Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

旧東海道神奈川宿-品川宿

2012年05月30日 21時04分21秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は旧東海道を神奈川宿から品川宿まで約30キロのウォーキング。朝9時半に出て16時半までかかった。陽射しがあり半ズボンのため膝から下が赤く日焼けしていた。
 品川から日本橋まであと8キロくらいだから日のあるうちに日本橋までは行けないことはなかったが、半ズボン・だぶだぶのTシャツ・野球帽のままくたびれた姿で銀座を歩くには少々抵抗もあることを言い訳にして、品川から東海道線で横浜に帰着した。この姿で東海道線に乗るのも普通は抵抗があると思われたが、この祭多少の自己矛盾は棚上げにした。
 品川宿に向かう途中、京急線の鶴見市場駅のすぐ近くの蕎麦屋で冷やしたぬき蕎麦と日本酒1合で昼食。
 幾度か歩いた道だが、6年ぶり。江戸時代の人は、朝日本橋を1番でたてば戸塚宿まで歩いたそうだから、そのうちの半分を歩いたことになる。当時の人はやはりかなりの健脚であったようだ。

途中で作った俳句
★ランナーの汗一滴鳥の声
★片影に風の休憩瓦葺き
★鳥の影炎天に座す野の仏

 しかし30キロメートルも歩いたにも関わらず、体重は朝と変わらず。一気に疲れが出てしまった。

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ローソンチケット

2012年05月29日 23時59分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は1時36分の千葉県北西部を震源とする地震の直前に目を覚ました。目を覚ましてボーッとしているうちに最初の初期微動を感じ、大きな揺れがくるような気がして身構えた途端に、震度3の地震がきた。ボーッとしていた初期微動のを感じるまで時間がどのくらいだったか不明だが、どうして目が覚めたのだろう。あるいは、微かな初期微動に敏感に反応して目が覚めていて、初期微動が一定の大きさになった時、初期微動と認識したのだろうか。または、ボーっとしていたと思われる時間は、物理的な時間の長さではなく、初期微動を初期微動として認識するまでの脳の一瞬の動きを、物理的な時間と錯覚したのかもしれない。
 すぐにテレビを点けたが、震度3には神奈川県東部は含まれておらず、あれが震度2だったのかと不審に思いつつ、再度寝てしまった。朝携帯のメールで再確認したら、横浜の一部で震度4、横浜のその他の地域はほとんど震度3だったことがわかった。テレビ速報はあてにはならないなぁと再認識した。
 そして午前中、いつもより少々遅くウォーキング&ジョギングにでたものの、風が強く、昨日のように夕方から強い雨が降るとの予想が十分頷けるような天候であった。
 午後からは、ローソンチケットを通してインターネットで申し込んでいた神奈川近代文学館での「中野重治の手紙-『愛しき者へ』展」澤地久枝記念講演会のチケットをローソンにて受け取った。初めてのローソンチケットのシステムを利用したが、1000円の料金に対して、受付手数料210円、店頭発券手数料105円が課せられ、1315円也というのはどうも損したような気がする。また機械の操作も初めてで結構面食らってもたもたと時間がかかってしまった。
 確かに神奈川近代文学館まで出向き直接購入しても、交通費は往復300円ないし640円かかる。しかしこちらは時間がたっぷりある身、ウォーキングを兼ねて交通費をかけずにいけばよかったのかもしれない。 便利なようでいて、よく考えてみないと意外とお金はかかってしまうものらしい。
 もっともこの講演会、先着順でしかもチケットを手に入れる方法が会場で直接か、ローソンチケットのシステムを利用するかしかないのだから、これがもう少し遠い会場、たとえば都内ならば、このシステムの利用価値は十分あるということだろう。

 散髪と、喫茶店での読書を少々。読書はまだ本来の調子を取り戻せないので、中公新書「魏志倭人伝の謎を解く-三国志から見る邪馬台国」(渡邉義浩)を購入して目を通した。しばらくは寄り道ばかりの読書が続くかもしれない。

銭湯にはいっている間に激しい雨と雷となったらしいが、横浜では、昨日ほどではなかったようだ。18時に銭湯から出てきたときには既に晴間から太陽が顔を出し、雨はすっかり上がっていた。
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横浜での句会提出句

2012年05月27日 20時20分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連
句会提出句
★小満や鳥の着水時止まり
★薄暑光太き老樹とささやけり
★若き日の文を箪笥に走り梅雨


 本日は団地の管理組合の総会、議長を依頼され13時から17時まで総会に参加した。
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身体との対話

2012年05月25日 22時00分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 スポーツ選手でもないし、自分の身体と常に細かな対話をしながら日々を過ごすというのはなかなか難しい。私も30年ほど前に毎日6kmの全力疾走に近いジョギングと絶食で大きくダイエットしたときは、その日の体重、ジョギングをしたときの調子、筋肉の張り具合、便の様子ばかりか、日常のあらゆる起き伏しごとにダイエットという無理を強いている身体の軋みに耳をすましてきた。
 そして30年、次第に自分の身体の状態に耳をすますことを忘れてしまっていたと思う。今回も30年ぶりに60歳を越えて、減量に取り組んでみて、食事制限の時から再び否応なく身体の調子と毎日向き合うようになった。特に午前中約12kmのウォーキング&ジョギングは昔のように全力で走ることはかなわないが、その日の体調に合わせてジョギングの距離・スピードそして途中休憩の仕方を変えている。無理はしないようにしている。汗の出方、息の仕方、足の出方は毎日微妙に変化する。前日不本意でも翌日は身体がいたって快調ということもある。逆の状態も当然ある。
 現在は食事制限は徐々に解除し、体重の減少ではなく現在の体重の維持のための運動を継続している。その様子を克明にノートにつけることはしていないが、前日に比べとどうか、というのを繰り返し自問自答しながら身体の様子に耳をすましている。
また週3回以下と決めた銭湯&サウナでもいつも身体の状態を見極めながら入浴時間を変えている。この頃は熱い湯船とぬるい湯船、そしてサウナの時間の効率的な配分で汗の出方をコントロールしているつもりだ。
 これらはどれも経験則。他人に伝えられたとしても、それはその人にとってベストではない。あくまでも自分の身体に即した経験則だけを積み重ねるしかない。
 こんなことを考えながら毎日を過ごしている。

 しかしそろそろ体重の維持も軌道に乗ってきたようなので、食事のあり方も含めたこの経験則を継続しつつ、新たな日常生活を模索しなくてはならない。
 結構きつかった運動の負荷にも慣れてきて、身体との対話だけに終始してきたこの3ヶ月から、定年・離職という事態にあった頭脳の使い方へ一歩進まなくてはならない。
 当面は読書のジャンルを定めての再開、俳句へのエネルギーの配分強化、そして古い友人たちとの対話を通した37年間のまとめ等々を徐々に行いたい。そこには当然夫婦二人の生活のあり方も含まれる。

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渋谷での句会提出句

2012年05月24日 22時22分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連
句会提出句
★青梅や晩年の始まりは明日
→青梅や晩年は今始まりぬ
★白薔薇の諧調の不思議鴎飛ぶ
→白薔薇の白の諧調鴎飛ぶ
★薔薇園へ瞑想の道風の道
→薔薇園の瞑想や風光る道



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俳句誌投稿句

2012年05月22日 13時19分10秒 | 俳句・短歌・詩等関連
俳句誌8月号投稿句
★靴音のとどまるところ八重桜
★生え際に入り込む風労働祭
★海風の紺が天まで労働祭
★藤房の長き振動車椅子
★列島の鼓動脈動雹が降る
★レリーフに絡まる薔薇異国の地
★桟橋に背を向く墓やばら香る
★桟橋へ航路のひかり薔薇の園
★その太き株の強さに紅き薔薇
★白薔薇に一筋の赤夢の如

 昨日は金環日食とのことであったが、横浜では厚い雲に覆われ、見るのは断念して布団に包まって寝ていた。
 少々お疲れ気味かと感じたので、朝のウォーキング&ジョギングは中止した。しかし11時ごろのこのこ起き出し、一昨日訪れた港の見える丘公園まで歩いてみることにした。
 途中身体が重いので何度か中止しようかとも思ったが、半分くらいいったところから少し回復したように思われそのまま歩き続けた。帰途も歩きとおし、往復2万7千余歩、約19キロメートル。月曜日だったので銭湯&サウナによって帰宅した。銭湯ではくしゃみが止まらなくなり風邪の前駆症状だったのかと不安になったが、その後はなんともなく過ぎホッとした。
 本日は雨のため、身体を使うことは一切せず、休養することにした。ちょうど良い休養日になりそうだ。

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港の見える丘公園

2012年05月21日 06時00分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等






 昨日は曇り空だったものの穏やかな天気に誘われて、午後から港の見える丘公園に、薔薇を見に出かけた。ちょうど見ごろで、人出は多かったがそれでもゆったりとした気分で、薔薇を堪能し、大仏次郎記念館の喫茶店「霧笛」にてコーヒーと、妻はチーズケーキ、さらに、えの木邸にてバラのソフトクリームまで欲張る。

 夕食時まで時間があったので更に神奈川近代文学館前で開会中の生誕130年記念「茂吉再生」を見学した。
 斉藤茂吉は岩波新書の「万葉秀歌」と中学・高校の教科書に載っていた赤光の中のいくつかの歌、そして国語の先生がプリントにおさめてくれた歌を少々しか知らない。特に感想を述べることはあえてできないが、展示そのものは茂吉の生涯を丁寧に概観していてと思う。




 次回6月16日からの「中野重治の手紙-愛しき者へ」展とその記念講座は食指をそそられた。
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海と弥生人

2012年05月20日 12時51分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等




 一昨日、横浜市歴史博物館にて「海にこぎ出せ!弥生人」なる企画展をみに出かけた。
 弥生時代は本格的な米作りが始まった時代たが、弥生人は平地での米作りだけで生きていたのではないことは当然。海においても活発な活動に従事していたのは想像に難くない。
 この展覧会では、横浜市内や三浦半島、さらに全国各地の洞穴から出土した骨角清の漁具や南島産の貝輪に着目した展示を試みている。
 企画そのものの着目、意欲はよく理解できたし、縄文・弥生・現代の漁具の比較なども勉強になった。
 欲を言えば、もう少し焦点をしぼって、幾種類かの漁具に着目した比較や使い方・造り方の言及があったほうが我々素人には理解しやすいのかもしれない。
 オオツタノハ製の貝輪に着目し、三宅島・御蔵島にまで採取しに行く経験ビデオは新鮮だった。これの流通へのアプローチも課題の一つなのであろう。
 もっとも印象的だったのは、洞穴の遺跡から損傷を受けた人骨が多数発見され、いづれも死後に遺体に対し加えられた傷らしいとのこと。展示では「魏志倭人伝」の倭国大乱と関係するかもしれないとの指摘が去れていたが、それだけでは解明されない、興味尽きない例を教えてもらった気がした。

問題点提起の企画展としては、なかなか見ごたえがあったと思う。

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スマホデビュー

2012年05月17日 12時45分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 スマートフォンにした理由の一つが、iモードではホームページの閲覧が最近は変換が思うようにならず、事実上できなくなってきたからだ。ということで、昨日夕方スマートフォンを手に入れた。しかしこんなにも操作がしにくく、かつ設定が面倒なものとは思わなかった。
 これは慣れるまでに相当の時間がかかりそうだ。当面は四苦八苦だ。本当に慣れるということがあるのだろうか、と心配にもなる。
 指の操作では細かいところの指定ができずに思いもよらない別の画面に変わってしまったり、想定したものとは違う操作となったりと、右往左往するばかりだ。
どうも人間を対象にした体系として今ひとつのような気がする。もっともっとこれは改善の余地がありそうだ。
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夏に向けた生活のリズムを模索中

2012年05月16日 11時08分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一昨日循環器内科を受診したところ、降圧剤に続いて尿酸値を下げる薬も必要ないとの診断が出た。これで循環器科でもらっている薬はなくなった。減量と運動の成果というところか。来月に尿検査と血液検査を実施するとのこと。
 心療内科も減薬を進めていて来週からは投薬がなくなるので、これで医師から処方される薬は、眼科での緑内障の進行をとどめる点眼薬のみとなる。緑内障の薬は一生物のようだからこれはなくならない。
 さて、減量についても一応区切りをつけたわけだが、朝の1時間45分位のウォーキング&ジョギングは続けるとして、夕方の銭湯&サウナも毎日から週3回くらいに減らそうと思う。1回600円の金銭的な負担と何よりも体力的な負担の軽減が目的。サウナはかなり体力を消耗する。
 食事の量はすっかり減っている。外で食事をするときはまずつまみ程度しか注文できない。食欲がわかないのだ。家で食事をするときは外のときよりも量は食べるが、それでも妻の食事の量よりも少なくて十分満足する。この状態が続くことを願っている。

 ひたすら減量めざして体力を使い、体調と会話を続けてきたので、読書も、美術館めぐりもご無沙汰してしまった。
 来週あたりから、まずは、国立博物館のボストン美術館展を再訪することから再開しよう。
 夕べは、久しぶりに読書タイム。「吉本隆明が語る親鸞」を読了。  
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不覚の眠り

2012年05月14日 10時20分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の日曜日は朝のウォーキング&ジョギングで、多少ジョギングの割合を増やした。15キロメートルのうち6キロメートル近く走った。10数年前の私からすれば、極めてゆっくりしてそして歩幅の小さい走りだ。他人が見ればヨタヨタ走っているように見えるかもしれないが、今の私にはこれが限界だ。でも他人の目は構わない。それよりも体を使う快感が少しずつもどってきたような気がしてそちらの方がうれしい。
 そして夕方銭湯&サウナで2時間かけて十分に汗を流した。

 実は土曜日に句会の後の懇親会で少々食べ過ぎ、飲みすぎて、体重がちょっと増えすぎてしまった。それで運動とサウナに時間をかけてみたのだが、これがやはり体力をかなり消耗したようだ。日曜日の夕食時にワインを飲んでいるうちにウトウトと寝入ってしまった。気づいたら食卓の上はきれいに片付いていた。食後の片付け物も終わっていた。
 目が覚めたときはなんとも情けない瞬間だったが、同時にサウナで消耗する体力にびっくりもした。

 本日も朝のウォーキング&ジョギングは昨日と同じくらいの割合で走ってみた。気温が昨日より高く汗を随分とかいたが、心地よい疲労である。サウナは昨日ほどの無理はしないようにしよう。

 本日はこれから横浜駅に出かけて、スマートフォンに変更するに当たっての機種の選定をしようと思う。購入は今週後半の予定。

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大量の雹

2012年05月11日 22時03分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日、横浜では大量の雹が降った。我が家のベランダの鉢植えの紫陽花にも雹があたり、折角の花芽が被害を受けた。葉もだめになった。今年こそ紫陽花に花が咲くと喜んでいたが残念。ベランダのガラス戸よりにおいてあったが雹が奥まで吹き込んだようだ。団地の樹木の葉も随分と落ちて、舗装道路が穴のあいた葉で埋め尽くされていた。途中の幹線道路の街路樹や沿道の樹木も、葉を落としていた。特に桜の葉に被害が多かったように思う。


 明日は横浜での句会に参加する予定。句会提出予定句
★山吹の葉は静まりぬ入り日濃く
★今ここに命の不安雹が降る
★黒雲の鼓動脈動雹積もる
★藤房の揺れや介護の義母に風
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退職にあたっての挨拶状

2012年05月09日 16時55分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日、以下の文面で先輩・友人・知人に一応の区切りとして挨拶状を60通投函した。葉書バージョンでは30通、親族あてに別に15通。あわせて105通の挨拶状となった。


 皆様にはいかがお過ごしでしょうか。
 私はこの3月31日をもちまして、横浜市を定年退職し、横浜市との雇用関係を解消しました。定年退職後の再任用・再雇用の選択も行わないこととしました。何とか37年間、定年まで職務を続けてこられたのは、公私にわたり皆様にいただいたご厚情の賜物と思っております。深く感謝申し上げます。
 37年間、仕事と労働組合との二足の草鞋を履き通すことにこだわり続けました。出先の道路・下水・河川の維持管理を行う職場に事務職として在籍しとおしましたが、最初の16年間は、組合の分会の役員として、そして反主流派としての単組横断的活動も加え、さらに当然仕事も抱え、いつも何かしら20件近い案件を抱え込んでいたと思います。
 24時間365日働きづくめの、昔の流行言葉で言えば企業戦士も足元に及ばない、我ながらびっくりするほどの活動を続けてまいりました。
 行政職が行う運転業務の位置づけを要綱として整理し成文化した発端の闘いは分会役員になる前から職場の組合員とともに当時の分会・支部執行部の統制を飛び越えて運動として突出することができました。そして横浜市全体の要綱へと波及させることができました。職場からの疑問や問題提起を中心に組合役員の当事者能力喪失を乗り越えて、達成できた大きな経験だったと思います。
 また現業職員の合理化・減員攻撃に対してどのように反撃するか、模索を始めました。「現業職員には、仕事を与えない、教えない、必要な器具機材を配備しない」という3無い攻撃に対し、業務・職域の拡大方針を対置することの重要性を認識し、現業の仲間の理解を得ながら準備しました。これには労働安全衛生法上の資格取得・作業長制度の導入などさまざまな法律上の武器を基本から勉強しなおしました。
 仕事も下水道の膨大な公共投資で1年で1万箇所の許認可をこなし、また放置自転車対策事業に最先端で取り組むなど仕事は最も忙しかったと記憶しています。
 次の15年間は組合の非主流派と一体となった自治労系組合の支部三役として、交渉ごと、組織活動の中心を担い続けました。全労連系が圧倒的多数派の領域で現業職場が次々に縮小・廃絶の攻撃をうけ、もろくも敗北していく事態に歯止めをかけ、単組の旗・支部の旗を揚げ続け、踏ん張りきることができたと思っております。
 現業職場の活性化をめざした取り組みは、自治労の全国現業統一闘争の内容深化と、当局に土木現業全廃方針を再検討させるに十分なインパクトを与えたと自負できます。
 仕事も大規模公共投資後の大量の落ち穂拾いである下水道料金の徴収開始業務を行い、一つの区で数千件の徴収開始を行ったことも忘れられません。また出先職場に移管されたものの未整理で膨大な文書の整理も5年かけました。組合役員という立場上、超勤代も代休も満足にもらわずに仕事に追われたことも多くありました。
 この合わせて31年間、災害配備では常に第一線で、雪や台風のたびに区内の道路の確保・下水道の施設管理に徹夜の業務に従事したのが忘れられません。これは都市基盤整備の第一線にいたからこその誇りでもあります。
 最後の6年間は支部長として組合の業務量は半減したものの、心臓をむしり取られるような、非公式な交渉ごとを1人で取り仕切りました。精神的につらかった6年間でもありました。仕事の量は半減していたが‥。

 労働組合としては、現業の自治労といわれ、現業課題については食らいついて離さない交渉スタイルを支部で確保したと思います。初めて組合の役員になった時、「この職場の現業職員は定年まで職があり続けられるだろうか」、と現業の同期に入った仲間に問いかけられ、「私が役員をやっている間は存続させる、だから一緒にやろう」と応えたのを今でも覚えています。結果としてこの間、減員はくらったものの仕事の領域を拡大でき、土木現業は存続しています。この約束を守ることができたのが私の最大の誇りです。
 20代半ばの小生意気な決意表明でしたが、この決意・約束を守るために私は本当に必死でした。現業職場縮小の合理化提案が出るたびにこの約束・決意を思い返してきました。
 災害配備のたびに、そして日常の業務でも、現業の仲間の存在・活用を管理職に嫌われるほど訴え続け、組合の枠を超えて仲間にも現業の存在価値の自覚を促し続けてきました。ある意味では地を這うような組合活動にまい進してきたと思います。

 今思うと、よくこれだけの業務をこなしてきたものだと自分でも思います。いったいいつ睡眠を取っていたのか、とも不思議に思います。17年目の時に狭心症の発作に襲われました。27年目からは大腸の潰瘍に3年悩まされました。身体が悲鳴を上げたのだと思います。

 世の中は決して私の思う方向には向かっていないような気がします。国政は頼りなく、そして方向が見えてきません。それに対する不満を掬い取るような、強権的で勇ましく歯切れの良い、しかし胡散臭い自治体首長の主張が横行しています。どのような国家像を目標とするのかが明らかにされないまま、選挙に勝つことを主眼とした主張・政策が大手を振っています。
 行政への信頼がうすい時代が続いていますが、公務員批判をしさえすればそれでこと足れリとする風潮に対し、自治体行政の側は地道に、一層誠実にかつ胸襟を開いて市民と向き合いつづけることが必要であり、それ以外に方策はないと思われます。また、ためにする公務員批判を前提として末端の地方公務員と対峙する不毛も双方に取り不幸な出口のない対立となることは必然です。

 さて私は、60歳以降の再任用・職の確保には応じませんでした。生活水準の確保より、ぎりぎりの生活でも精神的な落ち着きに心惹かれたからです。60歳の区切りは人生の大きな区切りとしてけじめをつけたかったともいえます。今後職を離れますが、特にこれといった予定は立てていません。妻とつつましくも心持だけは豊かな生活をめざします。これからいかなる生活が待っているやら。楽しみです。
 なお、私のブログがあります。インターネット検索で「Fsの独り言・つぶやき」と検索していただければたどりつけます。日々の生活での感想や、趣味の俳句、エッセイなどをつづっています。お立ち寄りいただき、コメントなど投稿願えれば幸いです。

 これからの皆様のさらなるご活躍とご健勝をお祈りして、退職のご挨拶に代えさせていただきます。
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減量一区切りのまとめ

2012年05月07日 19時51分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一昨日のブログに記載したように減量いったんは昨日で取り敢えず区切りとした。といっても食事制限を少しずつ解除する第一歩ということでこの10週間とほとんど変わる生活ではない。
 一区切りとした理由は、まず目標でであった、夕食後の体重が標準体重となったことと、2〜3ヵ月で一区切りとしようと当初から想定していたこと。12.5キログラムの体重減少となった。
 次に4月以降のサウナ(12分×6回で約1キログラム減)がきつくなってきたこと。サウナに入っている限度は12分×4回以内だ。
 そしてウォーキング・サウナ・食事制限の三点セットが気力の上でもつらいと感じ始めたこと。
 さらに高血圧や尿酸値を下げる薬が中止となり、コレステロール値も大きく上限値をクリアして、生活習慣病のリスクが大きく低下したと言われたこと。これは来月から加入する医療共済保険の告知条件にまったく該当しない健康状態であることを示すことになった。
 最後に最も肝心なことだが、妻の協力を得る上でも一区切りが必要なことである。2ヶ月以上もストレスを妻にかけ続けるのは申し訳ない事態だ。
 幸いと言ったら妻に怒られるが、妻の歯が痛みはじめ堅い物が食べられなくなった。食事制限の着地が一層緩やかに実行できる。
 この間の食事は、朝は野菜ジュース200㏄と紅茶一杯、週に2~3回ヨーグルトを少々。昼は抜き。夕食は缶チューハイ1本か日本酒1合に、野菜スープか野菜サラダに煮野菜を一品、週に2回ほど豆腐料理。穀物は一切口にせず。ウォーキングの途中かサウナから出たあとビタミンCの補給飲料200㏄。こんなものであった。
 これから暑くなる。ウォーキングでかく汗の量も増加する。ウォーキングの距離と時間、サウナの時間を減らすにはいい時期かもしれない。
 食事制限の緩やかな着地の間にあと体重がほんの少しの下降線を維持できればうれしいものだ。
 29歳で17キログラム減量の時も2ヶ月半で一時休養したような覚えがある。その時も夏に休養しジョギングを続けながら6ヶ月かけて着地したと思う。
今回のこの二ヶ月余、常に自分の体調と会話をしながら過ごしてきた。運動選手というのは365日これを続けているのであろうが、私などにはなかなかできることではない。当面はこれは続くが少しずつ他のことにも意識がいくようにしないといけない。
 とりあえずは連休明けに発送しようと思っていた退職にあたっての挨拶状は、ダイエットと体力の消耗に意識が向いていたが、気張って今週中には出したい。数バージョンに分けて出さなくてはいけないが、基本はハガキではなく手紙にせざるを得ない長さになった。A4の用紙で3頁位になってしまった。
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明日で取りあえず減量計画終了

2012年05月05日 20時31分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 2月29日から67日間続けた減量計画は明日いっぱいで取りあえず終了することとした。明日の夕方で体重がどこまで下がるかはわからないが一応夕食を食べた後で標準体重を以下の状態をクリアすることができた。最大の時の体重から14.5キログラム、150グラムのステーキで97枚分を減量したことになる。
 野菜中心で、肉・魚・脂肪・穀物・豆・砂糖等を使わないごくごく少ない食事と、4月からはほぼ毎日10kmのウォーキングとサウナで体重を絞ってきた。あとはリバンドしないように、ウォーキングとサウナの負荷を少なくしつつ継続しながら着地しようと思う。
 贅肉が随分とこそげ落ちたと実感している。特に下腹部を中心に。気分は上々、身も心も軽くなった感じである。
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