読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
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日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

「毛利元就 第七回 われ敵前逃亡す」

2018-07-31 22:42:37 | ドラマ
今回ご紹介するのは大河ドラマ「毛利元就 第七回 われ敵前逃亡す」です。

-----内容&感想-----
松寿丸(しょうじゅまる)が元服して毛利元就になった直後、兄の興元(おきもと)が突然京都から帰国しました。
評定が開かれ、興元とともに京都に行っていた重臣の福原広俊(元就の祖父)によって、興元は大内義興の形勢不利を見越して見切りをつけて帰ってきたことが明らかになります。
興元は疲れきった目で「戦というものは地獄じゃ。勝たねばさらに地獄じゃ」と言っていました。

その夜、元就は興元に大内の負けを見越して何と言われようと領民や御家(おいえ)のために帰国したのはまさしく勇気の成すところと労います。
相合(あいおう)の子(元就の異母弟)の月夜丸(つきよまる)も弟であることが誇らしいと言います。
興元が二人の労いにほっとした表情を見せながら印象的なことを言います。
「とにかく世間では親兄弟同士が殺し合う。毛利だけはそのようなことのなきよう、兄弟三人力を合わせていこうぞ」
しかし後に毛利もそうなるのが分かっているのでこの言葉は寂しく聞こえました。

興元が杉に幼き弟をよくここまで育ててくれたと礼を言います。
そして元就からぜひ杉に褒美をやってくれとせがまれていると言い、杉のかつての侍女、久を呼び戻して再び杉に仕えさせてくれます。
杉は大喜びしていてその様子を見て興元と元就も微笑んでいました。

その頃京都では誰も予想だにしなかったことが起こります。
かなりの劣勢だった大内義興が船岡山の合戦で奇跡的に勝利し再び京都を奪回します。
義興の館では征夷大将軍の足利義稙(よしたね)が「よお戦ってくれた。戦というもの、終いまで分からぬものじゃと、此度(こたび)ほど思うたことはない!」と言います。
義興が「御所様、早う具足を解かれ、まずはごゆるりとお休みなされませ」と言い義稙が去ると、重臣の陶興房(すえおきふさ)と内藤興盛(おきもり)が大内に無断で帰国した高橋、吉川、毛利への怒りを爆発させます。
興房はいかなる厳罰を与えても足りないと言い、興盛は特に毛利興元は元服の烏帽子親を頼み義興の一字を貰っているのに許せないと言います。
義興も「容赦はせん」と言っていて一気に緊迫した雰囲気になりました。

この知らせはただちに毛利にも届き、評定が開かれますが興元がなかなか現れません。
元就が呼びに行くと興元はのん気に寝ていました。
興元は「大内が勝利したからとて、何も慌てることはない。打つ手は考えてある」と寝たまま言いますが、その枕元に酒が置いてあるのを見て元就は本当に信じて良いのかという表情になります。
中村橋之助さんは嬉しそうな表情も不審げな表情も雰囲気をたっぷり出していて演技が上手いと思います。
評定に現われた興元は「案ずるな」「わしに策がある」と言うばかりでどんな策があるのかは言いません。
重臣達がこの窮地を脱する策を考えねばと言ってものらりくらりとかわしていて、大内が激怒しているのになぜそんなにのん気にしていられるのか分かりませんでした。

杉が久に私は母親らしく見えるかと聞きます。
久は元就と杉は昔はあんなに仲が悪かったのに今ではどこから見ても実の母と子に見えると言い、私は杉は喜ぶものと思いました。
ところが杉は「そのようなことは聞いてはおらぬ。見た目が母親臭くなってはおらぬかと聞いておる」と言い、「見た目は独り身のようでいて、元就様が姿を現した時に初めて「まあっ、このようなご立派なお子があるようには見えませぬ」と言われるのが女としてあるべき姿じゃ」と言います。
久は呆れながら「何も変わられませぬなあ」と言い、久しぶりにこの二人の掛け合いが見られて面白かったです。

そんな杉と久のもとを元就が訪れて、兄上はいつからああなってしまったのか、何を考えているのか見当がつかないと言います。
「兄上は何をお考えなのか分からぬ、元就に手立てはない、もうどうしてよいか分からぬ。何やら気持ちがしおしおとするばかりじゃ」とかなり悩んでいました。
元就が話したら少しは気が晴れたと言い去っていくと久が「ぼやきの多い男にござりまするな」と言います。
毛利元就は知略の他にぼやきの多さでも有名で、第一回から見てきて初めてぼやきの多さへの言及があったのでこの先どうぼやきが有名になっていくのか楽しみになりました。


相合の方(写真はネットより)

相合の館では桂広澄(ひろずみ)が月夜丸に思い詰めた様子で「月夜丸様、早う元服を済ませ、わしの力になって下さりませ」と言います。
月夜丸がなぜ急にそんなことを言うのかと聞くと「闇夜にあっては、誰しもきっと月を待っておる」と言いこれは良い台詞だと思いました。
「闇夜の毛利にきっと月夜丸様は必要になる」と言っていて、興元が率いる現在の毛利に光がないと考えていることも分かりました。
相合が大内のことを早く手を打たなければ大変なことになると言うと、広澄はおのれの命を引き換えにしても手を打つと言います。
「あの殿にはもう任せておけぬ。わしがやらねばまこと毛利は闇に葬り去られる」と言い覚悟を決めていました。
そんな広澄を見て相合は「分かりました。思うたとおりになさりませ。腹を決めた男を送り出すのは、女の気持ちを酔わせるものにござりまする」と言い送り出します。
この大河ドラマはよく女の人の気持ちが描かれているのが印象的です。

広澄は尼子経久(つねひさ)のもとを訪れ、自身のことを信頼してくれていると思ったのに尼子と武田が手を組む動きを何も知らされていなかったと言います。

さらに真っ先に京都から出雲に帰ったことも、今後の動きも、何を目指しているのかということも聞かされていないので教えろと迫ります。
経久は備後、安芸、瀬戸内と物にしさらに天下を我が物にすると言います。
本心を見せた経久は改めて「桂殿、手を結ばぬか」と言い手を差し出し広澄もその手を取ります。

興元のもとを井上元兼(もとかね)が訪れ、福原広俊自身が言うように広俊の首を差し出して大内に許しを乞うしかないのではと言います。
すると興元が激怒して刀を抜き元兼を斬ろうとします。
そこに元就が駆けつけて何とか怒りを鎮めます。

興元と元就二人での話し合いになります。
興元は元就がいつも不安そうな目で興元を見ていることに触れ、今度そんな目で見たら元就にも刃を向けると言います。
すると元就は刀を差し出し、死を覚悟して興元は本当は何も手立ても考えもないのだろうと言います。
元就が「兄上が一人でお苦しみになるのを見てはおられませぬ。何をお苦しみなのか、元就にお話しくだされ」と迫るとついに心の内を話します。
興元は何もかも虚しくなって京都から逃げてきました。
広俊は興元に大内を見限るように勧めたのは自身だと言っていましたが、実際には京都から逃げようとする興元に大内を裏切るなと何度も言っていたことが明らかになります。
「元就、わしは人間のクズか。領民のためを思い、国のためを思い、家のためを思い、熱い使命感に燃えて京都に上がった。されど、京都で見たものは戦の地獄じゃ」という言葉がとても印象的でした。
戦国武将は勇猛な印象がありますが中には興元のように挫折する人もいると思います。
「わしはこの世に生まれてきとうはなかった」とまで言っていて悲しくなりました。

元就が杉に「兄上はお心に深い傷を負われておる。我等は兄上をお助けせねばならぬ。今の兄上はお心の傷を治すことが先じゃ」と言います。
私はこれを見て元就の思いやりのある心に胸を打たれました。
これもまた後に中国地方の覇者となる毛利元就の姿につながっていくのだと思います。


少しずつですが元就は後の中国地方の覇者としての片鱗を見せています。
今回初めてぼやく姿が見られたことで戦国時代きっての知将として調略に長けた姿も見たくなりました。
人間味のある面白い描かれ方をしているので元就と周りの人との掛け合いを見るのも楽しみです


各回の感想記事
第一回  妻たちの言い分
第二回  若君ご乱心
第三回  城主失格
第四回  女の器量
第五回  謀略の城
第六回  恋ごころ
第八回  出来すぎた嫁
第九回  さらば兄上
第十回  初陣の奇跡
第十一回 花嫁怒る
第十二回 元就暗殺指令
第十三回 戦乱の子誕生
第十四回 巨人とひよっこ
第十五回 涙のうっちゃり
第十六回 弟の謀反
第十七回 凄まじき夜明け
第十八回 水軍の女神
第十九回 夫の恋

錦帯橋、吉香公園、岩国城の眺め

2018-07-30 13:07:31 | フォトギャラリー
4月22日、山口県岩国市の城山登山道を登って岩国城へ行った時、錦帯橋(きんたいきょう)、吉香(きっこう)公園、そして岩国城の中からも写真を撮りました。
※「城山登山道で岩国城へ」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。

晴れていたのでとても良い景色を見ることができました。
錦帯橋の下を流れる錦川、吉香公園の緑、岩国城からの眺望、どれも綺麗です

-------------------- 錦帯橋、吉香公園、岩国城の眺め --------------------


錦帯橋にやってきました。


橋を歩いていきます。


橋の下を流れるのは錦川です。


清流として知られていて、水が透き通っていて川の底が見えます






橋の上りと下りは細かな階段になっています。


橋を進んでいくと錦川の眺めも少しずつ変わってきます。
この位置からは力強く見えました。


屋形船が出ていました。


晴れた日にこんな綺麗な川を屋形船で渡るのは楽しいと思います


青空と新緑の明るい雰囲気の中で橋から錦川を眺め、流れる音を聞いていると、清々しい気持ちになります。


錦帯橋を渡った先の吉香公園に来ました。


吉香神社に参拝しました。


たくさんの新緑と神社の建造物が合わさり、良い雰囲気になっています。






旧岩国藩主吉川氏の祖霊を祀っていて、毛利元就の次男で戦において76戦64勝12分けと生涯無敗の勇将、吉川元春も祀られています。


永興寺(ようこうじ)にも行きました。


入り口に「名勝 永興寺庭園」とあり、もみじがたくさんあるので秋になると綺麗な紅葉が見られるようです。


枯山水(かれさんすい、水を用いず石の組合せや地形の高低などによって山水の趣を表した庭園のこと)もありました。




新緑の大木が青空によく映えています。




イチョウの新緑に躍動感を感じました。


岩国城に行くロープウェイが上っていくのが見えました。
今回はロープウェイは使わずに城山登山道を歩いて岩国城へ行きました。


岩国城天守閣からの眺め。


錦川がやがて海に流れ出ていくのが分かります。


錦帯橋近くの錦川には広大な川岸があり、観光に来た車がたくさん止まっています。


海近くの錦川。
遠くには島がいくつも浮かんでいて瀬戸内海らしいです


天守閣から見た錦帯橋。
橋の全景が分かります。
日本三大奇橋の一つになっていて、このアーチ状の形はとても印象的です。


錦帯橋、吉香公園、岩国城は一日のうちに見て回れるのが良いと思います。
錦帯橋を渡りながら錦川の清流を見て清々しい気持ちになり、吉香公園の新緑で明るい気持ちになり、岩国城天守閣からの眺望で静かで爽やかな気持ちになりました。
またいずれ綺麗な景色を見に行きたいと思います


※以前作ったフォトギャラリーをご覧になる方は次のリンクからどうぞ。
「アーチ型の錦帯橋」
「緑豊かな吉香公園」
「山の上の岩国城」

※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。

「野川」長野まゆみ

2018-07-28 13:29:35 | 小説


今回ご紹介するのは「野川」(著:長野まゆみ)です。

-----内容-----
両親の離婚により転校することになった音和。
野川の近くで、彼と父との二人暮らしがはじまる。
新しい中学校で新聞部に入った音和は、伝書鳩を育てる仲間たちと出逢う。
そこで変わり者の教師・河井の言葉に刺激された音和は、鳥の目で見た世界を意識するようになり……。
ほんとうに大切な風景は、自分でつくりだすものなんだ。
もし鳥の目で世界を見ることが、かなうなら…
伝書鳩を育てる少年たちの感動の物語。

-----感想-----
長野まゆみさんの作品は初めて読みました。
図書館で見かけて表紙ののどかな雰囲気に興味を引かれ読んでみました。

季節は秋の初めの9月で、冒頭で「野川」の名が登場し、表紙の川が野川だと分かります。
読み始めてすぐ文章表現が「緑だけがしたたる夏」、「小暗い(おぐらい)かげ」など普段見ないもので個性的だと思いました。

野川の辺りは武蔵野の緑と水の供給地とあり、さらに都心(新宿)から電車で30分のK市とあるので小金井市が舞台かなと思います。
ネットで調べてみると野川という川は一級河川として実在することが分かりました。

冒頭で国語の教師が「きょうはきみたちが毎日歩いている地面の話をしようか」と言い学校が建つ大地の話をします。
この学校は武蔵野大地と呼ばれる河岸段丘(かがんだんきゅう)の南斜面に建っていて、武蔵野大地は東京湾に向かって傾斜しながら上野の山で終わります。
これは知らなかったので興味深かったです。
国語教師は学校が建つ大地の話だけで一人で3ページも話していてその話しぶりがとても印象的でした。
さらに長い話を退屈と感じさせず興味を持たせたまま話し続けられるのも凄いと思います。

物語は誰かが井上音和(おとわ)のことを語る形の一人称で進んでいきます。
中学二年生の二学期に音和は転校してきました。
夏休みは両親の不仲、離婚、父の失業と波乱が次々と起こりました。

大荒れの心境で勉強が手につかないこともあり、音和は転校のおかげで夏休みの宿題をしなくてもいいことを幸いと思います。
すると河井という担任の国語教師が笑いながら「もうけたな」と言い、音和は河井に好印象を持ちます。
冒頭で話していた国語教師も河井です。

音和が父と住むアパートを出て200m歩くと野川があります。
野川の描写で「両岸の草むした羽口(はぐち)」という言葉があり、羽口も普段聞かない言葉なので調べてみたら「堤防の斜面」とありました。

ある朝音和が登校するために歩いていると、三年生の吉岡祐仁という男子が声をかけてきて新聞部に入らないかと言います。
音和が新聞部は新聞の発行をするのか、それとも新聞の研究をするのかと聞くと吉岡は「鳩を飼うんだ」と言い、それを見て私は新聞部に興味を持ちました。
なぜ新聞部なのに鳩なのかと思いました。

吉岡が関東ローム層を語っていたのは興味深かったです。
関東ローム層は粘土質で、中学校への道は関東ローム層がむき出しになっています。
保水力はありますが蒸発するのに時間がかかるため雨上がりは長い間ぬかるみになります。

部分日食の日の木漏れ日の話も興味深かったです。
普段地面に映る木漏れ日は丸い形をしていますが部分日食の日は三日月の形になるとありました。
日食の日は太陽に目が行きがちですが地面に映る木漏れ日も見てみたくなりました。

河井は28歳から30歳くらいで、一般的な「教師が文章の解説をして、たまに生徒に質問する」といった普通の授業はしない人です。
河井は話し始めると凄く長いのが印象的で、一人で3ページくらい話すことが何度かありました。

河井が印象的なことを言っていました。
私は自分の目で見なくても心にのこる風景が、この世にあるんだということを知った。
これはそう思います。
私は高校の修学旅行が沖縄で、修学旅行を前に沖縄戦を経験した高齢者を高校に招いて話を聞いたことがありました。
その時の話がとても臨場感があり、まるで映像を見ているかのように鮮明に様子が思い浮かびました。

夏休みにあった皆既日食の日、母親から離婚するので父と母のどちらと一緒に暮らすかを一週間で決めてくれと言われます。
きっと私と暮らすと確信している母親に反発した音和は父親と一緒に暮らすことを選びます。

音和は部活をどうするかで河井に呼ばれます。
そこで音和は新聞部が鳩を飼っているのを知ります。
新聞部の顧問は河井で、他に書道部、挿け花部、手芸部の顧問もしています。

河井が昔はハトが伝書鳩としてニュースを運んでいたと言っていて驚きました。
昔の新聞記者達は取材先で記事を書き、速やかに本社へ送る手段として鳩を使っていて、現在の携帯電話の代わりに数羽の鳩を持ち歩いていたとありました。
今から40年以上前まではどこの新聞社でも通信用に二百羽から三百羽の鳩を飼っていたとあり、伝書鳩がそんなに大活躍していたとは驚きました。
そしてそこからの40年で通信網は大幅に発達し、電話は昔は遠方だと1~2時間待たされることがよくあったのがすぐにつながるようになり、携帯電話も登場し外出先からすぐに電話ができるようになりました。
文明の発達の凄さを感じました。
音和は何部に入るかはサッカー部の練習に仮参加してみた具合で決めると答えます。

数日後、音和は再び河井に呼ばれます。
音和は鳩舎(きゅうしゃ、鳩小屋のこと)に行き見学させてもらいます。
淳也という一年生の部員がコマメという翔べない鳩を連れていて、コマメは音和を気に入ったようで淳也の肩から音和の腕に乗り移ります。
そこに河井が現れ、今日は鳩舎のベテランのソラマメとモモという鳩が通信員として取材班に同行していることを教えてくれます。
河井はさらに音和に新聞部の部長になってくれないかと頼みます。
音和はこの目で見てもいない光景が言葉一つで目に浮かぶような話を河井がもっと聞かせてくれるなら部長になっても良いと条件を出します。
河井が条件を引き受けたため音和も部長を引き受けますが新聞部の部長が書道部、挿け花部、手芸部の部長も兼任することを知らされます。

取材班としてS山という山に行っていた三年の吉岡と藤倉しのぶ、二年の山田が戻ってきます。
藤倉は淳也の姉で副部長で、コマメの訓練を音和に任せます。
藤倉はコマメが翔べないのは翔べないと思い込んでいるか、あきらめているからではと言います。
吉岡達はS山から帰ってくる途中に駅前通りでチラシ配りをしている男の人を見かけます。
男の人が配っていたのは家族の記念日写真を勧めるフォトスタジオの宣伝用チラシで、音和はそれが自身の父親だと気づきます。
映像の編集や画像処理の高度な技術を持っている父親が失業によって不仲の兄(音和の伯父)の経営するフォトスタジオで働かせてもらってチラシ配りをしていることに音和は心を痛めます。
そして音和は心の中に父親に味方する気持ちがあることに気づきます。

10月になります。
音和は吉岡に話があると言われ一緒に帰ります。
吉岡は踏切に行きある人がそこで命を絶ったことを話します。
電車が通過する時、かたわらの吉岡の髪は風に逆立ち、心なしか潤んだ目のなかを光がながれた。電車の窓のあかりだった。とあり、これは良い表現だと思いました。
また音和がうっかり今は家に父しかいないと言ってしまい気まずくなった時に吉岡は「云いたくないことは、だまっておけ」と言っていて格好良い人だと思いました。

ある雨の日の夜、音和は父親に思いを話します。
もっと高度な仕事ができるのにそれをさせずチラシ配りをさせているのは間違っていると伯父に抗議しようとしていました。
父親は優しく微笑み、兄に対しては音和が思っているよりずっとタフだから心配しなくても大丈夫だと言います。
身近になった父がありのままの姿を音和に示してくれたことで、音和は父への不満やわだかまりが融けていきます。
また音和は今までは人のことなど気にかけない生き方のほうが楽だと思いそう振る舞ってきましたが、河井や吉岡によって考えが変わってきます。

「一帯の地面がぬれているのは、近所のだれかが水まきをしたからではなく、崖のほうから自然に水がしみだしているのだ。」という描写があり、野川の近くの地域は湿地帯のようになっているのが分かりました。
東京にそんな湿地帯があるのは意外な気がしました。

部長になった音和が書いて鳩に運ばせた通信文を河井が誉めると音和は困惑します。
今まで誉められたことがなかったため河井の言葉を疑っていました。

「実はどの分野も、芸をきわめようとする者は、どう書くか、どう描くか、どう弾くか、において苦悩する。文章もおなじ。それはつまり、個人の資質を問われるということさ。この話をすると、だれもが書家や画家や音楽家になるわけではないから関係ない、と反論する者がいる。あるいは、それが受験にどう役立つのかときく。生徒ではなく、おもに親だ。そういうおとなのせいで、学校はどんどんつまらないところになる」
河井が音和に語ったこの言葉も印象的でした。
受験にどう役立つのかと聞く親は理論だけを見て「中学校では受験に役立つことだけ教えれば良い。それ以外はいらない」と考えているのだと思います。
その結果、学校の授業が無味乾燥になり面白味がなくなるのだと思います。
理論だけを重視して感性を養うことを軽視するのは長い目で見ると良くないと思います。

河井の言葉を聞いた音和は心を育てるという名目での体験学習にはうんざりしていたと言い、さらに次のように言います。
「田植えでも乳しぼりでも、ほんの一日の体験なんかじゃだめなんだ。そんなことより、五十年も六十年も田植えをしてきた人の話を聞いたほうがいい。その人が知っている土の匂いや手ざわりを教えてもらうほうがいい。牛の目の色や馬の耳のことを、ちゃんと語れる人の話を聞きたい」
これはそのとおりだと思います。
再び修学旅行の前に沖縄戦の体験者の話を聞いた時のことを思い出しました。

11月になり音和は藤倉しのぶから吉岡の兄が受験に失敗したのを苦に自殺したことを聞きます。
自身が進学するつもりだった学校の生徒に会うのが耐えられなかったとあり、こういった恥に思う気持ちは分かります。
他人が見れば大したことではなさそうに見えても本人にとっては愕然とする問題になっていることがあります。

「本を読めばどんな得があって、このさきの人生にどう役立つのか、たしかな答えをほしがるんだ」
河井が言っていたこの言葉は印象的でした。
これは理論だけに頼る人に見られる傾向で、「読んだことによって何を得られるか、得られないのなら読む必要はない」といった主張をすることがあります。
こんな風に考えていては感性は養えないと思います。
業務に限って言えばこの主張でも良いのだと思いますが、それを家の中にまで持ち込み「読んだことによって何を得られるか」などと言い出すと理論だけの無味乾燥な心の始まりだと思います。
私は本を読むことによって具体的な生きていく上で特になることは得られずとも、感性を豊かにできれば十分だと思います。

物語の最後、翔べなかったコマメがついに羽ばたいて翔んでいきます。
その姿は心のわだかまりから解放されてさらに心を豊かにした音和の姿と重なりました。


淡々とした情景描写の中にある普段見かけない表現が印象的な作品でした。
緑豊かでのどかな地域が舞台なのも印象的で、関東ローム層という学校の社会の授業以外ではなかなか聞かない言葉が出てきて興味深かったです。
読んでいるうちに自身が住んでいる地域の地層の特徴を知ることや人が話す言葉から映像を思い浮かべる面白さを感じ、やはり感性は大事にしていきたいと思いました。


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「毛利元就 第六回 恋ごころ」

2018-07-20 21:45:17 | ドラマ
今回ご紹介するのは大河ドラマ「毛利元就 第六回 恋ごころ」です。

-----内容&感想-----
兄の興元(おきもと)の文が松寿丸(しょうじゅまる)に届き、京都では民も辛い目に遭っていることが分かります。
猿掛城の評定(ひょうじょう)では筆頭重臣の志道広良(しじひろよし)が他国の多数の民が瀬戸内の豊かな港町を目指し移動し始めていると言います。
彼らは武田の領地を通って宮島や廿日市(はつかいち)に行くつもりですが、武田が関(せき)を厳しく封じて入国を許さないため、行く手を阻まれた者達が毛利の領地に溢れ始めていて、寺や神社に寝泊りしています。
渡辺勝(すぐる)もそれを案じていて、今に領民との揉め事が起きるかも知れず、さらに尼子の間者が紛れ込むことも容易いと言います。
京都で一族の者が何人も討ち死にした井上元兼(もとかね)は「構わぬ、他国の者は皆殺しじゃ」とやけになって言います。

松寿丸(しょうじゅまる)は平民の服装になって満願寺(まんがんじ)に様子を見に行き、そこで子供達と合唱をしている夏という女の子に出会います。
夏は海のある町に行くと言い、名前を聞かれた松寿丸は「しょうじゅま…」と言いかけて松吉(まつきち)と言い直します。
この様子を見て○○丸という名前は位の高い人の名前なのだと分かりました。

興元に文を書く松寿丸の元を杉が訪れます。
「杉にござりまする」と挨拶し、松寿丸も「入れ」と言い、夕飯をほとんど食べなかった松寿丸を杉が心配していて、二人は自然に話すようになっていました。
杉は松寿丸が食べ物が喉を通らない訳を分かっていて、食べるものもない他国の者達を思うと胸が苦しくてとても喉を通らないのでしょうと言っていました。
自身のことを分かってくれた杉に松寿丸も嬉しそうに「それなのじゃ」と言っていました。
「民を考えるお気持ち。大人になられましたなあ。杉は、嬉しゅうござりまするぞ」
この言葉を見て、第ニ回で奇抜な格好をして暴れていた頃と比べるとかなり殿様らしくなってきたのを感じました。

大内義興(よしおき)に無断で京都から舞い戻った尼子経久(つねひさ)は驚くべき早さで出雲の平定に乗り出し、近隣諸国を次々に制圧していきました。
経久は萩の方に「大内の先は見えた。大内の料理の仕方、京にいてしかと分かった」と言います。
この時経久は魚に瀬戸内の甘い塩を振りながら話していて、塩の振り忘れと振り過ぎに萩の方が突っ込む二人の掛け合いは面白かったです。
「大内を攻める。まず瀬戸内に出る。この甘い塩、直接わが手に入れるんだ。焦ってはならん。じっくり、じんわりと攻めてやる」
二人の話で瀬戸内に甘い塩があることに興味を持ちました。
山陽に住んでいるのでぜひ甘い塩を使った食べ物を食べてみたいです。

おにぎりのような食べ物の入った袋を持って慌てて城を出て行く松寿丸の後を杉が追います。
満願寺では僧侶が南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば極楽浄土に行けると言っていて、これは「村上海賊の娘」にも登場した一向宗(現在の浄土真宗あるいは真宗)だと思いました。
松寿丸は夏に食べ物の入った袋を渡し、杉はそんな松寿丸を微笑ましく見ています。
杉が物音を立てて存在に気づかれ、夏が松寿丸に「母ちゃんか?」と聞いた時に杉がすかさず「姉ちゃんじゃ」と言っていたのが面白かったです。

夏は松寿丸に母は戦の火に巻かれて死に、父はここに来る途中で死んだと打ち明けます。
松寿丸が「俺も父も母もいない」と言うと「まことか?戦のせいじゃろう?戦は嫌だ。侍は大っ嫌い」と言っていて、毛利分家の殿の松寿丸は寂しそうでした。
二人で天の川を見て松寿丸が「あれが彦星、あれが織姫」と教えてあげると夏は「夏も死んで星になったら、父ちゃんや母ちゃんに会えるかなあ」と言います。
松寿丸は「死ぬなどと申してはならぬ」と言っていて印象的な場面でした。

桂広澄(ひろずみ)が武田に関を開けてもらうために交渉をしますが武田はなかなか承諾しないです。
自身の領民と他国の者が水を争って怪我人が多数出たことに激怒した元兼が評定でもはや我慢も尽きたと言います。
広良や勝がなだめますが元兼は「桂殿には任せておけない」と言い出て行こうとします。
すると広良が「井上殿!桂殿の交渉を待つ!これは家中の総意でござる!」と言い抜刀の構えをし、勝も抜刀の構えをします。
広良が「井上殿。お分かりじゃな」と言っていて、これは家中の総意を無視して勝手なことをする者は切り捨てるということだと思います。

松寿丸は急いで夏のところに行き、「早く海の町に行くがいい。ここにいると切られるぞ」と言います。
広良と勝が夏達のところにやってきて、「向かってくれば容赦はしないが、この先諍いがなければ一切のおとがめはない」と言います。
広良は満願寺の僧侶に「御坊が先導して下されば、武田も安心して関を開き、他国の者達を通させることができまする」と言い僧侶も引き受けます。

松寿丸が広良のもとを訪れ「他国の民、一人残らず追放致すのか?」と聞くと広良は「さようにござります」と言います。
松寿丸は「京都におられる殿も、申されておった。気の毒な者達じゃと」と一人残らず追放するのは可哀想ではと言います。
すると広良が印象的なことを言います。
「城主は、多くの人の生き死にを担っている者にござりまする。おのれの情に任せて動くことは許されません」
「他国の民に、退去せよと決めたる以上、おのれの情は切り捨てて頂きます。人の上に立つ者の、定めにござります。二度と、お忘れなきよう」

殿様が情に任せて動けば家の存亡に関わることもあると思います。
偉そうにしていれば良いわけではないのがよく分かる言葉でした。

松寿丸は杉のもとを訪れ、小袖を貸してくれないかと言います。
夏に一度だけ着せてやりたいと言っていて、夏のことが好きなのは明らかでした。


(画像はネットより)

松寿丸は杉に借りた小袖を夏に渡します。
着物を着た夏に松寿丸は「ここに残るがいい」と言い、情に流されているように見えました。
松寿丸は「今決めた、松吉が元服したら、すぐにともに暮らそう」と言い、夏が「松吉、元服なんかするの?」と言うと「元服する年頃になったらという意味じゃ」と言っていました。
「夏、そなたは身寄りもおらぬゆえ、ずっと松吉とともに生きていこう」と言うと夏も微笑みながらうなずいていました。
「明日、これを着て寺で待っておれ。迎えに来る。海は、海はいつか、必ず連れていくからの」

翌朝、広良とともに松寿丸は殿様の格好で民達のところに行きます。
広良は松寿丸に「よーくご覧なされ。みな、戦が招いた災いにござりまする。戦がなければ、肥えた土地に作物を作り、先祖からの国を離れずに済んだこと。松寿丸様、民にこのような痛みを負わしてはなりませぬぞ」と言っていました。
松寿丸は領民を守る思いを強くしたのではと思います。

僧侶がやってきて先導を始め、やがて夏が現れます。
夏は小袖は着ずにいつもの服を着ていて、二人は目が合いますが夏は何も言わずに寂しそうに顔を伏せて歩いていきます。
そして道端の花を摘んで松寿丸のもとに持ってきてくれ、松寿丸は受け取ります。

夏は「松吉という名の方に、とても親切にして頂きました。子供達と、一緒に参ります。毛利のこと、毛利のこと…忘れません」と言いおじぎをして去っていき、その目には涙がありました。
夏は松吉が毛利の殿様だと気づいていました。

「思うがままに生きられぬことを知った時、人は大人になるのかも知れません」というナレーションがとても印象的でした。
1511年(永正8年)、元服を済ませた松寿丸は毛利元就と名乗ることになります。
ここでついに中村橋之助さんが登場します。
ある朝「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える元就のもとを杉が訪れ元服のお祝いを言います。
ここでの杉の陽気な振る舞いは面白かったです

元兼が京都にいた興元が帰ってきたことを知らせ、元就は興元のもとを訪れご無事で良かったと言います。
しかし興元の表情は暗く、「兄の暗い眼差しは、京都で起こった大事件を予感させるものでした」というナレーションが気になりました。


今回の最後、ついに松寿丸が元服して毛利元就になりました。
まだ安芸の国の国人領主、毛利家の分家の殿ですがやがて中国地方10ヶ国、120万石の大名になります。
知将として有名な毛利元就の活躍を楽しみにしています


各回の感想記事
第一回  妻たちの言い分
第二回  若君ご乱心
第三回  城主失格
第四回  女の器量
第五回  謀略の城
第七回  われ敵前逃亡す
第八回  出来すぎた嫁
第九回  さらば兄上
第十回  初陣の奇跡
第十一回 花嫁怒る
第十二回 元就暗殺指令
第十三回 戦乱の子誕生
第十四回 巨人とひよっこ
第十五回 涙のうっちゃり
第十六回 弟の謀反
第十七回 凄まじき夜明け
第十八回 水軍の女神
第十九回 夫の恋

島本理生さんが直木賞を受賞!!

2018-07-18 22:38:10 | ウェブ日記
本日東京築地の「新喜楽」で第159回芥川龍之介賞・直木三十五賞の選考会が行われ、島本理生さんの「ファーストラヴ」が見事第159回直木賞を受賞しました
おめでとうございます
これは物凄く嬉しいニュースでした。
今日は選考会の日だと分かっていたのでドキドキしながら受賞作の発表を待ちました。

「ファーストラヴ」を読み終わった時から、何としても島本理生さんにこの作品で直木賞を受賞してほしいと思いました。
感想記事にはありったけの力を込めました。
一人でも多くの人に島本理生さんの凄さを知ってほしいと思いました。
この作品からは島本理生さん自身が作家としてもう一度生まれようとしているかのような雰囲気を感じました。
「女性が酷い目に遭う」「臨床心理学」といった今日の島本理生さんを形作るものが凝縮されていて、そこに緊迫した雰囲気の物語の魅力も合わさり、最高傑作の予感がしました。

島本理生さんは「リトル・バイ・リトル」「生まれる森」「大きな熊が来る前に、おやすみ。」「夏の裁断」 で四度芥川賞の候補になりましたがついに受賞はできませんでした。
印象的なのは第130回芥川賞候補の「生まれる森」と第153回芥川賞候補の「夏の裁断」です。
「生まれる森」は同学年の綿矢りささんと金原ひとみさん、「夏の裁断」はお笑いコンビ「ピース」の又吉直樹さんに受賞を阻まれました。
島本理生さんは高校生にして「リトル・バイ・リトル」で芥川賞候補になり同年代の作家さんの中では抜きん出た存在でしたが綿矢りささんと金原ひとみさんが芥川賞受賞によって一気に有名になりました。
また「夏の裁断」は「自身最後の純文学作品」として書いた作品で、これが最後の芥川賞受賞のチャンスだったことからぜひ受賞してほしかったですが叶いませんでした。
「アンダスタンド・メイビー」という作品で一度直木賞の候補にもなりましたがその時は池井戸潤さんに受賞を阻まれ、大きな賞の候補にはなってもなかなか受賞はできずにいました。

しかし今回ついに直木賞を受賞しました
島本理生さんが歩んできた作家人生が報われた思いがします。
ぜひこの勢いで当代きっての大作家に掛け上がっていってほしいです


夏空

2018-07-16 23:58:53 | ウェブ日記
先日、中国地方を大雨が襲いました。
山口県の私が住む地域は7月6日の午後から7月7日の朝にかけて物凄い大雨になりました。
特に7月7日の未明は大雨と突風の音が凄まじく、あまりの轟音で2時半頃に目が覚め、眠れないのでそのまま起きることにしました。
台風の直撃のような大雨は7月7日の朝で終わりましたが雨は7月8日まで断続的に降り続きました。
私の住む地域は場所によっては浸水被害がありましたが街が大規模に浸水するまでにはならずに助かりました。

週明けの7月9日は一転して夏空が広がり、中国地方に梅雨明けの発表がありました。
久しぶりに見た青空が綺麗でした
また力強い夏空を見て嬉しくなりました

6月下旬、雨の日の夕方にヒグラシの鳴き声を聞きました。
カナカナカナと黄昏の気持ちになる鳴き声が響いていました。
何日か後にはニイニイゼミの鳴き声を聞きました。
チーと小さな鳴き声で鳴くセミで、毎年他のセミが本格的に鳴き始めるより前の時期から登場して鳴いています。
そして7月9日の梅雨明けの日にはクマゼミの鳴き声を聞きました。
シャンシャンシャンともジャワジャワジャワとも聞こえる鳴き声で鳴くセミで、西日本ではミンミンゼミがいない代わりにクマゼミが鳴いています。
東日本ではミンミンゼミ、西日本ではクマゼミが鳴き始めると梅雨が明けて本格的な夏になったという気がします。
セミの鳴き声には夏空がよく似合い、入道雲の浮かぶ水色の夏空に鳴き声が響くのを聞くと、暑くても心はワクワクします。

梅雨が明けてからは毎日晴れて真夏日が続き、特にこの三連休は猛暑日になりました。
私は真夏の入道雲の浮かぶ水色の空が好きなので、そんな空が見られる夏らしい夏になってくれて嬉しいです。
熱中症に気をつけながら夏を楽しみたいと思います

「毛利元就 第五回 謀略の城」

2018-07-10 21:14:20 | ドラマ
今回ご紹介するのは大河ドラマ「毛利元就 第五回 謀略の城」です。

-----内容&感想-----
京都では大内義興(よしおき)、細川高国(たかくに)らの大軍勢が将軍足利義澄(よしずみ)の追放に成功していました。
先の将軍足利義稙(よしたね)は再び征夷大将軍に返り咲き、大きな功労のあった義興は左京大夫(さきょうのだいぶ)に任じられ、右京大夫(うきょうのだいぶ)の細川高国とともに事実上の連合政権を打ち立てます。

しかしその影では、尼子経久(つねひさ)と武田元繁が不穏な動きを見せ始めています。
義興が京都から動かない間に尼子と武田で手を結び、安芸の国を挟み撃ちにして奪ってしまおうとしています。
経久がまず備後(びんご)を落とすとし、その西にある安芸の攻略は元繁が行うと言います。
安芸を押さえるには毛利の郡山城を落とさねばならず、武田家には毛利家から芳姫が嫁いでいて病がちで床に臥せることが多く、毛利家からは幾度も見舞いの使節が来ているため、礼を出すという名目で郡山城に探りを入れようとしています。

京都の義興の館に尼子家重臣の亀井秀綱がやってきて、国元の出雲において京極家の残党が兵を上げ、一国を争う事態のため尼子経久が出雲に帰国したと言います。
重臣の内藤興盛(おきもり)が声を荒らげる中、義興は「よお分かった!」と言い、尼子経久の帰国を許します。
重臣の陶興房(すえおきふさ)がお屋形様が京都に居る間に何か始める気だ、留守を狙うのは京極ではなく経久本人だろうと言います。
秀綱の言葉が嘘と分かっていても平然とそれは一大事だ、行くがよいと言う義興は大物感に満ちていて、尼子経久役の緒形拳さんとともに大内義興役の細川俊之さんの大物感もかなり魅力があります。

松寿丸(しょうじゅまる)と杉の関係は徐々に良くなり始め、杉が重いものを運ぼうとしてバランスを崩しているのを見て心配していました。
重臣の井上元兼(もとかね)が納屋に様子を見に来ますが、落ち込んでいるのではと期待した杉が元気一杯なのを見てがっかりして帰っていきます。
杉はもし元兼がそんな素振りを少しも見せずに帰っていけば大した男だと思うものをと言い、さらに「いかに上手い嘘をつくかが男の価値にございまするぞ」と言います。
この場面は印象的で松寿丸もはっとしていました。
この場合の嘘はあるものをないと言ったりするような露骨な嘘とは違い、心の内を表に出さない気配の嘘だと思います。

芳姫の病気見舞いの返礼として武田の家臣団が郡山城を訪れます。
毛利家は尼子の不穏な動きに備えるために城の詳しい見取りを教えろと言われ、城が丸裸にされそうになります。
ここでも元兼が杉に嫌がらせをし、武田の家臣団との宴会に出るように言い杉は嫌々引き受けます。
宴会で杉は酒をつがず舞もせず歌も歌わずに座っているだけだと言い、武田の家臣団が激怒するのではとハラハラしましたが大島という男が杉を気に入ったと言い驚きました。

渡辺勝(すぐる)が松寿丸と杉の納屋を訪ねてきて杉に話があると言います。
すると松寿丸も勝に話があると言い、尼子と武田が裏で手を結んでいるような気がしてならないと言います。
この勘の鋭さには後の中国地方10ヶ国、120万石の大名毛利元就の片鱗を見ました。
勝も勘の良さに驚いていました。
そして勝が杉に話そうとしていたのも同じことで、尼子と武田が手を結び郡山城の備えを探りに来たに違いないと言います。
勝は杉に大島に取り入って手がかりを掴んでくれないかと言い杉も引き受けます。
松寿丸は自分にやらせてくれと言いますが勝に止められます。
松寿丸は戦に長け大内にも尼子にもその名を知られている勝に褒められたいと言っていて、勝も気持ちはよく分かったと言いますが子供の手に負えることではないため杉に頼みます。
杉は松寿丸に「明日はこの杉が二刻(4時間)ほど武田の侍集をもてなしましょうぞ。誰一人として、この杉のそばを離れられぬほど、面白おかしくもてなして、武田の部屋を空っぽにしてみせましょうぞ」と言います。
これを見て杉は松寿丸が武田の部屋に忍び込めるようにしてあげているのだと思いました。
松寿丸も杉の意図を察していました。

裏で尼子に通じている重臣の桂広澄(ひろずみ)は尼子と武田が手を結んだことを聞かされてはいないです。
広澄はそのことで悩み、相合(あいおう)に「不要の者と思われたかの」とぼやきます。
すると相合が「私、今初めて、桂様のお役に立てた気が致しまする。弱音を吐いてくださった。男に弱音を吐いてもらえぬ女子は、女子としての価値がござりませぬ」と言います。
ひぐらしの鳴く夕方に二人で縁側に座ってのこの場面は良いと思いました。

杉と毛利家の重臣達、そして武田家臣団の宴会が始まります。
松寿丸はその隙に武田の部屋に忍び込みます。
しかし大島が京都で手に入れた美しい小袖を持ってきているので杉に着せてあげると言い家来が部屋に戻ります。
杉の様子から松寿丸が部屋に忍び込んでいると察した勝はいざとなれば家来を斬るつもりで待ち伏せます。
松寿丸は間一髪隠れて見つからずに済み、さらに大島達が郡山城を探っている証拠の見取り図を見つけます。

松寿丸の大手柄に筆頭重臣の志道広良(しじひろよし)は「お見事」と感心します。
勝は「されど松寿丸様、今後二度と一人で動いてはなりませぬ。武士の戦は一人ではできませぬ」と言っていて良い言葉だと思いました。
松寿丸も「すまぬ。二度とせぬ」と言い勝の思いを分かっていました。
三人が話す部屋にやってきた杉が「良かった」と言って松寿丸を抱き締め、心底心配していたのが分かりました。
広良は「囮の砦を本物の砦と見間違っているところも多々あり、この図面なら持ち帰られても問題ない。それなら武力の上で遥かに勝る武田方と今すぐに事を構えるのは得策ではない」と言い、松寿丸も納得し「そのとおりじゃ。よう分かった。されど、これ以上探られてはならぬ」と言います。
その様子を見て勝は頼もしそうに「仰せのとおりにござる。志道殿、松寿丸様はよき武将になられまするぞ」と言います。
今回は松寿丸が大活躍していてとてもワクワクしました。
杉は松寿丸にご褒美をあげるべきだと言い、「毛利の城を狙う武田の謀略を食い止めたお手柄に報い、今日を限りに土居からお出し致す!文句はございませぬな!」と言います。
この剣幕には広良も勝も圧倒されていました。

真っ二つに切られた絵図面を見た大島達は表立って抗議することもできず翌朝すぐに帰っていきました。
広良が「松寿丸様、厳島神社に赴き、神に御加護を賜った御礼を申し上げねばなりませぬぞ」と言います。
さらに杉にもご褒美をあげると言い、松寿丸とともにゆっくり参拝してくるように言います。


(画像はネットより)

松寿丸と杉は宮島の厳島神社に参拝します。
私は厳島神社が好きなのでこの場面はとても良かったです。


(画像はネットより)

松寿丸は長い間願っていて、杉が「何を、長いことお願いされました?私は、松寿丸様が一国の主になれますようにと、お願い致しました」と言うととても印象的なことを言います。
「杉殿、天下の主になろうと考えて、やっと一国の主になれるものじゃ。初めから、一国の主になろうと考えておっては、何にもなれぬ」
この子はとてつもない武将になるのではという思いが杉の胸に広がっていきました。


今回の最後、松寿丸は初めて杉のことを「杉殿」と呼んでいて尊重するようになったのが分かりました。
二人がついにお互いのことを尊重し合うようになったのを見て嬉しくなりました。
厳島神社から見た海に浮かぶ大鳥居、そして瀬戸内海が毛利元就の大活躍を表しているように見え、この先の物語がとても楽しみです


各回の感想記事
第一回  妻たちの言い分
第二回  若君ご乱心
第三回  城主失格
第四回  女の器量
第六回  恋ごころ
第七回  われ敵前逃亡す
第八回  出来すぎた嫁
第九回  さらば兄上
第十回  初陣の奇跡
第十一回 花嫁怒る
第十二回 元就暗殺指令
第十三回 戦乱の子誕生
第十四回 巨人とひよっこ
第十五回 涙のうっちゃり
第十六回 弟の謀反
第十七回 凄まじき夜明け
第十八回 水軍の女神
第十九回 夫の恋

「平成マシンガンズ」三並夏 -再読-

2018-07-08 18:23:08 | 小説


今回ご紹介するのは「平成マシンガンズ」(著:三並夏)です。

-----内容-----
逃げた母親、横暴な父親と愛人、そして戦場のような中学校……
逃げ場のないあたしの夢には毎週、死神が降臨する。
黒いTシャツにジーンズをはいた”そいつ”は、「誰でもいいから撃ってみろ」と、あたしにマシンガンを渡すのだが!?
言葉という武器で世界と対峙する、史上最年少15歳での衝撃の文藝賞受賞作。
「穴」を併録。

-----感想-----
※以前書いた「平成マシンガンズ」の感想記事をご覧になる方はこちらをどうぞ。

三並夏さんが2005年に更新するまで、史上最年少での文藝賞受賞記録は綿矢りささん(17歳)が持っていました。
好きな作家の史上最年少記録が更新されたことで興味を持ったのが2005年当時「平成マシンガンズ」を読んだきっかけでした。
今回久しぶりに読んでみたくなり書店に行って文庫本を手に取りました。

「平成マシンガンズ」
語り手は中学一年生の内田朋美で、「あたし」という一人称で語られています。
冒頭から勢いの良い言葉で一気に物語に引き込まれました。
朋美が自身の身に起きたことを振り返る形で語り始めています。
語りは口語調で、~するんだ、笑っちゃうね、なのかもねなどの語尾がよくあります。
一文がとても長い時があり、さらにほとんど読点(、)を打たずにスピード重視の勢いのある文章になっているのも印象的です。

朋美は父にぞんざいに扱われていて、毎夜、父、父の愛人、家から逃げていった母、寂しさ、プライド、構ってほしいと思ってしまう自分の子供心と闘っています。
愛人は光浦カナコといい、家に残っているお菓子作りのキットや主婦向けの雑誌などの母の残骸を捨てさせようとするため朋美は苦々しく思っています。
朋美は父のことを嫌いになりきってはおらず、父の目が覚めてカナコを追い出してくれるのを期待しています。

友達でグループのリーダーでもある橋本リカは要領が良く先生からの印象も良く、女の子らしい反応を見せるため男子からの支持がとても高いですが女子からは妬まれています。
朋美はよくリカを慰める役をしています。
リカのグループに対し朋美は「それほどお互いを好き合っているわけではないけどあたしたちは無意識下、青春のおままごとに憧れを持っていてありもしない友情に縋って仲良し劇を演じ~」と語っていて、これは冷めているなと思いました。
またクラスの男子が愚痴を言っていた時に「適当に「言えてるね」と相槌を打ってあげた。」とあり、上から目線で物事を考えていると思いました。

リカと電話で話している時、「家の事情を相談するなんて絶対にしたくなかった。」とあり、リカが聞いてきても父の愛人のことは極力余計なことを話さないようにしていました。
これは相談したい気持ちも相談したくない気持ちも分かります。
自身の心の内に留めておくのは辛すぎて聞いてほしいと思えば相談すると思いますし、友達に父に愛人がいるという話をして変な風に思われたくないと思えば相談しないと思います。
さらに朋美の場合は友達を冷めた目で見ているため、最初から相談などするような相手ではないという気持ちも大きいのではと思います。

父の愛人のことを話したがらない朋美にリカが「うちら友達でしょ、言ってよ」と言いますがこの考えはおかしいと思います。
友達でも話したくないことはあると思います。
そして話したくないことを分かってあげ無理に聞き出そうとしたりはしないのが「友達」ではないかと思います。

朋美の夢には一週間に一回くらいのペースで死神が現れます。
死神は黒いマシンガンを朋美に渡し、誰でもいいから撃ってみろと言います。
私は死神がマシンガンを渡す夢が何を暗示しているのかが気になりました。

リカのグループのマキという子が愛人のことを聞いてきた時の朋美の受け答えがマキを激怒させ、それがきっかけで朋美はリカのグループから無視されるようになります。
すぐにクラス中から無視されるようになり学校が辛い場所になり、家に帰ってもカナコが居て嫌な思いをします。
朋美はカナコと敵対していますが、しかしカナコ相手なら学校で取り繕って話していたのとは違う本来の姿を出せているように見えます。

靴を隠された朋美は学校を休むことを決意します。
「あたしはこの決定打を待っていた。」とあり、クラスの子達に自分達のせいでクラスから不登校を出させたというプレッシャーをかけて意義のある休みにしたいと考えていました。
やられてもただでは不登校にならないこの意地は凄いと思います。
「かがみの孤城」(著:辻村深月、2018年第15回本屋大賞受賞)の感想記事で言及した真田美織という子を倒すための案と似た考え方です。

学校を休むと担任の先生が家に来ます。
担任の先生は朋美がクラス中から無視されていたのを知っていて、「何がいやなのか、どうすれば内田さんが学校に来れるようになるのか、教えてくれるかな?」と言いますがこの聞き方は最悪だと思います。
「原因を探り、原因への対策を講じる」という理論に則った聞き方ですが、これは政治問題や経済問題などとは違い、無視に遭って苦しむ人間の心の問題です。
「原因を言いなさい、そうすれば対策します」という理論だけに頼った聞き方は最悪と考えます。

朋美は3日後に学校に呼び出されます。
担任の先生は保険の先生を指差して「三村先生は心のカウンセリングもしていらっしゃるんだ。あなたの悩みも解決してくれるはずだから、なんでもいい、話してみなさい」と言いますがこれも酷い言い方だと思います。
最初から「あなたは病んでいるからカウンセリングを受けるべき」という前提で話していますが、そう見えたとしても「もし心に溜まっているものがあって誰かに話したいと思ったら、もちろん先生も聞くし、この学校で一番聞くのが得意な三村先生もいるよ。先生に言いずらかったら、三村先生に言ったのでも大丈夫だからね」のような言い方にしたほうが良いと思います。
また「あなたの悩みも解決してくれるはずだから」と言っていますがこれは簡単に解決できるとは限らないです。
人間の心は機械ではないので「この状態に対し、この対策をすればすぐ治る」といった簡単なものではないのが分かっていないのだと思います。
担任の先生の酷さはかなり印象的でした。

カナコは近々朋美の母になると言い、結婚が近いことを知らせてきます。
愕然とした朋美は家を飛び出して母の妙子のアパートに行きます。
そこしか頼れる場所がないとありました。
アパートに行くとカナコの弟の光浦宗太がカナコに頼まれ妙子に離婚届をもらいに来ていて、へらへらと話して掴みどころがない人でした。
妙子が帰ってくると朋美は「待ってたのに、二年間も、ずっと待ってたのに」と言いますが反応は冷たく、母に抱いていた幻想が打ち砕かれます。

夢の中に現れる死神は誰かを集中して打つようなことはせずみんなを同じだけ撃てと言っていました。
これは所詮この世はどうしようもない人ばかりなので(良い人もたくさんいると思いますが)、誰か一人を集中して撃ったとしても他の人に不快にさせられるので、みんなを撃ったほうが良いということかなと思います。

あたしはいつもよりずっと強く早く大人になりたいと願った。そうしたらこんな薄汚い奴らの手を離れて自分の力で地に足をつけていろんな我儘ができると思う。
私も10代の頃に早く大人になりたいと願ったことがありますが大人には大人の辛さがあると思います。
子供の時は早く大人になりたいと思い、大人になると子供時代は楽しかったと懐かしくなり、それが人生なのかなと思います。

ついに朋美は今を受け止めます。
父に対し今まで一度もきちんと話してくれなかったカナコのことを言う場面を見て朋美を頼もしく思いました。


「穴」
語り手は20歳の瀬野千穂で、物語は千穂の一人称で語られます。
千穂は高校を出てすぐ社会人になり経理の仕事をして三年目の春を迎えています。
冒頭、千穂はすみれに呼び出され、彼女の通う大学の近くのカフェでお茶を飲んでいます。

読み始めてすぐ、作品の雰囲気が落ち着いたと思いました。
文章に読点を打つようになり、さらに一つ一つの文章が短めになりました。
「平成マシンガンズ」がマシンガンのようなスピードのある文章で朋美が身の回りのことを考えて慌ただしい雰囲気だったのに対し、今回は穏やかに流れていく物語になっています。

やってきたすみれがとても華やかな女の子になっていて千穂は驚きます。
高校時代、すみれはいつも恋で悩んでいました。
そんなすみれを千穂は見守っていましたが、見守るだけでその渦に入ることは絶対になかったです。
「すみれの感じている日々の輝きを自分が共有できないことを知っていたから」とあり、自身とすみれの違いを強く意識しているのが分かりました。
すみれはもうすぐ結婚すると言います。

千穂は次の金曜の夜、商社で働いている八木橋とデートをします。
しかし八木橋とは結婚しないのだろうなと冷静に思っています。
わたしはいつも自分の気持ちを徹底的に疑ってしまう。愛情というものを信頼できなかった。
なぜ千穂が愛情を信頼できなくなったのか気になっていたら、両親の仲が悪いのが影響したことが分かりました。
わたしの家族はもうだめなのだ。とあり、「平成マシンガンズ」でも家族の不仲が描かれていたのが思い浮かびました。
三並夏さんにとって家族の不仲は重要なテーマかも知れないと思いました。

短大を卒業して去年採用された花村という女性は後輩ですが年上で、千穂は敬語でなくて良いのですが敬語で話しています。
これは私も同じ状況で敬語で話していたのでよく分かります。
千穂は土曜日に花村と一緒に映画を観に行きます。
花村はメールをすぐ返さないと不安になると言っていて、「高校の頃のせいかな。なんか返事遅いと、きらわれるみたいな感じなかったですか、あの頃」と言っていました。
「穴」が発表されてから8年近く経った現在ではLINEでの似たトラブルがよく聞かれるようになりました。
LINEは自身が送ったメッセージを相手が未読か既読かが分かるとのことで、既読なのに返信がないとトラブルになりやすいようです。
「既読ならすぐに返事を返すべきだ。それを返さないとは、お前は友達ではない」という形で無視が始まったりするようですが、この主張に対しては「24時間体制でお前に尽くすために存在しているわけではない」と反論します。
こちらにはこちらの済ますべき用事があり、読んでもすぐには返信できないこともあるのですから、それを分かり合えるのが「友達」ではと思います。

次の週末、千穂は秋岡という31歳の女性の先輩の部屋に行きます。
その時に興味深いことを語っていました。
わたしはボタンを連打するようにして人と話す。ただひたすらに、決められたコマンドを入力する。だからたまに、ほんとうに誰かを称えたいとき、言葉が見つからない。
これは寂しいと思います。
無難な言葉で話し続けた先にある寂しさだと思います。

わたしは、心の底にある言葉じゃない言葉で話すくせがついている。
これも印象的な言葉で、常に仮初めの言葉で話しているとどこか自身に虚無感を感じるのではと思います。

千穂は2年ぶりに高校の同窓会に行きます。
この同窓会はすみれの結婚式の余興をどうするか話すものでした。
千穂は同窓会でも敬語を使っていて、わたしは不器用だ。場面によってスイッチを変えられない。と胸中で語っていました。
これは私も普段敬語を使っている影響で同窓会でも敬語になったことがあるので分かります。

千穂は深い穴の中で足をくじいて動けなくなっている人をずっと傍で見てきたとあり、両親のことだと思います。
そのことが原因で、幸せを信じてダッシュし続けて落とし穴に気づけなかったらどうするのだと恐れるようになりました。
最初から幸せを求めないようになったのだと思います。

梅雨になり、千穂は結婚式を控えたすみれと久々にお昼を食べます。
「不思議だった。数ヶ月前に会ったときよりも、すみれを遠く感じた。」とあり、これはすみれが幸せに向かって走って行っているためそう感じるのだと思います。

物語が穏やかに流れるように感じるのは、千穂がとても冷めているのもあると思います。
仙人のように見え、「平成マシンガンズ」の朋美のスピードのある語りとはまるで違いました。


「平成マシンガンズ」を初めて読んだ時、「文藝 2005年冬号」に掲載された三並夏さんの受賞の言葉に「腹を括りました」という言葉があり嫌な予感がしました。
本当に腹を括っている人は「私は腹を括りました」とアピールしたりはしないだろうと思いました。
嫌な予感は現実となり、三並夏さんは「平成マシンガンズ」の後に2018年まで13年間新作の単行本を出せていないです。
しかしたまに短編を書くことはあり、「穴」が発表されたのは「文藝 2010年冬号」で、5年経って穏やかな文章を書くようになり新たな一面を見ることができました。
執筆で苦しい時間をたくさん過ごしていると思いますがたまに短編を書けているのは良かったです。

文庫本の解説が島本理生さんなのは買ってから知りました。
「平成マシンガンズ」を再読したいと思いましたが、直前に島本理生さんの「ファーストラヴ」を読んでいて、島本理生さんに引き付けられて今回この作品を手に取ったのかも知れないです。
島本理生さんは解説で作者の新作を切望していると書いていました。
私も三並夏さんの新作の単行本による復活を待ち望んでいます


※図書レビュー館(レビュー記事の作家ごとの一覧)を見る方はこちらをどうぞ。

※図書ランキングはこちらをどうぞ。

「ファーストラヴ」島本理生

2018-07-02 00:18:18 | 小説


今回ご紹介するのは「ファーストラヴ」(著:島本理生)です。

-----内容-----
「動機はそちらで見つけてください」
父親を刺殺した容疑で逮捕された女子大生・聖山環菜の挑発的な台詞が世間をにぎわせていた。
臨床心理士の真壁由紀は、この事件を題材としたノンフィクションの執筆を依頼され、環菜やその周辺の人々と面会を重ねていくが……。
なぜ娘は父親を殺さなければならなかったのか?
「家族」という名の迷宮を描く傑作長篇。
第159回直木賞受賞作。

-----感想-----
当初、帯に「なぜ娘は父親を殺さなければならなかったのか?」とあり、好きな作家の新作ですが内容が恐ろしそうでこの作品は読まないでおこうと思いました。
しかし7月に選考される第159回直木賞の候補になったのを知り興味を持ちました。
「第159回直木賞候補作」と書かれ新しくなった帯の内容紹介を見ると臨床心理士の主人公が父親を刺殺した女子大生の事件に関わっていくとあり、かなり興味が強まりました。
島本理生さんは中学生の頃から臨床心理学の本をたくさん読んでいて作品にも登場することがあり、内容を見ると特にフロイトの精神分析学の本をたくさん読んでいたのではと思います。
今回は主人公が臨床心理士とあり、今日の島本理生さんを形作る重要な要素の一つ「臨床心理学」と正面から向かい合う小説になることが予想され、並々ならぬものを感じこれはぜひ読むべきだと思い、書店に行って小説を手に取りました。

スタジオまでの廊下は長くて白すぎる。
踵を鳴らしているうちに、日常が床に塵のように振り落とされて、作られた顔になっていく。

この最初の二つの文で一気に物語に引き込まれました。
特に二文目が良く、一歩歩くごとに主人公の表情が変化していくのが伝わってきて、この作品の一文一文を丁寧に読みたくなりました。

主人公は臨床心理士の真壁由紀で、物語は由紀の一人称で語られます。
冒頭では東京のスタジオで「子供が寝てから相談室」というテレビ番組の収録をしていました。

7月19日、アナウンサー志望の女子大生、聖山環菜(かんな)がキー局の二次面接の直後に父親の那雄人(なおと)を刺殺して、夕方の多摩川沿いを血まみれで歩いていたところを逮捕されます。
環菜は警察の事情聴取に「動機はそちらで見つけてください」と言っています。
由紀は新文化社という出版社から環菜の半生を臨床心理士の視点からノンフィクションにまとめることを依頼されています。

由紀は真壁我聞(がもん)と10年前の春に結婚していて、正親(まさちか)という小学四年生の子供がいます。
我聞は結婚式場のカメラマンをしていますが普段は主夫として家の中のことをしています。
夜遅くに帰宅した由紀が正親に「ちょっと!なんでまだ起きてるの」と言うのを見てこれが本来の姿なのだと思い、家に帰れば本来の姿に戻れるのを見て安心しました。
この切り替えは大事だと思います。

我聞が迦葉(かしょう)から電話がかかってきたと言います。
迦葉は我聞の弟で弁護士をしていて、由紀の反応を見て迦葉と由紀には何か因縁があるのだと思いました。

由紀のクリニックは目白通り沿いにあり、浅田七海という若い女性を相手に由紀のカウンセリングの様子が描かれています。
初対面の時、七海は自分は本来はこんなところに来るようなタイプではないと言っていました。
この強がりは初対面までの七海は心療内科に行ったり臨床心理士に話を聞いてもらったりすることを「恥ずかしいこと」と考えていて、まさか自分がそうなるとはという恥の気持ちが現れていると思われ、強がるのはよく分かります。

迦葉が環菜の国選弁護人に選ばれます。
迦葉は環菜の事件は裁判員裁判になるためどれだけ同情を買えるかが重要で、そんな時に由紀が環菜の本を書くのには反対だと言います。
また迦葉はよく軽口を言い、のらりくらりとしていて掴み所がない印象があります。

由紀は環菜と面会します。
臨床心理士としてカウンセリングの仕事に就いて今年で9年目と語っていて、大学院卒で大学は一年休学していることから今年で34歳になると分かりました。

迦葉の苗字は庵野で我聞と血はつながっておらず、我聞の両親は迦葉の伯父さん伯母さんになります。
由紀は大学院の修論を書き終えた時に妊娠し、大学卒業後に報道写真家を目指していた我聞がその夢をやめて子供を育てるから結婚しようと言います。

環菜から由紀に手紙が来て、自身のことが知りたいので本を出しても良いと綴られていました。
本人にもなぜ父親を殺したのか、自身の心が分からないようです。
また環菜の母親の昭菜には被告側の証人として出ることを許否され、検察側の証人として出ることが明らかになり、母親と娘が法廷で対立することになります。

迦葉と由紀は母親が検察側に回ったことから何かが隠されていると感じます。
迦葉はあの家庭に何が起きていたか見つけなくてはいけないと言い、さらに由紀の立場なら違う手掛かりが掴めるかも知れないと言います。
由紀は環菜に次の面会までに母親との関係や思い出を手紙にしてもらいたいと言います。
手紙から母親への心理を探るのだと思いました。

由紀が迦葉に言った「私たち、本当は協力できるほどお互いのことを許してないでしょう?」という言葉は印象的でした。
単に臨床心理士が環菜の殺人の動機に迫るだけに留まらず、由紀と迦葉にも因縁があるのが物語の緊迫感を増しています。

環菜から届いた手紙には母よりも父のことの方が多く書かれていました。
由紀との面会で環菜はずっと嘘つきと言われてきたことが明らかになり、誰に言われていたのか気になりました。
由紀は次の手紙で初恋から事件の日までの恋愛について何でも良いから教えてほしいと頼みます。
環菜が大学時代に付き合っていた賀川洋一に話を聞くと環菜は父親と仲が悪かったと言い、さらに虚言癖があると言います。

秋になり、環菜の親友の臼井香子(きょうこ)に話を聞くと香子も環菜の父親が嫌いだと言います。
父親はたまに家のアトリエで美大生の教え子達に教えていて、そのデッサンのモデルを環菜にさせていました。
さらに中学三年生の時に美大生の一人に言い寄られ、親にはお前が気を持たせたんだから責任取って自分で何とかしろと言われて落ち込んでいたことが明らかになります。

このくらいまで読んだところで、文章がこれまで読んだ作品よりシンプルな印象を持ちました。
「誰々が「○○」と語った。」といった文章がよくあり、繊細な感情や情景の表現よりもシンプルな会話の進みを重視しているように見えます。
ただし由紀が環菜を観察しながら話す時の描写は詳しく書いてあり、上手く緩急が付いていると思いました。

由紀は環菜に絵のモデルをしていた時に母親はどうしていたかを聞き、母親に注目しているのがよく分かりました。
デッサン会は必ず母親がいない土曜日の午後に行われていました。
由紀が美大生達の印象を聞くと環菜は「気持ち悪い」と言い直後に酷く取り乱し、明らかにデッサン会が環菜の精神に重大な影響を与えていたのが分かりました。
また女性が男性に酷い目に遭わされるという、臨床心理学以上に島本理生さんの作品によく見られる特徴が今回も出ていると思いました。

由紀と迦葉が病院に入院している母親に面会に行くと母親は父親の擁護と環菜を突き放すことを言い、由紀は香子と母親のデッサン会への温度差に違和感を持ちます。
環菜には自傷癖があり、由紀が環菜の腕の傷を見たことはあるかと聞くと母親は小学校に遊びに行っていた時に鶏に襲われた傷だと言い、私はこれを見て母親にかなりの不信感を持ちました。
さらに母親は環菜が精神的に追い詰められていたのも気づいていて「でも、そんなの最終的には本人がどうにかするしかないでしょう」と言い、環菜に対しては突き放すことしか言わないです。
由紀は「十代の少女のように無責任な主張」と胸中で語っていました。

環菜の出生には特殊な事情があり、そのため環菜は両親の役に立とうと必死でした。
由紀に語った「私が嘘をつくことで母は安心してました」という言葉は特に印象的でした。
父親は環菜のアナウンサー志望の就活に反対して対立していましたが、由紀は環菜が就活に反対されただけで殺人を犯すようには見えないと感じます。

父親のデッサン会に参加していた南羽澄人(すみと)に話を聞けることになります。
年末、富山に住む南羽のところに新文化社で由紀のノンフィクションを担当している辻という男と行き話を聞くと、当時のスケッチブックに環菜が描かれていました。
裸の男の背に寄りかかっていて異様な雰囲気を感じました。

由紀の母親が成人式の朝に、父親が海外出張のたびに児童買春していたことを打ち明けます。
晴れの日に水を差すことを言うのは最悪だと思います。
この母親は娘に過度に干渉する特徴があり、自身が夫のことで悩んでいるのに娘だけ晴れやかになるのが許せず、自身と同じように悩むべきだと思って言ったのだと思います。
由紀の母親への鬱屈した気持ちも印象的で、二人の親子関係がどうなるのかも気になりました。

由紀と迦葉が大学時代に仲が良かった頃の回想があり、
ある時仲が悪くなると迦葉が由紀の目の前で他の女性と仲良くしているのを見せつけたりするようになり、徹底した嫌がらせをしてきて陰湿だと思いました。
やがて由紀は我聞と付き合うようになり、二ヶ月が過ぎた晩秋の日、我聞が由紀を弟の迦葉に紹介したいと言います。
迦葉はショックを受け、これは由紀が復讐のために我聞と付き合ったと思ったのだと思います。
ただし迦葉に同情の余地はなく、人に徹底して嫌がらせをするなら自身に跳ね返ってくることも覚悟すべきです。

2月に行われる裁判まで時間が少なくなります。
母親のことをあまり語らず自身が悪いといったことばかり言う環菜を見て由紀は次のように思います。
こちらだってプロだ。いつまでも好き勝手なことは言わせない。
この言葉を見て一気に緊迫感が増しました。

由紀と辻は古泉裕二という小学六年生の時の環菜と付き合っていた男に話を聞きに行きます。
環菜は由紀との面会で小泉をとても慕っているように話していましたが、二人が話を聞くと小泉に酷い目に遭わされていたことが分かります。
環菜の人生は男性に酷い目に遭わされ続けたのだと思いました。

環菜の心を助けたい由紀が興味深いことを語ります。
今を変えるためには段階と整理が必要なのだ。見えないものに蓋をしたまま表面的には前を向いたようにふるまったって、背中に張り付いたものは支配し続ける。
なぜなら「今」は、今の中だけじゃなく、過去の中にもあるものだから。

これはフロイトの精神分析学の「過去にあった何らかの出来事がトラウマとなり現在の性格に影響を与える」という考えに基づく言葉だと思います。
この考えは島本理生さんの他の作品にも登場していて、かなり重要な考えになっている気がします。

母親がありもしないことを由紀に言ったのを知り環菜が初めて怒ります。
虚言癖があるのは母親のほうでした。
由紀は環菜が怒ったことを「長い眠りの終わりに立ち会った」と表現していました。
環菜はこれまでの発言を撤回し「父親を殺すつもりはなかった」と言い、ついに戦う気持ちになります。

環菜が心を取り戻したのを機に由紀と迦葉も和解の時を迎えます。
和解の後、由紀がクリニックのソファーで軽く眠った時、自身も十年前にここで診察を受けていたことが分かります。
臨床心理士になる人は自身も酷い目に遭っていたことがよくあるようです。

人は、もう一度、生まれることができる。
環菜もきっと。

由紀は自身が抱え込んでいた闇に光が当たった時のことを思い出しながらこのように思います。

ついに裁判を迎えます。
検察の主張に迦葉は「争います」と言い、無罪を主張して全面対決になります。
どんどん緊迫した雰囲気になり引き込まれていきました。
判決は緊張しました。
裁判の間読んでいてずっと続いた押し潰されそうな圧迫感も印象的でした。

この数か月、ずっと私の心に向き合ってもらえたこと、ずっと忘れません。本当にありがとうございました。
私はこれを見て、環菜の心がずっと向き合ってもらえたありがたさを感じ取れるまでになり、ありがとうを言うことができて良かったと思いました。

迦葉とペアを組む北野という弁護士が序盤で由紀に以前から本の執筆に興味があったのかと聞いた時、「はい。私はこの仕事で有名になりたいんです」と言っていた真意も明らかになります。
裁判が終わって緊迫した雰囲気が和らいだところに気持ちが明るくなる素晴らしい言葉があり物語構成の上手さを感じました。

環菜、迦葉、由紀それぞれの心の開放も大きなテーマになっていたと思います。
そしてこの作品は終り方がとても良かったです。
由紀が抱えていた心の不安の最後の一つがついになくなり、明るく晴れやかな気持ちで読み終えることができました。


島本理生さんは今回、芥川賞系の作家さんらしい繊細な表現をほとんど使っておらず、作中にあったように自身も作家としてもう一度生まれようとしているように見えました。
「リトル・バイ・リトル」「生まれる森」「大きな熊が来る前に、おやすみ。」「夏の裁断」 で四度芥川賞の候補になりましたが受賞はできませんでした。
しかし第159回直木賞の候補になったのを見て嬉しくなり、私の心は島本さんに直木賞や本屋大賞を受賞してほしいと強く願っているのがよく分かりました。
当代きっての大作家に駆け上がってほしいです

※7月18日、見事第159回直木賞に選ばれました
おめでとうございます


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