読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

「窓の向こうのガーシュウィン」宮下奈都

2015-06-29 23:25:28 | 小説
今回ご紹介するのは「窓の向こうのガーシュウィン」(著:宮下奈都)です。

-----内容-----
周囲にうまく馴染めず、欠落感を抱えたまま十九年間を過ごしてきた私は、ヘルパーとして訪れた横江先生の家で、思い出の品に額をつける〈額装家〉の男性と出会う。
他人と交わらずひっそりと生きてきた私だったが、「しあわせな景色を切り取る」という彼の言葉に惹かれて、額装の仕事を手伝うようになり―。
不器用で素直な女の子が人の温かさに触れ、心を溶かされてゆく成長ものがたり。

-----感想-----
主人公の佐古は未熟児として生まれます。
経済的に貧しくお金を心配した両親が保育器に入れることを拒否したため、耳は聞こえるものの、雑音が混じって聞こえるようになりました。
未熟児のため機能が足りていませんでした。
その影響で人生においても周りに上手く馴染めずに今までを過ごしてきました。

佐古は高校を出て薬問屋に就職します。
しかし会社は半年で倒産。
高校を出て半年で、まさかの失業者になってしまいました。

その後佐古はホームヘルパー三級の資格を取り、横江さんという人の家に派遣されます。
要介護者は横江正吉という79歳の、かつては先生をしていた人。
この家に派遣されたことで佐古の人生に変化が訪れます。

佐古が横江さんの家に派遣されるようになって早々、興味深い表現が出てきました。
ヘルパーの掟は、与えられた仕事以外のところには指一本触れないこと。
好きかどうかを基準にするのは、淀の外枠を指一本で触れるどころか、指を十本分合わせて掴んでがしんがしんと揺さぶるようなことなんじゃないだろうか。

淀の外枠とは京都競馬場(通称”淀”)の外枠のことだと思うのですが、これを指一本で触れるとはどういう意味なのでしょうか。
この表現は気になりました。
競馬場の外枠は掴んでがしんがしんと揺さぶったところでびくともしないので、そこから転じて無謀なこと、無意味なことという意味なのかなと思いました。

横江先生の家で佐古は先生の息子で「額装家」をしている男と出会います。
レコードのジャケットなど、依頼人にとっての思い出の品に枠をつけて飾れるようにすることを「額装」と言います。
佐古が小学生の頃にやっていたボードゲームに登場する「犯人」に似ていることから、佐古は心の中でこの男のことを「犯人」と呼んでいました。

しあわせな景色を切り取る、と犯人はいった。
切り取った景色を、額に入れて飾るのだろう。
いい仕事だと思う。
今度横江先生のお宅を訪問するときが、今から楽しみだ。
あの人が誰のどんなしあわせを額装するのか、後ろのほうから見させてもらおうと思う。

このように胸中で語っていて、佐古は横江さんの家に行くのが楽しみになっていました。
「後ろのほうから見させてもらおうと思う」という言葉には佐古の欠落感を抱えた19年間の、遠慮がちな様子が現れているなと思いました。

作中において「サマータイム」という歌が何度も登場します。
歌うのはエラ・フィッツジェラルドで作曲はジョージ・ガーシュウィン、作詞はデュポーズ・ヘイワード。
佐古が子供の頃によく聴いた歌で、佐古にとって特別な歌となっています。
作品タイトルの「窓の向こうのガーシュウィン」は額装の額を窓に見たてたのと、サマータイムの作曲者ガーシュウィンから来ているようです。
宮下奈都さんは歌に造詣が深いのか、「よろこびの歌」などでも作中で歌を扱っていました。

ちなみに、横江先生は認知症の症状が出始めています。
そのことについて、孫の隼(犯人の息子で、佐古とは中学の時の同級生だった)と佐古が話していた時、印象的な言葉がありました。

壊れてしまった日々、なくしてしまった日々を、取り戻せるわけがない。

たしかに失われた日々は戻っては来ません。
しかしこれからの日々をかつてに近づけることを目指し進んでいくことはできます。
それが相対的に見て取り戻すということなのだと私は思います。

「しなくてもいいや、って思っちゃえばたしかに平穏に暮らせると思うの。いろんなことに距離を取って、近づかないようにして、何にも執着しないで生きられれば楽だよ。だけどね、なんでもかんでもなくていいって思えるようになったらね」
この佐古の言葉は状況次第だと思います。
例えば、疲れきっている時はそれで良いと思います。
そして気力が戻ってくれば再び上昇思考になる、ということではないでしょうか。
そしてこの言葉から明らかなように、佐古の心境には変化が現れています。
欠落感を抱えてきた今までの19年感はまさに佐古が隼に語ったこの言葉そのもののような生き方をしてきましたが、そこから前に進もうとしています。
佐古の心境は変わっていき、段々と自信を持っていきます。

終盤に出てきた「今を大事にする」という言葉は印象的でした。
「今」このときを捕まえて味わいつくさなきゃいけないともありました。
私としても、過去を悔やんだり未来を不安がったりしてばかりいると、「今」が疎かになってしまうと思います。
過去、現在、未来のうち、現在は最も重要だというのをこの作品を読んで改めて実感しました。


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一人称”俺”

2015-06-28 17:36:04 | ウェブ日記
私のブログでの一人称は、最初期の「僕」を除き全て「私」を使っています。
社会人生活でも一年目の初期が「俺」だったのを除き、全て「私」を使っています。

しかし最近、社会人生活において一人称に変化が訪れました。
山陽地方に行ったのを機に職場の人との会話で一人称”俺”を復活させました。
社会人一年目の早い段階で”俺”を使うことに気まずさを感じ”私”を使うようにし、以来ずっと”私”を使ってきたので、かなり久しぶりに俺を使っています。
もちろん”私”のほうが良い場合は私にしていますが、ちょっとした会話の中では俺を使うようになりました。

どうも長い期間”私”ばかり使っていた影響か何となく窮屈さを感じていました。
人と話す時に硬くもなりがちだなと感じていました。
そこで思いきって”俺”を復活させてみることにしました。

これが結構効果があって、以前よりも自分を出しやすくなったなと思います。
山陽地方と気質が合うというのもあります。
以前「気質が合う」という記事に書いたように気質が合うのに加え、私自身が一人称”俺”を使い出したことによってあまり窮屈さを感じなくなっています。

会話の中での”私”か”俺”かの些細な差ですが、この差がとても大きなことだと思います。
言葉一つで自分を出しやすくなったり出しずらくなったりするのだなと思います。
ちなみにブログでは”私”のほうがしっくり来るので引き続き私を使います。
自分に最も合う形を選びやっていきたいものだと思います。

山陽の夜の訪れは遅い

2015-06-27 09:03:32 | ウェブ日記
山陽地方に引っ越してきて迎えた、一年で最も日の長い月、6月。
夏至の前後であるここ最近、山陽地方では夜の8時になってもまだ空にわずかに明るさが残っています。
東京では夏至の頃でも19時40分過ぎには夜になっていました
東京に居た頃は、19時30分になってもまだ空に明るさが残っているのはかなり凄いことで、さすが夏至の頃と思いました。
しかし山陽地方はそこからさらに30分くらい長く空に明るさが残っています。
太陽は東から出て西に沈むので、東京よりだいぶ西側にある山陽では夜の訪れも少し遅くなるようです。

高校二年生の6月下旬、修学旅行で沖縄に行った時のことを思い出しました。
19時に外に出た時、明らかにまだはっきりとした青空だったのです。
東京ではいくら夏至の頃でも19時になると夕方の気配が色濃くなってきます。
日本では時差はないですが、やはり地域によって日の出や夕暮れの時間に差はあるのだと実感しました。
これもまた地域の特徴だなと思います。

青雲の夏空

2015-06-25 23:37:20 | ウェブ日記


写真はJR山陽本線の宮島口駅の近くにある、宮島行きのフェリー乗り場で撮ったものです。
日本三景の一つにして世界文化遺産にもなっている宮島の厳島神社には既に行っていて、いずれフォトギャラリーで登場します。

青雲(せいうん)とは、「青みがかった雲、よく晴れた高い空、青空」という意味です。
このフェリー乗り場から見た、モクモクと上る入道雲が少し青みがかった空模様に、青雲という言葉がよぎりました。
高い空からは秋が連想されますが、青みがかった雲からは夏が連想されるので、この時期に使っても良いのかなと思います。
入道雲がモクモクと出てくる辺り、夏が来ているなと思います。

夏の空は水色がかっていて、雲も入道雲という迫力のある雲が出ていて、いかにも”夏”という雰囲気がして好きです。
空の色と雲の種類が変わるとこんなにガラッと雰囲気が変わるのかと思います。
この夏空を見ると凄くワクワクした気分になってきて、外を歩いて散策したくなってきます。
やはり夏は良いなと思います。
ここ数年で、一年で一番好きな季節だと確信するようになりました

安全保障法制 -瀬戸内寂聴さん-

2015-06-23 23:05:10 | 政治
安全保障法制が議論になっているここ最近。
例えば、瀬戸内寂聴さんが出てきて、マスコミの前で「日本は戦争に向かっている。軍靴の音が聞こえる。憲法9条改正反対、集団的自衛権反対」と持論を語るとします。
すると有名な人の発言ということで、何となくそれを鵜呑みにしてそのまま信じてしまうということが往々にしてあります。
そんなことが先日ありました。

何度でも指摘しますが、戦争に向かっているのは日本ではなく中国の方です。
話し合いで解決する気がなく、問答無用で力で解決しようとしています。
現在進行形で南シナ海、南沙諸島を侵略してフィリピン、台湾、ブルネイ、ベトナム、マレーシアと激しく対立し、陸においてもインドやブータンの領土を侵略してやはり激しく対立。
日本の尖閣諸島についても領海侵犯を繰り返し、ついには領空侵犯までし、領土を侵略しようとしています。
武力で他国の領土、領海を奪い取る凄まじい覇権主義国家ぶりを露わにしています。

「東京新聞5月4日の一面」の記事を書いた時、「(戦争を仕掛けようとしているのは日本ではなく中国の方だという)その現実を見ておらず、また最初から見ようともしていないのだと思います」と書きました。
これが噂に名高い、憲法九条を極度に崇拝する人の考え方かと驚いていますとも書きました。
残念ながら瀬戸内寂聴さんもこのタイプのようです。
狂信的に憲法9条を崇拝する人の特徴である『”軍”を率いて武力で日本始め他国の領土を侵略しようとする中国については一切を見ないようにして何も言わず、日本が中国の侵略から国家国民を守ろうとする時だけ「戦争反対!」と叫ぶ』がものの見事に現れています。
いくら何でも主張に無理がありすぎではないでしょうか。
武力によって平和を乱そうとしてくる相手のことは完全無視で、まるで日本が戦争を始めようとしているかのようなことを言っています。
この少し考えればすぐに分かる主張のおかしさについて多くのマスコミは何も言わず、あたかもこの主張が正しいかのような報道を展開しています。

憲法9条さえ信じていれば中国が日本の領土を侵略することはなく、平和でいられるとでも言うのでしょうか。
私はこの狂信的な9条崇拝の考えには明確に反対です。
9条は救いの神ではありません。
中国の侵略から国家国民を守ってはくれません。
平和とは9条に縋り付いていれば守れるようなものではなく、危機に対処することによって初めて守れるものです。
覇権主義国家による領土侵略という目の前に迫っている危機に対応できるようにするため、私は憲法9条の改正を希望し、集団的自衛権行使容認を支持します。

※関連記事
”一般の”学生が立ち上がる -安全保障法制反対デモ-

道端の紫陽花

2015-06-22 22:56:50 | ウェブ日記


会社に行く道の途中、街路樹のそばに紫陽花(あじさい)が咲いている箇所があります。
朝歩いて行く時、その紫陽花が目に入ってきます。
5月の終わり頃から咲き始め、ここ最近はすっかり満開を迎えています。

この紫陽花、朝歩いていて目に留まる時と、留まらずに通りすぎてしまう時があります。
目に留まらない時というのは、疲れている時や気が急いている時です。

気持ちに余裕があれば、道端の紫陽花が目に留まります。
反対に余裕がない時は、目に留まらずに通り過ぎてしまいます。
せっかくの徒歩での通勤、紫陽花の花を楽しむ気持ちの余裕は持ちたいところです。

そして通りすぎてしまった時も、「ああ、今は気持ちが焦っているな」と自分で認識してあげることができれば、少し力を抜いて、心を落ち着けることができます。
今日は土日でリフレッシュしたこともあり紫陽花の花に目が留まりました。
明日もそんな心にゆとりのある朝の通勤になってほしいなと思います。

「焼くんじゃ」のお好み焼き

2015-06-21 17:24:38 | グルメ
広島駅南口前のビル6階に「ひろしまお好み物語 駅前ひろば」というのがあります。
ここはお好み焼きのテーマパークで、色々な店が軒を連ねていて観光名所にもなっています。
私も既に何度か行っています。
今回ご紹介するのは「焼くんじゃ」というお店のお好み焼きです。



私が注文したお好み焼きはその名も「焼くんじゃ」。
お店の人気の第2位とありました。
1位は「海物語」で、トッピングとして生エビと生イカを鉄板で焼いたのが入ります。
焼くんじゃは豚肉、玉子、キャベツ、もやし、そば(焼きそば)のほかに、イカ天、大葉(青紫蘇)、ねぎで構成されています。
広島のお好み焼きでよく聞く「豚玉そば(豚肉、玉子、そば)」にトッピングでイカ天、大葉、ねぎが入る形です。



こちらが完成したお好み焼きです。
麺は細めでパリッとしています。
山陽地方に来て食べたお好み焼きの中では今までで一番麺が細かったです。
細麺のパリッとした味わいはなかなか良いなと思います^^

大葉が入るとピリッとしたアクセントになり、紫蘇(しそ)の香りによって普段の「肉、玉、そば」とはまた違った風味になります。
キャベツはお店によっては千切りに近い形になったりもしますが、ここではほどよい小ささに切られていました。
また、鉄板で直接焼くのではなく、薄い生地の上で焼いているので、蒸した感じになるのがとても良いです

見た目のボリュームは結構ありますがキャベツ、もやしの野菜をたっぷりと使っているので、そんなに栄養を摂りすぎということもないです。
細麺が印象的でなかなか美味しいお好み焼き屋さんなので、またいずれ食べに行きたいと思います

平和記念公園を散策

2015-06-20 18:56:22 | フォトギャラリー
5月10日、平和記念公園に行ってきました。
平和記念公園といえば、関東に住んでいた頃は毎年8月6日に広島平和記念式典が行われるのをニュースで見ていました。
山陽に来たなら一度は行ってみたいと思い足を運びました。
天気にも恵まれ、非常に良い散策となり良かったです


---------- 平和記念公園を散策 ----------


というわけで、平和記念公園にやってきました。


この横長の建物は何かというと、


広島平和記念資料館です。
以前「平和記念資料館の対話ノート」という記事を書きました。


さすがに平和記念公園だけあって、


入ってすぐに小学生の団体と遭遇しました。
社会科見学でしょうかね。


公園の敷地はとても広く、全部見て回るにはそれなりの時間がかかります。




シロツメクサがさらーっと咲いて絨毯のようになっているのはなかなか見応えがありました




左下にあるトンネル型のモニュメントの所に行ってみます。


モニュメントの向こうに、世界遺産の原爆ドームが見えています。
石碑は原爆死没者慰霊碑で、


「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と書かれています。
私はこれを見て、違和感を覚えました。
まるで「我々日本人が悪いから、原爆を落とされてあなた方は亡くなったのです。もう過ちは繰返しませんから安らかに眠って下さい」と言っているように見えます。
ネットで調べてみたら、この文章はだいぶ前から内容のおかしさが指摘されているようでした。
そして広島市のホームページに「原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないからこの文章になった」という苦しい説明があるのですが、初見でこの文章を見て、果たしてそう見えるでしょうか。
私にはとてもそうは見えませんでした。
原爆を落とし日本人を大量虐殺したアメリカの行いは極悪非道なのですが、この碑文を書いた人は日本が悪いということにしたかったように思えます。




向こうから小学生軍団がやってきました。


原爆ドームの方に行き、帰ってきたのかなと思います。


この像は、


「原爆の子の像」と言います。


折り鶴もたくさん捧げられていました。


近づいてきた原爆ドーム。
写真はズームして撮っているので、まだ距離があります。
もっと近くまで行ってみるとします。


この塔は、


動員学徒慰霊塔です。


学生も動員されたというのは、戦争の怖さを物語っていると思います。
その戦争を仕掛けられずに済むにはどうするか、私の考えを「平和記念資料館の対話ノート」という記事に書いています。
「平和が一番」という思いは日本人共通のものです。


そしてついに世界遺産・原爆ドームのすぐ近くまで来ました。


「世界文化遺産」として登録されています。






世界で唯一、原子爆弾による大虐殺を受けた被爆国である日本。
二度と起きてほしくないことです。


戦没学徒出身校。
中学、高校、大学といます。


動員学徒悼歌「ほのお果てては」。


中学生。
修学旅行で来たのかなと思います。
中学生の場合は班ごとに、語り部さんにガイドされながら公園内を歩いているようです。


新緑。
私は新緑の黄緑がすごく好きです


「平和の鐘」。
ちょうど中学生が鐘をついていて、何だかその光景が平和的で良かったです^^


苔のむした木。
なかなかワイルドです。


「原爆供養塔」。




「平和乃観音」。


爆心地に向かって原爆投下時刻の8時15分を表したモニュメント。


被爆アオギリ二世。


こちらは一世の、被爆した時に焼けた傷跡です。


中央やや左に一世、その右に二世がいます。


「祈り」。


「平和の灯(ともしび)」。


というわけで平和記念公園、なかなか中身の濃い散策となりました。
やはり山陽に来たからには一度は行ってみるべきですね
散歩にも良いですし、またいずれ行ってみたいと思います


※「広島駅から平和記念公園へ」のフォトギャラリーをご覧になる方はこちらをどうぞ。

※フォトギャラリー館を見る方はこちらをどうぞ。

※横浜別館はこちらをどうぞ。

※3号館はこちらをどうぞ。

梅雨の雨

2015-06-18 23:35:10 | ウェブ日記
今日は朝から雨が降っていました
朝の通勤時は小雨で、傘を差さない人がいるくらいの弱い雨だったので助かりました。
帰る時は強くも弱くもない雨がシトシトと降っていました。
そして今は帰ってきて窓を開けているのですが、シトシトと、いかにも梅雨らしい雨が降っていて雨音が聞こえてきます。
今日は梅雨寒になっていて帰る時は半袖だと少し肌寒いくらいでした。
7月まで続く梅雨の前半、6月にはそんな日があります。

そして気付けば夏至まであと4日となりました。
今日はもう終わるので実質あと3日です。
過去何度か書いているように、夏至の近いこの時期は寂しいような感傷的な気持ちになります。
春、初夏とどんどん伸びてきた日の長さが夏至でピークを迎え、そこからまた短くなっていってしまうのがどうにも寂しいのです。
できれば夏至の日は晴れてくれて日の長さを実感できたら良いなと毎年思います。
梅雨の時期なのでスパッと晴れるのはなかなか難しいですが、ぜひ晴れ間は見たいです

朝日

2015-06-17 23:05:00 | ウェブ日記


写真は早起きして出かけた時に電車から見た朝日です。
起きたのは朝の4時で、5時には部屋を出ました。
電車が動いていて、さらに撮りずらい位置に朝日が見えていたのでベストな写真は撮れなかったですが、良い朝日でした
朝日を見るととても清々しい気持ちになります。

この朝日、ゴールデンウィークに帰省する時にも電車から見えたのですが、その時のことがすごく印象に残っています。
起きたのは朝の3時40分頃で、やはり5時には部屋を出ました。
電車は海岸沿いを走っていて、乗って少し経った頃、海岸線の向こうから朝日が見えてきました。
色合いは赤みがかっていて、瀬戸内海とセットの朝日は本当に素晴らしかったです
そしてぜひこの朝日の写真を撮ってみたいなと思いました。
休みの日に早起きして出かければ撮れそうな気がします。
夏場は早起きしやすい時期でもあるので、いずれ撮りに行ってみたいなと思います。