Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日も慌ただしい

2019年03月31日 22時28分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午後遅く出かけたときは風が冷たかった。長袖の開襟シャツ、薄い化繊のセーター、昨日購入した少し厚めの木綿の上着、これで寒かった。しかし30分地区歩いてようやく汗ばみ、横浜駅に着いた頃には汗をかいていた。
 帰宅するために地上に出たときには気温が充分高くなり、16度近くにまで滋養称していた。新しい上着はリュックにしまい込んだ。家に着くころにはずいぶん汗ばんでいた。

 明日は造影剤入りのCT検査。9時前に市立病院へ出向き、採血をしてから検査である。この結果は8日にわかる。ワーファリンを続けるかどうか、ようやくここまで漕ぎつけた。
 この病院の最上階からのサクラの眺めは抜群。これを楽しんでから帰宅、眼科での点眼薬の処方を書いてもらう予定。薬代と合わせて5千円を超える金額が眼科だけで毎月かかる。緑内障というのはお金が嵩み、そして治ることがない。進行を遅らせるだけの治療である。
 夕方からはまた作業のために出かけ、帰宅後また団地での作業。
 明日は処理しなくてはいけない用件が重なってしまった。

 明日から新年度。巷では「新元号」狂騒曲。時間を一人の人間の生死に委ねるという時代錯誤に人が右往左往。訳知り顔のトンデモ「学者」があちこちで「時間の支配」に加担している。社会の無惨な劣化、逆行には眼を覆いたくなる昨今である。


自然年令を偽らず、だまらない心性を最後まで‥

2019年03月31日 20時09分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午後遅くなってからいつものとおり横浜駅まで遠回りをして40分ほどかけて歩いた。喫茶店で本を片手に持ったまま寝入ってしまった。一度は床に本を落して目を覚ましたが、すぐにまた寝てしまった。ひょっとしたら見ていた人に笑われていたかもしれない。実に気持ちの良い睡眠時間となった。

 帰宅後は久しぶりにボーっとテレビを見たがどうも落ち着かないのですぐに消した。テレビの番組というのはどうしてあんなに展開が早くて慌ただしいのだろうと、いつもの疑問が湧いてしまう。じっくりと腰を落として作った番組というものに最近はお目にかかれない。私が少しばかりのんびりしすぎているのだろうか。

 またコマーシャルについていけない。シミ・ソバカス、シラガ、禿げること、そのようなことが「悪」とばかりに人を脅すように商品を売り込もうとする。自然な加齢による現象をそんなに執拗に攻撃する心性が私には納得がいかない。

 私にはもうとても理解できない世界である。歳をとること、加齢にともなって身体に現われる現象、私は別に誇示はする気もないが、卑屈にもならず、そのまま示していきたい。まだまだ普通に私は自分を表出していきたい。

 さて話は少しばかり飛ぶが、年金生活者は余計なことはいうなとか、世に出てくるな、選挙権など与えるな、などという小生意気な暴論を平気で、恥ずかしげもなく吐き続ける人がいる。世の中予期せぬ方向にひどくなったようだ。

 そんなことを言われると、私はますます世にはびこり、憎まれ口をたたき、自然年令を卑下することなく、生きていきたい。屁理屈とつまらない権威に抗い続けてきた生き様に「黙れ」とは失礼千万である。

 黙れといわれれば、ますます声を大きく出すのが、団塊世代直後の少しばかり遅れてきた世代の生き様でもある。荒野こそわが道でもあった、と思う。


春陰・花曇り

2019年03月31日 14時03分23秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 午前中は団地の仕事。午後からは退職者会の資料作りなのだが、休憩しながらぐずぐずとしてはかどらない。こういう時はいつものように買い物に付き合うか、横浜駅まで歩いて喫茶店で時間をつぶすか、他のことをした方がいい結果が出る。

 昨日読書中の本を二冊とも忘れて出かけてしまい、推理小説を購入した。SFにしろ推理小説にしろ、読み出すと終りまで集中してしまうので、他に読み進めている本の内容を忘れてしまう。この推理小説まだ事件は起きてはいない。
 しかし扱うのは「殺人事件」である。人が凄惨に、あるいはいとも簡単に殺される、というのは避けているつもりだったが衝動的に購入してしまった。反省しつつ読んでいる。つじつまの合わない自分に呆れている。

 本日はほぼ曇り。ときたまごく短時間日が射す。部屋の中から外を見ていると寒いように見えるが、14℃は超えている。東北・北海道の方はかなり寒いらしい。昨日ようやく春に着る上っ張りを購入した。当分はこれを着て過ごせそう。

★春陰や眠る田螺の一ゆるぎ       原 石鼎
★花ぐもり兵士の征きし石畳       渡辺志ま


 春陰は「春の曇天」のことをいうと書いてある。「花曇り」ど同じ意味だが、花という字が含まれず暗く思い語感があるという。憂いを帯びた感じもある。
 

春寒き

2019年03月30日 23時43分33秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★春寒し土より湯気のごとき息      藤井静三
★春寒き世に遠くゐて枉げざりき     加藤楸邨


 枉(ま)げる、は志や道理をまげることをいう。世に流されたりしないで頑固に孤高を守るような場合を指すのだろうか。意志の強い状態でもあろうか。春寒き、とどういう関係か、と問われると何とも言えないのだが、感覚的にしっくりいく取り合わせである。
 寒い緊張から解けて行く春の陽気の中で、数歩冬に交代するときにキリッと締まった感覚を取り戻したのであろう。自分の矜持を思い出すかのように。


花見はまずまずの気温

2019年03月30日 22時22分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
      

 団地の花見では風が無くなり、思ったよりも暖かかった。短時間であるが陽射しもあった。
 桜は八分咲きというような意見が飛び交っていた。私もそのくらいかと思った。全体を撮影するとちょっとまばらで寂しい感じである。今年は花が小さいように思えた。
 1時間ほどで退席させてもらって、二人で横浜駅まで出かけて、スーパーで20日に用意する野菜類などの値段調査を若干。
 妻と別れ、夕方からは作業を1時間ほどこなし、友人と横浜駅に戻り、少しばかり飲んだ。お店を出るとそれりに強い雨。
 しばらく書店で時間を過ごしたら小やみになったので、バスにて帰宅。まだ弱いけれども降っている。本日の夜のウォーキングは中止とした。

本日は花見&作業

2019年03月30日 12時18分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝から日が当たらず寒い。これより団地の花見であるが、夕方から作業があるのでお酒は遠慮してお茶だけで勘弁してもらう。ダウンのコートを着て参加。
 午前中は組合の退職者会の仕事を若干。20日の総会と総会後の懇親会の準備作業である。作業といっても購入物品の一覧表を作成。80人を超える参加者なので、昼からの懇親会はかなりの量の飲食物やサラ・コップ等を揃える必要がある。
 購入や配膳・後片付けは当然幹事で分担なので私は一覧表作成と予算内に納める努力である。
 お金をかけず、手間は出来るだけ簡略化、この相反する命題の解決は15日の幹事会で決定することになる。

 花見を1時間過ぎてから退席して、買い物にでかける。夕方からの若干の外での作業をした後の予定はない。


花冷え

2019年03月29日 22時40分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日はとても寒い日であった。横浜市域の最低気温が午前10時過ぎに記録して7.4℃と2月下旬並。最高気温は昨夜日付の変わったばかりの1時直前に記録した9.7℃と3月上旬並みであったとのこと。深夜より午前10時の方が寒いという変則的な気温でもあった。
 ちょうどそのころ外での業務をこなしていて、寒かった。薄いセーターと極く薄いウィンドブレーカーでは風も体を吹き抜けていくし、震えていた。
 サクラは咲いて東京では「満開」というが、こう冷えてはサクラを楽しむことができない。

★花冷えの田より抜きたる足二本     本宮哲郎
★花冷えや猫のすりよる駅ベンチ     鳥居美智子
★人体冷えて東北白い花盛り       金子兜太


 明日は団地の花見という。寒い日なのだが、来週の週末になってしまえば花の時期を失してしまいそうである。致し方ない。寒さ対策をして顔を出すことにした。日曜日は気温が上がるかもしれないが、雨が降る可能性が高い。企画する人はヤキモキしているであろう。


「図書4月号」

2019年03月29日 19時55分57秒 | 読書


 本日夕方に配送された「図書4月号」、さっそく目を通した。
 表紙の絵、司修の作品が今月号特に気に入った。

・レリーフの音符は「雨の樹」を奏でる     司 修
「わたしが劇場に入るとそこは沙漠でした。沙漠を水で満たそうとする木が一本ありました。私は落ちていた展覧会のための「雨の樹」と題したチラシを読み終わるまで、我慢がしきれなく、トイレのために目覚めたのでした。しかし夢は悲しみを予告していたので。武満徹さんが虎の門病院で亡くなるほぼ一と月前の夢でした。」

・北斎「富嶽三十六景」       横尾忠則
「セザンヌは自然を円筒、円錐、球で表現すべきだと主張したが、わが北斎の「富嶽三十六景」の絵を嘗めるように画面の隅々まで眺めてもらいたい。‥〇△□の形が「私はここよ」と自己主張をし始めてくるのに気づく。‥まるで白隠禅師の禅画を連想してしまうのだが‥。セザンヌや禅画のような観念的な抽象性は少々欠如しているが、北斎には、遊びの精神が形象化されたものとして〇△□がある。知的遊戯というより感覚を解放する力の発見である。」

 私も岩波文庫の「富嶽三十六景」を見終わったばかりである。この指摘のとおりに私も46枚の作品に目を通した。幾何学的な構図、真円や三角形を多用した画面構成にはまったく同感である。ただし□は必ずしも正方形は意味しない。□というよりも垂直・水平の線、或いは長い長方形という表現の方がいいと思われるものもある。そして点対称と

・口説きのテクニック        高橋三千綱

・閻魔帳の中の漱石--松本源太郎資料から広がる世界      中島国彦

・藤野先生の「ノート添削」をめぐって(上)     三宝政美
「入学一カ月にして早くも魯迅の思惑は脆くも破綻し、「デクノボウ」になり果てる逸れと、時を同じくして医学の情熱も急速に後退していった。入学二か月後の聖書から筆録へのノート上の変化は、まさしくその現われであった。。‥先生は、ノートに現われた聖書から筆録の変化に、魯迅の医学に対する懈怠の兆候を素早く読み取ったのである。」

・私のこと その3 勇気について               加藤典洋

・武満徹02 プリンス・オブ・ウェールズ           片山杜秀

・風土記博物誌 15 もの言う鹿 三浦佑之


税込み・税抜き

2019年03月29日 16時16分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりに8時の地下鉄に乗った。通勤時間帯の地下鉄である。現役の頃にいつも乗っていた地下鉄の10分くらい後の電車である。当時と同じ程度の混雑、当時と同じように横浜駅からは座れた。
 統一地方選挙の告示日、朝から慌ただしい午前中であった。私の役割は13時には終了。あくまでも裏方である。

 昼食を久しぶりに初めてのお店に入って食べた。648円の日替わりの海鮮丼という表示に目が吸い寄せられた。値段からすると600円プラス8%で648円と思い込みこれを注文した。食べ終わり支払いの段になって699円を請求された。
 私の早合点である。648円プラス8%を支払った。51円の差なのだが、なにかとても多く請求された気分になってしまった。久しぶりに初めてのお店での食事で気分よく食後のお茶も飲んだのだが一瞬たじろいだ。今度からは十分注意しなくてはいけない。慣れた店や、税込み表示の店に慣れてしまっており、どこか恥ずかしいような気分にもなった。
 歳を取ると勝手な思い込みが多くなる、と仲間同士でよく会話をする。まさか自分が笑い話のネタを提供する側になるとは思ってなかった。
 酔っぱらうとこの自虐ネタ、自分で披露してしまうかもしれない。

 一昨日の体の不調はひきずってはいない。洟も止まってすっきりしている。血圧も低めで安定している。しかし一応安静が肝要かと思う。
 これより昼寝・・。 

読み始めた本「東アジア仏教史」

2019年03月28日 23時07分39秒 | 読書


 一昨日から読み始めたのは「東アジア仏教史」(石井公成、岩波新書)。
 昨日読んだのはほんの数ページであったが、一昨日・本日とそれなりに読み進んだ。全8章のうち第3章まで終了。

 中国での仏教史の概略にほとんどのスペースが割かれており、日本・朝鮮半島・ベトナムなどについては残念ながら第4章題4節、第6章から第8章までとなっている。
 また中国における老荘思想・道教・儒教と仏教の関係から作られた仏教経典の概説に終始しているのが不満と云えば不満。
 ただし最後まで目を通さないと何とも評価は出来ない。私の興味・問題意識とはちょっと離れてい他かもしれない。それは著者の所為ではなく、読み手の私の選択の問題でしかないので、不満は言えない。
 ただ放り出したくはない本である。

春休みの宿題を出された

2019年03月28日 20時02分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は何ごともする気が起きなくて、だらだらとしていた。ベッドに入ったり、パソコンの前に座ったり、居間のテーブルの前でテレビをみたり、いづれも長続きはしなかった。何もする気が湧かないにもかかわらず、じっとしていられなかった。落ち着かなかった。
 ようやく寝る前に血圧が下がり、今朝も起き抜けは135-85位であったろうか。ふわふわした気分や、太ももの筋肉のだるさ、痛みは無くなっていた。
 洟と頭の重み、痛みは続いていた。

 内科に行ったところ、降圧剤を再開することとなった。降圧剤を中止してちょうど3カ月。残念ながら再開となった。ワーファリン服用中なので低めにコントロールした方がいいのかもしれない。
 その上、一日2回の血圧測定と記録を申し渡された。起床時と就寝前の測定を2週間行う。春休みの宿題のようなものである。
 内科の帰りには耳鼻咽喉科により、洟の症状を診てもらった。ワーファリン服用ということを伝えて薬を処方してもらった。点鼻薬と一日2回の服薬。こちらは即効で改善したようす。5日分貰ったが、症状がおさまれば薬は中止できるようだ。頭の痛いのもすぐになくなった。

 だが、耳鼻科で肝心なことを聞き忘れた。私が匂いを感じていないことについて質問しなかった。またの機会になってしまった。

 午後3時過ぎに横浜駅までユックリ歩いてみた。点鼻薬のためか洟はほぼ収まっていた。ふわふわ感もなくなった。これまでだと帰りも歩くのだが、本日は無理をせずバスにて帰宅。

 夕方はかなり冷えてきた。

のんびり出来るということ

2019年03月28日 10時17分04秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 朝の血圧は133-82と特に高くはないのだが、昨日のこともありこれより病院へ行ってみることにした。気分は悪くない。相変らず鼻の奥は重苦しい。朝から幾度も鼻をかんでいる。昨日ほど大量の黄色の洟は出てこないものの、粘度の高い洟は変っていない。太ももの筋肉のだるさは今のところない。

 本日朝の内は日が当たっていた。今は曇ってしまった。

★西山の山寺にあり春一日     高浜虚子

 西山は京都の西の愛宕山や嵐山辺りのこと。のんびりとしたいと思って困ったのではなく、何かの用があり行ったのであろう。しかしそこに、そこにいる時間に長閑な時間・空間を見つけたという心境だと私は理解している。人間、のんびりするためにどこかに行くというのではなく、どこへ行ってもそのような時間・空間を見つけることができないといけないのであろう。私ものんびりとどこかに行きたいと常日頃思うが、あくまでも願望で終わってしまう。どこへ行ってもそのような心境になれるということが、大事なのだと頭では思う。頭の切り替えが下手な私は、いつも何かに追われるように息をしている。


降圧剤が効かない

2019年03月27日 22時39分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一日中家に閉じこもっていた。鼻の奥にあたる頭の中が重苦しい、太ももの筋肉のだるさ、黄色い洟に苦しめられた。

 そして昼前に血圧を測ってみたところ、下が100、上が160と高い血圧を示した。こんなに高い血圧価を示したのは実に久しぶりである。何が原因なのだろうか。
 家にある降圧剤を1錠飲んでみたが下がらない。まさか続けて他の降圧剤を飲むわけにもいかず、取りあえず静かにしていようと思い、ベッドで読書をしたり、テレビを見たりして静かにしていた。しかし夜になっても血圧は下がらなかった。
 明日、耳鼻咽喉科とともに内科に行ってみることにした。明日は降圧剤を処方してくれていた医院は休診日。その医院のすぐ傍で改行しているその親族の病院へかかってみることにした。

 何が原因なのか、よくわからないというのも困ったものである。ワーファリンの処方についての市立病院の予約は4月8日、それまではかかりつけ医のお世話になるしかない。


 先ほど血圧をはかったら何とか140-85まで下がってきた。薬を服用してから7時間、薬が効いてきたのか、静かにしていたのが良かったのか、よくわからない。


「富嶽三十六景」(日野原健司) その5回目

2019年03月27日 20時18分12秒 | 読書


   

 「富嶽三十六景」は36枚組で終わる予定が、人気があり、さらに10枚が追加されている。
 31枚目から46枚目までの解説を読み終わった。
 46枚それぞれの特徴などが記載されているのだが、作品の見どころだけでなく、実際の場所からの景観がどうであるかも含めて記されている。
 私の想像通りというか、巷間でもよく言われているとおり、実際の景色から大きく外れて描いていることが具体的に記されている。北斎は実際の景色を移すのではなく、構図上の都合を優先し、そして実際にはない風景に仕上げている。
 西洋画もそうだが、3次元の世界を2次元という平面に閉じ込めることの困難さや表現の制約をいかに突破するのか、江戸の絵画なりの模索を垣間見ることができる。ただしそれは現代の視点からの評価であるが。
 さらに46枚を比べるとその出来・不出来のムラがあることがわかる。

 私が面白いと思うのは、この46枚の順番が当初の観光順だという前提であるが、36枚目までの出来・不出来の幅よりも、追加の10枚の出来・不出来のムラの方が小さいと思われることである。普通は「続編」というのは得てして小説も絵画も続編の方が出来・不出来のムラが大きかったり、構想力に画面に緊張感がなくなるなどすると云われる。しかし結構緊張感は持続している。あるいは高まっている。
 もうひとつ気がついたのは、続編10枚に至り、ひとつの作品に描かれる人物の数が増えるということである。人数が少ないのは42「本所立川」の3名であるが、他の9作品は10名を超える。中には100名を超える登場人物の作品もある。
 私は北斎の作品、少なくともこの「富嶽三十六景」では小さな人物、そしてうしろ向きの人物がとてもいいと思っいる。特に丸い笠が、生きている人間の顔の表情よりも多くを物語っている。小さく描かれている富士山の方向を見ている顔の表情までもが想像される。風の強弱や日のあたり方、人物同士の会話の内容までもが伝わってくる。34「東海道程ヶ谷」、35「隅田川関屋の里」、37「身延川裏不二」、39「駿州片倉茶園ノ不二」、41「甲州伊沢暁」、43「東海道金谷ノ不二」、46「諸人登山」と笠を被った人間が特徴的である。ことに35では走る馬の形が実際とは違ってあるいているように見えるのだが、この笠によって疾走するスピード感が強調されており、わたしには秀逸に思える。
 富士山の姿から言えば、41「甲州伊沢暁」、44「相州仲原」の雄大な富士と、42「本所立川」の建て込んだ街中からの富士、ともに私の好みである。42は構図的にもきっかりした画面構成で、縦の材木の合間に見える三角の富士のおさまり具合が秀逸だと思う。
 なお、職人の動きで30「江都駿河町三井見世略図」の屋根の上の瓦職人と思われる二人、42「本所立川」の材木を扱う職人二人、ともに素材を放り投げ、受け取るポーズがほぼ同じである。また42と16「遠江山中」の鋸を引く職人の姿も酷似している。
 最後46枚目の「諸人登山」では頂上でのお鉢巡りのようすを描いているという。石室の中の押し合いするような満杯の人びとの熱気すら感じられる。
 著者はこの最後の作品から、北斎はかつて若い頃に富士山に登ったことがあるはずだと結論づけている。私も同感である。そうでなければあの視点は獲得できない。しかし46景の内、実際に行ったことの無い地点もかなりの多数であると思う。そしてそのイメージの源泉の多くは河村岷雪の「百富士」であるらしい、ということを知った。

 しかし最初の3砂浜、就中「凱風快晴」と「山下白雨」という2作品の迫力には改めて驚きを感じた。



熱は下がったものの・・・

2019年03月27日 11時26分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝起きると黄色っぽく色のついた痰と洟が大量に出た。2回目以降は白くなったものの朝の痰と洟がなかなか治らない。
 本日は近くにある耳鼻咽喉科は休診日。十数年前に鼻血が止らなくなったとき以来、頼りにしている。明日まで我慢してからかかることにした。
 起床時の体温は36.0℃と下がっている。副鼻腔炎のときのように鼻の奥が重く、目もショボショボする。そして太腿の筋肉が相変らず重苦しい。
 先ほどまで寝ていたが、目が冴えてしまい起きてきた。

 本日は、夜に予定されている講演会に出席することで登録してある。退職者会関連の講演会なので欠席したくないのだが‥。

 昨日の午前中の健康講座は「めざそう!健康で長寿 誤嚥性肺炎~原因と予報法~」という講演であった。労働組合の退職者会の学習会では、どこでも同じと思われるが、最後に健康講座が予定される場合がほとんど。
 結論が「外に出ましょう、楽しく食べましょう、いっぱいおしゃべりしましょう」であった。会議に出て、適度な軽い?み会が推奨されている。人と付き合いがうまくできない仲間のことも考えながら講座を聞いていた。いい処方箋は思い浮かばなかったが‥。