Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

きり絵「ふるさと福島」から(5)飯坂温泉鯖湖湯(きり絵さとうてるえ)

2010年05月31日 21時23分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
鯖湖湯


 案内書を転載すると、
 「鯖湖湯は、元禄2年(1689年)奥の細道の途中、飯坂に立ち寄った松尾芭蕉が湯につかったと伝えられる名湯です。明治を偲ぶ共同浴場として、1890(明治22)年松山市道後温泉坊ちゃんの湯(1895(明治27)年)の建築より古く、日本最古の木造建築共同浴場で、長い間飯坂温泉のシンボルとして、地元住民や観光客に親しまれてきました。
  1993(平成5)年12月改築した鯖湖湯は1995(平成7)年東北建築RACコンテスト'95入賞によってその名も一層高め、テレビ等の取材も多く訪れた観光客の人気を集めております。
  外観のヒバの香りと輝く御影石の湯舟が温泉の雰囲気を引き立てていますのでゆっくりと湯の気分に浸ってみませんか。また近くにはお湯かけ薬師、鯖湖神社があります」
と記されている。
 私はこの屋根の曲線が美しいと思う。垂直のヒバの板目の上に河原と思われる屋根の曲線は、何とも柔らか味がある。
 温泉はかなり熱いらしく、掛け湯だけでも悲鳴が出ると聞いたことがあるが、そうではあっても共同浴場のなごみを思わせてくれる曲線であると思う。実は飯坂温泉には、一度だけいったことがあるが、大規模ホテルに缶詰の研修のための一泊であったので、8個もある共同浴場を訪れることはなかった。ホテルより一歩も出ずによく日の昼前に会議を追え、そそくさと福島駅にもどり新幹線に飛び乗って東京に戻った。
 本当はどんな温泉地でも、付近を散策し、共同浴場につかり、二日、いやせめて一日のんびりとしたいものだ。
 このきり絵を見た以上、是非ともゆっくりと訪れなくては気がすまなくなった。
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長谷川リン二郎(はせがわりんじろう)展(その2)、その他

2010年05月30日 21時59分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日NHKの日曜美術館で、長谷川リン二郎について放映していた。妻は髭のない「猫」を気に入ったようで、この放送をビデオに撮り、先ほど見せてくれた。
 昨日私が気に入った作品に上げたものでは、この猫の絵のほか、「巴里郊外」(1931)の2点であった。放送で取り上げられたら作品で「荻窪風景」(1953)と「乾魚」(1972)を私はあげていなかった。
 放映で指摘があったが、確かにこの2点の絵は長谷川リン二郎という画家を解く鍵になるのであろう。
 目の前の現実にある物の印象が与える感動を凝視し続けることを、通して現実の向こうの世界までをも執拗に見つめる、という行為。
 そのためには影などいらない。しかし現実の風景の背景となる空も、静物画の背景も、執拗に丁寧に塗りこめている。不思議な静的な空間が私たちの目の前に広がる。
 私にはとても魅力的で、内省的で、好ましい世界が広がる画家の一人だと思う。
 かつて洲之内徹の文章でチョコッとエピソードのみを知った画家であったが、「時には本の話でも‥」のブログの管理人さんに、展覧会を教えていただき感謝。この管理人さんには山口薫も教えてもらったし、長谷川等伯も伊藤若冲も教えてもらった。私の好きな画家の範囲は大きく広げてくれた。音楽についても同様である。
 むろんさまざまな画風が混在している。これに私の元から好きだった坂本繁二郎、香月泰男、佐藤哲三、あらたに魅せられた高島野十郎‥彼らを並べただけでもいろんな画風や振る舞いがあり、「統一性」はない。ある友人から「筋がとおっていない」といわれたことがある。しかし絵画にしろ、音楽にしろ好きなもの、さまざまなものに惹かれるものがあることに違いはない。ひとつの主義の絵や音楽などしか受け付けないという方がおかしいと思う。人はそれぞれ、感受性もそれぞれ、そして一人の人間には多面的な感動があって当然ではなかろうか。
 この歳でいろいろな刺激を素直に受けつけれられることのほうがうれしいと思うようになった。
 とりあえずこのような感想を書いて、「時には本の話でも‥」の管理人さんにあらためて感謝。

 さて今、スークの演奏のヘンデルのバイオリンソナタを再び聞いている。どうしても4番・5番が始まると左手の指が自然に動いてします。もう45年も前のことになるが、バイオリンを習っていてこの曲をならった。自分でも気に入ってずいぶん弾いて練習した。後年になっても折に触れて弾いていた。心が落ち着かないときに、必ず思い出す曲のひとつだ。どうしても忘れられない曲だ。
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今日の俳句(100529)

2010年05月29日 22時58分05秒 | 俳句関連
 長谷川 (リン=隣のコザト偏をサンズイに)二郎展にて

 透明な水に意志あり濃き薔薇へ
 凍空のうすき太陽枝に垂れ
 枝先の樹液の鳴動凍空へ

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長谷川リン二郎(はせがわりんじろう)展(平塚市美術館)

2010年05月29日 21時07分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 

 長谷川 (リン)二郎(はせがわりんじろう1904~1988)展を平塚市美術館で見る。この方は洲之内徹の「気まぐれ美術館」で知った。それもひげが描かれていない猫の絵のエピソードで。とても有名な話らしいが、展覧会などで実際に絵を見たことはなかった。今回は回顧展ともいうべき展覧会だ。
 気に入ったものをまずあげてみよう。
 ごく初期の取り合わせがシュールな「窓とかまきり」(1930)。パリ留学で描いた「巴里郊外」(1931)の道路の曲線と独特の土の色とその存在感。洲之内徹が古道具屋で額縁の値同様で手に入れたという「薔薇」(1938)の花弁の美しさと、半世紀後の「薔薇」(1985)のガラスの瓶の美しさ。1960年代後半以降特にその肌合いの美しさを示す陶器やガラスを描いた静物画。むろん洲之内徹が「幸福の絵」の6枚の内の1枚にあげた「猫」(1966)もあげよう。その他「柚子の木」「枝」「春」など。
 そしてもう2点、「冬の太陽」(1980)と「風景」(1981)が私の目をひいた。没年を知らなかったので「ひょっとして遺作か」と思ったが違った。
 最初「遺作か」と思ったとき、坂本繁二郎の最晩年の「八女の月」や山口薫のやはり最晩年の「若い月の踊り」、香月泰男の「太陽B」を思い出した。単に縦長の画面に月・太陽が上方に見えるだけが共通点でしかないし、画風も描いた画家の思いもまったく異なるはずだが、晩年の作ということでは、どこかに共通点があるかもしれない、などと‥牽強付会とは思いつつ。
 しかし一木の枯れ枝と、月と見まがうほどの寒々とした傘を被った太陽のなんとさびしく、しずかなことか。太陽であることを放棄した太陽に見える。
 風景自身がその存在を忘れてしまったような枝の重なりだけの「風景」。 この2枚、背景の空の色とその塗り方がいい。この二枚は他の絵と隔絶しているように思えた。
 絵の特徴は見てすぐわかるが、しかし描き方は題材・時節によってかなり違う。その微妙な差がまた面白い。
 洲之内徹によって語られたものと、画家自身の言葉との絡み合いが、また飽きさせない。
 カタログは販売していなかったが求龍堂の画文集は、洲之内徹の著作とともに手放せないものになった。
 「実物によって生まれる内部の感動を描くのが目的ですから、実物を描いている、とはいえません。しかし、それは実物なしでは生まれない世界です。」(長谷川 (リン)二郎)
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本日の購入本

2010年05月28日 19時03分44秒 | 読書
中井久夫「私の日本語雑記」(岩波書店)2,100円
25日発刊の本がようやく有隣堂に並んだ。病院によった帰りに購入。
しかし本屋でもどこの書棚にするか悩んだものらしく、検索画面で出た棚(日本語一般)にはなく店員も右往左往、倉庫の中から探してきてくれた。
私も当初は作者名から心理学の棚を探してしまった。

しばらくは、白川静「桂東雑記拾遺」と、田中善信「芭蕉」(中公新書)の三冊、交互にゆっくりと楽しむことにする。
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ツユクサとムラサキツユクサ

2010年05月28日 10時37分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
「特には本の話でも‥」に触発されて‥‥

ムラサキツユクサ


 露草と紫露草とは別物とは知らなかった。露草が紫がかっているから別名紫露草と思っていた。紫露草が北米からの外来種で、理科の実験によく使われるらしい。露草は染色の下塗りとして使われるとのこと。
 横浜の小学校で通学途中で咲いていた花はどちらだったのだろう。蕾の時の見てくれや花の形状と花の色からは紫露草のような気がする。
 ただし理科の実験といっても浸透圧や減数分裂の観察に使うとの事なので、小学校の実験で扱ったことはないと思う。
 それでも小学校の行きかえりに、よく蕾の時に花を取り出して紫の汁の美しさに感心したものである。手についた紫がなかなか取れなかったが、嫌な感じはしなかった。
 中学生になってから、小高い丘の上をようやく登りきった道端に咲いていたのが印象に残っている。翌年からは通学経路が変わったが、はやり通学途中にある、卒業した小学校とは別の小学校の正門の横に毎年咲いていた記憶があり、これも紫露草のような記憶がしている。
 また傍にめったに人が訪れることのない鉄の門が閉まりっぱなしの根岸外国人墓地というのがあった。今は入れるようになったとの情報もあるので一度行ってみたいが、そこの門の脇にも昔、紫露草があったように思う。
 中学生になって手を紫に染めることはなかったが、妙に心に残る花であった。紫露草として認識していたのではなく露草として認識していた。
 高校3年の夏休み明けに、中1からの思い出の作文を原稿用紙2枚に書けといわれた。中1の時のその露草を再発見した記憶を書き、高校3年の時に中1の後輩が露草を指し「これは何の花か」といっているのを見て、6年前の自分を思い出した、5年間露草のことが頭から抜けてしまっていたことを思い出した、というようなことを書いた覚えがある。どういうわけか、全クラスで読み上げられたが、私の名は秘して読まれた。「あっ俺のだ」と自分で言ったが周囲から「嘘つくな」とかるく無視されたことを記憶している。
 6月ごろから咲くため、入学して梅雨時分、ようやく緊張が取れた季節にあじさいなどとともに目に付いて印象に残っているのだろう。そんな思いがあの文章ではうまく書けずに少し悩んだことも思い出した。

ツユクサ

 大学生時代、花が小ぶりで、紫とはいえない青い露草のようなものを野草園や追廻住宅、旧魯迅記念館のあたりで見た記憶がある。街中ではめったに見なかった。東北では露草は横浜と違い矮性化するのかな、あるいは別のものなのか、と大して気にも留めなかった。というか身近な身の回りの植物に眼が向くような生活ではなかったと思う。

 ただ色は違うが紅花の花のあの色は眼に残っている。畑ではなく農家の庭先にいくつか咲いているのを見て、「これが紅花」と直感した。図鑑で見る限り直感は正しかったことまでは記憶しているが、それがどこの場所だったか、なぜそのような場所にいったか、よく覚えていない。トラックの助手で一晩4号線を北上して、さびしげな定食屋で朝食を取ったときの記憶かもしれないが、あいまいである。
 もうひとつ、アザミと思っていたのが棘がなく「たむらそう」であった。これは私の目にはアザミより鮮やかな紫に輝いている。坂上田村麻呂にちなんだ名かどうかはしらぬが、蔵王、朝日連峰、飯豊連峰、秋田駒ケ岳、栗駒、早池峰、吾妻、どこでも懐かしく目に付いた。
 そしてアザミではなく「たろらそう」であるということを知ったのもごく最近だ。

 出羽なれば薊はまして色の濃き

 この句を作った直後に棘のないことを思い出し、インターネットで調べてわかった。私の記憶のかぎり、それはアザミで良しとしよう。

 露草に話を戻す。横浜に戻ってきてから、紫露草も露草も見かけることはほとんどない。植生にも消長があるのだろう。園芸品種のようにはやりすたりもあろう。あるいは空き地が極めてすくなくなったこともあろう。花が服につくと色が付くのが嫌われてしまったのかもしれない。

 見かけなくなるとともに、露草は私の記憶からすっかり消えかかっていた。「時には本の話でも‥」に触発されて記憶が、戻ってきた。
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ヘンデルバイオリンソナタの聞き比べ

2010年05月27日 21時40分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等




 一昨日購入したヘンデルのバイオリンソナタ、ヨゼフ・スーク(バイオリン)+ズザナ・ルージチコヴァー(チェンバロ)と、すでにもっているアルテュール・グリュミオー(バイオリン)+ロベール・ヴェイロン・ラクロワ(チェンバロ)を聞き比べている。
 スーク、グリュミオーともに45・46歳という年齢の録音。
 スークのものはチェンバロとバイオリンが同じ大きさの音量に聞こえる。バイオリンが少し遠慮気味の音量といったほうがよいのかもしれない。室内楽のスークならでは、あるいはソナタはあくまで奏鳴曲とばかりにバイオリン・チェンバロの対等の曲ということなのだろうか。バイオリンの音は線が細く聞こえる。しかし音の透明感、美しさはこちらだ。しかも後半になるにしたがって、特に4番・5番・6番はバイオリンの音が厚みを増してくる。1975年録音。
 グリュミオーは、バイオリンが前面にでて、チェンバロは伴奏楽器に徹しているようだ。バイオリンは堂々と響き浪々と歌い上げている感じた。独奏者グリュミオーらしいというのだろうか。1番から6番まで全体を通じて、強弱そして一音一音のメリハリもはっきりしている。音の厚み、豊かさはこちらに軍配が上がる。1966年録音。

 好みであろうが、スークは少し遠慮しすぎかなと思った。あるいは録音のせいだろうか。
しかしいずれにしろ、ともに気持ちよく聞ける。
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ヘンデルのバイオリンソナタ

2010年05月27日 08時05分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
ヨゼフ・スーク(バイオリン)+ズザナ・ルージチコヴァー(ハープシコード)の千円版を衝動買い(x_x;)
ハープシコードの豊かな音の節度ある氾濫(形容矛盾は百も承知)を期待して購入した。
桂東雑記拾遺(白川静)を購入。

とはいうものの、夕べは飲みすぎてダウン。
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ブラームスのバイオリンソナタ

2010年05月25日 23時07分08秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は、「時には本の話でも…」のブログに触発されて、ブラームスのバイオリンソナタを聴いている。ただしパールマンではなく徳永二男・伊藤恵の取り合わせ。第一番からゆったりとしたテンポで心ゆくまでバイオリンの豊かな音色を聞かせてくれる。伊藤恵のピアノとの掛け合いもなかなかいい。バイオリンもピアノも、派手さやテクニックを前面に立てずに、抑制が効いていて、悪く言えばあっさりしすぎているかも知れないが、正確な音程・リズムで音を響かせているように感じる。私好みの演奏だ。
 この静かな演奏に浸りながら、ゆったりとした眠りにつきたい。ブラームスは、香り高い紅茶を楽しむように、あっさりとした演奏のほうがいい。ごたごたした演奏は曲を台無しにしてしまう。

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きり絵「ふるさと福島」から(4)民家園廣瀬座(きり絵さとうてるえ)

2010年05月25日 07時20分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
民家園廣瀬座 
 民家園のホームページでは、以下のように紹介されている。
 「旧広瀬座は伊達郡梁川町の広瀬川川岸に当時の唯一の大衆娯楽施設として、明治20年(推定)に町内の有志によって建てられた芝居小屋です。舞台中央は回り舞台でその床下には奈落があり、花道・ぶどう棚・ちょぼ席など芝居小屋として必要なものはひと通り備えています。
 外観も全般にわりあい簡素で古い形式ですが、小屋組には明治中期の建築を反映して、梁の長い洋風な造り(真束小屋)が採用されました。舞台の裏手は楽屋になっており、板壁には当時来演した役者たちの落書きが多数残されています。
 このような芝居小屋は全国的にみても数棟しか現存していません。
 明治の終わりから大正にかけて、次第に芝居の間に映像を入れる活動連鎖が上演され、昭和になると活動写真(映画)の人気が高まっていきました。昭和24年にはついに、映画館として改装され新たな娯楽施設となりましたが、テレビの登場で次第にすたれてしまいました。
 広瀬川のたび重なる氾濫で被害を受け、昭和61年の洪水のあと、川幅を広げるため取り壊されることが決まりましたが、貴重な芝居小屋を残すため民家園で復元されました。」
 現在は神楽・獅子舞などをはじめ伝統芸能の公演も行われているようだ。

 横浜の近代建築のきり絵をさとうさんに作ってもらったときも、現存する建物を訪れるたびに、その維持管理は大変な労力と善意が必要であることが垣間見えた。建物の保存には日常の使用とともに、建物自体の補修のためには技能の継承という人にかかわる部分が極めて大きな要素である。今の社会、果たしてこのような人を大切にする社会構造となっているだろうか。
 文化財や歴史的な建造物が朽ち果てている中、保存すべきものは多くあるが、人の手が直接触れて作り上げる技能や技術が大切にされず、価値がないものとさげすまれる社会は、歴史から断絶してしまい、埋もれてしまうのが、歴史の教訓ではないだろうか?

 さてこのきり絵、御倉邸でも記載したがさとうさんの目は、あじさいと松の並木をきちんと捉えている。このあじさいがなんともいえず私の好みだ。廣瀬座のたんなる説明の絵、いわゆる絵葉書の構図とちがう。そして木造のきっかりとした骨組みが、あじさいと松のようすによってひきたっている。
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土門拳を見る・読む(4)

2010年05月24日 20時41分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
高山寺石水院冬日1959 

 「ぼくは何十遍高山寺に行ったことだろう。ほんのお志を懐にしては高山寺に通い、石水院の広縁に座って、古寺巡礼撮影で苛立った頭を休めた。行くたびに、いい。いつ行っても、いい。同じところ、同じものを見るだけだが、行くたびに新しい発見がある。だから飽きることがない。そしていつも行くたびに、今日の高山寺が今までで一版よかった、と思って帰る。幸福なことである。」
 何の変哲もない文章に思えるが、実にいい文章だと思う。リズムもいい。歯切れもいい。そしてほれ込んだ実感がそのまま伝わってくる。
 むかし中学生の時、国語の先生から気に入った文章はそのまま書き写してみるとその秘密がわかる、と教えられたことがある。なるほどと思ったが実行したことはない。学生の頃はビラで他人の表現や、月刊誌の文章をそのまま地の文にしてしまったことがあるが、これは盗作というものであろう。
 パソコンで文章を綴るようになって、書くよりは数段早く打てるし、間違いもすぐに直せるので、気に入った文章は時々なぞってみることにしている。しかしこの歳になってはなかなか文章力は向上しない。思考と文章とは分けて考えなくてはならないが、自分の思考を突き放して反芻しながら文章を書くということはなかなか困難で、独りよがりの文章になってしまう。
 土門拳の文章は、ほれ込んだものを書く強さがある。また写真を撮影するときのように、かなり自分を突き放して観察しながら書いているようなところがある。やはり文章の達人だと思う。
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きり絵から‥少しよりみち(きり絵さとうてるえ)

2010年05月23日 15時34分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「ふるさと福島」からは、少しよりみちして、送られてきたきり絵を一点紹介。



 さとうてるえさんが立原道造が好きだったとは、学生時代は知らなかった。送ってもらったきり絵の中に、このハガキ大のものがあった。きっと詩が気に入って愛唱されているのであろうと勝手に想像している。
 詩は「拾遺詩集」におさめられている詩の最後の3行。

 月の光に与へて

おまへが 明るく てらしすぎた
みずのやうな空に 僕の深い淵が
誘はれたとしても ながめたこの眼に
罪は あるのだ

信じてゐたひとから かへされた
あの つめたい くらい 言葉なら
古い泉の せせらきをきくやうに
僕が きいてゐよう

やがて夜は明け おまへは消えるだらう
-あした すべてを わすれるだらう


 舞台が秋の月夜の萩の原に設定された。しかしこのソネットには4行たりない詩、最後の2連の6行はどのように立原道造はつくろうとしていたのだろうか。あるいは何が書けなくて断念したのだろうか。そしてさとうさんは何を読み込んだのだろうか?この2行から類推するのは難しい。逆にいろいろと想像が羽ばたく。
 転機への渇望を読み取れるかもしれない。しかし「信じていた人」からの「つめたい、くらい」言葉を、私ならば「せせらぎをきくように」聞いてはいられない。どのように転調し、どのように転移するのか。答えは見つからない。
 そしてきり絵に彩色された満月の黄と青の光に呼応する萩の白い部分のうっすらとした微かな青味がかった黄色は、何を物語っているのだろうか。
 私の仙台での学生時代の5年間は、こんなさびしさが、孤独な風が心の中を吹いていたことを思い至った。誰のせいでもない、時代のせいでもない。自分自身のせいといわれても、それは私にはわからない。そしてどのように転移をしたか、もう忘れてしまった。あるいはそのまま転移もなしに20代の頃からの歳月がただただ過ぎ去っただけのような気もする。
 20代の頃のさとうさんの心の中に、どんな風が吹いていたか、私にはわからないが‥。
 さとうさんからは先ほど「立原の清澄さ、年を取るほどに目指したいものです」とのコメントをいただい。なるほど私はまったく別の読みをしていたことになる。解釈も、共鳴するところも人によって、時代によってさまざまだということを実感する。私の読みがただただ頓珍漢でひねくれているだけなのかもしれない。
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土門拳を見る・読む(3)

2010年05月23日 10時54分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 西芳寺を土門拳はずいぶんこだわって撮影に訪れている。苔寺といわれるほど苔が美しいそうだが、私はまだ訪れていない。
 この三点の写真は忘れられない美しさだと思う。「庭園に相対するときは無意識のうちに、枝葉末節は捨象して、基本的な構成にあずかる要素だけを抽象して、主観的に再構成して鑑賞している」「枯山水にあっても視点の移動を抜きにしては、その構成的な造形性を十分に鑑賞できない」最後に残された可能性は、質感のちがいによる描写だけである。その点でも、苔は写真に苦手な素材である。何とビロードのようなやわらかさもすべらかさも出ないことか。いわば困惑と失敗の果ての窮余の一策みたいなねらいだった」

西芳寺細羽翁苔1965

 岩を丸く覆う苔の滑らかさと半円のパターンと円弧を描く光の帯と、その光の帯を斜めに横切る樹木の強い陰。強弱、直線と曲線、明暗ともにそろった構成は、実に心をおだやかにさせてくれる。
 一見何の造作もなく撮ったように見えるが、私には、ある一瞬にその場面を目撃してから、撮影準備をして写真機を構え、一日中、いや何日も通い続けて、心に焼き付いている一瞬の再現を待ち続けて、また何枚もの失敗を繰り返してようやく出来上がったものというように私は思う。

西芳寺黄金池1959

 この水紋の写真もごくありふれて簡単に取れそうな印象すら与えるが、水面の光の具合を見計らい、十分にピントを合わせてから、おそらく小石による波紋を生じさせてシャッターを切ったものであろう。一点にしか波紋を生じさせる箇所はなかったはずで、的確にそこに波紋の中心がいくような投擲もたやすいものではないだろう。
 私はこのモノクロの写真が、光だけでなく、心のありようによって色彩の氾濫にも思えることがある。心持が激しいときにはそれなりの動的な波紋に見え、心が沈静に向かっているときは、心を静める方向に鑑賞できる。私にとっては忘れることのできない写真である。

西芳寺金剛池夜泊石1963

 この写真には光の反射も見えにくいし、時間の経過をあらわすものもない。水は流れを失い澱み、実に静的な沈黙をあらわしている。強いて動的なもの、時間に統御されるものを探すとすれば、それは岩が少しずつ池からせり出して全体像をあらわすという比喩のような岩の配列だけではないだろうか。
 あるいは水からせり出すにしたがって苔が生じてくる長い時間を表しているかもしれない。

 私は土門拳の写真、古寺巡礼のシリーズが好きだが、その中でもこのように庭や樹木を撮ったものに心惹かれる。
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きり絵「ふるさと福島」から(3)御倉邸(旧日本銀行福島支店長役宅)(きり絵さとうてるえ)

2010年05月22日 13時21分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

さとうてるえさんの文章では「日本銀行福島支店の役宅として昭和2(1927)年に建築されました。名称を「御倉邸」とし、平成13(2001)年4月御倉町地区公園として開園しました。周辺は、福島藩などの米蔵や船着場があった場所で、歴史を感じることのできる地域でもあります。そんな時代の趣を感じながら、切り取って見ました。」とある。
 幕末期には絹の集散地として栄えた福島市は東北で始めて日本銀行が設置された、とのこと。
 いつも感じるのだが、さとうてるえさんのきり絵は、建物の直線の細かい線や屋根の量感がいいと同時に、樹木の造形が私は好きだ。木の特徴を捉えているだけでなく、建物の直線のやわらかさと樹木の葉の丸みを帯びた量感の差がいいと思う。
 

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風邪をひいてしまったような…

2010年05月22日 06時34分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
一昨日から水っ洟が少し出ていた。昨夕からひどくなり、市販の感冒薬を服用して22時に就寝。薬で眠らされた感は否めないが、鼻水は楽になったようだ。
用心のため、本日は葛根湯を服用して休養日としよう。
喉に少し違和感があるものの、熱は出ていない。
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