雫石鉄也の
とつぜんブログ
小松左京氏が亡くなった
小松左京氏が亡くなった。80歳。晩年は認知症を患い、恍惚した状態の方が多かったと聞く。ちょうど、神戸文学館で小松左京展が開催されたばかりだ。
柴野拓美、野田昌宏、矢野徹、星新一、光瀬龍。日本のSFを創った人がどんどん逝く。そして、とうとう小松さんまで逝ってしまった。致し方なきこととはいえ、SFを生涯の友としている小生としてはいいしれぬ寂しさを感じる。
小生はこのブログで何度か追悼文を書いている。その中で追悼文の常用句のこの言葉は一度も使わなかった。「巨星墜つ」しかし、今回ほどこの言葉を使うにふさわしい故人はいないだろう。
小松左京はまさしく「巨星」であった。日本のSF界のど真ん中で、でんと構え、悠然と周囲にエネルギーを降り注いでいた、巨星であった。
巨星、という言葉とともに最も小松さんにふさわしい言葉がある。「親分」そう、小松左京は日本SF界の大親分だった。これほど頼りがいのある親分はいないかった。「コンピューター付きブルドーザー」との異名のとおり、日本のSFの幼年期より、その凄まじいパワーで未開の荒野であった、日本のSFを耕してきた。
日本のSFを支える大きな柱が一本抜けた。これで1つの時代が終った。これからは「小松左京」のいない時代が始まる。
小松左京氏のご冥福を心よりお祈り申し上げる。
ありがとうございました。小松さん。
柴野拓美、野田昌宏、矢野徹、星新一、光瀬龍。日本のSFを創った人がどんどん逝く。そして、とうとう小松さんまで逝ってしまった。致し方なきこととはいえ、SFを生涯の友としている小生としてはいいしれぬ寂しさを感じる。
小生はこのブログで何度か追悼文を書いている。その中で追悼文の常用句のこの言葉は一度も使わなかった。「巨星墜つ」しかし、今回ほどこの言葉を使うにふさわしい故人はいないだろう。
小松左京はまさしく「巨星」であった。日本のSF界のど真ん中で、でんと構え、悠然と周囲にエネルギーを降り注いでいた、巨星であった。
巨星、という言葉とともに最も小松さんにふさわしい言葉がある。「親分」そう、小松左京は日本SF界の大親分だった。これほど頼りがいのある親分はいないかった。「コンピューター付きブルドーザー」との異名のとおり、日本のSFの幼年期より、その凄まじいパワーで未開の荒野であった、日本のSFを耕してきた。
日本のSFを支える大きな柱が一本抜けた。これで1つの時代が終った。これからは「小松左京」のいない時代が始まる。
小松左京氏のご冥福を心よりお祈り申し上げる。
ありがとうございました。小松さん。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
« 神戸文学館 ... | 残念、中日に... » |
恰幅の良さが特徴だった小松先生が、数年前にゲッソリと痩せておられるのを目にして、「大丈夫かなあ・・・。」と心配はしていましたが、遂に来る時が来たという感じです。
有名人が亡くなると、無闇矢鱈と「巨星墜つ」なる表現が用いられますが、個人的には其の安直な使われ方が嫌いで、記憶違いで無ければ自ブログでも此の表現を用いた事が在りませんでした。しかし小松先生の逝去を表すのに「巨星墜つ」以上に相応しい表現は考えられず、明日アップの記事では禁を破って使う事に。(アップの際にはトラックバックさせて下さい。)手塚氏等と並び、自分の思想面で大きな影響を与えた偉大な人でしたから。
人は誰でも亡くなる。其れは判っているけれど、本当に残念です。合掌。
雫石さんのレポートを見て、文学館に
行かなくっちゃと思っていたところでした。
心からご冥福をお祈りいたします。
それでも、さみしさはつのります。
小松さんとは、何度か言葉を交わす機会に恵まれましたが、私のようなファンにも気さくに接してくださいました。いろんな意味で小松さんは、大親分でした。
いいしれぬさみしさを感じます。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。