スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

将棋大賞&経緯の推測

2024-04-12 19:40:18 | 将棋トピック
 1日に2023年度の将棋大賞の受賞者が発表されました。
                                        
 最優秀棋士賞は藤井聡太竜王・名人。叡王防衛,名人奪取,棋聖防衛,王位防衛,王座挑戦,奪取,竜王防衛,王将防衛,棋王防衛。棋戦は日本シリーズ優勝。これはほかに選びようがありません。2020年度,2021年度,2022年度に続き4年連続4度目の最優秀棋士賞です。勝率1位賞も受賞しています。
 優秀棋士賞は伊藤匠七段。竜王挑戦,棋王挑戦,叡王挑戦。最優秀棋士が突出しているため,優秀棋士賞は票が割れました。永瀬拓矢九段との争いでしたが,竜王戦と叡王戦の挑戦者決定戦の結果が影響したように思います。優秀棋士賞は初受賞。最多対局賞と最多勝利賞も受賞しました。
 敢闘賞は丸山忠久九段。銀河戦優勝。ここも永瀬九段との争い。銀河戦の本選での直接対決で勝ったというのもあるでしょうが,敢闘賞というのはよく頑張ったという主旨があり,永瀬九段に対してよく頑張ったというより,50代で銀河戦を優勝した丸山九段はよく頑張ったという意味合いの方がやや強かったということかもしれません。敢闘賞は初受賞。
 新人賞は藤本渚五段。加古川青流戦に優勝。新人王戦は決勝で負けましたが,伊藤七段と最多勝利賞を受賞していますからこれは当然の選出でしょう。
 記録部門の連勝賞は15連勝の佐々木大地七段。
 最優秀女流棋士賞は福間香奈女流五冠。女流王位防衛,清麗防衛,白玲挑戦,倉敷藤花防衛,女流王座防衛,女流名人挑戦,奪取。八冠のうちの五冠を占めていますから当然でしょう。2009年度,2010年度,2011年度,2012年度,2013年度,2015年度,2016年度,2017年度,2018年度,2019年度,2020年度,2021年度,2022年度に続き9年連続14度目の最優秀女流棋士賞。
 優秀女流棋士賞は西山朋佳女流三冠。清麗挑戦,女王防衛,倉敷藤花挑戦,女流王将防衛,白玲防衛。こちらは残る三冠の覇者ですからやはり当然。2021年度,2022年度に続き3年連続3度目の優秀女流棋士賞。
 女流最多対局賞は加藤桃子女流四段でした。
 升田幸三賞は伊藤匠七段。棋王戦第一局などの,角換わり相腰掛銀の後手番で持将棋を目指す定跡の確率が評価されました。将棋AIとプロの将棋は持将棋の規定に相違がありますが,その相違を突いた定跡ですので,AI時代を象徴するような受賞といえます。
 升田幸三特別賞は村田顕弘六段。村田システムによる受賞。王座戦本選の反響が大きかったのでしょう。AI時代に個人の名が入る作戦を創作したのは素晴らしいと思います。
 名局賞は王座戦挑戦者決定戦。タイトル戦を差し置いての受賞ですから,よほど高く評価されたということになります。
 女流名局賞は白玲戦の第二局。両者は2023年度にタイトル戦で17局を戦いました。その中で最も内容が優れていたという評価を受けたのがこの一局だったということです。
 名局賞特別賞は王座戦第四局。これは痛恨の一着があった将棋ですが,世間に対する反響はきわめて大きなものがありました。その点が考慮されての特別賞でしょう。

 僕とは異なり,國分はステノNicola Stenoが過剰な信仰心を抱いていたとみていましたから,チルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausにも改宗を迫ったであろうといっています。
 チルンハウスはこのときも『エチカ』の手稿をもっていたのですが,それがステノの手に渡りました。ここにどういう経緯があったかは分かりませんが,推定を試みます。
 チルンハウスはライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizにこの手稿を見せてもよいかという打診をスピノザにしています。したがって,もしもそれを読むのにふさわしい人物がいるなら,それをその人に読ませてもよいと思っていたのは間違いありません。チルンハウスはこのときもステノのことをそのような人物だと思い,しかしスピノザはもう死んでいたのでその可否を問うことができず,自分の判断でステノに手稿を渡したところ,その手稿がチルンハウスの手に戻ってこなかったということは,考えられないことではありません。ただ,ステノが國分がみるように,チルンハウスに改宗を迫るような人物であったとしたら,そのような人に手稿を読ませるのは危険であると判断した可能性が高くなりますから,このケースは考えにくくなります。また,僕がみるように,改宗後のステノが,過剰な信仰心を抱いていた人物とはいえなかったとしても,改宗者には違いないのですから,やはりチルンハウスは手稿を読ませるのは危険であると判断しそうに思えます。とくにステノはこの年のうちに司教となって,プロテスタントのルター派が優勢であったドイツに移り,カトリックの布教活動に従事してそのまま死んでいます。このような経歴を考えれば,ステノはこの時点でカトリックの内部でそれなりの地位を占めていたと考えることができるわけで,そうであるならなおのことチルンハウスは手稿をステノに渡してしまうことの危険性を高く見積もれたのではないかと思うのです。
 したがって,チルンハウスが自主的に手稿をステノに渡したという可能性は低いのではないかと僕は思っています。むしろステノがチルンハウスがそれを携えているということを知っていて,何らかの画策をしてチルンハウスから奪い取った,あるいは騙し取ったという可能性が高いのではないでしょうか。
コメント
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