地方で考える ●oyajiの侃々諤々

北信濃の豊かな自然と歴史に抱かれて過ごす日々・・・

ちょっと斜に構えてみれば
???と思うことも多いですね~

ともに、武田信玄に追われて上杉謙信を頼った、北信濃の武将たちです

2020-10-08 | Weblog

10月8日(木)                   15/12℃


今日は二十四節気の「寒露」・・・
まだ暖房していない6:00の室温は19℃ 
老体には寒いです

秋が一段と深まっています

 

高田ICで降りずに、上越JCTを左折、親不知を越えて越中の魚津城に向かいました
“蜃気楼の見れる街” 魚津市・・・
人口は4万1千人余りです
  https://www.city.uozu.toyama.jp/

 

この魚津城、北進してくる織田方と上杉方が激突した「魚津城の戦」(天正10年)の地ですが、今は石碑が城跡を標すだけで、石垣も堀もなく、ちょっと期待外れ・・・

魚津市のHPには

――魚津城は、15世紀ごろに松倉城の支城として椎名氏によって築城されたといわれています。永12(1569)年、上杉謙信が椎名氏を破ってからは、上杉氏が魚津城を支配するようになりました。魚津城は越中・越後を結ぶ北陸道の押さえとなっており、また松倉城への主要ルートと考えられる角川河口にあり、陸海の交通の要衝となっていました。

(魚津市のHPより)

かつては松倉城の支城・・・
ということなので、早々に松倉城へと足を運びました
角川に沿って上流の鹿熊地区へ・・・・
かなりの山間でしたが
「ダムを過ぎると松倉城に上る道があります」
「本丸下まで車でいけますよ」
・・・と、魚津城で発掘にあたっていた方から教えられていたので、左折して3キロ余りの狭い山道を、本丸下の駐車場まで不安ながらもいき着くことができました
「クマに気をつけてください!」
そんな注意もあったので、車にあった「クマよけ鈴」を鳴らしつつ本丸へ 


想像以上の立派な山城でした
上り階段も、石碑も、説明板などもよく整備されています
ヤマザクラの古木が林立していて、「その時期に来たいね」と女房殿と話しましたが、山道が狭いので車のすれ違いは厳しそう・・ 
魚津の「観光スポット」では上位を占めていない松倉城ですが、富山湾の眺望も含めて、十分応えられる感激のスポットです
ただしネックは “細く・長い” 山道 

 

これで、あらたに「魚津城」と「松倉城」を戦績に加えることができました
糸魚川の根知城主となった村上義清、越中方面の総指揮官として松倉城主・魚津城主となった須田滿親・・・
ともに、武田信玄に追われて上杉謙信を頼った、北信濃の武将たちです

越後(上越)、越中といっても北信濃からは高速道で1時間半・・・
北陸道は車も少なく、海も見えて、好きなコースです
駿馬のアクアもよく駆けてくれました 

 

 

先輩のOさんが撮り続けて、『ミニ展示会』にあわせて編集した旧屋代線(河東線)のビデオ映像が好評です

多くの人たちに、思い出と感動を与えています

 

リタイヤ後の、この10年・・・・
屋代線存続運動では、現役時代とは違ったいろいろな体験と、多くの人との出会いを重ねることができました
会社の突然の廃線表明に、怒ったことーー
「乗って残そう!」に取り組んだことーー
行政や議会に、存続を働きかけたことーー
力及ばずして廃線が決まり、最後は「ありがとう屋代線!」と感謝の気持ちで見送ったことーー
DVDは、そんなことの一切を記録しています
映像を残していただいたO先輩にも感謝です

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする