読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

世界平和記念聖堂 静寂に包まれた聖堂内

2018-05-26 23:33:05 | フォトギャラリー
5月19日、エリザベト音楽大学の大学祭に行く前に隣にある世界平和記念聖堂に行きました。
広島の中心街にあるキリスト教(カトリック)の教会堂で国の重要文化財になっています。
19日に撮っていない写真があったので今日もう一度撮りに行きました。
聖堂内の静寂に包まれた空気が印象的で、その中にしばらくいるとこちらも澄んだ気持ちになります
※「エリザベト音楽大学 大学祭」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。


-------------------- 世界平和記念聖堂 静寂に包まれた聖堂内 --------------------


5月26日撮影。
世界平和記念聖堂にやってきました。
世界平和記念聖堂は原爆犠牲者を弔い、世界平和の実現を祈念する場として企図された教会堂です。


5月19日撮影。
現在は保存修理工事中で一番美しい姿は見られないですが建物には風格を感じます。
さっそく聖堂の中に入ってみます。


ここから5月26日撮影。
大きな鉄の扉が開け放たれています。


扉には「平和への門は隣人愛なり」と書かれています。
この扉は昭和29年(1954年)にドイツのデュッセルドルフ市から寄贈されました。


ここから5月19日撮影。


保存修理工事で幕が張られていますが本来はかなり綺麗なようです。


「これより後ろ 保護者席」とあります。
隣にあるエリザベト音楽大学が入学や卒業などの式典で世界平和記念聖堂を使用しています。


イエス・キリストの十字架のある祭壇を前に、祈りをしている方がいました。
聖堂内は静寂に包まれていて、私もあまり物音を立てないようにしました。


私が祭壇の写真を撮ろうとしている間に二人の方が祈りをしていきました。
一般に開放されてはいますがキリスト教(カトリック)の聖堂でもあり、静かにしたほうが良いと思います。


祈りが終わり一番前に行くことができました。


イエス・キリストの十字架。
重力で圧迫されるような凄味があります。


ここから5月26日撮影。
告解(こっかい)室。
自身の罪を司祭に打ち明ける場所です。
私は教徒ではないので告解したことはないですが、言いたくないことを打ち明けるのは勇気が要ると思います。


地下聖堂にも行ってみます。


ここも静寂に包まれた場所でした。


物音のしない静かな場所で、雑念が取り払われて澄んだ気持ちになるのだと思います。


「戦争で犠牲になった無名の市民」と刻まれています。
この碑石は民族紛争に揺れ続けた北アイルランドで和解を呼びかけ、さらに「9.11テロ」の悲しみを癒すためにニューヨークを旅してきました。
被爆者の追悼と世界平和を願って献堂された世界平和記念聖堂の心と相通じるところがあるため、ここに設置されることになりました。


「ヒロシマの聖母 平和の元后」。


広島の平和を願っています。


ローマ教皇 ヨハネ・パウロ二世の銅像。


1981年2月25日、広島を訪れた時のローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の言葉が記されています。
「戦争は人間のしわざです 戦争は人間の生命の破壊です 戦争は死です
過去を振り返ることは 将来に対する責任を担うことです
ヒロシマを考えることは 核戦争を拒否することです
ヒロシマを考えることは 平和に対して責任をとることです」

良い言葉だと思います。
ただし現実として、こちらが戦争をしたくなくても相手が問答無用で侵略してくる場合は戦争を仕掛けられることになるので、そうならないようにしっかりと防衛力を強化し、相手に戦争を仕掛ける気を起こさせないことが平和な暮らしを守っていくには重要だと思います。


世界平和記念聖堂、聖堂内に居ると澄んだ気持ちになることができて良いと思います。
そして保存修理工事をしていない時は特に聖堂内がかなり綺麗なようで驚きました。
工事が終わったら見に行ってみたいです


※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。

エリザベト音楽大学 大学祭

2018-05-20 22:25:15 | コンサート、演奏会
5月19日、広島市にあるエリザベト音楽大学の大学祭に行きました。
最初に隣にある世界平和記念聖堂に行き、隣のエリザベト音楽大学の写真も撮ろうかなと思い門の前に行ってみたら大学祭が行われているのを知りました。
今年の大学祭は5月19日と20日の2日間行われていて、貴重な遭遇なのでそのまま大学祭を見ていくことにしました


-------------------- エリザベト音楽大学 大学祭 --------------------


エリザベト音楽大学の正門にやってきました。


露店が出ていて、さらに売り子さんが焼きそばなどを売り歩いていました。


この手作り感のある雰囲気は学園祭らしくて良いと思います


広島市の中心街にある大学で敷地は小さめですが設備はかなり整っているようです。


エリザベト音楽大学は戦後間もない1947年に「焦土と化した広島の人々の心を癒したい」と願うベルギー人のエルネスト・ゴーセンス神父(イエズス会)が、小さな音楽塾(広島音楽教室)を開設したのが始まりです。
1948年4月、県知事認可の「広島音楽学校」が開校します。
ゴーセンス神父は大学開設のために欧米、特にベルギーの篤志家やイエズス会に寄付を仰ぎ、1951年にはベルギー国エリザベト王太后が後援者となることが認められ、大学名の由来になりました。


ロビーです。


ロビーでは19日も20日もいくつものグループによるコンサートが行われていて、音楽大学らしいなと思います


私は来た時間が遅めだったので演目は全て終わっていて、聴いてみたかったです。


壁にはビラが貼られていて、これも学園祭らしい雰囲気です。


「セシリアホール」で吹奏楽コンサートが行われるので聴いてみることにしました。
こんなに大きなホールがあり、さすが音楽大学だと思います。


演奏が始まります。


一曲目はマリオの音楽です。




学園祭なので面白い衣装になっている人が何人もいます。




マリオの演奏の後指揮者の挨拶があり、二曲目のハリー・ポッターメドレーの演奏になります。
一番左に居たピンクのTシャツの方が全曲、さらには曲の途中でも場所を移動して楽器を変えていたので目印になります。
いくつもの楽器を操れるのは凄いと思います。


木琴鉄琴系の楽器が鳴ると、弾んだ音が良いアクセントになっていました






一番後ろにトランペット軍団が居て演奏の迫力を下支えしている気がします。




三曲目のラムちゃんのテーマに入ります。


一番手前に居るフルート軍団は演奏を派手にしてくれます。
一番後ろで迫力を下支えするトランペットと上手くバランスを取っている気がします。




指揮者は安倍聖人さんという打楽器専攻の方で、ハリー・ポッターのドラコ・マルフォイの仮装です。


四曲目のディズニーメドレーに入ります。




ソロの演奏もありました。


全ての演奏が終わりました。
良い演奏を聴かせてもらいました

偶然遭遇したエリザベト音楽大学の大学祭、見ていって良かったと思いました。
学園祭らしい雰囲気を見たり音楽大学らしい吹奏楽の演奏を聴いたりして楽しい時間を過ごしました。
吹奏楽に限らず音楽はぜひまた聴いてみたいと思いました


※「コンサート、演奏会記事一覧」をご覧になる方はこちらをどうぞ。

旧毛利家本邸 和の邸宅の美

2018-05-17 20:51:05 | フォトギャラリー
毛利氏庭園のすぐ隣に旧毛利家本邸があります。
旧毛利家は安芸の国(広島県)の小領主から中国地方10ヶ国、120万石の大名に上り詰めた毛利元就の子孫で旧萩藩(長州藩)藩主です。
明治天皇から山口県内に本邸を構える承諾を得た公爵毛利家(戦国大名毛利元就の子孫で旧萩藩(長州藩)藩主)が、明治維新の元勲、井上馨の協力を得て明治25年にこの地に建設することを決定し、建てられました。
※「毛利氏庭園 美しい新緑」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。


-------------------- 旧毛利家本邸 和の邸宅の美 --------------------


旧毛利家本邸に入ります。


国の重要文化財です。


毛利家の家紋「一文字(いちに)三星(みつぼし)」。
一は「一番乗り」「一番槍」など人に先んじるという意味で、三星は武運を司る神を表す将軍星でオリオン座の真ん中にある三つの星を指しているとのことです。
大河ドラマ「毛利元就 第二回 若君ご乱心」の感想記事でも紹介しています。


毛利本家と分家(徳山毛利家、長府毛利家、清末毛利家)で一文字に差があります。


家の中はかなりの広さがあります。


三ノ間。


一部屋が広いなと思います。
襖を開けるといくつか先の部屋まで見渡すことができ、とても開放感のある作りです。


次ノ間。


縁側。


縁側から毛利氏庭園を眺めることができます。


大広間。




次ノ間。
襖の模様が変わりました。


公居間(こういま)。
この部屋は大正5年11月に大正天皇、大正11年3月に貞明皇太后、昭和22年12月に昭和天皇、昭和31年4月に昭和天皇皇后がお泊りになったお部屋です。


昭和天皇御製歌です。
昭和31年御来邸の節に詠まれました。


寝室。
公居間と同じで、大正5年11月に大正天皇、大正11年3月に貞明皇太后、昭和22年12月に昭和天皇、昭和31年4月に昭和天皇皇后がお泊りになったお部屋です。


奥内客室。


食事ノ間。




女中詰所。


階段を上って2階に行きます。


襖の模様がいくつもあり、変化を見るのも楽しいです


広間。


上段之間。
身分の高い人が座る場所です。


書院。
床の間の横に設けられる障子窓のある座敷飾りのことです。




2階からの眺め。
「毛利氏庭園 美しい新緑」のフォトギャラリー6枚目の写真で、2階から外を眺めている人がいるところから私も眺めています。


旧毛利家本邸内を歩いてみて、襖の雰囲気が良いと思いました。
心を和ませる和の雰囲気があり、落ち着いた美しさがあります。
さらに襖が開いているといくつか先の部屋まで見渡すことができ開放感があります。
一つ一つの部屋も広さがありゆったりとしていて、襖や畳による和の雰囲気で和んだ気持ちになりました


※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。

毛利氏庭園 美しい新緑

2018-05-13 18:45:36 | フォトギャラリー
4月15日、山口県防府市にある毛利氏庭園に行きました。
運動しようと思い防府駅から4キロと少しの道を歩いて行きました。
到着した毛利氏庭園では綺麗な新緑や花があり、明るい気持ちになりながら歩きました


-------------------- 毛利氏庭園 美しい新緑 --------------------


毛利氏庭園にやってきました。


庭園に行くまでの通路ではもみじの新緑が印象的でした。
秋になると綺麗な紅葉が見られると思います。


この先に庭園が広がっています。


門を通ると新緑の木々がありました。


このもみじの新緑は赤味がかっています。


国の重要文化財、旧毛利家本邸。
明治天皇から山口県内に本邸を構える承諾を得た公爵毛利家(戦国大名毛利元就の子孫で旧萩藩(長州藩)藩主)が、明治維新の元勲、井上馨の協力を得て明治25年にこの地に建設することを決定し、建てられました。
※「旧毛利家本邸 和の邸宅の美」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。


赤とピンクのつつじ。


松の木。
厳かな雰囲気があります。




この日は午前中曇っていましたが午後から晴れてくれ日差しがある中で歩くことができました


アーチのようになっている新緑のもみじ。




私は新緑の黄緑色の明るさが好きです




写真の真ん中の小径を下っていくと大きな池の端に降りることができます。


池の端に降り正面を眺めています。


盆栽のように整った木々の風格は花のような派手さはなくても毛利氏庭園を形作る大事な存在だと思います。


新緑と小川。
新緑の向こう側から日差しが当たり、木漏れ日が苔むす岩を照らし、この雰囲気は好きです


大きな松の木。


小径を歩いて行きます。


木々の間を小川が流れていました


小川はやがて池へと流れそそぎます。


菖蒲(しょうぶ)。
今頃は咲いているかも知れないです。


所々に赤やピンクのつつじがあると彩り豊かになって良いなと思います


写真の中央やや右に、最初に大きな池の端に降り立った時の場所が見えています。


新緑の時期の日本庭園の雰囲気は気持ちが明るくなります


藤棚もありました。


まだあまり咲いていませんでしたが一週間後くらいには綺麗に咲いたのではと思います。


日差しを浴びて神々しい雰囲気の松。


かなり散っていましたが遅咲きの八重桜がまだ咲いていました


大きな池の向こう岸にやってきました。


橋と緑と旧毛利家本邸。
こんなに立派な庭園のある家に住めたら気持ちも安らぐだろうなと思います


毛利氏庭園は敷地も広く、その中でツツジの花や新緑が生き生きとしていました。
大きな池の周りは立体の造りになっている場所もあり、池の周りを歩いていくうちに変わる高さからの眺めを楽しみました。
またいずれ歩きに行ってみたい日本庭園です


※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。

さくらの茶屋 岩国寿司定食

2018-05-12 22:45:51 | グルメ

4月22日、山口県岩国市にある錦帯橋、吉香公園、岩国城に行きました。
※以前作ったフォトギャラリーをご覧になる方は次のリンクからどうぞ。
「アーチ型の錦帯橋」
「緑豊かな吉香公園」
「山の上の岩国城」

今回は吉香公園からロープウェイを使わずに山道を歩いて岩国城に行ってみようと思いました。
お昼の時間になっていたので吉香公園にある「さくらの茶屋」というお店でお昼ご飯を食べました。


岩国名物の岩国寿司を使った「岩国寿司定食」を食べてみました。
前回山陽に住んだ時は食べていなかったので興味がありました。


岩国寿司は金糸卵、紅そぼろ、刻んだかんぴょう、刻みのり、蓮根が上に載っています。
ちらし寿司に比べると酢が控え目だと思います。
薄くスライスされた蓮根はほのかな辛さがありました。
岩国寿司は全体的に控え目な味で好みが分かれると思います。
私は控え目な味も良いかなと思いましたが、濃い味を好む人には物足りなく感じるかも知れないです。

麺はうどん、そば、蓮根麺から選べるので蓮根麺にしました。
岩国市は蓮根も名物で、蓮根麺は小麦粉に蓮根が練り込んであり、岩国で売り出し中とのことです。
蓮根麺は平たくてさらに弾力があり、蓮根が練り込んであるのでそばのような色になっています。
具はもずく、ねぎ、天かす、かまぼこ、ちくわが入っていて味は美味しい薄味です。

サラダはレタス、ルッコラ、赤と黄のパプリカ、かいわれ大根、紫たまねぎが入っていました。
ドレッシングは和風で、すっきりとしていてかいわれ大根の辛さが生きる味でした。

蓮根の酢の物は薄くスライスした蓮根と人参に酢の甘酢っぱさが染み込んでいて美味しいです。
フライも美味しく、鶏肉と大葉とチーズを巻いているのかなと思います。
ケチャップとよく合っていました。

煮物の具は椎茸、人参、いんげん、ごぼう、蓮根、里芋、高野豆腐、こんにゃく、たけのこ、鶏肉です。
それぞれの素材が一つずつ入っています。
蓮根は厚切りですがじっくり煮込んであって柔らかくなっています。
優しい味わいの美味しい煮物です

デザートのチョコケーキは小さいですが上面のチョコの濃厚さが印象的でした。
スポンジとチョコクリームも美味しかったです。
このケーキでコーヒーを飲みたいと思いました。

岩国寿司と蓮根という郷土の名物を食べられて良かったです。
いずれケーキとコーヒーでの一休みもしてみたいと思います

「今日から仲居になります」中居真麻

2018-05-09 20:06:38 | 小説


今回ご紹介するのは「今日から仲居になります」(著:中居真麻)です。

-----内容-----
楽な仕事なんてない。
でも、「好き」と言える仕事がしたい!
京都市内の会社で事務員として働く坂瀬川虹子は、単純でやりがいのない仕事、加えてセクハラに倦む日々を送っていた。
しかし、上司の送別会で訪れた老舗旅館のサービスに心打たれ、虹子はそこで働くことを決意する。
キックボクシング世界チャンピオンで浮気者の夫を持つ妻、口うるさくて気難しい料理評論家、「おこもり」に長期逗留するわがままな脚本家など、一筋縄ではいかないお客様たちに接するなかで、虹子が見つけた「働くことの意味」とは。

-----感想-----
坂瀬川虹子(さかせがわにじこ)は京都の四条烏丸にある飛行機部品のパーツの生産管理をしている会社で働いています。
物語は2月2日で22歳の誕生日を迎えた虹子の一人称で語られます。
虹子は雑用係で、唯一任せられているのは昼になると社員のために味噌汁を作ることです。

3月28日に館林部長の定年退職による送別会が行われることになり、「参加」「不参加」を選べるメールが送られてきますが、一番下に〈※基本的には全員参加でお願いします〉と書いてありました。
これは体裁だけは「強制してはおらず、参加不参加を選べます」としながらも実際には参加を強制する凄く嫌らしい書き方だと思います。

虹子は高校を卒業して、自分が何をしたいのかが分からないままに今の会社に就職し、今の職場に「何かが違う」と感じることが多くなりました。
「今の職場にただ居ることは魂が腐る行為をし続けているようなものだと最近強く思う」とありました。

虹子はエツコ・ヤエヤマという芸能人が好きで、エツコから「エツイート」を受信しています。
エツイートは「エツコのツイート」の略で、たわむれに思いついたことをメルマガ形式で呟くものです。
”魂の喜ばないことは、勇気をもってやめなさい”というエツイートが届いて虹子は仕事を辞めるべきかという思いを強くします。

館林部長の送別会で「かぐら屋」という老舗の高級料理旅館に行きます。
大広間の宴会で、虹子は「若い人が酒を注いで回ったほうが美味いし雰囲気も盛り上がるから、まずは館林部長のところに行って美味い酒を注いでこい」と言われ、さらにオヤジ達からセクハラも言われます。
宴会でオヤジ達は「誰それに酒をつげ」「俺の酒が飲めんのか」と言ったり、セクハラを言うことがよくあります。
ただ近年の傾向として若い世代はオヤジ達の好き放題を許さなくなってきているのは認識したほうが良いと思います。

全員に酒を注いでいくように言われ虹子が困っていると、天使のような優しい雰囲気の仲居が「あとは致しますので、どうぞお席にお戻りください」と助けてくれます。
そして幹事から女性社員を代表して館林部長に一言言うように言われた虹子は、この仕事を辞めると言います。

送別会の翌日虹子は「かぐら屋」に行き、ここで働かせてくれと頼みます。
虹子は人に喜びを与えられる仕事がしたいと思っていて、かぐら屋の仕事ならそれができるかも知れないと思いました。
女将さんが虹子を採用してくれます。
虹子を助けてくれた仲居は綾風一代(いちよ)という人で、綾風が虹子の面倒を見てくれることになります。


虹子は綾風におもてなしの作法を教えてもらいます。
綾風がどの部屋からも庭が眺められる作りになっていることについて庭屋一如(ていおくいちにょ)という言葉を使っていて、初めて聞く言葉なので興味深かったです。
庭と建物は一体だという平安時代からの精神のこととありました。

かぐら屋では楠橋和史(くすばしかずし)という虹子より1歳上の男がまかないを作っています。
洗い場の中尾というおばちゃんは楠橋にオッカアと呼ばれています。
虹子は楠橋を「ゴンタ野郎や」と評していて、がさつという意味のようでこれも初めて聞く言葉でした。
他にも舞妓さんが結う髪型の「割れしのぶ」など、聞いたことのない言葉が出てくるのが面白いです。

双子の葉山姉妹が77歳の喜寿のお祝いで来ます。
葉山姉妹はかなり横柄で、「あのね、私たちね、今日わざわざ誕生日のお祝いにお金払いに来たのよ」と言っていました。
こういった「私達は客だ」という尊大な態度はいかがなものかと思います。
葉山姉妹は何でも一人一つずつ、お互い同じ物でないと文句を言い、鏡台が一台しかないのは何でだと文句を言っていてクレーマーだと思いました。

虹子は中尾や綾風からジーコっちと呼ばれるようになります。
綾風は広島の生まれで32歳とあり、「いるけんね」「じゃけん」などの言葉がまさに広島だと思いました。

乙子(おとこ)というベテランの仲居が登場し、年齢は綾風より上で女将より下なくらいです。
乙子はツンケンした物言いをし虹子は戸惑います。

女将の京都言葉はとても印象的です。
「虹子さん、両手を使ったほうがよろしおすえ」「なんでも両手ですること。片手では、おいしいお茶が淹れられませんえ」など、語尾が「え」になります。
虹子は女将に、料理を出す時に膝が鳴ること、髪の毛がボサボサなこと、口紅を塗っていないことなどを次々指摘されたじたじになります。

イトという住み込みで働く80歳を越えたおばあさんが虹子に口紅をくれます。
イトは昔はばりばりの仲居の頭だった人で、女将もイトには頭が上がらないようです。

虹子達仲居はなるべく色んな部屋を見てもらえるように工夫を凝らします。
宿泊の部屋の他に料理を食べる部屋やお茶を飲む部屋にも案内していて、高級旅館のおもてなしは凄いと思いました。

突然、現在不倫騒動中のキックボクシングチャンピオンのオトンナルダナー・プウと家族の五名の宿泊が入り、虹子が給仕をすることになります。
プウの妻のカンヤラットは高級旅館に来て「チュッパチャップスが食べたい」と無茶を言ったり、料理にも無理難題を言います。
そんなカンヤラットを見て虹子はおにぎりを出せば食べるのではと閃きます。

おにぎりを出すことに乙子が「かぐら屋にはかぐら屋のやり方がある。新人のあんたが、なに勝手にやり方塗り替えてんのや」「あんたみたいにノリでこなすような仕事とちゃうんやこの世界」と文句を言ってきます。
虹子は「そんなこと、一回だって、思って仕事したことなんかない」と反発します。

おにぎりを持っていくとカンヤラットが食べてくれます。
一緒に出した梅昆布茶にも喜び、「あなたは、このシゴト、向いている」と言ってくれます。


梅雨が明けます。
乙子は虹子のすることなすこと気に入らないようで何かにつけて文句を言ってきます。
どこにでも苦手なひとというのは居るものだ。けれど大事なことは、その苦手意識に振り回されないことだ。
虹子は自身にそう言い聞かせていて、これは良い考えだと思います。

8月下旬になります。
料理の値段によって作務衣でのおもてなしになったり着物でのおもてなしになったりするとあり、やはり値段が高いとおもてなしも着物になりパワーアップするようです。

陸上自衛官がホフクゼンシンするならば、虹子たち仲居は畳の上をひたすら「ヒザゼンシン」して料理をお運びするとありました。
そのほうが所作が丁寧だからだと思いますがやるのはかなり大変だと思います。

虹子は乙子が持っていくはずだった炊き合わせを自身が対応しているお客さんのところに持って行ってしまう大失敗をします。
乙子がまた虹子をいびり、見かねた楠橋がかばってくれます。

虹子もついに着物を着るようになります。
中尾が最近綾風がやつれてきたように見えると言い、虹子も「いつも笑顔の裏に、最近の綾風さんは、いったいなにを隠しているのだろう」と思います。

8月26日、美食家の白鳥研一が芸妓さんと舞妓さんを連れてやって来ます。
白鳥研一は数々のグルメ雑誌や旅雑誌やカフェムックに食べた料理のコラムを掲載している鎌倉在住の美食家で、テレビでもたびたび姿を現すビップ客です。

夜の帳場の馬場末(ばばまつ)さんが白鳥のことを教えてくれます。
前に別の旅館に食べに行き、「料理を分かっていない者が料理を運ぶな」と仲居に説教していました。
その時の雑誌の掲載は料理のことは一切書かれておらず仲居の悪口がひたすら綴られていて、仲居はそれが原因で辞めました。
私はこういうのを老害クレーマーだと思います。

虹子が大失敗をして白鳥が激怒し、まだ何も料理が出ていないのに帰ってしまいます。
打ちひしがれる虹子に女将が「何があっても絶対に慌てたらいかん。できるはずの判断もできんくなってしまうんよ」と諭します。

白鳥がブログでかぐら屋のことを営業妨害なくらいに罵詈雑言を書いているのを知り、虹子は謝ろうとして着物のまま鎌倉に行きます。
由比ガ浜で情報を得て極楽寺のカムイというカフェに行くと、店長のミサキが白鳥の娘だと分かります。

ミサキは白鳥から親子の縁を切ると言われ不仲になっていましたが、虹子の説得によって白鳥に自身の思いを伝えます。
ミサキが去った後、白鳥が虹子を連れて江ノ島にある古い食堂に行き、しらす丼を食べさせてくれます。
白鳥と話していて虹子は仕事とは「サバく」ものではなく、いかに熱を持って「向き合うか」だと仲居の仕事を始めた頃に思ったことを思い出します。
虹子の誠意で白鳥が罵詈雑言のブログを削除してくれます。

虹子が乙子に「わたし、もうちょっと頑張ってみたいんです」と率直な思いを伝えると、「ええ仕事をしたときのその気持ち、よう覚えとき」と言います。
ずっと虹子を敵視していた乙子が初めてまともなことを言いました。
さらに虹子の仕事が良い仕事だったと認めてもいて、乙子の態度が変わったのが分かりました。

女将が虹子に「ひととしてええものを持ってるひとと、私は一緒に仕事したいと思ってるんです」と言い、いずれ社員になるためにシフトを増やして本腰を入れてやってほしいと言ってくれます。
そのことを綾風に言うと「かぐら屋をよろしくお願いね」と言い、その言い方に虹子は違和感を持ちます。


秋になりかぐら屋は人員を三人増やし、調理場に18歳の翔乃助、下足番に京都大学一回生の金尾捨雄(かねおすてお)、仲居として20歳のフリーターの水島明菜が入ってきます。
明菜は凄く優秀で、虹子が覚えるのに四日かかった料理の通し方も初日で覚え、着るのに二ヶ月かかった着物も一週間で着こなします。

11月に入り、美しい京都の秋になり大忙しの毎日になります。
綾風が明菜に気負う虹子に「ええセンパイでおろうとせんでええんよ」と言います。
さらに「どうします?って訊かれてわからへんときは、わからへん、ってことをちゃんと言わんといけん。わかったつもりになって間違ったままいくほうが、よっぽど怖いけん。だって、取り返しつかんじゃろ?」と言い、大事なことだと思いました。

一泊三万五千円のかぐら屋に14連泊もする桜小路(さくらこうじ)というお客さんが来ます。
到着時にお茶とかぐら屋特製の水飴を出すと、「ねーちゃん、大の男に飴なんか出して、あんたはほんまにそれでええとまじで思ってんのか?」と言います。
文句を言う割りに水飴は完食します。
さらに「申し訳ありません」と謝ると「なんでもかんでも謝りよって。九官鳥みたいに」と言い、喋るなと言われたので黙っていると返事をしろと言い、うざすぎる客だと思いました。
虹子が女将に「言ってる意味がひっちゃかめっちゃかで、わけがわからんのです」と言うと、女将は「宇宙人がきましたな」と言い、「ええですか、虹子さん、どんな要望でもこたえるんですよ。それがわたしらの仕事ですよ」と言います。
どうしようもないクレーマー客でもおもてなししないといけないので接客業は大変だと思います。

ある日虹子が自転車で帰ろうとした時、楠橋が声をかけてきます。
二人はかなり仲良くなっていて、虹子は楠橋が好きになっています。
虹子が数が合わなくてまかないを食べられなかったのを言うと、楠橋がスーパーフレッシュマートに連れていって様々な食材を買ってくれます。
フレッシュマートから帰ろうとした時、楠橋の調理場の先輩の竹井の車に綾風が乗るのを見かけ、二人が付き合っているのを知ります。

女将が桜小路に悩む虹子にお客さまを愛おしく思って下さいと言います。
虹子が好きと愛おしいの違いは何かと聞くと、好きは感情で愛おしむ気持ちは感謝だと言います。

桜小路が「北風モン野郎」という演劇作家や映画監督をしている人だと分かります。
怒鳴り散らす桜小路に虹子は「あなたはいま、ただスランプに陥って、自暴自棄になって、当たりやすいひとに当たり散らしているだけじゃないですか」と指摘します。
虹子は白鳥が江ノ島の食堂で言っていた「もてなしっていうのはね、けっしてこなすことじゃない。ひとの心に入っていくことなんだ」の言葉を思い出します。
宿泊最終日、桜小路が最後にかぐら屋の料理を食べたいと言います。


2月、かぐら山の神社で行われる節分祭に虹子、楠橋、翔乃助、明菜、金尾で行き、虹子は楠橋の予想外のことを知り愕然とします。
4月、虹子がかぐら屋に来て一年が過ぎます。
お泊まりの手子丸(てしまる)夫婦が離婚しそうで騒動になります。
乙子が虹子相手にいたずらっぽく舌をぺろっと出したり意見を求めてきたりするようになり、以前より話しやすくなったのが分かりました。

明菜が手子丸夫婦が食事中に喧嘩をしだして離婚届を書き始めたのを知らせてきます。
虹子は離婚を回避して穏便に解決するため、手子丸夫婦のことを調べます。

楠橋が虹子に良いことを言います。
「たぶん、人生って、何歳からでもスタートしようと思えばできるんやろなって思えた。自分の選んだ道、後悔してると言えばしてるけど、でもこれが俺の人生やしな」
何かを始める時に遅すぎるということはないと思います。
新たな人生を始めたくなった時は思いきって始めてみるのも良いと思います。


京都にある老舗の高級料理旅館が舞台で、京都言葉を話す人が何人も登場して雰囲気が新鮮でした。
おもてなしには真心と丁寧さを感じ、その舞台裏では仲居さん達が奮闘しているのが分かりました。
かぐら屋のような高級料理旅館、いつか行ってみたいです


※図書レビュー館(レビュー記事の作家ごとの一覧)を見る方はこちらをどうぞ。

※図書ランキングはこちらをどうぞ。

長い距離の散歩

2018-05-06 23:28:58 | ウェブ日記


4月28日に帰省して、29日から5月5日まで、ダイエットしようと思い毎日朝と夕方に長い距離の散歩をしました。

4月29日 朝3キロ 夕方2キロ 合計5キロ
4月30日 朝3キロ 夕方2キロ 合計5キロ
5月1日 朝4キロ 夕方3キロ 合計7キロ
5月2日 朝4キロ 夕方4キロ 合計8キロ
5月3日 朝4キロ 夕方4キロ 合計8キロ
5月4日 朝6キロ 夕方4キロ 合計10キロ
5月5日 朝6キロ 夕方6キロ 合計12キロ

全合計 55キロ

晴れの日が多く、雨予報の日も途中から晴れ間が見られ、予定した7日間全て歩くことができました。
快晴の日は青空が綺麗で日差しが眩しかったです
歩きながら緑や花を見て様々なことを思いました。

まず藤の花の香りが良かったです。
歩いていて藤の花が近づくと風に乗って高貴な香りがしてきます。
5月4日に歩いた時には風が吹くとばらばらと花殻が飛んでいて、季節の進みを感じました。

桜の葉の黄緑色が花が散ってすぐの頃よりも濃くなったのを感じました。
もみじの葉は太陽の光を受けて新緑の黄緑色が輝いていました。

ウグイスの澄んだ鳴き声が毎日していました。
鳴き声はしてもなかなか姿を見られない鳥です。

緑の日陰に入ると空気が涼しく感じます。
日差しを浴びる新緑を日陰側から見ると気の安らぐ清涼感があります。

山には杉や檜がありますが落葉樹もあり、その新緑の黄緑がとても美しいです。
特に晴れた日は山に明るさが満ちたようになります。

道端のつつじは濃いピンク色が鮮やかでした。
雪柳は小さい白色の花が可愛らしかったです。
道端には他にもたくさんの種類の花が咲いていて賑やかでした。
白、黄色、青、紫、ピンク、濃いピンクなどの花がありました。

7日間で合計55キロを歩き、少し体が引き締まりました。
しかし55キロでは十分には痩せないことも分かりました。
長い距離を歩いたことでゴールデンウィーク前よりも体力を強化できたのは良かったです。
体力を強化しながら地道にダイエットしていければと思います

帰省

2018-05-02 23:56:03 | ウェブ日記
4月28日から埼玉の実家に帰省しています。
かなり朝早い新幹線に乗りましたが事前に切符を買った時点で満席近くになっていました。
広島駅を出発した時には既にたくさんの人が乗っていて、やがて満席になり東京駅に向かいました。
やはりゴールデンウィーク初日の混雑は凄いと思いました。

4月28日と29日は妹と姪っ子、甥っ子も実家に来ていました。
姪っ子はお正月に実家で会ったことを覚えていてくれました。
久しぶりに会う人には恥ずかしがり屋さんになるのかぎくしゃくとしていましたが、私が散歩に行く時には玄関に見送りに来てくれました。

昨年の秋に生まれた甥っ子は寝返りが打てるようになりました。
しかし一度寝返りを打ってうつ伏せになるとまだ元には戻れないため、しばらくすると泣き出します。
私も何度かうつ伏せになった甥っ子を抱え上げて元に戻してあげました。

今回の帰省は今日まで散歩以外はどこにも行かずに過ごしています。
どこにも行く気になれなかったためお出掛けの誘いも断りました。
朝と夕方に長い距離を歩いているだけです。
しかしそんな日々も時には悪くないと思います。
このゴールデンウィークを機にダイエットを進めて体の切れを取り戻せればと思います。