Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

大津波警報

2010年02月28日 18時30分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 仕事柄警報・注意報には敏感だが、大津波警報というのは初めて認識した。奥尻島の地震以来17年ぶりとのこと。
 チリの巨大地震は丁度50年ぶりだが記憶に残っている人も少なくなった。私は函館にいた頃で、小学3年だったか。気仙沼・大船渡・釜石などの聞き慣れない地名をラジオのニュースで聞き、新聞で大きな船が陸地に上がっているのを見た記憶がある。
 本日の津波による湾岸の道路や漁業施設の被害は、明日以降徐々に明らかになるようだ。千葉県の鴨川をさかのぼっていた津波がテレビに映し出された。津波としてはわずか50~60cmだったが、大きな力を感じた。
 被害の軽微なことをのぞむ。

届いた本
「図書3月号」(岩波書店)
 高橋睦郎と坪内稔典の連載は毎回楽しみにしている。
「俳句界3月号」(㈱文学の森)
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長谷川等伯展感想(3)

2010年02月28日 08時45分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 長谷川等伯の水墨画の世界は豪華絢爛とした金碧画からの転進に見える。あの楓や松の幹の強引とも言える力業でその量感を強調した画面構成は、それを続ける限り、際物的なところへ進むか、様式化へと進むかのどちらかに行かざるを得なかったのではないかと思う。この転進は鮮やかで、そしてさすが、ということだ。
 制作年代のことはよくわからないが、彩色の絵からその転進を探ると、萩薄図からはそんな力技からの転進を読み取りたい。生命感あふれる作品であることは確かだが、力技ではなく、細い萩の枝と薄の柔らかな曲線が光の中でたたずんでいる。波濤図からは色彩の奔流からの転進を読み取りたい。躍動感のきわみではあり、波は大きくうねっているがどこか静謐な感じのする空間である。


 水墨画での樹木は大きくうねってはいるが画面の主役ではない。大きな景物の中に小さく人間の営みである家や人、あるいは動物が描かれている。小さいが決しておろそかにされてはいない。人が次第に大きな位置を占めるようになっていく。奇怪で、のたうつような幹よりも、のびのびと横に伸びる細い枝が構成上は重要な要素となり、量感をあらわすものは幹よりも岩が大きくせり出してくる。
 私は竹林七賢図屏風や竹鶴図屏風、竹林猿猴図屏風の左双の竹が印象深かった。手本とされた牧谿の竹よりもまっすぐに立ち、まばらであり、濃淡による遠近が強調されている。それにともない動きがある。光や空気の湿気が、牧谿など中国の自然観よりもっと人間や動物に親和性の高いものとして、表現されているように見える。
 幾本もの縦の線の並びの濃淡による遠近法で画面に奥行きと広がりをつくり、光と空気への親和を表現しているのではないか。こんなことを思いながら最後の松林図屏風の前でしばらくたたずんだ。
 最後に、等伯の絵で最初に目に焼きついた印象は「緑」の色だ。どの絵も緑がいい。水墨画に緑色だけを彩色したもの、金碧画でも緑が目を奪う。日本の絵のこと、絵の具の特質は知らないが濃い深みのある緑がいいと思う。色を施していない水墨画からも、深みのある緑が立ち上ってくるように思える。
 別冊太陽の長谷川等伯、東京国立博物館の等伯展カタログ、ともに読み応えがある。この2冊カタログをどれだけ読み込めたかはわからないが、これとは離れてずいぶんと自由に、勝手に飛翔しながら感想を書かせてもらった。頓珍漢なところや間違いが当然ある。論気の飛躍も勝手なはや合点もあるがどうかお許しを願います。
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長谷川等伯展感想(2)

2010年02月27日 11時07分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 次に目に付くのはやはり楓図壁貼付と松に秋草図屏風。


 ポスターになった楓図壁貼付だが、全体を見ると、私には少しくどく、また右側が雑然とし過ぎでいる。絵としての中心がない。太い大きな幹が中央から左の上に据えられているが、中央の幹が太すぎて精彩を欠く描写に見える。また樹形の左右のバランスが悪い。安定感がない、かといって躍動感があるというのでもないような気がする。
 右側の萩の葉の描き方も何か雑然としている。右側があふれる生命力、繁茂の力、左が整然とした水のある空間と言うのだそうだが、このままの構図で果たしてどうだろうか。楓の葉が生きていない。萩の緑に負けている。退色のためだと思われる。
 しかも画面全体でずれがあるのだ。復元した場合はもっと違った印象になるようだ。確かに強引に画面の中心に寄せすぎているような気がする。左右天地をそれぞれの方向に延ばすと、バランスも奥行きも良くなるらしい。中央左側の川の一部のような濃い水の部分が、池なのか川なのか釈然としない。池でも川でもいいのだが、収まりが悪いと思う。
 これはぜひとも全体の構図も色も復元し、もとあった環境の下で観賞したい衝動に駆られる絵だ。今まで述べた私の不満が解消されると思う。部分部分が放つ力強さからはこれらの不満を覆すような魅力、人を曳きつける力が秘められていることを大いに感じた。


 松に秋草図屏風は、松の幹が主題のように目に飛び込んでくる。保存状態が良いそうだ。左側のズレはとりあえずは気にならない。むろん復元は望みたい。むくげ、菊、芙蓉の白がそれぞれに生きている。そして暗い会場の縦長の端からの遠望に耐えられる。しばらく遠望に見入った。
 左のほうがすっきりしている。薄もすっと伸びて喜んでいる。右側の図の少しの雑然とはよいバランスを保っている。白と緑と金色のバランスが良い。菊の赤がくすんでいる。この色が復元され左側はとても引き締まった画面になると思う。そして芙蓉の下の岩が面白い。松の幹の存在感に対抗する役割を担っている。芙蓉と良く調和している。
 柳橋水車図屏風は、異様な柳の幹と様式美の橋と水車、川としては大きすぎる波。様式化され「長谷川風」として受け継がれたそうだが、もやった芽吹いたばかりの頃の柳と、新芽からだいぶたった頃の伸びきった新芽の柳の対比が新鮮ではあった。豪放な力強さはどこに消えてしまったのだろうか。

 
 萩薄図は落ち着いた私好みの絵だ。萩の一枚一枚の葉、一つ一つの小さな花が生きている。実に丁寧に描きこんでいる。萩を描いた右双の金泥は、萩の背景として萩を浮き立たせている。左双の薄は穂が出ていない状態のものだが、金泥は薄の中に溶け込んで温かみを与えている。金泥が細い葉の薄の群落と一体になっている。萩と薄を別々の双に書いた意図が私なりに伝わったような気がする。それでいて右から左に抜ける風を感じる。これがこの絵の一体感なのだろう。
 柳に柴垣図屏風もいいが、これは退色が著しい。これも是非復元がほしい。柴垣の丹精な垂直の線の並びが、写実的ともなった柳の素直なたたずまいと響きあっている。
 こうしてみると、曲がりくねってうねることで量感をあらわす楓や松の大きな幹よりも、垂直な線、細い線で描く描写にひょっとしたら長谷川等伯という画家の真髄があるのではないだろうか。次回に触れる水墨画の竹もそうだ。


 さて前半の圧巻は波濤図だ。金泥と墨絵、あの岩は「これが等伯」というトレードマークの岩だ。水平と垂直と45度の135度のたった4種の、てらいと迷いのない力強いタッチの刷毛目のハッキリした太い線で出来ている。あらゆる種類の岩が網羅されているような錯覚を与えてくれる。
 広い大海につながっているようにも見えるし、この絵だけで一つの完結した世界を作っているようにも見える。波と岩だけでできた曼荼羅図、世界全図と云ったら大げさだろうか。また、雲海の中に浮かぶ岩稜のにも見える。それこそ朝日に輝く須弥山から見た日の出前の世界図が、描く人間の頭の片隅にあったといってもいいかもしれない。
 金泥がきらびやかさではなく、奥行きをあたえている。これはじかに見て気づいたことだ。
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長谷川等伯展感想(1)

2010年02月26日 23時39分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 長谷川等伯展の感想を書こうとしたら、昨日も今日もまた仕事(のようなもの)で、遅くなり23時近くにようやく帰宅できた。三毛猫の子猫さんからの期待に筆(指)も緊張して言葉が滞ってしまう。取りあえず夜食休憩の合間を利用して感想らしきものをつくり、それをベースに作り直してみた。
 何しろ素人の感想である。間違いも頓珍漢もあると思うが、それはご愛嬌で許してほしい。


 会場に入って最初は十二天図。これがなかなか人を惹きつける。12の顔、表情も生き生きとして個性豊かに描き分けられ、仕草も服装も細密画を思わせる丁寧な仕上げに目を奪われる。これまで見た様式化された十二天図とは違っている。ひとつずつモデルがいるような絵だ。
 仏画が力感あふれるものであっても静的なものであると勝手に誤解していた不明が露わになった。


 そして仏涅槃図は大小二つあったが、私は小さいほうの涅槃図が気に入った。こちらのほうが周りの者の表情が実に豊富で仕草も豊かだ。寝転がって子供が泣き喚くような赤鬼のような仕草のものもいる。無表情に眠ったような、悟って無関心なような天人ないし菩薩見たいなものも面白い。面白いといってはいけないのかな。
 十六羅漢図も表情が秀逸だ。温和なだけでもなく、怪異に過ぎるでもなく、人間のさまざまな表情が、少し滑稽味をもって太い線で克明に描かれている。完成した人格とは程遠く、迷い・笑い・しかめっ面あり、これは飽きない16人である。
 また山水図と寒江渡舟図の蓑を着た人物は、私の好きな構図である。緑が生きていると思う。
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本日は東京国立博物館にて長谷川等伯展鑑賞

2010年02月24日 23時38分47秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 帰途は京浜東北線の遅れに遭遇、そればかりか仕事がらみの交渉の余波で乗車中にメールで呼び戻され、結局帰宅が23時(T_T)
 重いカタログを抱えて早く復習をしたいと念じながら、イライラ…。
 くすんだ色の合間から覗くきらめく豊穣、モノクロにもかかわらず、あるいはモノクロゆえに豊穣な色彩を想像させる水墨画、表情豊かな仏画。
 どれも私の文で拙いなりにも感想に挑戦してみたい。
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お礼

2010年02月24日 09時22分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
訪問者の累計が10,000名を超えました。実質的には昨年8月から開始して7ヵ月。
さとうてるえさんの切り絵で閲覧がはねあがり、自句自解でまた多くなりました。
読んでいただけるということは、励みになります。これが重圧に感じるようになれば、ペースを落とすか、雰囲気を変えるか、閉鎖するか、ということになります。
それまではこのままでいきたいとおもいます。
引き続きよろしくお願いします。
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自句自解(13) 冬の宿

2010年02月23日 23時57分00秒 | 俳句関連
★櫁柑摘み夕餉のけむりを見おろせり
★冬嵐列車めがけて海騒ぐ
★冬の宿下駄の音乾きし音鳴らし
2002年師走、熱海に向かう。
 夕刻、蜜柑畑の上で蜜柑の収穫をしていたらしい女性が、畑を足早に降りていった。夕餉の支度のためか、日没の暗さへの不安のためか、天候の不安のためか、判断はしかねたが。蜜柑の黄色が印象的な景色であった。
 真鶴あたりにて、天候が悪く海が荒れていた。日がとっぷりと暮れて押し寄せる波の音だけが列車の中まで聞こえてきた。とてつもなく大きなものが押し寄せて来るように感じた。
 宿についてから夜半にはガラッと天候は回復し、乾いた冬の季節風に変わった。露天風呂に行く道の土は湿っているのに、また湯煙にもかかわらず、下駄の音だけは冬の季節風に乾いたひびきに聞こえた。
 年末に投薬のための二回目の入院を控え、副作用のつよい薬への恐怖と不安が増幅していた。そんな不安が冬の嵐の音をさらに重く響かせる要因であった。

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久しぶりにバッハ

2010年02月22日 23時19分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 管弦楽組曲全4曲を聴いた。しかしやはり人気のある第2番全曲と第3番のAirが一番落ち着いて聞くことができる。特にAir、この静かな曲を聴くゆとりのある気分と時間がいとおしい。この曲を聴くときには誰にも煩わされたくない、邪魔されたくない。
 そんな気分になるのは外には、ハイドンの6曲のバイオリンソナタ、モーツアルトのレクイエム(特にラクリモーサ)と、ベートーベンのバイオリンコンチェルト、ショパンのノクターン(特に2番)。
 しかしこのAir、全4曲の華やかさの中で、異質な曲だと思う。それが余計この曲を際立たせている。

 本日は血圧が高めで、背中の鈍痛が午後から続いている。夕食後、この管弦楽曲全曲を聴きながら寝かせてもらった。先ほど血圧を測ったところずいぶんと下がっていた。バッハの効能抜群といったところ。
 本日は早めに就寝させてもらうことにした。
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自句自解(12) 三内丸山遺跡

2010年02月22日 22時39分09秒 | 俳句関連
 三内丸山遺跡
★栗茹でてみちのく縄文の濃きみのり
★栗食めば縄文の世のつよき味
★とんぼ舞う縄文の柱に海光る
 三内丸山遺跡を始めて訪れた。浅虫温泉での前泊に栗が出た。その味をかみ締めながら、栗の大木でできた建造物や丸太を見学。その大きさと共に丁寧と思われる遺跡保存の実際を見ることができた。栗は当時の大切な炭水化物の摂取源でもあった。
 東北地方は縄文時代のもっとも豊かで、先進的な地域であったことを思いながら、じっくりと遺跡を回った。
 また、高台から陸奥湾、津軽海峡をながめ、北海道とのつながり・交流にも思いを馳せることができた。海からの光が、あの六本の柱にあたり輝いて見えた。

 しかしこの3句、私の力量不足だと思う。どのように変えても、「縄文」という言葉が浮いている。「縄文」という言葉を離れないとリズムも句意もしっくり来ない。
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自句自解(11) 志野焼

2010年02月21日 11時06分34秒 | 俳句関連
★曼珠沙華蕊の雫に雲流る
★志野碗に映るいきおい曼珠沙華
★トンネルを抜けし鉄路に櫨紅葉
 それまで曼珠沙華を見ても不思議な花だな、と思う程度でしかなかったが、退院後にたくさん団地内や道端に咲いていたので注視するようになった。いろいろな角度から眺め、周囲の風景との対比を楽しんだ。朝・昼・夕の光を受けた表情の変化も楽しんだ。一番の発見は、曼珠沙華は咲く場所を自分で選んで、ひょっとして私の好みにあわせて咲いているのではないか、ということだ。
 植物だから移動するわけではないが、「ここにあったらいいな」という場所に生えている。それは他の場所に根付いても、環境の微妙な差で咲くことができずにいるために結果として、私の思いの場所に咲いてくれているのではないか、という想念だ。
 庭で言えば端の方の少し斜面になって道路などに面して、樹木の陰がなく少し日当たりのいいところ。祠などが放置されるようにある敷地の入口で明るく水はけのよさそうなところ。坂道の途中の人家の塀が途切れて、誰も手入れをしないようなところ。
 歩行していてなぜかふと歩をとめて周囲を見渡すと目に飛び込んでくる。ゆったりした歩行をするようになって初めて、曼珠沙華を細かく観察した。特に下から見上げる視点は気に入った。秋の雲との配合は見事だ。朝の内の雨の後、細い蘂に張り付いた雫に雲が映る様は、雨後の明るい世界を存分に満喫させてくれた。
 住宅地に取り残されたような一角に、立派な墓が立っていた。彼岸の花とともに、立派な志野焼の椀に水が備えられていた。かすかな志野焼特有の赤と、墓の入口にいさぎよくくっきりした色合いで咲く曼珠沙華の赤が響きあっているようで美しかった。こんな墓の傍にしばらく座っていたかったが‥。
 退院後、東北の温泉に向かったが、単線のゆったりした速度でトンネルを抜け出ようとしたとき、光の向こうに櫨紅葉の明るい色が目に飛び込んできた。こどものように列車の先頭に立ってワクワクしていた私の目には、生の謳歌のように力強く映った。
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スポーツの不幸

2010年02月20日 13時15分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ここのところ毎日テレビと新聞は冬季オリンピックばかり。どうも私は争うスポーツは好きになれない。否、嫌いだ。
ひとりで走るなり、歩くなり、スキーをするなり、スケートをすれば気分も爽快になる。その過程で人は自然とさまざまなことを学んで身に着ける。自分の体の限界も特性も、自然との対話も、同好の士とのかかわりも含めて人間の集団のルールも身につく。スポーツの効能はこれで必要かつ十分。
 団体競技といわれる集団スポーツは私には基本的に理解できない。過剰な集団のルールの押し付けは、スポーツとは無縁ではないのだろうか。
 ことに「相手の意表をつく」ことを基本に「相手をだます」「相手を出し抜く」ことを集団プレーの基礎とする集団スポーツは、人間が集団で生存する限り、その過剰な存在は必須のものなのかもしれないが、私は参加するのも、見るのも、そのプレーヤーを賛美することもご免蒙りたい。中学生時代からトラウマかもしれない。しかしそれだけではないとも思う。本質的に私にはそのようなものが理解できない性格なのかもしれない。
 集団プレーでは、野球とサッカーで大きくファンが分かれるように、応援スタイルに大きな差がある。専門外ではあるが、野球ではトリッキーな駆け引きは、基本的には投手と打者との関係である。これも静的であり、時間の推移が大きなファクターを占める。投手と走者は従である。そして打者と内野手との駆け引きも静的である。
 サッカーの駆け引きは動的であり、瞬間的であり、ある意味武道の要素があるともいわれる。バスケットボール等でも同じだろう。だが、武道とは位相が違うのではないだろうか。
 この動と静の駆け引きを比べれば私などはまだしも野球のほうが落ち着いてみていられる。ファンの応援も野球は人さまざま、非集団的だ。これがサッカーの応援団となるともう、これはひとりであることを鼻から拒否をした、集団のヒステリーである。こんなものには近づきたくもないし、それに参加する人間とも会話すらしたくない。
 そんな私からみたら、今のオリンピックの報道など、スポーツ観戦の範疇を超えている。

 私のスポーツ体験は、中学・高校時代とバレー・バスケット・サッカーをそれぞれ1年間通してやらされた。しかし私にはどれもがチンプンカンプン、理解できなかった。「どうしてそんなところにいるんだ。今は向こう側に行かなければパスをつなげない」などとことあるごとに教師に怒鳴られた。大声の指導ではなく私に野蛮な罵声としか聞こえなかったし、怒鳴られたから次の「正しい」位置に体が向かうことなどありえなかった。どうも3種類の競技の担当の3人の教師とも、スポーツの集団が前提としていることは常に普遍的であると錯覚しているとしか思えなかった。事前の丁寧な集団としての約束事やチームプレーの前提など教わった記憶もない。パスの仕方の基本のあとは即座にチームプレーになる。この溝の飛び越え方が素人には困難なのである。教育とはこの溝の越え方を、手取り足取りではなく、自分で考えながら体得するように仕向けることである。集団のあり方と個人の溝の埋め方のアドバイスを教えなくてはならない。
 集団の了解は、まったくの他人が理解し、行動に移るまでには大きな溝・障壁を乗り越えたり、理解の回路の構築に時間がかかるということを、教える側が理解できていなかったと思う。あるいは当時の体育の指導の理論がその程度の水準だったのかもしれない。
 これらの三種のスポーツと平行して柔道を6年間やらされた。畳の上でのくんずほぐれつは、楽しいこともあったが、やはり教師が私には理解不能の人間であった。「お前が生活態度優秀などという教師がいるのはけしからん、髪の毛が耳にかかっている」といって教室4つ分の廊下を他の生徒の前で耳を引っ張られてひきづられたことがある。教師の人間性の問題もあったのだろう。他の同窓生の意見を聞くと、「返し技などの理論的な指導は丁寧でわかりやすかった」というが、私はそのような指導は記憶がない。私はきわめて嫌われていたらしい。
 もっとも日本の武道、これは演舞や型などといわれるものの存在なども含めて私は好きだ。トリッキーな動きを圧倒するような踏み込みの速さや連続技、相手の力を利用した返し技、それらの組み合わせ、攻守不思議に入れ替わりながら、受けと攻めの区別なく連続する展開など、見る楽しみは他のスポーツでは味わえないものがある。

 私は不器用で、学区の公立の中学にいったら器械体操やらマット運動をやらされると聞いていて、それのない私立にどうしても行きたかった。できないことでの「いじめ」がとてもいやだったから。
 しかし目的の私立に入ったものの、「体育」はこの有様でとてもいやだった。ただし特筆すべきは同窓生の「いじめ」はなかった。これは救いだった。多くの同窓生が小学校で何らかの「いじめ」を受けた傷をお互いに披露しあうことがあった。皆この「いじめ」の経験を客観的に対象化しようとしていた思う。こと体育に対する姿勢では、教師より中学生の生徒同士の方がより集団を維持することの難しさと危うさを無自覚ではあろうが先天的に了解していたのかもしれない。

 大学を卒業する頃から友人と夏山の縦走に行き始めて、初めて体を動かすことの楽しみを覚えた。登山に耐えられるように始めたジョギングは30km走-120分までこなせるようになった。登山の楽しみを教えてくれた複数の友人には心から感謝している。天候や山の起伏、植生との対話、自分の体調との対話、歴史を含めた景観との対話、同行者がいる場合の体調管理のあり方、集団登山のルール、信仰の山での登山のルール、道具の使い方、歩き方、道具と身体の関係‥、実にいろいろなことを自分で学んだ。友人からはちょっとしたアドバイスだけで、それ以上は自分の力で理解しなくてはならなかった。お互いにそう思っていた。スポーツとはもともとそういうものなのだろう。それがスポーツの本質なのだと思う。

 先日仕事の帰りにホームの端に立っていたら、近くのスポーツ公園での少年野球の練習の声が聞こえて慄然とした。小学生を相手にした練習で「指導者」らしき人間の罵声・怒声に恐れおののいた。「馬鹿ヤロー」「何度も同じことを言わせるな」「やめちまえ」「明日からユニフォーム着てくるな」「誰がそんなことを教えた」‥‥。ひとりの声である。これは教育ではない。これを電車が来るまでの7~8分聞かされた。
 身体を通したさまざまな対話、他の人間との関係の習得、人間の行動の予測、合理的な体の動かし方・反応の仕方、瞬発力と持久力の違い、ルールの重要性、さまざまなことがらの基本を身に着けることが「体育」「スポーツ」の基本である。
 これを教わることができないのは、この少年野球のチームに入った者の一生の不幸である。このチームの子からは将来もスポーツをしようとする者は出て来ないだろう。それ以上に人間不信となってこの集団からはなれていくだろうと思った。
 人間不信を生む集団、ここに思い至り私は暗澹とした気持ちで帰路に着いた。

 現代のスポーツの報道を時たまスポーツ紙やテレビのニュース番組でみることがある。その報道の在り様は、集団からの異質な分子の徹底した排除の論理である。報道する側はみずからの属する集団の論理をそのままに体現しているのであろう。あの徹底した排除の論理は職場でのぎすぎすした厳しい競争論理の職場が透けて見える。集団では多様な個性の集合とその許容の微妙なつりあいの上に成り立つ。外野と外野を利用する外的要因と、ファンと称する余計なおせっかい集団と、それに右往左往する報道と、報道が依拠すると称する「大衆」、これを政治的に利用する集団、もはやこれはスポーツの論理ではない。集団の規範の強固な押し付けが高じて異質なものの排除にまでいたっている。これが日本のあらゆる場面に普遍的な集団性になっているのだろうか。身震いがするほど、いやな想定である。
 しかし、この排除の論理を体現するような先の少年野球の「指導者」の言動が、日本のスポーツの世界の主流になのかもしれない。スポーツ科学の進展はあるかもしれないが、集団に対する指導と教育方針は、50年前から何らの進歩もないのかもしれない。そうではないことをひたすら願うのみだが、昨今の風潮からはそれを想定するのは難しい。個人競技では幾分は趣が違うが、どうだろうか。
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気に入った句

2010年02月19日 16時00分52秒 | 俳句関連
●山眠る貝の化石を抱きながら 白濱一羊
●一月や運河の橋は朱でありぬ 佐藤麻績
 俳壇3月号をめくっていたら俳句月評という欄があり大牧広という方が、俳壇1月号の中からいくつか取り上げた句の内、上記の2句が目にとまった。
 プロの俳人の句の評価などおこがましく、失礼とは思うが、いい句だと感じる。
 はじめの句、評者によると「壮年」で「岩手在住」の俳人。
 山なみを眺めて、「貝の化石を抱いて眠る」と感受する根拠はない。しかもこれが白い雪を戴く、冬の山でなければならないとなると、もっと希薄な必然でしかない。でもこれが「山笑う」春でも「山滴る」夏でも「山粧ふ」秋でもぴったりこない。季語の不思議なんだろう。「眠るー抱く」の連想だけではない何かが結びつけている。
 貝の化石は、太古の海に発生し連綿として我々まで続く生の象徴であろうし、山を眠らす白い雪は、東北の豊かな森と生と稔りを支えるものだ。 海起源の山は東北に限らず四国にも関東にもある。エベレストもそうだ。それらの山では、景観がちがう。貝の化石が眠るには別の季語でなければならないと、不思議に納得してしまう。森の深い東北の山であることを素直に受け入れたくなる。
 2句目、運河があるところだから、賑やかな初詣などとは離れた、寂しいモノクロームの寒々しい個所であろう。朱の橋、初詣の神社の朱の柱のように目に映ったのかもしれない。あるいは寂しい紅ならぬ朱一点と感じたのかもしれない。
 橋が鮮やかに、黒い水がよどむ冬の寂れた町に浮かんで見えた。1月の寒い、人の気配が希薄な木造の家並みを思い浮かべた。
 作者は朱の色に救われたのだろうか。再び人の世に戻る力を回復しただろうか。私にそのようには思えなかった。朱ではない、鈍色の心を重くしただけのような気がする。
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太平洋側の典型的な冬が好きだが‥

2010年02月18日 01時53分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 私はズボン下というものをはかないで過ごしてきた。どうも必要以上に身につけるものが嫌いなのだ。メガネと腕時計と定期入れと書類入れのカバンが、ようやく中学1年の時から6年かかって慣れた。
 だから携帯電話ですらズボンのベルトに螺旋状のストラップでくくりつけている。結婚指輪もメガネを首からつるす紐も、マフラーも帽子も身につけるのは無理だ。すぐにわずらわしくなってはずしてしまう。傘も手袋もすぐにどこかへいってしまう。
 下着もランニングシャツか袖なしのシャツを1年を通して着る。長袖の下着もわずらわしい。ズボン下にいたっては大昔身に着けて通勤しかけたが、最寄の駅についてすぐに駅の便所で脱いで、紙袋に入れて電車の網棚に忘れてきてしまった。わざとではない、下着を忘れて帰宅してはあらぬ疑いをかけられるから、そんなことはできないと気を引き締めていたが、だめだった。
 だから冬もできるだけ重ね着はしない。
 だが、歳のためか、今年の冬が寒いのか、コートの下に何か着たくなった。職場ではスボン下がほしいと思う日がここ数日続いた。
 無理をして風邪をひいては、バカバカしいのだが、余分なものを身につけることがとても億劫だし、体が動かしにくいのではないか、という思いのほうが強くなる。結局いつものとおりの薄着になってしまう。
 その上、背広もコートも前を閉じるのが嫌いだから、雪模様・雨模様の空でも前を空けたままだ。前を閉じると着膨れのようになって肩が凝る。冷たい風が身をすり抜けるように吹くのを感じるのが好きだ。冬だなぁ、と実感できるから好きだ。
 いつまでこんな薄着で暮らしていけるのだろうか。もっとも私の勤め先では、この冬でも職場では半袖で過ごしている先輩がいる。そこまではしなくても、外気の微妙な寒暖の変化や湿気の度合いを肌で感じるように過ごすことは、好ましいことのように思える。
横浜に住んでいるからこんなのんきなことを言ってられるのだということは承知をしている。でも冬は好きだ。晴れ渡って晴れ間の続く太平洋側の冬の天候が好きだ。

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寒さが続いているものの…

2010年02月17日 08時30分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 関東地方のいつものようなカラッとした晴れ間がない。3~40年前の冬の寒さの気分だが、雲のあついどんよりとした暗鬱な気分に引き込まれるような空だ。
 通勤電車の車窓からも日差しが入ってこない。手摺や窓ガラスに乱反射する光を追いながら時間を過ごすことも多いのだが、今年は寂しい。

 過去の俳句ばかり、しかももともと稚拙なものを並べて、今年の冬のような暗い気分になった。が、途中で放り出すのは性分でないので、まもなく再開しよう、と決意はした。もっとも俳句は当初のものに多少の手直しはいくつかしている。

 今朝方震度2の地震、目覚めたが、起床したときには記憶してなかった。妻に云われてやっと思い出した。
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自句自解(10) 病後拾遺

2010年02月16日 00時26分17秒 | 俳句関連
★路地を抜け富士より高き夕すすき
★穂にひかり溜めて傾く花すすき
★病癒え微かに虫の鳴き始め 
★蜉蝣の羽を透かせば妻の顔
 これはようやく杖を手放した頃の散歩のときの句。西向きの高台から秋の夕方の富士を見たとき、その鮮やかな色彩に心を惹かれると同時に、うつむきながら歩いていた姿勢から、背筋を伸ばした姿勢に自然に変わった自分に気づいた。薄いオレンジ色を背に、丹沢と会話をしながら立っている富士には、動じない静かな確かさを感じた。光を溜めたすすきがよく似合うとも感じた。
 二句目、言い古されているような表現だが、初心者の私には自分で探し当てた表現なので愛着がある。「傾く」が私なりに見つけた表現。光の存在の確かさを込めた積もり。
 三句目、先の「病む我と同じ呼吸で秋の蝉」と一緒に作った。夜になると虫が鳴き始めていることに気づいた。鳴き始めた虫の声、さびしい声であると同時に、次第に生に満ち溢れた声になってくる。
 入院前も入院中も、退院後も妻には頭があがらない。杖をついた散歩から妻と玄関にたどり着いたときに、玄関扉に蜻蛉が止まっていた。薄い頼りげのない羽だが、私に比べると強くしなやかに見えた。妻と二重写しに見えた記憶がある。

 病気を契機に俳句を作り始めたが、その時期の俳句はとりあえずこれで終了。ながらく私の病の経過につきあっていただき感謝。当時の自分を思い出すことができた。
 以後はよろよろしながらも日常生活に戻って俳句を続けた。しばらくしてからこのシリーズの再開を予定している。
目を通していただき、ただただ感謝あるのみ。

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