Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

無事帰宅

2014年03月31日 17時55分01秒 | 山行・旅行・散策
カナダのイエローナイフへオーロラツアーで行ってきたが、どうやら成田に帰着した。飛行機が2時間遅れ。横浜の自宅到着は19時半過ぎであろうか。
イエローナイフは天候に恵まれ、オーロラも好条件で素晴らしいものが見えた。写真がきれいに写っていれば嬉しいが・・。
マイナス30℃は厳しい条件であった。
詳細は明日にでもアップ予定。本日はこれから休養。




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西行と長田弘

2014年03月27日 10時02分37秒 | 読書
 平安時代の大歌人と現代詩人長田弘を並べて論じようというのではない。また長田弘が西行を論じているわけでもない。本日からの旅行で読む本を選んだら、昨夜夜中までいろいろ悩んだ末に、この二者の本となったということである。

「詩人であること」(長田弘、岩波同時代ライブラリー)
「西行ー魂の旅路-」(西澤美仁編、角川文庫)

 まずこの二冊、オーロラツアーとまったく関係がない。それがいいのである。短歌と現代詩、それも交わりそうもない関係の二冊、この関係の無さがまた私の気に入った。
 オーロラや、二冊の間に何らかの関係があるのは避けたかった。本当は古典短歌の世界と現代詩も「詩」であることの共通性があるので、他の分野(たとえば世界史関係等)なども考えたが適当なものが無かった。
 いづれも読みかけ、それも最初の数ページだけの本である。どれだけ読めるかまったく想定できない。ほとんど読まずに帰ってくるかもしれない。それはそれで気にしないことにしている。

 西行はこの季節にはいいかもしれない。桜を詠んだ歌だけをピックアップして読んでもいい。
 「桜」にこだわった歌人であることを再度確認しながら、そして私の頭の中で桜・サクラのイメージを膨らませながら帰ってくるのも一興である。




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サクラとブラームス

2014年03月26日 23時35分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 出発を前にして、ドタバタと詩を読んだり、FM放送をかけて見たり、我ながら落ち着きがない。

 先ほど、ツィンマーマン(Vln)、指揮ブロムシュテット、NHK交響楽団によるブラームスのバイオリン協奏曲をエフエム放送で聞いた。
 ブラームスは好きな作曲家だが、最近はシベリウスばかり聞いているので、めっきり聞く機会がない。
 久しぶりにブラームス調を堪能できた。
 自分でCDを選んでいるとどうしても今現在好きな曲、興味のある作曲家ばかりを選んでしまう。ラジオを聴く分にはアトランダムに選曲されるので、それなりに幅広く聞くことができる。時々は初めての曲に遭遇したり、今まで気に掛けなかった個所が気に入ったりと新しい発見ができる。

 先ほどの演奏も、ブラームスのバイオリン協奏曲ってこんなにスムーズに、軽く流してしまっていいのかな、という位に感じたが、終わってみれば「やっぱりブラームス」という終わり方になっていて良かった。

 直接には関係がないことがらなのだが、面白い関係をひとつ。

 ネットで「ブラームス 桜」を検索してみたら、こんな話が出ていた。ブラームスのラプソディ(作品79)の第一番に「サクラ サクラ」という歌のメロディーが出てくるという質問であった。
 それに対する回答は「この曲のその部分は有名ですね!ここはグリーグのペールギュントの中の、オーゼの死、という曲です。この時代、もうすでに有名になっている曲の一部をちょっと使ってみるということが流行ったそうです。」
 まったく私はこのエピソード、知らなかった。「有名である」なんて云われるとゴメンナサイというしかない。
 意外な関連とはいえない関連があるものである。



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あいにくの雨

2014年03月26日 21時19分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 サクラの開花宣言の直後の曇り空、そして夕方には雨がポツンと落ちてきた。今は雲に切れ目が出来て雨は降っていない。しかし明日も雨模様。これで満開までは多少時間がかかるかもしれない。「満開は帰国後」ということは確定したようだとほくそ笑んでいる。帰国後にサクラをめでる散策が出来そうだ。

 本日は、カメラのレンズの保護フィルターとビニールの覆い、そして電池式カイロ用の単三電池を購入してきた。飛行機の中で読む文庫本を物色しなくてはいけない。夜に本箱の前であれやこれや楽しみが出来たような気分だ。本は選ぶのが楽しいものである。だけども候補のひとつ現代詩文庫「続々 吉野弘」詩集は読んでしまった。もう少し読みでのあるものでないと往復20時間以上のバス・飛行機では間に合わない。これは古典の方がいいのかな。すると寝てしまうのも早い可能性がある。困った。

 さて、本が決まれば、たぶんこれで忘れ物は無いはずだ。あとは成り行き任せにするしかない。12時までには本を決めよう。

 雨は明日にかけても降るようだ。横浜駅まで重くはないが嵩張る登山用リュックを担いで歩いていく予定であったが、地下鉄を使わなくてはいけないかもしれない。当然にも、傘はもっていかない。
 31日まで体を動かすことはあまりないのが、苦痛である。贅沢な悩みであるが、ジッとしているのが性分ではないので致し方ない。

 横浜駅発13時のバスで、成田発が19時。

 たぶん明日27日の昼頃の更新以降、28日、29日、30日はブログの更新は行わない予定。現地から更新が出来ればやってみたい気はしているが‥。



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吉野弘「緑濃い峠の」

2014年03月26日 20時08分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 明日横浜から乗る飛行場へ向かうバスの中や、成田からの飛行機の中で、何を読もうかと本棚を漁っていたら現代詩文庫の「続々 吉野弘」が目に入った。読んでいたら「緑濃い峠の」という詩が目についた。詩集「陽を浴びて」に収録されている。
 でも大体読んでしまったので、これは持っていくわけにはいかなくなってしまった。

 緑濃い峠の

緑濃い峠の
緑にも染まらず
私の乗った赤い電車が
林をつらぬき走り続けた。
あのとき
風をまとった電車にあおられ
のけぞり、たわみ
葉裏を返し、激しく揉まれていた線路際の木立ち、
伸びすぎた梢は
電車にはじかれ、ピシピシ鳴っていた。
あの風景が、なぜ今も
私の目にやきついているのだろう。
赤い美しい電車に素気なく撥ねつけられているのに
それをさえ待ち焦がれていたかのように
おどけて、かぶりをふり
感性をあげて揺れていた木立ち。
毎日つれなく走り去るだけの電車
その電車から何度、邪険にされても
電車が好きだという身振りをかくさない木立ち。
一度、電車というものを見て来て
綺麗な電車に一目惚れ
そのまま線路沿いにすみついてしまった
とでもいうような世間離れのした木立ち。
その木立ちが電車に見せた
正直な求愛、激しい身の揉みよう
少し気恥ずかしげな、おどけよう--。

あんな一方的な愛もあるかと知った。
小さな旅の一日。

 はじめは吉野弘という詩人らしい平易な言葉の、平易な語り口の詩であるが、「だけどもちょっと大げさな比喩過ぎないかい?」と通り過ぎようとした。しかし三木卓がこの詩集の末尾にこんなことを書いていた。
「今までみたことがない物のかたちや姿に出会う。あ、これは、と惹かれるものを覚える。やがて忘れてしまうこともあるが、いっこうに消えていかないこともある。あれはこの世界の秘密のひとつを告知していたのだ。」
「吉野さんはのけぞりたわむ木立ち姿に、ごく自然に人間の愛の態様のひとつを見出した。すると風景は一変、たちまち劇的な美とかした。見出したものを、見出された形の方がなり代わって一層強く喚起したのだ。」

 素直に文字どおりに受け取って、そのとおりに解釈すればいいのだ。大げさとか、突拍子もないと批判することは簡単なのである。三木卓の解説を目にして一気にこの詩が忘れられないものになった。
詩というものは不思議なものである。何かのきっかけが無いと全体をどれだけ読み込んでいても理解できないことがある。しかしほんのちょっとしたきっかけで好きになってしまったり、理解できたと思い込むこともできる。




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目黒川沿いの桜

2014年03月26日 10時59分45秒 | 山行・旅行・散策
 ツィッター仲間でもある長い付き合いの友人Iさんから目黒川沿いの桜並木が見ごろだというお誘いを受けた。とてもありがたかったが、明日オーロラツアーの出発なので終日準備をする予定があり、お断りさせてもらった。残念!

 実は去年妻と二人で満開の時期に歩いてみた。川沿いの桜並木というのは、川に桜が存分に枝を伸ばして見ごたえがある。川面に映るサクラはのびのびと咲いている。
 これは横浜の大岡川沿いのサクラも同様である。大岡川の方が川幅が目黒川よりも多少は広い。両岸に咲くサクラだが、この微妙な違いも面白い。それぞれに風情がある。
 そして大岡川沿いは開花の時期には屋台が出る。川沿いには商店が少ないのである。目黒川沿いは屋台ではなく、川に面した商店がたくさんあり、洒落た商品や飲食物を販売している。どちらかというと大岡川沿いは下町的で、目黒川沿いはちょっとおしゃれな感じがする。
 大岡川沿いは屋台の定番の焼き鳥・お好み焼き・焼きそば・おでん・串焼きステーキといった定番の子供も喜ぶ屋台が並ぶ。目黒川沿いはワインや洋酒も豊富にそろうし、料理もフレンチ・イタリアン・中華・和食・韓国料理・インド料理と国際的である。ともに地元ではすっかり定着して多くの人が訪れる。地域の人、会社帰りの人、遠くからも。
 どちらも人は座り込まずに歩きながら見物することになる。公園などでは座り込んで場所取りが競争になる。またカラオケや踊りも飛び出してそれはそれで楽しいのだろう。屋外で座り込んで飲むお酒もまた楽しい。しかし私はブラブラ歩きながら、店を覗きながら、いろいろなサクラを見て回るそぞろ歩きのサクラ見物の方が性に合っている。これは人それぞれの趣味だから、あくまでも私の好みの判断でしかない。
 毎年訪れる多磨霊園のサクラも美しい。小さな公園や街路樹としては老木となりすぎているが、広い霊園の中ではどっしりと生きている。老木の蔭が高齢者の散歩には手頃である。枝も大きく張っている。これは手入れがなかなか大変な桜の木である。
 昨年訪れた宮城県南部の白石・大河原・村田の阿武隈川支流沿いのサクラは見事であった。とてつもなく広い川の両岸のサクラは蔵王の山を背景に大きな風景として美しかった。
 サクラはそれぞれの土地や気候・風土に合わせて個性的に美しい。

 4月になってからでも間に合うならば関東地方の近場のサクラの名所を探して見てまわりたいものである。



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サクラの開花宣言

2014年03月26日 01時06分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 サクラの開花宣言が東京・横浜でもあったとのこと。2月~3月上旬までの寒さからは想像できないような暖かな日が続いたためか、平年並み、ないし一日早い開花宣言となったらしい。
 昔聞いたことがあるが、植物は気温の累積をキチンを踏まえて芽吹きや開花を準備するとのこと。そこには「植物的な知能」すら感じるとテレビの解説者が述べていた。そんな生物学的なカラクリが解明されるのも必要なことかもしれない。オカルト的な神秘主義にならないためにも‥。

 サクラの咲き誇る名所は昔はソメイヨシノが主流であった。日本の桜がソメイヨシノに席巻されかねない勢いであった。確かにソメイヨシノは開花から満開そして散るまで、あるいは散った直後までその風情は素晴らしい。私も好きである。
 しかし最近はいろいろなサクラの風情も楽しませてもらえるようななってきた。公園や街路樹や庭園など公的な場所にいろいろなサクラが植えられている。
 野生種、栽培種など実に多様である。ヤマザクラ、オオヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラ、エドヒガンザクラ、マメザクラ、カンヒザクラ、サトザクラなどの名前が木にぶら下がっている。
 横浜ではヨコハマヒザクラというものもある。伊豆半島のカワヅザクラというのも有名である。そしてヤエザクラが咲き誇るとサクラの季節はとりあえず終了となる。
 私の住む地域にも早咲きの品種、色のあでやかな赤い品種などいろいろと楽しめるように遊歩道、公園が整備されている。
 多様なサクラを楽しむということもまた楽しみ方として一般的になってきた。私にはとてもうれしいことに思える。
 しかも花だけではない。花が終わった後も、葉桜、黒い実を付けた桜の木、サクランボの風情、桜紅葉と秋まで桜は見飽きることはない。横縞模様の樹皮を利用した木製品も美しい。
 桜の木を使った草木染もこの季節になると店頭に並ぶこともある。

 サクラひとつをとっても画一的にソメイヨシノばかりがもてはやされることよりも、多様な楽しみ方が定着してきたといえる。生活の多様化、価値観の多様化というのと期を一にした流れというのは、飛躍しすぎであろうか。





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春泥

2014年03月25日 13時28分39秒 | 俳句関連
 本日は昨日よりも風が強くなってきた。午前中は風もなく気持ちのいい日だったが‥。

 朝一番から私の住んでいる号棟の北側の足場の解体作業が始まった。すでに南側は解体済みなので屋内の明るさはさほど変わらないが、足場があるとやはり重苦しい感じがしている。この号棟は団地の中では最後まで足場が残っていた。しかし足場の設置といい、解体といい作業が始まれば実に手際がいい。
 台風や大雪などの天候不順、並びに職人の確保の困難などの影響で工期が遅れていたが、何とか年度内の工事完了に間に合うようだ。私はオーロラツアーに出発しているので最終検査の日には不在だが、問題が無いことを願うしかない。

 先日、啓蟄について記載したときに、「春泥」という季語は「厄介なもの」「迷惑なもの」というイメージが強いということを書いた。歳時記にも「人々を悩ませる」ものとして解説してある。

・春泥のふかき轍となり暮るる  金子麒麟草
・玄室へ靴の運びし春の泥  八染藍子
・武蔵野の春泥重く歩きけり  上林暁
・春泥にさりとて急ぐこともなし  草野駝王
・春泥を来ていつぽんの直ぐなる木  熊田信子
・老農の棺に入れし春の土  石井国夫

 春泥という言葉は私は雪国の雪が解ける頃のぬかるんだ道を昔は連想していた。しかし関東ローム層に早朝霜柱が勢いよく発生し、昼間の暖かい日差しで解ける泥道や庭を連想するようになった。
 私が小学生の頃はまだまだ未舗装の道路の方が多かった。春先ちょっと冷え込んだ朝は霜柱が心地よいが、学校からの帰りは難儀した。この難儀しながら歩くのがまた楽しかった。最近でこそ公道はほぼ100パーセント舗装されていて、泥濘道など経験したことの無い子供が多数である。靴が泥で汚れるなどという経験はほとんどなくなった。
 しかし今になって振り返るとこれが懐かしく感じる。不思議だ。やはり「土」というのは人間の生活にとっては切り離せない存在としか言いようがないと思う。マンション住まいでも人は小さな鉢に草木を植え、土いじりをする。プランターに土を入れて花を植える。厭わしい泥土もなくては生きていけないのかもしれない。土と切り離された生活は想定できないとおもう。食べる野菜が水と栄養素と人工太陽の工場で生産されようとも。




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「菱田春草」展

2014年03月25日 01時11分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 横浜美術館での「横山大観」展以来、同じく横浜美術館での「下村観山」展、そして東京都美術館で開催された「日本美術院再興100年」展以来、岡倉天心由来で明治期の日本画を見て回ってきた。
 その前には、「夏目漱石の美術世界」展があり、やはりそこに横山大観が取り上げられていた。
 そんなことで少しは日本画の明治期以降の展開に触れてきたのだが、「菱田春草」という人の絵が気になってきた。
 9月から国立近代美術館で「菱田春草」展が開催されるということで、チラシを手に入れた。「落葉」(1909)という作品が気にかかっている。チラシで小さく印刷されたものを見てもイメージが大きく違うことも多い。チラシで見ると左双の左端の緑の葉をつけた常緑樹のような幼木と、右双の左に描かれたこちらは黄葉しているやはり幼木の対比、それと根元ばかりを描いた太い木々の遠近描写がなかなか面白い。
 以前に下村観山展の感想を書いた時、自分の好みとしては横山大観より下村観山と記したが、最近はこの菱田春草の方が気にかかっている。自分の好みに合っているのかな、と思うようになった。
 ただし実際に見てからの話だと思うが‥。




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「魅惑のニッポン木版画」(感想その2)

2014年03月24日 21時15分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「第3章 1950年代以降-国際的な舞台へ」のコーナーに入る前に、ちょいと逡巡した。自分が現代の作品をどこまで理解できるか、理解できないとしても「心に残る」「惹かれる」という感性があるか、不安になった。
 現代の絵画作品を見に行くときはいつもこんな緊張感がある。自分が時代というものについていけているかどうか、試されているような気がするのである。

 解説では1951年の第1回サンパウロ・ビエンナーレで銅版画の駒井哲郎と斎藤清が活躍したときから戦後の木版画が国際的な評価を受けたとある。
 木版画の技法が他の銅版画などの技法と組み合されたり、独自の技法を進化させたりと表現も技法も開花した時期らしい。木版画の特徴として「彫刻刀による力強い線、素朴で温かみのあるマチエール、ぼかしや多色刷りによる柔らかな色合い、版木の木目を活かした構成」が解説に書いてある。
 私の好みで言えば、モノクロの作品が好きである。



 そんな私がまず惹かれた作品は、笹島喜平という作家の「風ある林」(1959)と「不動明王№31」(1968)。私は戦後の作品を見るときには、その制作された時代は自分が何をしていたときか、というのを思い出しながら見ることにしている。この前者の作品は私が小学校3年で函館にいたとき、後者は高校1年で世界や日本での社会的政治的事件に自覚的に向き合い始めたころの作品である。
 前者では函館の家の傍にあった雑木林の秋の風を思い浮かべた。冬の直前、枯葉が最後に舞う瞬間の厳しい寒さが似つかわしいと思った。枝の向きがすべて左に向いているのは、北国の厳しい季節風にさらされた樹木の様相である。大胆な線、黒と白の構成は具象から抽象へ足をチョイと踏み出したような感じもした。心の中を寒風がすり抜けていく感じは好きな構成だ。社会への違和感が強い私はこのように身体を風が、社会がすり抜けていく感覚というのをいつも持っている。
 後者はこの時期から1973年ころまでの私自身でどうしても制御しきれなかった情念に似た怒りを彷彿とさせてくれた。この当時の、私の社会へのいいようのない違和感、社会からの疎外感、自分を表現しきれない焦燥感を思い出した。
 戦国時代の武将の多くが不動明王への信仰を持っていたと聞いたことがある。不確かな記憶だが、武田信玄や上杉謙信などもそうだったらしい。ひょっとすると時代の大きな変わり目で、彼らも社会との関係で大きな違和感・疎外感・焦燥感・憤怒を持っていたのかもしれない。それが群雄割拠を制した「武将」としての存在根拠だったのかもしれない。
 そんなことを思いながらこの作品の前でしばらく佇んでいた。

  

 次に目についたのは恩地孝四郎の「日本の憂愁」(1955)、これは書籍の表紙となったものであるとこと。
 私は4歳であり、この頃の記憶は函館に住んでいた時の幼稚園や近所の記憶しかないので、語ることはできない。ただこの版画は記憶にある。赤・青・黄の3色に黒・灰・白という単純な配色と恩地孝四郎独特のの局面は印象深い。初期の作品が奇を衒うような作品も含めていろいろ実験だったのだろうが、私はこの戦後の作品群に惹かれる。



 斉藤清という方の作品は「奈良の秋む」(1979)、「秋の嵯峨 京都」(1974)の色彩に目を惹かれたが、あまり好みではなかった。私の年齢からみると1974年は就職1年前
、1979年は28歳、一番もがいていた時代である。私のこの時代にこのような世界があったことが私はとても想定できない。それはあくまでも私の経験だけから見た世界だからやむを得ないのだが、とても不思議な感じがした。
 もとより私の鑑賞方法の限界である。私の個人史から外れてしまうと、途端に鑑賞できなくなってしまう。
 ただし、風景も色彩もちょっと私にはおとなしすぎる。何かが物足りない、というのは素人の私の勝手な言い分である。



 次に私が目をとめたのは星穣一いう作家の「無題」(1957)。これはとても惹かれた。灰色の二層に分けられたのは、海と空と月であろう。立っているのは海苔の養殖か何かの杭のように見える。太陽ではなく月であることが私には似つかわしいと思えた。この絵が今回もっとも気に入った。私が小学校に入学した年の作品である。このような情景にはこの頃は接していないが、川崎・横浜に移った1960年代以降、海や川・運河でこのような杭を幾度も見て育った。懐かしい風景のひとつである。
 実際の色合いと、この図録の色合いはだいぶ違う。もう少し赤っぽい色彩であったような気がしている。スキャナーの所為でも、画像ソフトの所為でもない。
 月と思われる天体の周囲の渦まく光の表現がまず私の眼を惹いた。続いて何の変哲もなく立ち尽くす杭が、静寂な海の中の豊穣な生命の活動をそっと伝えてくれている。月から海へ何者かの流れがこの作者には見えていると思われる。原始の生命が月の光に触媒されて活動を開始したような幻想をもたらしてくれないだろうか。そんな生命の象徴としてこの杭が静かに立っているのは何とも言えず魅力的である。作品はこの一点だけが展示されている。

   

 清宮質文という作家も初めて聞く名である。この「月と運河」(1988)は私が37歳の時の作品になる。
 一番もがいていた時から、ちょいと飛躍した年齢であったかもしれない。
 強い意志を秘めた目を光らせているのはサメのような強い動物なのだろう。月に照らされた運河という情緒を暗闇の中に引きづり込もうとする獰猛さも感じる。
 同時に飾られているほかの三点1972年、1974年、1979年という時代は先ほども記載したとおり、私が一番もがいていた時の私の心象風景のひとつでもあるようで、この三点もとても惹かれた。こちらも何かを見透かすような目が何と言い得ずに印象的である。蝋燭にも、屋根にも丸い点が描かれている。まるで眼である。見つめているのか、見つめられているのか、崩壊するかもしれない自我を見据えているのか、社会を見極めようとしているのか、いづれにしろ自他の関係が危機に瀕している。そんな世界を描いている。
 とても親近感のある作家と感じた。



 吉田穂高の作品はこの一点がいい。黒く塗りつぶされた道路が画面の半分を大きく占め、日の当たる家の下で日陰に立っている日の当たらない家、孤独の影を感じる。私が39歳の時、このような孤独の中から這いだした思い出がある。社会からの孤立、社会への違和感から一歩踏み出した自分を自分なりにどう始末をつけるか、当時を思い出させてくれた。

 「第4章 現代-新たな木版画の表現へ」は4人の現代作家の作品が集められている。私が訪れたとき、その内の湯浅克俊氏のトークがあった。まず湯浅克俊氏の作品は、この「3:05 am」(2013)。昨年の作品である。



 とても細かい。このように細部まで念を入れた作品が私は好きである。このような静かな雰囲気の人間にはなりたいと感じている最近の私である。現代の作家が細部にこだわらずにいるのはとても気になる。いや気に入らない。
 そしていろいろな表現に果敢に挑戦している様子も聞くことができた。「微妙なグラデーション」の細部にこだわり続けるところに敬意を表せざるを得ない。
 デザイン性とは大きく一線を画して、作品を発表し続けているらしい。
 この湯浅氏とは逆にひとつの技法にこだわり続けているのか、こちらの桐月沙樹氏なのかもしれない。デザイン性豊かな似たような作品を執拗に描いている。



 作品は「ナミマノダンサー」(2011)という名の作品である。私の60歳の還暦の年に出来上がった作品である。
 躍動感は嫌いではないし、自分自身も新しい世界に飛び込んでいきたいのだが、私自身はあまり浮かれた高揚感に惹かれるのは抵抗がある。
 この両者の微妙なバランスに我々は守られていると思えば、受け入れ可能かもしれない。


 こう語ってみると意外と1970年代以降の作品に対してもそれなりの感想を持つことが出来ている。正直ホッとしている。
 当然頓珍漢な感想が大半かもしれないが、それはそれで構わない。何の感想も感慨も湧かない方が深刻な事態である。「現在」を受け入れられない自分というのを突きつけられるのだから。少なくとも時代の先端で表現しようとしている人と意志の疎通ができるということは、時代とともに生きているということは言えそうである。




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桜開花‥その裏で

2014年03月24日 17時41分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日よりも風は強めだが、本日も心地良い日和である。
 東京・横浜でも一挙に桜の開花が話題となってきた。天気予報だけではなく、報道の中心的な話題となっている。待ち焦がれたせっかくの春であるし、サクラの開花の話題は確かに皆が心待ちにしている。

 だがその裏で、もっと大切なことがひどい方向で進んでいる。「とんでも首相」の「とんでも歴史観」に基づく外遊での言いたい放題。もっと批判的報道があってしかるべきだとは思うのだが‥。
 まずは日本がアジア地域で何をしてしまったのか、何をしてきたのか、日本国民だけでなくアジアの人々の多大な犠牲は誰によって何故にもたらされたのか、「とんでも首相」をはじめ政権与党もマスコミももっと「真摯に向き合って」欲しいものである。
 グローバルな世界の中で「とんでも首相」の「戦後の世界秩序に対する挑戦」などに付き合って、日本が世界の中で孤立して、「とんでも首相」と一緒になって轟沈することなど真っ平御免である。

 さらに大阪市長選の構図は今一つスッキリしない。ひとつだけ確実なのは、大阪市の職員もあんな市長のもとでの仕事はつらいものがあろう。市民もつらいだろう。
 昨年の大雨の時に30万人という人口の1割の人間に避難勧告が出るようだというときに、ツイッターで堺市長選にうつつを抜かしていた市長である。批判に対して開き直る市長。責任を取るべき災害対策本部長である市長が公務を放り出してしまっては、市の職員はたまったものではない。災害で被害を受けるのは市民である。
 残念ながら、都構想なるもので、あるいは責任は市の職員におっつけてしまう体質を続けることで姿勢の混乱が続くことだけは確かなようだ。
 市長を支えるはずの与党の市会議員が、バイクの酔っぱらい運転&当て逃げで捕まったという。こんな議員ばかりが推進する、地方分権とは逆の方向を向いているとしか思えない都構想なるものはもう賞味期限切れではないのか。
 政令指定都市の機能強化・権限拡大というこれまでの方向が何故不都合なのか、伝わってこない。区長という特別職の首長や区議会議員を幾人も必要とすれば、今より歳費は無駄に膨れ上がるばかりである。「府」へ権限と機能が吸い上げられて、大阪市という都市そのもののもつ権限が縮小してしまう。同時に大阪市という枠組みが解体されてしまう。こんなことは小学生でもわかる話である。


さて、本日は国民健康保険への加入手続きのために区役所へ出向いた。現役時代に加入していた健康保険の退職後の任意継続が3月末で切れてしまう。3月は区役所の窓口は繁忙期である。確かに混雑していた。しかし国民健康保険の加入申込みの窓口は5人、10分ほど待っただけでスムーズに手続きは終了。
 私にとって問題は保険料の請求額がいくらになるか、ということだがこれは6月の請求まで待たないと確定しないらしい。

 私の喉の痛み、やはりうつるものだったようで、妻が昨日あたりから喉がおかしいらしい。周りの人の話を聞くと今年の冬に流行っている風邪とのことになるようだ。熱は出ずに喉と鼻の炎症が一週間続くとのこと。私も同様の症状であったので「風邪」ということで間違いはなかったようだ。妻には申し訳ないことをした。

 室内の排水管の塗装を本日してもらった。団地の大規模修繕の一環で行われる各戸のオプション工事のひとつ。排水管の表面の塗料が細かく剥がれていたのをとってとてもきれいになったが、塗料・シンナーの匂いが充満している。洗面所・便所の窓を開け放っているがそれでも部屋に満ちている。きれいにしてもらって文句をいってはいけないのだが、この匂いに慣れていない者にはちょいとつらい。 




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春の一日

2014年03月23日 18時45分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりに気持ちの良い天気となった。喉の調子は完全ではないので、ジョギングと全力でのウォーキングはまだやめた。しかし家にジッとしているのはもったいない。ということで、毎時5キロ未満のウォーキングならば問題はなかろうということで、自宅から環状二号線-新横浜駅-鶴見川堤防-大綱橋-菊名駅のコースを歩いてみることにした。菊名駅からは東横線で横浜駅まで行き、横浜駅からは自宅まで歩く周回コースを考えた。
 13時過ぎに家を出て、菊名駅についたのが17時。横浜駅からは途中の公園でビールを1本飲んで一休み。合計30000歩、約20キロのコースを歩いた。
 こんなに歩いたのは久しぶりである。幸い喉の調子は悪くない。気持ちのいい汗をかくことができた。

 新横浜駅前の鶴見川沿いの公園はお弁当を広げる家族連れや子供たちで賑やかであった。サクラはまだ蕾も硬いようで、開花は来週後半のような気がした。
 土手に土筆が少し残っていた。見つけたのは5本ほど。もったいなくて採取するのはやめた。写真に撮ればよかったと反省。鶯は残念ながら聞くことはできなかった。

途中で見かけた春
      

 


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うぐいす

2014年03月23日 10時40分15秒 | 俳句関連



 朝、妻がうぐいすの音を聞いたという。もっと前から鳴いていたと思うが、云われてみれば今年初めての話だ。残念ながら私の耳には届かなかった。
 うぐいすの声は山に行くと必ず聞くことができるが、都会では喧騒に隠れてあまり鳴き声を耳にしない。またそのような声に耳を傾ける気分となっていない。聞こえているのに認識していないということもありそうだ。
 都会の中でもちょっと広い公園や木々がまとまっている団地、寺社などでも聞こうとすれば結構な種類の野鳥の声が聞こえる。私は残念ながら声や姿で種類を特定することはできないが、野鳥の声はなぜか気持ちにゆとりができる。否、気持ちにゆとりがあれば聞こえる。
 しかしながら歳時記を紐解いてみると、うぐいすの項では都会の句が少ない。

・鶯や前山いよよ雨の中  水原秋櫻子
・うぐひすに瀞は小さき渦連らぬ  篠原梵
・やはらかな一枚の田を鶯に  長谷川櫂
・鶯に瀧音笑ひつつ暮るる  飯田龍太

 都会ないし町中で詠んだと思われる句は
・鶯や障子あくれば東山  夏目漱石
・鶯や朝寝を起こす人もなし  正岡子規
・うぐいすや琴抱かれて門を出づ  加畑吉男
・初音してどちらからともなく会釈  小出秋光

 しかし私の印象では、都会でならではの鶯の句は目にしない。

 鶯と云えば与謝蕪村には鶯の句が多いと聞いたことがある。

・うぐいすのあちこちとするや小家がち
・鶯の声遠き日も暮にけり
・うぐひすや家内揃ふて飯時分
・うぐひすの啼やちいさき口明て
・うぐひすに終日遠し畑の人

 最後に句には現代に通じる感覚を見ることもできる。


 今は残念ながら、公園でもイヤホンをして周囲の音から自分を遮断している人には、この声は聞こえていない。都会の中で社会から自分を遮断しているだけでなく、自然からも隔絶することを選択しているのを見るのは、さびしい気もする。
 山やハイキングに行ってもイヤホンを外さないで歩いている人も多い。イヤホンならまだいいが、夏山ではラジオのボリュームを上げて高校野球や歌を流しながら歩いている。とてももったいないと思う。
 最近は音だけでなく、スマホ歩き、ゲーム歩きといって視覚まで社会や自然から自分を隔絶させている。こうなるとその人自身が危険というのではなく、社会的ルールからも外れている自分に気が付かない現象である。お互いに道を譲りあって人の往来が成り立っているが、一方的に相手に譲らさせる時代である。コミュニケーションを拒否し、相互関係を信じていないということになる。自分の感覚をとおした社会との接点が喪失されれば、都市での生活そのものが成り立たなくなる。恐ろしい社会になったものである。「危険」というキャンペーンがされているが、これではことの本質を見誤っている。社会的ルール、マナー違反ということの周知が必要なのではないだろうか。
 聴覚や視覚に障害がある人にとってはコミュニケーションの確保への思いはとても重いものがある。その重要な感覚を自ら拒否する人が蔓延する社会というものが気にかかる。




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頭の柔軟性

2014年03月22日 23時08分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 喉の調子はまだ完全とは言えない。朝には若干だが痛みがあり、痰がつまっている。嗽をすればすぐに痛みも取れ、痰が楽に出る。しかしそののちは夜になるまで違和感はほとんどない。このままよくなることを願っている。

 昨日オーロラツアーの荷づくりをしているとき気づいたのだが、軽い方の三脚の雲台が破損していた。ほとんど使ったことがないものだったが、ネジの部分の受けが割れていて、カメラの固定が出来ない。
 昔、まだフィルムを使っていた頃に、確か2000円くらいで購入した安物であったが、安物である故か、もろいものであった。確か5回ほど使っただけであった。花のクローズアップ写真を撮った時に浸かったと思う。
 重い方はとても今回のツアーに持っていく気にはならない。嵩張るのでリュックに入らない。
 あわてて本日軽量のものを購入してきた。4000円ちょうどだったが、予定外の出費はストレスが溜まる。

 さて、横浜美術館の感想を作成するにあたって、15枚ほど続けてスキャナーを使用した。これまでのスキャナー用のソフトにようやく慣れてきたので、スムーズに利用できるようになった。
 しかし単体のスキャナーよりは使いやすいようなソフトになっているのかもしれないが、出来上がった画像を操作して好みの大きさにするよりは、私はスキャナーの設定段階で好みの大きさにしたい人間には向いていない。私の頭の方を変えなくてはいけないのだろう。この切り替えに頭がついていかない。困ったものである。自分の頭がもう少し柔軟であればうれしいのだが‥。
 画像ソフトの使い方もまたなかなか難しい。もともと苦手に近い。本当は誰かに初歩からキチンと習った方が良いと思っているのだが、踏ん切りがつかずにこのまま来た。そろそろそれではいけないのかもしれない。ハウツー本を読んでも理解できない。
 これもまた自分の頭の柔軟性の無いことにがっかりしている。

 何事も苦手意識が先に立つと、受け入れることが難しいということのようだ。




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「魅惑のニッポン木版画」(感想その1)

2014年03月22日 22時30分41秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 横浜美術館で「魅惑のニッポン木版画」展を見てきた。
 14時から30分間、現代の若い木版作家で今回出品をしている湯浅克俊氏の作品解説があるということなので、13時過ぎから会場を見て回った。
 木版画というのは私は江戸の浮世絵などの世界にはじまり、川瀬巴水までの流れと、恩地孝四郎などの世界くらいしかしらない。
 現代の作家については自分が受け入れられるものがあるのか、という思いすらある。自分が直近の現代のものを理解できなくなっているのではないかという恐怖は、現代のどんな芸術作品に接するときでも常に抱く恐怖である。理解する、ないし好きである、気持ちとして受け入れられるというものが無くなったら、自分の生はもうおしまいではないかという強迫観念みたいなものである。

 恐る恐る横浜美術館の会場に入ってみた。最初の展示室は「第一章 幕末・明治-生活を彩る木版画」という題で、幕末から明治期の江戸時代の絵画の延長上にいちづけられる木版画の世界が展示されている。

   

 ここの展示では、まず私の目を惹いたのが小林清親の木版画。構図の取り方は広重などに比べると随分とおとなしいが、それでも文明開化・明治という時代をくぐり抜けたことは十分にうかがえる。私の好きな川瀬巴水という版画家も、小林清親の構図と色の使い方を随分と取り入れたのではないかと思わせる。
 月岡芳年と小林清親、まったく違う作風ながら文明開化の時代のひとびとの戸惑いとたくましさをそれぞれの作風の中で、代弁しているかのようだ。



 この菊の模様の千代紙の作者が河鍋暁斎と見てビックリしたが、時代の奔走なエネルギーを十分表していると思った。従来の絵画がどんどんとたくましく変容していく時代を感じさせはしないだろうか。

 「第2章 大正から昭和-木版画の復活」の部屋になると、まず西洋画から出発した画家たちの木版画が展示されている。



 長谷川潔を見たときには、晩年の緻密なモノクロームの銅版画の作品しか知らない私にはとても同じ長谷川潔とは信じられなかった。色彩のバランスも魅力的で、ひょっとしたらムンクの影響から出発したのかと感じた。同時にその抒情性が出発点から変わらずにいることに気付いた。
 恩地孝四郎の戦前の作品「ダイビング」は有名であるが、奇を衒ったもののように感じている。しかし単純な構図ながら色彩の大胆さ、美しさはやはり目を惹く。
 川瀬巴水のこの絵は何度見ても好きな絵である。構図も色彩も、醸し出される抒情も浮世絵の伝統の延長に位置づけられるのだろうが、何度見ても心がホッとするものを備えている。



 長谷川潔など西洋画から出発したような木版画の系列、川瀬巴水などの浮世絵の流れに位置づけられる系列、ともに私は惹かれる。同時に展示される今回の試み、なかなか面白いものを感じた。




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