Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「ブラームス」三昧

2020年04月30日 22時50分32秒 | 読書

 夜は、引続き「ブラームス」(吉田秀和、河出文庫)を読んでいる。吉田秀和独特の飛躍と断定は、ついていくのは難しいが、このような独特の飛躍と断定は好みである。
 楽譜を元に楽典を読むような分析からひょいと飛躍して、言葉が自由に飛翔し始める。この飛翔がある地点まで行くと、再び楽譜の分析に戻る。この行きつ戻りつが魅力である。

「‥dis-fis-aとh-dis-fisの二つの和音しかなく、これが3回交代して、終止となる。この手法も完全に印象派であって、古くて、しかもまったく新しい響きの音楽をつくるところの、正真正銘のブラームスが、ここにいるわけである。ブラームスは保守的だったが、反動的では、全くなかった。彼は、古い音楽を熱愛したが、それは、彼には、新しいものより新しく響いたのだった。」

 音楽の構成の解説と、芸術評論が混在しているところに読みごたえを感じている。一昨年入院中に「セザンヌ」を読んだが、やはり同じような論調である。

 明日は、久しぶりにブラームスのピアノ協奏曲を聴いてみたい。


横浜駅界隈のウォッチング

2020年04月30日 19時42分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 4月最後の日、天気も上々。

 午後から長時間人通りの少ない道を歩いてみた。昨日3人でお茶を飲んだ広い公園は子ども、それも本日は高学年の小学生、中学生が多く遊んでいた。
 広い道の裏道は、ベビーカーを押した若い夫婦や、小さな子どもの遊び場になっており、オジサンが通り抜けるのは気がひけた。そのような道を避けて国造沿いの歩道を歩いた。広い歩道はかえって人通りが少なく、歩きやすいし、人との間隔も十分取れた。

 昨日に買いものに出向いた駅の近くまで行ってから折り返し、横浜駅まで歩いた。横浜駅の地下街には入らずに地上から周辺のビル街を観察してみた。ほとんどのオフィスは休みのようで、電気の点いている窓は少なかった。喫茶店も食堂も休業の張り紙。営業している喫茶店も「テイクオフのみ」などとなっている。
 オフィスビルに店舗を構えているコンビニはほとんど人は入っておらず、店員のほうが多い。連休中は店を開けているだけで、売り上げはほとんど望めないと思われる。
 連休前に営業を再開した家電量販店は、入店者の入場をかなり厳しく制限しているようで、店の前に並ぶ人もなく、来店者自体がほとんどいなかった。地下街には入らなかったので、スーパーや食材の安売り店の状況までは観察しなかった。また横浜駅東口の様子も見て回ることはしなかった。

 銀行など金融機関では、近くの私鉄の駅のそばのATMコーナーは混雑して人が幾重にも並んでいた。しかし、横浜駅前の各支店やATMコーナーは閑散としていた。

 大きなビルの公開空地のベンチに、まばらに座っているサラリーマンが思い思いにコーヒータイムであろうか、心地よい風に吹かれていた。出勤者がいかにも少ないようであった。
 コンビニで108円のコーヒーを購入、喉を潤してからすぐにまた家まで歩いた。途中ドラッグストアを4店ほど見て回ったけれど、アルコール消毒液はどこも置いてなかった。

 肘までのシャツとベストで歩いたにもかかわらず、汗をだいぶかいた。


春惜しむ、惜春

2020年04月30日 13時13分27秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★先人は必死に春を惜しみけり      相生垣瓜人
★惜春のサンドバッグにあずける背    夏井いつき

 間もなく立夏、今年は5月5日である。暖冬、寒暖の激しかった春、さて今年の夏は.どのような夏になるのか。新型コロナウイルスに振り回される日々が続くのは間違いなさそうである。
 第1句、今年の春はウイルスに振り回せされながら必死にいろいろなことをこなしてきた。「必至」はこのような「必至」ではない。多分俳句の席題で「惜春」「春惜しむ」が出されて必死に「春を惜しむ」気分を反芻しながら、季節感を思い出し、そして句に仕立て上げようとしている作者を思いうかべた。
 先人もこうやって苦労したのかという感慨と同時に、どこか虚しい努力ということを感じているのではないか。「ためにする季節感」「実感を伴わない季節感」の構築で俳句の優劣が決まることへの違和感もある。「先人も」ではなく「先人は」というのが、作者の新たな決意ではないのだろうか。どこか大切なものを失った現在の俳句への異議申し立てが潜んでいると理解した。
 以上の解釈ならば「春惜しむ」の季語は他のどんな季語でも置き換えが可能になる。「梅雨を楽しめり」でも「虫を聞き分ける」でもいい。だが、「春を惜しみけり」でなくてはならない。それは春の息吹が生命のかがやく展開に変わる瞬間を全身で受け止めようとする決意を詠み込んでいるからだろう。いろいろなことを読み取れる句ではないだろうか。

 第2句、若い肉体の躍動を感じる、しかしこの躍動の期間は短い。見事な成果が約束はされていそうなエネルギーを見ると同時に、その一瞬の輝きのあとの衰弱もまた見えないか。練習の合間に身をサンドバックに寄せたときのほんの一瞬の隙、そこに肉体の躍動の危うさを感じ取っている。「惜春」が意味深である。

 出かけているときに、第1句に別の解釈がありそうだと思った。
 「「先人」は季節の推移にとても敏感だった。今の我々は季節の移ろいにあまりに鈍感になっていないか、季節感を大事にした生活をしていないのではないか」あるいは「現代は、都市化が進み、季節感が希薄になりつつある。もっと季節感を生活に密着したものとして作り直すべきではないのか」」という問いかけを読み取ることもできる。
 歩きながら考えたが、この解釈では少々訓戒めいている。胡散臭いお説教になってしまう。そんな風にも思える。
 果たしてどう解釈したらいいのだろうか。分からなくなってきた。


足のむくみと夜のウォーキング

2020年04月29日 23時01分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 久しぶりに2万歩も歩いた。足のむくみは歩き始めのときは昨日と変らなかった。それでもちゃんと歩けた。痛みはない。
 6千歩ほどの夜のウォーキングから戻ってから、足を洗いながら足の甲を歩く前と比べてみたが、むくみは少しひいたようにも見える。静脈がこれまでと同じように青く透けて見える。
 しかしくるぶしから少し上に靴下の足跡がくっきりと残っている。脹脛からくるぶしかけてはむくみが残っている。
 明日か、明後日もう一度内科に行って、状況を診てもらったほうがいいのか、結論は出していない。診てもらっても具体的な治療法がなければ意味がない。

 明日・明後日は連休のはざま。どのように過ごすか、決めていない。どこかに出かけるということもしたくないが、一方で体も動かしたい。近くの公園は小さな子どもを連れた家族連れが多いので邪魔をしたくはない。

 家でコーヒータイム&読書というところに落ち着きそう。
 


ハナミズキ

2020年04月29日 20時26分41秒 | 俳句・短歌・詩等関連



★一つづつ花の夜明けの花みづき     加藤楸邨

★花水木咲き新しき街生まる       小宮和子

 ハナミズキ(花水木)の花弁と見えるのは総苞で、中心の塊が花序である。しかし私たちはこれを花弁と言っている。サクラは花弁が小さいが、ハナミズキのこの総苞はひと回り大きく、目立つ。サクラと比べて大きな違いは、サクラは下向きに咲く。しかしハナミズキの総苞は上を向いて開く。この差がサクラとハナミズキの印象の大きな違いである。
 ハナミズキのほうが、明るい印象を与えるのは、この太陽に向って咲くように見えることと、咲く時期が立夏の真際で、サクラの季節よりはずっと明るい陽射しに満たされているからだと思う。
 この知識というか、印象を忘れずに上記の俳句を見るのがお勧めである。ハナミズキは明るい初夏を象徴する。街もこの花が咲くことで景色が大きく変わる。
 なお、アメリカヤマボウシというのはヤマボウシの一種ではなく、このハナミズキの別名である。


本日も買い物の随行

2020年04月29日 17時08分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は買い物の随行はないと楽観していたら、昼真際になって親から天気も良いので、久しぶりに外に出向いて買い物に行きたい、という電話。
 妻一人に付き添わせるのも申し訳ないので、結局私も随行する羽目になった。混雑する大手のスーパーを避けて、少々高いもののゆったりできる店で購入。
 往路も帰路も昨日と同じ公園のベンチでお茶を飲みながらゆっくり歩いた。陽射しがあり、汗ばむほどの陽気である。

 二人が買い物をしている間、私は空いていた喫茶店で読書タイム。といっても30分もかからずに買い物は終わった。

 歩き足りないので、帰宅後に再度団地の周囲を30分ほどウォーキング。いつものドラッグストアをのぞいてみたけれども、相変わらずジェル仕様のものを除けば、アルコール類の棚は空っぽ。手の消毒に転用できる調理器具用の消毒液も、界面活性剤入りのものしかない。除菌できる消臭剤も界面活性剤が入っている。


「図書5月号」読了

2020年04月28日 22時20分00秒 | 読書



 図書5月号を読み終わった。今月号では全部に目をとおした。いつものように覚書として。

・[表紙]火の夢           司  修
「箱の中にいました。ふたを開ける動作で箱は段ボール箱だと知りました。隣の箱に入り、しばらく考えてから次の箱へ移るくりかえしをしていても不安を感じず、ときたまはすかいに曲がって次の箱に入るとき、感動がさざ波のようにやってきて、誰でもいいから、曲がったときのスリリングな快感を伝えたくてしかたがないのです。‥この夢の刺激は、オリオン座のペテルギウスが超新星爆発するかもしれないほど暗くなっている、という宇宙大劇場の開幕を前にしたニュースからなのには驚きです。」

・夢の行き場            沢木耕太郎
「若い時の夢が必ずしも明るいものとはかぎらないが、何かの理由によって未来に霧がかかり、光を失い、夢が道を失うということはよくあることだからだ。‥見ている夢に行き場がなくなる。それは夢が凍りつき、動かなくなるということを意味するのだろうか。その夢が、ある瞬間、スチール写真のように微動だにしななる。それは、もしかしたら、死を間近にしたような恐怖をもたらすかもしれない。」

・「君もそろそろ古代史を」      森本公誠

・人類の危機と人文学への期待    苅谷剛彦

・ボブ・ディランとぼく       ピーター・バラカン

・ベビーブーマーの訃報       石内 都
「ベビーブーマーと呼ばれた世代が今、せきを切ったように亡くなっている。‥政府は能天気に100歳時代とかのたまわっている。昨年の訃報の人々は平均寿命を大きく下まわっている年齢だ。何か不気味な現実を感じないわけにはいかない。2020年になって、戦後75年である。日本はオリンピック・パラリンピックの情報ばかりで戦後75年の意識がほとんどない。戦後とはいったいなんなのか。少なくともその戦後の空気を吸い、匂いをかいできた第一次ベビーブーマーの生きのこりとして、加藤さん(加藤典洋)のメッセージをくみとり、終わりのない戦後を考えていかねばと思っている。」

・文庫本文化の楽しみ        東 直子
「本の中の言葉は、書いた本人がこの世にいようとあの世にいようとどこにいようと関係なく、本の中で永遠に同居しているのである。」

・ノンフィクションの楽しみと出会い直す子どもたち      澤田英輔
「30年前に月平均6.3冊だった小学生の読書量は今年11.3冊に、同じく2.1冊だった中学生は4.7冊に増えている。‥‥(今年の調査では)高校生は1.4冊‥。一カ月に1冊も読まない不読者も小学校では7パーセントに満たないのに、高校では半数を超える。‥読むための時間。読みたくなる本。本で繋がる大人や仲間たち。それが揃えば、彼らはもう一度読書生活を取り戻すのではないか。‥」

・漱石全集の読み方(下)       赤木昭夫

・ある日、突然食道狭窄症に襲われた   高橋三千綱

・道を引きずり出すための読書    石川直樹

・黄色い本のあった場所(2)     斎藤真理子

・傷を記憶すること         赤坂憲雄
「震災後に訪ねた友人の家で、90歳に近いもの静かな父親が唐突に、呻き声をあげるように、戦場というのはひどいものだ、殺人・強姦・略奪なんでもあった……と語り出した瞬間がありました。震災の現場と大陸の戦場とが重なった瞬間だったのかもしれません。」
「戦争の傷、広島・長崎の傷、水俣の傷、福島の傷……、それぞれの傷があり、それはどのように記憶として継承されてゆくのか。‥数字はあらゆる傷を不可視かし、ときには、まったく無効化することだって可能なのです。福島の傷は見えない、触れない、だからたやすくなかったことにだてできます。そもそも因果関係を立証することなど、被災者自身にできるはずがありません。」
「石牟礼道子さんは「西南役伝説」のかなで、熊本の百姓たちが語る「西郷戦争」を起点として、近代における銭其記憶を掘り起こしています。それは石牟礼さんにとっては、「あり得べくもない近代への模索」の試みでもありました。‥「西郷戦争は、思えば世の中の展くる始めになったなあ」といい「上が弱うなってもらわにゃ、百姓世はあけん。戦争しちゃ上が替り替りして、ほんによかった」という。こうした百姓のしなやかにして、したたかな言葉を拠りどころにして、常民の歴史を希望の束として編みなおそうとする。‥体制の思想を丸ごと鉄鍋で煮て溶かしながら、「縄抜けの技」を秘得しているかのように「想うてさえおれば、孫子の代へ代へときっと成る」と頬笑む百姓たちの、深い信頼が沈められていたはずです。わたしはいま、福島から、石牟礼道子さんと出会うための道行きへと足を踏み出そうとしています。」

・いまこんなCDがある       片岡義男

・神々を招く帯           橋本麻里
「かざりを眺めるだけでなく、わが身をそれでかざりたい。あるいはかざりの招く霊威を身につけたい、いや、いっそ霊威で身を飾りたい。そんな欲望が、人間と動物を分かつ初源の衣服をそしてそのもっとも象徴的な存在である帯を生み出した。」

・「奥の細道」の宗教地図       長谷川櫂
「「奥の細道」の途中で訪ねたお寺を拾ってゆくと、興味深いことがわかる。主な寺をあげると、
雲巌寺 臨済宗
瑞巌寺 天台宗→臨済宗
中尊寺 天台宗
立石寺 天台宗
蚶満珠寺(かんまんじゅじ) 天台宗→曹洞宗
那谷寺 真言宗
永平寺 曹洞宗

 ここから浮かびあがるのはまず鎌倉仏教(臨済宗、曹洞宗)、その外側に平安仏教(天台宗、真言宗)という二つの宗教圏が同心円状に広がっていることだ。もとは平安仏教の領域に、あとから鎌倉仏教が広まったことがわかる。その痕跡が天台宗から禅宗に改宗した瑞巌寺や蚶満珠寺だろう。」
「では平安仏教圏のさらに外にはどんな宗教圏があったのか。‥(松島のくだりには)当時、世捨て人たちが住み着いていた雄島が磯が描かれる。近くの里の人がなくなると、亡骸を岩の窪みに納めて波や風が清めるのに任せた。のちに仏教が広まると、こう風葬の跡が仏道の修行上になった。」
「松島や立石寺に痕跡が残るように、仏教伝来以前の日本では人が亡くなると、近くの渚の岩場や岩山に晒された。その魂も西方の極楽や地下の地獄にはゆかない。そこにとどまって懐かしい子孫や里人の暮らしを見守りつづける。人は命を失うと、魂はすみやかに里から渚や山へ移行する。そうした死生観がかつて日本の島々にはあった。」

・エロとグロの後にくるもの(3)   山室信一
「昭和天皇の教育係も務めた小笠原長生(ながなり)海軍中将がエロ・グロの「次に来るものは「ミリタリズム」即ち「ミリ」かと思います。」と答えている。‥‥エロ・グロの後にミリは確かに来た。}

 

 なかなか読み応えのあった5月号だったと思う。


本日も買い物の荷物運び

2020年04月28日 17時46分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昼前から読書タイム、と思っていたら妻から買い物の付き添いの「要請」という指令。結局15時近くまでかかり、約1万歩も歩いた。コンビニでそれぞれおにぎりとサンドイッチを購入して、近くの広い公園のベンチで昼食。その後2軒のスーパーに出向いた。
 2軒とも、販売している品物の種類同じであるが、野菜・肉・魚など種類によって店を変えるのが妻の習慣というか癖。しかも3日以上の買い置きはしたくないようで、せいぜい2日分の買い物である。それだけ私が持つ荷物は重くはならないので助かるのだが、頻度は多くなる。都知事が聞いたら怒るだろうが、そう簡単には変えられない習慣ないし癖である。

 本日は2軒目のスーパーの混雑がひどいので買い物はあきらめ。帰宅途中にあるこじんまりしたスーパーに寄って必要だった品を手に入れた。

 二軒目スーパーではアルバイトと思われる学生が店内外を駆けずりまわっていた。カゴとカートの回収・消毒、品出し、駐輪場の清掃等々、なかなか大変な重労働に見えた。

 しかも帰宅した途端に、「買い忘れ」ということで近くのドラッグストアまで追加の買い物、これは私一人で行かされてしまった。さいわいたまたまアルコール消毒液(ジェル仕様)を店内に並べ始めたので、ついでに1瓶を手に入れた。
 いいタイミングではあったが、税込み800円超と高い値段設定。ペーパー類は販売価格を1月から変更していないので、このアルコール消毒液も店の思惑で値を上げているのではなく、メーカーの卸値があがっているのではないか、と思うことにした。

 ということで、まだ「図書5月号」半分ほどしか読み終わっていない。


一仕事終了

2020年04月28日 11時07分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 校正刷りのチェックは終了。退職者会の総会の議案書を刷り込んでいるので、ほとんど文章ばかりのニュースである。できれば、このようなニュースというのは作る側は避けたいのだが、新型コロナウィルスの感染症蔓延の状況ではやむを得ない。
 原稿を作成し、校正刷りをチェックする私は、毎回「在宅勤務」でお茶を飲みながら、好きなクラシック音楽を聴きながら、好きなお茶を飲みながら、という「優雅」な「勤務」である。
 実際に校正刷りを作り、印刷し、納入してくれるかたには毎回苦労を掛けてしまっている。
 といいながらも、これから一服&読書タイム。天気は今のところ上々。


雨のウォーキング

2020年04月27日 22時15分52秒 | 天気と自然災害

 20時半に雨があがっていることを確認し、さらにレーダー雨量計で雨の区域が県西部にないことを見極めてから、ウォーキングに出かけた。
 朝から歩数計の数値は0のまま。せめて40分近く、5000歩は歩きたいと考えていた。ところが折り返し地点の手前2000歩にもう少しというところでポツポツと降り始めた。やむなく2000歩のところで折り返した。
 しかしあと500歩程のところで本降り、時間雨量で10ミリを超えるような雨になった。すでに廃業した定食屋の軒先で5分ほど休憩。小止みになってから走って戻ってきた。
 帽子や傘は持っておらず、慌ててしまった。家に着いて手と顔を洗ってから外を見るともう雨があがり、雲も切れ間が出来ていた。
 もう一度外にでる気力は失せてしまった。この時期、風邪をひきたくない。

 昨日すこし改善された足首のむくみは、元に戻ってしまったようだ。家でじっとしていたからだろうか。

 明日は曇ときどき晴の予想。明日はもう少しウォーキングをしてみたい。

 夕刻に岩波書店の「図書5月号」が届いた。明日はこの冊子と退職者会ニュースの初校のチェックをすることにしたい。

 


読了「なみだふるはな」

2020年04月27日 18時01分42秒 | 読書

   

 「なみだふるはな」(石牟礼道子・藤原新也、河出文庫)を読み終わった。

 石牟礼道子という方は、水俣で公害の被害について告発し、被害者とともに活動を繰り広げた方であることは誰でもが知っている。
 明治末から水俣で生産を開始した化学工業会社によって変貌させられていく地域の共同社会の内部に留まって、その人々に寄り添いながら、文学作品も作った。その小説を書いた筆力には私も最近であるが、ようやく触れることができ、そして圧倒された。多分若い頃には読み切れなかったと思うし、その筆力に跳ね返されるばかりだったと思う。
 「苦海浄土」とはルポルタージュでもなくドキュメンタリーでもない。一つの作り上げられた小説世界である。その世界は水俣病という過酷で残酷な現実を引き受けざるを得なかった人々に寄り添いながら、失われていく前近代の地域の共同社会を克明に描いている。壊されていく生命と地域の共同体には安易に未来や救いはない。それでも過去の世界を見つめながら、未来の希望の端緒を見つけようとしている。

 この対談では、東北の大震災と福島の原発事故、そして水俣の重い現実を、20世紀初頭(明治末期)と21世紀初頭の日本の時空を飛翔しながら、語っていく。
 石牟礼道子の世界認識は、前近代に浸かりながら、そこに価値をおいてしまうのではなく、その変容に自覚的に寄り添おうとしているところに価値がある、というのが、私の直観的な理解である。
 「反近代」主義ではない。壊されていく共同体での体験などが生き生きと語られる。それはその共同体の内部から、そして水俣病という病を告発する側にも、それを受け入れる側にも寄り添うという強さがある。
 加害企業やそこに寄りかかる人々を告発する側に立ちながら、複雑に対立させられてしまう共同体内の人々全体に寄り添う、というとてつもない困難を引き受けてきた強さ・したたかさに私はいつも立ち尽くしてしまう。
 発症した人、発症していない人という意識の分断の中で多くの人は沈黙を強いられたり、告発を断念せざるを得なくなったり、さらには排除されたりする。しかし石牟礼道子はそのように排除されることなく、沈黙を強いられる人の発することばにも共鳴している。この寄り添う、ということがこの作家のすごさなのである。
 共同体の構成員が語るさまざまなエピソードが並べられている。自然の解釈、業としての農や漁にまつわる言い伝え、食にまとわりつく伝承‥。そのひとつひとつを作品に取組んでいく過程を想像させてくれる発言であったと思う。

「共同体というのは意地が悪い残酷なところもあるんですけれども、自己救済というか、神話的な世界をつくりあげていく。つくらずにはいられない、それでもやっぱり、文化の一つの姿だろうと思う。基層的な文化でね。そから文字に書く神話というものができ上がっていくんだろうとおもいますけれども、いちばん基層の部分でどうなっているかというと、非常に牧歌的にせずにはいられない。この世はいろいろ辛いこともありますから。」

 さて、病で倒れたときのエピソードをここに写しておきたい。

「パーキンソン病にはもうなっていましたから、雲の間をいくような感じでございました。もう倒れる、あしたは倒れる、きょう倒れると思っていましたけれども、案の定倒れた。そのときは雲と雲の間に足を突っ込んだような感じでございました。倒れたときは一瞬でしょうけれども、その時の感じはは、千仭の谷に向って落ちていきよるという、ある時間があったんですよ。
足の裏を上にして落ちていきますから、左の足の裏の、アキレス腱というのかしら、足首の表側のところから左のほうへ、何かフワフワと、飛んでいったんです。蝶のようなもの。‥何か私から逃げ出した感じ。その次に意識したのは、遺伝子の元祖たちがいる森へ行ったんですよ。そのフワフワが。だんだん蝶のようなものになっているという意識が出てきて、それが水俣のある漁村に似ているんですけれども、太古の森ですけれど、海風が吹いてくると、森の梢、木々や草たちが演奏されるんですよ、海風に。何ともいえない音の世界が‥‥五線譜にはとらえられないような。「草の祖(おや)」という言葉が出てきました。元祖の細胞だか、元祖の遺伝子だかがいる森なんですよ。そこが海風に演奏されて、木の梢がいっせいに震えると、何ともいえないいい音楽が。「幻楽始終奏」という風に名付けていましたけれども、くさがなんともいえずなよやかな音になって動くんですよね。花はまだなかった。草の祖。それは私の親たちという気持ちでしたね。それが眠りに入るときも、目がさめるときも、何か思いついて夢想が始まるようなときには必ず、鳴るんです。‥‥。魂の秘境に行っているような、この世の成り立ちをずっとみているような、そんな音楽が聞こえて。二か月半くらいつづきましたね。」

 転倒し、気絶した時の印象が綴られている。これは対談の中の一節だが、石牟礼道子の作品の文章のように思えた。
 この文章に作家の文章の魅力のひみつがあるように感じた。あくまでも感じたのである。どこが、という分析は出来ないのだが、私の直観ということだけ、取りあえず記述しておきたい。


「なみだふるはな」読了

2020年04月27日 14時07分18秒 | 読書

 早いもので印刷所から昼前に初校が送信されてきた。明日までにチェックすることにした。

 午前中に「なみだふるはな」は読了。夜までにはいつものように覚書風に一部を引用して置く予定。

 昨日と違って寒さを感じる。朝の陽射しは昼前にはなくなり、時間が経つにつけどんどん暗くなってきた。団地の砂場で遊ぶ子どもの声も昨日に比べて少ない。

 明日から読む本は「スペイン美術史-積層する美と歴史の物語」(大高保二郎外、NHKブックス)と「ブラームス」(吉田秀和、河出文庫)の2冊の予定。

 急に子どもの声がしなくなったと思ったら、風がないので音もなく雨が降り出した。あっという間に本降りになり、ベランダの雨水排水管を伝い降りる雨の音が始まった。団地の中では、この雨水排水管を伝わる雨の音で、雨の強さが想像できる。
  レーダー雨量計によると一気に30ミリの雨の区域の中に覆われてしまった。


引き籠りは性に合わないが‥

2020年04月26日 22時42分30秒 | 天気と自然災害

 本日はほとんど外に出ることなく過ごしてしまった。夕方に食材が足りないとの依頼で2500歩ほど歩いてコンビニで用を足した。先ほど夜のウォーキングを3500歩ほど。
 かなり物足りない。昼間は風が強く、歩くのも一苦労。建物の北側だけを或るのであれば問題はなかった。夜は強風注意報も解除になり、ウォーキングには悪い条件ではなかったものの、何となくグダグダしているうちに時間ばかりが過ぎてしまった。

 なんとも怠惰な生活になってしまった。外出自粛要請だし、リスクの高い外出はしたくないので、せめて自宅では充実した時間を過ごしたいとは思っている。しかしそれが性に合わない。まるで子ども、と言われている。

 この時期に、退職者会ニュースの校正刷りを依頼し、そして印刷までお願いしている。それも何となく後ろめたさすら感じている。

 明日の横浜は天気が下り坂。午後からの降水確率は60%、北風強く、最高気温18℃との予報が出ている。
 明日も引き籠りにならざるを得ないようだ。

 


謡曲「海士」

2020年04月26日 20時27分42秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 家にずっといると結局読書もしないでボーっとしている時間のほうが長いような気がする。読書もそれほどはかどらない。このようなときは謡曲などに目をとおすのもいいものである。
 「なみだふるはな」を読んでいる間に、謡曲の「海士」を捲ってみた。以前に読んでいる。数回は読んだと思う。
 この曲は藤原北家の房前(ふささき)の出生譚。

 房前大臣は母の追善に讃岐の志度(しど)寺に行く。海士が、水底の月を見るために梅松布(みるめ)を刈るよう命ぜられた昔話を語る。大陸からもたらされた玉をこの浦で龍神に奪われ、房前の父、鎌足が海士と契りを交わし、宝珠を取り返せば子を世継にすること約束。海士は命がけで竜宮に向かい宝珠を取り戻す。語り終えた海士は、自分が房前の母だと名乗り海中に消える。房前は亡母の手紙を読み十三回忌の供養とする。龍女姿の母の霊が現れ、法華経の功徳で成仏したと喜び舞を舞う。

 この曲は、海士が玉を取りに行く場面「玉ノ段」が印象的である。
「大悲の利剣を額に当て、龍宮の中に飛び入れば、左右へばつとぞ退いたりける。その隙に宝珠を盗み取つて逃げんとすれば守護神追つかく。かねて企みしことなれば、持ちたる剣を取り直し、乳の下をかき切り玉を押しこめ、剣を捨ててそ伏したりける。龍宮の慣らひに死人を忌めば、あたりに近づく悪龍なし。約束の縄を動かせば、人びと喜び引きあげたりけり‥」
 写実的にと思ってしまうほどで、明治期の神話に題材をとった「歴史画」などを思い出してしまう。

 なお、引用は新潮日本古典集成「謡曲集 上」による。 


茨城県南部などで震度4

2020年04月26日 12時28分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

  26日09時49分ころに地震があった。震源地は、茨城県南部(北緯36.2度、東経140.1度)で、震源の深さは約70km、マグニチュードの速報値は4.8という。
 震度4は、水戸市、石岡市、筑西市、坂東市、鹿沼市、小山市、板倉町、春日部市、柏市の5県9市町に及んだ。
 発生個所は頻繁に地震が起きる場所だが、油断は禁物。

 横浜では震度2。1分を超える長い揺れに感じた。
 震度4では現在は家屋被害はないと思われるが、屋内での家具倒壊などは心配。私の経験では、道路の上法(うわのり)で土が剥き出しで水が滲み出ているところは震度4でも崩落することもある。1立方メートルの土でも人が埋まれば脱出は不可能。命が危険となる。
 ウォーキングや散歩の時はそのような場所や、ブロック塀、膨らんだ石積み、廃屋、大きな貼り出し看板、仮設足場などの傍は、普段から目星をつけて避けるようにしたいものである。