Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

本日の俳句(110331)

2011年03月31日 21時22分23秒 | 俳句関連
本日の俳句
★微かなる風を呼びつつ野蒜摘む
★足跡の土のへこみや野蒜摘む
★野蒜摘む跡には丸く日の光り

 仕事の途中で停車した車中から、親子が土手で野蒜を摘んでいるのを見つけた。都会では珍しい光景に春を感じた。
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本日の俳句(110330)

2011年03月30日 20時56分08秒 | 俳句関連
本日の俳句
★ゆきやなぎ風の調べとリテヌート
★うららかな歩みや遠き土手の風
★のどかさやあくびも更に間延びして

 本日は暖かく車の中にいれば、昼間は汗ばむほどの暖かさ。仕事場の傍の川沿いの道を昼休み散歩してみた。のどやかな川風に身をさらし気分は爽快であった。好きなゆきやなぎの白が輝いていた。
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先週の読了

2011年03月27日 19時34分26秒 | 読書
「行人」(夏目漱石、岩波文庫)

「海の古代史(東アジア地中海考)」(千田稔編著、角川選書)
・東アジア世界が初めてわかり合える共通の文化を持ち始めたのは、鉄器の使用以後といってもいいのではないだろうか。中国の文献に朝鮮半島や日本のことが登場するようになるのは、それぞれが鉄器文化に入ってからであるということは、それを象徴しているようだ。
・都市の出現をもって文明の成立といわれることがあるが、都市という外観だけ見て文明の真意を読み取ることはむずかしいはずである。都市というものを成立させ、都市のシステムが維持できる普遍的思想が語られてそこに初めて文明の素顔を見ることができる。
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本日の俳句(110326)

2011年03月26日 19時28分06秒 | 俳句関連
本日の俳句
★耳伝う音柔らかに春疾風
★大空は夕陽の金線落椿
★電線に孤独の一羽春北風

 日中は春の嵐で風が強かったが陽射しがあり、暖かであったが、夕刻からは北風となり寒さがつのった。電線が雲ひとつない夕空に光り鮮やかな線を見せていた。電線にとまっていた鳥は何という鳥か、一羽だけ身を震わせるように孤独であった。
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本日の俳句(110325)

2011年03月25日 20時08分02秒 | 俳句関連
本日の俳句
★春寒に一日寝ている羅漢かな
★尖塔の寒き彼岸や鐘響く
★春の雨赤き尾灯の過ぎりゆく

 本日は夜からの雨、寒さに教会の尖塔が震えていた。細やかなしかし確かな雨を照らしながら車の尾灯が雨を暖めているようだった。。
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辞書のこと

2011年03月24日 18時03分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 私のパソコンには、広辞苑第4版をはじめ、英和・和英、漢和辞典、古語辞典、そして白川静の「字通」などをインストールしている。そしてパソコン台には、国語辞典、漢和辞典、古語辞典のほか、白川静の字統、字訓、歳時記が常備してある。すぐ傍の本棚には、ぼろぼろになった広辞苑の初版と角川書店の漢和中辞典と小学館の古語辞典のほか、英和・和英・独和・仏和辞典が並び、寝台の枕元には、国語・緩和・古語辞典のコンパクト版を置いている。
 これだけの辞書、使い分けているほど使用してはいないが、しかし辞書というものは、てもとにあるとほっとするものである。また欲しいときに手元にないとじつに寂しいものである。

 私は辞書をめくるのが好きだ。中学生になった時、学校で広辞苑の初版と角川の漢和中辞典、そして英和・和英辞書を購入した。
 特に広辞苑と漢和辞典は宿題をしていて必要な語や漢字をひくと、関連語・字を次から次へと追いかけ、肝心の宿題から逸れていってなかなか宿題を終わらすことができなかった。このように辞書の森の中を散策するのが楽しみであった。反対語、同意語、関連語、隣に並んだ言葉、目的の語を探す途中で眼をひかれた言葉‥。言葉や字の森をあてどなくさまようように並んでいる木々をたずねて回った。
 そして木々の幹の手触りを楽しむように、言葉や字の感触を楽しんだ。木々の枝葉を見上げるように、派生する言葉や字を探った。森の中を歩いていると意外なところに小さな獣道を見つけるように、思いがけずに知った言葉に出会ったり、間違って覚えていた言葉や字の意味を発見したりした。
 散策で出会った言葉や字の数々、いちいちは覚えていないが、しかしこの散策は決して無駄ではなかったと思っている。いまでもこの広辞苑や漢和中辞典をひいていて、なぜか懐かしいような語句に出会うことがある。理由はわからない。45年も昔にきっともう忘れてしまった経路を経て、たまたまひいたりながめたりした語句かもしれない。
 今はもう辞書の森の中を散策することはなくなったが、それでも辞書を引くことは多分多いほうだと思う。白川静の辞書三部作はきっとこのような散策を前提にして、迷い込むことの楽しみな辞書だと思う。本当はこの辞書の森、白川静の森に迷い込みたいのだが‥そんな若々しい感性がなつかしい。
 その一方で英語をはじめ諸外国後はさっぱり身に付かなかった。そして中学・高校でつかった辞書はもう手元にない。辞書が手になじまなかったためにそれらが身に付かなかったのだろうか。英単語をなめるように覚えさせられたが、残念ながらそのようにしては単語の力は付かなかった。辞書をめくる楽しさの記憶があまりない。辞書を消耗品のように、単語帳のように扱った教育の報いだろうか。少なくとも他の生徒に比して私の英語力は良くはなかった。辞書の森に遊ぶゆとりが私にはなかった。そして今あるのは大学の時に使ったコンパクト版ばかりだし、めったにこれを紐解くこともない。
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俳句同人誌投句

2011年03月21日 16時33分44秒 | 俳句関連
俳句同人誌投句10句

砂時計春の陽射しを刻みゆく
春寒の蟇の一歩にある重さ
地が揺れて背筋震える余寒かな
春暮れて厨の妻の足の音
夕霞樹を漲らす谷戸の風
雨に咲く辛夷のひと揺れ白きこと
砂場には人も動かぬ春の雨
声とおる若さはかもめ風光る
尖塔へ鳶の真逆さま風光る
海港の波豊満に春の昼

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本日の俳句(110321)

2011年03月21日 15時07分19秒 | 俳句関連
本日の俳句
★春の雨土くれ黒く力満つ
★砂場には人も動かぬ春の雨
★雨に咲く辛夷のひと揺れ白きこと

 三連休、俳句の本をいくつか読もうとしたまま、結局は計画倒れで終わった。そうかといてって私なりの俳句ができたわけでもない。実に何もしない三連休だった。
 さて夕べは激しい風雨が一晩中吹き荒れた。今朝方以降は静かな春雨たが、こんなにも暗いものかと感じている。降るともなし降る雨に、団地は人の行き来もないほどにひっそりしている。
 震災での停電の影響か、人の活動もすっかり停滞気味。考えようによってはこの停滞度程度が本来の人の活動、街の活動なのかもしれない。
 団地の中の小さな公園も静かに雨を受けている。子供も人の気配も感じられない。脇で辛夷がその白さを誇っている。まもなくユキヤナギも満開となろうとしている。
 人の活動の停滞をよそに春は旺盛な活動を間近にしている。人は、自然にあおられる程度の活動があっているのかもしれない。
 こんなことを考えていたら、上記の俳句が自然と浮かんできた。
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本日の俳句(110320)

2011年03月20日 17時29分59秒 | 俳句関連
本日の俳句
★黄水仙子を呼ぶ声に揺れほのか
★夕霞樹を漲らす谷戸の風
★春の暮れ厨の妻の足の音

 ウォーキングの途中、黄水仙をいくつか見た。昼間の暖かな陽射しの中、微かな風に揺れている様は眼をひいた。暖かな春の風は水分を多く含むようで、樹木の生気を呼び戻すように感じた。
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本日の俳句(110319)

2011年03月19日 20時48分24秒 | 俳句関連
本日の俳句
★海港の波豊満に春の昼
★声とおる若さはかもめ風光る
★尖塔へとんびの降下風光る

 港の岸壁で海を眺めた。横浜の中心街には眼を凝らせば地震の爪痕がある。その中をとおり港の近くまで足を運んだ。春の風が多少強かったが、海が膨張するように波に向かってくるように感じた。かもめの鳴き声になぜか若さと強さを感じた。
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気になること

2011年03月18日 20時52分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 菅直人総理大臣のアピールが本日もあった。地震発生以来幾度目かのアピールだが、私がどうしても気になる言葉がある。「日本人」という言葉だ。日本国の総理大臣である以上、「日本国民」があえて言えばそれに近い言葉ということだろうか。これでは自民党の総理大臣となんら代わり映えのしない認識ではないだろうか。
 「日本人」という言葉はどう見てもおかしい。日本国の領域に住む人々、日本国籍を有する人々という程度で無造作に使っているようにように思う。しかし日本国籍を有する「日本国民」=「日本人」ではないと思う。日本では「○○国民」というべきところを「○○人」と安易に不用意に言ってしまうようだ。
 ましてこの震災の被害者・犠牲者にはそれこそ「日本国民」でない人々もいるかもしれない。
 どうも「国家」というものの基本的な視点が欠けてはいないだろうか。

 そしてもう一つ、「国難」という言葉もよく出てくる。日本国にとって重大な難局にある、という意味で使っているのであろうが、私(の世代)の多くは違和を感ずるのではないだろうか。一義的に困難に直面しているのは「国民」であり、被災者である。その規模において復興においては「国家」レベルの困難・危機は、それに付随してもたらされるのである。今の段階において「生命・生活の危機」=「国家の危機」と勝手に短絡的に結び付けないでもらいたい。これは別物である。

菅直人という人の経歴からはこの位のことはわかっていてもらっていてしかるべきなのではないか。
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本日の俳句(110317)

2011年03月17日 20時16分14秒 | 俳句関連
本日の俳句
★雨の夜の我が首筋や冴えかえる
★月は天影の黒さに冴え返る
★影は濃く黒糸縅冴え返る

 本日帰宅途中は雪混じりの雨。肩をすぼめて歩きながら考え付いた句。「冴えかへるもののひとつに夜の鼻」(加藤楸邨)の俳句があるのは知っているが‥。
 今の時点では空は晴れて月が浩々と照っている。月でできる私の影も冴え返っている。
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本日の俳句(110316)

2011年03月16日 22時35分58秒 | 俳句関連
本日の俳句
 地震
★人逝けり白梅倒る地震(ない)の日に
★老梅の人のごとくに飲み込まれ
★地震(ない)ありて春日のニュース終りなし
★大津波遅日といえど時一瞬
★三月や灯火消えたる街をゆく
★地が揺れて背筋震える余寒かな

 俳句という短い詩形に時事を読み込むのは困難だが、これを避けられないような気がして、この震災を直接に題材にしてみた。
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震災雑感 

2011年03月15日 20時29分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ある人にブログには震災についてのコメントは掲載しないのか、と言われた。前回「帰宅難民」と題して掲載したが、「震災に対処している現在の政治システム・社会システムに対する批判が必要だ」というのだ。
 だが私は、日が経過するに従い、ますます自分の口が一層重くなる思いがしている。それは「そんな批判はためにする批判」の典型と思うからだ。
 決壊した堤防の強度不足・手抜き工事ではないか、地震予知がなっていない証拠ではないか、計画停電の無計画性・決断の遅さは問題ではないか、JRは弛んでいて復旧が遅い、いまこそ原発そのものの安全性批判を行うべきだ、政府や電力会社の対応の遅さを指摘すべきだ‥‥意見はいくらでも投げかけられている。
 だが、だが、と私は幾度も口ごもる。
 まず事態は始まったばかりの現在進行形で、かつ、緊急事態である。「当事者になってこの事態に直面した場合に批判するお前は批判に耐えられるだけのことをこなせるのか」といえばすべては終わりだろうと思う。原子力発電批判もそうだ。私も原子力発電にたよる今の電力環境には大いに批判がある。しかし一方で1000人を超える現地の従業員ならびに社員の現在の労働についてはその努力を見守るしかないと判断した。

 私の口が重くなる所以の第2は報道である。震災のテレビニュースはNHKと民放を交互に見たが、私が見続けたのはいつのまにかNHKだけになってしまった。民放のアナウンサー・キャスターなる者、解説者・コメンテーター・専門家なるものの頓珍漢な質問・愚問、「解説」にうんざりしたことがあげられる。まだ政府や自治体当局者のコメント中心のNHKの方が、その裏にあるもの、隠れていて見えないものを自分なりに想像・想定しながら、さらに自問自答しながら見聞きできる幅があると判断した。
 そして多くの疑問は時間の経過とともに次のニュースで解消された。未だにわからない疑問も数多くあるが、それは電力会社と原子力行政のこれまでの隠蔽体質、日本の政治システム・社会システムの、一概に遅れているとは言わないが、体質・限界とやむなく了承しつつ見ている。自分なりに疑問を呈しつつ情報を見聞きするという点では良い刺激ではある。

 私の口ごもる第3の理由は次のとおりである。私たちが今の震災の情報の中で見なくてはならないのは、当該避難者のたちの自立・自助の自発的行為の次元の評価であり、たくましさである、と考えるからだ。当然政治や社会システムを通した支援は必要であるが、それがどのようにこなされるか、現在の政治システムを相対化し、あらたなシステムを展望しうる行為や共同性の萌芽を抽出できる思想が問われている。今すぐに判断や批判を出せる状況ではない。課題は重い。皮相な批判ほど、声高の批判ほど本質からはずれるものであると思う。

 最後に私が言えるとすれば、私たちの世代、団塊の世代及びその直後の世代は、現行のシステムに寄りかからずに生き抜く図太さはあり、それを当該者ではなくとも仮想現実として追体験・シュミレーションし得る強さがあるだろうということだ。同時に戦後の政治・社会システムを持続的に変えてきた強さも持ち合わせている世代でもある。

 私はこんなことを思いながら震災とその報道、震災の行く末を見ている。
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帰宅難民

2011年03月12日 19時32分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の東北から関東地方の大地震と長野県北部の地震、特に東北地方は知り合いも多数おり、安否が気遣われる。横浜でも停電・電車の運転見合わせで、大人数の帰宅難民が発生した。
 妻は東京から6時間歩いて帰宅、私も4時間歩いて帰宅した。二人とも幸いというべきか、やっとというべきか、23時半前後に相次いで帰宅できた。私の場合は幸いにも途中は超満員ではあったがバスに乗ることができたため、本来7時間位かかるところを短縮できた。ただし途中から渋滞で動かなくなり、再度あるいた。
 幹線道路は徒歩帰宅の人々がひけもきらず列をなしていた。車道は自家用車があふれバスは最徐行を強いられた。私は横浜市内6区をとおり抜けて帰宅した。幹線道路を歩き通したが、ある区内は全線停電で信号ばかりか自動販売機も使えず、コンビニも営業しておらず道路は暗く危険であった。区界を超えると街路灯も自販機も点灯し、通常の道路の明るさとなったが、暗い道路を歩いている間は不安も募った。 
 夫婦ともに帰宅難民となると、お互いに助け合うこともできない。メールの着信にも時間がかかり、30分以上の時間差が生じた。夫婦で山歩きやウォーキングで歩くことに慣れていたため、妻もどうにか歩きとおすことができたようで、日ごろの習慣が役に立ったようだ。

 歩きながら、コンビニエンスストアの存在の意義をあらためて認識した。飲料水・食料・トイレ・情報・休息と役割を発揮していた。私の場合はおにぎりもパンも売り切れで食料は手に入らなかったため結局は夕食抜きで帰宅したが、カップ麺とお湯などは調達できたようだ。また飲料水もありがたかった。喧伝されているように現代を象徴するものであるようだ。

 巨大災害のたびに喧伝される原子力発電の危険、今回も重大事故の様相である。抜本的なエネルギー問題の解決方途が求められてしかるべきであろう。 
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