Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「図書5月号」 その1

2024年05月06日 20時46分12秒 | 読書

 一応読書する気力が戻って来たような気がしている。喫茶店で短時間であるが「図書5月号」に目をとおした。
 これまでに目をとおしたのは、7編。
・【表紙】沢潟威鎧雛形 平安時代     加藤静允

・非ソシュール的言語学         今野真二

・戦時下の詩人 スリヴィンスキー氏との対話  沼野恭子
ふたたび「闇」の時代に突入してしまった現在、いったいいつになったら戦争が終わってすべてが元どおりになり、「言語を取り戻す」ことができるのかけんとうもつかない。・・(「戦争語彙集」の)見出し語として選ばれたキーワードの多くが命をつなぐものであり、市の対極にある〈愛〉であり、死を避けるための〈お祈り〉であることは、一条の希望のように思える。極度の緊張と絶望を強いられた瞬間に、人々の命を「生」の側に引き留めた事物であり、死に対峙する強度をもつ言葉ではないだろうか。

・合巻は転生する            佐藤至子

・誕生会、偶然居合わせる、言葉の音   長島有理枝

・路上より(上)              柳 広司
ウクライナに侵攻した際のロシアでさえ、国際社会に対して(受け入れられるか否かは別にして)、我々の軍事行動にはこれこれこういう理由があると弁明した。イスラエルは「国際社会は関係ない。自分たちはやりたいことをやる。実力あるのみだ」と宣言した。こんな言い分を認めたら、世界中で戦争が始まる。人類が築き上げてきた国際秩序の破綻、文明の終わりだ。

・知られざる子規俳句の一面       復本一郎
「写生」俳句に熱中していた子規ではあったが、同時期、一方では「本歌取」「本説取」に挑戦していたことが窺えたであろう。こんな子規の存在も忘れてはなるまい。

 


ドビュッシー「ベルガマスク組曲」ほか

2024年05月06日 13時57分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日はドビュッシーの作風が確立されていた1914年の作品「12の練習曲」ほかを聴いた。私には馴染めない曲だったので、今度は初期の作品としてベルガマスク組曲などが収められているCDを引っ張り出してきた。演奏は昨日と同じくミシェル・ベロフ、1996年の録音。
 表題の「ベルガマスク組曲」を聴いてみると、「12の練習曲」とはずいぶん違う印象であることが解った。ビアノの音が散りばめられたように煌びやかに響いてくるが、私でも理解できるように、メロディーに乗って、時間の流れの中で散りばめられている。
 極端な強弱の飛躍もない、テンポの変化にも私はついていける。しかし「ベルガマスク組曲」と「2つのアラベスク」、「ノクターン」ならびに「ピアノのために」を除くと、習作的な感じがする。
 解説によると「印象派、あるいは象徴派と語られるドビュッシーの作風が確立するのは1890年代に入ってからである。このアルバムには、彼の個性と書法が次第に形づくられていく過程のピアノ曲が収められている」と記されていた。

 このCD、購入した記憶がない。ということは購入してから多分聴いていないか、聴いても一度位しか聴いていないと思われる。しかし今回、「ベルガマスク組曲」は気に入った。是非聴き続けたいと感じた。「ピアノのために」という3曲からなる曲に馴染むには時間が掛かりそうである。第2曲の「サラバンド」は面白い。


シュレッダー

2024年05月06日 10時23分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日は、子どもの日。風邪はかなり回復したようなので、暑かったが妻とふたりで家電量販店に出向いた。クーラー購入時に手に入れたエコポイントを使って、懸案のシュレッダーを購入。9000円に届かない値段で気に入ったものがあった。裁断片はそれほど小さくはないものの、十分な細かさに思えた。A4普通紙5枚が限度。この値段ではこの程度が相場と思われた。
 地下通路も家電量販店の中もかなりの賑わいであった。シュレッダー購入後はさらにいくつかの食材を購入。その帰り際、重たいシュレッダーを持って横浜駅のバスターミナルでバス待ちをしたら、直射日光が正面から当たり、じりじりと肌に挿すような陽射しであった。バスでは日の当たらない側に座ることが出来て、助かった。

 昨日の朝で処方された薬は飲み切った。痰と鼻水がまだ出る。これがすっきりとおさまって欲しいのだが、なかなかしつこい。息を切らすようなウォーキングは無理のようだ。

 本日からは天気は下降線。曇りで強風注意報。本日の深夜から3日間は雨模様との予報。