Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

永瀬清子詩集から「月について」

2024年05月11日 21時15分56秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 「永瀬清子詩集」を一昨日からめくっていた。1954年の詩集「山上の死者」に「月について」という詩があった。作者は1906年生まれ、1995年89歳で亡くなっている。作者が48歳ころの作品であろう。

 月について     永瀬清子

 東の空に燃えるように懸かっている月は
 今わが肺腑から噴き昇ったのだ。
 彼女の裏側の峨々たる山水は人にみえない。
 その山巓は死の輪をはめている。
 そこには樹もない水もないのだ。
 千仭の瞼と寂寥の唇。
 その裂け目は何万年もふさがらないのだ。
 汝は輝く反面もて人に対う
 けれども力尽きてやがてそれは欠けゆくのだ。
 (略)
 地上では山や谷は絶え間なく風化するが
 お前の山水は常に変わらず屹立している。
 お前をなだめるものは何もない。
 静かにお前の軌道を変えようと誘うものもない。
 今炎のように燃えさかっている月よ。
 枯れ且つ輝けるわが魂よ。

 不思議な詩で何を何に例えているか、言葉は優しいが、わかりにくい点もある。しかし私は最後の「今炎のように燃えさかっている月よ。/枯れ且つ輝けるわが魂よ。」に惹かれた。
 今ではすっかり解ってしまった月の裏側の様子だが、当時はまだ画像として披露はされていなかった。しかし想像される景色を「枯れ且つ輝けるわが魂よ。」と結んだところに大いに惹かれた。
 まだ読み込まないとわからないところもあるが、繰り返し味わってみたい言葉が並ぶ。
 たまに詩を読むと、自分の想像力の貧困、言葉に対する感覚の摩滅を実感して、情けなくなる。


「魔女狩りのヨーロッパ史」第4章

2024年05月11日 18時45分30秒 | 読書

   

 本日は横浜駅近くのいつもの喫茶店で「魔女狩りのヨーロッパ史」(池上俊一、岩波文庫)の第4章「魔女を作り上げた人々」を読み終わった。

魔女狩りの最盛期は16世紀後半から17世紀半ばである。主要な悪魔学書が出版されるのも16世紀からである。正確には近世ないし近代諸島の出来事なのだ。しかしそれで中世が免責されるわけではない。なぜなら中世においても、魔女を仕立て上げる心的装置が着々とつくられていたからである。13世紀後半から14世紀前半にかけて、魔女狩りを正当化するイデオロギー的な基盤を作った神学的・教会法的な趨勢があったとされている。

ヨーロッパに限らず、ほとんど世界じゅうの前近代社会において、日常の困難や危機回避のために呪術にすがる慣行は遍く広がっていた。

初期中世に悪魔の幻惑・妄想=異教的迷信と位置づけられて反転して、現実に起きている悪行と見なされる必要があった。悪魔が神から独立した悪行能力を手に入れ、人間界において物理的・身体的に現存して行動するとの考えが登場したからこそ、魔女と悪魔の物理的・肉体的交渉が可能になった。同時に魔女が「自由意志」で悪魔と契約を結ぶ主体となり、悪の力の行使者としての責任を負い裁かれねばならない、という考え方への転換もあった。

悪魔学者の著作中に描かれる組織化された構造物、サタンと属僚たちの階梯によって秩序立てられた「悪の王国」のヴィジョンが、集権的なキリスト教共同体や国家の実現を図る聖俗権力の伸長に力を貸すものとなっている。

 大筋では了解しつつも、まだどこか飲み込めないところがある。それがまだ言葉にならない。