Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

年末にあたり 3

2012年12月31日 20時25分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝から14時まで、部屋の片付け。もう今年最後のごみ収集が終了してから部屋の片づけで大量の紙ごみを出すのは困ると嫌味を妻に言われながらも、机の上の本と書類の山を片付けた。そして机の目の前の本箱の棚も整理をした。
 机は今年の3月から積みっぱなし。棚は過去10年近くのファイルがそのまま放り込まれていた。シュレッダーにかけたり、紙ごみとしてまとめたりとたったまま、ただしほとんど運動量はゼロで。
 片付いたのだが、15冊近いカタログと読みかけの本約10冊の置き場がない。机の上に整然とだが積み上げたまま。これをどうしようか。

 と思案しつつも、朝からの作業でくたびれたので、14時過ぎに昼食のため横浜駅まで出向き、ウドンを1杯。その帰りにいつもの銭湯&サウナを久しぶりに訪れた。年末の休みに入っているためか16時過ぎに行ったときは大変な混みようであった。ただ、一時間後にはほとんどの客が夕食時間に合わせてだと思われるが出てしまったのでその後はのんびり入浴できた。
 露天風呂に入っていたら突如雨がかなり強く降ってきた。本日の降水確率は0パーセントという予想だったのでびっくり。ただし裸でフルに入っているので特にあわてはしなかった。
 18時半に風呂屋をあとにしたときはすでに雨が上がっていたが、路面はずいぶんぬれていた。かなりの雨量であったようだ。

 帰宅後夕食ならびに、年末の挨拶を何人かに送信し、あとはゆっくりとしようと思う。
 バラエティー番組に堕していて、どうしようもなくつまらない紅白歌合戦はここ20数年見たことはないが、かといって見たいテレビ番組などあるわけもなく、美術書か俳句の本を見ながら大晦日の夜を過ごそうと思う。

 それでは今年1年のご訪問、本当にありがとうございました。来年もまたよろしくお願い申し上げます。
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年末にあたり 2

2012年12月30日 21時52分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほど「年末にあたり」をアップしたので、今年の〆のつもりであったが、昨日葦原の山姥様からのコメントにあった「すず音」が実に偶然に夕食の食卓に上がった。うれしくなって、その2を記載することにした。

      


 この「すず音」、一の蔵の姉妹品に当たるのだろう。新しい日本酒の愛好家を開拓するための小品のようだ。
 アルコール度5度と、お酒好きには少々度数が低いので、普段ビールや甘めの酎ハイなどを飲む方にお勧めの微発泡の日本酒。ただしビールなどのように喉ごしを楽しむのではなく、日本酒のようにじっくりと味わいながら飲むものである。
 これは私は酒屋で見たことはあるのだが、飲んだことはない。たまたま妻が母親と飲む晩酌用に昨日購入していた。私も小さなお猪口に1杯御相伴にあずかったが、それなりにおいしいと思った。軽い炭酸の刺激が日本酒の旨味・甘味と重なって不思議な味だ。癖になると思う方も多いかもしれない。
 食前酒などとして用いるのも良いかもしれない。正月用にもいいかも知れない。私などは従来からの日本酒のほうが良いのだが。

 新しい日本酒の可能性に挑戦するという姿勢に敬意を表して、取り上げてみた。

 ただし一ノ蔵ばかりを紹介しても偏ってしまうので、私がこれまでによく飲んだ宮城県のお酒では、浦霞・乾坤一・日高見・蔵王・伯楽星・鳳山・天賞・志ら梅・勝山・澤乃泉・栗駒山などが都内でも手に入り易い、あるいは居酒屋で飲めるようだ。他にもまだたくさんのメーカーがあるようだが、あくまでも私の飲んだ範囲では以上だ。
 学生時代はこんな高いお酒は飲めなかった。当時は安いお酒の代名詞として秋田の両関というお酒があった。今ではどんな評価になっているのだろうか。東京・横浜でそのお酒に出会ったことはない。年に2度くらい訪れる仙台でもお目にかかったことがない。
 ただここ10数年、私は芋焼酎や泡盛が中心なので見落としているのかもしれない。今年に入って日本酒を飲むようになった。飲むお酒の種類に変遷がある、浮気性なのが私のお酒との付き合い方のようだ。
 しかし昨日の「鳴瀬川」に続き日本酒の宣伝のようなブログになってしまった。決してアルコール依存の生活ではないし、大量にお酒を飲む体質でもないことをお断りしておきたい。

 「年末にあたり」のその2を書いてしまったので、気が向いたら明日その3を書いてしまうかもしれない。
 しまりのない年末になったが、ご容赦願います。
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年末にあたり

2012年12月30日 18時13分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は大雨・洪水・濃霧・雷注意報が発令され、寒々しい冬の雨が一日中降り続くようだ。濃霧注意報はランドマークタワーが雲に隠れて見えないなど視覚的にもよく理解できるものの、大雨・洪水注意報というのはどうもピンと来ない。注意報という程の雨ではないような気がする。 あまり、注意報が頻発するようだと受け取る市民も慣れっこになり、緊張感が薄らいでしまう。また行政や企業の方も対応に多大な費用がかさむのに実際にさほどの雨がないと次第にこれも緊張感が薄らいで、実際の大雨の際にマイナス要因となるような気がする。
 むろん注意報を出さずに、いざという事態が生じた場合の責任を追求されたのではたまらないから、という思惑が先行しているとしたらそれはキチンと公開の議論が必要と思われる。

 こんな中お昼前に横浜駅まで出向き、年末・年始の買い物などをこなした。本当は我が部屋の机の上に積み上げられた書類や本を整理しなくてはいけないのだが、延ばし延ばししているうちにとうとう本当に年末になってしまった。
 本日もとうとう手をつけずに何となく避けてしまって、こん文章を作成している。明日こそは時間を割いて整理しなくてはならない。気が思い。

 さて、本年自分では自覚しなかったがずいぶんと色々なことをしてきた。
 1月から3月は定年退職の準備のために仕事の整理に精を出した。引き継ぐ方が迷わないように整理したつもりだが、うまく整理できたかいまだ心配ではある。迷惑がかからないことを切に願っている。
 3月からは食事制限による減量をはじめ、4月からはウォーキング、徐々にジョギングも取り入れ、5月中旬以降は毎日7-8キロを走るようになった。20年ぶり位のジョギングで実に気持ちがよくなった。
 そして7月から9月に欠けて3回北アルプスの山行を天候にも恵まれたが、行うことが出来た。実に久しぶりに山行の雰囲気を体で思い出し、そして満喫した。二回目の山行ではすべって臀部の打撲と全身の擦り傷という怪我をしたが、10月待つまでには臀部の腫れもひいた。大したことにならずに済んで助かった。
 また来年以降の山行のステップにすることが出来た。
 さらに7月には丸2年通った心療内科に通わなくてよくなった。卒業できたような気分である。3月から薬の減量を始めていたので4月にはずいぶん解放された気分にはなっていた。
 同時に減量の効果で高血圧の薬も処方されなくなり、薬依存の生活から解放された。11月からはちょっと上の血圧が再上昇したので薬が再開されはしたが、これまでのように下の血圧が高くなることはなくなりホッとしている。
 10月からは神奈川大学の公開講座などを中心に、久しぶりに講義形式で学ぶことを始めた。これまでは仕事と労働組合の活動に浸り続けていたのだが、気分一新、人の話を謙虚に聞く楽しさに浸っている。また目にするさまざまなシンポジウムなどにも極力顔を出してきた。
 これは私にとってはとても刺激ある時間である。経験である。これはそれこそ死ぬまで継続したいものである。
 そしてずいぶんと美術館・博物館を巡ることが出来た。これも続けたい。これについてはその都度このブログに感想をアップしてきた。これまでのように見っぱなし、聴きっぱなしではなく、その時点での自分なりの感想のまとめをして、区切りとしてきた。これは今後も出来るだけまめに行っていきたい。

 俳句も月三回の句会に意欲的に出るようになったが、これは少し懲りすぎてちょっと壁にぶつかっているような気がする。絶不調の状態。どうやってこれを乗り越えるのか自分なりに悩んでいる。
 9月からは労働組合の退職者会の幹事を引き受けることになった。支部長の任期は昨年10月で終了したのだが、しかし、労働組合の役員は都合35年間続けたことになる。その上23年前の自治労横浜再建に携わったものとしては、定年退職ですぐにサヨナラということにはならず、引き続き関与することになった。ただし現役のときとは違う。あくまでも退職したものの集まりである。懐かしい顔を思い浮かべながら楽しく勤めたいと思う。

 このブログ、この4月の退職以降とても大切な存在となっている。文章を作成することが、日々の生活にとっての刺激ともなり、また生活の振り返りともなっている。自分の思いの整理にとっては欠かすことのできないツールになっている。引き続きこれを継続していきたいと思う。
 そしてこれを通じて友人との新しい関係も築くことが出来たと思う。またコメントはないが「見ているよ」という友人も両手に余るくらいになっている。これらの方々を想定しながら文章を作成するというある種の緊張感がとても今の私には刺激的である。

 取り留めのないだらだらした文章になってしまいましが、本日の時点での年末の挨拶とします。

 なお世間的には喪中。世間一般の慣例に従い今年は年賀葉書は遠慮することにしました。ブログもそれにならうつもりです。
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ひとつずつ‥

2012年12月29日 22時00分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 懇意にしていただいている方から「子供が小さい頃、『ひとつずつ、ひとつずつ』と教えてきたが、最近は自分があせって何かをしていると、子供にそのことをいわれる」という話を聞いた。とても大事なことだと思う。
 そして最近、ブログを訪れてくれる葦原の山姥様から「一日ひとつ」というアドバイスをコメントでいただいた。通りがかり人様からもそのことの大切さを指摘された。そう、肝に銘じなければいけない。
 少しニュアンスの差はあっても、ひとつのことをキチンと丁寧に片付けながら前に進んでいく、一日を暮らさなくてはならないということでは共通している。とても大切な教訓だ。
 会社や職場ではつまらない処世訓を「人生哲学」だとか称して上司がつまらない訓示をする。底が浅くて、受け売りで、そのまま訓示を垂れる人間にお返しをしたいのだが‥。私にしてみれば、それらの言葉はとても聞くにとても耐えられない。
 しかし先に上げた言葉などこそ大切な言葉に聞こえる。特にこの歳になって、気持ちが浮ついているときなどには忘れてはならない言葉だと思う。

 本日は年明けに観光旅行で訪れるベトナムの食事とはどのようなものなのか、ということでベトナム料理の店で夕食を食べてみた。実はベトナムを選択したのは妻なのだが、当の本人が4泊5日どんな料理か不安だと言い出した。何でも食べてしまう私と違って、妻は多少食べるものに得手・不得手がある。
 夕食として食べたのは、揚春巻き、蒸し鳥、豚の耳が入ったベトナムハム、鶏肉のフォー。お酒はベトナムのビールと、私はベトナム産の焼酎。妻は豚の耳入りのハムについては少々抵抗があったようだが、あとは何とか口に出来、これならばと、一応安心したらしい。ただし付け合せの香草(パクチー)とベトナム醤油のヌックマムは苦手らしい。私は特に気にならなかったというより、おいしいと感じた。
 ベトナムは昔フランスの植民地を経験したのでフランス料理の流れが入っているようだ。そして同じように中国の周辺にあって中国料理の影響があると思っていたが、朝鮮半島の料理と違うなと感じたのは、肉にしろ野菜にしろ素材の味付けがあっさりしている。というよりほとんど味は付けていない。つけあわせというかかけるソースにさまざまな工夫がしてあり、これがおいしい。ある意味では朝鮮・韓国の料理よりも我々にはなじめるのかもしれない。ほんのいくつかの料理を試してみただけだから的外れかもしれないが、こんな印象をもった。

 さて昨日新宿の飲み屋で飲んだ日本酒は「一ノ蔵」という宮城県のお酒。一緒に飲んだ仲間も同じものを注文した。大学が仙台だったからか、名前は昔からよく知っているのでつい注文してしまう銘柄のひとつだ。
 しかし不思議なことに、知っている東北の銘柄がなくても、ついつい無意識にでも東北地方のお酒を選んでしまう。どこか懐かしさがあるのだろう。特に味がいいとか、そのようなことはわからない。そんなに立派な味覚、酒の鑑定能力があるわけではない。でもお酒のメニューで東北六県の地名があると自然にそれを指定してしまう。

 そして、本日のベトナム料理のあと、元旦のお酒は何にしようかと酒屋に寄ってみた。全国各地のお酒が並んでいたが、やはり無意識のうちに東北地方のお酒を探していた。そして今年のお酒として選んだのが「鳴瀬川」というお酒。特に高いものでもないし(そう、それがいいのである)、精米歩合が高いというのでもない。「確か昔、宮城県に鳴瀬町があったな」位の思いで購入した。

    

 ネットで検索したら鳴瀬町と矢本町が合併して東松島市となっていた。そして鳴瀬川は舟形山からこの東松島市の旧鳴瀬町地区で太平洋に注いでいる。醸造元の加美郡加美町はこの川の最上流に位置する地域だ。そして東松島市あたりの仙石線は昨年の大津波で寸断され大きな被害をこうむったあたりだ。旧鳴瀬町区域の区間は確か、内陸側に移設せざるを得ないとも聞いた。このお酒の醸造元は奥羽山脈の舟形山の方だから津波の被害はなかったかもしれないが‥。
 何はともあれ、私の嗜好は東北方面にあるのは間違いがなさそう。

 もうひとつ、午前中にアップした昨日の報告で私がすっかり忘れていた内容、同窓会のような集まりは「やはり仙台で」ということであった。時期はいくつかの候補があったのだが、時期については呼びかける方・参加予定者の都合も聴きながら確定しないと参加者が確保できない。これからの論議にゆだねざるを得ない。むろん案は作成しなくてはならないが‥。まぁいろいろな人の意見を聴きながら進めるのが楽しみのひとつでもある。
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懐かしい友人

2012年12月29日 12時06分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は学生時代に同じ理学部に在籍した友人3人で新宿で待ち合わせた。電話連絡が取れる範囲の東京近辺在住の方に急遽連絡をした。当初5人の予定だったが2人が都合がつかなくなり、ちょっとさびしかったが3人で決行。
 新宿駅西口で待ち合わせたが、多くの企業が仕事納めの金曜日だったこともあり、ずいぶんと人出が多くて、待ち合わせ場所まで戸惑った。
 集まった3人はいづれも横浜と横浜より南の居住だったので、何も新宿で会う必要がなかったのだったが、それは会ってから気がついた。
 「思い出横丁」、これまでも幾度か中をとおり過ぎたが、ちょっと1人で店に入りづらかったので、今回初めて店に入ったことになる。ずいぶん混んでいた。2時間と言われたが、我々には十分な時間で、しかも支払いは1人2500円ですんだ。確かに安いように思える。
 帰りは3人で湘南新宿ラインに乗り、私が最初に横浜でおりて別れた。

 多くの友人が卒業後約38年。当時の学内状況を反映して、卒業しなかった者も多い。在籍した理学部の各学科、あるいは各専攻に関連ある企業や職場に就職した人間はとても少なかった。就職指導も斡旋などなっかたし、そんなことで学校に世話になることをいさぎよしとしない雰囲気が当然だった。
 その上にひとつの企業や仕事を続けた人間はさらに少数。皆が多くの苦労を重ねている。私は幸いに同じ仕事を続けたが、それでも卒業した理学部とはまったく関係のない事務職の地方公務員だ。その上、仕事のほかに労働組合の役員をずっとやってきた。
 それでも同じ仕事・職場・雇用関係を続けたということがいえそうだ。別に安穏としていたわけではない。ずいぶんと刺激の多い37年間であった。それぞれがどのような約40年を生きてきたか、話は尽きないと思う。

 さて、全国に散らばっているが連絡の取れる範囲で集まろう、ということを話したのだが、それがいつごろに、どこでしようとしたのか、とんと記憶がない。お酒の所為もあるし、懐かしい話や友人の近況で話が弾んでためである。もう一度メールにて確かめながら、次のステップを踏まなければならない。何のために一緒に顔をあわせたのか、情けない話である。
 ただし60歳で退職した私に裏方をやれという結論だけは覚えている。それはやむをえないと私も了解はしている。しかしこんな物忘れのひどい私が裏方を出来るのであろうか。これも情けない話である。
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旅行中の俳句

2012年12月28日 10時29分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 先日の飛騨高山・白川郷・下呂温泉・岐阜の旅行中に出来た句。
 実際に見た景色もあるし、そうでないものも含めて‥

    

★梵鐘の青き一点深雪晴
★餅搗きの〆は明るき若夫婦
★新巻鮭荒海越えし貌並ぶ
★光りある大きな蛇行冬の川
★風花や豊かなる町眠らせて
★少しずつまた少しずつ年の暮
★ひとつ済み次のひとつへ年用意

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高山・下呂紀行

2012年12月27日 22時15分10秒 | 山行・旅行・散策
 毎日携帯電話から日記風にアップしていたので特に記すことはなくなってしまった。いくつかの追加の感想と写真をアップしてみる。

       

 白川郷に入ってまず目に飛び込んできたのが、蕪村の句を掲げた門。句は「門を出れば我も行人秋のくれ(もんをいづれぱわれもゆくひとあきのくれ)」。聞いたことがあるが出展はわからなかった。帰ってから調べたら、1774(安永3)年9月、蕪村58歳の作。田沼意次の絶頂期の頃。芭蕉の「此道や行人なしに秋の暮」の追慕の句であるとこと。
 ただ、白川郷の合掌造りの家は木目が美しいと感じた。形やライトアップの美しさなどが喧伝されているが、私は新しい木材を使った板目の模様に心動かされた。しかしそれを写真に収める力量はなく、撮った写真はどれもただ、板目のアップにしか過ぎないものであった。

 しかしこの板目と雪がとても面白い組み合わせに思えた。私にもこれらをいい写真にする力量があったらと思った。

      

 白川郷の建物でもうひとつ目に付いたのが、明善寺というお寺の鐘楼。大きな門の上に鐘楼が載っている。とても凝った建物で、風格がある。鐘楼には登れないのだが、雪の中に青銅色の鐘がとても目立った。
 鐘楼の材木には色が施されていたらしいが、今は白い色が残っており、獅子をかたどった形の頭と口の中にわずかに赤い色が残っていた。これは写真に撮ったものの目立たないかすかな色であったのが惜しまれる。

         

 高山では2日目の朝に「宮川朝市」を散策、といっても朝はとても冷え込み散策といった雰囲気ではなかった。しかし川沿いにビニールで覆った小さな店舗とその中で炬燵に当たりながらものを売る姿は風情がある。大きな声での呼び込みもなく、ゆっくりとさまざまな小さなお土産や食料を見ながら歩くことが出来た。
 川に面した商店も店を開けており、こちら側もなかなかいい雰囲気だ。お昼までには川沿いの店舗は片付けられ、整然としたメリハリのある地元の振る舞いは心地よい。
 高山では屋台会館を見学し始めて屋台を見る機会を得た。その大きさや華麗な装飾は確かに見ごたえがある。実際の祭りの場面は魅力的なのであろう。はたして見学する機会があるだろうか。是非見てみたいものである。

      



 今回の旅行、ちょうど寒気の居座る中に飛び込んでいくようなものであった。確かに寒かった。何より驚いたのは、岐阜まで南下したにもかかわらず、岐阜で雪がちらついていたことだ。
 確かに関が原から岐阜にかけては毎年雪が降り、新幹線の運行にも影響が出ることは知っていたが、雪雲や寒気がここまで来るのを実感したのは初めてだ。そして名古屋までわずか特急で10分なのだが、名古屋がずいぶんと暖かに感じた。これほどの気温差があることもまた驚きであった。

 これまで高山線というのは、北アルプに行くための線路としか印象になかった。高山の街そのものの印象が、新穂高温泉までのバスの発着点という、貧弱な発想しかなかったことはとても残念であった。地元の方がこの記事を読んだら怒るかもしれないが、今回の旅行でこの貧弱な発想を改めたということで勘弁してもらおう。
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やってしまった! 時間感覚のズレ

2012年12月27日 18時07分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日はいつも処方してもらっている薬がなくなったので、いつものかかりつけの病院へ出向いたら扉が閉まっていた。人気もない。途方にくれて、しばらくどうしようか悩んでしまった。ここら辺の頭の切り替えが速やかにいかないような気がする。もどかしいと感ずる。本当はそんなに時間はたっていなかったのだが‥。もともと家を出る時間が予定より遅くなっていたのだが。
 そしてその病院の玄関前での結論が「もう年末年始の休みに入ったのか」ということだ。本当は休診に入るのは明後日29日からと聞いていたのだが、それを思い出せなかった。そして近くの別の病院に出向いた。この病院は本日休診の病院の医師の親族が開業したものなので、同じ薬を処方してもらうには頼みやすいところである。いつものかかりつけの病院とは違って、年末でもあり待合室はそれなりに人が待っていた。インフルエンザの流行もあるだろうし、年末年始の休み前に薬の処方を依頼したり、休みの間にひどくならないように事前に診察を受けようという思いもあるのだろう。

 ようやく順番が来て来院の目的を伝えたところ、「今日は木曜日なのであの医院は休診なんですよ」といわれた。そう、またやってしまったのである。これはショックである。4月に仕事を辞めてから曜日の感覚が薄れ、いつものかかりつけの病院が休診日であることをまったく考えていなかった。迂闊であった。本当は薬がなくなる前日の昨日に通院しなくてはならなかったのである。
 しかし今さら「明日またその病院に行きますから」と断る訳にも行かず、いつもの薬の処方をお願いした。親族の経営する病院でもあり、症状が安定しているようだから、いつもの薬を処方したほうがいいんですよ」と快くいつもの薬を処方してもらい、とても助かった。「
 しかし家を出る時間がぎりぎりだったのにこんな無駄な時間を費やしたため、肝腎の午後から渋谷で行われる句会には間に合わなくなってしまった。あわてて欠席する旨の連絡をして、とりあえず一服するために横浜駅まで出向いた。


 曜日の感覚が薄れ、時間の感覚も現役の時代と少しずつずれているのだが、その違いを意識しないで混同してしまうことがたびたびある。必要なときにのんびり時間を費やし、必要のないときにあわてる。新しい時間の感覚に慣れるにはまだまだ時が必要だ。
 このように現役の頃とは微妙な時間の感覚のズレがあり、このことに、より自覚的にならないといけない。わかっているつもりでも、無意識のうちに混同してしまう。

 句会の参加を止めたので時間が生じた。自宅で使っているスマホの充電器が壊れたようで、充電しなくなったので横浜駅で購入。これまでの携帯では500ミリアンペアですぐに充電完了となったが、最近は700ミリアンペア以上のものでないと充電が完了するまでになかなか時間がかかる。300円ほど高かったが1000ミリアンペアのものを購入した。スマホにしてからいろいろと周辺機器に費用がかかる。

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今日の獲物は‥格別・長谷川潔のカレンダー

2012年12月26日 21時52分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は旅行の報告の予定だったが、突然の拾い物というにはあまりにうれしい獲物の報告。
 昨日帰宅後に旅行中の新聞を見ていた妻がある記事に目をつけた。横浜信用金庫のつくったカレンダーが好評だが、あと若干余裕があるとの記事。普通ならば記事にならないような企業の新年用の顧客向け配布カレンダーの内容。ところがそのカレンダーが横浜美術館所蔵の長谷川潔(1891-1980)の銅版画をあしらったものだというのだ。1枚ものと6枚ものの2種があるという。
 長谷川潔の銅版画は横浜美術館での回顧展がかつてあり、妻も私のファンになった。横浜美術館が長年収集に力を入れ1650点以上の作品群が所蔵されていると聞いている。黒の色合いが大変美しい、そして細部へのこだわりがよくわかる銅版画だ。
 朝あわてて横浜信用金庫に電話をすると6枚ものはすでに無いかも知れないが、支店に行ってみてほしいといわれた。あわててある支店に駆けつけてみたところ、1枚もののカレンダーが箱に入って「ご自由にお持ちください」とばかりにおいてあった。6枚ものは置いてないのでもう無理かとおもいつつ窓口で図々しくたずねてみたら「1部だけなら渡せます」とのこと。1枚ものは「複数もっていってもいい」という事だったがそこまで図々しいことは出来ない。しかし両方を1部ずつありがたく、喜んでいただいてきた。
 これはとても素敵な企画である。面白いことに1枚もの(そしてこれは6枚ものの表紙でもある)の「花束」、そして6枚ものの1-2月の「奇術」、3-4月の「二つのアネモネ」、5-6月の「半開きの窓」の作品は私にも妻にも記憶がない作品だ。こんなに明るい作品があるとはすっかり忘れていた。7-8月の「アレキサンドル三世橋とフランスの飛行船」9-10月の「狐と葡萄」と11-12月の「草花とアカリョム」の3枚はとても気に入った作品で絵葉書を購入した記憶もある。

 当時のカタログをめくってみたら、2006年1月~3月にかけて「横浜、そしてパリ-銅版画家長谷川潔展-作品のひみつ」と題して、このカレンダーの作品7つとも展示されていた。
 私は1959年以降の黒を基調とした作品がとても気に入っていて、それ以前の作品が頭から消えていたのだ。このカレンダーを見て、あらためて当時のカタログをめくってみることにした。

  


 そして手に入れたカレンダー、早速家の中でかざることにした。1枚ものは私の部屋に、6枚ものはリビングルームの目立つところにかざった。大事にしたいカレンダーである。

 いづれも大きな画面なのでスキャナーできる大きさを越えているので、床に置いて写真撮影したものである。かなり急いで撮影したし技術もないので見にくいのは我慢していただきたい。
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さきほど名古屋発

2012年12月25日 17時14分49秒 | 山行・旅行・散策
 14時少し前に岐阜に到着したものの雪がちょうど降り出した。昼食後タクシーで岐阜城ロープウェイ下まで。眺望は良かったが寒さもあり、母はかなり急な石段に苦労したようだ。
 たっぷりと時間をかけて麓にもどり16時過ぎに岐阜駅に到着した。

 岐阜駅ー名古屋駅間は特急で10分余と極めて近い。40万を越す人口の街を城から見下ろすことが出来たが、長良川を挟む地形はなかなか豊かな地勢と思えた。タクシーで短時間だけ街並みを見ただけでは現代の県庁所在地の問題点を想定することは出来ないが、やはり名古屋の巨大さが大きな影響を与えていいそうだ。
 駅自体もきわめて大きく、道路なども駅前は広大で大企業の広告塔も多いが、張り付いているビルは比較的低層だ。利用されていない土地もあった。それが当たり前なのかもしれないものの、多少は寂しいかもしれない。
 名古屋に17時に着いたがとても暖かく感じた。たった10分でこんなにも違うのかと驚いている。名古屋という地域の特性を考慮するときにとても重大なことのように感じた。


 これで今回の2泊3日の旅行は終了。明日から日常が戻る。といっても年末の慌ただしさがあふれる街だ。明日以降今回の旅行の写真入り報告をまとめないといけないようだ。


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とても寒い下呂温泉周辺

2012年12月25日 12時40分49秒 | 山行・旅行・散策
 高山では朝にマイナス7~8℃℃だったらしい。下呂では雪は積もってはいないものの雪がちらつき、風も強い。寒いのでここでの観光は断念して、早めに列車に乗り、岐阜で途中下車する事にした。
 岐阜は私も妻も、母もいまだかつて訪れたことのないところ。駅で下車したこともない。取りあえずは、岐阜城にタクシーとロープーウエイを使って往復する予定。
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高山ー白川郷ー高山ー下呂温泉

2012年12月24日 21時22分51秒 | 山行・旅行・散策
 高山で川沿いの朝市を散策。漬け物や餅などのほか自家加工食品が多く並んでいた。冬だからかもしれないが・・
 その後バスで白川郷へ。雪がずいぶん積もっていた。最高気温がマイナス5℃と寒波におおおわれた日であった。自然薯のとろろ蕎麦を昼食に食べたかったが、豆腐入りの朴葉味噌定食を食べた。ちょっと残念。でも美味しい定食であった。
 高山に戻り、古い町並みを再度歩いて途中で漆器のお猪口を購入、1890円なり。良い色合いだ。
 下呂温泉はクリスマス・イブの今日、花火が打ち上げられた。冬の花火なかなか風情がある。露天風呂から下に見下ろす花火、新しい視点でおもしろい。ゆったりとできた。30分間、心と体が自然と開いていく感じだ。露天風呂から身を乗り出して花火を見たり、湯に浸かりながら仰ぎ見るのははじめてだ。見下ろす花火、なかなかだ。
 明日、下呂温泉を出発して帰路につく。



 




 
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高山見学

2012年12月24日 06時15分07秒 | 山行・旅行・散策
 本日は朝食後、白川郷へ路線バスで50分。高山より雪は多いはず。
 高山は12月末の3連休で若いカップルが多くあふれている。若い人の人気スポットのようだ。古い街並みの景観作りで成功している。また蕎麦・漬け物・駄菓子・煎餅・朴葉味噌・ラーメン、食べ物以外では小さな木製品・タオル地の織物・サルボボといった、訪れたひとに値の手頃な産物を揃えて若い人を引きつけている。この値段のお手頃感が賑わいの秘訣のようだ。
 そしてチョット高級感ある飛騨牛。これは居酒屋・定食屋で味わえるものから高級専門店まで揃っている。
 北アルプスや世界遺産の白川郷への起点でもある。
 チョット物価は高めだが逗留したい気もする。

 
 小高い丘の上に立つ宿からみる高山の街の夜景は大変美しい。
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私の志向とは違う旅行

2012年12月23日 20時16分23秒 | 山行・旅行・散策
 朝7時過ぎに新横浜を出発して、12時半に高山着。お昼は蕎麦とお酒が安くて美味しいところでと期待したものの、私の思いとは無関係に、飛騨牛の店に・・・・
 特に高くはなかったが、昼食に一人3000円とは・・・・。予定の倍。本当は朴葉味噌とお酒で1500円未満にしたかった。値段ではない、そのような雰囲気の店で食そうという思いを大切にしたいのだ。肉食だけに価値を見いだしたくない。
 土地の歴史を背負ったものが食べたいのだが・・・・。
 本日は愚痴で終わるか。
 旅行の全体報告は帰浜後まとめる予定。
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明日から高山・下呂温泉

2012年12月22日 23時25分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日から2泊3日で、母親を連れて高山・下呂温泉に旅行に行く。当初は雪もなくおだやかな旅行かなと思っていたが、寒波が襲来しており、雪も深そうだ。白川郷にも初めてだが立ち寄るので、雪の合掌造りの景色を堪能できるかもしれない。
 高山は北アルプス登山のためのバスの出発点として通過するだけだったのだが、今回初めて街中を散策できるかもしれない。いつもは駅前の蕎麦屋さんで日本酒1合とお蕎麦を1杯だけ食べてバスに飛び乗っていた。そんなあわただしい経験しかない高山、どんな風景を見せてくれるのだろうか。楽しみである。

 明日は午前7時には家を出なくてはならない。定年後、こんなに早く起きて家を出るのは山に行くときだけである。起きる事ができるか心配である。早く寝なくてはならない。山に行くときは睡眠時間が少なくとも、早起きができる。不思議である。やはり好きなことだからだろうか。

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