しか見えない。ジーンズに緑色のセーター。二十歳ぐらいだろうか。痩せ気味で肩までの髪。一行も健康な成人男性であるから、当然若い異性には興味がある。
 その娘がSFマガジンを抜き取りレジに向かう。レジは一行が立つ料理雑誌売場のすぐ横。マンガ週刊誌を一冊持って娘の後に並ぶ。なにげなく横顔を見る。化粧っ気がなく、なんとなく寂しそうな感じがする。
 ちょっとかわいい娘やな。それにしても匂いがしない。彼女にはSFファン独特の匂いがしない。一行はSFファンの友人知り合いも多い。彼らは独特の匂いを発する。その匂いはSFファンしか感じることができない匂いだ。
 書店の入り口にでも立ちパッと見渡せば、この人あの人その人と、たくさんの人の中からSFファンをピックアップすることができる。その娘は目の前にいるのに一行のセンサーで感知することができない。こんな人は初めて。
 強く興味を引かれた。ちょっとかわいい若い女性ということもあるが、彼女がSFファンであるかのか、ないのかどうしても知りたくなった。
 娘は支払いを終えて店を出て行く。声をかけようかと迷いながらしばらく後をつける。ストーカーと間違えられるといけないので、どこまでもつけていくわけにはいかない。思い切って声をかける。
「あの」
「はい」
 こちらを向いた。化粧っ気がない丸顔で目の光の奥で意志の強さを感じさせる。
「なんですか」
「あの、SFはお好きですか」
「はい」
「ほんまに」
「ええ、それがどーかしたんですか」
 不審には思っているが不快感は持っていない様子。と、思いたい。
「ぼくもSF好きです」
「なにかご用ですか」
「別に用というわけではないのですが、あの本屋でSFマガジンを買う人を初めて見たから」
「私はいつもあそこで買ってますけど。すみません。急いでますので」
 足を少し速めて地下から地上へ上がり、阪神の踏切を渡り始める。北の六甲山から吹き下ろす六甲おろしが肌寒い。彼女はスタスタと前を歩く。一行も少し後を歩く。そのままの状態でコープ深江店前の交差点まで来た時、キッとした表情で振り向いた。 
「なんで私の後をつけて来るの。用があるならさっさといってください」
 いかん。ストーカーと間違えられた。喫茶店にでも誘おうかと思ったが、今回は止めるつもりだった。初対面の女性をいきなりお茶に誘うような男と思われたくない。
「あっ、ごめんね。変に不安にさせて。けどぼくの家こっちのほうやねん」
 精一杯さわかやかな笑顔を見せて、足を速めて彼女の前を歩く。先を歩けば誤解されることもないだろう。
 うしろが気になる。まだ彼女はうしろを歩いている様子。背中に感じる引力を振り切って足を速める。このあたりに住んでいるならまた逢う機会もあるだろう。
 
 阪神三宮駅の前の喫茶店で一行は待っている。彼が待たされることはめったにないことだ。いつも待つのは裕子の方で、遅刻はもっぱら一行の役割。約束の時間を過ぎているが映画の時間にはまだ間に合う。
 連休の最後の休日。地下街の人通りは多く、通路の向こう側のそごうや地上の三宮センター街への人通りは絶えない。
「ごめ~ん。出かけに電話がかかってきて」いいわけをいいつつ、緑色のセーターにジーンズの裕子は一行の前に座ってコーヒーを注文した。この緑色のセーターにジーンズというファッションは裕子の定番。初めて出逢ってから今日で五度目のデートだが三度この服装で一行の前に現れた。
「おまえ、緑色のセーター好きなんやな。」
「別に好きというわけやないんやけど、わたしセーターあんまり持ってへんから」
「おぼえてるか」
「なに」
「ワシと初めて逢ったときのことや」
「ああ、深江の本屋で」
「あの時ストーカーと間違えたやろ」
「だって後を後をつけてくるもん」
「ところで北海道へ行かへんか」
「なに。いきなり」
「SF大会や」
「あたし高校のころ一人で東京のSF大会に参加したことあるけど、だれも知り合いがいなくてさみしかったわ。二日目に枚方から一人で来てた子と友だちになって、その子とずっといっしょにいたけど」
「その子が久美子か」
「そうよ」
「今度はワシも行く。山脇も行くゆうとった」
「わたし北海道行ったことないし、いっぺん行きたいな思うてんねん」
「夏の北海道はええで」
「久美子も誘うか」
「誘え誘え。ところで裕子大事な話があるねん」
 裕子はプロポーズでもされるのかと身構えた。
 阪急梅田駅の下。ビッグマンにはこれからの関西の花火大会の予定が映っていた。裕子と久美子。二人とも気は強い方だが発火点が低いのは久美子だ。裕子はのんびりと紀伊国屋の方を眺めているが、久美子は頭に来ていた。
「まったく。あのふたり時間どおりに来たこと無いじゃないの。高津くんは裕子の管理下にあるんやからきっちり管理しといてね」
「あら山脇くんは久美子の管理じゃないの」
「だれが山脇なんかと」
 二人の男が三番街の方から息せき切って走ってきた。
「こら。バスに間に合わないぞ」
「ごめん。山脇にもあの話をしてもんで」
「ああSF大会のことね」
「そや。裕子から聞いてくれたか」
「聞いたわ。それにしても唐突ね」
 飛行機は定刻通りに千歳空港に着陸した。リムジンバスで札幌市内に着いた時にちょうど正午になった。
「暑いな」
「そやね。これやったら関西の方が涼しいね」
「はら減ったな」
「そやね。定山渓でお昼にしよか思とったけど、札幌市内で食べよか」
「賛成」
 四人でぶらぶら歩く。有名な札幌の時計台の前を通る。
「これが札幌の時計台か。なんかイメージ違うな」山脇がいった。
「北海道の大平原にポツンと建ってると思てたの」
「そんなこと思ってへん」
「見ると聞くとは大違いとはこういうことよ」
「わたし四国に親戚があるねん」
 久美子があごを上げて自慢げに話題を自分の方に持ってきた。
「で、去年の夏四国をぐるっと一周の旅行をしたの」
「それで」
 山脇一人が久美子の話に興味を示した。一行と裕子は暑いから手のひらで顔を扇ぎながら歩いている。
「その時はりまや橋と足摺岬に行ったの」
「で、どうだった」
 山脇が久美子の話を熱心に聞きだした。一行と裕子はだまって歩いているので二人は遅れだした。
「あの二人いい感じね」
 裕子が一行にいった。
「そうか。そんなこというと久美子怒るで」
「わかんないの。鈍感ね」
「はりまや橋はね車がブーブー通るなんでもない国道の端にあんの」
「ふーん。足摺岬は」
「足摺岬の灯台って人里離れた最果てに有るように思うでしょう」
「そやな。そんな写真をよう見るな」
「ほんまはあそこ、国道から走って一分のところにあるの。国道沿いには民宿やらドライブインがあって結構にぎやか」
「こら。そこの二人はよこい」
 一行が怒鳴った。
「そんな怒らなくてもいいじゃない」
「ねえ。なに食べる」
 裕子が後ろを振り返って久美子と山脇に聞いた。
「せっかく北海道に来たんやから本場の石狩鍋食べへんか」
 山脇が答えた。
「鍋、この真夏に」
「久美子反対か」
「ワシ賛成」一行が山脇の肩を持った。
「けど、こんな真夏に鍋やってる店あるかしら」
 四人は地下街に入った。地下街の方が少しでも涼しいかも知れない。何軒かの店のうち鍋をやっていそうな日本料理の店に入った。正午の少し前なので店はすいていた。席に着くとおばさんが注文を聞きに来た。
「あの、石狩鍋できますか」
 山脇が聞いた。
「鍋ですか」
 おばさんはびっくりしたようだ。
「できますけど」
「四人前ください」
 冷房が効いているとはいえ夏場に鍋はさすがに暑い。大汗をかいて石狩鍋を食べた。店の外に出ると真夏の太陽が照りつけている。さらにドッと汗をかく。
「暑いけど気持ちいいな」
「そやろ。暑い時には熱い物を食う。これが一番や」
 定山渓の温泉街は札幌市内よりいくぶん涼しい。北海道での二回目のSF大会=エゾコン2の会場は定山渓ホテルである。ホテルを一軒全館借り切っている。
 大都市以外の地方でSF大会が開催される時は、温泉地で開催されることが多い。SF大会の開催時期は夏。温泉地にとってシーズンオフの夏に一〇〇〇人から三〇〇〇人規模の団体客が確保できるわけだからSF大会は歓迎されることが多い。
「時間や行こか」
 一行が三人に声をかけた。四人が向かった部屋は日本SFファングループ連合会議の部屋である。定刻になって会議が始まった。いくつかの案件が処理されたあとSF大会開催に関する議題となった。次々年度の開催地を決定しなくてはならない。
「今のところ再来年のSF大会に関しては何も決まっていません。立候補する所はありませんか」
 議長が出席者に問いかけた。
「はい」
 一行が手を挙げた。
「一九九五年度の日本SF大会は神戸が立候補します」
 会場のあちこちでざわめきが聞こえる。
「神戸か久しぶりだな」
「前回神戸のSF大会は一九七五年。再来年というと二〇年ぶりだな」
「他に立候補するところはありませんか」
 議長が会場内を見渡した。手を挙げる者はだれもいなかった。
「再来年一九九五年の日本SF大会は神戸で開催ということでよろしいですね」
「異議なし」
「では再来年の日本SF大会がこれにて正式に決定しました」
 いつもは結婚披露宴に使われる部屋なのだろう。このホテルで一番大きなの部屋だ。その部屋に三〇ほどのグループが机を並べて同人誌を売っている。ディーラーズルームと呼ばれる部屋である。
 それぞれのグループが自分たちの作ったファンジンつまりファン・マガジン=同人誌を即売している。だまって机の前に座っているだけのグループもあるが、ワーワー大騒ぎしながら売っているグループもある。SF大会で最も賑やかな部屋だろう。
 一行と山脇が二人並んで座っている。一グループに長机一つに椅子二人分と決められている。
 一行がSFファングループを作ろうと思い立ちSF専門誌で会員募集をした時一番に入会してきたのが山脇だった。二人とも神戸の住人だったので神戸を活動拠点とするSFファングループ「コメット」が結成された。
 一行がたまたま自宅近くの書店で知り合ってつきあうようになった裕子が三番目、裕子がSF大会で知り合って友人となった久美子が四番目の会員となった。他に関西在住で時々例会に顔を見せる会員が三,四人。会誌を定期購読し、たまにお便りをくれる地方の会員が一〇人足らず。二〇人に満たない会員が一行が代表を務める「コメット」の会員数だ。
 活動は月に一回神戸で開催される月例会と年に二,三回発行する会誌の発行。会誌といっても内容は見たSF映画の読んだSFの感想文と会員からのお便り、SFファンダムのうわさ話など。創作はごく稚拙なショートショートが時々載る程度。SFのファングループには、作家志望者の集まりと、SFが好きで好きな者同士集まってワイワイやるのが楽しい集団の二つに分類される。作家志望者のグループは文学同人誌に似ているが、後者は大学の同好会サークルに似ている。一行たちのグループは後者に属する。
 神戸生まれ神戸育ちのSFファン一行は神戸でSF大会をやるのが夢だった。
 神戸でSF大会が開催されたことは過去一度ある。一九七五年。筒井康隆氏が主宰する同人誌「ネオ・ヌル」が主催した第一四回大会愛称シンコンだ。神戸文化ホールが会場で大会史上初めて参加者が一〇〇〇人を超えたSF大会であった。それから一八年間神戸ではSF大会は開かれていない。シンコン当時三歳だった一行は、神戸でSF大会をやるため「コメット」を作ったといってもいい。
「高津くん」
 少し小太りの四〇男が座っている一行に声をかけてきた。
「坪田さん。久しぶり」
 一行は高校生のころ関西の老舗ファングループ「Sの会」に入会した。「Sの会」の幹部で一行をなにかとかわいがってくれたのが坪田だ。「Sの会」は創作指向が高く、純粋な創作同人誌といえる。すでに同人からプロ作家を何人も輩出している。
 一行は創作には興味はない。「コメット」を作ってから「Sの会」の例会にはあまり顔を出さなくなったが、今でも会員でありメンバーとはSFイベントで顔を見ればあいさつを交わすし、機会があればいっしょに酒も飲む。
「聞いたで。SF大会するんか」
「はい。坪田さんもスタッフになってくださいよ」
「大変やで。ワシもむかしSF大会のスタッフやったことあるけど」
「坪田さんは確か吹田のメイシアターでやったSF大会のいいだしっぺの一人でしたね」
「そや。ダイコン5や」
「その時の経験を元にアドバイスくださいよ」
「アドバイスぐらいなんぼでもしたる。ところでお前ら何人から初めたんや」
「四人です」
「四人か。ワシらの時は三人やった」
「それが何人になったんですか」
「ダイコン5が終わった時点で百人ぐらいおったかな」
「おーい坪田さん」
「おう。いま行く。ほんじゃがんばれよ高津くん」
 向こうの方で呼ぶ声に答えて坪田が去っていく。
「電話します」
 坪田は向こう向いたまま片手を挙げて答えた。

                          2へ続く
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