Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

カッパのお皿

2012年07月31日 06時45分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の朝、ベッドの寝具を整えていた妻が「何これ?」と私の枕カバーをこわごわ手に取り、私のところに持ってきた。
 黒い1センチ角くらいのものが幾つもこびりついている。よく見ると薄いペラペラ。私もこわごわ手にとって見ると何と皮のようなもの。「ひょっとして」と思いながら妻に私の頭のテッペンを見てもらったところ、「ヒャーッ」との驚きというかあきれたような声が頭の上で響いた。
 そう、山行で頭のテッペンが日焼けして皮がむけていたのだ。洗面所に行き、手鏡を使ってテッペンを写し出して見たら、ちょうど毛のないところが丸く、お皿を伏せたように黒く皮が剥けかかっている。だいぶ大きな皮がめくれ上がってもいる。これが一部はがれて枕カバーに付着していたのだ。カッパのお皿のような形といったら、カッパに失礼に当たるのかな?
 早速シャワーを浴びて夕べに続いて再び頭を洗い、今度は剥けかかっている皮が剥がれ落ちるように指先を使ってみた。洗髪後風呂場の床を見たら長さ7センチ、幅2センチ位のもののほかいくつかの皮が落ちていた。
 しかしまだまだ剥けかかってカサカサしている皮膚全体は落ちていない。約3分の2が残っている。
 頭のテッペンがこんなにも日焼けしていたとは想像しなかった。日が直接当たっているときは野球帽をかぶるなり、タオルで頭を覆っていた。ガスがかかっているときだけ何も被らなかったが‥。
 鼻先と耳は既に皮が剥けているが、腕や、足首と膝の間のズボンから露出した足の部分は、今まだ以上に日焼けしたが皮がむけるような症状は出ていない。
 そういえば、30代の後半の頃、丸刈りにした夏にも確かこんな風に頭のテッペンが日焼けして、丸くすっぽりと皮がむけたことがあった。やはり山で焼けたのだった。この時はまったく帽子を被らなかった。
 しかし毛がなくなって、きれいに丸く皮がむけるなんてことは、とてもさびしいものである。まずいつになったらこの皮剥けがきれいになるのだろうか。実はそろそろ理髪店に赴こうと考えていたのだが、きれいに剥け終わるまでおあずけになってしまった。
 これも山行の後遺症のようなものだ。

 さて本日から再びジョギング&ウォーキングを開始することとした。山から戻って4日経過して、昨日にようやく足首のむくみが引いたことと、膝のガクガク感がほぼなくなったことが開始のサインと思った。
 既に一昨日、昨日にゆっくりと1時間、約1万歩のウォーキングを行ってみた。膝の調子は悪くない。痛みや違和感も随分なくなった。しかし急にジョギングを開始して膝や足首に故障を抱え込んでしまってはまずいので、本日は7キロちょっとのウォーキングだけとするつもりだ。むろん少しでも違和感があればその場で中止するつもりでいる。


山行での句

2012年07月30日 08時00分00秒 | 俳句・短歌・詩等関連
横浜での句会提出句

★夏旺ん山巓白き岩ばかり
→夏旺ん山巓丸き岩ひとつ
★渓流のつり橋無言雲の峰
★丸木橋日焼けの腕の指す行方
→山稜や日焼けの腕の指す彼方

その他の句

★山巓や炎暑の銃口我が影に
★山稜に汗のしたたり一歩また


  

ちょっとワイルドに北アルプス(その3)

2012年07月29日 07時00分00秒 | 山行・旅行・散策
 今回の山行では、山小屋での1泊2食付きの宿泊とし、昼食はパンとコンビニで販売している一人分のレトルトのサラダとチーズを持参した。
 このレトルト、「要冷蔵」となっているが多少の日持ちには耐えられるようだ。現に今回も品質になんら問題はなかった。次回からはこれを利用しようと思う。コンロとコッヘルを持参して加熱の食事を計画すると荷が重くなる。調理自体の楽しみはあるのだが‥。
今回訪れた山域の小屋では1泊1食(夕食)付きというのもあった。加熱しない朝食、パン食ならば携行可能であろう。3泊4日程度ならばそれでも十分対応できる。多少の費用の節減になる。
 もっとも2泊3日程度ならコンロ・コッヘル持参でも対応可能なことを今回の山行では証明できた。
 以上の対応を今後の計画の参考としよう。

 もうひとつの教訓というか、今後の課題のひとつが服装だ。昔から暑がりで山行の時はいつも半ズボン・半袖シャツ・野球帽である。これまでの数々の山行では、強引にもこれで押し通してきた。しかしこの強引さもそろそろ限界かな、と思い始めている。
 今回は最初の4日間は時々顔を出す程度の太陽が幸いしたが、それでも十分に日焼けした。退職以降ほぼ毎日のジョギング&ウォーキングでかなり日焼けしてそれなりの順応はしていたと思う。しかし最後の日の陽射しは強烈であった。樹林帯に下るまでは、さすがに薄手の長袖の上着を重ね着して陽射しを防いだ。首筋を守るため野球帽の下にタオルをつけた。
 だがこれまでと同様に、耳と鼻が大層赤く日焼けしてしまった。この歳であるから日焼けはできるだけ避けた方が良さそうである。帽子は野球帽ではなくツバがぐるりついているものを、慣れてはいないがかぶることで耳と首筋は防御できるとおもう。またそのほうがタオルをたらすよりは風が通ると思う。
 問題は長袖のシャツである。こればかりは汗っかき、暑がりの私にはつらい。歩く速度を極端に遅くして汗をかかない程度の歩行にすれば対処可能かもしれないが、それは妻を連れての山行の場合はいいとして、それ以外では体力や気力に挑戦することにもまだまだ未練がある。
 半ズボン・半袖から長ズボン・長袖についてはもう少し判断を保留しながらの宿題とすることにした。また製品の調査も徐々に指定校と思う。

 さらにストックの使用である。私はストックはとても嫌いである。足腰をしっかりさせて、その補助としてストックを使うということらしいが、ストックを使用してしまえば、手に頼る比重がどんどん強くなるのは眼に見えている。
 その上、早く歩くには邪魔である。勾配の緩やかな登り下りではまだ安全性には支障は無いのかもしれないが、勾配の急な下りではかえって危険なような気がする。長時間勾配の緩やかなところのトレッキングならば有効なストック、それもダブルストックではあるが、傾斜の急な日本の山行で本当に有効なのだろうか。また安全に寄与しているのだろうか。
 さらに私は余計なものを手に持つのが嫌いである。手袋もつけたくない。しかし岩場の多い下りではそろそろ滑り止め付きの薄手の軍手位は使用しないといけないと感じている。
 今回右膝の状況からは遅くない将来、このストックを使用せざるを得ないことをそろそろ考えておく必要がある。これも宿題として残しておこう。

 さて今回の山行で思い出したことをひとつ。
 槍ヶ岳の穂先の直下で15人くらいの集団が、たむろしていた。仲間が穂先の頂上から順次降りてきて、ガッツポーズを繰り返していた。それ自体は特に違和はない集団であったが、突如「それではこれから集会を始めます」とリーダー格らしい若者が宣言をした。彼らが車座になった途端、中年の男がその若者たちを諭すように「今回の山行ではそれぞれ班に分けて役割を決めた。しかるにたとえば衛生班についていえば、いやしくも高校のサークルなのに疲労した仲間の症状を見て、これは過労なのか、熱中症なのか、高山病なのかの区別もつけられていない。これでは役割分担にならない」とお説教をたれ始めた。若者たちは「ハイ」と返事をしながらこの「お説教」に静かに聞き入っていた。
 私はこのお説教に極めて違和感を感じた。同時にこの素直な「ハイ」にも違和を感じた。
 それこそ高校のサークルならばその程度のことは山に来る前に十分に勉強していて当然である。事前に役割分担を決めた時にその程度の知識は先輩から後輩に伝授されていてしかるべきだし、顧問がいるならばその程度の確認は事前にしていなければならないはずである。それが「役割分担」であるし、役割分担を決めた以上、そのための知識は事前に伝授・または調査されていてしかるべきである。
 現に具合の悪くなった仲間も発生したのだろう。しかし今更山の頂上に来てお説教をたれるのはあまりにいい加減である。本来ならば集会で教師がそのことを「事前に確認していたにもかかわらず」とまず教訓として述べなければまったく意味がないものである。あの教師の発言はあまりに一方的な説教である。
 顧問の教師の役目があったとして、その程度の事前確認をしなかった顧問の責任である。それに生徒の側から意義をとなえるでもないこの高校のサークルの質はあまりにずさんである。というか、高校のサークルとはそんなにも自主性のないものなのだろうか。
 私は昔から、また自分の体験から、高校の体育会系のサークルにはいつも違和感を感じていた。顧問の教師の自分の責任を棚上げした「指導」、感情的な一方通行の「説教」、こんなことが今の時代でも蔓延しているとしたらまったく進歩のない、いや退歩すらしている体育指導ではないだろうか。
 この高校の教師の「説教」をたまたま傍で聞いて、この高校の体育指導のいい加減さ、そしてそれをあまりに整然と聞いている生徒の「素直さ」に心が寒くなった。


ちょっとワイルドに北アルプス(その2)

2012年07月28日 07時00分00秒 | 山行・旅行・散策
 4日目、5時20分発。
 来た道をもどるのは何か損をした気分であるが、今回は取りあえずは「槍ヶ岳」という山を踏んで見たいということで双六小屋までの戻り。途中道を少々間違え、一度双六岳に再度上りかけたが引き返すことで30分ほど時間をロス。
 西鎌尾根は確かに長く、雪渓をいくつか横断したり最上部の歩きにくい道を越えなければならなかったが、時々薄日が射す歩きやすい天候のため気持ちよい風に吹かれなく、快適に通過できた。
 槍ヶ岳から北に伸びる硫黄尾根の赤い地肌が印象的である。黒部五郎岳のところでも記したが、この赤い岩肌が何という岩で、どういういわれがあるのか、教えてほしいものである。
 ある雪渓の上部を巻いているとき、一人の対抗者とすれ違いのちょうどその時、4羽の雛を連れた雷鳥がハイマツの下からひょっと顔を出した。雷鳥の親もびっくりしたのであろう。羽を広げる真似をして喉を鳴らし、威嚇のようなポーズを幾度も繰り返しながら、雛を遠くに行かせるようにせかしていた。そして何を思ったか、私たちの足元に寄ってきて静かに二人の足の間をすり抜けてうろちょろ始めた。そのときはもう私たちを威嚇するらしいポーズはしない。なんとも不思議な行動であった。私もすれ違いの若い対抗者もカメラを片手にその姿を撮影させてもらった。私たちの足元を離れるとまた前のように激しく羽を閉じたり開いたり、喉を盛んに鳴らす仕草をする。そうしながらしばらくは私のいく方向に向かって移動していたが、50mほどで茂みに隠れた。雷鳥は過去に幾度も見かけたがあのように活発に振舞うのは初めて目にした。
 槍ヶ岳の頂上につくと人に多さにまずびっくり。特に旅行会社が企画しガイド付きで、ほとんど山については初心のツアー客が多いのが目に付く。はっきりいって行儀と態度が悪い。ガイドのいうことなど聞かずにおしゃべりに夢中だから、山小屋での振る舞いの注意点などそっちのけどころか、うるさい小学生の集団のほうがまだまとまりがいいくらいだ。これでは小屋で他の客とのトラブルや、登山中の事故がおきないほうが不思議だ。事故がおきると企画会社やガイドの責任問題が喧しいが、参加者の自己責任、自発的な山行経験豊富化努力のほうがもっと重要だと思う。仕事とはいえガイドも大変である。ご同情申し上げる。

 5日目、朝5時50分に出発し、南岳への稜線をたどり20分で大喰岳について、財布などのはいった貴重品のポーチを小屋に忘れたことに気づいた。あわてて駆け足のようにして小屋に引き返し、再び大喰岳頂上に戻ったのが7時10分。ちょうど1時間のロスであった。これがこの日の最後の場面にひびいてくる。
 中岳、南岳へは3000メートルの稜線漫歩を十分に楽しめた。槍ヶ岳を占領していたツアー客は、西鎌尾根か、東鎌尾根、あるいは上高地に降りる道を行ったためこの稜線にはいると人はがらっと少なくなった。
 途中生まれたばかりのごく小さな雛4羽をつれた雷鳥を見つめている2人にであった。山岳保護の緑色の腕章をしていたが、私に「こんなに小さな雛を連れているのは珍しい。しかも親がまったく人を恐れず慣れているようにこちらを警戒する様子が見られない」との説明。今回の山行では4回の雷鳥との対面となった。他のオコジョなどの動物にはお目にかかれなかったので、この雷鳥についでイワツバメが印象にのこったのが今回の山行になった。
 さて同じ方向に歩く人は、歩く速度も決して速くはないが、老若のカップルが大キレットに挑戦するために南へ向かう姿がいくつか。私は今回右ひざの状況を見極めながら、大キレットは次回以降のお楽しみとする計画は変更せずに、南岳からの比較的最近作られたという南岳新道を下ることとした。
 そしてコースタイムどおりならば、忘れ物による1時間のタイムロスはあっても、新穂高温泉で日帰り入浴に入ってもどうにか高山行きの最終バスに間に合うと踏んだ。間に合わないと判断していれば槍ヶ岳と大喰岳の間の飛騨乗越を降りる道に変更できていた。
 ところがである。この南岳新道、びっくりするほどの急な下りの連続である。始めは急なガラ場をすべりながら降り、次は極めて痩せた尾根の上に危なっかしい木道が連続してつけられていた。そして途中に字が読めなくなった木製の標識があり、通り過ぎてからその標識を斜めからながめると「‥下りの方へ、この道はこれから大変急なずっと下りが続きます。‥」と書いてある。いまさら、と思いつつ進んでいくと、これは確かにつらい下りの連続である。以前手術して治した右膝のフリクションが効かないため、足の動きが極端に遅くなり、それが原因で高所恐怖症のように腰が引けてくる。思うように前に、下に進まない。
 やむを得ずゆっくりと汗をかかない程度のテンポで降りることにした。それにしてもこれはきつかった。結局槍平小屋まで2時間45分のコースタイムを昼食休憩を含めてだが、3時間半もかかってしまった。
 途中若い単独行の男子と会った。この下りで人にあったのはこの人のみ。森林限界に入り高度2400メートル位だったか。「この道、のぼりとしてもかなりハードだよ。」と伝えると「先行の下りの人4人にも同様のことを言われました。何とか頑張ります。」とのこと。先行で降りる人がいたとは驚いた。忘れ物による時間のロスがなければこの人々とも私も顔をあわせたかもしれない。
 そして今年の特徴としての残雪の多さの故か、槍平小屋の近くほぼ高度2100メートルで横断する南沢が幅100メートル近い雪渓で埋め尽くされ、横断の道がわかりづらくなっていた。雪渓上に靴の踏み跡はあるものの道として特定されは物はなくばらばら。対岸の道の目印になかなか気づかず、どこが安全かの見極めは私には困難で、あてずっぽうで渡った。
 槍平小屋からの下りは普通の山道の下り、そして林道もコースタイムどおりで下山したが、最初の南岳新道での遅れを取り戻すことができず、新穂高温泉に着いたのは最終バス出発25分前。しかし臭い衣服でバス・電車に乗るわけにも行かず、もったいないと思いつつ10分で身体だけ洗って来ようと日帰り温泉に入り、着替えて出てきたらバスが出発した直後であった。あの忘れ物のタイムロスがなければ、1時間たっぷりと温泉で汗を流すことができたのである。
 やむを得ずタクシーを頼み高山まで最終名古屋行きの特急に間に合ったが、タクシー代端数はおまけしてくれたものの1万6千円也。これでは新穂高温泉で安い部屋に泊まったほうがお徳感があったかもしれない。結局名古屋から新幹線で新横浜駅着が22時40分と帰宅がかなり遅くなった。

怒る雷鳥


槍ヶ岳と東鎌尾根




 今回の山行、毎日のジョギング、ウォーキングのために登りはまったく苦にならず、さらに長時間の歩行も可能なことがわかった。しかし急な下りとなると右膝はその限界をすぐに示し始め、下りのハシゴでは、軽度の高所恐怖症のように腰が引けてしまうことも明らかとなってしまった。この状態は、ジョギングやウォーキングだけでは治らないということもわかった。膝の故障を足の筋肉の強化でカバーできるのか、もともと不可能なのか、これは医師と相談なのかもしれない。
 極端な勾配の下りでなければ、順調に足は運べるし、コースタイムどおりかそれよりも早く歩くことはできる。恐怖感が先にたたなければ右膝の不安は顕在化しない。
 これが大キレットのようなところでどのように顕在化するか、不安が先に立つ。しかしもう一方で、私などよりもゆっくりしか歩けない人びとが北穂高岳に向かっているのであるから、多分何とかなるだろうともいつも思ってもいる。

ちょっとワイルドに北アルプス(その1)

2012年07月27日 15時38分06秒 | 山行・旅行・散策
 7月22日から26日まで4泊5日で北アルプス南部を縦走してきた。笠が岳、黒部五郎岳、槍ヶ岳-南岳をめぐってきた。山域としては3つを一回でまわったことになる。梅雨明けすぐということもあり、天候は22日の夜激しい雨が降っただけで、曇り時々晴れでかんかん照りではなく歩きやすかった。最終日は雲ひとつ見えない好天で槍ヶ岳-南岳の3000メートルの稜線から最高の展望を得ることができた。
 夏休みに入っていたため心配したが、まだ直後ということで、それほどの人出ではなかった。ただやはり槍ヶ岳だけは多くの人でにぎわっていた。やはり有名な山の周辺と稜線だけ極端に人が集まり、その周辺の山域には目もくれないようで、幸いにもまだ静かな山歩きを満喫できた。
 今年は雪が多く、かつ雨が少なめであったこともあるそうだが、残雪が多く、夏道が雪渓で覆われ雪渓の横断が多いとのことであった。
 このため、またいつもよりは梅雨が明けてすぐの訪れであったので多くの花が楽しめた。

22日 歩行1時間20分(コースタイムどおり)、歩数約12000歩(これはいつも    の半分以下)
 新穂高温泉-わさび平小屋(泊)  
23日 歩行12時間30分(コースタイムどおり)、歩数約53000歩
 わさび平小屋-笠新道-笠が岳-双六小屋(泊)
24日 歩行8時間(コースタイムでは9時間)、歩数約37000歩
 双六小屋-双六岳-三俣蓮華岳-黒部五郎岳-黒部五郎小舎
25日 歩行8時間40分(コースタイムでは9時間50分)、歩数約36000歩
 黒部五郎小舎-三俣蓮華岳-西鎌尾根-槍ヶ岳-槍ヶ岳山荘
26日 歩行10時間30分(コースタイムでは9時間15分)、歩数約48000歩
 槍ヶ岳山荘-大喰岳-中岳-南岳ー南岳新道-穂高温泉

 1日目、朝6時半に家を出て、小屋には4時半に到着。
 2日目。
 1日目の夜は小屋で大雨の音を聞きながら、「またしても雨」と雨男としては非常に落ち込んだ。しかし朝になり雲も順調にあがり、朝4時20分には出発できた。
 笠が岳は思った以上に大きな山容である。笠新道という登り道を選択したが、なかなかのきつい登りではあった。しかし快調にとばすことができた。背後の槍ヶ岳-穂高岳の山容が時々雲の間から顔を出し、更に稜線に着くと黒部五郎岳を完全ではないが目にすることができた。笠が岳頂上頂上直下では雷鳥を見かけたというグループが大声を上げて騒いでいたが、あんな大声では雷鳥もあわてて逃げてしまう。大声で騒ぐ人間は山でも同じようにはしゃぐのが止められないようだ。
 山頂ではイワツバメが、私の肩を掠めるように二度ほど飛び回っていった。掠めるときしゅっと羽が風を切る音が聞こえたような気がした。お出迎えではないだろうが、何の仕草であったのであろうか。
 双六小屋に向かう途中「抜戸岳」というピークを巻くのだが、ピークを訪れたら少し道に迷い20分ほど余分に時間を取られた。笠が岳と黒部五郎岳の眺めが良く、特に笠が岳はこちらから見ると「笠が岳」の山名の由来がよくわかる左右対称の整った山容である。
 この2日目は一番長いコース取り。本来ならば笠が岳の頂上の笠が岳山荘で一泊するのが通常であろうが、折角だから最近のジョギングの成果を見てみようとあえて長いコースに挑んでみた。笠が岳山荘で1時間遅れですれ違った30代の男性が「私も挑戦します」といって、双六小屋に30分遅れでやってきた。さすがに若いと感心した。

 3日目、少々遅めの6時半出発。
 黒部五郎岳は7年ほど前に剣・立山・薬師岳から折立を縦走した際に一度上りかけたが帰りの時間の都合・休暇の都合で断念した山である。今回は再挑戦になる。
 前回は北側の富山県側からの眺めであったが今回は南側からの眺め。大きなカール上の地形の下を横断し稜線に取り付くのだが、以外に大きなカールと豊富な水の流れに驚いた。
 小舎と黒部五郎岳の往復はコースタイムでは4時間10分となっている。私は昼食をいれてだが15分ほどオーバーした。普段は休憩をいれてコースタイム以下なので少々時間がかかりすぎた。あるいは地図上のコースタイムが問題があるのかもしれない。コース上に記された案内書きによると、もともともう少し時間がかかるもののようだ。
 カール下の草原は豊富な水量を背景としてか、かなり見ごたえのあるお花畑となっている。
 双六岳・三俣蓮華岳からは北アルプス北部、南部が共に良く見え満足。三俣蓮華岳では4羽のひなを連れた雷鳥を目撃、私は大声も出さず、雷鳥を驚かせもせずそっと通り抜けた。
 双六岳は、以前烏帽子岳・野口五郎岳・水晶岳・鷲羽岳から穂高温泉に抜けた祭にやはり時間の都合ではパスしたことがあり、今回再挑戦した。眺めもけっして悪くはないが、ちょっと地味な山である。
 黒部五郎小舎について気づいたが、この山の岩がとても白い。稜線に取り付く壁に取り付いてますますそう感じるようになった。岩石の種類と分類については高校の地学のときからとても苦手で覚えられなかったが、こういうときには岩石に詳しい人に薀蓄の一つもたれてもらいたいと心から願うものである。単独行の限界である。もっとも花などの植物の名も何回聞いてもすぐ忘れてしまうので、こちら方の知識も情けないが‥。


写りが悪いが北側からの笠が岳


黒部五郎岳


ハイマツ


 これらの写真、実は途中で「このメモリーカードにはアクセスできません」との表示が突如カメラ上に現れ、カメラが動かなくなった。取りあえずすぐに予備のSDカードを挿入して5日目後半以降の写真を取った。家でパソコン上でアクセスしてみたところ、確かに約半分の画像がうまく表示できない。いつも使っている画像ソフトに取り込んで見ると表示できるものがある。パソコン上のフォルダにすべて移し変えて、この操作を行ってようやく復元できた。それでも約10枚ほどは残念ながら捨てた。
 明日公開する予定の「怒る雷鳥」も羽を広げて威嚇するような写真も撮ったが残念ながら復元できなかった。おとなしくなった時の写真を明日掲載する予定。






心療内科

2012年07月21日 13時20分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一昨日予約していた心療内科にいって「もう治ったと判断できますから、本日で診療はお終いとしましょう」といわれた。4ヶ月前から減薬をはじめ、この1ヶ月半は薬をまったく処方されなかった。2年半の通院・投薬で終了したことになる。
 不眠を発端として係ったが、「鬱状態」という診断で睡眠薬を含め一時は3種ほどの薬を処方された。最後は1日おきの薬1種になっていた。一時間に5~6人ほどの患者であろうか診察室は適度に人が埋まっているが、混雑というほどではなく落ち着いた雰囲気で好ましい待合室であった。
 病院というものの印象の中で、待合室というものはなかなか大きな比重を占める。あまり混雑していて落ち着かないとその病院の印象はかなり悪くなり、ひいては医師の評価も大きく作用してしまうものと思う。適度な明るさと、椅子がすべて埋まっていても適度な患者一人あたりのスペースが必要である。予約制の利点はこのスペースの確保にも及ぶと思う。ただし予約制が果たして「病院」のありようとして好ましいものか否かは別の判断が必要だが‥。
 そして受付・会計事務を行う職員の快適さとは正反対かも知れないが、待合の椅子の向きが、受付・会計の場所を向くように並べられているほうがどうも患者側からすると落ち着くようである。この病院では2方向の壁に接して10脚の椅子が配置され、それぞれ受付の方向を向いている。受付・会計の事務の方は、オープンカウンターのため常に患者の視線に曝されるわけだが、患者は医師と受付・会計の職員との会話やカルテの受け渡しを常に見聞きし、診察の流れを見つめている。時間の経過を忘れて待っていることができる。
 また医師に呼ばれて診察室に入ると、普通の病院では医師と患者が面と向かって、かなり近い距離で相対すことになる。心療内科以外は聴診器を当てたり、脈を計ったり、触診などのため医師と患者の距離は当然最初から近いほうが合理的・効率的なことは十分推察されるものの、でもあまり最初から近いとちょっと身構えてしまうことがある。理想論からいえば問診の時と身体に触れる診察の時とは少しでも場所を異動するか、医師が患者に近づいてくる方向の動線があったほうが、診療にゆとりが感じられるような気がする。
 この心療内科では、医師の机の90時右横に患者の座る椅子が固定されている。そして約1.5メートルの距離で、医師と患者が90度方向をずらして対することになる。この医師から見て右という方向と距離が私にはとても好ましいものに思われた。医師が記入しているカルテの様子も、時には内容もわかるように可視化されているというのであろうか。医師の背中や左手で記載されていることがわからないようになっている病院もかなりあるが、最近はこのような病院も増えてきたようだ。
 医師は私との対話の途中、私の方に時々顔を向け絶妙なタイミングでニヤッと笑う。このタイミングがさらに私の心をほぐしてくれたようだ。
 そしてなによりここの診察室は広い。他の病院に較べたらあまりに贅沢といわれるくらい広い。そして心療内科特有の状況だろうが、医療器具が所狭しと乱雑に置かれているようなことはない。これは内科や外科、その他の診療科目の病院とは大きな違いがある。この広さは係っている患者の心を落ち着かせ、心をひらかせるのに大きな要素となっているのではないだろうか。
 精神科医の中井久夫がその著書で、患者と医師との関係、患者と病院全体の関係、病院全体のレイアウトなどが患者と治療者に与える関係などについてかなり突っ込んで考察を進めている。そんな著書を思い出すような病院であった。

危なく忘れ物

2012年07月20日 21時54分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ブログを見た友人から今朝、「ウィスキーは持ったの?」とメールで指摘をもらった。すっかり忘れていた。あぶない、あぶない。持つべきものは友!
今はどこの小屋でも生ビールを販売している。ウィスキーも売ってはいるがビンのボトルのままなので重いし、持って山歩きは危ない。こればかりは小さな水筒に入れて持参しなくてはならない。沢の水、水場の水を小屋まで持参してこれで割って飲むウィスキーは格別の味だ。小屋の片隅で暗いランプの下、独りでゆっくりと飲むと疲れがひいていく。帰りのバス・列車内で余った携行食をつまみにして飲むのもいい。
 当初はテントの中、寝袋にくるまって翌日の予定を案じながら飲むのが好きだった。
いまでも避難小屋やテントに泊まらなくてはいけないときはそれが最高の時間であることに変わりはない。

 最近の山は、ますます人気の山域に人が集中し、単独の登山者には少々違和感が強いのではないだろうか。山ガールがもてはやされ、中高年・老年期の集団登山が大手をふってワイワイガヤガヤと登るのが主流である。そのことは登山をめぐる経済的観点からは拒否はできないが、1人・2人の静かな山歩きを偏執的に好む私などには、とてもつらいものがある。
 これを避けるには自炊・テントの選択しかない。体力が落ちた偏屈な単独行好みのオジサンにはつらいものがある。もう少し体力を昔にもどし、自炊山行にしたいものだ。あるいはテント場も限られ、避難小屋も少ない南北アルプスではそれは無理な山行になってしまったのだろうか。夏休みに突入した北アルプスでもふとしたはずみ登山道で人の連なりが途切れたり、人の少ない小屋が現出する事があるらしい。そのときは深い静かな山行が一瞬でも味わうことができるという。そんな一瞬が欲しいものである。


 

梅雨明け

2012年07月19日 11時09分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 親族の葬儀で埼玉県春日部市まで17日、18日と連続して夫婦で往復した。葬儀式場まで順調にいって家を出てから片道2時間近くかかる。軽く身体を動かしているならばそうでもないが、電車でじっとしているのは結構つらいものがあった。

 さて、梅雨があけて時々雷注意報などが出て、一部不安定な気象が続いているが、久しぶりに登山に出かけようと用意を始めた。土曜日か日曜日に出発したいが‥。
 4泊5日くらいだが、食事・弁当付きで山小屋どまりを選択することとし、リュックはできるだけ軽量にしていこうと思う。
 汗をかなりかくほうなので、着替えは1日一組がどうしても必要になる。衣類でかさばりリュックがいっぱいになってしまう。あとは合羽と懐中電灯、小型カメラ、地図、水筒、薬、携帯用充電器、手帳などでおしまい。
 テントや自炊を選択するとこれに炊事道具・食材・寝袋・テントなどが加わり大量の荷物になる。勢い着替えを少なくして汗臭い山行となってしまう。
 雨男の私にはたして山の神は好天を用意してくれるだろうか。


閲覧者数10万突破

2012年07月17日 04時40分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 トータル訪問者数IPが100,500を超えた。同時にトータル閲覧数PVも250,000を超えた。多くの方の訪問に心より感謝申します。
2009年8月1日にこのブログを始めてほぼ1080日だから毎日100名の訪問者数、閲覧数が250ということになる。
 最近は1日あたり80~160くらいで推移している。一時より若干だが少なくなった。最近は身辺記事が多くなり、名の通った方の作品の感想が減ったためと思われる。
いまでも「土門拳」「長谷川等伯」などの検索からこのブログにたどり着く方が相当数いることからも推察される。
 訪問者数・閲覧数を増やすことが目的ならば、著名人の胸を借りて感想を続けて行けば良いのだが、またそれは私にとって勉強にもなるが、息が続かなくなることも予想される。今のままで続けるしか脳がない。

 さて昨日は、「さようなら原発10万人集会」に、所属していた組合の退職者会の仲間に誘われて代々木公園まで出かけた。朝10時半に現地についてデモ終了が16時半でちょうど6時間のかかった。風があったから良かったが、なかったら熱中症の人が大量にでたかもしれない。公園から溢れる人の多さに圧倒され、少々うんざりもしたが、懐かしい顔と終了後美味しいビールを飲んだ。
 退職者会の幹事になるので今後このような機会が増えると思われる。
 ビールを飲みながらの話題にものぼり、集会の参加グループにもいる他地域での「宮城・岩手県内の瓦礫処理」反対運動の存在とその主張が私には理解が不能だ。風評被害を助長拡大そのものに思われる。どう評価したらよいのだろうか。


 


 

句会提出句

2012年07月14日 22時57分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日も朝から風が強く、しかも時折のぞく陽射しは射抜かれるようにとても強烈。朝のジョギングは断念したものの昼頃には風もだいぶ収まってきたので、自宅と句会の会場の往復で2時間半ほどのウォーキングで汗をかいた。

本日の句会提出句
★丸い実を丸くおさめて梅酒漬け
★太陽に青春のあり片かげり
★水はじく葡萄はおのがひかり持つ

 三句目の上5を直したいが名案が浮かばないまま提出した。引き続き何かに置き換えるよう考えたい。

雨はほんの少し、風は台風並

2012年07月12日 23時55分34秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 九州の熊本・大分両県を中心とした大雨、報道を見るかぎりとてつもない豪雨のようだ。まだ降る続くらしい。関東地方でもあれだけの豪雨であれば、大きな被害が出るであろう。梅雨末期の豪雨は珍しくないが、あの川の増水にはびっくりした。せめてこれ以上被害が大きくならないよう願いたいものだ。

 横浜は、雨の予報だったが、朝と昼に少々降った程度であった。予報を信じて本日は残念ながらジョギングは中止した。もっとも風が強く中止して当然ということなのであろう。
 午後から雨があがったと判断して、久しぶりに隣駅のうどん屋まで足を伸ばした。店を出ると少々降ってきたものの、傘をさしてそのまま2駅分ほどのウォーキング。途中からは傘も不用になった。さらに若干遠回りしていつもの銭湯で2時間を費やした。贅沢な時間の過ごし方となった。

本日の俳句
★黒南風やシャッター街にジャズ流れ
★饒舌の雀五六羽片かげり
★雲の峰崩れて夜を白く染め

 夜にも追加で5キロほどウォーキングで少し汗をかいた。

 北アルプスの登山地図とズーッとにらめっこしているがなかなかコースを決めることが出来ない。決断力が無くなってきたのだろうか。



梅雨明けをめざして

2012年07月11日 12時05分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 我が家のベランダでは先日の日曜日に園芸品店で購入した鮮やかな水色の大輪の朝顔が次々と咲いている。3年に一度くらい入谷の朝顔市で四色の朝顔の鉢を購入してきたが、今年は家の近くの園芸品店で入谷よりは安く鉢を購入した。まぁ入谷では雰囲気で購入するものであるから、多少値がはっても致し方ないが‥。

 さて、梅雨の中休みといっても、時期的にはそろそろ梅雨も終盤に差し掛かっている。例年ならば来週後半あたりが梅雨明けとなる。
 現役の頃は、梅雨明けの頃に登山に行きたかったが、いつも何かしら仕事の予定が入り、休みがとれなかった。今年はどうだろう。是非とも梅雨明け直後の好天気の内に今年の夏山の第一弾、としたいところだが。
 取りあえず北アルプスの笠が岳-黒部五郎岳をねらっている。今週後半から少しずつ用意を始めることにした。どのようなコースにするか、地図を見ながら至福の時を過ごせる。それよりも梅雨明けがいつになるか、それを見極めなければいけない。

梅雨の中休み

2012年07月10日 17時52分10秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日・本日と晴れ間が続き気温も上昇した。本日の午前中は湿度も相当高かったようだが、午後からは強い陽射しとなり湿度はそれほど上がらなかったように感じた。実際のところはどうだったろうか。
 昨日は一周14キロほどのコースで12キロほどを走った。本日は一周10キロほどのコースで7キロほどを走った。いつもゆっくり走っているが、本日は湿度も高かったのでいつもより更にゆっくりと走った。とても走っているとはいえないが、まぁ歩いているよりは早く、汗も大量にかくのだから、走っていることにしておこう。
 本日の午後も横浜駅まで歩き、帰途は少々遠回りをして歩いた。午後の陽射しは強かったが汗もかいて爽快なウォーキングとなった。

本日の俳句
★太陽に青春のあり片かげり
★水はじく葡萄はおのがひかり持つ
★太陽系地球の上を蟻の道


井上雅之自選展

2012年07月08日 18時06分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 大納言様からいただいた案内葉書、ー井上雅之自選展(雁皮紙によるコラージュ)を横浜の中区関内のギャラリーSHIMIZUへ見に出かけた。
 雁皮紙とは「ジンチョウゲ科の雁皮を原料とする紙で、楮紙とともに和紙を代表する。雁皮は栽培が困難で、野生のものを採集しなければならない。このため原料 の供給に限界があり、生産量は楮紙よりはるかに少ない。雁皮の繊維は5ミリ前後と短く、半透明で光沢があるため、紙の表面は平滑できめ細かく、美しい艶を持つ。雁皮の樹皮が強い香りを持つことから害虫の少ない紙とされて、永久保存用の記録用紙に使われ、又中世に渡来した宣教師が、雁皮紙が羊皮紙に似ているため聖書の用紙に愛用したことは名高い。」ということらしい。
 妻と訪れたギャラリーには作者と思われる人が一人だけおり、ちょっと腰が引けたが今回は思い切ってドアーを開けた。
 中にいた方が思ったとおり作者であった。作品の説明をしてくれて、雁皮紙のこともわからず、絵画のこともまったく素人に近い私ども夫婦に懇切丁寧な説明をしてくれた。雁皮紙のこと、彩色のこと、若干の技法のこと、色のイメージのこと‥。作者自身の言葉で語ってもらえたことは幸運だった。
 展示されている作品は私にはとても好印象であった。Sea through と題したシリーズの赤い楕円の重なりに黄色のアクセントがあるいくつもの作品は、赤の色が主体の作品とは思えない安定感があった。楕円は水の紋、赤は光のイメージであるらしいが、楕円の配置が好ましいのであろう。



 私が一番気に入ったのは、Study と題されたシリーズの1枚である。
小さな作品だが、紫を背景にした黄色の配置と形がとても気に入った。
紫のグラデーションもなかなかだ。黄色の線とうまく配合されていると思った。黄色は光の象徴だろうが、紫は何の象徴なのだろうか。いろいろと想像を駆り立ててくれる。



 今回の作品展の案内葉書の作品が、下の作品だ。長方形のイメージが縦と、この画面では見にくいが横に配置されている。作者の言葉を私なりに咀嚼すれば、暗闇の元で非在の物質が光を当てられてその存在を主張したときの揺らぎ、とでもいうのであろうか。揺らぎが複数の方形の線で象徴されているらしい。
 なかなか魅力的な色彩構成とグラデーションであると感じた。



 個展であるからには、作品の販売・購入も目的であろうが、私にはそれだけの資力も、また我が家にはそれを掲げるだけのスペースもないので、作者の懇切丁寧な説明には残念ながら「購入」という面では応えることはできなかった。そして帰宅後作者のホームページを見たら、私と同学年、多摩美大卒の1951年生まれであった。
 短時間ではあったが、いい作品展であったし、作者の人柄を垣間見ることのできたのは良かった。本日の収穫というところか。

 作者のホームページは、http://i-m-g819.jp 井上雅之でも検索可
 自選展 ギャラリーSHIMIZU(横浜市中区長者町5-85明治安田生命ラジオ日本ビル)
     会期 7月3日~7月13日


久しぶりの吟行

2012年07月07日 23時51分14秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日も昨日のことを書く。
 何年かぶりに吟行をした。俳句誌の横浜近在の方々と鎌倉の長勝寺という日蓮宗の古刹を訪れた。
 いわれは「建長5年(1253),日蓮上人が鎌倉の松葉が谷に来て、初めて草庵を結んだ所の一つです。この地の領主・石井長勝が日蓮上人に帰依し、日除と名乗り、弘長3年(1263)にその邸内に寺を建てて、日蓮を開山にした寺である。境内の法華堂は、創建当時の建物である。」とのことである。
 鎌倉駅から近く、材木座にあるものの静かな境内に盛りはとうに過ぎてしまったがタイサンボクがあり、まだ幾つかの大きな花が咲いていた。紫陽花は見ごろを過ぎたばかりでまだまだ趣きがあった。
 あいにくの小雨ではあったが、歩くのにも吟行にも特に支障は無かった。
 鎌倉駅にもどり昼食後、駅前の大巧寺で種々の花々を見ながら更に句作、その後鎌倉生涯学習センターの会議室で句会を開いた。

句会提出句
★欄干に蝶のすがりし夏の雨
★きざはしへ甍へ門へ夏の蝶
★輝ける軌跡の邂逅なめくじり
★癇症の雀ニ三羽濃紫陽花
★大いなる屋根の曲線草茂る

 その場で句を作るのはとても苦手なため、何とか句らしくなったのははじめの二句くらい。後の三句はどうにもならない句ばかりだ。それでも5句そろえただけで満足としよう。