地方で考える ●oyajiの侃々諤々

北信濃の豊かな自然と歴史に抱かれて過ごす日々・・・

ちょっと斜に構えてみれば
???と思うことも多いですね~

仲間さんというと、あの「千代」が浮かんできます

2022-07-31 | Weblog

7月31日(日)                      35/24℃

 

 

今日も35℃ 

夏らしい暑さが続きます

ご自愛ください

 

 

 

朝ドラ『ちむどんどん』・・・

メイン舞台は沖縄で、比嘉暢子(黒島結菜さん)がいい味出しています

青柳重子(鈴木保奈美さん)をどう崩してゆくか?

注目です

比嘉家のしっかり者のお母さんは沖縄出身の女優、仲間由紀恵さん 

仲間さんというと、あの「千代」が浮かんできます

 

 

 

大河『功名が辻』は2006年(平成18)の放送でした

もう16年も昔です  

 

 

その1年ほど前・・・

愛車カローラ で高知を目指しました

ナビであたると10時間 

朝4時にスタートして、ノンストップなら午後2時には到着できる計算です

朝が苦手な女房殿を起こし、4時過ぎにはスタートしました

 

 

 高知道・・・

中国山脈を縦断するとはいえ、山と谷の連続で、あれほどトンネルが多いとは想像外 

四国出身の大江健三郎作品には、しばしば森と谷のイメージが登場してきますが、走ってみて納得です

隔たれた谷間には、まるで聖なる「森のギー」が棲んでいるかのようでした

 

 

 

 

 

 

 土佐は山内24万石・・・

高知城天守への石段脇に、“馬と一豊の妻” の像がありました

山内一豊は尾張出身の信長家臣で、その後は秀吉の側近となるも関が原では福島正則、加藤清正らとともに東軍側・・・

その「功」なりての、土佐一国でした

『功名が辻』は後の放送ですから、司馬さんの小説を読んでの土佐だったのでしょう

『龍馬伝』はもっと後ですし・・・

 

 

高知城に何故、馬と「千代」?

ー-まだ安土城下の頃のこと。馬市に東国一の名馬が出されたが。高価で誰も手が出ない。千代、嫁入りの懐金十両をポンと夫に。馬の良否は戦働きでは生死を分かつ。同時にステータスの証。

 

司馬さんは「功名が辻」で一豊と千代を描きましたが、当時の見つけた毎日新聞のレポートには 

ー-千代は司馬遼太郎が描いた他の人物との共通点があるようにも思われる。すなわち『播磨灘物語』の黒田官兵衛であり、あるいは竹中半兵衛だ。黒田官兵衛は優れた知略を発揮するが、それは決して物質的欲・名誉欲のためではない。知略の背景には古典的教養とモラルがあり、自らの能力を発揮してみたい…という芸術家の表現欲のようなものとして描かれる。
一方、千代の知略もまた、物質・名誉欲は希薄で、「どうせなら夫を一国一城の主に仕立てあげてみたい」という、自分の能力を発揮してみたい、という一種の表現欲であった。

 

 

納得しました

千代像の脇に立ったわが女房殿・・・

写真をパチリ 

 

 

夫、未だ功名ならずも今日あるは “糟糠の妻” のお陰?!

あの時のわが愛馬は、その頃求めし ”黒毛のカローラ”  1800 ・・・

小市民にして誠に相応しく、働きすこぶる良なり!

 

 

「国盗り」や「出世」などにカリカリせず、マイペースな生き方をするのもひとつ・・・

「自らの能力を発揮してみたい、という一種の表現力」 

その視点と意欲はなくてはならないとjiiji は思います

言われたことしかやらないで禄を食んでいては、千代に笑われてしまいます 

 

 

翌朝は、日曜市・・・

輪島の朝市も魅力ですが、こうちのそれは品物のレパートリーが豊富でした

手作りの銅版製品を売る、初老の職人さん・・・

話がはずんでつい買う羽目に 

恕露(じょろ)、8000円也

使うにはもったいないような製品です

 

 

 

 

話しが「昔」になりました

これも「老害」 

☟ 心します!!

 

《【漫画家・弘兼憲史が教える】やっかいな “老害ジジイ” にならないため定年後の男性が自覚すべきたった1つのこと》   (7月30日DIAMONDonline)

 

弘兼さんの答えは「謙虚であること」・・・

どうしても

過去の「自慢話”になってしまったり、上から目線の物言いになりがちです

心します

 

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「前世」にも、ツボにも、サタンにもつながらない・・・

2022-07-30 | Weblog

7月30日(土)                     35/24℃

 

 

散歩の途中で見かけた、桑の木・・・

蚕の餌ですね

今は珍しくなりました 

 

 

わが家も養蚕農家でしたから、かなりの期間は蚕と同居 

桑の葉を食べるザワザワとした音・・・

独特の臭気・・・

子どもも手伝った桑の葉摘み・・・

リンゴ栽培以前には、米と並んで家計を支えてくれました

母も叔母も、義母も「紡績女工」を経験しています

 

 

 

 

☟ こちらは人間様の ▢▢・・・

近くにできた、昼だけ営業のそば店です

これが美味い!!

いつも満員状態なので、早目に出かけます

 

 

 

 

 

 

古希を超えた「団塊」ですが、小学校のクラスは52人でスタートし、2年生の時に1人転入があって53人に・・・

学年は3クラスありました

今は1/3ですから、まさに時代を感じます

 

 

すでに7人(?)が旅立ちました

53人の名前・・・

どこまで覚えているか書き出してみました

なんとか51人まで 

あとの2人、ゴメン!!

みんなどうしているだろうか?!

新型コロナで、同級会も間が空きました

 

 

 

 

 

 

「前世」にも、ツボにも、サタンにもつながらない・・・

☟ ”寂聴教” の説法は、納得の内容です

 

《人生相談「家にいる夫に息が詰まる…」在りし日の瀬戸内寂聴さんの回答は?》   (7月29日YAHOO!JAPANニュース/ハルメクweb)

「・・・それまで、夫に養われていたという恩を思い出すことです。この夫と結婚したから子ども、孫も生まれたと、少し感謝してみるのです。そして、そんなに夫が年を取ったのなら「今度は私が働かせてもらうわ」くらいに、あなたが元気を出さなきゃ」 

 

共働きを通したjiiji baaba にはあてはまりませんが、「昔とった杵柄(きねづか)」で請われるbaaba は、週に数時間パートで働いています

職場から刺激パワーをもらい、僅かではあっても収入は孫たちに使えます

 

☟ 95歳の時寂聴さんは

 

《瀬戸内寂聴さん。寝たきり生活、がん手術を経験して》   (2020年7月1日ハルメクweb)

「・・・だから私、法話では三途の川をこんな笑い話にしているんです。「今はね、高齢者人口が増えて、渡し船じゃ入りきらないからフェリーよ」って。向こう岸には、前に死んだ人が並んでいて、「あら、遅かったわねー」なんて言ってくれて、その夜は歓迎パーティーを開いてくれる(笑)。そんなこと、あり得ないとは思いますけどね」

 

あり得ないこととわかってはいても、閻魔大王や地獄の話と比べて、なんと明るく、平安なことか 

そして ☟  

 

《【インタビュー】加藤登紀子(歌手・78 歳)「人生の終わりを悟ったら、自分で飛行機のチケットと宿の手配をして旅に出たい」》   (7月29日サライ)

 

その気持ち、わかる気がします

登紀子さんも78歳になるんですねぇ 

(まぁ、jiiji も同じようなものですが・・・)

そこは50歩、100歩!!

お互い、はなたれ小僧です

 

 

 

 

午後には ☝ こんな空と、遠く雷鳴が聞こえてきますが、ここ辺りは軽い雨です

今日も予報は 

どうなるでしょう?

 

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「旧い写真の物語」

2022-07-29 | Weblog

7月29日(金)                       34/22℃

 

 

 

 

何のスジ?

よく見たらおびただしい数の、アリの行列でした

行きも

戻りも

絶え間なく続きます

どこから、どこへ?

この大移動は何ごとが起こったんでしょうか?!

 

 

 

 

 

 

歴史グループの「会報」に  ”旧い写真” の連載を始めました

歴史や文化を証言する 昔の写真・・・

しまい込まれたり、散逸したり、処分されたりする運命にあります

そんな写真にスポットをあてたいですね

 

 

住民活動で ”旧い写真” の発掘・保存に取り組み始めたことがあります

勝手に名付ければ「昔の〇〇を写す写真の保存事業」 

残念ながら途絶えましたが、その思いが今の ”旧い写真” の連載につながっているのかもしれません

 

 

N寺の先代住職さんは、写真が趣味・・・

2009年の暮れも押し迫った頃のこと 

寺を訪れて何枚かを複写させていただきました

そのうちの3枚

 

☟ ❶ 馬を使った水田作業の光景です

 

 

☟ ❷ 背負子(しょいこ)ー-懐かしいですね

義母もこんな感じで、山の水田から家まで稲を運んだそうです

今は山林に戻っています

 

 

☟ ❸ 20数戸の小集落ながら、たくさんの子どもたち・・・

団塊前後、まさにjiiji たちです

やがてこのパワーが「高度経済成長」をもたらしました

母親たちは、お揃いの質素な「婦人会服」です

公式な場は、いつでもこの緑の服でしたね

 

 

 

 

その頃の、別の写真では・・・

☟ 馬耕の講習会風景です

”母ちゃんパワー” が戦後の農村を支えました

Aさんの所蔵写真です

 

 

☟ 今ではすっかり機械化された稲作ですが、この写真は耕運機(トラクター)が普及しはじめた頃ですね

農協による展示会でしょうか?

並んでいる耕運機は、隣市の地元メーカーの製品です

「大栗のトラクター」の垂れ幕が見えています

Tさんの所蔵写真です

 

 

 

私的なものでは、結婚式や出征の時くらいしか写真がない時代・・・

その意味でも貴重な記録なのです

 

 

 

 

語呂からすれば、今日は、当然「肉の日」 

毎月29日は「肉の日」でした

とにかく、肉は ”御馳走” 

めったに食べることはありません

父が、時々買ってきたのは「切り出し」?!

端切れの部類・・・

それでも食べれるのは、贅沢だったのです

あの日々にも、感謝!!

 

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「公募」「自費負担(25万円)」が大前提で、肩書も、年齢も、男女も問わない「市民型」でした

2022-07-28 | Weblog

7月28日(木)                      31/23℃

 

 

 

お盆(旧盆)が近づきます

with コロナの、3年目のお盆です

 

 

 

 

家庭菜園程度は楽しんでいますが昨日は

スーパーで出会ったOさんからは   「〇〇ちゃん、キュウリはあるかい?」

親戚のIさんもからも電話で   「野菜いる?」

すぐにナスと、キュウリと、ズッキーニが届きました

皆さんのお心遣いに感謝、です

 

 

 

 

 

美味しそうな丸ナス・・・

子どもの頃なら、この時期は「おやき」(蒸かし) 

砂糖味噌を挟んだ肉厚の丸ナスがよく合います

カボチャやダイコンも具になりましたね

まぁ

米は貴重で ”粉食文化” の信州ですから、粉はいつでも貯えられていて、「うどん」「おやき」は副食としてよく食べました(食べさせられました)

 

 

 

 

 

 

 

今年は《日中国交正常化50周年》・・・

祝賀ムードはありません 

 

 

日中共同声明は1972年(昭和47)9月29日、両国首相により調印されました

さまざまな分野で友好は盛り上がりをみせ、この「まち」も、1981年(昭和56)に河北省石家荘市と友好都市を締結します

そんな中で実現したのが「職員友好訪中団」・・・

職員組合が提案し、時の市長が参道・協力して実現に至りました

いわば  ”草の根レベル”  

公募」「自費負担(25万円)」が大前提で、肩書も、年齢も、男女も問わない「市民型」でした

 

 

 

1982年(昭和57)・・・

jiiji にとっては忘れられない1年でした

❶ 職員組合の休職専従を担当

❷ 待望の長男が誕生

❸ 念願だった連続燃焼式の450トンごみ焼却炉が竣工

そして

❹ 第2回職員友好訪中団として石家荘市を訪問

海外は勿論、飛行機に乗ることさえも初めてでした

 

 

まだ、鄧小平さんの改革開放路線が始まった頃 

眠れる ”巨龍” は目を覚ましたばかりでした

第2回職員友好訪中団は、女性4人を含む20人・・・

観光旅行では味わえない4泊(2泊は北京)の「小さな旅」でした

☟ jiiji の思い出メモから、その一コマ

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

6月3日(木)

 雲一つない快晴。ガイドの胡さんの日本歌のテープがバスに流れる。全員快調!北京の風景もすっかり見慣れ、もうだいぶ長くいるような気分。消防署(メンバーにも消防職員が2名)、パンダの北京動物園、故宮を訪問。故宮の“お宝”には圧倒される。16時45分、パキスタン航空で北京空港を離陸し、帰国の途に。かくして、第2回の友好訪問は大過なく終了した。

 あれから40年。中国は経済大国となり、目覚めた龍が天空を凌駕するかの如く。日中間は、尖閣列島問題を契機として極度に悪化。こんな時こそー-の思いだけが空回りする今日である。

 団長・秘書長として3度訪問したTさんによると、訪問は市民にも輪を広げて9回まで続いたという。戦争は人と人が引き起こす。どんな時でも市民友好の根は絶やしたくない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

女房殿の誕生日は、ささやかな外食でした

「食」というよりは「飲」です 

「食」は、握りを少々・・・

やっぱりマグロはいいですね

 

 

所帯を持った頃のことを思い出します

最高の贅沢は、ボーナスの時に、「中トロ一人前」を二人で食べることでした

 

 

 

 

 

 

《「鎌倉殿」13人→次回激減1けた危機か 元気な千葉の爺さんより先に まさかの愛すべき御家人たちも》   (7月27日デイリー)

「・・・伝わるところでは、千葉の爺さんが天寿を全うする前に、13人宿老は大きく人数を減らすことになり、ネット上でも「ちょっと待って」「もしかして退場なのか」「悲しい」「寂しい」と反応する投稿が相次いでいる」

 

権力闘争・・・

いつの時代でも同じです

「戦い」はなくなりません

千葉の爺さん 

82歳の天寿までその戦いに関われるなんて、ある意味で、幸せでしたね

武士として「生きた 仕えた 戦った」でしょうか・・・ 

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そちらでも、大忙しでしょう?!

2022-07-27 | Weblog

7月27日(水)                      30/23℃

 

 

小説は読んだことがありません

だから

作家瀬戸内寂聴さんではなく、頼りになったオバチャンに「別れ」を告げます 

そちらでも、大忙しでしょう?!

 

《瀬戸内寂聴さんの「最大のホラ」は…林真理子さん語る お別れの会》  (7月26日毎日新聞)

「・・・作家の平野啓一郎さんは「弔辞を読んでね」と頼まれたことがあると明かし、「どこか不死身の人のように思っていた。(フランスの小説家)スタンダールの墓碑銘『生きた、書いた、愛した』を気に入っていらして、その通りの人生でした」としのんだ」

 

 

 ところで、スタンダールの『生きた書いた愛した』はいいですね

そうありたいものです

 

 

 

 

 

 

岡山県高梁市は、思い出が深い地です

最初に訪れたのは40代の頃・・・

出張の帰路でした

「ぜひ寄ってみてください」

歴史好き、山城好きの後輩W君に「備中松山」を勧められました

それが高梁市です

 

 

 

 

以来何度か訪れることになります

山城は方々攻めましたが、天守閣が残る ”天空の城” 備中松山城はやはり格別 

二度目は女房殿の 「加勢」もえています

 

 

 

 

 

 

高梁駅前の、N食堂さんとの出会いも今では懐かしい思い出です

話し好きなご主人で、息子さんは松本歯科大卒・・・

信州との縁がありました

「店の後継ぎがいないので、いずれ閉店です」

 

 

 

 

 

その後は河井継之助と山田方谷とのくだりー-に関心が移ります

司馬遼太郎の小説『峠』です

あらためて「備中松山」に惹かれ直しました

 

 

方谷の生地、西方村(現、高梁市中井町西方)を訪ねたのは、4年前の1月20日でした

JR伯備線の方谷駅から高梁川の支流沿いに遡ります

 

 

☟ 西方の「方谷の里ふれあいセンター・方谷資料室」です

 

 

☟ 近くにある、方谷の墓も詣でることができました

ノーアポながら地元のOさんのご案内・・・

感謝!!

 

 

☟ 礼状への、Oさんからの返信には

ー-司馬遼太郎の「峠」の文中では「別れる朝、継之助は門を辞し、丸木の橋を渡って・・・」とありますが、橋は一度も架かったことがありません。下僕の柴倉浅太郎が操っていた渡し舟のみが唯一の交通手段で、ちょうど現在架かっている橋のあたりにあったそうです。なお継之助は別れの際河原で土下座しますが、それを見ていたであろう榎が今も残っていて「見返りの榎」と名付けられ皆に親しまれています。」

 

 

 

☝ ここは、jiiji が一番惹かれる場面!!

河井継之助の人となりを感じています

方谷駅辺りに、継之助が学んだ方谷の私塾「長瀬塾」がありました

並行して流れる高梁川・・・

見送る師、方谷に対岸で土下座して礼を述べる継之助の姿が浮かんできます

師 

佐藤一斉」ー-「山田方谷」(佐久間象山も門下)ー-「河井継之助

バトンリレーされていきます

 

 

 

 

 

 

残念ながら、その辺りの高梁川の写真がありません

伯備線・・・

45年前、新婚旅行で出雲に向った懐かしい鉄路でもあります

 

 

 

 

 

気にはなっていたマイナンバーカード、ようやく発行してもらいました

マンtoマンで窓口対応してもらえるのはありがたい 

あまり使うこともないと思いますが、一つ肩の荷が下りた感じです

 

 

 

 

 

その語呂合わせがよく理解できませんが、とにかく今日は「スイカの日」 

この時期にふさわしいですね

子どもの頃は、お盆にスイカを仏壇に供えました

食べるのはその時くらい・・・

今はいつでも食べられます

☟ わが家の家庭菜園では、今年もお盆用のスイカが成長しています

孫たちといただきます

 

 

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「千葉の爺さん」・・・

2022-07-26 | Weblog

7月26日(火)                      34/23℃

 

 

あと僅かで「文月」、7月が終わります

「ウクライナ戦争」「安部元首相暗殺」「新型コロナ猛威」 ets・・・

暗く重い月でした

「葉月」が明るく希望に満ちていることを、願っています

 

(家庭菜園のスイカが大きくなっています)

 

 

古希」は過ぎました

もう爺婆であることは間違いありませんが、お互い「年取った」は禁句にすることにしています

気持ちの持ちようは大事ですから・・・

 

 

「千葉の爺さん」・・・

岡本信人さんも、いい味だしています

演ずる千葉常胤は享年84歳の長命で、梶原景時が討たれたのはその前年ですから、第28回「名刀の主」の時にはもう82歳くらい 

 

《「鎌倉殿」千葉の爺さん 生きてるじゃねえか!ネット爆笑「今週も元気w」「千葉殿にあやまれ」》   (7月25日デイリー)

「・・・ネットには「千葉の爺さんまだ元気w」「千葉の爺さんまだ生きてた」「血気盛んなだけで癒される」「千葉の爺さん参戦w」「もうすぐ死にそうな千葉の爺さん今週も元気だなw」「千葉殿にあやまれ」「千葉の爺さん、ホンマ元気やな」と爆笑が広がった」

 

「千葉の爺さん」の愛されキャラで、末長く残りそうです 

それにしても、どこでも「声」はネットから・・・

「そうか・・・」程度にしか受け止めませんからどうこう言うつもりはありませんが、記事づくりが ”楽な時代” になりましたね

取材の必要もなくなりました

 

 

 

 

 

いつも、シャキッとした爺婆でいたい!!

そう思っています

それには、どうすればいいか?

 

《65歳を過ぎて「深みが出る人、出ない人」の決定的差【精神科医が解説】》   (7月24日COLD NLINE)

「・・・このように、老年期に入ると、いろいろな意味での喪失体験からネガティブな考えに転じやすくなる人もいます。しかし、喪失体験を受け入れつつ、中年期までに培ってきた自分に対する愛と肯定感をもって自分をとらえ直すことができれば、内面に広がりと深さが増し円熟してきます」

 

中年期までに培ってきた自分に対する愛と肯定感ー--

それって、昔話に通じません!?

であれば救われますが 

昔話は得意なのです

 

 

 

 

 

 

山懐の小さな集落に生まれ育ち、裏山は格好の遊び場でしたが、尾根でつながる高い山々までは踏み込んでいません

依然、未知の山です

 

(このレベルは子どもの遊び場でした)

 

「山登り」を楽しむという感覚はありません

きのこ採りや冒険は、せいぜい裏山まででした

その支脈の突端に、十九ヶ塙(つづがはな)があります

数えきれないほど前の道を通っていますが、実は、その岩場に上ったことはないのです

先日、人生初めて!!

ヨタヨタ挑戦しました

石造物は「大正記念燈」と、地蔵さま・・・

千曲川の流れと関連があるのでしょうね

 

 

 

 

 

 

 

「会報」次号の準備をボチボチ始めました

まだ3月ほど時間はありますが、何でも直ぐに間に合うものばかりではありません

原稿の依頼もあります

年3回の発行は、ボケ防止にもなりそうです

感謝!!

 

 

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あの「太閤」も、「今太閤」も僅かな年月・・・

2022-07-25 | Weblog

7月25日(月)                      35/22℃

 

 

 

勢いが盛ん・・・

僅か6本のトマトですが、毎日の食卓を楽しませてくれます

 

 

 

 

 

 

源義経も、源頼朝もいない『鎌倉殿の13人』です

そのドラマを面白くしているのが、女性 

 

 

”尼将軍” 政子(小池栄子さん)は勿論、北条時政後妻のりく(宮沢りえさん)、頼朝異母弟阿野全成の妻実衣(宮澤エマさん)、比企能員の妻(堀内敬子さん)、頼朝の乳母比丘尼(草笛光子さん)らが、男女同等、いやそれ以上に政(まつりごと)にもかかわっています

人のよさそうな時政(坂東彌十郎さん)や比企能員(佐藤二朗さん)は、妻がコントロールして言われるがママ 

何だか今世に通じます

 

《鎌倉殿と19人 鎌倉時代の女性を描いた書籍「女たちの鎌倉幕府」出版》   (2月15日鎌倉経済新聞)

「・・・この時代にさまざまな生き方の女性がいたことを知ってほしい。特に義時の頃は、政子のほか、阿波の局、若狭局、牧の方が政治に影響を与えた女性が多かった」と説明する」

 

 

 

 

 

確かに、源氏は僅か3代・・・

反面

執権北条氏は16代(17代とも)、約130年もの長きにわたります

その違いはどこから生じるのか?

よくわかりませんが義仲、範頼、義経らの身内を討伐してしまったことにもありますね

そのスタイルが子や孫にも・・・

結果でみれば

源氏3代は、北条氏が権力を掌握していく過程での ”神輿” でしかなかった?!

 

 

 

 

その後の、室町幕府足利氏は15代、約250年・・・

戦国期を経て誕生した江戸幕府徳川氏は15代、約265年・・・

江戸幕府を開いた徳川家康は『吾妻鏡』を愛読していたとか 

僅か3代で滅びてしまった源氏を、反面教師としたわけです

まぁ

いずれにしても200年以上も権力形態を一にするというのは、簡単ではありません

 

 

 

 

 

あの「太閤」も、「太閤」も僅かな年月・・・

田中角栄さん 

金権政治ー-はいただけませんが、なぜか、惹かれるところはあります

 

《なぜ日本人は田中角栄が大好きなのか…池上彰と佐藤優が考える「角栄神話」が語り継がれる理由》   (7月24日PRESIDENT onlin)

「・・・【池上】「コンピューター付きブルドーザー」などとも言われましたね。上京してからは、中央工学校の夜学に通って建設業で名を成した後に、雪深い新潟の人たちのために、と政治家になった。そして、帝国大学卒のエリートばかりの中で、自分の力ひとつで総理にまで上り詰めました」

 

 

 

あの頃は、西山町の生家が「観光先」でした

ここからも高速を使えば2時間足らず・・・

最近は「真紀子節」も聞かれなくて、寂しいかぎりです

 

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あまり知られていませんが、この近くにも九品の阿弥陀仏坐像の九品仏寺があります

2022-07-24 | Weblog

7月24日(日)                      32/20℃

 

 

〇〇君、上手に弾けた 

jiiji は感動です

30年ほど前の、ママのオルガン発表会を思い出しました

”世代のページ” がめくられています

 

 

習い事に通っているのは、孫のうちまだ4人・・・

「体操」「ピアノ」「水泳」「英語」「ダンス」とさまざま 

でも

ママたちの頃のような「算盤」はありません

「習字」は、今はbaaba の習い事です

そこは、時代を感じます

 

 

jiiji は全く習い事をしていません

いきなり小学校でしたから、溶け込むに時間がかかりました

「もっと積極的に!」

先生のいつものコメントです

体育 3

音楽 3

そんなところにも結果がでていたかもしれません 

 

 

では

何をしていたらよかったかとかったと思う?

「習字」も悪くありません

敢えて言えば「英語」 

つまらない教室授業で、すっかり嫌いになりました

「好きこそものの上手なれ」

 

 

夜は、二女ファミリーと家で団欒・・・

〇〇君の発表会・・・「よくでききたね  」

弟、▢▢君の水泳教室進級・・・「がんばったね  」

それに

ちょっと早目ですがbaaba の**歳の誕生日・・・ファミリーからプレゼントです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

九品仏・・・

「上品上生」

「上品中生」

「上品下生」

「中品上生」

「中品中生」

「中品下生」

「下品上生」

「下品中生」

「下品下生」

 

 

 九体の阿弥陀如来坐像では国宝の浄瑠璃寺(京都府木津川市)が有名です

 

 

 

 江戸期の作にはなりますが、九品の阿弥陀如来坐像では浄真寺(世田谷区)があります

巨大な阿弥陀坐像が、品ごとに、3つの建物に収まっています

 

 

 

あまり知られていませんが、この近くにも九品の阿弥陀仏坐像の九品仏寺があります

 真言宗の「蓮台寺」です

毎年、5月8日の「花祭り」は賑やかで、この日だけは、重文の阿弥陀さまを拝顔できます

 

(旧法では「国宝」でした)

(焼け残った1体が「重文」で、8体は江戸期に再造されました)

 

 

 

 

 

多分、九品のランクからすればjiiji は「下品(げぼん)」でしょう

仏教と言わず、信仰心は薄い口です

ただし

何処でも社寺があれば詣でる方ですし、仏像を見るのは大好きですが・・・

 

 

でも

菩提寺への高額寄付―――「生き仏の方が大事だろう!」

戒名ー-「そんなの、俗名でイイヨ!」

家意識が薄れています

50年、100年後はどうなっているでしょう

 

 

 

 

 

 

 

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「両方だね・・・」

2022-07-23 | Weblog

7月23日(土)             れ        29/20℃

 

 

7月23日は、文月の「文(ふ・み)の日」・・・

 

 

 

それって

「田舎のネズミと 町のネズミ」の話にも似ています

田舎の方がいいか?

町の方がいいか?

☟ 女優、富士真奈美さんのこの答 

 

《「田舎者の発想」と言われて…可愛がってくれた大橋巨泉さんと名だたる名監督たち》   (7月22日週刊女性PRIME)

「・・・あるとき、仕事の合間に、巨泉さんから「住むなら都会の四畳半と田舎の豪邸、どちらがいい?」と聞かれたことがあった。 「もちろん都会の四畳半でしょう」と答えると、「それが田舎者の発想なんだよ」と笑われた」

 

 

今なら「両方だね・・・」 

それぞれによさがあります

「両方を味わいたい」という贅沢 

二(三)拠点生活に、jiiji も憧れを感じています

・・・であればその二拠点は?

たまにの都会はホテルで十分ですが、冬は、雪のない暖かいところがいいですね

どちらにせよワンルームで十分・・・

豪邸はいりません

 

 

父や母は、旅から帰ると「やっぱり家が一番いいや~」が口癖でした

「住めば都」

「一所懸命」

それが生き方だったのです

 

 

 

 

 

長いこと「自分」を張ってますと、その呼び方もいろいろ 

かしこまっては「△△

あるいは一般的に「△△さん

親しい仲なら、ファーストネームの「〇〇ちゃん」です

その流れで「さん」(姉)、「ちゃん」(伯母たち)・・・

jiiji の一番お気に入りは、先輩か使う「▢▢ちゃん

F課長も、M課長も「▢▢ちゃん、今夜、イッパイどうだい?」が定番でした

そこにメンタルは生じません

 

 

 

 

 

現役を離れると、メンタルになる要因もありません

気が進まないところには出ないー

疲れるお付き合いはしないーことにしています

「去る者は追わず 来るものは拒まず」がモットーです

「老い」は拒んでも避けがたいですね

 

 

ここは、覗いてみたくなります

☟ 若々しくいられる秘訣?!

 

《「40代でも老害」と「60代でも若々しい」…ひろゆきが考える「2人にある決定的な違い」》   (7月22日PRESIDENT)

「・・・ 実業家のひろゆきさんは「老害と呼ばれる人は、過去の話ばかりして、頭が現在や未来に向いていない。一方、いつまでも若々しい人には『昔話をしない』という特徴がある」という――」

 

そこの辺りはjiiji に「痛いっ!!」 

セーブしているつもりでも「昔話」が多くなります 

明日のことはなかなか・・・・

「老害」といわずに、「経験談」として軽く流してください  

 

 

 

 

 

 

 

ますます猛威をふるう新型コロナ・・・

バイデン大統領も、感染されたようです

秋に5回目の接種へー

濃厚接触者待機を「5日」に短縮ー

それなりの対応だと思います

with コロナしか、ありません

 

 

 

 

(いい色してます)

 

今日は「大暑」・・・

でも予報では  28/21℃

もうピークは過ぎたような気がしてきます

孫NO2、〇〇君のピアノ発表会です

水泳も上達しました

パパ、ママは大変ですが、子どもの「自信」につながります

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「今も、町村が面白い」?!

2022-07-22 | Weblog

7月22日(金)                       33/22℃

 

 

ゆきつけのスーパー入り口には、いつも美味しそうな焼き芋 

孫の〇〇ちゃんばかりじゃなく、jiiji だって食べたくなります

紅天使」・・・

名前もいいですね

さて

わが家が植えたのは?

 

 

 

 

 

 

終活・・・

お金を使うのは簡単ですが、なかなか進まないのがモノを「捨てること 

 

《曽野綾子 なぜ私は「捨てる」ことに情熱をもっているのか。死後にものを残さないのは、世を去るにあたっての最大の礼儀》   (7月21日婦人公論.jp)

「・・・お墓や葬儀の準備、不動産やお金の取り扱いなどに加えて「家の片づけ・整理」もその対象に含まれるものの一つ。1931年生まれの作家、曽野綾子さんは、「人生の最期に何も残さず、跡形もなく消えたい」と考え、身のまわりの整理を進めてきたそうです」

 

またまた ☟ こんなものを見つけて、読み出してしまいました

日付は1922年、平成4年の2月

コピーにホッチキス止めの、手作りです

 

 

その17号の、一面タイトルは『きらめき のち くもり』 

友人のHさんと共同で、「新設野球場に併設してごみ焼却場つくり、そのごみ発電を生かす」ことを提案した時のことです

いわば ”迷惑施設” と ”歓迎施設” とのコラボレーション!!

「きらめき賞」として採用になり、ご褒美に2泊の「北海道視察」をいただきましたが、提案そのものは実務レベルに至って「困難」判定 

提案者へのヒアリングもありませんでした

のち くもり」ー-は、その時の心情です

 

 

 

まぁ

「捨てること」は難しいものです

☟ マイミニコミには、岩国哲人さんのことも書いていました

「いわくにてつんど」 

ちょうど30年前のことで、注目された出雲市長の時代です

 

 

 

その頃、長野県上田市で講演がありました

できたばかりの、国際音楽村の野外ステージだったと思います

多分、完成記念?

定かではありませんが、地元の羽田孜さん(元首相・故人)の関係で岩国さんが招かれたのだと思います

講演を聞きたくて、友人と2時間かけました

 

 

☟ 出てきたミニコミには

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

岩国哲人にみる 「今、地方自治が面白い!」      (1992・2・20発行)

 

 地方自治の新御三家がスポットライトを浴びているという。岩国哲人出雲市長。梶原拓岐阜県知事、本間俊太郎宮城県知事の3人だ。地方の時代と言われて久しいが、いずれも新しい状況、新しい行政ニーズを先取りしていく豊かな発想と行動力を持っているー-と言う。

 たまたま、最も関心のあった岩国の著書『男が決断する時』を読んだ。彼は、地元の熱いラブコールに応え、世界最大の証券会社メリルリンチ本社の副社長と年俸1億円を投げうったー-ことで注目を浴びた。しかし、やることも見事である。多少紹介してみる。市の文書への西暦使用、職業訓練校へのアジア青年受け入れ、総合福祉カードや「樹医」制度の導入、木製ドームの建設、出雲神伝(いずもかみでん)の開催、無許可保育所の認定制度等々。土日のサービスコーナー開設などもある。市役所にタツマキが吹き荒れているようで、「職員は ”お役所仕事” が許されず、大変そう」だと言う東大出のエリート、国際派、ユニークな発想、華麗な履歴・・・はそう驚くには値しないのだろうが、短期間にこれだけのことを実行してしまった手腕には誰しもが脱帽する。

 「今、町村が面白い」のだと言う。所帯の小さい町村は個人経営の専門店で「事業主の考えが直接的に自治体経営に反映する」し、それは「 ”ふるさと創生” で一気に拍車がかかった」らしい。県内でも ”むらおこし” が盛んである。   【後略】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

「今、町村が面白い」?!

面白いと思います

合併肯定派のjiiji ですが、「吸収」合併に陥らずに、まだ「頑張っている村や町」にはエールを送りたい気持ちです

ただ

合併しないから素晴らしいということではありません

小さい所帯を背景に、どれだけキラリとした、住民自治の政治がおこなわれているかー-だと思います 

個人事業主のメリットがどれだけ生かされているか?!

そこだとjiiji は思います

 

 

 

 

 

 

 

 ぶんかにーかおるひのもとを たーててせかいにゆうひせん

 

母校の、校歌の冒頭です

誇りをもって歌っていました

 

 

「文化」・・・

それは輝いていました

「文化勲章」「文化祭」「文化展」「文化財」「文化運動」「文化部」「文化財団」「文化会館」「食文化」「文化芸能」「文化住宅」「文化鍋」etsとあらゆる「文化」が飛び交い、そしてそれは、しっくりと戦後日本社会に収まっていたと思います

 

 

先日の歴史グループの座談の中で、jiiji が「地域の文化を・・・」なんてセリフを使ってしまいました 

ちょっと力み過ぎです

かつて

この地区が、まだ村や町だった頃には「公民館行政」が文化の牽引車でした

☟ 30年近く前の、この地区の公民館の「館報」です

 

(東山尾根に並ぶ3基の前方後円墳発掘調査:平成5年(1993)市立▢▢公民館報)

 

まだ

「地域の文化を・・・」と、声を上げる先輩たちが多くいました

地域文化を継承し、深化させようという熱意が、行政担当者にも住民にもあったのです

今は大きな中の一地区 

「地域の文化を・・・」の声は、内からも外からも聞こえてきません

気恥ずかしくなった「文化」です

 

 

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政子の深謀はドンピシャでした

2022-07-21 | Weblog

7月21日(木)                      30/20℃

 

 

猛拡大の新型コロナ・・・

 

《コロナ急拡大に手立てなく「絶望的な気分」 クラスターで医師ら感染》   (7月20日朝日新聞デジタル)

「・・・1日あたりの新規感染者数は7月13日には約4カ月半ぶりに1万人を超え、その1週間後には2万人を突破。過去最多だった2月11日の1万5291人を一気に飛び越えた」

 

マスクも、手消毒も、脱「蜜」もあたりまえ・・・

これだけ世の中徹底しているのに、どこに ”ほころび” があるのでしょう?!

 

 

 

withコロナで、いくってことですね

それもやむをえません

あれば「10日間」ー-も見直しが必要かも 

親たちも対応がもう限界です

 

 

 

《【速報】新たな行動制限“考えず” 各地でコロナ急拡大に官房長官》   (7月20日FNNプライムオンライン)

「・・・松野長官は、新型コロナウイルスの感染が拡大していることについて、「新たな行動制限を行うのではなく、重症化リスクのある高齢者を守ることに重点を置く」と述べ、保健・医療体制の確保に取り組んでいく考えを示した」

 

 

 

 

 

 

歴史グループの、新しい試み・・・

会の「在り方」や活動内容についての、座談をおこないました

そこは「一家言」を持つメンバー 

多くの意見がかわされました

「縦糸」と「横糸」・・・

「横糸」の機能こそが、組織をより活性化すると思っています

 

 

 

いきなりということもあって、今回の出席は呼びかけの半分でした

気が重い向きもあることは承知ですが、扉は叩かなければ開かない 

開かれれば、そこから何かが始まります

◆ 散逸しかねない個人持ち「資料」の保存

◆ 有線放送取材録音テープのCD化保存

◆ 中学校生徒との連携

◆ 地域版の近・現代「年表」づくり

・・・ets

たくさん「仕事」ができました

そこにストレスを感じないのは、それが「好きなこと」だからでしょうね 

 

 

 

 

 

 

 

鎌倉殿の「13人」が、決まっていく過程が面白かったですね

数の押さえはどんな時代、どんな組織でもきわめて重要 

いざという時は数が制します

 

《【鎌倉殿の13人 三谷流13人衆爆誕経過】義村“三段オチ”にネット爆笑「佐々木&千葉のじいさんは?」》   (7月17日スポニチ)

「・・・義時は頼家を支えるべく、大江広元(栗原英雄)三善康信(小林隆)中原親能(川島潤哉)二階堂行政(野仲イサオ)の文官4人と景時による5人衆を提案した」

 

北条と比企の権力争いで、人数がどんどん増えていってしまったという展開に・・・

二人の役者がドンピシャです

そして

 

「・・・義時は政子に報告。政子は了承しつつ「ただ一つ、お願いがあるのですが。もう一人、加えてほしい人がいるの。十二も十三も一緒でしょ。頼家はまだまだ若い。嫌なことがあると、すぐに逃げ出してしまいます。叔父として側にいてあげてほしいのです。十三人目はあなたです」――」

 

(4年前の、歴史グループの「鎌倉の旅」です)

 

コミカルでしたが、13人になった背景がよく感じられました

北条は時政に加えて息子の義時も・・・

政子の深謀はドンピシャでした

 

 

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『 ”なおとみ流” リサイクルのヒストリー』に誘われて・・・

2022-07-20 | Weblog

7月20日(水)                      31/22℃

 

 

黄門さまなら「助さん、格さん、懲らしめてやりなさい」ですよね  

勇気ある高校生の心身を傷つけた罪は、2年でも足りないくらいです

 

《電車内で高校生に暴行 “遅刻”で30分近く裁判遅れ… 元ホストの男に懲役2年の実刑判決》   (7月19日日テレNEWS)

「・・・宮本被告は走行中の電車内でたばこを吸っていた際、それを注意した男子高校生に土下座を強要した上、殴る蹴るの暴行を加え大ケガをさせました」

 

 

「見て 見ぬふりをする」

「触らぬ神に 祟りなし」

そうなりがちです

jiiji にも、見て見ぬふりをした、勇気なき過去の「汚点」あり!

いつまでも消えません

高校生の、正義感溢れた勇気を賞えます

 

 

 

 

 

 

 

 

美味しそうに実りましたが ☟ これは!!

確か、鉢から庭におろした木です

杏のようにも見えますが、梅は生食には向きませんね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は、 ”なおとみ流” の直富商事を訪ねました

20年ぶりくらいになります

”なおとみ流” リサイクルのヒストリー』を読んでいますので、昔の「見方」や「受け止め」とはいささか違ってきます

見たかったのは

◆ リサイクル展示館「なおとみ資源の森」ー

◆ 保存されている鉄橋や電車ー

 

 

会社はすっかり変貌していました

昔のイメージとは大違い・・・

飛躍ぶりがわかります

当方、いつものようにノーアポ                              

受付の女性を含めて、4人の方と接しましたがいずれも気持ちよい対応ぶりでした

 構内に移転設置されている鉄橋にも、電車にも、「物語」と経営者の「理念」が込められています

 

 

 

 

”なおとみ流” リサイクルのヒストリー』(信濃毎日新聞社発行)の著者、杉本さんにメールを入れました

「ごぶさたしています」と返信されています

朝日新聞の記者だった杉本さんとの出会いは、屋代線存続運動・・・

jiiji は現役をリタイヤし、ボランティアで住民活動に携わっていました

10年以上前になります

以来

年賀状だけの「一期一会」ですが、”なおとみ流” で再びつながるとは夢にも思いませんでした

 

 

 

 

 

 

 

現役の頃なら、今日20日は「給料日」・・・

袋入りの、現金をもらっていた前段ー

振り込みになって、明細書を見るだけになった後段ー

今はそれもなくなって2か月に一度の年金を待つだけです

勿論、楽しみのボーナスもなし 

給料を貰えた現役時代のありがたさを感じます

おかげさまで両親を支え、3人の子どもを育てることができました

感謝

 

 

 

 

 

 

 歴史グループの、新しい試み・・・

有為のメンバーによる ”ミニ座談会” を設定しました

会の「在り方」や、活動内容について意見を交わす目的です

通常の役員会にはないものを求めます

 

 

いきなりということもあって、今回の出席は6、7人・・・

気が重い向きもあるでしょうが、「楽しく」がモットーの、マグロ型 jiiji です

よろしくお付き合いの程を、お願い申し上げます

さて

どんな展開になるでしょう 

 

 

 

 

 

 

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なにしろ2通ですから・・・

2022-07-19 | Weblog

7月19日(火)                       29/22℃

 

 

 

「おもろいやん」

 「これにしましょ!」 

 

 

 

《「言いたくなる」大阪・関西万博公式キャラの愛称が「ミャクミャク」に決定、SNSでも反響大「生々しい」》   (7月18日YAHOOJAPANニュース/Lmaga.jp)

「・・・一般公募が4月にはじまり、全国から3万3000通以上もの応募があった同キャラの愛称。さまざまな観点から8つの最終候補に絞られ、発表当日の午前に決定したという」

 

 

そこは大阪らしさを感じます

「えー--っ」て、感じです

 

 

やっぱりjiiji は関東系?!

DNAが違うことがわかります 

「秀吉」か?

「家康」か?

・・・を除いては  

 

 

 

それにしても、その選考・・・

3万3千以上もの応募の中から、2通だった「ミャクミャク」が選ばれたということになります

仮称の「いのち輝きくん」にもつながるし、そりゃ、数ではない選び方もあるわけですから、そこはそれでいいのですが、その選考過程には興味が湧いてきます

なにしろたった2通ですから 

かなりの発言力ある人が「これにしましょう!!」と、英断したのでしょうね

 

 

 

 

 

今日は朝から 

「戻り梅雨」?

恵みの雨程度なら、歓迎です

紫陽花・・・

まだ輝いています

 隣まちの古刹を、散歩で参拝させていただきました

 

 

 

 

 

 

 

週末の喧噪が過ぎて、再び静寂が訪れています

「またおいで」

「うん]

近くの孫たちは1週間を告げてくれる ”週間時計” です

感謝!!

 

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「の」か? 「と」か?

2022-07-18 | Weblog

7月18日(月)                      33/22℃

 

 

政治スタンスは違いますが、あの行動原理には同感したところもありました

例えば、「「NO」と言える日本」 

例えば、「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」・・・

 

《石原慎太郎さんが遺言状に記した後始末「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」》   (7月17日東スポWEB)

「・・・また14年に出版した「私の海」(幻冬舎)には“遺言”も記していた。「ことさらに来世なるものを信じている訳でもないが、次に何に生れ変ってこの世に現われたいかといえば、いつか相模湾の外れの三つ石崎の沖合いの潮目で出会ったような巨きな離れ鯨になりたい気がしている」・・・」

 

思ってはいても、遺言状にまで・・・はなかなか 

☟ ここも石原さんらしいところだと思います

 

《石原良純 父・慎太郎さんの亡くなる2日前の驚きの “行動” 明かす「あの人はエネルギーをずっと持ってた」》   (7月15日スポニチ)

「・・・「『お前何様のつもりだ!ちょっと売れたからって天狗になって生意気な口きくんじゃねえ!』・・・」

 

「おやじ」はいつまでも親父・・・

息子との間では、それであり続けたいものです

まぁ

「じじ」「じいじ」がもっぱらの今日ですが 

 

 

 

 

 

参院選で1週休みだった『鎌倉殿13人』の第27回は、「鎌倉殿十三人」・・・ 

はじめはその違いにも気づきませんでした

」か?

」か?

三谷幸喜さん(?)らしい、繊細な拘りを感じました

13人は、熾烈な権力争いを展開します

姉、政子の判断で13人目に加わることになった北条義時 

頼家の先は見えています

 

 

 

 

 

 

それこそ世代は、ページの「ひとめくり」・・・

信越県境近くにあるこの遊園地は、30数年ぶり 

あの時はまだ母も一緒でした

その母の立場が、ちょうど今のjiiji とbaaba です

着いた頃は雨でしたが、しばらくすると 

3時間ほど楽しく遊びました

孫たちも、気に入ったようです

 

(〇〇ちゃんも、乗り物の運転が大好きです)

 

 

☟ これは何という花?

夏らしいですね

 

 

 

 

 

 

 大分前に求めた『 ”なおとみ流” リサイクルのヒストリー』を読み始めました

視力が弱り本を読むのは億劫 

珍しく通読できそうです

筆者のTさん(元新聞記者)とは、取材を通じた一期一会の出会い・・・

以来、年賀状のやり取りだけが続いています

直富商事も知らない会社ではありません

読了したら、あらためてその感想なりを書きたいと思います

 

 

 

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浅野の監視の目をくぐって、九度山の館から抜け出ていくシーンは珠玉 (^^♪

2022-07-17 | Weblog

7月17日(日)                      31/22℃

 

 

 

ようやく2メートルくらいに成長した庭の高野槙(こうやまき)・・・

二度目の高野山詣でで、記念に50センチ位の苗木を買いました

いつ頃?

その時の写真がない!

「写真なければ事実なし」 

・・・みたいなものです  

 

 

高野山詣では、いつも九度山とセットでした

真田昌幸と信繁(幸村)父子が幽閉された地・・・

「前真田氏」を代表する二人 

大河『真田丸(2016年)以後は訪れていません

九度山の里は、どう変わっているかな?

それにしても『真田丸』・・・

 

 

 

(第41話で、雁金踊りで脱出する「きり」と「信繁」・・・)

 

浅野の監視の目をくぐって、九度山の館から抜け出ていくシーンは珠玉 

雁金踊り” ・・・・

結び雁金紋は真田氏の家紋の一つです

それにしても

「きり」役の長澤まさみさんは「えっ?!」な違和感でしたが、最後まで一途に信繁に尽くして、よかったですよね

 

 

 

 

 

  ・・・・が続きます

庭の紫陽花もピークが過ぎてきました

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、「閻魔賽日(えんまさいじつ)」・・・

それって?

ー-地獄の釜の蓋が開いて、鬼も亡者も責め苦から免れ、休む日とされている。この日に寺院の閻魔堂にお参りをする人が多 い。

 

あの、「地獄」のこと?!

閻魔大王が裁きを下す・・・

「ウソいえばエンマさんにヘラぬかれちゃうど~~」と、年寄りに諭されましたね

怖い、怖い地獄の閻魔大王です

 

 

 

 

 

人間、誰しも死を恐れます

死後のことは誰もわかりません

確かめようがない世界です

そこに宗教・・・

 

 

天国」と「地獄」をつくり

「信心」「功徳」と、反面に「たたり」「罰あたり」の概念をつくりあげました

人間の弱いところを突いてきます

安部元首相殺人事件の犯人一家にも、夫の自死や子どもの病ー-といった 不幸の中に 新興宗教が忍び込んでいます

 

 

 

真冬でも庭の氏神様と、仏壇のご先祖様への祈りを毎日欠かさなかった祖母・・・

その姿をよく覚えています

それから半世紀以上 

わが家は幸いにして「」もなく、信心の「」もなく 

ほどほどです

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