Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

郷(さと)さくら美術館

2015年03月31日 22時54分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日初めて「郷(さと)さくら美術館」を訪れ、「桜花賞展」を見た。この美術館は日本画の収集と展示をおこなっているらしい。「昭和生まれの日本画家を中心にコレクション」とパンフには記されている。
 本日の展覧会、何点か気に入ったものがあったのだが、残念ながらポストカードもチラシでの掲載にもなっていなかった。賞にも入っていなかった。
 私の鑑賞眼が出来ていないのだろうとは思うが、評価の仕方の違いもあるように感じた。私が知っている画家の名は中島千波氏だけ。賞をとった作品と私が好きだと思った作家はまったく重なっていない。残念だとは思うが、やむを得ないというところか。

             
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目黒川・大倉山梅林の桜

2015年03月31日 20時52分33秒 | 山行・旅行・散策
 昨日に続いて桜めぐりを行った。昨日はかなり歩いた(2万4千歩ほど)本日は二か所にとどめた。

           

 東横線の中目黒駅から見ることのできる目黒川沿いの桜。ここはすでに何回も訪れているが、年々人通りが多くなっているように感じる。
 今回も昨日の千鳥ヶ淵や隅田川以上におおぜいの人が出ていた。川幅は狭く護岸両側は一車線がやっとの道路が接している都市河川であ。狭いために敷物を敷いて座り込むことは出来ない。歩き続けるか、防護柵や車止めに寄りかかって見るしか出来ない。かえってそれがいいのかもしれない。会社帰りや若い人々がゆっくりと見て回っている。喧騒や大騒ぎの宴会とは違う雰囲気が好ましい。両サイドに面している飲食店がさまざまな工夫を凝らしたものを販売している。いつもワインなどが飛ぶように売れるおしゃれな花見である。
 昨日よりも花が散り始めており、川の水面は花びらで美しい。

 沿道沿いにある、「郷(さと)さくら美術館」を訪れることが出来た。いくつか気に入った作品があった。別途報告予定。

                   

 一服したのち、横浜に戻り大倉山の梅林を訪れた。大倉山駅のホーム沿いに桜が咲き、梅園の中も梅の木に混じって谷を取りかこむように中腹に桜が並んでいる。こんなにも梅林に桜の木があるとは思いもよらなかった。また頂上から東横線の海側が遠望でき、町のところどころに咲いている桜を見ることが出来た。
 すでに小さな梅の実が多数枝についており、梅の実越しに見る桜もいいものである。
 梅林で有名なので桜の季節は訪れる人は少なく、ここは花見の穴場かもしれない。ここの桜は目黒川沿いのさくらほどには花弁は散ってはおらず、これからも楽しめそうである。

 明日は天気が悪いらしい。日曜日に墓参りを兼ねて多磨霊園に行き、最後の花見をしようかと考えているが、天気予報では雨か曇が微妙である。
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千鳥ヶ淵・隅田川・代々木公園の桜

2015年03月30日 23時09分20秒 | 山行・旅行・散策
 本日は花見に行こうということで、東横線から乗ることのできるメトロの1日乗車券を購入し、九段下から桜田門までと、隅田川の浅草駅から桜橋までの往復、そして代々木公園の西門から原宿駅までを歩いた。途中東銀座駅で下車し昼食を取り、岩手県のアンテナショップ「岩手銀河プラザ」で若干の買い物もした。

               

 千鳥ヶ淵は予想以上に人出がすごかった。ここは過去にも3回ほど訪れたことがあるが、なかなか見事な桜を見ることが出来る。桜田門まではなかなか距離がある。お昼時だったので皆道ばたに座り込んでお弁当を食べる人もあり、賑わいはいつも以上だったように思う。

               

 東銀座駅でおりて昼食と買い物をしたのち、浅草駅まで行って桜橋までを往復した。千鳥ヶ淵と違って堤防の道は広いのだが、それでも千鳥ヶ淵以上に人が出ていた。しかし川沿いの広々としたところの桜は気持ちがいい。家族連れも多く、賑わっていた。桜橋の近くの長命寺の桜餅は店が開いていなかった。言問団子は一皿630円と云う値段と店の外まで並んでいる状況を見て断念。しかし堤防上で団子とお茶を300円でいただいた。



 代々木公園に着いた時はすでに暗くなってしまった。広い公園の中は若い人のグループや会社帰りのサラリーマンの宴会が始まり、喧騒そのもの。残念ながら足早に明治神宮前駅まで歩いた。

 明日は中目黒に行き、目黒川沿いの桜を見る予定。
  
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行きたい「若冲と蕪村」(サントリー美術館)

2015年03月30日 02時38分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 リンクしてあるブログ「時には本の話でも‥」(サントリー美術館)の「若冲と蕪村-生誕三〇〇年、同い年の天才絵師」展の紹介がされている。開催を知っていたが、ここのところ慌ただしくてすっかり頭の中から消えていた。おかげさまで思い出した。
 若冲も蕪村もともに興味がある。蕪村は俳句よりも絵の方が本業という指摘もあるくらいだ。若冲と蕪村が同年齢ということは気がつかなかった。同時代性ということに着目して見比べるということはとても刺激的で惹かれる。

 サントリー美術館のホームページでは次のように記されている。
「正徳6年(1716)は、尾形光琳が亡くなり、伊藤若冲と与謝蕪村というふたりの天才絵師が誕生した、江戸時代の画壇にとってひとつの画期となりました。
伊藤若冲(享年85、1800年没)は、京都にある青物問屋の長男として生まれ、23歳の時に家業を継ぎますが、30代中頃には参禅して「若冲居士」の号を与えられ、40歳で隠居して絵を描くことに本格的に専念します。
一方、与謝蕪村(享年68、1783年没)は、大坂の農家に生まれ、20歳頃に江戸へ出て俳諧を学びます。27歳の時、俳諧の師匠の逝去を機に、北関東や東北地方をおよそ10年間遊歴します。その後40歳頃から京都へうつり俳諧と絵画のふたつの分野で活躍しました。
若冲は彩色鮮やかな花鳥図や動物を描いた水墨画を得意とし、蕪村は中国の文人画の技法による山水図や、簡単な筆遣いで俳句と絵が響き合う俳画を得意としていました。一見すると関連がないようですが、ふたりとも長崎から入ってきた中国・朝鮮絵画などを参考にしています。
本展覧会は、伊藤若冲と与謝蕪村の生誕300年を記念して開催するもので、若冲と蕪村の代表作品はもちろん、新出作品を紹介するとともに、同時代の関連作品を加えて展示し、人物、山水、花鳥などの共通するモチーフによって対比させながら、彼らが生きた18世紀の京都の活気あふれる様相の最も輝かしい一断面をご覧いただきます。」

 若冲はこのブログの管理人様に紹介されて私もファンになった。蕪村の俳句はいくつも知っていて好きだが、絵についての知識はほとんどない。蕪村の絵を一望できるということ自体が魅力ある企画である。
 どうも頭がパンクしそうな展覧会となりそう。ただし管理人様も指摘のとおり、羅列に終わってしまっては残念かもしれないが、鑑賞する方の理解力と鑑賞力が問われる企画なのだと思う。半ば恐ろしい企画でもある。
 展示替えがかなりあるらしい。前後期だけでなく複雑な展示替えである。せめて2回行かなくてはいけないみたいだ。
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スマホは無事であったが‥

2015年03月29日 21時38分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は夕刻から予報どおりに風が強くなってから雨が降り始めた。19時位までは雨がそれなりに強く降っていたが、今は月も出て雲がほとんどなくなっている。明日からしばらくは好天がつづき、気温も20℃を超えるとのこと。
 本日携帯電話をドコモショップに持って行ってみてもらった。昨晩寝る前にとりあえず充電だけしてみた。すると電池がほとんど0となっていたことが分かった。フル充電後に電源を入れたら再起動して立ちあがった。助かったと思った。ただしどうしてわずか1時間の間に50パーセントの電池容量が0になったのか、どうしても納得がいかなかった。
 ドコモショップでも担当は原因がわからないという。結局アプリのどれかが悪さをして一時的な不具合を生じた可能性があるということしかわからないという。それ以上説明を求めても同じ解答なので、あきらめた。また不具合が生じたときに相談するしかないとのこと。とりあえず引き下がることにした。しかしどうも気分が悪い。
 いつなんどきこんな不具合が出来したらと思うと、イライラするがどうしようもないようだ。

 さて一昨年の大学の同窓会の資料を新しく連絡がとれた懐かしい方に明日送付することにした。資料の印刷で夕方と夕食後の時間を費やした。楽しみな作業であるので苦痛にはならない。
 明日・明後日と家の近くで桜を見に出かけることにした。何処にするかはまだ考えていない。
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感謝!訪問者累計30万人突破

2015年03月29日 01時28分31秒 | 読書
 訪問者累計が30万を突破していた。数から類推すると1週間くらい前だったようだ。実質的には2009年8月からこのブログを始めたから、5年7か月の年数である。当初はかなり細々と綴っていたが、いつの間にかかなりの頻度で更新するようになり、綴るのが楽しみになってきた。同時に閲覧者が徐々に増加してきたと思う。最近マンネリのためか、ネタに新鮮味がなくなったためか、少し閲覧者・訪問者が下降気味でもある。しかし閲覧者・訪問者を増やすことが目的ではないので、あくまでも私の書きたいことを書くというスタンスを続けていきたいと思う。

 こんなにも目をとおしてくれている読者がいたということに心より感謝します。
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ブラームス「バイオリンソナタ」全3曲

2015年03月28日 22時31分27秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 携帯がこわれたかも知れないが、それに意識が集中しているといっそう腹が立ってイライラしてきそう。こんな時は、なるようになれ、と開き直ってしまうしかないようだ。
 気分を落ち着かせようとブラームスの「バイオリンソナタ全3曲」(徳永二男、伊藤恵)を持ち出してきた。

 こんな時は好きな音楽を聴いてざわついた気分がおさまるのを待つしかない。しかも聴く曲はベートーベンのバイオリンソナタか、このブラームスのバイオリンソナタ、あるいはショパンの夜想曲が私にとってはいいようだ。
 この曲は以前にも幾度か取り上げているので、詳細は省略。
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また携帯が壊れたのか?

2015年03月28日 21時10分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕食を終えてスマホの電源を入れようとしたが、電源が入らない。メールの着信した時の明かりが点滅しているが、立ちあがらない。
 夕食を食べる直前にメールチェックをした時は何の違和感が無かったのに、驚いた。こんな忙しい時に限ってこんなことがおこるようではまったく役に立っていないではないか、と怒りたくもなる。
 前回突如壊れて大騒ぎをし、電子マネーの復元に二週間もかかったばかりである。あれから1年経っていないのではないだろうか。伝票は廃棄したのでわからない。明日ドコモショップに赴いて調べてもらわなければいけない。本当に困っている。

 電話帳のテータはバックアップしてもらっているので多分復元は問題ないはずだ。メールはアドレスが復元出来れば問題はない。写真データなども特に破損していても問題はない。しかし即日に電話・メール機能が復元しないとお手上げである。
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今朝の目覚め

2015年03月28日 10時37分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 やはりいつもの慣れたベッドがよく眠れる。そして目覚めたときに目に映るのが、慣れた部屋の様子や窓からの見慣れた景色であると、ストレスなく自然に体が目覚めていくようだ。
 旅先のホテルのベッドだと目が覚めたときに目に映るものが違っているので、体にストレスがかかるのだろうか、スムーズに体が目覚めていかないと感じる。寝たりない、疲れがとれていないと体が判断してしまうのではないか。
 ホテルでは朝シャワーを浴びでもスッキリしない。今朝はホテルの朝よりもずっと気持ちよく眼が覚め、体がいつものペースで目覚めた。

 今回も東京起終点で仙台1泊のホテル付で往復1.4万円の券を利用した。往復の新幹線代だけで2万円かかるので、随分と安い。仙台は横浜に比べて、人口の割にはビジネスホテルなどが数が多いように思える。ホテルの競争も激しいのだろう。
 上野東京ラインの開通で、東京始発の下りの東海道線がほぼなくなったので荷物が多い時や妻が一緒の時は上野で乗り換えた方が良さそうである。ただし上野での乗り換えが結構大変であるとのことなので、一度歩いてみる必要がある。荷物を持って上野で降りたものの乗り換えが大変では困る。

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ようやく帰宅

2015年03月28日 00時50分19秒 | 山行・旅行・散策
 23時を過ぎてようやく自宅に戻った。とりあえず荷物をリュックから取り出し、整理だけはした。
 年度末の金曜日ということもあるようだが、22時過ぎの東京駅の上野東京ラインの下り線ホームは人でいっぱい。電車も朝の通勤電車並みの混雑であった。上野東京ラインの開業に伴って東京駅始発がほとんどなくなったため、入選してくる列車はほぼ席は埋まっている。
 新幹線で東京駅まで来るよりも、上野駅で上野東京ラインに乗り換えた方が荷物の多い人や座ろうとする人にはいいようだ。私一人ならばどんなに混んでいようが、空いていても座ることが好きではないのでどうでもいいが、妻が同伴ではそうもいかない。妻とは混雑の人日身に押されて電車の中ではドアひとつ分離れてしまった。荷物を網棚にあげたりするのに大分苦労したようだ。

 本日はこれにて就寝とさせてもらう。
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仙台市天文台

2015年03月27日 21時17分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
納骨のための法事は無事終了。
本日、仙台市内は朝からとても暖かかった。日差しのある屋外は半袖でも過ごせるような陽気であった。法事終了後に仙台駅前で牛タン定食をいただいた。私が仙台を離れてから牛タンが流行った。私の感想では、定食に共通して付いている、浅漬けとテールスープが人気の秘密だとおもう。
午後に東名(とうな)まで出向いて津波被害のあった野蒜海岸を妻に見せようと思ったものの、帰りの新幹線の時刻に間に合いそうもなくて断念した。
替わりに仙台市天文台を訪れた。展示を駆け足で見たのち、プラネタリウムの投影を50分見ることができた。

今回の仙台、それなりに収穫があったような気がしている。

夕食後おみやげを購入して、新幹線に乗車。
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本日は法事

2015年03月27日 08時36分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
朝食は昨晩購入したパンと野菜ジュースと、ホテル備え付けのテイーバッグ。
法事終了後の昼食は少し豪華にしてみたい。
午後の予定はまだ未定。妻は昨日はレンタサイクル「DATE BIKE」で市内を回っていた。なかなかいい制度のようだ。次回はわたしも利用してみたい。



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東北大学100年史閲覧

2015年03月27日 01時27分36秒 | 読書
昨日は大学の資料館で「100年史」なるものを3冊と過去の広報を集1冊を閲覧、借り出して生協で150頁ほどをコピー。2時間近くかかった。1968年度から1974年度位までの時代を覗いた。
当局側のいわば勝者の側の把握と資料だが、対局にいた当事者であるわたしの目を通せば当時の状況がリアルに呼び起こされる。むろん私のなりの見地に変換されて甦るのだが、当然のようにある種の痛みと悔恨ともどかしさと怒りと気恥ずかしさと、懐かしさが渦巻いて脳裡に沸き上がる。キリキリするような思いが頭蓋骨の中に充満した。
時代という言い方で済ますのは避けたい。
これだけの作業で過度に疲労した気分で、散歩中の妻と合流して、やっとわれにもどった。
夕食は国分町の近くの居酒屋に行った。最初に覗いた店の入口に「安部首相も店を訪れてマグロを絶賛」と写真が貼り出してあるのに妻が気付いて「入りたくない」と指摘。わたしもがっかり。三陸の魚が美味しそうな店だったのに残念ではあったが、拒否反応の方が強かった。
あわてて別の店に飛び込んだら全国展開のチェーン店でがっかり。しかし肴に注文したヤマウドの盛り合わせが美味しかった。天ぷらと生のステイツクのてんこ盛り。新鮮な生の食感がとても嬉しかった。
生ビール1杯と日本酒1合ですっかり酔いが回ってしまった。作業で頭が興奮したためか、見たくもない人のにやけた写真を見てしまったためか、わからないが・・。







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不思議な体験

2015年03月26日 07時01分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 学生の頃仙台に5年住んでいた。今から思えばわずか5年だが、当時の年齢の者には10年、20年住んだような気分でいた。それだけ濃密な時間を過ごしたのだと思う。
 私は仙台の街そのものには大変お世話になったと感謝している。下宿先やアパートの周囲の皆さん、生協の食堂で働いていた方、アルバイト先で知り合った方達、街中の喫茶店や飲み屋の常連と店員、近くの惣菜屋でおまけをよく入れてくれた親爺さん、ストーブ用の灯油をいつもアパートの2階まで運んでくれていた方等々‥数え上げればきりがない。
 飯屋、○○ラーメン、△△ラーメン、☆☆会館、★★書店、西公園のプラネタリウム、ジャズ・ビートルズ・クラシックそれぞれの専門の喫茶店‥‥みんな無くなってしまった。○○ラーメンは復活したが残念ながら私の覚えている味ではない。昔の姿で現在も残っているのは壱弐参横丁・文化横丁くらいだろうか。

 ある3年目の冬の日の夜、デモの帰りに居酒屋で飲み過ぎてフラフラ歩いていたが、酔いが回って国分町のはずれの方で酒瓶の入った木箱に腰かけて震えていた。紙袋にはデモで被ったヘルメットとタオルを入れていて抱えており、デモ帰りの学生と一見してわかる格好だった。
 その木箱を置いてあるバーのバーテンが寒いだろうからと店の中に招き入れてくれて、カウンターに座らせてくれた。金のことは心配するな、と云われた。そしてごくうすいウィスキーのお湯割りを作ってくれた。客はいなかったと記憶している。30分ほど居て、酔いが落ち着き、しかも体が温まったのでお礼をいって、なけなしの1000円札を出そうとしたが断られた。
 今晩は店が暇だからとか何とか云いながら、24時まで取り留めもない話をした。結局お金を受け取ってもらえず店を出た。当時24時というのは仙台ではもう街中はネオンも消えて真っ暗である。タクシーすら滅多に走っていない。もとより歩いて帰るつもりだったので気にはしなかったが、店を出て1時間ほど歩いて帰ったことがある。

 帰宅してから思い出すと、カウンターに4名、4人用のボックス席が二つの小さなバーであった。平屋の間口の小さな木造の店で「紫」という看板が出ていた。当時はカラオケなどというものもないし、テレビも置いてはいなかった。確かに客もいなかったようだ。

 いつでも遊びに来いというので、その後夏休み前までの半年で5~6回ほどその店を訪ねた。お礼がてら少しは売り上げに貢献したかった。時間は20時から21時位の時間帯だったと思う。学生が訪れるには遅すぎる時間でもあった。いつも水割りを1杯頼んだ。つまみはピーナッツやチョコレート、チーズ、ポテトチップ程度の乾きものと野菜スティック、浅漬け程度しか置いていなかった。私にはそのつまみを注文する金銭的なゆとりもなかった。しかもメニューも値段表もなかった。
 私が注文したものを飲み終わると、バーテンは他の客の入れているボトルからウィスキーをくすねて2杯ほど水割りを飲ませてくれた。それで300円くらいだったと思う。店に客はあまり入っておらず、経営状態はよくはなかったと思う。ときどき来る客もウィスキーを2~3杯飲んでツマミを1品注文して、大概は金は払わずツケで帰っていった。カウンターで飲むひとり客も私に声を掛けるでもなく、またバーテンと長々と話し込むこともなかった。ボックスに座る客も30分から1時間で出ていく客ばかりだった。

 私がいつも払ったのが300円と云っても当時は学食の定食が一番高いもので150円だったから学生には1日分の食費に近い大金でもある。肉体労働で一日1500円なら高い方であった。ホステスはおらず、男の店員がときどき1名いた。どうも他の大学の学生アルバイトのような感じもしたが、言葉を交わすことはなかった。
 絨毯の敷き詰めてあるボックス席に客が来ていても一向に気にしないで私に語り掛けてくれた。特に処世訓を垂れるわけでもなく、サントリーとニッカの違いだとか、カクテルの作り方のコツだとか、ボトルのウィスキーの入れ替えの仕方だとか、ボトルの口が空いていなかったかのようなキャップの細工の仕方だとか、後ろのボックスにいる3人はやくざだとか教えてくれた。そんな風にして何となくかわいがってくれた。

 世間知らずの私にダルマといってもバーで出すダルマでもほとんどが最初から中身は角だよ、あるいはダルマをボトルキープしているうちに中身は角にすり替わっているものだよ、と教えてくれた。ダルマだ、角だ、ホワイトだといったってわかる人はまずいないとのことであった。
 ダルマの中身を角に変えれば儲かるかもしれないが、しかし店が購入した時にダルマら入っていたウィスキーはどこにいってしまうのか、未だに理解できない。ダルマの中身をどこかでリザーブとして売る場面があれば儲けはあるはずなのだが、そんな高級なウィスキーは扱っていなかったようだ。
 あるいはいいウィスキーは別の容器に入れて自分で飲んでしまっていたのかもしれない。それならばそのくすねる量はたいしたことにはならないはずである。やはりよくわからない。
 すらっとして髪が黒々としていた。歳は60歳になっていなかったように記憶している。政治の話をするわけでもなかったし、世相談義をするわけでもなかった。私もそれが嬉しかった。ただし大学の悪口は言っていた。大学教授というのは礼儀知らずだというのだが、一般論として断定してしまうのにはちょっとついていけなかった。

 そうして5~6回ほど通ってそのままいかなくなってしまった。学生が通うようなところではないと思っていたので足が遠のいた。雇われマスターと思しき歳取ったあのバーテンが、どうして私を招き入れて、しかもただ酒を飲ませてくれたのか、未だに理解できない。
 数年前に国分町を歩いてその店を探したが、木造の建物そのものが消えてなくなっていた。小さなビルが建って、1階から3階にかけてバーが数軒入っていた。それでも決してきれいな一角ではなかった。

 昨晩寝る前に先の投稿にいただいたコメントを考えているうちにふとこんなことを思い出した。

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明日は仙台

2015年03月25日 19時17分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日から一泊の予定で仙台に行く。明後日のお昼前に義兄の納骨のためである。ついでと云っては失礼にあたるかもしれないが、明日は仙台の東北大学片平キャンパスによって、東北大学100年史の一部のコピーをしてきたいと思っている。
 昨年夏に東北大学資料館と魯迅記念展示室を訪れたときの感想を記載した(2014年08月25日、26日、28日付の計4回)。
 その時に東北大学100年史の存在を知ったのだがコピーまで頭が回らなかった。今回半年ぶりにコピーをして、東北大学が1972年前後の学生との関係でどのような記述をしているか、閲覧したいと思っている。
 一昨年当時の混乱に主体的にかかわったものとして、対極にいた大学当局がどのように総括しているか、当時を生き延びたものとして無視することは出来ない。資料館の展示と魯迅展示室のあり様を見る限りではとてもひどい記述ではないかと想像をしているが、実際の記述を見ないことには何とも言えない。そのくらいには私たちも時間という風化に耐えてきた思いは残っている。
 どっこいしぶとく生きてきた私たちのどれだけのズレを大学当局が意識してきたのか、忘却したのか、確かめたいのだ。私たちの牙は磨滅はしていない。
 そんなコピーのための作業を明日昼から夕方までこなしたい。

 どんな結果になるか、楽しみにしている。よもや閲覧拒否など門前払いはしないと思うが、どうであろうか。

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