Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「創画会ゆかりの画家たち」展

2016年10月01日 12時32分42秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 平塚市美術館で「創画会ゆかりの画家たち」展を見る機会をえた。チラシなどに展示の趣旨が述べられている。

 湘南地域は、温暖な気候や交通の利便性により近代以降多くの芸術家が移り住みました。戦後は山本丘人や工藤甲人ら創画会の中心的な画家が居を構え、旺盛な制作活動を展開します。
 創画会のルーツは、戦後まもない1948 年にさかのぼります。敗戦により既存の美的価値観が揺らぐ中で、日本画存亡の危機感を背景に東京と京都の若手の画家たちによって組織されたのが在野の美術団体・創造美術でした。西洋の近代、同時代美術を参照しながら新しい日本画の創出を目指した同団体は、新制作協会日本画部を経て、1974 年に創画会へと体制を変更しながらも、一貫して在野の立場を保ちつつ日本画の新傾向をリードして、その存在感を示しています。
 湘南の創画会ゆかりの画家として本展で取り上げるのは、創造美術設立時からの中心作家・山本丘人(1900-1986)、第二世代の工藤甲人(1915-2011)、堀文子(1918 生)、近藤弘明(1924-2015)、加山又造(1927-2004)、第三世代の伊藤彬(1940 生)、中野嘉之(1946 生)、内田あぐり(1949 生)、山本直彰(1950 生)のほか、第四世代の斉藤典彦(1957 生)です。
 現在活躍中の画家たちは、既に創画会を退会し、各自の道を歩んでいますが、その進取果敢な制作は、創画会の日本画革新の精神を受け継いでいます。
 本展では、創設以来約70 年にわたり日本画を牽引してきた湘南ゆかりの創画会10 人の画家たちの作品約40 点により、時代のうつろいとともに変化し続ける日本画のありようをご紹介します。




 創画会という団体名は恥ずかしながら初めて耳にした。私の名前を知っていたり作品を見たことのある画家は、山本丘人、工藤甲人、加山又造、内田あぐり。そのうちよく目にするのは加山又造と内田あぐり。
 会場を見て回って、わたしの感覚からブラスも疑問も含めて目についたついた作品、惹かれた作品、立ちどまった作品は、
工藤甲人「樹木のうた」(チラシ裏面2)、近藤弘明「幻光-御感の藤-」、中野嘉之「流雲Ⅱ」、内田あぐり「生の空間」(チラシ裏面3)、山本直彰「IKAROS」
の5点。
 「樹木のうた」は1956年の作品。この作品は面白いと思った。木の切り株や断面に人の顔を見てしまう、樹の並びが群衆のように見えてしまうという心象は、表現の契機としてはありふれたものかもしれないがわたしには重いもののような気がしている。後の時代の作品からはその意識に継続してこだわる心性が消え、画面の色彩のあり方に力点が移動しているように感じた。数少ない展示なので誤解であってほしい。
 「幻光-御感の藤-」は題名、それも副題を見て敬遠したくなったが、それではまずいと思い直して取り上げた。1987年という時代から考えて色彩の冒険としては遅いのかもしれない。とは思いながらも藤の花をこれだけ赤い夕陽か朝日の中で描いた感性に惹かれた。
 「生の空間」は以前にも見た記憶がある。横浜美術館所蔵で展示されている2つの対照的な作品とあわせて3点しか見ていないが、いつも気にはなる作品である。もっと作品を見てから何かを書いてみたいという思いがいつもする。女性の表情に何を読み取ったらいいのか、といつも?が続く作家である。
 「IKAROS」はイカロスが太陽に焼かれて落下する様を描いているが、日本画が時代性や社会性が希薄だとして、ではどうしてイカロスの落下していく地上にコンビナートを思わせる工場を描いてそれが克服できるのか、日本画革新になるのか、疑問。技法上のことはわからないが、問題意識の在りように疑問を感じた。わたしと同年代でかつ1986年36歳の作品ということで、自分と重ね合わせて寂しい思いがした。


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