Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

雨水

2020年02月29日 23時51分56秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 先ほど22時前に夜のウォーキングに出かけようとしたら、雨が降っていた。まったく気がつかなかった。20時くらいから降り始めていたらしい。現在も5ミリ程度の雨が降り続いている。
 本日中は止みそうもないほど広範囲に雨の区域が広がっている。今月最後のウォーキングは断念せざるを得ない。

 明日の明け方以降は雨はあがり、天気は回復する予報になっている。気温も上がるようだ。

★地に降りて雀濡れゐる雨水かな     池田秀水
★書道部が墨擦つてゐる雨水かな     大串 章

 雨水の時期である。雪が雨にかわり、一雨ごとに春を感じる。実際は積雪のピークの時期でり、寒さがピークを迎える頃合いである。今年は2月19日から啓蟄の前日3月6日までの期間を指す。
  第1句、雨が地に降るの当たり前である。しかし土に降りかかるというと如何にも雨水の気分を彷彿とさせる。穀雨も同じような気もするが、こちらはイネ科の作物の成長を促進するような気分に思える。雨水のほうが広く生物一般に春をもたらす意味合いが強いのではないか。そしてその雨に雀が濡れている。生まれて間もない雀かもしれない。雀はこの雨に負けることなく活発である。生命の息吹を感じる。
 第2句、現在書道部というとパフォーマンスを伴って威勢のよい活動を売りにしているらしい。しかし私が知っている書道部は静謐で墨の匂い(かつては私も匂いを嗅ぐことはできた)の中で書に没頭していた。初動部は運動部ではなく、漢詩を読みこなし、そして鋭い警世の一言を綴る堅いイメージであった。
 その雨水の季節の柔らかい水を浸かって一心に墨をする。その墨でどんな文字や機知に富んだ言葉を白い紙に現出させるのだろうか。静謐な教室に緊張感がただよう。この緊張は尖った緊張ではないようだ。雨水の雨のように柔らかい緊張だと思う。形容矛盾と言われそうだが、わたしにはそんなふうにしか感じられない。好ましい緊張である。

 


休肝日&休養日は早寝

2020年02月29日 21時11分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど記したように、少し世の中「殺気」立っている。コロナウィルスの脅威、というよりも政権の無策、後手の対応、与党議員や大臣のおごり、高級官僚の傲慢や忖度‥への苛立ちという側面もある。それが「休校」などということで具体的に身近に影響が出始めたためではないか。私達の生活実感・実態とはかけ離れたレベルで政策決定が行われていることが眼前に現れたきた、ということか。

 さて、昨晩はライブの始まる直前に居酒屋の席で新聞の原稿のチェックをしてもらい、いくつかの語句の間違いなどを訂正された。それを先ほどまでかかって手直し。明日には他の役員にメールで送信して最終チェックをお願いする予定。
 来週半ばには印刷所に送信できそうである。印刷所にギリギリ校正刷りをつくってもらうのは申し訳ないので、予定より速いことについては歓迎してもらえると思う。

 仕事というのがこのように早く終わるのは嬉しいものである。

 本日は休肝日&休養日。早めに就寝予定。世の中の「殺気」を感じながらも、歳とともに体はいうことを聞かなくなりつつある。少しでも衰えに抗うつもりで、これより30分ほどの夜のウォーキング。少しゆっくり目に。


ティッシュもトイレットペーパーも

2020年02月29日 18時19分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昼食後に妻とスーパー2店で食料品を購入後、ドラッグストア2店を覗いてみた。
 まずスーパーはカップ麺の棚が半分以上空の状態。しかしうどん・そばなどの乾麺はいつものとおりで特に品薄状態ではなかった。袋麺も売れ残っていた。
 来店者はかなり多く、レジの前はずいぶん並んでいた。スーパーの上の階にあるドラッグストアには相変わらずマスク・消毒用アルコールは皆無。そのうえ本日はティッシュもトイレットペーパーの棚も空っぽ。百円ショップでもマスクはなかった。こちらは狭い通路に人がたくさんたむろしており、店員が駆けずりまわっていた。消毒用アルコールのかわりの消毒剤や、トイレットペーパーの入荷予定を聞く客でごった返していた。

 妻は「みんな殺気立ってる」と評していた。我が家にはティッシュもトイレットペーパーも先日たまたま購入したばかりなので特に必要はない。店を覗いただけであったが客の目が怖かった。

 二人で買い物を済ませたのち、妻は自転車で帰宅。私は遠回りをしてウォーキング。途中もう1軒のドラッグストアをのぞいてみた。
 やはりアルコールもマスクもティッシュもトイレットペーパーも皆無。店の外に「本日のマスクの販売は終了」と表示されていた。ここも客の数がいつもより多かった。

 昨晩は生ビールを1杯と泡盛をロックで3杯。泡盛だとつい飲みすぎてしまう。しかし楽しいライブであった。小さな店だが、なかなかいい雰囲気であった。出てくるものもなかなか美味であった。


「図書3月号」から 続き

2020年02月29日 12時00分20秒 | 読書

 いつものように覚書として。今月は16編中12編に眼をとおした。

・太平洋でプラスチックごみ拾い     中嶋亮太

「‥『黒潮続流再循環域』という名前がついている。日本列島の東側に沿って北上してきた黒潮は、関東の沖合辺りで南下してくる親潮とぶつかるため、その向きを急に西に変えて黒潮続流となる。急に向きが変わるときに海流の一部が渦を巻いてしまうのだ。この渦の中にプラスチックごみが大量に集積している‥。」

「海流が時計回りに循環し、ぐるぐる回るうちに海水が内側に押される‥。海水は下に向って潜り込むが、軽いプラスチックは海の表面に留まるので、‥循環域の中心付近に巨大なごみのたまり場を形成し‥その名を『西太平洋ごみパッチ』という。」

・漱石全集の読み方(中)        赤木昭夫

「漱石が創作にいそしんだ年数は、小説が約10年にたいして、俳句漢詩がいずれも約30年、点数では俳句が約2500、漢詩が約200に及ぶ。‥(俳句と漢詩)どちらも「なりわい」とせず、「たしなみ(素養)」とした。俳句や漢詩ならではの文学形式の神髄を――東洋的な感性表現よりも、むしろ超西洋的にきめ細やかな《場面設定と展開》――を深い層で、小説に役立てた。題材や文体といった表面から東洋を引っ込め、代わりに西洋を前面に押し出し、東洋は底支えにした。‥内容も文体も高踏的で、新聞読者を捉え損なった「草枕」や「虞美人草」から「三四郎」以降の「社会小説」へ転身するなかで実現された。」

『俳句と云ふものは、自然なり人事なりの、些つとしたところに目を附けるものであるから、普通の人の気の附かぬ所を、俳句の趣味を養つたお陰で見出すことがある』
『俳句や漢詩を心得て居ると、文章を非常に緊縮させるのに有効だ。だらだらと数行を費やして書くところでも、一句、或ひは一行にして済すことが出来る場合もある。』(漱石「文話」)

・異形の場所からモノへ         赤坂憲雄

「武蔵野がはらんでいる時空の歪みは、確実に、いたるところにそうした「異形の場所」を産み出しています。東京の郊外としての武蔵野は、開発と移民の色濃い影に覆われているのです。‥いま・そこに暮らす人びとには地の記憶として継承されていません。そこには、いかなる歴史が埋もれているのか、ほんの六、七十年前には、あるいは近代のはじまりの百五十年前には、いかなる景観が広がっていたのか。その足元からの掘り起こしが、やがて近代の初期設定(デフォルト)を浮き彫りにするような方位へと、私の武蔵野学は向かうことになるでしょう。」

・見ることも書くことも叶わぬかざり   橋本麻里

・三十分の死              長谷川櫂

「リンカーンは北軍をアメリカ建国の理想、自由と平等の守護者として正当化し、南軍を建国の理想に敵対する賊軍に仕立て上げた。これが北軍の士気を鼓舞し、南軍の戦意を挫くことになる。さらに南部と友好関係にあるフランスとイギリスの動きを封じることになった。‥リンカーンは北軍の戦死者を自由と平等という建国の理想に命を捧げた英雄として祀り上げた。」

「アメリカという国家が英雄になれると約束して兵士を思うように戦わせたわけだ。言葉で人間を描くのが文学なら言葉で人間を動かすのが政治である。‥このときリンカーンは宗教の仕事である魂の救済の領域に一歩踏み込んでいた。言葉で人間を動かす政治と言葉で人間を救う宗教はいつも境界が明らかでない。」
「アメリカにかぎらず国家の奥の間で国家を動かしているのは今も昔も国家による死者の保証である。日本では明治以降、靖国神社がこの機能を担ってきた。」
「死もまた意識の消滅である。‥このときは死のサンプルを見せられたような気がした。ではサンプルの死と本物の死は違うとすれば、どこが違うのか。それとも同じなのか、今回の死のサンプルは短時間の意識消滅ですんだ。意識の器である肉体がまだ残っていたので目覚めることになった。一方、本物の死となると意識消滅だけではすまない。意識の次に肉体も消滅する。ここがサンプルと異なるが、死が消滅であることにかわりはない。」
「ところが人類には天国と地獄、極楽往生、魂の不滅、輪廻転生、自然に帰る、あるいは無に帰るなどなど、言葉が生み出す幻想あるいは妄想としか思えない死後の壮大な体系がある。これはどうしたことか。」
「漱石は三十分間、意識がなかったことを一と月以上たって妻から知らされた。この「三十分の死」は漱石にとって吐血より衝撃だった。‥「余は一度死んだ」。漱石はここから死の考察をはじめる。幽霊について、死後の意識について、ドストエフスキーが癲癇の発作のあと、経験したという恍惚感について、またドストエフスキーが銃殺される瀬戸際で皇帝の命令によって命拾いしたことなど。惜しいことにこの死の考察はやがて東京へ生還する喜びに紛れてしまうのだが、ここで途絶えたのではない。漱石の死の考察は六年後の本物の死へと深まっていった。それは水脈のように小説「こころ」や絶筆「明暗」を浸している。死の一と月前に弟子に語った「則天去私」もそこから生まれたのではないか。」

・こぼればなし

「2011年3月から九年の歳月が流れました。しかし、この長い年月をもってしても、東日本大震
災がもたらした傷跡は癒えぬままあることを感じます。大量の放射性物質の漏洩を伴う重大な事故を引き起こした、東京電力福島第一原子力発電所の現状を収束させる目処は未だに立っておりません。」

「‥(双葉町の)ふるさとへの帰還を断念された方々が六割を超えているということに、九年という歳月の重さを感じずにはいられません。いま、まだ判断がつかないとお考えの方々も、帰還が先延ばしになることで断念に傾くということがあるのではないでしようか。帰還困難区域の指定が解除されたとして、かつてのようにそこにコミュニティが再生するのか、とても困難な課題がここにはあります。」
「あの日がもたらしたものに、どうむきあうのか――九年を経ても現在進行形の問いとして眼前にあります。」


原稿づくり・講座選択・読書タイム‥

2020年02月28日 11時32分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は新聞の原稿の微調整をして打ち出してみた。本日退職者会の幹事数人に居酒屋で会うので、誤字・脱字・大まかな割り付けについて意見を聞くことが出来る。

 新年度の神奈川大学の市民向け講座の案内が届いているので、受講講座をいくつか選択してみた。まだ決定はしていない。4月からは内容だけでなく、大切なのは日程、そして受講料の算段。我が家の財産管理人の意見も聞く必要がある。
 申込は来週3日から。まだ検討の時間はある。

 午後は読書タイムを我が家と関内近辺の喫茶店で確保したい。夕方からは沖縄料理の店に行く予定。


学校休校について思う

2020年02月28日 00時50分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 小学校・中学校・高校等の救荒を総理大臣が「要請」した。木曜日の夕方になって3月すぐに実施だとのこと。
 この「休校」ということの是非は今は論じないが、決定過程に私は疑問がある。

 まず、直前に自民党の対策会議なるものが行われていたのにそこには政府から自民党に打診はなかったとのことである。いつも物議をかもす佐藤正久議員がツイッターで述べていた。

「【びっくり、正直驚いた「全国の小中学校・高校に臨時休校要請へ
来週月曜日から 安倍首相が表明」との報道】
昼の自民党対策本部会議では、政府からも説明がなかった。感染拡大防止の為の決断だろうが、各自治体や学校の現場、仕事を持つ親も含め、この週末にかけて、各種対応が必要となる。」

さらに首相動静から
「安倍さんは今日、まず北村、今井と会い、次に文科幹部を呼び、そして萩生田に会って一斉休校を決めてますね。最初に会ったのが今井と北村というのが、一斉休校が政局絡みである印象を与えますね。」
という分析・指摘も出ている。私はこの分析を前提に以下述べてみたい。

 首相は与党との協議もなく、官邸直轄で文科省幹部に伝え、大臣とはあとから話をしている。しかも他への波及もあるにもかかわらず、閣議や関係大臣との協議もせずに決めたようだ。
 私はこの過程が問題だと思う。首相であるから当然発議することは首相のするべきことであるが、物事を決めるには順序というものがあるはずだ。
 与党内の合意、政府の中での協議と波及する事項の精査と対応方法を閣議で決定することが必要である。学校の運営に関することであるから、各自治体の首長や教育委員会との調整も必要になるし、これはあくまでも要請であり、お願いの事項である。本来ならば各教育委員会の自主的な対応に任されるべきものであろう。
 そして1300万人の児童生徒だけではなく親も含めた対応になる。幼稚園や保育園などの対応も必要である。厚労省や労基署を抱える県等の理解も求めなくてはいけない。感染症という未知の状態への対処として一概に否定はしないが、異例である以上、手続きはきちんと丁寧に踏まえる必要がある。
 しかも地方自治体は、政権の与党だけの枠組みではない状況である。スムーズな実施には、当然にも他の野党とのすり合わせも必要である。

 事前にこなさなくてはいけないこと、さらに各自治体でこなさなくてはいけない会議や調整も必要になる。
 首相と官邸の数人だけで方向性を決めてしまうということはあまりに乱暴で、危険で唐突である。これを「独裁」というのである。
 民主主義というのは時間もお金もかかる。そうして人と人との合意を大切にする。それが出来ない人が政治を行うと「独裁」になるのである。
 今回の事態で、まず自民党の執行部は「総裁」が手続きを経ずに決めたことに意義を申し立てるべきである。執行部のメンツが潰されたのである。
 各大臣の意見を聞かず、閣議も開いていないのだから各大臣は異議申し立てをすべきである。自分の担当省庁に諮ることなく決められたのだから。
 そして国会もメンツをつぶされた。予算をともなう措置であるにも関わらず、予算の裏付けのない措置なのであるから。当然現在開催中の予算委員会にどのような予算項目を使うのか、編成替えをする必要があるのか、議論が必要である。
 今回の決定は、地方自治、教育委員会制度、国会、閣議、そして政府与党と協議を無視をしてはいないか。きちんとした議論・検証が必要である。
 安倍首相という人、国会での議論が本当に嫌なのだろう。いつも予算国会が終わってからいろいろと決めたがる、と思うのは私だけだろうか。
 野党は当然にも国会での議論・検証を求めて欲しいと思う。


明日も出かける予定

2020年02月27日 23時45分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夜のウォーキングは25分程度で終了。風が終日冷たく感じた。明日は最低気温が3℃、最高気温が11℃と本日より少し寒いらしい。

 明日の夕がたは友人と沖縄料理の小さな居酒屋でのライブを聞きに落ち合うことにしている。関内の駅の傍である。多くのイベントが中止になり、観光地や居酒屋は閑古鳥がないているという報道が多い。わざわざ行かなくともいいのでは、と妻に言われているが、今のところ中止の連絡は来ない。自分が罹患するリスクもあるが、同時に自分が感染源になることとイコールでもある。

 とりあえずマスクと消毒用アルコールを目薬の容器に容れて持参する程度の用心はする。


本日の夜の読書

2020年02月27日 22時28分36秒 | 読書

   


 帰宅後に読んだものは
1.「新型コロナウィルス感染症 市民向け感染予防ハンドブック」(第1.1版)
 2月25日の発行されたもので、監修は「東北医科薬科大学医学部感染症学教室特任教授・東北大学名誉教授 賀来満夫」となっている。表紙もいれて20頁の小さなパンフレットである。
 咳エチケット、手洗い、環境消毒、換気と分けて、分かりやすく記載している。特に環境消毒と換気については目新しい記述に思えた。

2.「図書3月号」から6編

★ブヨブヨ            司  修
「わたしのいる場所、その空間が歪んでいくのです。空気がブヨブヨしていて私にはそれが見えるのです。空気を吸うのではなく飲まなくてはならないのは苦しいのです。苦しんでいる私の姿を、私が見ているわけです。見ている私は少しも苦しくありません。空気は水だったのです。蓮の葉に溜まる水は飛散せずに溜まっていきます。‥大江健三郎のエッセイを読んでいると、人間の苦しみが伝わってきます。「人間の苦しみ」が重く残るのをブヨブヨにせず受け止めなくてはならないと思うのでした。‥」

 前半の臨死体験のような夢の物語りと、後半の「ブヨブヨ」云々がまだ私の中ではうまく結びつかないが、いつかフッとわかる日があるかもしれない。

★<1989-2019>の意味を問う    樋口陽一

★石巻と石巻学          大島幹雄
「『石巻学』という雑誌を通じ、今後もさまざまな場をつくっていきたいと思っている。郷土史家が「石巻は何度もいろいろなものを失くしながら、それを乗り越えてきた、クラッシュ&ビルドの街だった」と語っていたが、未曽有の被害を蒙った石巻に今回はさまざまな場をつくることで乗り越えられないだろうかと思っている。‥それが私なりの故郷の復興のために生きていくという現段階の答えだと思っている。」

★はじまりの小三治        小林聡美

★物書き出世せず         原田國男
「寅さん映画の中で司法試験受験の苦学生の口をとおして、「いやしくも、人の生命と自由と財産を守るべき裁判官と弁護士は、ゆたかな教養とのびやかな精神の持ち主でなければならない」と語られている(『寅次郎恋愛塾』)。ここに検察官が含まれていないのは山田洋次監督特有の皮肉かも知れないが、‥「豊かな教養とのびやかな精神」は人を裁く者にとって不可欠である。‥いくら法律論に長けていても、これがなければ、良い裁判はできないであろう。」

★父の襲撃            町田哲也


コブシの花芽と宵の明星と細い月

2020年02月27日 21時03分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昼間、岡の上にある団地の中は冷たく強い風が吹き抜けていた。しかし平地の降りると風は強くはなかった。



 元東横線の跡地に出来た公園では、コブシの花芽を見ながら歩いた。樹の上部では風が舞っていたものの根元は穏やか。
 サクラの蕾はかなり硬かった。少しばかり色づいた蕾をひとつ見つけた者の、高い梢の先で風に揺れ、スマホでは撮影できなかった。
 買い物に付き合ったものの、配達を依頼したため、私の役割は終了したと宣言されてしまった。ということで横浜駅方面にウォーキング。横浜駅の地下街は避けて、少し離れた喫茶店で一服。15分ほどの読書タイムで20分ほど寝てしまった。



 帰りは再び歩いて団地まで。途中で西の空に三日月と金星を見つけた。正式には昨日が三日月で本日は夕月。宵の明星である。明け方には火星・木星・土星が並ぶそうであるが、寝坊のわたしにはとても拝むことは出来ない。

 


原稿作り一段落

2020年02月27日 13時00分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 退職者会ニュースの原稿作り、現段階で私の出来るところまでは終了。写真と原稿待ちがいくつか。依頼した原稿部分は私の独断でとりあえず記載しているが、送られてきた原稿と突き合わせて必要な訂正が必要。写真も送られてくるまでは空欄にしてある。明日まで待ってから最終案である。

 一番の悩みどころは「これから予定されている行動」。コロナウィルスの感染の拡大にともない中止になるものもある。開催するか、否か、見通しがたっていない。先が見えないのはなかなかつらいものである。

 一応本日までにしなければならないことは終了。明後日土曜日までかかるか、と思っていたが、予定より早めに終了できた。

 本日は少しばかり風が強いが天気は良好。午後から早咲きの桜でも見に出かけたい。

 


ティッシュペーパーまで品切れ

2020年02月26日 23時35分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほどドラッグストアにティシュペーパーを買いに行ったら、いつも大量に置いてあるティッシュペーパーの棚が空っぽ。わずか2箱しか置いていなかった。品切れで入荷の見通しはない、と紙切れが貼ってあった。
 マスクと消毒用アルコールについで、こんどはティッシュペーパーまで品切れである。隣のトイレットペーパーはまだ棚には品物があったものの、満杯ではなかった。いってい品切れの理由は何なのだろうか。ティッシュペーパーは中国製ではないので、生産が止まっているわけではないと思われる。

 またまた基礎的な生活必需品が消えている。理由もわからない。


気休め程度のこと

2020年02月26日 21時23分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 退職者会ニュースに新型コロナウィルスによる感染症対策を記載しようとしてネットで情報を集めてみた。しかし国や県のホームページを見ても具体的なもの、読んですぐに理解できそうなものが見つからなかった。
 国・県・市のコールセンターの電話は、何時間かけ続けてもかからない、やっとつながっても具体的なことに応えてくれない、などの情報を友人からもらったので、これは記載することをやめた。

 さらに横浜市のホームページをみたが、予防対策についてはマスクの仕方、手洗いの方法、咳エチケットのことしか記載がない。具体的な治療方法がない中で、かつ検査も国の一元管理で実施件数があまりに少ない状況では「自分の身は自分で守れ」という「自己責任」にされてしまっている、という感想を持った。
 マスクも手に入らず、消毒用アルコールも販売がないなかで、どう対処しろというのであろうか。その記載がないのである。
 こういう状況下では、マスクの再利用の方法、アルコール消毒に変わる消毒方策、嗽のあり方などのきめ細かな周知が必要だが、そのような丁寧な説明がなされていない。

 国のクルーズ船での対応は、どうみても杜撰だと思われたが、そのとおりの結果となり船内感染を助長していたにすぎなかったようだ。
 しかもその間、国内感染の拡大に対する対応が為されていないことがはっきりした。官民一体となった検査体制の拡充や、医療機関の体制確立、国民向けのマスクや消毒剤の確保、大規模病院とかかりつけ医の連携の確保‥‥基本的なことが何も出来ていなかった。
 政府はクルーズ船を「見ていた」に過ぎない。

 マスクは増産中で間もなく市中に出回る、と会見で述べても一向にマスクは出回らず、手指の消毒用アルコールばかりか、台所用・食器用・調理器具用のアルコールすら手に入らなくなっている。病院も介護施設も業務用のマスク・アルコールの確保すら困難で備蓄に頼っているという。

 私の代替えの方法が有効か否かはまったくわからないが、コロナウィルスにはアルコールが有効という前提で、わたしなりのやり方を記してみたい。

★マスクは昔のガーゼマスクを利用せざるを得なくなったが、これは毎日石鹸で洗い、三つほどを使いまわしている。キッチン用のアルコール消毒液を噴霧して消毒してから外出。外出先でもときどきホテルや企業ビルの大きな病院の入り口などで手指の消毒用のアルコールを軽く噴霧している。大量に噴霧したりすぐに装着するとむせるので、アルコールが蒸発してから顔に装着。
 妻は、我が家にあった在庫のマスクを何回か再使用しているが、無くなれば先日たまたま購入できた百円ショップで購入したマスクを開封することになる。友人は工事用作業品を販売している店で作業用マスクを購入したと言っていた。しかしこれももう手に入らないらしい。

★手指だけでなく、帰宅したら鼻の周囲を中心に洗顔もかならずする。

★うがいは、アルコール含有の洗口液を倍に薄めてうがいをしている。

★消毒用アルコールはキッチン用を使用している。これも間もなくなくなりそうである。小さな噴霧器を持ち歩くことも考えている。今あるアルコールが無くなって補充出来ないときは、ウォッカ・ジンなどの蒸留酒を代用するしかないと思い始めた。当初冗談で言っていたことがだんだん現実味を帯びてきた。匂いが心配であるが、私はさいわいなことに嗅覚異常である。

  しかしこの程度のことは気休めに等しい。もういつ罹患してもおかしくない情勢のようであり、罹患したら自分の体力を信じるしかない。せめて家族にうつさないようにしようとしても、同居している妻は当然陽性反応になるのであろう、

 この政権発足以降、風水害の危機管理に対する政府の無能ぶりが際立っていた。対策以前に災害の都度、宴会や酒宴に明け暮れている政治家連中を見せつけられてきて、うんざりしていた。それこそ時代劇の悪代官や「バカ」殿様のようなものである。私が現職の頃ならば、上司や同僚に相手にされなくなるような振舞いだったと思う。もはや今の政権を頼りにしてはいけないところまで来ている。


目の疲労回復と肩こり解消

2020年02月26日 13時44分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 退職者会ニュースのおもて面の9割がたは出来上がった。写真が大量にあるので、割り付けが難しい。細かな割り付けの修正にさらに時間がかかる。大量の写真を貼り付けると単調な割り付けになってしまう。うまく分散して配置できればいいのだが、センスが問われる。ここらへんになると正式に構成や割り付けの基本を学ばず、独学でやってきたことの限界を思い知らされる。基本を学んでいなくとも例えば集団でひとつのものを作り上げる実践をこなしていれば多少はセンスも磨かれるのだと思う。

 昼間の作業はこれまで。目もだいぶ疲労してきた。先ほどまでタオルを熱く蒸して、目の上に置いて10分ほど休んでみた。これはずいぶんと楽になる方法である。本当はお風呂場で湯船につかりながら実行するといいのだが、昼間からそんな贅沢も出来ない。

 これより「不要不急の外出」。外は微かに雨が落ちてくる。気温もあまり上がっていない。体を動かして、肩こりも解消しないとつらくなってきた。

 


コロナウィルスの蔓延の影響が‥

2020年02月25日 23時32分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は新聞の編集作業は休止。明日から再開。明日・明後日で一応出来上りそうである。予定よりは数日早いのがうれしい。

 かといって早く仕上げられても、これだけ外出が自粛と騒がれていると美術館巡りも少々億劫になってくる。

 28日には横浜市内の沖縄料理の小さな居酒屋でライブがあり、申し込んでいる。それは果たして実施するのであろうか。
 5日に行なわれる予定であったカジノを巡る講演会は残念ながら中止との情報もある。

 本日はこれにて就寝。