Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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至弱をもって至強にあたる

2011-01-02 04:29:33 | Weblog


200年、中原の覇者の地位をかけた「官渡(かんど)の戦い」で、袁紹の大軍と激突した曹操が弱気になり、留守をあづかる荀(じゅんいく)に都に引きあげたいと書き送ったところ、荀は、かつて袁紹軍にいた経験から、彼らの弱点を事細かに説明したり、また、袁紹軍は兵隊の数は多いが軍法は整っていないとか、項羽の兵糧不足の話を引き合いに出したりと、退却したい曹操の心情を理解しながらもそれに反対し、書簡で曹操を励ました。

曹操が袁紹に一旦勝利した後では、袁紹との決戦は止めて南を攻め様かと考えたことがありましたが、荀は、今、袁紹を叩いておくべきだと反対し、「今、袁紹は敗北を喫し、兵士の心は彼から離れておりますから、 この困窮に付け込んで平定してしまうべきです」と言うのです。
これらの進言に従って、曹操は袁家を滅ぼして華北の大部分を勢力圏に置きました。
曹操と袁紹は幼馴染で、悪ガキ同士で「花嫁誘拐」などといたずらをし合った仲でしたが、戦乱の世では、昨日の友は今日の敵と云う如実な事態が起きるものだと云うことです。

袁紹軍の残党を追う遠征は本当に大変であった事で、その心境は曹操の詩「苦寒行」でも詠まれています。

苦寒行    曹操

北の方 太行山を越えようとすれば、
道はかなり険しく、山は高く聳えている。
羊腸の坂は曲がりくねって、
為に車輪は砕けてしまう。
樹木は寂しげに立っており、
北風は悲しく吹きつける。
熊や羆が我らをみて蹲まり、
虎や豹が道の両側から吠えかかる。
谷間には住む人も少なく、
雪はしんしんと降り頻る。
首を伸ばしては遠くを眺めれば、思わずため息がでる。
遠征する身となれば、尚更思いは増す。
心に言い知れぬ不安が溢れ、
いっそ一旦東に引き帰そうかと思う。
川の水が深いのに、橋もなく、
途中あちこち道を探し回った。
迷った挙句、もと来た道も見失い、
夕暮れになっても、泊まるべき宿もない。
行軍してすでに何日も経ち、
人も馬も共に飢えてしまった。
袋をかついで行って薪を拾い、
氷をたちわって粥を炊いている。
あの周公の「東山」の労苦の詩を思い出せば、
心にいっそうの深い悲しみが広がって来る。


荀は若い頃に何顒から「王佐の才を持つ」と称揚されており、「容姿が優れていた」と正書に特筆がある数少ない人物でもあります。

袁紹は弟の荀が先に袁紹に仕えていた事もあって、荀を上賓の礼を持って迎えました。
が、袁紹は大業を成す事の出来ない人物だと荀は見切りをつけて、曹操の下に走るのです。
荀を迎えた曹操は「我が子房を得たり!!!」と大いに喜びました。
その後は曹操の下で政戦両略に渡って数々の功績を建て、清流派の名士であったその人脈や人物眼から、官僚の推挙や人材発掘にも力を発揮し、曹操に報いるのです。

曹操が「我が子房を得たり!!!」と喜んだその「子房」とは、漢を建国した高祖・劉邦に仕えた名軍師「張良」の字(あざな)のことです。
中国では、太公望と呼ばれた呂尚や諸葛亮孔明と並び三大軍師と言われています。
個人的、諸葛亮は軍師ではないだろーと思うのですが、諸葛亮は蜀においては、これと云った人材がなくて、すべての事を遣らなければならなく、軍師のみに集中出来なかったじゃないのかナって意味で思うことです。

曹操の腹心中の腹心だった荀も、やがて曹操との間に亀裂の様なものが出来て来ます。
曹操の孫権征伐に従って出征した際、曹操への憂慮の余りに陣中で病気を発し享年50で死去しました。
また、この死には謎が多く、自殺とも言われており、三国志演義では、病気療養の荀のところに、曹操からの見舞いと称して所謂「空箱」を贈ったとなっています。
その意味は、「もうお前などは必要ないッ!」と云うことで、荀は自害して果てたとなっていますが・・・。

曹操には有らぬ誤解が多くって、演義と云う事情上仕方無いッのかナ~!?って思いますが、私は人間・曹操と云う事を少しでも知れば、「我が子房を得たり!!!」と喜んだ人物を殺しまではしないと思います。
その理由としては色々ありますが、曹操は有能だと言われていた司馬8兄弟の中から、兄と仲達を自分の下に出仕させましたが、特に仲達には、このまま臣下としておさまるタイプではないと見抜いており、いずれ殺さなければならないカモ・・・と考えていたのです。
でも、後々の魏や曹一族の事を思えば、絶対的に必要な人材なのだと思いました。
また曹操は、色んなアイデアや策を好んだ人で、「イエスマン」ばかりを身のまわりにおいていたワケでもないのですから。



昨日は、ニューイヤー駅伝を見ていたりし、お昼近くには所謂「福袋」を買いに出ました。
あまり「福袋」には興味のない方でしたが、昨年のお正月に主人がとても気に入った物に出合い、今年もッ!と楽しみにしていたのです。
ダウンジャケットとか色々入っていて、主人は大満足をした様です。

私は特に目当ての福袋ってなく、昨年の暮から目をつけていた気に入りのバッグが、若干の値引きでまだあったから、それッ!、買いました~。o(^▽^)/゜

私は元々「赤」は一番好きな色ですが、魏軍のイメージカラーは赤だったのと、目立ちたがり屋の曹操は、真っ赤な鎧を愛用していたとも聞くんで、ふとそんな事を想ったりしたのでした。
私は目立ちたいにも相当な限界が来ているので、自分が元気に成れる色として、その為なのですよ。
オバサンともなれば、何色でもイイけれど、キレイで明るい色のモノを選ぶべきだって持論があるのです。



それと、先のワインは飲んでしまったから、またワインも買いましてねッ。
今度はドレにしようッかな~って迷うのは、とても愉しいのです。

福袋系とは少し違うけど、「ツケまつげ」10個で500円ってのに、恥ずかしながら指食が動いてしまった現実(?)はありました。
でも、ツケまつげをするのが化粧の第一!って事にしてしまったなら、化粧時間に相当喰うだろかと思ってヤメにしました。


ダラケた正月をしているって言えばそうだけれど、私は普段がとても神経質なところがあって、イライラする事が多いのですから、たまにの事だし、こんな過し方でイイって思っています。

何にも書く事もないんだけれど、三国志的な話や、曹操LOVEな話と云うか、覚えた事の感想などなら宝庫だってのが面白かったりしてます。
諸説あり、嘘か実か判んないってとこが浪漫です。

昨晩BSで「イチロー ぼくの歩んだ道」を見ましたが、ジックリとイチローへのインタビューが聞けて、とても愉快でしたねぇ。
アスリートとしてと云うよりか、人間・イチローが垣間見えて好かったと思います。
私が特に印象に残った言葉は、「相手の気持ちを期待しちゃ行けないんだ」。



「初夢」。
初夢とは新年に見る夢で、その年の運を占う事です。

初夢を見る日は地方によって違い、一般的には1月2日の夜から1月3日の朝に見る夢ですが、1月1日の夜から1月2日の朝に見る夢を初夢と言うところもあります。
゜。・+゜∴。゜(*´∀`*)ノシ゜。∴゜+・。゜ょぃ夢を…

「箱根駅伝」。
学生長距離界最大の駅伝競走で、東京・大手町から箱根・芦ノ湖までの往路5区間、復路5区間の合計10区間・214.7㎞で争われます。

今年はどんなドラマが生まれるでしょうか。
これも楽しみだって思っています。ヾ(^^ゞ=ツ^^)シ











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