Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

台風の後遺症

2011年09月28日 22時07分17秒 | 俳句・短歌・詩等関連
本日の俳句
★かみほとけ風船葛を透かし見る
★甍へも陽のてらてらと秋の蝶
★黄落や夢若き日も風吹いて

 先日の台風15号の雨により、多くの樹木が塩害を受けている。銀杏はもうすっかり葉を落としてしまっている。欅も木全体が茶色に変色しているものもある。プラタナスも多くの葉が縮れている。葉の厚みの薄いものほど被害があるようだ。
 列島を縦断した台風であるから秋の紅葉シーズンの観光にも影響がでるかもしれない。農産物も葉物を中心に被害があるのだろう。街中では冬近くなって見られる街路樹の銀杏の黄落は見られないかもしれない。


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シベリウスについてⅣ

2011年09月26日 21時43分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 8月20日にシベリウスのピアノ曲について記載した。その後、オムニバス風の小品集ではなく、是非全体を見渡せるまとまったピアノ曲全集みたいなものが欲しいと感じていた。
 渡邉規久雄のピアノによる3巻のシベリウスのリサイタルのライヴ録音によるピアノ曲集があるのがわかったが、如何せん1巻3000円である。3巻9000円也の決心がつかないまま、一ヶ月が過ぎとうとうその内の第3巻(2010年収録)を購入してしまった。そして同時に店頭にない第1巻(2003年収録)と2巻(2007年収録)も注文してしまった。
 この第3巻には、作品58の10曲、作品76の13曲、作品101の5曲といった計3つの作品集が収録されている。作曲家自身が作品集としてそれぞれまとめたものを一括して聞くとそれなりにそれがどういうまとまりなのか、説明できる力量はないが、それぞれまとまりのある3つの作品に聞こえる。
 全体の感想は、全3巻を聞いた後に記載しようと思う。

 本日はこの第3巻と、シベリウスの交響曲第4番(ヤルヴィ指揮、エーテボリ交響楽団)を聴いた。私には魅力的な作曲家である。

 先日も9000余円の本の購入をし、また9000円ものCDを注文してしまった。当面本もCDもお預けである。
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モーツアルトのバイオリンソナタ

2011年09月24日 23時50分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 一昨日から昨日にかけて久しぶりにモーツアルトを聴いた。モーツアルトの後期のバイオリンソナタ集で第24番から第43番まで。演奏はバイオリンがヒロ・クロサキ、リンダ・ニコルソンのフォルテピアノ。いづれも楽器が18世紀末のものを使用したとのこと。バイオリンは弓も3種類を使い分けているとの凝りようだ。
 クラヴィーアからピアノフォルテへと変わり表現力が向上した頃の音を再現しているのである。またバイオリンとフォルテピアノが同等の比重で曲を構成するよう移行した次期にあたると、解説書には書かれている。調律も非平均律、A音も430ヘルツと当時の音に近づけているとのこと。
 私はこのモーツアルトのバイオリンソナタはこの演奏しか聞いたことがないので、他の演奏との比較はわからないが、バイオリンとフォルテピアノの比重が同じということはよくわかる。弓の使い分けは聞き分けられない。
 
 ぎっくり腰のためベッドに張り付いている間、じっくりと聞くことができた。
CDも円高還元で安くなっているらしい。この際、古楽器へのこだわりの演奏ではなく、20世紀のいわゆる名演をさがして聞き比べるというのもわるくはないような気がする。

 一方でシベリウスのピアノ曲も聞きたいが欲しいCDが売り場にないのが残念である。
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俳句誌投句

2011年09月23日 19時34分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連
今月の俳句
★人の世に風のなき時秋の蝉
★ひとつふたつ筋を引きつつ秋呼ぶ雲
★野分立ち酒場の提灯にじませる
★秋めいて孤独の靴音響く夜
★陸奥なればまして名月輝けリ
★名月に列車は遠き明かりより
★十六夜や厨にかげの立ち姿
★糸瓜ぶらり我もぶらりと風の中
★アーケード超え豊満の月天空へ
★新涼や白シャツひらり乗車する
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台風一過

2011年09月22日 20時24分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は台風一過、朝から富士山と丹沢山塊の全体が見渡せる日和、実にすばらしい景色であった。雪を被っていない富士であるが間近に見えた。雲もなく台風の雨と風が空気中の塵や埃を洗い流してくれたようであった。
 ただし、台風の風雨はかなり塩分を含んでいたようで、ゴーヤ、朝顔などの葉は軒並みもう黄色く枯れていた。このままでは他の広葉樹も被害が出るかなと思っていると、何と昼過ぎに大雨警報と洪水注意報が突如発令された。これで塩分も洗い流されるかと期待をしたのだが‥。
 私の勤めている近辺はほんの少しの小雨でおわってしまった。これでは塩分を洗い流せない。横浜の中心部ではかなり降ったようで、横浜球場のある横浜公園はところどころ水たまりも残っていた。

 さてぎっくり腰が再度痛み出し本日の午後は椅子から立つのも座るのもつらく、帰途は杖がほしくなった。ようやく先ほど帰宅、早速就寝するとしよう。

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豊満の月

2011年09月20日 19時40分01秒 | 俳句・短歌・詩等関連
本日の俳句
★青柿やペットボトルをごくごくと
★アーケード超え豊満の月天空へ
★新涼にシャツがひらりと乗車する

 秋台風の声を聞く頃になりようやく新涼という言葉が出てきた。大型の台風の由、被害のないことを祈るのみ。
ぎっくり腰、本日一日休養のお陰か、随分と楽になった。
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ぎっくり腰

2011年09月19日 22時35分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 金曜日の夜、焼肉店で床に1時間座ったのがいけなかった。帰るときにぎっくり腰の症状が出て一人で歩けなくなった。妻の肩にすがりつきながらゆっくりゆっくり歩いたものの、家までがやっと。店では座布団を2枚敷いて、一枚は半分に折って座椅子のように座っていたが、それでも無理がかかったと見える。
 土曜の夜と日曜の午前は家の中でも杖にすがりついて移動した。ことに便所での所用がどうしようもなくつらかった。風呂はシャワーだけにしたので何とかなった。しかし歳をとって杖が手放せなくなったときのことを考えてしまった。
 シップを貼ったのが効いたのか、日曜の午後には多少ぎこちないものの痛みがひいたので、妻の肩につかまりながら犬塚勉展を見てきた。そして本日の午後、明治公園の脱原発を訴える集会に狩り出されていたので、杖をつきつつ参加。6万人参加の集会のため人・人・人。集合場所までやっとたどり着いたものの、2時間待ってもデモに出られないので、先に失礼して帰宅した。
 しかしこの2時間の立ちん坊が良くなかったようで、再び家の中でも杖をつかないと移動できなくなった。はたして明日は出勤できるだろうか。心配になってきた。

 帰宅後はインターネットで有隣堂に6冊     
「世に棲む患者」(中井久夫/ちくま学芸文庫)
「「つながり」の精神病理」(中井久夫/同上)
「「思春期を考える」ことについて」(中井久夫/同上)
「季題別石田波郷全句集」(石田波郷/角川学芸出版)
「百句燦燦」(塚本邦雄/講談社学術文庫)
注文してしまったが、8225円也はちょいと痛かった。
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犬塚勉展-純粋なる静寂-

2011年09月18日 20時08分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 友人に奨められて日本橋高島屋で開催中の絵画展、犬塚勉展-純粋なる静寂-を見た。1949年生まれというから私の二歳上だ。そして1988年38歳の時谷川岳で遭難死を遂げる。
 大学卒業後美術教師として出発し、スペイン遊学を経て仏像がなどの試行錯誤を繰り返しつつ、突如として1984年頃から登山の趣味から生まれたスーパーリアリズムとも言うべき精緻な筆致の絵を描き始める。
 それまでの試行錯誤からは突然の転位を果たす。この転位後の第一作とも言うべき「ひぐらしの鳴く」と題された絵は、草の一葉一枚、茎の一本、花の花弁一枚一枚まで取り付かれたように精緻に、絵自体の構図や中心的題材など眼中にないように、画面いっぱいに描きつくす。
 展覧会の副題にもあるようにそれは静寂に包まれた草原の一瞬の光のもとの光景に見える。どこか懐かしく、その中に寝転んで見たい衝動にかられる絵である。転位後は対象を見る視点の低さが特徴だ。
 私は最晩年の1986年作の「銃走路」が気に入った。その後作者は山の木の切り株やブナの大木、そして絶筆となる「暗く深き渓谷の入口Ⅰ」のような大きな岩へと絵の対象、関心の対象を広げていって突如として遭難死という終焉を迎える。
 一連の木の切り株の絵やブナの大木の絵、巨岩の絵は、スーパーリアリズムから一歩超えた自然に対する畏敬の念を超えた、ある種の象徴性を暗示させるものがあるだけに早すぎる死は残念でならないと感じた。
     
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江成常夫写真展

2011年09月17日 20時52分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は東京都写真美術館で開催中の「江成常夫写真展(昭和のかたち)」を鑑賞してきた。
 「鬼哭の島」「偽満洲国」「シャオハイの満洲」「ヒロシマ」「ナガサキ」と5つの部門に分かれた展示。いづれも日中戦争から戦後を照射し続ける強い生命力のある写真が展示されていると感じた。記録写真・ポートレートという範疇におさまりきらない、戦後の社会を鋭く問い続ける表出意欲を感じた。
 カタログで江成常夫は「昭和が犯した未曾有の過ちを、教育の場からも家庭でも口を閉ざし、責任の所在も曖昧にしてきてしまった。‥時が無常なのは、間違った時代を風化させ、嘘を真に、真を嘘として普遍化してしまうことである。霧の中に置き去りにしてきた「戦争の昭和」の意識の回復が求められている。」と記載している。解説に色川大吉が登場している。
 さて会場に入ってすぐの「鬼哭の島」、これは作者の最新のシリーズらしいが、まずこれに圧倒される。鮮やかな色彩の自然とモノトーンの戦跡・遺物。「『アリゾナ』から浮かび上がる油の紋様」などは造形写真としても一流のものであると感じる。圧倒的な米軍の前に玉砕という名の死が強制された島々の戦争遺物に注がれる眼、それと対照的にそれらの遺物を多いつくそうとする草木と太陽の華やかな色彩、これにたじろがないわけがないと感じる。
 そして何かに挑むかのように鋭い視線を見せる「残留孤児」といわれる人々のポートレート。それと比較して実に温和な視線ないし眼を閉じている「ヒロシマ」「ナガサキ」の被爆者のポートレート。この作為は何を物語っているのか、あるいは作為を超えたものなのであろうか。答えを探ることを求められているような気がする。
 いづれの写真にもほんの数行の作者のものと思われるコメントが付いている。このコメントがあることで写真は実に多くのことを物語ってくれる。
 日中戦争から戦後までの昭和を実に厳しく照射し続ける写真展であった。これからも幾度もカタログを紐解くことがあると思った。

 これは偶然だが、写真展を見る前に、「別冊太陽」の「香月泰男」を購入した。シベリヤシリーズ以外展覧会やカタログではあまり見ない画家の全貌の一旦を垣間見たかったからだ。
 この写真展とどのようにクロスした感想がもたらされるか、私の心の中で時間をかけて醸成してみよう。

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鐘の音

2011年09月15日 22時32分19秒 | 俳句・短歌・詩等関連
本日の俳句
★朝日さす秋野に向かいシャツは黄に
★糸瓜ぶらり我もぶらりと風の中
★鐘の音や風船葛の揺れほのか

 残暑が厳しく熱帯夜が続くといっても、朝晩は秋の気配が漂っている。空気が乾燥し透明度も高いと思われる。昼間の雲も秋の気配だ。まだ早いかもしれないがそれでも団地の広い庭に向かい、出かける前に黄のシャツをあてがってみた。出勤にはふさわしくないので取りやめたが、秋の気配の濃厚な野に出るときには黄の開襟シャツがふさわしいように感じる。そうして秋の風の中を歩いてみたいものだ。

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十六夜の月

2011年09月14日 21時45分09秒 | 俳句・短歌・詩等関連
本日の俳句
★十六夜を待ちて枯れ松孤独なり
★十六夜に列車は遠き明かりより
★十六夜や厨のかげの立ち姿

 昨晩の横浜の夜の空はまったく雲も見えず、十六夜の月が空をひとり占めしている。じっくり見れば星は幾つも見えるのだが、目立たない。雲のない月だけが浩々としている空は満月の日がいい。昨晩の十六夜の月にも、本日の立待の月にも雲がほしいと思う。その雲の合間に星が見え隠れするくらいがうれしい。

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中秋の名月

2011年09月12日 21時36分06秒 | 俳句・短歌・詩等関連
本日の俳句
★秋めいて孤独な靴音響く夜
★名月を過ぎ行く雲の早さかな
★陸奥ならば十五夜まして大きけり
★名月の空分かち合う木々の影

 本日は中秋の名月、旧暦8月15日の月である。暦の上では秋たけなわの名月とのことであろうが、最近の暑さの具合から察すると、これから秋になる、秋の始まりの満月と言いたいのだが。吹く風は秋の風であることは間違いない。気温だけが夏で、湿気も風も空の気配も、街の景色も木々の様ももう秋である。
 月の出の頃には雲ひとつない空であったが、ここ横浜では今になって雲が出てきた。それでも月に照らされた雲が奥行きのある様を見せてくれて見飽きない。雲の速度は速い。あっという間に月を掠めて通り過ぎてゆく。
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山の歩き方

2011年09月08日 20時58分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 20代半ばから登山を始めた。当初は友人に連れて行ってもらったが、やがてというか、かなり早い段階から一人歩きが好みとなった。別に友人と歩くのが嫌だったわけでもないが、ひとりで行った山行が病みつきになったという方があたっているかもしれない。
 ひとりで山道を登っていると、下っているときもだが、実にいろいろな想念が湧き上がってくる。それが楽しみだ。ひとりでジョギングをしたりウォーキングをしているときも同じだ。日常の身の振る舞いの反省、これからのことなど実に色々のことが思い浮かんでくる。それに自分なりの回答や出口を探すのが歩く楽しみである。
 同時に周りの景色にも気を配っているものである。その日の宿泊地であるテント場や山小屋に着いたときに覚えているのは、途中の景色と思い至った想念と半々のような気がする。
 そんなこともあり、私は山に登るときはできるだけ長い尾根を登る、あるいは下山にそのような尾根を選択するようにした。限られた休暇で行く山行だから、登りに時間をかけた場合は下りは急峻な下り、くだりに長い尾根の場合は急峻な尾根の登りを選択してきた。40歳以降は山に行く時間も極めて限られたきて、登りと下りとも時間を節約するために長い尾根歩きは選択することがなくなったのがさびしい。
 本当は人家のある里山から登り始め、畑地の間を縫うようにして登り、長い時間をかけて山稜にたどり着くのがうれしい。そして下りは一気に駆け下り、里の宿で風呂と若干のお酒と、里の人との他愛のない世間話があれば最高である。
 山行はひとりで、そして長い時間山に入り、人里と人のいない世界を出入りすることが私にとっては最ものぞましい時間である。
 25年ほど前、東北の朝日連峰に出かけたとき、人里から上り始め水場でテントを張り、翌日の昼の大朝日岳頂上まで18時間誰にも会わなかったことがあり、感激した。その夕方の小屋では人の姿が懐かしく感じた。
 60歳を過ぎて、職を退いた後そのような山行ができればうれしい。
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旅について

2011年09月07日 21時06分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 旅について赤坂憲雄は「幾通りかの旅がある。風景に触れるだけの旅があり、あらかじめ存在する先入観を壊したり、再認するための旅があり、さらには、足を止めてそこに暮らす人々の話に耳を傾け、メモを取り、思念を揺らしめらす旅がある」(東北学/忘れられた東北)と述べている。
 私はこんな立派なことは書けない。しかも私は口下手だし、メモを取るのも好きではない。だから風景に触れるだけの旅ばかりしているといわれるとそうかもしれない。しかし私は旅の手段についてこだわりがある。歩くことである。
 私は旅が好きで、しかも歩くことが好きだ。めったにない他都市への出張でも、気ままな旅でも行った先では時間の許す限り歩くことにしている。市街地での電車で一駅、バス停3つ位ならば歩くことにしている。
 歩いてばかりはいられないので当然電車かバスかタクシーかであろうが、私は躊躇なくまずは電車を選択する。それがなければやむなくバスだ。タクシー・乗用車はできるだけ避ける。そうしないと方向感覚がなくなるだけでなく、街の風景を楽しむことができない。
 大都市といわれる政令指定都市でも、いわゆる地方都市でも、チェーン店を除き古い商店には都市によって微妙に作りや雰囲気が違う。これといって指摘はできない場合があるのだが‥。特に老舗や建物が古い場合、屋根のつくり、瓦の色艶、屋号のつくり、門構え、店名の描き方、商品の陳列の仕方など違いがある。古い住宅に限らず新しい住宅地でも門構え、玄関のつくりなど微妙に違いがある。
同時に都市の景観はどんな具合か、その都市のランドマークは何か、町全体の勾配や水の流れはどうなっているか、丘と平野部や河川と都市の景観の関係はどうか、などが頭を駆け巡る。
 当然雪のあるなし、降水量の違い、風の強弱など風土の差は当然だがそれ以外の何かを感じることがある。それが何なのか、その場で頷ける場合もあるし、判らないまま忘れてしまうことのほうが多い。それでもせめて観察することは忘れない。直近の旅での経験と比べてどうか、横浜と比べてどうかということは忘れないようにしている。
 それが歩くときや、電車の車外を眺めるときの楽しみである。

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国家の垣根

2011年09月05日 20時47分45秒 | 読書
 台風12号の爪跡の大きさが次第に明らかになってきている。当初の予想どおり関東地方直撃の場合どうなっていたか、いろいろと考えさせられる。

昨日の読了
「古代国家はいつ成立したか」(都出比呂志、岩波新書)
「ヨーロッパではEUが生まれ、国家の意義が変化しています。中東の民衆の動きが国境を越えて連鎖的に伝わるのを見ても、国家の垣根は限りなく低くなっています。」
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