読書日和

お気に入りの小説やマンガをご紹介。
好きな小説は青春もの。
日々のできごとやフォトギャラリーなどもお届けします。

再び破られた不滅の大レコード

2017-04-30 23:20:51 | ウェブ日記
※この記事は2015年5月に書いた「浅田真央選手が現役続行を表明」「名勝負 - 未来永劫破られない-」からの続編となります。

今日は競馬の第155回天皇賞(春)が行われました。
このレースで優勝したのは歌手の北島三郎さんが馬主をしていることで知られるキタサンブラックで、私も2015年の有馬記念から応援しているので勝ってくれて嬉しかったです。
優勝タイムの3分12秒5は2006年にディープインパクトが出した不滅の大レコードタイム3分13秒4をさらに0秒9更新する物凄いタイムでした。

「名勝負 - 未来永劫破られない-」の記事で書いたように、天皇賞(春)は1997年にマヤノトップガンという馬がそれまでのレコードを2秒7(約16馬身)も更新する物凄いタイムを出し、「未来永劫破られない」と呼ばれる不滅の大レコードでした。
しかし2006年にディープインパクトという歴史的名馬がこの大レコードをさらに1秒も更新する3分13秒4のタイムで優勝し、新たな不滅の大レコードが生まれました。

今日はこの新たな不滅の大レコードがまたもや破られる日となりました。
まだまだしばらくは破られないと思っていたので驚きました。
「未来永劫破られない」と呼ばれるような大記録もいつかは破る者が現れることが再び示されました。

これを見て、先日引退を表明したフィギュアスケートの浅田真央さんも「もう二度とは現れない」「未来永劫現れない」と呼ばれるほどの大フィギュアスケーターですが、いつかまた浅田真央さんのような選手が現れるのではという思いを一層持ちました。
トリプルアクセルだけでなくステップやスピンなどどの技術も世界最高峰で、何十年に一人のスーパースターなのでそう簡単には現れないと思いますが、不滅の大レコードも二度に渡って破られたように、現れる可能性はあります。
ディープインパクトの不滅の大レコードは今回11年経って破られました。
浅田真央さんが引退した今年から何年後にまた浅田真央さんのようなスーパースターが現れるのか、楽しみにしています。

ゴールデンウィーク

2017-04-29 23:09:38 | ウェブ日記
今日からゴールデンウィークに入りました。
今年は今日から5月7日までの最大9連休で、私も9連休になりました

今日さっそく実家に帰省しました
日曜日から引いた風邪はまだ続いていますが喉の痛みと体の熱っぽさはなくなりました。
後は鼻声が元に戻ってくれればと思います。
実家でゆっくり過ごして早めに完治させたいと思います。

9連休では私が帰ってきたらどこかに出掛けようという話になっていたらしく、さっそく明日近場に出掛けることになりました。
風邪も良くなってきているので大丈夫だと思います。
そしてゴールデンウィークの中盤にも出掛けることになりそうです。

それ以外の日は近所を散歩したり小説を読んだりしながら静かに過ごそうと思います。
散歩は晴れていれば大陽の光をたくさん浴びて道端に咲くこの時期の花を眺めながらゆっくり歩こうと思います。
このゴールデンウィークで心身ともにリラックス、リフレッシュさせたいです

神をも恐れぬ行い

2017-04-27 21:58:16 | ウェブ日記
先日名古屋にある熱田神宮に参拝した時、帰りに「清め茶屋」に寄りました。
その時、私が座っていた席の近くに、初老の男性と30代前半くらいの女性の二人連れが座りました。

まず年齢の離れ具合から見てカップルとは考えずらかったです。
さらに席が近いため会話が聞こえてきて、その話している内容が「お客さん」と「もてなす側」のような雰囲気でした。
これは誰の目にも、キャバクラ嬢もしくはホステス嬢とそのお客さんであることが明らかでした。
営業の一環で二人連れ立って熱田神宮に出掛けたのだと思います。

私はこれを見て、文字どおりの神をも恐れぬ暴挙だなと思いました
神聖な熱田神宮にキャバクラ嬢やホステス嬢と連れ立って参拝するとはとんでもない話だと思います。
私的にはこの参拝の仕方だと邪(よこしま)な心での参拝になってしまう気がします。

しかし神様は心が広いので、よほどバチ当たりか悪意を持って神社に来た人でもない限りは多目に見るかも知れないと思い直しました。
「まったく仕方のない奴らだ」と呆れながらもそんなにお怒りにはならない気もします。
ただやはり神社は神聖な場所なので、邪な心は持ち込まず、神聖な心で参拝したほうが良いのではと思います。

朝の高校生の風景

2017-04-26 21:25:10 | ウェブ日記
先日朝通勤する時、高校生の男女二人組とすれ違いました。
男子のほうが何か馬鹿にするようなことを言い、女子のほうは「うっせーよ馬鹿!」と言っていました。
二人とも活発なタイプのようで元気よく歩いて行きました。

この光景を見て、この二人は実際には仲が良いのだろうなと思いました。
男子のほうは本気で馬鹿にしているわけではなく、女子のほうも男子のことを本気で馬鹿扱いしているわけではないのだと思います。
中学生や高校生の頃は馬鹿やアホ、ウザい、消えろなど、過激な言葉をよく使う傾向があります。
これは言葉の重さを理解していないからで、この頃の経験を通じて段々と無闇やたらに過激な言葉を言えば良いというものではないことを分かっていくのだと思います。

この二人はお互いのことをよく分かっているようで、絶妙なさじ加減で馬鹿にし合っていました。
私的には「おはよう。今日もよろしく」と面と向かって言うのは恥ずかしいので、代わりに馬鹿にし合っているように見えます。

そんな高校生男女とすれ違い、こちらも微笑ましい気分になりました。
今の何気ない通学時の会話などを大事にして高校生活を送っていってほしいと思います。

風邪とポケットティッシュ

2017-04-25 21:33:57 | ウェブ日記
日曜日から風邪を引いたようで、体調が悪くなりました。
そして今日はどんどん体調が悪くなる一日でした。
午後からは鼻水が止まらなくなり、常時たくさん備えている手持ちのポケットティッシュがどんどん減っていきました。
夕方が近づく頃、このままでは家に帰りつく前にポケットティッシュが底をつくかもと思いました。

体が熱っぽく、頭もボーッとしてきていました。
そんな中、ポケットティッシュも底をつきそうなのを見て、私は何だか映画「硫黄島からの手紙」のもの悲しいテーマ曲が思い浮かびました
食糧尽き、弾薬尽き、もはやこれまで…な状態です。

しかし実は今日はバッグの中にもう一つだけポケットティッシュがあるのを思い出しました。
それは企業の営業の人が道行く人に配っているポケットティッシュでした。
たまたま今日このポケットティッシュを受け取っていたことで家に帰りつく前にポケットティッシュが尽き、もはやこれまで…になる心配はなくなりました。
企業の営業の人が何か配っているところに遭遇すると受け取らずに通り過ぎることが多いのですが、ポケットティッシュの場合は比較的受け取ることがあります。
そして今日はそのポケットティッシュに助けられたので、これからもポケットティッシュは受け取っていこうかなと思います。

体も熱っぽいので今日は早めに寝ようと思います。
風邪は嫌ですが、ここはゴールデンウィークに風邪にならなくて良かったと考えようと思います。
早めに治って健康な状態でゴールデンウィークを迎えたいです。

「シュガータイム」小川洋子

2017-04-23 20:46:58 | 小説


今回ご紹介するのは「シュガータイム」(著:小川洋子)です。

-----内容-----
三週間ほど前から、わたしは奇妙な日記をつけ始めたーー。
春の訪れとともにはじまり、秋の淡い陽射しのなかで終わった、わたしたちのシュガータイム。
青春最後の日々を流れる透明な時間を描く、芥川賞作家の初めての長篇小説。

-----感想-----
主人公は「わたし」で、一人称の語りでした。
「わたし」は三週間ほど前から日記をつけていて、それぞれの日ごとに食べたものが書かれていました。
その食べたものの量が凄まじく多く、明らかに過食症のようになっていました。
「自分の食欲が普通でないと感じ始めた時、どれくらい普通でないかを確かめるために、食べた物をリストアップしてみた。それが、奇妙な日記の始まりだった。」とありました。

「わたし」は大学四年生とありました。
小説の背表紙にある内容紹介に「青春最後の日々」という言葉があったのでもう少し年を重ねていると思っていたのですが、意外にも若かったです。
そして大学四年生で早くも「青春最後の日々」になっているのは何だか寂しいなと思いました。
また過食症について、「どうして自分がこんなにたくさんのものを食べられるようになったのか、理由は全然分らなかった。自分では病気だという感じさえしなかった。」とありました。
さらに「体重でさえ、ベストの値から一グラムも増えていなかった。」とあり、これが意外でした。
大量に食べると太るのではと思ったのですが、増えない場合もあるようです。

3月の終わりのある日、弟の航平が引っ越してきます。
「わたし」が下宿先としてお世話になっている大家さんの家はとある神道宗教の教会です。
高校を卒業した航平は大学には行かずに、この大家さんのもとで神道の修行をするとのことでした。

「わたし」と航平は血のつながった姉弟ではなく、早くに母親を亡くし父親と二人暮らしだった「わたし」が11歳の時、8歳の航平が「新しいママ」に連れられて現れました。
新たな家族での生活が始まってしばらくすると航平が体が成長しなくなる病気になります。
病院の中庭にあるベンチに「わたし」と航平が座って話していた場面で、車椅子に乗った若い女の人が本を読んでいる描写がとても印象的でした。
かぎ針編みの膝掛けや、耳の後ろで髪を束ねた幅広のリボンや、本に目を落とすひっそりとした姿勢が、病院の中庭の風景にぴったりとはまり込んでいて一枚の絵のようだった。
最後の「一枚の絵のようだった」という言葉でこの場面が明るさと穏やかさと淡さが合わさったような雰囲気で浮かび上がってきて、やはり芥川賞を受賞した人なので良い表現をするなと思いました。

春休みが終わり、大学四年生の新学期が始まります。
真由子という友達との会話で「わたし」の名前が「かおる」と分かりました。
かおるが自身の過食症のような症状を打ち明けると、真由子は「異常だ」と言ったり深刻になったりはせず、朗らかに正面から受け止めてくれていました。
そして「今日はとことん、かおるに付き合ってあげる。かおると同じものを同じ量だけ一緒に食べてあげる。そうしたら何か、正体がつかめるかもしれない」と言っていました。
こんなふうに異常さを朗らかに受け止めてくれて付き合ってくれる友達がいるのは、かおるにとってとても嬉しいことだと思います。

かおるは吉田さんという同じ大学の大学院生と付き合っています。
夏の近づいたある日、真由子と彼氏の森君、かおる、吉田さん、航平の五人で大学野球のリーグ戦を見に行くことになります。
しかし吉田さんにトラブルが起こります。
そのトラブルは二度に渡ってかおるを不安にさせるものでした。

その後、かおると吉田さんが大学内でばったり合い、そのまま地下鉄に乗って出掛ける場面がありました。
そして地上に出た時の「地上には相変わらず強い陽射しが降り注ぎ、風景が半透明の黄色にすっぽり包まれたように見えた。」という描写が印象的でした。
たしかに陽射しが降り注いでいると風景が黄色がかって見えることがあり、その風景が思い浮かびました。
そしてこれを言葉にした感性が良いと思いました。

かおると航平の母親はよく、航平の体を心配する電話をかおるのほうにかけてきます。
航平には自分の心配を悟られたくないらしく、滅多に電話はしないです。
そして電話についてかおるは「母親からの電話はわたしを憂鬱にする。」と胸中で語っていました。
航平のそばにいるわたしに彼女の心配を肩代わりさせようとする。
かおるのこの言葉は凄く印象的でした。
母親としては一人で心配するのは嫌なのでかおるにも心配してほしくて、自分と同じ気持ちになってほしくて頻繁に電話をかけてくるのだと思います。
ただしその行為はかおるを憂鬱にしていて、憂鬱になりながらも母親の電話に付き合うかおるは大変だと思いました。

吉田さんとは大学野球のリーグ戦を見に行った日以来関係がおかしくなっていました。
かおると真由子がそのことについて話していて、かおるが「吉田さんは無言になることで何か重大なことをわたしに示そうとしているんじゃないかしら」と言うと、真由子は次のように言っていました。
「そんなのおかしいよ。お互いにちゃんと顔を見て、本当のことを話すべきだと思う。もし吉田さんが無言のままかおるに何かを伝えようとしているんなら、それはとってもずるいやり方だよ」
これはそのとおりだと思います。
付き合っているのですから、男女ともに「私は何も言っていない。相手が勝手に察知して解釈しただけだ」というやり方はずる過ぎると思います。
やがて秋になるとおかしくなっていた吉田さんとの関係に変化が訪れます。

かおるが過食症のような症状になった原因はどれなのだろうと考えてみました。
冒頭でかおるは原因の予想として結婚式の披露宴も行われるホテルでアルバイトを始めたことと、弟の引っ越しがあったことを挙げていました。
物語を読んでいくと、母親からの電話も影響している気がしました。
私的にはどれも決定的な原因ではなく、少しずつ影響しているくらいなのではと思います。
それがある時、あるタイミングでそれぞれの影響が普段よりやや大きくなった時、内面で何らかのバランスが崩れ、過食症のような症状になった気がします。

この小説は終わり方がとても良かったです。
「あの場面でのあれが、ここで使われるのか!」と驚き、さらには爽快な気分になりました
きっとかおるは過食症に別れを告げられると確信する終わり方で良かったです。


静かに淡々と、それでいてサーッと流れるように書かれた文章が印象的でした。
久しぶりに小川洋子さんの小説を読んでみて、文章が読みやすいと思いました。
またいずれ機会があれば他の作品を読んでみたいと思います


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清め茶屋 抹茶ときよめ餅

2017-04-22 15:36:56 | グルメ


名古屋の熱田神宮にある「清め茶屋」に再び行きました。
今回は「抹茶ときよめ餅のセット」を頼みました。
抹茶が飲みたかったので、熱田神宮に参拝して神聖な気分にもなれる「清め茶屋」は理想的だなと思いました。
今回の参拝は熱田神宮拝殿のみならず熱田神宮にある全ての神社に参拝しようと思い、約3時間ほどかけて写真を撮りながらゆっくり歩いてそれぞれの神社に参拝しました。
そしてその帰りに清め茶屋に寄りました。



こちらが抹茶ときよめ餅のセットです。
抹茶はやはりまったりとしていました。
表面の泡のきめが細かいなとも思いました。
ほのかな苦みとともにほのかな香ばしさもありました。
他のお店で飲んだ抹茶もほのかな香ばしさを感じたことがあり、緑茶も抹茶も茶葉から作られているのは同じなのですが抹茶のほうは香ばしさを感じることがあるのは興味深いです。
また、抹茶の専門家が煎じているわけではなさそうなので味は期待していなかったのですが、問題なくホッとひと息つける味わいで美味しく、手軽に抹茶を飲みたい時は十分良いのではと思いました。

きよめ餅はこし餡でした。
すごく滑らかなこし餡なのが印象的でした。
ほどよく甘く、この抹茶との相性が良かったです
餅は柔らかめで、滑らかなこし餡とよく合っていました。

やはり抹茶には和菓子がよく合うなと思います。
ほどよい甘さのきよめ餅と抹茶でひと息つき、熱田神宮内の様々な神社を散策してとても清らかになった気持ちの余韻に静かに浸ることができて良かったです。
きよめ餅以外に抹茶と生菓子のセットもあるので、いずれ機会があればそちらも頼んでみたいと思います

「ふくわらい」西加奈子

2017-04-21 20:32:57 | 小説


今回ご紹介するのは「ふくわらい」(著:西加奈子)です。

-----内容-----
暗闇での福笑いを唯一の趣味とする編集者の鳴木戸定。
愛情も友情も知らず不器用に生きる彼女は、愛を語る盲目の男性や、必死に自分を表現するレスラーとの触れ合いの中で、自分を包み込む愛すべき世界に気づいていく。
第1回河合隼雄物語賞受賞作。

-----感想-----
物語の主人公は鳴木戸定(なるきどさだ)。
定は4歳になったばかりの頃に初めて福笑いに触れて、面白さに引かれました。
冒頭からしばらくは定の生い立ちについて書かれていました。
福笑いに初めて触れるまでの定は物凄く静かでほとんど話すこともなかったとありました。

娯楽の種類が増えた今では、福笑いで熱心に遊ぶ人は減っていると思います。
私は最初に「福笑い」という言葉が出てきた時、どんな遊びだったか一瞬思い浮かばなかったです。
定が遊んでいる様子を見て「そんな遊びがあったな」と思い出しましたが、こんなふうに昔ながらの遊びが忘れられていくのかと思うと寂しくもありました。

定は25歳になり、出版社の文芸編集部で編集の仕事をしています。
福笑いは今も定にとってかけがえのないもので、福笑いとともに日々を生きているように見えます。
作家の男との打ち合わせでは、男の顔を見ながら眉毛を上のほうに動かしたり、唇を顎の先に置いてみたり目を左右に大きく引き離したりと、心の中で福笑い遊びをしていました。

編集の職場は電話が鳴ったり上司に呼び出されたり何かとうるさいため、原稿を持って社外の喫茶店に行ったり、原稿を家に持ち帰る人もいるとのことです。
しかし定だけはそのうるささを苦にしていないです。
意識をして耳に蓋をすると、周囲の音は消え、自分の耳内(じない)のどくどくと脈打つ音しか聞こえなくなるとありました。
定は、いつだってひとりになれるのだ。誰といても、どこにいても。
この言葉が印象的でした。
幼い頃から辺りを暗闇にして静寂の中で福笑いをしてきた定には、周りの全てを遮断して自分だけの世界を作る術が確立されていました。
定がその状態になっている時間は職場では「定時間」と呼ばれ、声をかけても全く反応してくれないことで有名です。

ある日、定は編集長から守口廃尊(ばいそん)というプロレスラーの担当を頼まれます。
本名は守口譲(ゆずる)、46歳で、定の出版社が出している「週刊事実」という雑誌でコラムの執筆を5年ほどしています。
そのコラムを書籍化することになり、定は「週刊事実」の雑誌編集者の若鍋という男から守口廃尊の担当を引き継ぎました。

定が5歳の時に母の多恵が病で亡くなり、そこからは父の栄蔵に育てられます。
栄蔵は冒険家のような紀行作家で、アラスカや北極、パタゴニアやメキシコなど、興味を持てば世界のどこにでも飛んで行き、ほとんど家にいないです。
定は5歳から栄蔵の亡くなる12歳の時まで、栄蔵に連れられ世界の様々な場所に行きました。
守口廃尊はかなり面倒な人物でその厄介さを若鍋から聞いたのですが、定は怯むところがなく凄く淡々としていて、その冷静さは幼い頃から世界の様々な場所を見て形作られていました。

守口廃尊と若鍋と定が新宿の喫茶店で会った時、守口廃尊は定の子供の頃の不気味な体験について無遠慮に聞いてきました。
紀行作家だった栄蔵は世界各国での様々な体験を本に書いていて、その体験にはかなり不気味なものもありました。
一緒に連れられていた定もその体験をしていました。
不気味な話題を無遠慮に聞いてくる守口廃尊に対し定は淡々と答えていて、そのあまりに淡々とした雰囲気はどこか異様でした。

その後、若鍋から守口の担当を引き継いだ定が守口と二人で会った時も守口が周りの迷惑を無視した話をし、定が淡々と合いの手を入れていました。
定の淡々とした受け答えはずれているため独特な面白さがありました。

定は相手の言葉に対しあまりにも真っ正面から向き合うところがあります。
担当している「之賀(これが)さいこ」という作家が締め切りを過ぎても原稿を寄越さないので定が催促のメールを送ります。
すると之賀さいこは「僕は雨音が気になり原稿に集中することができない。原稿が欲しいなら、この雨をやませて下さい」と返信してきました。
すると定は編集部のビルの屋上に行き、昔栄蔵と一緒に行った南米のある国で行われていた雨を止ませるための儀式をしていました。
できるだけ空に近い場所に行くために、屋上にある給水タンクの上に上って儀式を行う姿は本人はいたって真面目なのですが想像するとかなり面白くて笑ってしまいました。

ある日守口と新宿の喫茶店で話をした後、定がJR新宿駅に向かって歩いていると、武智次郎という盲目でイタリア人と日本人のハーフでラテン系の顔の男がパニックになっているのに遭遇します。
武智を落ち着かせて話を聞くと新宿御苑に行きたいから一緒に行ってくれないかとのことでした。
そして新宿御苑に行った帰りにはまた会いたいと言っていました。
この武智、本当に目が見えていないのか怪しいと思いました。
お調子者で強引で、どうにかして定とデートをしようと躍起になっていました。
ここでも定は淡々としていて、武智が強引にデートの流れに持って行こうとするのを凄く冷静にかわしているのが面白かったです。

編集部には定の一年後に入ってきた小暮しずくという新人の編集者がいます。
物語の途中まで小暮しずくは定のことを気味が悪く苦手に思っていたのですが、あるきっかけからよく話すようになりました。
「美しすぎる編集者」と呼ばれファッションモデルのような小暮しずくと、いつもだぼだぼのパンツスーツの定は対照的で性格も全然違うため、この二人がよく話すようになるのはとても意外でした。
そして小暮しずくが定につきまとう武智がどんな人物なのかを見極めると言って三人で会ったりもしていました。
いつの間にか定と小暮しずくは友達になっていて、定の人生の中で初めてできた友達でもあり、物語の序盤の定から大きく変化したなと思いました。

定は相手の言葉に対しあまりにも真っ正面から向き合うところがあるのですが、物語の後半では守口がその真っ正面さに深い感銘を受けて「天才だ」と言っている場面がありました。
また守口の次の言葉は印象的でした。
「羽生(はぶ)でもいいよ。ピカソでもいいし、マラドーナだっていい。誰だって思うんだ、そうなりたい、なれるって。でも気付くんだ、なれない。天才は生まれたときから天才だし、ずっと努力しつづけるから、どんどん差が開いちまうんだ。おいらたちは、少なくとも、おいらは、その差を分かった上で、もう猪木さんにはなれねぇって分かった上で、その世界を生きていかなくちゃならねぇ。自分なりの、個性っつうか、特においらたちの世界じゃ、キャラを作って、生きていかなくちゃならねぇ。」
そして守口は定のことを「猪木さん側の人間だと思うよ」と、「天才だ」と言ったのでした。
前の担当者の若鍋から「かなり面倒な人物」と言われ、煙たがられる守口のような人の言葉を苦もなく真っ正面から受け止められるのは定の才覚であり、たしかにこの点において天才だと思います。

「河合隼雄物語賞」として名前が使われている河合隼雄さんはかなり有名な臨床心理学者だった人で、私も著書を数冊ほど読んでいます。
「ふくわらい」には1ヶ所だけ河合隼雄さんの気配を感じる言葉があり、それは若鍋が守口廃尊の言葉を「郷愁ですねぇ」と一言にまとめて終わらせた時、「お前はよう、なんでも名前をつけて話を終わらそうとするなぁ。そらだめだよ」「郷愁って言っちまったら、もう、それは郷愁だ、て決まっちまうんだよ」と怒っていた場面でした。
河合隼雄さんは著書の中でよく「かといって、⚪⚪である、などと決めつけてしまうととんだ見当違いになる」というような表現をよくしていて、守口のこの言葉にはどことなく河合隼雄さんの表現と似たものを感じました。
また、小説の最後にある解説には河合隼雄物語賞について、『「物語である」ということを大切に考え、「人のこころを支えるような物語を作り出した優れた文芸作品」に与えられる賞』とありました。
定の相手を真っ正面から受け止める姿は守口廃尊や之賀さいこのような気難しく厄介な人物の心をしっかりと支えていて、読んでいるほうもそんな定の姿に感銘を受けたので、この賞に相応しいと思いました。


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茶カフェ 深緑茶房

2017-04-18 23:07:21 | グルメ


先日名古屋にある「茶カフェ 深緑茶房」という日本茶のカフェに行きました。
伊勢茶の本場、三重県松阪市のお茶農家直営のお店とのことです。

抹茶ラテなども興味深かったのですが、初めて訪れた今回はせっかくなのでお茶そのものを楽しんでみようと思い、「伊勢深蒸し茶」を注文しました。
「伊勢深蒸し茶」にも味の種類があり好きなのを選べます。
私は「さえみどり」という気節限定の、この時期だけのお茶にしてみました。



やがて写真のお茶セットが運ばれてきました。
カップに入っているこのお茶の美味さを引き出すための適温60度のお湯を急須に入れて砂時計をセットし、1分30秒待ちます。
そして湯飲みにお茶を注ぎました。
このお茶の解説には「まろやかで上品な甘みがあり、鮮やかな深緑色の映えるお茶です。」と書いてありました。

飲んでみると、本当に甘みがありました。
飲んだ瞬間はドスッと突いてくるような鋭い飲み口で、そこで甘さを主張していました。
そして最初の鋭い甘みがあった後、その甘みがふわりと溶けていき、お茶の渋味もほのかに広がるという飲み口でした。

この一煎目を飲み終わると二煎目以降のためにポットでお湯を持ってきてくれました。
そして「二煎目」と「三煎目以降」それぞれに飲み方の解説がありました。

二煎目はポットのお湯をカップの六分目くらいまで注いだら30秒ほど待ってから急須に注ぎます。
一煎目によって茶葉からお茶の味が出やすくなっているので、今回は1分30秒待つ必要はなくすぐに湯飲みに注ぎました。
ポットのお湯は一煎目の60度よりも結構高かったと思います。
三煎目以降はポットのお湯をそのまま急須に注ぎ、すぐに湯飲みにお茶を注ぐようになります。

三煎目になると飲んだ直後に鋭く主張してくる甘みはなくなり、滑らかな飲み口になりました。
そして四煎目になると三煎目の滑らかな飲み口がさらにさっぱりとし、だいぶ薄味になった気がしました。
この「さえみどり」の甘さの特徴がよく出るのはやはり一煎目や二煎目だなと思います。

今回は手違いによりお菓子を頼みそびれたため、お茶だけになりました。
しかしそのおかげで「伊勢深蒸し茶」の「さえみどり」という緑茶をじっくりと味わうことができました。
静かにゆったりと緑茶を飲み、気を休めることができました。
日本茶のカフェは珍しくて味も美味しかったのでまたいずれ行ってみたいと思います

立ち上がるのが大儀

2017-04-17 22:05:06 | ウェブ日記
最近、家に帰ってきて一度腰を下ろすと、もう一度立ち上がるのが物凄く大儀に感じます
「よっこらしょ」という言葉が出そうなくらいのしんどさです。
足も肩も、鉛でも付いているのではというくらい重く感じます。
重力が大幅に増えたような気もし、とにかく座った状態から立ち上がるのがスパッと身軽にとはいかないです。
何だか腰を下ろす時でさえ大儀に感じるくらいです。

こんなに体が重いと、活発に動く気力もなくなってきます。
元々はそれほど苦もなく長い距離を歩いていたのがここ最近は結構苦になるので、無駄な歩数を避けたいと思っています。
そしてなるべくよく寝ることを意識しています。
10代の疲れ知らずだった頃とは違い体が疲れやすくなり疲れも取れずらくなってくるので、意識して体を労ってあげたほうが良いのだろうと思います。

今日も早めに寝ようと思います。
せっかく初夏の陽気になってきたので、体を軽くして晴れた週末は外を散歩したいです
体調管理に気をつけ、身軽な体を復活させたいと思います