Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

大雨・強風・雷・波浪注意報

2020年06月30日 23時39分08秒 | 天気と自然災害

 横浜では大雨・強風・雷・波浪注意報が出ている。風が強く、18時前に南南西の風で、最大瞬間風速19.7mを記録している。現時点ではもっと強い風かもしれない。
 強い風の唸り声を聞くのは、やはり不安が駆りたてられる。鉄筋コンクリートの建物に住んでいても、この音は気持ちを不安にさせる音である。

 現在は雨は降っていないが、神奈川県の西部では弱い雨ながら降っているようだ。はやくレインアイよこはまの画面が見られるようにしてもらいたいが、まだ「点検中」となっている。早くて明日の朝以降の復旧と思われる。
 天気予報では明日の正午まで降水確率80%、午後以降は50%となっており、明日いっぱいは雨が上がりそうもない。


日経サイエンス8月号より

2020年06月30日 22時30分16秒 | 読書



 科学雑誌はニュートンをたまに(1年に1度くらい)購入することがある。日経サイエンスはニュートンに比べて高いこともあり、ほとんど購入しない。立ち読みもあまりしない。
 今回も税込み1466円ということだが、新型コロナウィルスについて少しくらい勉強してみたくて購入してみた。

 高校生のときから「生物」は得意ではなく、敬遠していた。そのために細胞学や遺伝子レベルの議論はなかなかついていけないのだが、「ネイチャーダイジェスト「コロナウィルス血栓症の謎」、「図説 感染・増殖・防御の仕組み」、「ゲノム解析でウィルスの謎に挑む」、「世界規模のトラウマ 克服への処方箋を探る」をかろうじて目を通すことが出来た。「理解」したとはいいがたいが‥。

 詳しく要約をする能力もないが、編集部の出村政彬氏の「ゲノム解析でウィルスの謎に挑む」は、「国ごとに流行の様子が異なり、同じ国の中でも一部の感染者だけが重症化するウィルスとヒトのゲノム解析から、その理由を探る」観点での概括を示している。文章の最後だけでも掲載しておきたい。

「薬の開発をめぐっては、治験の結果が出ないうちから米国のトランプ大統領が特定の薬を「ゲームチェンジャー」と称したり、日本の安倍晋三首相が承認時期を明言したりするなど、政治家の前のめりな姿勢が目立つ。本来、薬やワクチンの開発は病気の科学的理解と共に試行錯誤を重ねて進むものだ。早期の終息が望まれるこの感染症も例外ではない。ゲノム解析から分子生物学、臨床現場や疫学に至るまで、様々な知見を取り入れながら緻密に研究を進めていくことが治療薬やワクチン実現の近道といえる。」

 政治家が病気を克服するのではない。政治家は治療のための医療制度の充実と体制の拡充・整備、患者の経済的支援、感染拡大防止の方策の実施、経済活動のほか市民生活の下支えに全力を尽くしてもらいたいものである。あるいは薬やワクチン開発、治療器具の開発の経済的・人的後押しをするのも重要である。このような危機のときに混乱しないような医療制度や医療従事者の育成などの普段からの備えも必要である。
 しかしながら、戦争状態などと不安を煽ったり、薬やワクチンの開発に口をはさんだりして政治家の手柄合戦に危機を利用しないでもらいたいと心から願っている。

 


岩波書店「図書7月号」から 1

2020年06月30日 20時56分17秒 | 読書

 13時半ころ家を出たときはいったん雨が上がった者の、桜木町駅に着いたころに雨がポツリポツリ降り始めた。会期が終り桜木町経由で横浜駅に着くと土砂降りの雨と、舞うような風であった。地下街に戻ると、階段を伝って吹いてくる風で扉が悲鳴を上げるように唸っていた。
 しばらく書店で時間をつぶし雨がおさまってから、地下鉄で帰宅。その後雨は降ってはいないが再び風が強くなり、ベランダに置いてある箒などが煽られている。



 昨晩岩波書店の「図書7月号」が届いていた。いつものように覚書として。

・表紙絵                司  修
「道は夢によく出て来ます。少年時代はほとんど迷子の夢でした。よく考えてみるとわたしの人生そのものが迷子の連続たったかもしれません。独りで学ぶしかなかった絵画は、気がつくと迷子でした。」

・居間だからこそ読む、阿部公房     ヤマザキ マリ
「安倍公房は人間の生きるありさま、そして人間の作り出した社会という現象を、まるで昆虫の生態記録を綴っているかのように俯瞰で表現し続けた作家だが、「けものたちは故郷をめざす」はまさに情緒性や感傷を嫌う安倍公房のぶれない意識が明確に象られた作品のひとつだ。乾いた空気と殺伐とした好例が広がる満州は、人間にとって生き延びる絶望感を容赦無くつきつけられる場所であり‥。‥この物語は、漠然とした不安で覆われた、まさに今という時代に読むことでこそ覚醒する、質感のある感慨に満ちている。」

・静かな春と「作業日誌」        岡村幸宣
「原爆の図丸木美術館のある都幾川のほとりは、春になると匂いが変わる。太陽の光の強さが変わる。大地から樹々から、いっせいにいのちが芽吹いてくる。しかし今年は静かな春だ。」
「芸術の歴史をさかのぼれば、太平の世の爛熟だけでなく、乱世にあっても人は表現を手放さなかったことがわかる。人間の心をえぐるような痛みや、辛辣な社会批判を通して世界の世界の本質に近づき、記憶することもまた、文化の厚みといえるだろう。」
「歴史は過ぎ去った時代の物語ではなく、今を生きる私たちと地続きの現実である。時間は未来という一方向のみに開かれるものではなく、過去の記憶にも開かれている。」

・古本屋は、無限の世界とつながっている   切通理作
「古本屋が東京都の休業要請の対象となった。「不要不急」に古書が含まれるという擬陽性の認識には異を唱える声が上がっているし、私もそれはまさに過去と現在の分断であるとおもう。‥このうえは、「不要不急」呼ばわりされた側として、一日でも長くこの世に居座っていきたいという気持ちも芽生えつつある。」

・『孤塁』からバトンを受け取る      金平茂紀
「本を読み終えると同時に、噴き出すような涙が流れだすという経験はそう頻繁にあるものではない。『孤塁――双葉群消防士たちの3・11』の末尾の二行に行き着いて、不覚にもそうなった。<ここまで、私は「バトンを渡す」という思いで書き続けてきた。どうか、このバトンを、あなたも受け取ってくださることを願う>」
「福島第一原発の事故現場で緊急対応に必死にあたっていた東電の所長や作業員らを『Fukushima50』と呼んでヒーロー視する映画が公開された。そういった試みを否定するつもりなどぼくにはない。だが、まったく顧みられることもなかった消防士たちの活動はどうしたら報われるのだろうか。‥ヒーローにも愚者にも、悪党にも善人にも、ウィルスは無差別に襲いかかるという冷徹な事実だ。ヒーローではなく、無名のまま、無私のまま、医療現場で黙々と人の命を救おうと仕事を続ける人々のように、消防士たちは物語を要求しなかった。<‥過酷な活動を続けながら、「ヒーローになる必要はない」とそれらが報じられることもないまま、淡々と孤塁を守り続けた彼らがしばしば口にするのは、「忘れないでほしい」という言葉だ>」


午前中の作業終了

2020年06月30日 11時48分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中に昨日の講演会の報告記事を書き入れて、退職者会ニュースの最終原稿を印刷所に送信。すでに送信した分の記事にも一部変更もあり、作業量はそれなりにあった。
 あとは校正刷りの出来を待つばかり。

 午後は会議と打合せがあり、出かけることになった。午前中はまだ雨は降ってはいないが、午後から夜の降水確率は60%もあり、雨は間違いなく降る見込み。傘と防水の靴は必要。

 


「椿の海の記」(石牟礼道子)読了

2020年06月29日 23時24分12秒 | 読書

   

 本日「椿の海の記」を読了。
 池澤夏樹は解説で次のように記している。

「この本を前にした時に一つ大事なことがある。ゆっくり読むこと。今の世の中に流布している本の大半は速く読むことを前提にかかれている。ストーリーを追って、あるいは話題を追ってどんどん読み進めて、なるべく早く最後のページに至る。内容はすぐに忘れて次の本に手を伸ばす。しかし、これはそういう本ではない。」

「子供の頃を思い出しての随筆ないしエッセーではない。迂闊に読む者がそう捕らえて疑わない裏に手の込んだ仕掛けがある。おぼろな記憶を具体的な記述に換える伎倆があり、文芸のたくらみがある。四歳の自分に見えていた世界という伎倆によって今の我々にとっての世界を解釈しようという意図がある。それを実現するだけの文章の力がある。つまりこれは四歳の時の自分というスクリーンに投影された石牟礼道子の全人生なのだ。」

「「椿の海の記」はもともと文字にならないはずの失われた世界の至福を文字で表そうという矛盾した意図の産物なのだ。この矛盾が克服されてこれを読めることの幸福は体感でよくわかる。だから最初に戻って、ゆっくり読むことを言えばそれで解説は終わっていたとも言える。‥我々はこういう豊かな世界を失って今のこの索漠たる社会に生きているということである。それを象徴するようにチッソと原発が屹立している。この喪失感はとても大事なものだとぼくは思う。」

 私はこの引用した最初の文書のとおり、本をじっくり読むということからもう40年以上遠ざかっているという反省の上に、池澤夏樹の指摘のようにこの作品を充分に味わってみた。どれだけ読みこめたか、それはまったく自信はない。しかし四歳の子供の世界をこれほど豊かに、大人の認識と子どもの認識を行き来しながら連続的に描いた力量に脱帽した。

 喫茶店でこの本を読み終えて、すぐに「方丈記私記」(堀田善衛)を読み始めた。余韻に浸ることなく、次の作品に移るのは解説の文章に反する行為ではあるが、読みたい本の任力には抵抗できない。 


本日の講演会

2020年06月29日 18時49分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

本日の勁草塾の講演会は毎日新聞社論説委員の元村有希子氏。

科学ジャーナリスト賞を受賞し、現在ニュース番組のコメンテーターとして活躍されている。

「リスクと向き合う時代」と題して、「コロナ禍の現代的意味」から始めて「リスクとの付き合い方」まで問題提起。


梅雨晴れ

2020年06月29日 11時24分34秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 天気予報では、南風、晴れのち夜は曇り、最高気温が27℃。今のところ過ごしやすい天気である。
 本日は妻とは別行動。私は昼頃に家を出て、まずは桜木町駅まで歩いてみる予定。
 湿気の少ない風が出てきた。喜ばしい。

★梅雨晴の満月光に溺るべし       林  翔
★梅雨晴の窓ひしめきて町となる     岡本 眸
 


下弦の月が美しい

2020年06月28日 23時13分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は半月、薄い雲が月にかかり見上げながら夜のウォーキングを30分ほど。残念ながら星を見ることは出来なかった。折り返し地点の墓地の中で10分も見上げていれば、いくつかは見ることが出来たと思われるが、なんとなくそのまま折り返した。

 明日は夜から退職者会の関係で講演会がある。帰りは久しぶりに山下公園から日本大通りにかけての安い居酒屋に潜り込むことになりそうである。
 明日の昼間は特に予定はないので、山下公園まで歩いてみるつもり。天気予報は曇となった。蒸し暑くないといいのだが‥。 


マスクと熱中症

2020年06月28日 19時58分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夕方にかけて暑い雲がふたたび空を覆っている。雨は降ってはいないが、重苦しい空である。その空をときどき見上げながら、2時間ほどのウォーキング。途中の喫茶店で1時間ほど読書タイムと、スマホでメール等のチェックをしながら休憩。
 やはり帽子とマスクの両方はきつい。途中で帽子をリュックにしまい、人通りのない通りではマスクを外した。25℃程度だった本日でも厳しかった。
 マスクは熱中症を助長する。梅雨明け前から30℃超えが連日続く。特にマスクは暑さとの関係では体に悪いと思う。
 


雀の千声

2020年06月28日 12時58分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 団地の雨はほぼ上がった。横浜市域では、さきほど雷注意報は解除になったが、大雨・洪水注意報がいまだ出ている。オンライン講座を聞いていた午前中はかなり強い雨が続いていた。

 外も明るくなり、雀が5羽ほどベランダに置いてある鉢植えの周りで賑やかである。雀は鳩などに追われ、都会では極めてに少なくなったといわれている。わたしの住む団地内ではとても営巣は出来そうもない。
 しかしここ数年、団地の中でも、さらに周囲の戸建て住宅地内でのウォーキングをしていても、目にする雀が多くなったように思われる。これが統計的に増えているということであれば、私としては嬉しい。雀というのは愛嬌がある。すばしこく、抜け目なくたくましい反面、意外と人懐っこいところもある。一定の距離を保ちさえすれば、観察していて見飽きることはない。特に小雀が餌に集中するあまり、人が傍にいても気がつかずにいることがあり、それが人に好かれる一面であろう。

 あまり好みではないことわざに「雀の千声、鶴の一声」というのがある。現在では「鶴の一声」とだけ言うようになった。「雀のようなつまらない多数の声より、鶴のような優れたものの一声が真実」というような意味。だが、「鶴の一声」だけが独り歩きするようになると共に「組織のトップの決断」に変貌してしまった。
 多くの人が誤解しているのは、組織のまとめ役=決断する人、ということで面倒なことは上役に任せるという意味になり、さらに任された人間は自分が「優れた人」と思い込んでしまうことである。
 私は「鶴の一声」よりも「雀の千声」がまずは大事だと思う。これが無くては「鶴の一声」はない。

 政治家というもの、いつも自分が「鶴の一声」を発することができる「優れた人」と思い込む人が多いようだ。またそんな「一声」を発したくて政治家を志す本末転倒な人も現れている。そんな政治家はまずは付和雷同のような意見ではなく、職業や生活に根差した本音のところから発せられた「雀の千声」を聞くことからはじめてもらいたいものである。

 多くの人は自ら声を上げることはなかなかしない。他人の意見や「世論」などに迎合しない本音の意見をいかに発してもらえるか、力量が問われる。それは人の集団・組織がある限り、集団・組織の運営に携わる人が常に問われるものである。いつもこのことに自覚的でありたいと思う。


 日が当たってきた。本日はさて、出かけるか家に籠って休養日とするか。


「岩佐又兵衛風絵巻の謎を解く」

2020年06月27日 22時40分25秒 | 読書



 本日の朝日新聞に「岩佐又兵衛風絵巻の謎を解く」(黒田日出男、角川選書)の書評があった。評者は呉座勇一氏。
 ちょうど江戸時代の絵画史の講座で取り上げられてもいるし、おどろおどろしい描写は見るものを圧倒する迫力とリアリティを感じてきた。
 この岩佐又兵衛の絵巻群のパトロンが2代将軍秀忠の兄の結城秀康の松平忠直であったとの結論であるとのこと。秀忠から一方的に疎んじられのか、疎んじられるような振舞いがあるほどプライドが高かったのか、徳川政権の複雑な権力闘争のありようと搦め手の論考である。
 乳母というものの存在に焦点を当てた論考、あるいは著者の得意とする絵画資料の読み込みに基づく論考ということで、是非とも目を通したいと思った。

 しかしすぐに購入してもいつ読み始められるかも定かではない。それが悲しい。取りあえず、来週になったら神大の生協で注文だけはしておこうと思う。


浮世絵のオンライン講座、そしてオンライン飲み会

2020年06月27日 13時20分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 午前中は10時からオンラインの講座。「学んでから行く展覧会「日本三大浮世絵コレクション展」」の第2回「江戸時代Ⅱ 町人美術の形成「元禄美術」を中心に」。
 題の長い講座であるが、浮世絵の展覧会を見る前に江戸絵画全般の概観を4回でさぐろうというもの。私は浮世絵はあまりピンとこない。特に人物像は好みからは遠かった。ただし風景画、特に広重の風景画はおおいに気に入っている。そんな偏見と誤解と不勉強を解消するために受講している。

 本日は降水確率は終日10%、空はほぼ全天が薄曇りで、そのごく薄い雲から薄日が差すこともある。湿気は少なく、昨日よりも凌ぎやすい。土曜日でもあり、横浜駅は多くの人出が予想されるので、本日は別の駅近くの喫茶店を経由してウォーキングに出かけてみることにした。

 夜はオンライン飲み会。どんな話題を提供するか、まだ決めていない。気心の知れた、いつもの云いたい放題の居酒屋飲み会、組合の会館での飲み会とは違って、準備が必要な飲み会である。そうして長々と話しては迷惑になる。
 この最後の長々と話しては迷惑になる、というところは普段の飲み会でもマネしたいところ。オジサン同士の飲み会は、人の話を聞かない、人の話に被せて自分の云いたいことをいう、人の話を否定しないと気が済まない‥と会話の基本が出来ていない。実に困ったものではあるが、それが特徴と思うしかない。
 オンライン飲み会に参加する心得を今度居酒屋で長々と講釈してみるのも面白いかもしれない。間違いなく途中から別の意見が滔々と被さってくること間違いない。
 それを楽しみにしている狡猾な自分がいる。

 


星を見ながらウォーキング

2020年06月26日 23時02分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は昼間も夜も湿気が多く、とても蒸し暑く感じた。最高気温も32.3℃となっていた。マスクをして、野球帽を頭に載せて往復1万歩ほど歩いたけれども、途中で帽子もマスクも外した。熱中症になってしまいそうであった。マスクは湿気の多い呼気と汗でびっしょりになった。

 夜のウォーキングの途中で見上げた空にはうしかい座のアルクトゥールスと天頂付近にこと座のベガを見つめて。中学生や高校生のとき必ず目にとめていた小さな星座かんむり座がアルクトゥールスの傍にみえるはずだが、信号待ちの十数秒では見つけることは出来なかった。
 帰りがけに見た南東の空には異様に明るく見える木星と、ずいぶん木星にくらべると明るさが見劣りする土星が対の星のように見えた。残念ながらさそり座とアンタレスも薄雲と中心部の明るさに負けて見ることはかなわなかった。北西の空にはだいぶ太くなった月が雲の間から一瞬顔を出していた。帰宅時にはもう沈んでいるくらいに低い空に見えた。明後日には下弦の月。半円形の月が見えるはずである。
 久しぶりに星を見上げた。これからは少し時間をかけて星を見たい。いつも近くを通る小さな公園や、市営墓地のてっぺんまで行って見上げていたいものである。

 


「方丈記私記」(堀田善衛)を読み始める

2020年06月26日 21時13分24秒 | 読書



 本日の読書は「椿の海の記」(石牟礼道子)の第10章「椿」を読み終え、「老いのかたち」(黒井千次)からはじめの2話、「方丈記私記」(堀田善衛)の最初の章。

 「方丈記私記」はとても懐かしく思い出した。冒頭の文章は印象深く、よく記憶している。

「私が以下に語ろうとしていることは、実を言えば、われわれの古典の一つである鴨長明「方丈記」の観賞でもなく、また、解釈、でもない。それは、私の、経験なのだ。」

 1971年にこの本が出版されたのであるが、自分が当時どんなことを考え、どんな行動をしていたか、じっくりと思い出しながら読み進めたいと思う。
 20歳、自分を求めて彷徨していた自分と、今の自分。私がこの著作に最初に触れたと思われる1980年代、当時の社会状況と今の時代、そして堀田善衛が「方丈記」に接していた戦争末期の時代と執筆していた1970年の頃。
 1944年、1970年前後、1980年代末、そして2020年の今、4つの時代のわたしを行きつ戻りつしながら、読み進めるというのもなかなか醍醐味はありそうである。


「‥重くて遠きものを見ず」

2020年06月26日 11時42分17秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 快晴、晴、ではなく曇り空。風がない。ときどき太陽が顔を出す。このくらいがちょうどいい。昨晩の雨は朝まで続くことはなかったようだ。
 だが雷・強風注意報が出ている。午後からの降水確率は20%のままであるが、「ところにより雷雨」という表現もある。

★梅雨の靴重くて遠きものを見ず     加藤楸邨

 1967(S42)年の句。歩きくたびれたときの句であろうか。前後の句の並びからは特に旅行や山歩きのときの句ではないようだ。確かに歩きくたびれると人は俯いて足元ばかりを見てしまう。街中でも同じ。湿気が多い梅雨時、まして遠くなど見る気もなく人はとぼとぼと歩く。梅雨時の陰鬱な街中の風景と、人の心が重なる。ひょっとしたら加藤楸邨らしい社会批判が込められているのか、と思う。「ものを見ず」という主体的に見ないという精神を指している。「見えず」ではない。これは何を言おうとしているのだろうか。というのはうがちすぎかもしれないが‥。

 ここから先は私の回顧。
 この句とは違って1967年は、わたしが自覚的に世の中に関心をもちはじめた時期。国内では水俣病が告発され、メチル水銀が原因であることが明らかとなったのが6月の梅雨の最中。同時に企業と政府の隠ぺい体質が暴露された時期である。この年ベトナム戦争がますます激化し、そして7月、アメリカでは白人警官による黒人暴行をきっかけに抗議行動が活発化し、公民権運動がベトナム反戦運動とともに激化し、アメリカ国内は騒然としていた。
 ヨーロッパのチェコスロバキアのドプチェクの「人間の顔をした社会主義」のスローガンによるプラハの春が胎動を始めた時期でもある。私の目は足元から遠くへ、国内と世界の「遠く」を見つめ始めた時期である。
 「‥重くて遠きものを見ず」は私に半世紀以上前のわたしのを思い出させてくれた。そして半世紀以前と現在の日本を含む世界の在り方が重なって見えて来る。
 差別、企業と政府の癒着と隠蔽体質、汚職‥。社会システムが危機になるほど日本でも世界でもますます露骨になる。