Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

夢の話

2009年10月31日 11時20分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
夕べは久しぶりに家で夕食を食べ、風呂にも入らず10時前に就寝。朝5時にいったん目が覚め、小用に立ち、その後8時までまた寝た。ようやく人心地が‥。

 しかし変な夢を見た。夢なんてほとんど記憶に無いのに。夢は誰でも見ているとのことだが、私はほとんど記憶したことがない。繰り返し見てかすかに記憶している夢は、いつまでも追いかけ続けて追いつけない不安につながる夢だった。
 20代始めまでたまに見る夢はつぎのようなものだったと思う。いまでは細部は覚えていないが、抽象的なカラフルな正方形や正三角形や正円が奇妙に組み合わさり、出現したり消滅しながら場面全体が疾風していく。なのに画面の中のかすかな動きの先がどうしてもあるところに届かない。そんな夢だ。そのほかにも達成感がなく、追いかけられるように逃げ回ったり、ある事象にたどり着かない未達感が寝覚めまで続き、不快な目覚めを迎えた。
 最近では年に数回しか「見た」記憶がない。
 夕べは、遠くに住む人と久しぶりに会うのに中間点の少し私の方に近いところで待ち合わせした。そこに30分ほど早くついてみたものの、薄いTシャツにと短パン、しかもTシャツはカレーの染みが付いていて汚れている。それを拭っているうちに、無性に眠くなり、同時に雨が降り始めた。その雨の音を聞きながらどういうわけか「やむをえない」と判断して我が家のそばの駅に戻ってきて、ホームのベンチで寝てしまう。
 約束の時間から5時間以上も経ってから目が覚めた。携帯を見ると待ち合わせた人から17件もの着信履歴。この5時間と17件というのが妙に具体的だ。こちらからかけなおすと、その人の怒りにまかせた大きな声が飛び込んできた。私はいろいろ言い訳を考えたものの、どういっても弁解はできないな、と思っているうちに目が覚めた。
 昔の夢のように達成感が欠如したことへの不安・不満が尾を引くでもなく、なんとなく素直に朝の日差しを受け入れて、小用に立った。

 夢を覚えているなんて、これは私にはとても珍しい現象。さてどんなおつげなのだろう。
 朝食後朝風呂で、夢のことは珍しいので書き留めることを決めた。

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ちょっと危機的な‥

2009年10月28日 23時57分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
毎日毎日23時過ぎの帰宅、ダウンしてしまいそうな、過労死にでもなってしまいそうな予感。
仕事に追われているうちに、自分を見失うと余計に体がしんどくなる。自分の思いや趣味が遠くにかすんで手が届かなくなると、気持ちの張りが一挙に脆くなる、弾性がなくなり、気持ちの切り替えも、余裕もなくなる。
肉体的に過酷な労働、よりも長時間の緊張、仕事の絶え間ない連続が、身にこたえる。特に50歳の声を聞いて以降、顕著な傾向だ。こういう風な弱気も、そんな症状の一つだと思う。
気分転換、これは人の助けも必要になる。思い切って職場と仕事から3時間でも4時間でもいいから切れて見る必要がある。仕事以外のことをあれこれ思うことが必要でもある。身近なところの景観の再発見でもいいかもしれない。そんなことを期待したい。
でもこんなSOSを発している人間に付き合ってくれる奇特な方はいるのだろうか?
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本日の購入本

2009年10月23日 22時39分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
本日の購入本
 ある晴れた日に(加藤周一 岩波現代文庫)
 宇宙誌(松井孝典 岩波現代文庫)
 歌の話・歌の円寂する時他二編(折口信夫 岩波文庫)
 建礼門院右京大夫集(糸賀きみ江訳注 講談社学術文庫)
定期購読到着
 月間俳句界11月号

 久しぶりに本屋へ。岩波の出版日だったようだ。文庫売場で手がでるまま購入。その間わずか3~4分。こういうのを衝動買いというのは間違いない。
 俳句もまた再開したいがなかなかきっかけがつかめない。やはり自分に課す強制がなければきっかけはなかなか。メモ帖は持参しているが。季節の移ろいに着目する力は一気になくなってしまう。どこかの結社を探して入会申し込みをしてしまうのも近道なのだろう。
 もう少し踏ん切りをつけてから‥‥。
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「大・開港展」(横浜美術館)と「皇室の名宝」展(国立博物館)

2009年10月18日 22時16分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日は「大・開港展」、本日は「名宝展」に行って来た。
 昨日の横浜美術館は空いてた。「開国博」(この命名もずいぶんと尊大と思う。日本第一の都市であることの見栄と中田前市長の思い上がりが透けて見える。たとえば函館市が「開国博」といったら他の都市からブーイングがでるはず)の終了後で、市長も副市長も赤字の責任逃れでさっさと辞任という名のトンズラ逃亡で市民はしらけきっている。また底の浅い「開国博」見に行く人が少ないのは当然であろう。
 さて「大・開港展」は展示そのものは開港当時から原三渓までの美術・工芸・写真などで構成され、その方面からの開港とともに歩んだ横浜の側面を扱っている。
 「名宝展」と共通したのは、明治前期の工芸輸出品。明らかに「名宝展」の方が当時のすばらしい工芸品が展示されていた。しかし皇室「お買い上げ」品との落差は歴然。それでも金沢銅器株式会社の製品、陶磁器(香山など)小さいながら唸らされる物がいくつもあった。これらの工芸品、輸出されてしまって日本にはあまり残っていないようだが、キチンと再評価されるべきものと思われた。作者も作品も。作者の名が一般には知られていないのも不思議だ。
 経済・産業・社会・政治、建築・土木、教育、スポーツ、新聞等の出版など近代史のあらゆる側面から、開港を見直す良い機会だったが、残念ながら美術館以外は大きな展示とはならなかったと記憶する。「開国博」の企画者(中田前市長)のそもそもの限界であろう。金にならないからすべてばっさりと持ち込み企画は捨てられたと理解するのが間違いなさそう。
 本日の「名宝展」、今日は館外にまでは入場者は並ばなかったものの、会場内はかなり混雑。その中で二つの軸を感じた。若冲・応挙・抱一、そして「大・開港展」との共通である明治前期の工芸。
 妻も「若冲まで来て足が止まった」との感想。あの動植彩絵の30枚、人が息を呑んで固まっていた。だからじっくりと見ることはでき無かったのは残念。カタログでは大きさが違うので迫力は今ひとつ。
 今もあの色彩が劣化していないように見える。丁寧な仕上げと良好な保存によるのであろう。鳥、しかも大型の鳥は若冲の真骨頂。私は蛸が中心に描かれた魚も好きだ。ちょっとユーモラスで、違う魚がみな同じ向きで泳いでいるなど大型の鳥の迫力とは違う不思議な感覚がある。
 そして二つ目の軸の明治初期の工芸。その大きさ・緻密さに目を奪われた。
特に陶磁器。大きさ・緻密さ・彩色・デザインなど圧倒される。陶磁器の価値は良くわからないことだらけだ。たとえば色の工夫、造形の困難さなどわからない。わからないとも私はその存在感に感銘を受けた。輸出品として当時のヨーロッパの東洋熱にも助けられ、外貨獲得に大変な貢献をしたのだろうことは創造できる。「大・開港展」との共通の作者や製作会社名があった。
 しかし昭和天皇の大礼での鏑木清方の「賛春」まで下ってくると、芸術・美術として悲惨そのものではないだろうか。日本画の基本的な知識はない私だが、太平洋戦争中の「戦争画」は近年、見直し再評価がされている。戦争迎合といって切り捨ててしまうには惜しい技法上の工夫、画家個人の個人的な歴史的な展開からなどの点からの再評価と聞いたことがある。しかしこの「賛春」で隅田川の水上生活者と上流階級の女学生の「対比」、果たして対比となりうる素材なくだろうか。あまりに安直な対比ではなかろうか、しかも焦点の定まらないボカシ。カタログの解説では鏑木清方は「中層以下の階層の生活に惹かれる」と言うことだったが、果たして‥。あまりに表面的で迎合的な絵だし、細部へのこだわりも感じられず、この人の絵は今後は見たくなくなる予感。昭和に近くなるほど「お買い上げ品」の迫力はなくなってくる。
 もうひとつの感想。めったに音声ガイドは利用しないが、今回加賀美幸子元NHKアナウンサーの音声とあって、「これなら落ち着いて聞ける」と利用した。私の耳には心地よい発声とテンポと音域でうれしかった。だが、あの最初の展覧会の口上での皇室礼賛にはまいった。過剰と私には思われる敬語と皇室礼賛。彼女の所為ではなく、企画者・原稿の問題ではあろうが、気持ちがずいぶんとなえたことは確かだ。
 そう、唐突だが私は皇室という言葉を支えている現在の憲法上の「天皇制」は拒否したいし、政治的な役割はきれいに洗い流してもらいたいと考えている。私は何しろ「憲法」から天皇条項がなくなることが先決と考えている。今後の天皇家の処遇については、具体的な構想・イメージは無いが‥。
 あくまで一国民としての義務を負い、と権利を行使する人となってほしい。明治以降「お買い上げ」とは云え、召し上げ続けた優れた美術・工芸品の管理者・展示者として民間人にしたほうが余程良いと思う。江戸時代以前は、すべて国家管理として召し上げるのが当たり前。当然すべての陵墓も。召し上げたものはできる限り頻繁に国民の目に触れるよう、あるいは学術調査の利便を高める方向で展示すべきであろう。
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公共工事の見直し

2009年10月17日 10時56分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 政治がワイドショー化、芸能化して、政治家がタレント化している。何を勘違いしてかタレントが政治家へ転進を図っている。能力のあるなしが転進してから判断されるというのも、選挙のワイドショー化の弊害である。選挙で当選してから、政治能力も倫理も理念もなく、公務員の組織を動かす能力が欠如しているとわかっても、取り替えるのは容易ではない。
 確かに政治を身近になり、それなりに透明になったことは否定しない。悪いことではない。しかし今は身近を通り越して「卑近」と言ったほうが正しい表現だ。このことで起きているのは、語られる政策や政治理念の軽薄化、票の付和雷同化・人気投票化であり、民主主義の危機的な様相と感じる。
 そしてどうしても鼻持ちならないマスコミ(新聞・テレビ・ラジオ・週刊誌等)の定見の欠如した「正義づら」には暗澹たる思いがつのる。
 単年度では終わらない大規模な施設工事。自民党政権時代に計画された諸大規模公共工事が「工事のための工事」であったり、反射利益の想定が一面的で総合的ではない面があまりに多かったことは明らかだ。道路・ダム・空港だけが「悪」の代名詞のようになっているが、それらの再評価、再検討、規模の拡大・縮小、進捗の低減化など方策はいろいろある。一番の無駄は途中で投げ出すこと。空中に浮かんだ橋脚、つながらないトンネル、船の来ない港湾、飛行機の来ない空港ほど摩訶不思議な光景と無駄はない。
 マスコミでは施設が出来上がれば「バンザイ」記事を書き、報道し、閑古鳥が鳴けば「無駄な投資」と正反対の特集をし、過去の報道には反省の弁は100パーセント無い。その時々の「民意」が「正」であれば、過去には触れないのが、マスコミの正義であるようだ。「客観報道」は報道姿勢を戒めるものでなければならない。
 どんな公共工事も当然、計画時の必要性があったと思われる。当然政治的な思惑というものも含めて。それが常に見直されずに突き進むことに大きな問題があったはずだ。また予測不能な社会情勢の変化が著しい場合も当然ある。計画性の一面的な評価を時間の経過とともに多面的に見直す方途がなければならない。地元の意向を十分に踏まえたものとして。
 環境影響評価だけがクローズアップされているが、経済面・社会面からの影響評価の方法も確立されてしかるべきであろう。
 計画途中で止まった無駄の象徴のようなトンネルや橋梁、途中で通行止めになってしまっている高規格道路‥これほどの無駄はない。だが、この映像を写して「無駄」と決め、実行した部署を追及しても解決にはならない。計画の立案時の妥当性と時代に応じた見直しの経過を明らかにさせ、当然の維持管理費の見通しの妥当性を試算し、やめるならばどのようなやめ方がいいのか、事業収束の着地点、既存完成部分の活用方策の検討の有無、地元の意向、今後の方策等々を総合的に明らかにさせる報道をしなければ、それこそ無駄で無責任で扇動的な報道でしかない。
 八ッ場ダムが俎上に上がっている。歴史の長い工事だけあって、当初から強権的に有無を言わさず、地域の声を聞かずに進めてきたようだ。長年の経過の中で地元の分裂、過疎化、地域の経済や社会の沈滞が進んでいる。年数を経た軋轢は、地域が沈滞している現在は、強引な手法で元に戻しても復元力は持ち合わせていないであろう。残っているものにとっては更なる地獄を強いることになる可能性が大であろう。掛け違ったボタンは時間をかけて解きほぐさなければ、さらなる軋轢と恨みと傷を残すだけだ。
 これに対して「マニュフェストにあるから」という論理を本当に大臣がいっているならそれはあまりに強引である。「出し続けた金を返せ」とわめく知事もみっともない。無駄といわれだした時点で計画の妥当性を国に問いただしてこなかった自らの責任を放棄している。無責任知事石原の真骨頂である。こんなのに付き合って「全額返済」といったとしたら大臣も問題だ。自民党政権の時代の付けをこれから将来にわたって返済しなければならなくなる。太平洋戦争は終了し、政権が変わったのであるし、すでに国家間の損害賠償は決着済みであるとして、そこから漏れたアジアの人々への謝罪と保障を否定する石原が「全額返済」をいうのもまったく筋が通らない。だが「金」で突っ張れば自らの人気には傷はつかない。
 良い方向での政権交代による政策の見直しをいうならば、政策決定の透明化と地元との真摯な話し合いを前提とした個別政策の実行という回路をキチンとつけるべきだ。計画の実施も、見直しも、中止も、今後の地域のあり方を総合的に判断する方向で、地元との真摯な議論することをしないで決めることはできないはずだ。これまでつぎ込んだ金額の整理もその時点で道筋をつける必要があるし、おのずと見えてくるはずだ。
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予防接種

2009年10月16日 23時56分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 日記風の記述が続くが、決して手抜きではなく、生々しい論考・挨拶文は書いている。ブログに転載するのは差し障りもありそうで遠慮中。他のブログに投稿予定。
 さて、本日は休暇を取って9時から隔週定例の通院。いつもは4~5人待ちなのに10人待ち。10時半までかかった。一人当たり7~8分の診療。個人病院としてはこの位か。看護士1人、看護助士(あるいは薬剤師か?)1人、事務1人、医師1人の4人で結構かなりあわただしかった。どうも地元の工務店の健康診断も行っていた様子で、3~4人はそれに該当するらしいと、会計時に思い当たった。個人病院としては大事な営業なのであろう。
 血圧の薬の副作用で、空咳と下痢がつらいので薬を変えてもらう。時節柄、空咳は、電車内や喫茶店、居酒屋でも冷たい視線を浴びてしまう。
 ついでに受けた通常型インフルエンザの予防接種は3150円也。
 そして1000円の理髪店へ。「10分で1000円」のうたい文句でも、髪が少ないためか、手抜きなのか5分で終わるのが悲しい。
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読了

2009年10月15日 23時46分54秒 | 読書
本日の読了
「道長と宮廷社会」(大津透 講談社学術文庫 日本の歴史06)
読み終わるまでずいぶんと時間がかかってしまった。この時代の経済的な分析の志向については新味があるものの、もっと詳細な論の展開を期待したが、入門書としての性格もあり、無理な期待だったかもしれない。しかし道長が決して恣意だけでその力を手中にしたのではなく、王朝の政治制度への的確な理解と扱いが多くの貴族の支持を受け、その結果としての力の獲得であったことは、あらためて再認識できた。


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秋の連休、日記風に‥

2009年10月12日 22時05分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 同じ団地でお互いの娘が同年齢の関係で、和やかな挨拶を続けたていただいた方がなくなった。65歳。癌とは聞いていたが、早い死であった。土曜日の葬儀に妻・娘と参列。娘さんがずいぶんとしっかりした振る舞いを見せていて感心した。
 経歴を聞いてビックリ、子供の頃は仙台にかつて住んでおられたようだ。大学は別だが、学科が同じであった。北大物理学科と聞いて二度ビックリ。

パソコンの具合が悪かったので、とりあえずマウスを取り替えてみた。3980円。ところが劇的に改善。USBの読み取りもキチンとできるし、すべて直った。
つかっていたマウスはたった1年半で壊れたことになる。「マイクロソフト」のトレードマークが打ち込まれたマウスだったが、不良品をつかまされたようで、とても不愉快な気分。それだけ使用頻度が激しかったというのだろうか。決して乱暴な扱いはしていなかったと思うが…。

 本日は秋の好天の中、地図上では17kmのウォーキング。途中で昼食(蕎麦+日本酒1合)、サウナ付き銭湯2時間+ターミナル駅までの往復。いつもの万歩計では22.600歩。
 夜は団地の管理組合のお手伝いの会合。

 本日の購入図書 萬葉集釋注(伊藤博 集英社文庫)10冊の内未購入分7冊
 特に気に入った注や訳というわけではないが、大冊の岩波・小学館のものより手元に置くために購入。7冊合計7700円は少々値が張った。
 大伴家持と紀郎女(きのいらつめ)との相聞について「家持にとって年たけた姉のような人で、家族ぐるみで交わった女性」との断定は、うなづける指摘だ。他の解説ではかなり年上の女性との相聞としてそのままの解釈が多いようで、良く読み取っていると思われる。
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パソコン何となく不具合

2009年10月11日 11時16分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
ウィルスバスター2010を入れたらどうもパソコンの動きがおかしい。マウスが時々使えなくなる、USBメモリーの一つが突然開いてしまう、IMEが突然かな変換からカナ変換になってしまう。光学式のマウスの方が止まる時間が長い。
 職場では別のソフトだったがやはりファイヤーウォールがパソコンを頻繁に動かなくしてしまう。最近はその弊害がなくなってホッとしていた。今度は我が家のパソコンでも同じような状態になった。
 ウィルスバスターの所為なのか、他に原因があるのかわからないが、快適に動いていると突然作動しなくなるのは、思考が強引に止められるようで困る。
 最近はすっかりパソコンがないと思考は働かない。昔は鉛筆を持ち字を書きながら思考していたが、今やキーボード上の指の動きにあわせて思考している。
 最近の若い人は携帯電話のキーで思考しているのかもしれない。
 私は、鉛筆を持つ筋肉がすっかり退化したようで、鉛筆を持つと指が疲れる。同時に字がかけなくなった。漢字が出てこないのだ。偏と旁が逆になったり、偏のあと旁が思い浮かばなくなったり‥。私は小学校1~3年まで、とても優れた担任の先生のおかげで、漢字についてはずいぶんと理解をしたつもりだ。書く字は下手だが、漢字はよく覚えている。だからこんなにも書けなくなるとは想像もしていなかった。
 そのかわりキーボードをたたく指の速度はますます速くなった。
 ワープロ時代にローマ字変換ではなくかな変換でキーボードをブラインドタッチできるように一生懸命覚えた。おかげで9割以上の人がローマ字変換だが、打つ速度はかな一つにキー一つなこともあり、他の人に比べると極めて早く打てるようにはなった。
 かな変換はごく小数派なので、パソコンを共用している場合、変換方式をローマ字変換に戻さないと後から使う人に文句を言われる。私からすると同等の価値があるのだから、お互いに変更するのが筋だとは思っている。
 しかし実際のところはマイノリティーの悲哀を味わっている。
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危機管理

2009年10月09日 23時08分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 台風の日、通勤電車がストップした。前日は人身事故で湘南新宿ライン・横須賀線・東海道線がとまり、連動して京浜東北線まで。この時は6時台の事故で、すでにテレビでも報道されてはそれでも入場制限で大混雑。
 台風の日は学校が休校になっていて、前日に比べて混雑は少なかったが、JRはストップ。東急・京急も多摩川を越えられなくて珍しく止まった。特に京急が止まるのは珍しかった。
 JRが安全性確保から早めに止まったことに、新聞では不満をもらす利用者の声を取り上げたものがあったらしい。私の周囲では耳にしなかったが‥。
 この事態に対する評価は、友達ブログ(ブックマークした「時には本の話でも…」の「台風の後で…」)で私の思いとまったく同じ感想が的確に書かれていた。
 人は状況にすぐなれ、その状況をもたらした背景はすぐに忘れてしまう。あるいはその背景を思い出そうとしたり、探ろうとする努力・思考力を放棄する。利用者の不満に抗し切れなくてJRが無理をして事故につながれば、自分の不満は棚に上げて、JRの責任追及の側に立とうとする。これでは不幸の連鎖でしかない。
 年寄りの小言かもしれないが、危険に遭遇したときに自己防衛をしようとしなかったり、そのことを免罪して他者への責任追及に走ってしまう風潮には違和感を持っている。もっとも自己責任で回避する努力で済む場合と、それでは回避できない
場合は分けなければならないことは当然だが‥。
 首都圏では、怖いと思う私鉄の路線がいくつもある。特に目立つ私鉄もあるが、駅員が極めて少ない。その私鉄路線では、主要駅のホームの安全確認は、ホームに待機中の普通電車の車掌だけである。さすがにラッシュ時だけはそれだけではないようだが‥。
 最近は各私鉄とも人件費削減のためか、駅員が少ない。危機管理の基本は人であることを考えると、さらにJRが止まっているのに私鉄が何事もないように電車が走っていることに違和感をもたないと、いずれは私鉄で大きな事故がおきるような気がする。「JRが早めに運転をやめたから、私鉄に人が多く詰め掛けて事故が起きた。よって私鉄に責任はない」という議論が起きないことを願いたい。
 
 
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台風18号

2009年10月08日 23時20分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 雨の音を聞くというのはとても心が休まる。小学校に入るよりも前、当時住んでいた家の南側の縁側に面したガラス戸越しに、庭に降る雨を飽きもせず見入っていた。水はけが悪く水がよくたまっていた。山吹の濃い黄色の花がその水溜りに垂れるように咲いていた。
 もう使われていない井戸のコンクリート製の円筒形の枠にかけられた丸い板の蓋にも水がたまっていた。気がつくと、焦げ茶色の板塀が雨に完全にぬれ、いつの間にか滴がたれるまでになっていた。
 聞こえないはずだが、小さな山吹の花や葉に当たる雨の不規則な音が聞こえていた。屋根の樋から洩れ落ちる水の音とは別の音のように聞こえた。
 庭の水溜りの波紋も見飽きなかった。
 自然というのは不思議なもので、時間や距離の尺度によって、同じ現象も規則的に見えたり不規則に感じたりする。1年365日を、1日ずつ並べても同じ1日は繰り返すことはない。しかしこれを10年並べれば、365日の繰り返しが10回並ぶ。どの1月1日も10回とも違う1月1日である。30年、同じ仕事を続けてみれば、30年同じ日々を繰り返したと思うときと、違う1年が30回続けたように思うときもある。
 庭の水溜りに絶え間なく繰り返す波紋も、同じ波紋が複雑であっても規則的な繰り返しで生じるように見えるときもあるが、不規則の連鎖で生じるようにも見えて、飽きることはなかった。
 不思議なもので、規則的なものはすぐにあきる。不規則なものの連続は、聞いても見ても飽きることがない。
 台風18号の雨、7日の夜から降り始めて8日の午前中まで続いた。8日の朝からは風が強くなったが、それまでは風の音よりも雨の音が一晩中勝っていた。それを心地よく聞いていた。かなり激しい雨であったが、私の住んでいる団地は冠水することも、がけ崩れになることもない地形である。鉄筋コンクリート住宅という安心感もあり、台風の雨の音であっても心が緩やかになったような気分を味わい続けた。
 もともと動物には水の音に対しては親和と恐怖とが混ざった感情があるのだろう。原初の動物の発生に始まったかすかな記憶とともに。緩やかな音には同調する安心感があり、ある一定以上の速さを持つ流れの音は身の危険を知らせる警報音へと、身体の認知が瞬時に変異する。
 鉄筋コンクリートの壁も40数年人が住み続ければ、無機質な物体から変化して、危険の予知を緩和してくれる衣をかぶるようになるのかもしれない。激しい水の動きをもたらす危険な兆候、ぎすぎすした振動音を滑らかな音に変えてくれているようにも思える。
 迷走台風17号はルソン島北部を幾度も行き来し、台湾に大量の雨をふらせたようで、迷惑この上ない台風であろう。台風には意識はないが‥。台風18号は大型の割には被害が少なかった。なくなった方には申し訳ないと思いつつ、17号と18号が持つ性質があたかもそれぞれの人格のように見えるのも不思議だ。人間は、自然というものを人格ある人間のようだと認知している。
 私が台風についてこんなことを感じたのは、30数年ぶりでもある。就職して以来、台風・大雨・降雪のたびにひたすら災害対応に追われて、こんな余裕はなかった。もうそろそろ年齢的にもこれは卒業して、次の世代に引き継がなければならない。口出しせずに任せてしまうことも必要。ここ2年、大きな災害は私の町では発生していないこともあり、これまでとは違って、台風も大雨も我が家で、受身でやり過ごすことにしている。
 2年目だから気持ちにゆとりができてきたのだろう。去年はそれなりにやきもきしたり、俺だったらこうしたのに、などという思いが翌日あったが、今年はずいぶんとちがう。60の定年までの後2年半、どのように気持ちは変化していくのだう。
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満月の夜に‥

2009年10月04日 23時51分29秒 | 読書
本日、一日遅れの中秋の名月を見ながらこんなことを思った。
「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」
 これは藤原道長の栄華の極まり、得意の絶頂から生まれ、驕りの極みの歌、と教わった。確か中学生の頃の日本史の時間だったと思う。
 しかし当時天文少年でもあった私はこう解釈した。「満月といってもよく見ると向かって右下あたりはくっきりとしていない。明暗もある。丸い銅鏡のような明確な輪郭線はない。だから、満月は決して完全な円ではない。道長はこのことを歌っているのではないか。独裁的な権力を握っている絶頂期の得意満面の歌、というよりは、『何事も完全に自分の思うようにはならない。多少の欠けたところ、不満があっても満足するべきではないのか』という自戒の歌ではないか」と、感じた。
 もともと一ひねりしたい少年期でもあったし、素直に教師の言うことはストンと了解できなかった。
 後にこれが「一家立三后」という後一条天皇への三女の威子の立后の時の祝宴の時に披露され、実資は和すことをかろうじて断ったが、居並ぶ諸公卿が幾度も詠わされたという「小右記」の記事があることは後に知った。この記事が事実か否かはわからないが、この記事を知ったあとも、現在まで私は当初のとおり解釈している。
 確かにずうずうしい、押しの強さを感じるが、しかし一門の栄華と、その栄華の集団に擦り寄る人々に対して、「お前らの地位や欲を全部満足なんかさせられないぜ、ほどぼどでよしとすることも少しは考えろ」という意味で「唱和」させたのかもしれない、と今でも思う。
 道長という人物、豪胆・ずうずうしさだけで権力を握ったのではないことはその日記を読めばなんとなく推察できる。他の者を凌駕する行動力と、実務にひたすら邁進する能力があったようだ。
 当時の貴族、摂政・関白、左右大臣だけですべて決することができたわけではなさそうで、公卿詮議はずいぶんと綿密に行われたようだ。叔父にあたる先輩公卿の無能、甥どもの無鉄砲・無能を突いて利用してきたが、行成はじめ実務的な有能貴族の手なづけ、実資の利用など実務的な面はかなり気を配っている。また伊周・隆家も最後は許し、手なづけ、刀伊の来寇では隆家の活躍を引き出している。
 それが第一権力者の必須の条件ではあろう。自己の意思をどのようにこなして実現するか、常にそのこなし方に気を配り続けた「配慮と気配り」の人であり、「手なづけの達人」でもあったことは確かだと思う。
 気配りによる意志の貫徹。これを権謀術数というのかどうかはわからないが、当時の政治の意思決定の実際を踏まえないと、「独裁」「専制」「強権」とはどのようなものだったか、強権あるいは独裁、専制ということばが独り歩きしてしまう。 
 もっともその気配りを通して得た人望の果てに、いつの間にか、時間の経過とともに、人の意見も聞かずに「自然と」我がとおるようになってしまったことは確かなようだ。
 今の時代では、どんな組織でも議論の形骸化、会議の不活性はいつも自戒として見直す気構えがないと、「独善へつながる」として足元を掬われる。
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万葉の世界を少しだけ覗き見

2009年10月02日 23時49分29秒 | 読書
 予報が外れたか、朝から本降り。9月は雨がほとんどなかったが、季節は急に秋へと駆け出したようだ。
 本日も22時半ころようやく帰宅。世の中は芸術の秋、感興を催す秋だが、この30年、ほとんど無縁の生活を送ってきたような気がする。
 ただし美術館・博物館・音楽界、それなりにこの時期覗き歩いたり、聞き歩いたことがあるかもしれないのだが、記憶にない、と言うことなのかもしれない。
 北山茂夫の「大伴家持」を数ページ読むのがやっと。しかし笠郎女との相聞の箇所に来て、白川静が「後期万葉論」で家持へ送られた笠郎女の24首を「明星派の女流をおもわせる、奔走な歌いぶり」と記したのを思い出した。
 ・我が形見見つつ偲はせあらたまの年の緒長く我も思はむ(587)
 ・我が屋戸の夕影草の白露の消ぬがにもとな思ほゆるかも(594)
 女にこんな歌を寄こさせて、つれない名門の貴公子は一方で、次のように秋の月を歌う19歳。
 ・雨晴れて清く照りたるこの月夜またさらにして雲な棚引き(1569)
 万葉の世界はいつ覗いてもつかみきれない。というか、万葉集に関係する評論は「全集」の解釈を見ながら、また他の評論も見ながら右往左往する。はっきり云って先に進まない。しかしそりが楽しい。読了しなくても万葉集の中をさまよい、彷徨することが楽しい。  
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朝からダウン

2009年10月01日 23時57分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 10月最初の日、なのに昨日の帰りが遅くなったためか(お酒も過ごしすぎたか)朝からダウン。上の血圧が少し低めで安定せず。高めだと背中の肩甲骨の間が痛むが、低めだとふらつく。15時過ぎまで布団の中でおとなしくしていた。
 久しぶりに岩波の図書10月号を手にした。NHKのアナウンサーだった山根基代の短いエッセー「作品に潜む肉声」は面白かった。
 太宰治の「身体の中に津軽弁や日本の伝統的な語りをたっぷり蓄えた太宰が、肉声で語ったものを文字にしたのが彼の文章」というのに「そういえばそうだった」と思い出した。
 彼女の朗読はとても好きだ。「実は声を出す前の黙読が重要。徹頭徹尾作者の意図を読み取り、その意図通りに読むのが朗読。黙読百回をめざす」とのこと。ひたすら朗読に携わっている方の、優れたことばだと思う。
 他は高橋睦郎の「歌枕の生理」に目をとおす。
 打ち渡す宇治の渡りの夜深きに川音澄みて月ぞかすめる(風雅集・為兼)


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