Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「図書5月号」

2021年04月30日 22時02分46秒 | 読書

 帰宅してみると、岩波書店の「図書5月号」が届いていた。本日はとりあえずこちらを読むことにした。
 最近の私の現在の社会状況の把握は、ツィッターとフェイスブック、いくつかの新聞の拾い読み(毎日・朝日・神奈川・東京各紙)と日経サイエンスならびにこの岩波書店の図書くらいになった。現役時代には拾い読みではあるが日経・読売各紙が含まれ、時々ニュートン。日経サイエンスは立ち読みすらしなかった。
 たくさんの新聞を読み、多くの雑誌に目を通せばそれだけ世の中のことがわかる、ということではない。要は想像力であり、選択する力量だと多くの先輩にいわれた通りなのだが、若いころは自信はなかった。しかし一人の人間の読書量は限られたものであり、読むだけで時間を費やしてしまえば考える時間は無くなってしまう。
 もうひとつは書くことだとも思う。書くことで読んだことの整理ができ、必要なことを思い出しながら、取捨選択の能力が養われると思えるようになったのは、40歳近くなってから。それなりの自信にはなったが、今になっては、それで十分だったのか、という反省も湧いてきた。

 せめて、読む量を少しでも増やしていきたい。どちらかというと質より量でこなしたいほうである。あまりに詳細な深読みには自信はない。その量が視力の衰えと資力の減衰で減少傾向にあるのは寂しい限りである。
 


「日経サイエンス6月号」

2021年04月30日 20時50分38秒 | 読書

 温かい陽射しに誘われて、連休初日の本日は、妻と私の親と3人で桜木町駅の横浜市庁舎界隈を散策。新しいロープ―ウェイを市庁舎の3階から眺めたり、昼食&コーヒータイムとしたり、のんびりと過ごした。ローブ―ウェイには少なかったとはいえ、人が並んでいた。桜木町駅界隈は、連休中は人出が少ないかもしれないと思っていたがも、家族連れもチラホラいて、にぎわっていた。
 横浜駅に戻り、二人と別れ、私はかなり遠回りをして神奈川大学の六角橋キャンパス経由のウォーキングで帰宅。1万7千歩ほど。



 横浜駅の有隣堂で「日経サイエンス6月号」を購入。神奈川大学の生協前のベンチで「特別解説 COVID-19 危うい後遺症 体内で何が起きているか」ならびに「DNAが明かす疫病史 ペスト流行とローマの興亡」を読み終わった。
 理解できるか、自信はまったくないが「特集 時空と情報」には目を通してみたい。


新緑が眩しい

2021年04月30日 11時00分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩は1時ころには風はおさまった。23時ころに最大瞬間風速23.4mの南南西の風が吹いたようだ。22時ころ、妻がベランダの鉢を2つほど部屋の中に入れ、その他の鉢や箒などは隅に寄せたが、雨で服が濡れてしまったようだ。
 布団に入ったころには風の音は聞こえなくなっていた。

 本日は未だ強風注意報は継続しているが、他の注意報は解除。明るい日差しで緑が眩しい。

 パナソニック汐留ミュージアムのクールベ展のチケットがあるのだが、「当面の間」閉館になってしまった。クールベ展は6月13日までが会期だったので、何とか再開してもらいたいものである。
  「あやしい絵」展も、国立近代美術館が5月11日まで閉館となってしまった。こちらは5月18日までの会期だったので、再開しても1週間しかない。混雑も予想される。事前にチケットを手に入れていなかったのが救い、というのは悲しい。


風が強まる

2021年04月29日 23時23分17秒 | 天気と自然災害

 強い雨の区域が上空を通過中である。強い雨の区域とともに風が強くなって、風の唸り声が大きい。雷・強風・波浪注意報に大雨注意報が加わっている。雷がなっていないのがありがたい。
 しかしレインアイよこはまを見る限り、この5mm未満とはいえ雨の区域は茅ケ崎・藤沢・江の島あたりの海岸で次々に生まれて北上していく。雨量は少なくなっているが、かえって風がとても強くなった。

 まだまだ油断できない状況である。本日の雨の最後のひと暴れといえるかもしれない。


シューマン「幻想曲Op.17」「森の情景Op.82」

2021年04月29日 22時04分13秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 一時間ほど前から30分程度、かなり強く振った。20ミリ程度の雨の区域が南南西から北北東へ流れていった。この南風は朝から変わらず、ベランダにはだいぶ雨が吹き込んだ。
 日付が変わっても降り続くらしいが、今のところ強い雨の区域はレインアイよこはまの画面の西側、南側には見当たらない。現在降っているのは最大10ミリ程度の雨。
 しかし江の島・鎌倉あたりに強い雨の区域が上陸してまもなく、こちらまでやってきそうな気配である。この強い雨の区域がピークのような気もする。

      


 先ほどから伊藤恵のシューマニアーナⅤを聴いていたが、どこかで聴いたような曲が聴こえた。CDの目次をよく見ると、ルービンシュタインのクライスレリアーナに同梱していたシューマンのOp.17の「幻想曲ハ長調」であった。リストに献呈された曲とのことである。

 第1楽章の後半5分も続く今にも消え入りそうな部分は大胆な組み立てだと思う。第2楽章は明るい旋律で軽快。第3楽章のは第1楽章に続く内省的な曲である。本日の雨の音にまぎれてしまうような静かさがある。時々浮かび上がるようにフォルテとなるが、すぐに弱奏になり、美しい旋律が流れてくる。最後は第1楽章と同じく、消え入りそうに終わる。
 こういう曲想が私にはシューマンらしさなのか、と勝手に思っている。

 続く「森の情景」(Op.82)も変化に富んだ曲で、9曲で構成されている。聴いていて飽きない。


シューマン「子供の情景」

2021年04月29日 19時40分21秒 | 読書

 いっとき強めの雨になり、風も強かった。今は、雨も風も弱まっている。夕刻になり気温は低くなっている模様。

      


 マーラーの第1番《巨人》のシンフォニーを4回ほど聴いた。少々耳と頭がもたれてきたので、今度はシューマンの「子供の情景」(Op.15) 。演奏は伊藤恵で彼女の「シューマニアーナ」の5巻目。
 本日のような雨の日に聴くにはこちらのほうが相応しいのかもしれない。第7曲の「トロイメライ」はあまりに有名。小学生の頃から音楽の時間に聴かされた。しかし小学生の私でもあまりに甘ったるい曲だと思ってその後は敬遠していた。
 最近、その呪縛が説かれたのかもしれない。冷静に音型を追えるようになってきた。伊藤恵の演奏は、初めて聴いたとき少し情感が過剰に思えたが、さらっと弾いてしまうよりも、この程度までテンポを落としたほうが、甘さに流されずに、じっくりと聴けると感じた。第12曲も第13曲もいい曲だと思えるようになったの最近だと思う。それにつれて他の曲も十分に心が落ち着く佳曲だと思うようになった。


マーラー「交響曲第1番《巨人》」

2021年04月29日 15時49分13秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 朝から弱い雨が降り続いている。起きだしたころは1mm未満の雨だったが、今は最大5mm程度の雨が降っている。横浜でも湾岸部にかけて狭い範囲であるが30mmの雨の区域もあるようだ。箱根から西には50mmの雨の区域も広がっており、東に進んでいる。

 昨日出来上がったニュースの原稿を見直しているうちに、見出しの文字に飾りを点けたり、イラストをいくつか付け加えてみたくなった。また編集を職業にしている娘の意見を聞き、記事本文や見出しの文章も訂正。
 印刷所での編集を経ないので、こういう時に親族にプロがいるのは助かる。しかも無料で、というのは申し訳ないとは思いながらも、甘えてしまった。

 雨で外に出る気が失せている。

 雨にあった曲を聴きたくなったのだが、先日友人からマーラーのシンフォニーにメールで言及があった。



 私は第1番《巨人》、第4番、第5番を好んで聴いていた。エリアフ・インパル指揮のフランクフルト放送交響楽団の演奏を全曲そろえて聴いていた。CD2枚にわたる曲は面倒なのであまり聴いていない。2枚組みでよく聴いたのは第6番《悲劇的》。
 よく理解できない訳の解説を読もうと努力はするもののいつも解説は放り出してしまう。そして曲の流れにだけ身をまかせて聴いていた。
 今回は、友人のメールに刺激を受けて数年ぶりに聴いてみた。私のUSBアンプで音を絞って聴いている。音はそれなりにのびやかに聞こえる。印象的な旋律や動機が次々に思い出される。じっくりと管楽器の音を聴き分けながら、聴くのもたのしいものである。懐かしさと新鮮さが同時にやってくる。
 マーラーの劇的過ぎる音の構成、特に管楽器の奔流は好き嫌いがはっきりしている。しかし木管やハープの美しいソロの旋律が聴こえてくると、ホッとするときがある。この快感を求めてまた聴いてしまう、という別の友人がいて、盛んに私にマーラーのシンフォニーを勧めてくれた。その友人には今でも感謝している。



 なおこの曲は1888年にでき、翌年に初演された。関係はないが、大日本帝国憲法が発布され、さらに翌年帝国議会が開かれた。そんな時代にできた曲である。




こんな花を見つけた

2021年04月28日 23時45分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 本日いつも歩く道で、ジャーマンアイリスが咲いているのを見つけた。やはりずいぶん早いようだ。
 そしてアジサイも花芽を点けていたのに気が付いた。少しだけ色づいていた芽もあった。こちらもやはり少し早いと思った。
 こんなに早く花々が咲いているのは、春先の気温が高かったことだけが原因なのだろうか。ふとそんな疑問も湧いてきた。
 しばらくは花の開花状況を注視していきたい。

 


進化から取り残された‥

2021年04月28日 20時25分03秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日の喫茶店で、私のあとから入ってきた二人の高齢男性の会話から。多分二人とも75歳を優に超えていると思われる。二つほど隔てた席に坐ったが、大きな声が聞こえてきた。
 いわく「二正面作戦がはっきりした。これに勝ってこそ日本の真価が発揮される。日本は二正面作戦は得意。日露戦争だって、ロシア相手に陸軍が互角で対峙しているうちに、日本海海戦で勝利して勝った。一方で惹きつけて対峙しているうちに電撃的に一方で勝利する。これが全面勝利に導く。太平洋戦争だって、ロシアが参戦して三正面になったから負けた。我々の会社も今の社長が思い切って、二正面作戦で販売戦略をたてるよう若いものにはっぱを掛けないと、先細りだ」と息まいていた。
 こんな年寄りが今の経営者に影響力がある会社は、多分もうダメな会社だとあきれていたら、突然もう一人が、「政府も弱腰だ。コロナとオリンピックとの二正面作戦こそ、日本を強くする好機だと、どうして国民に訴えないのか」と一段と声が大きくなって、思わずそちらを見てしまった。他の客も驚いたらしく、みんなの注目を集めた老人二人。
 いやはや、恐ろしい人たちである。二正面作戦、古来、これを選択したらどんな英雄も敗北した歴史がある。外交努力で二正面を回避するのが、上策なのだ。二正面作戦に持ち込まざるをえなかったらそれは敗北なのである。
 近年ではナポレオンのイベリア半島と対ロシア作戦、ヒトラーの対英仏と対ロシア、日本の対中国と対米戦争。歴史の学ばない人たちである。
 しかしこういうわけのわからない主張が、こういう人たちは好きなのだろう。私は十代後半以降50数年、そんな話をしたこともない。どういう精神構造なのか、とても信じられなかった。店にいる人にわざと聞こえるように大声を出しているようにも思えた。
 私はあまりに不愉快なので、早々に席を立って店を出た。

 COVID-19とオリンピックの二正面作戦をやっているから、どっちも外堀が埋まって達成できないのが、今の日本の状況である。外堀が埋まっていることを自覚できない政府と組織委員会がふんぞり返っている限り、日本という国は、感染症での犠牲者は増え続け、死者もどんどん増えるのである。精神論でスポーツに勝つという、世界に通用しないガラパゴス的スポーツ理論が横行する日本である。
 こんな日本になったのは、ここ10年ほどのような気もする一方、私が生まれてからこの間、日本は何も学んでこなかったのか、という思いもする。嫌な時代に生きている気がする。

 だが、一方で一見リベラルな顔をしている人々にも二正面作戦に引きづられている勢力がある。それ以上は差し控えるが、権威と歴史と「正当」にすがる人々ほど、「自分たちだけが正しい、自分ら以外のグループは敵」という錯覚に陥りやすい、とだけ記しておこう。

 


お断り「目的のためにすべてを‥」

2021年04月28日 14時20分31秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 今朝は9時半過ぎまで寝てしまった。7時ころいったん目が覚めたものの再び2時間以上寝てしまった。あまり気持ちよさそうに寝ていたので、起こすのがかわいそうだったと言われてしまった。そんなに疲れていたとは思わなかった。

 午前中は出来上がったニュースの原稿の指摘箇所を訂正。朝一番で指摘のメールが届いていた。やはり他の人の目を通すといくつも出てくる。私の勘違いで書いた文章もあった。
 問題は、訂正をしたら字数か増えてしまったために少し割付を変えなくてはいけなくなったこと。こういう失敗が一番つらい。そのほか、一晩経ってから気が付いた不備を三点ほど自分で見つけた。
 A4の表裏だけだが、不備はたくさん出てくる。

 午前中の作業は終了。これより出かけよう思うが、陽射しはあるものの、風がかなり強い。

 さて、緊急事態宣言が3たび出た。都内の美術館のチケットが仕えない。何しろ多摩川を越えてはいけない、ということになってしまった。しかも灯火管制もするという。
 が、これまで医療現場や福祉現場の予算や人員体制を「採算」を前面にたてて削減しておいた失策の反省もなく、またその復元の手立ても不十分なまま、国民に「耐乏生活」を強いる政治にウンザリである。
 集団感染の「経路不明」の大半はあの「蜜」の見本である通勤・通学の電車・パスであることは容易に察しが付く。これまでそれを止める手立ての模索もしないできて、今頃になって都県境をまたぐなというのもいい加減なものである。リモートワーク・時差出勤・通勤時間の短い職場への分散化などの具体的な展開も示してこなかった。
 日本の企業の多くはすでに自律的に変化に対応できずに、国家の指導待ちといわれて久しいそうである。働く人を大切にして来なかったツケでもある。
 しかも、感染者対応で医療現場が崩壊に近く切迫しているなかで、ワクチン接種がようやくはじまり、早くて7月から8月が医療関係の人手の需要のピークになろうとしている。そんな時に「7月末からのオリンピック・パラリンピックのために医師と看護師を800人確保」などというたわごとが、「組織委員会」からの「要請」としてあったとのこと。「オリ・バラ」といえばすべてが許されてしまうという実績を作ってしまっている。
 国会の予算執行のチェックを超越して平然としている。予算も企画も、すべてがブラックボックスの中にしまわれてしまった。競争入札を経ない単独委託、丸投げ委託、人件費などのチェック、中抜きなどのチェックをしようともしない政府。これでは無駄遣いが横行するだけである。
 「聖火リレー」を見ても、自治体は「組織委」の言いなりである。
 誰が考えても不可能・不思議がまかり通る日本である。80年近くの昔に埋葬したはずの「強権」が再びよみがえっている。亡霊ではなく、実害のある魔物として。人を消耗品とした日露戦争以来の戦争国家、強権国家日本が復活している。為政者はとんでもない勘違いしているとしか思えない。
 「国威発揚」のために「すべてが優先する」国家は、病んでいる。不健康そのものである。「目的のためにはすべてを犠牲に‥」、そんなことはお断りしたい。


なんとも情けない思い込み

2021年04月27日 22時27分26秒 | 読書

 明日以降、ゆっくりと天気は下り坂という天気予報に接した。明日はまだ外歩きはできるようだ。予報では、明後日は本降りとなるという。

 さて、本日は喫茶店で「バロック音楽 豊かなる生のドラマ」(磯山雅、ちくま学芸文庫)を読んでいたら、これまで間違って覚えていた事項があった。
 実は私は、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)はカトリックだとばかり思い込んでいた。この本で実はルター派の信仰であったと聞いてびっくり。私はバッハはカトリックだといつ、誰に聞いたのだろう。なんとも情けない話である。
 思い込みだけで、確かめもせず50年近く生きてきたことになる。なんとも情けない。
 以前には、恥ずかしげもなく、カトリックのバッハとこのブログにも記載をしていた可能性がある。そのような表現があったら、訂正しないといけないが‥。恥ずかしながら、恥は晒しておこう。
 この本を読まなければ、間違いに気が付かず生涯そのまま思い込んでいたかもしれない。


月による自分の影

2021年04月27日 20時51分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩は十五夜の月の下を20分ほど歩いてきた。月がほぼ真上に見えたが、下を見ると月による自分の影を見ることができた。とても微かな影であるが、道を東西や南北に行き来するうちに、間違いなく月による影だと断定できた。ずいぶん久しぶりに見たと思った。月によってできた自分の影を追いかけているうちにいつの間にか自分の影が今度は後ろにできていた。
 月による影は残念ながら街灯や車のヘッドライト、コインランドリーやコンビニの灯りですぐに消えてしまうほどの儚さである。
 そんな遊びをしているうちにあっという間に20分経って自宅にもどってきた。小さいころに戻った気分になった。しかし23時過ぎに月による自分の影で遊んだことはないはず。子どもの頃は、真夏の昼間の影遊びであったはずだ。
 そんなふうに時間が混同するのは、何という現象なのだろうか。

 大人になってからの記憶は2回しかない。仙台での学生時代に、大学の構内で見た記憶がある。アルバイト先から疲れた体で大学の構内を通って住んでいたアパートに戻り途中だった。また30歳を過ぎて南アルプスのどこかの山小屋で深夜に外に出たときに見た記憶もある。そのときは通りがかった人のヘッドランプで一瞬消えたが、すぐにくっきりと元に戻った。
 いづれも疲れた体を引きづっていた時の記憶である。しかし昨晩はそんな状態ではなかった。

 本日は満月、ふたたび月による自分の影が見られるだろうか。


編集作業は何とか終了

2021年04月27日 18時39分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 気持ちの良い陽気であった。午前中は昨日の作業の続き、昼は喫茶店で軽く二人でランチののち、買い物に付き合わされた。しかし食料品以外は、一人でないと落ち着いて買い物ができないそうである。むろん私も購入するのか、しないのかはっきりしない買い物に付き合うのは遠慮させてもらいたい。私は有隣堂で物色と立ち読みで私なりの充実タイム。

 遠回りをしてウォーキングがてら帰宅。かなりの汗をかいたので、途中の小公園で水分補給をしながら、休憩。



 カワヅザクラの実は熟して黒くなったものもたくさんあった。しかしほとんどが小鳥に食べられたようだ。どこに種が撒かれたのだろうか。
 桜の実ではなく、葉っぱにピントが合っているのは、ご愛敬として笑ってほしい。

 夕刻にかけて編集作業を再開、なんとか出来上がった。夜に再度チェックをしてから他の役員に送信予定。

 


伊藤恵「シューマニアーナ」

2021年04月26日 22時16分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日までは、アルトゥール・ルービンシュタインの演奏でシューマンのクライスレリアーナ(Op.16)を聴いていた。本日は伊藤恵によるシューマニアーナの第1巻で同じクライスレリアーナを聴いている。
 印象はかなり違う。特に最初の第1曲は別の曲かと思うほど印象が違う。演奏時間も伊藤恵では2分4秒と、52秒も短い。繰り返しの部分の省略かと思うが、楽譜を持ち合わせていないのでよくわからない。ルービンシュタインは旋律が明瞭に浮かび上がるような演奏をしているが、伊藤恵の演奏ではそれが私にはあまり目立たないと感じる。果たして楽譜はどうなっているのか、といも気になる。
 しかし楽譜は図書館には揃えていない。購入する資力もない。困ったものである。
 2曲目以降は細かいところで違いがあるが、1曲目ほどの違いは感じない。伊藤恵のほうはシューマンのピアノ曲の全曲録音版がシューマニアーナとして13巻以上ある。その格闘に敬意を表している。全巻はそろえていないが、そして知らない曲ばかりであるが、たまに取り出して聴いている。


本日は十五夜

2021年04月26日 21時33分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 退職者会ニュースはようやく85%ほど出来上がった。明日には仕上げて、今週中にも他の役員のチェックを受けたいものである。すくなくとも5月7日には印刷を終えたい。

 本日は眼科で、近くを見るための眼鏡の処方箋を作ってもらった。同時に眼圧は点眼薬にも関わらず、片方が思うように下がっていないとのこと。代診の先生だったこともあり、薬の変更も含めて判断する必要があるといわれ、再度の診断を求められた。
 診察後、眼鏡店で眼鏡を作るといくらになるか、概算の値段だけを聞いてきた。費用の工面も必要なので、連休明けに新調する予定をたててみた。
 しかし医療に係る費用がつらい。なんとかならないものだろうか。

 本日は十五夜。満月は明日。一見ではほとんど差がない。本日の夜のウォーキングで月が愉しめるだろうか。本日の歩数は少な目だった。あと20分ほどは歩いてみたい。月を眺めながら、ゆっくりと。