Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

◆第3章 豊臣秀吉と天下統一 何故、荒木村重の謀反の際に降伏したのか!? 

2024-04-09 16:47:08 | Weblog




ーーー肉親の命や地位や名誉より信仰を選んだ

高山右近は摂津出身のキリシタン大名。洗礼名はジュスト。
高槻城主として荒木村重に仕えていた時、織田信長への謀反に同町するが、
信長の意を受けたイエズス会宣教師オルガンティーノの説得を受け、降伏を決めた。
信長からの勧告は、降伏すれば引き続き布教を許可するが、
応じなければキリスト教を弾圧するという内容で、
右近は人質として村重の有岡城に居る子や姉妹よりも信仰を選んだかたちだった。
村重の逃走後、右近は明智光秀の与力となるが、本能寺の変後、光秀ではなく秀吉に従い、
山崎の戦いでは中央の先鋒を務めている。
小牧・長久手の戦いや四国攻めなどを経て、
天正13(1585)年には明石城主として播磨国に6万石を与えられるが、
2年後、九州の平定を終えた秀吉が伴天連(ばてれん)追放令を発したことで
右近は人生で第二の岐路に立たされる。
宣教師の追放に加えてキリシタンへの迫害も始まり、右近は棄教か改易の二者択一を迫られたのである。
その後は小西行長、次いで前田利家の庇護下、静かに信仰生活を送っていたが、
江戸時代になるとそれさえも許されず、
慶長18(1613)年に禁教(キリスト教信仰禁止令)が出されたことから、
翌年9月、右近は妻や148人のキリシタンと共に長崎からマカオ、
更にマニラへと追放され、同地で生涯を閉じた。

信仰より富や権力を重んじる生き方は、右近にはできない相談だった。
   


   ✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼
          


                    眠れなくなるほど面白い 戦国武将の話


 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菜根譚 前集98項

2024-04-09 06:48:28 | Weblog







此心常看得円満、天下自無欠陥之世界。
此心常放得寛平、天下自無険側之人情。


此の心、常に看得て円満ならば、天下自から欠陥の世界無からん。
此の心、常に放ち得て寛平ならば、天下自から険側の人情無からん。



「平常の心がけ」
自分の心を、いつも心がけて円満にする様にしておけば、
この人間の世界には自然に不備だと思う環境はなくなる。
また、自分の心を、いつも大らかにして広く公平にする様にしておけば、
この人間の世界には、自然に刺々しく拗けた心はなくなる。





 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする