Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「幻想美術館」(太田治子)

2024年04月12日 21時32分08秒 | 読書

 本日は2件の喫茶店を梯子した。久しぶりに妻と昼の外食を横浜駅の喫茶店でパスタとコーヒー。買い物後にいつものとおり別行動で、私は書店、妻は食料品の買い物。
 書店をうろついて5冊ほどを購入。私は再び喫茶店で読書タイム。いつもとは違い繁華街の真ん中にあるチェーン店のコーヒーを注文。コーヒー代は席料のようなもの。一口も飲まなかった。

 書店で購入したのは、「朝のあかり(石垣りんエッセイ集)」(中公文庫)、「西行」(寺澤行忠、新潮選書)、「湘南幻想美術館(湘南の名画から紡ぐストーリー)」(太田治子、かまくら春秋社)、「幻想美術館(名画から紡ぐストーリー)」(太田治子、かまくら春秋社)、「予告された殺人の記録」(ガルシア=マルケス、新潮文庫)の5冊。

   


 2軒目の喫茶店では、「幻想美術館」から16編を読んだ。私などは絵画作品を目にしたとき、つい構図や色彩の配置、形態のあり様など分析的に見ようとしてしまう。気持ちの上では、絵画作品から紡ぎ出される「物語」を読み取ろうとするのだが、どうしてもそれが後回しになる。どちらの見方が正しいのか、ということはない。しかし後者の見方のほうがより印象に残るし、奥行の深い見方だと、思っている。
 著者の太田治子は、太宰治の娘。現在76歳。日曜美術館の初代アシスタントを1976年から3年続けていた。多分私も見ていたはずだが、あまり印象はない。
 この本におさめられているのは70歳から76歳までの連載を収録している。収録された物語はどれもが短い。わずか原稿用紙2枚に満たない掌編である。しかしこんな物語を紡いだのか、という新鮮な驚きがあることも事実である。私とは違う感性に基づく物語に出会うのもまた楽しい。新しい視点に敬服する。同じような物語を紡いでいてもまったく同じということがないのがまた楽しい。
 またこれまで注目していなかった絵画作品に新たな視点を得ることができたものもあった。
 年齢から判断すると、ずいぶん若い感性を持ち続けられていることに脱帽する。同時に私のほうが4歳年下なのに、どうしてこうも私の頭が硬くなってしまったのか、とがっかりする。

 疲れた頭を癒してくれる感じがしている。
 


「都市空間の怪異」 その6

2024年04月12日 20時11分12秒 | 読書

   

現状維持を望みながら、他方大きな変革をも必要としている。悲観的ともいえるが、それはまだそれほど極端なものになっていない。危機意識については、一応現状の生活に満足しているせいもあるのか、深刻な状況とはうけとめられていない。こうした傾向がこの数年間変わっていないという認識がある。これは現代社会の生活文化をとらえる場合にも特筆すべき指標ではあるまいか。現実に曖昧な不安を漠然として感じながら、一挙に終末を招くという危機感が明確でない。こうした行き詰った感覚が、社会の深層部から痛低音としてひびいてくるのです。・・この現象をさらにもう一歩突っ込んでいくと、何か説明できないだろうか。一種の時代の移り変わる時期に生じている慣習化された無意識として、「世の終わり」そういうものが反映したフォークロアが、時代が転換しそうな時に浮上してくるのではないか、と考えました。現代世相を示す三面新聞記事の具体的な事実と、古代日本人の心意とが何か結びつかないかと思っています。

現代の多様なメディアの情報が生活文化化するという現象が都市生活の中に生じています。伝統的な民俗文化が脚色されたり、演出されて、新たな都市の民俗文化に変容することによって、事実とフィクションの関係がますますあいまいとなってしまったことが、若者の幻想を妄想へと駆り立てていったのでした。」(附 「都市とフォークロア」)

 この結論部分については、まだ私にはスッキリしないこともあるので、しばらくは考え続けないといけないようだ。