地方で考える ●oyajiの侃々諤々

北信濃の豊かな自然と歴史に抱かれて過ごす日々・・・

ちょっと斜に構えてみれば
???と思うことも多いですね~

今振り返ると本当にラッキーでした

2022-04-30 | 小さな旅

4月30日(土)                      18/6℃

 

 

楽しかった連休の ”入り” が過ぎていきます

○○君は、初めての「恐竜公園」へ・・・

どんな印象かな?

○○君、意外な健脚 

公園の坂道をとびまわる様に、jiiji baaba はハラハラと驚きの時間でした

 

 

 

 

久々の「恐竜公園」でした

子どもたちが夢を追える、素晴らしい空間です

しかも無料!

オープンしてからもう40年超 

「発想」し、困難を乗り越えて「実現」させた先輩、Kさんの顔が浮かんできます

ポストとしての課長や部長の肩書はほんの一時ですが、実績は永遠不滅 

Kさんの偉大さを、あらためて認識させられた令和4年4月29日でした

 

 

 

 

 

 まだ幼い○○君と一緒に、バリ島を旅したのは2020年1月下旬・・・

新型コロナが広まる前で、今振り返ると本当にラッキーでした

設定してくれた息子夫婦に感謝しています

もう当分いけないでしょう

 

 

 

あの時から2年数カ月・・・

新型コロナは、納まるところを知らず3年目を迎えています

この「疫病」で、いろいろなことが「中止」「縮小」「代替」・・・ets

これまでの行事や、慣例や、前例などが大きく変わってきています

禍が去ったとしても、元に戻らないものも出てくるでしょう

いや

これを与えられた機会として「見直すべき時」かもしれません

先日のラジオ放送で、PTAの在り方が変わろうとしているという話題がありました

 

無くなってもいいものー

継承していきたいものー

内容を変えるべきものー

まな板に載せてみるのもいいかもしれません

 

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「往く人たちの休息の場所」

2022-04-29 | Weblog

4月29日(金)                      18/7℃

 

 

 新しい葉が開くまで、枯れ葉はついたまま・・・

こじつけて「家が途絶えることがない!」 

その縁起の良さをかついで、庭にカシワやクヌギを植えている家も多いですね

☟ わが家

クヌギは、この間まで枯れ葉をつけていたのに、いつの間にか若葉にチェンジです

 

 

 

 

さあ

今日からゴールデンウイーク・・・

祝日、「昭和の日」からスタートです

かつての、昭和天皇誕生日 

 

 

激動」「激変」の時代でした

共同自費出版『昭和の記録 私の思い出』の続刊は、原稿の集約が進んでいます

編集担当のKさんによれば前回を上回る参加者で、140人近くにもなるとか・・・

「昭和」への、思いの強さが窺えます

jiiji は、息子が生まれた年に体験した中国友好都市への訪問記にしました

 

――ドスンーと重い着陸音。何人かが小さく拍手した。ほとんどは初めての海外飛行機旅。しかも帰路はパキスタン航空のプロペラ機で、機長はターバン姿。昭和57年(1982)のことだ

 

・・・と始まります

もう40年も昔のことになりました

現在とは異なる、友情的な日中関係がそこにはありました

 

 

続刊では、jiiji も15人の原稿を集約しています

そこからは、それぞれの「昭和」が見えてきます

さて

どんな本になることでしょうか?

 

 

 

息子たちが、昨夜にやってきました

孫の○○君・・・

改札口を出ると、忘れずに駆け寄ってきてくれてjiiji  baaba はホッ 

久しぶりです

古風に言えば○○君は「内孫」 

10代目が訪中の年に生まれたパパで、○○君は11代目になります

枯れ葉が落ちないうちに、若葉が育っています

なによりも感謝です

 

 

 

ところで、40年も昔の友好都市への訪問団・・・

この「まち」の職員組合の主催で、「公募」による「自費負担」 

いわば、肩書きなしの「ただの人」ばかりでした

2回目になるその時は、女性4人を含む総勢20人

25万円(当時)の自己負担は重いものがありましたが、熱い思いがそれを「よし」としました

戦後の「昭和」は、すばらしい時代でした

 

 

 

 

 歴史グループの『会報』の、kさんの原稿が届きました

Kさんは浄土真宗S寺のご住職ですが、「川中島の戦い」にまつわる新連載の口火を切っていただきました

 

(長野市立博物館のパネル)

 

武田信玄と上杉謙信は川中島を戦場に5度にわたって対決しましたが、千曲川の対岸にあたる河東地域(高井郡)の武士団も、戦闘の一員として否応なく巻き込まれました

農民も、家や田畑を荒らされ、略奪されていた「はず」です

そんなところを、探っていけたらいいと思っています

 

 

戦では「基地」ともなる寺・・・

当然巻き込まれます

Kさんのそれによれば武田方だったS寺は、永禄5年(1562)に上杉方によって焼き討ちされたと寺の過去帳に記されているそうです

 

(信玄と謙信のイメージです)

 

武田か?

上杉か?

武士団同様に、寺々もまた生き残るための選択に迫られたのです

その生々しい状況がKさんの記述の中から窺えます

 

 

 

 

 

道路に面して、庭の一画に置いているベンチ・・・

女房殿が塗装しました

「往く人たちの休息の場所」

そんな思いもありますが、実態は、単なる飾りです

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八幡原を訪れる観光客に、羽織袴に刀装束のオジサンが、朗々と ”一騎打ち” を語っていた光景を思いだしました

2022-04-28 | Weblog

4月28日(木)                    21/7℃

 

 

スーツは、もう不用  

夏用のジャケットと、コットンパンツを買いました

このところは「医療費」ばかりで、久々の「衣料費」支出です

 

卯月、4月も残りあと僅か・・・

明日からは、最大10連休のゴールデンウイークが始まります

「新型コロナ」と「プーチンの戦争」さえなければ 

悔やまれます

 

 

 

今の花は、「白」 

わが家の庭でも「白」が目立ちます

 

 

 

 

 

 

木曽義仲の緒戦となった、「横田河原の戦い」(1181年)・・・

無勢の義仲軍が多勢の平家鎮圧軍に勝利できたのは、赤旗を掲げて近づき、にわかに白旗にきりかえて攻め込んだ井上光盛の「奇策」によってーーとか

旗は、あの時代の戦には必要不可欠な、敵・味方を示す証しです   

 

(横田付近の千曲川・・・・)

 

その「横田河原」から4百年近く・・・

同じ川中島の地では、武田信玄と上杉謙信の激闘が、5度にわたってくりかえされました

最大だった第4次の主戦場、八幡原にあるのが長野市立博物館・・・

「川中島の戦い」の展示がリニュアルされたので、昨日は女房殿とでかけてきました

5度の戦いを盛り込んだ劇画映像は、観光客向けにもいいですね

昔・・・

八幡原を訪れる観光客に、羽織袴に刀装束のオジサンが、朗々と ”一騎打ち” を語っていた光景を思いだしました

 

 

 

 

NHK大河ドラマ『天と地と』で、上杉謙信役を石坂浩二さんが演じたのは昭和44年(1969)・・・

「川中島の戦い」が一躍、クローズアップされました

その年、八幡原に両雄  ”一騎打ち”  のブロンズ像が建立され

昭和56年(1981)に長野市立博物館がオープンしています

昭和63年(1988)  『武田信玄』

平成19年(2007)  『風林火山』

平成21年(2009)  『天地人』

・・・と続きました

 

 

以前から思っています

長野市立博物館は、もっと「川中島」に特化すべき!

なぜ川中島の八幡原にあるのか?

あの地でしかできないアピールは何か?!                                          

「川中島の戦い」に、さらに、木曽義仲や井上光盛の「横田河原の戦い」を加えたいですね

 

 

jiiji の関心は、そこに近接するこの地が、それらの戦いにどのように巻き込まれたか?

 

 

河東の、高井郡の「横田河原の戦い」や「川中島の戦い」を追ってみたいですね

悲哀の歴史が展開されているはずです

コメント (2)
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「それ今日採ってきたの・・・」と話す女将さんの、秀作揃い (゜o゜)

2022-04-27 | Weblog

4月27日(水)                    22/10℃

 

 

6:00、外はじっくりとした雨 

花や木の、嬉しそうな声が聞こえてくるようです

 

 

 

 

 

人の「盛り」・・・

体力

気力

知力

財力

・・・ets

それぞれピークの時期がありますね

 

31歳で市長 

まぁ

それもいいでしょう

経験や判断力には欠けるとしても、気力体力はそれを超えるはずです

木曽義仲も、源義経も30歳までであれだけの偉業をなしとげました

 

《全国初、平成生まれの31歳最年少市長誕生 大阪・泉南》   (4月24日毎日新聞)

「・・・新人で元市議の山本優真氏(31)=大阪維新の会=が、新人で元市議の小山広明氏(80)=無所属=を破って初当選を決めた。全国市長会によると、全国初の平成生まれの市長誕生で、現役市長の中でも最年少となる」

 

 

 

 

 

 

 

 

高山村の松川渓谷には、7つの温泉があります

子安温泉

蕨温泉

山田温泉

松川渓谷温泉

五色温泉

七味温泉

奥山田温泉

 

昨日の午後は、雨降りだったのでいつもの七味温泉で日帰り入浴・・・

ゆったりと湯に漬かりました

HPによると「温泉」「山野草」「たぬき」が旅館の魅力 

 

【公式】七味温泉 紅葉館 | 長野県北部にある乳白色やエメラルドグリーンのにごり湯の温泉宿 (shitimi-kouyoukan.com)

 

(たぬきは、以前の写真です)

 

 

昨日はたぬきの登場はありませんでしたが、山野草の方は、「それ今日採ってきたの・・・」と話す女将さんの、秀作揃い ☟

 

(コゴミ)

(フキ)

 

それにしても、縁がある松川渓谷の温泉です

jiiji は、高校の冬には泊りでアルバイトー

父母たちは、誘い合っての「湯治湯」(自炊)ー

そして今は ☟

長女ファミリーは、泊りのボードと温泉ー

秋にはみんなで紅葉狩りと牧場の牛ー

jiiji baaba は、もっぱら日帰り入浴ー

これも信州ならではの贅沢です

(感謝)

 

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  「いいさ 、オレだって高齢者だもの」

2022-04-26 | Weblog

4月26日(火)                      25/14℃

 

   

わが家の東側はこんな ☝ 景観です

タマネギ畑があり、その奥は荒れた梅林・・・

遠くには山並みが見えています

これもみな「借景」 

ある意味、贅沢です

 

 

 

第16回の視聴率は12.9%と、前回と同じ・・・

この場面でイマイチなのは、誰もが知っている源頼朝や源義経がイマイチだから!?

さらに先々「頼朝一族」は相争い、殺し合い、自滅へと向かっていきます

イメージダウンは避けられません

大河『鎌倉殿の13人』の主人公は二代目執権北条義時ですから、そこは織り込み済み! 

いや

頼りになるのは「血族よりも姻族!」―という戦国のリアルそのもの  

 

《「鎌倉殿」平宗盛(小泉孝太郎)哀愁凄すぎる 義経に騙され 名演に「ハマリ役」「平家応援したく」》   (4月25日デイリー)

「・・・ドラマでは源氏方は、義経をはじめ、あくの強い面々が揃っており、「平家を応援したくなるのなんでだろうな…宗盛がんば」「敵の宗盛が善人に見える」「宗盛には、崖降りてくるよ!!逃げて!!と伝えたかった」「宗盛さんが可哀想になってくる」と反応する投稿が相次いでいる」

 

それにしても、”脚本家の範疇” とはいえ、このドラマで源頼朝、源義経、木曽(源)義仲のイメージは大きく変わりました

頼朝・義経 

義仲 

jiiji の次の注目は義経の最後のシーンです

まさか、ナレ死ではないでしょうナ

 

 

 

 

今日は「七人の侍の日」・・・

そんな記念日があるんですね~

 ――黒澤明監督の映画『七人の侍』が公開された

あれは感動的な映画です

志村喬さん、宮口精二さん、いい味でてましたね

時は戦国・・・

1586年頃の設定のようですから、ここの地では、武田―織田の支配が終り上杉景勝の力が及んできた頃でしょう

激変空白

収獲期になれば、略奪する野武士の襲来もあった

7人の侍を雇って、野武士団と戦う百姓たちの物語でした

 

武士団同士の戦いも、農民たちにとっては同じようなもの 

家を焼かれ

田畑を荒らされ

略奪され

捕らわれて売られ・・・

そんな世を終焉させて、250年も大平をもたらした徳川家康は、やっぱり一番偉大 

好き、嫌いはともかく・・・

 

 

 

 

 

女房殿 「オトウサン、そこはダメだよ」

jiiji      「いいさ 、オレだって高齢者だもの」

   

 

・・・と初めてその類に停めてはみたものの、「まだ早い?!」かなと,内心、反省 

老いは気から・・・

もっと張れ!!

 

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一瞬/暗転!!

2022-04-25 | Weblog

4月25日(月)                     26/10℃

 

「こんな荒れた海で大丈夫?」

「大丈夫ですよ、島に沿って回るだけですから」 (

・・・なんて応じられたら、不安ながらも乗ってしまうのが普通の観光客でしょう

楽しい知床半島の旅が・・・

一瞬にして暗転! 

「安全」への信頼が失われました

犠牲となった皆様の、ご冥福をお祈り申し上げます

 

《知床観光船の浸水事故 発見された10人全員の死亡を確認 海上保安庁関係者》   (4月24日ABEMATIMEW)

「・・・死亡が確認された10人は全員が大人で、男性が7人、女性が3人。うち5人は救命胴衣を着用した状態で発見されている。船はまだ見つかっておらず、深く沈んでしまったか沖合に流された可能性もある」

 

 

 

 

 

木曽(源)義仲の「死」・・・

壮絶 

矢が額を貫いた

一瞬/暗転!!

即死の見事な演出でした

 

(ありがとう、青木義仲さん・・・)

 

《【鎌倉殿の13人 主な退場者】今度は木曽義仲 2週連続ロス…義貫き、巴御前と別れ、容赦なき最期に号泣》   (4月24日スポニチ)

「・・・「最期まで最高の木曽義仲でした!ボロ泣きでしたもの。山賊みたいな乱暴者というイメージは今作で払拭されることでしょう。これぞ旭将軍・木曽義仲!三谷さんと青木さんに心から御礼申し上げたい!」などの声が続出した」

 

☝ 同じ感想です

青木崇高さん、名義仲でした 

そして脚本を書いた三谷幸喜さん・・・

寂しい粟津での最後でしたが、”新しい木曽義仲” が誕生しました

信濃人の一人としてうれしく思います

今年は、木曽義仲―です

 

(義仲寺は2017年8月に訪れました)

 

 

 

 

 

日曜日、久々孫たちがやってきました

年長組の☐☐君も、来年は小学校入学・・・

「どんなランドセルにしたの?」

「にいにいと同じやつ!」

もう注文の時期なんですねぇ

兄の○○君は、グレードアップした白い自転車がお気に入りです

 

 

jiiji baaba もこのところよく働いたので、そのご褒美も兼ねて奮発です

チョイス式の一人前を2人でいただきました

十二分です

 

 

魚が好きだから、とbaaba はメバルの塩焼きを孫に・・・

さて

魚派に育つでしょうか?!

 

 

 

 

 

菜の花の季節になりました

桜の後にやってきます

 

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官民ともに痩せ我慢!!!

2022-04-24 | この「国」のこと

4月24日(日)                     22/9℃

 

「千万人と雖も吾往かん」

孟子の言葉?

まさか 

ロシアのあの人も、そんな心境じゃないでょうね・・・ 

それは困ります!!

 

孟子の言葉には―良心に恥じることがなければーという前提 

良心の一片も感じられないあの人には、適用外です

 

 

 

安全保障ではベクトルが違いますが、ここはjiiji も ☟ 高市早苗さんに同感です

官民ともに痩せ我慢!!!

”平和の戦争” です

 

《ウクライナ侵攻…日本の教訓は? 番組で自民・高市氏と河野氏を直撃 「必死に戦う国民の姿に…ガラッと変わった」》   (4月21日夕刊フジ)

「・・・高市氏は、中国がロシアの行動と世界の反応をジッと見て、東アジアでの軍事行動などに応用しようとしていると分析しました。経済に影響があるから制裁にも限度があるといった経済界の声には、「官民ともに痩せ我慢してでも、ロシアのたくらみを失敗に終わらせることが日本を守ることになる」と訴えました」

 

 

 

 

それにしても、「新型コロナ」や「ウクライナ」のニュース・・・

見たくない、聞きたくない心境です

(目を閉ざしてはいけないーーことですが)

それも手伝ってか、最近、何日も新聞を開いていません

まぁ

一番は新聞のニュースソースとしての比重が落ちたことでしょうか・・・

もっと即応性のあるSNSが、カバーしてくれます

新聞の独壇場はは、「おくやみ欄」 

そんな感じになっていません?! 

 

 

 

 

庭の、ブロック石布設が完了しました

30センチ角で40枚・・・

チョットした空間ですが、自家版アウトドアが楽しめそうです

そこから見える「借景」を、意識しました

 

ところでjiiji は柘植の伐根のみ・・・

ブロック石の布設はbaaba が担当しました

なかなかの頑張り 

思った以上の出来栄えです

もう、「主人」は譲ります 

「老いては子に従え」も、時代と共に変わってきます

ドーダンツツジをあちらこちらに植えたのは、遥か以前の、jiiji です

 

 

 

 

 

毎年モミガラを戴いている、近くのTさん・・・

茗荷(みょうが)用にとお伺いしましたが、機械の故障と高齢で、もう自動籾摺り機は止めたとのことでした

修理には何百万円もかかるそうです

そうでしょうね・・・

別のお宅にお願することができました

今朝は、午前中早々に畑・・・

芽を出し始めた茗荷の草をとり、モミガラを敷きました

お土産は ☟

 

 

もう少し桜が楽しめます

 

 

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あれが、稲川館長さんとの最初で最後の出会いとなりました

2022-04-23 | Weblog

4月23日(土)                     23/9℃

 

 

柘植(つげ)・・・

残った根っ子に難儀です

数年前に伐採しましたが、枯れるどころか、びっしりと小枝を繁らせていて、驚くべき生命力 

☟ やっとのことで伐根できました

 

 

根もビッシリです

 

 

女房殿と意見が一致して(不一致茂有之候)、庭の一画のブロック石を広げることにしました

孫たちとの、バーベキュースペースです 

かつ

雑草の生えるところお減らすことでもあります

 



 

 

あれが、稲川館長さんとの最初で最後の出会いとなりました

ファイル写真の日付で確かめると、2018年8月20日 

ところは長岡市の「河井継之助記念館」・・・

受付女性とのやりとりが聞こえたらしく、奥の事務室から稲川明雄館長さんが顔を出されたのです

『塵壺』にも、日テレ『河井継之助 ~駆け抜けた蒼龍~』にも登場してくる「松城藩士 稲葉隼人」の話でした

 

(「塵壺」7月19日の、その部分・・・)

 


次に訪れたのは、2年後の2020年11月13日・・・

「松城藩士 稲葉隼人」の続きを楽しみに立ち寄りましたが、「館長さんは昨年12月にお亡くなりになりました」 

予想もしない展開で、本当に残念です

 

 

「河井継之助記念館」が連載してきた、『稲川通信』は2014年10月21日がスタートですね

慈眼寺での「小千谷会談」が決裂した、その翌朝の場面から始まっています

稲川通信 | 河井継之助記念館 (tsuginosuke.net)

稲川さんは河井研究の第一人者でした

 

 

それにしても、「」・・・

ネットの『goo辞書』によれば

 ー故郷を離れ、よその土地や国へ行って勉学すること

・・・なのですが、jiiji は「遊学」という言葉が好きです

見聞を広める、新しい体験をする!

現代のような情報化時代ならともかく、あの時代は、見聞そのものが「学び」でしょうね

当方、今も「遊々自適」を目指します

 

 

 

それにしても、河井継之助の西国旅日記『塵壺』に登場している「松城藩士 稲葉隼人」って、いったいどんな人?

法螺貝持った山伏姿・・・

「遊学」の時代とはいえ、松代藩士にそのようなことが許されたでしょうか?

何処かが間違っているようにしか思えません

☟ マイブログです 

2019年6月28日のブログ記事一覧-地方で考える ●oyajiの侃々諤々 (goo.ne.jp) 

 

 

稲川明雄さんも「私も確認できていないんですね・・・」

松代藩士には、存在していないようです

さらに追ってみたいと思っています

 

 

 

☟ これも生命力が、強い!!

まぁ、どこか河井さ(可愛さ)がありますが・・・

そろそろ「立夏」です

 

 

 

 

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これから小学校へ向かうところかな?

2022-04-22 | この「地区」のこと

4月22日(金)                      24/11℃

 

 

 歴史グループの、新年度が始まりました

今年も総会はなしで「書面審理」 

活動も、新型コロナ次第で大きく左右されます

 

総会だけでなく、研修旅行や講演会も2年続けて中止・・・

宿泊の研修旅行は、「観る歴」「食べ歴」「喋る歴」「飲む歴」の一番の楽しみです 

 

 

前回は令和元年9月の、奈良への旅・・・

この地区にある古刹、清水寺の仏たちのルーツを訪ねるという目的がありました

大正5年・・・

強風下で発生した大火によって、清水寺は仏閣、仏像の悉くを焼失してしまいます

縁あって奈良桜井から19体もの仏像を迎えることができたのです

☟ 「旧い1枚の写真」は、幟旗を立てて運送の列が清水寺へと向かう様子

迎える大勢の村人たち・・・・

大火災からの復興をもたらした、西方からの「仏の光」だったことでしょう

 

 

 

その清水寺は、昭和20年に足立区からの「集団学童疎開」を受け入れました

☟ 当時、先生が撮った貴重な写真です

 

(学寮とした本堂での食事風景・・・)

 

(これから小学校へ向かうところかな?)

 

忘れられようとしている75年前の歴史を、その『写真展』を開催することで多くの人たちに知っていただきたい 

2年も延期されている歴史グループの企画です

今年も先のことはわかりませんが、今年こそは・・・・

 

 

 

 

午前中は、畑でを流しました

裏山からはウグイスの鳴き声が・・・

最高の贅沢ですね

 

 

 

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河東の武士団、信濃源氏井上光盛と「保科党3百騎」の活躍も含めて、もっとアピールされていいのでは・・・

2022-04-21 | この「まち」のこと

4月21日(木)                      22/8℃

 

 

何だ、あれは?

 

 

拡大してみます

 

 

プラのカラスでした 

見せしめ

脅し

伝統的な、鳥害対策 

山コース(崖錐地の果樹園)の散歩での出会です

 

 

 

とにかくも、夫婦共に年金生活に入ってかなりの月日・・・

もうそのスタイルに馴染みました

「ゆとりある生活」にはいくら必要?!

ソリャ

家庭それぞれ違うでしょうし、その中でやりくりするしかないのですが、やっぱり ☟ 気にはなります

 

《定年退職後に夫婦2人でゆとりある生活を送るには、毎月いくらあれば足りる?》   (4月20日ファイナンシャルフィールド)

「・・・生命保険文化センターの調査によれば、夫婦2人で老後にゆとりある生活を送るには、平均で毎月36万1000円が必要という結果になっています。そのうち22万1000円が日常生活に最低限必要なお金であり、14万円がゆとりある生活のために必要な上乗せ額となります」

 

最低限、22万1000円が必要 

わが家はどうなんでしょう?

家計簿をつけたこともありません

 

ここ数年の新型コロナ禍・・・・

支出のカタチも、額も大きく変わりました

旅:「小さな旅」がなくなり、ガソリン代・高速道料金・宿泊費は大きく減少 

外飲み・外食もほとんどなくなり、安いツマミの家飲みでこれも減少しているはず

・・・ということで、このところはなんとかやり繰りされているわけですが、この反動が怖いゾ~~ 

 

旅行(飲食含め)がしたい!

孫たちとみんなだで外食がしたい!

・・・となれば、赤字状態に戻ることは必至!!

それでも、旅行ができる方がいいですね

 

 

 

 

新型コロナの影響で、3度も延期されてきましたがようやくに、6月17日全国公開と決まりました 

松竹映画『峠 最後のサムライ』です

この先、波状の直撃がないことを祈ります

 

 

河井継之助は大好きで長岡にも、小千谷にも、只見にも、備中松山にも追っかけました

長岡市の河井継之助記念館では稲川明雄館長さんとも偶然の出会い 

西国道中日記『塵壺』に登場してくる松城藩士稲葉隼人――についてお聞きしました

(ブログ『地方で考える』の2018・10・16「松代藩士・稲葉隼人」)

映画公開を前に、稲川さんが急逝されたのは誠に残念です

 

 

『峠 最後のサムライ』は観に出かけると思いますが、正直、ワクワク感はありません

再三の延期です

加えて、主役・・・

役所さんが名優であることは間違いありませんが、「老成」し過ぎていて、河井継之助の「青さ」が見えてきません (主観ですが・・・)

 

jiiji の ”お気に入り” は長岡城攻防戦でも小千谷会談でもない・・・

 やっぱり、備中松山での師、山田方谷との別れの場面ですね

 

 

 

 

「横田城跡」はわかりましたが、では、「横田河原」の戦場は千曲川のどの辺りか?

合間をみて、また長野市篠ノ井横田に出かけました

「河川敷付近に神社がある・・・」と地元郷土史に詳しいTさんにお聞きしていましたが、現地ではよくわかりません

☟ この神社は更科横田神社・・・

 

 

説明板の「由緒・歴史」によれば、その昔は御厨神明宮と言い、横田河原の戦いで焼失し、その後再建されたとあります

 

 

大軍同士の激突・・・

広範な戦場だったはずでしたから、きっと、あの一帯もそうなんでしょうね

☟ 堤防から千曲川の河川敷を望みます

 

 

それにしても、影が薄い木曽義仲と「横田河原の戦い」です

河東の武士団、信濃源氏井上光盛と「保科党3百騎」の活躍も含めて、もっとアピールされていいのでは・・・

 

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「竜の割石」

2022-04-20 | Weblog

4月20日(水)                     21/6℃

 

 

二十四節気の、今日は「穀雨」・・・

このところの雨と暖かさで、草木の生命力が踊っています

茶色だった山々がいつの間にか薄緑・・・

山城攻めなら、もう日はありません

あと

一つくらいは攻めておきたい 

 

 

 

 

 

現役の頃は20日が給料日・・・

勿論「給料袋に現金」の方が長かった世代です

薄給ではありましたが、結婚して共働きになったーことが「パワー」になりました

しばらくすると

「もう、身上(しんしょう)おめたに任せるからな・・・」 

今は同居してても、家計は別々が多い?

でも

あの頃は完全バトンタッチでした

 

 

口座振り込みになったのは、いつ頃からだったかな?

確か、初めは “選択” できましたね

ATMはあっちこっちにあって、カード払いも浸透してきましたから、「給料袋に現金」はむしろ煩わしい 

”ちょろまかし” は ✖

いずれにしても、多額の現金を持ち歩くことはなくなりました

 

 

 

 

 通りかかるとまだ色鮮やかだったので、須坂市の坂田山「共生の森」に立ち寄ってみました

☟ 西方の景観

 

 

古墳のような形をした臥竜山が、前方に観えています

そして、霞んでわかりませんがその彼方には千曲川が流れる善光寺平・・・

背景に北信5岳などの山々・・・

その奥には北アルプスがそびえています

 

☟ 桜はもう終末でした

 

 

 

☟ 《鬼滅の刃》で注目された「竜の割石」が、少し上の方にありました

 

 

☟ これは懐かし炭焼きカマですね

 

 

 

子どもの頃は方々で見かけました

炭・・・

暖房、煮炊きに必須でした

山はその重要な供給源!!

”結界” が敷かれてしまった今は、山に入ることさえありません

 

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来週は  ”木曽ロス” 間違いなし!!

2022-04-19 | Weblog

4月19日(火)                      17/7℃

 

 

庭の、かいどうが、見頃・・・

 

 

☟ こんな花も・・・

 

 

先祖代々の「一所」の地には、この花が似合います

☟ ・・・

 

 

武石村(現上田市)の、産です

苗木を購入してきてから10数年・・・

毎年花を楽しんでいます

手入れも結構大変!!

◆ 大きくしない

◆ 増やさない

・・・スタンスで、これだけに絞っています

 

 

 

 

 

《<鎌倉殿の13人>第15回視聴率12.9% 上総介が非業の死 SNS「頼朝嫌い」「大泉のせい」》   (4月17日MANTANWEB)

 

その反応・・・

 

「上総介が気の毒すぎる。それにしても血筋だけで頭を張ってる頼朝って何?」

「頼朝クズ過ぎるし、なんでこんな奴がトップなんだよ」

 

・・・がjiiji も一番近い 

あれじゃ、源氏が滅びるのもわかる気がします

「貴種」であっても、「人徳」が感じられません

相対的に木曽(源)義仲と、義高は評価がアップ 

『鎌倉殿の13人』からすれば、そこは必然でしょう

”上総介ロス” に続いて、来週は  ”木曽ロス” 間違いなし!!

 

 

 

 

「旧い写真」は、この地の、町時代の、議会の様子・・・

昭和34年(1959)に、近隣3か村が合併して町が誕生しました

議員数は「26」

議場と言ってもその時に机・椅子を配置するだけで、多目的にも使われていたようです

 

 

まぁ

昨今の豪壮な議場に比べれば、質素なものです

議場は「議会制民主主義」の象徴ですから、尊厳あふれる ”聖地” でなければなりませんが、だからと言って豪華すぎるのも如何なものでしょうか?!

問われるのは議員そのもの・・・ 

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馬耕の講習会

2022-04-18 | この「地区」のこと

4月18日(月)                     19/7℃

 

 

昨日も、午前中は畑でもろもろ作業・・・

こういう時には軽トラが重宝です

20年以上前に中古で買いましたが

○ 故障もなし

○ スリ傷もへっちゃら

○ マニュアルですがまだまだ 

 

 

桜はもう散る一方ですが、白と赤の花桃が色を添えています

裏山からは時々サル・・・

子どもの頃はいなかったのに、野猿公苑のサルが広まったようです

裏の私有林には入ることもありません

「境界」など、息子は知らないです

 

 

怠け者の夫婦 

昼近くには、「横田城」――を攻めました

木曽義仲軍と、鎮圧に攻め寄せた平家方との「横田河原の戦い」の場所です

わが家から車で30分程・・・

思い込んでいた神社は間違いで、近くの、小さな盛り土がその跡でした 

 

 

【長野市指定遺跡】    横田城跡     昭和59年12月14日指定

 横田城は、平安時代末頃に築かれたもので、養和元年(1181)木曽義仲が越後の平家方の軍と戦った時に利用し、北陸に攻め上る際にもこの城を根拠地の一つにしたとされる。応永7年(1400)信濃守護小笠原長秀が村上氏や大文字一揆らと戦った大塔合戦の時も長秀はこの城にこもっている。その後、川中島の時にも、甲斐方の武将である原大隅守がこもったと伝わる。 (中略) 

古代末期から戦国期にいたる館跡として、また防備施設を持つ環濠集落の遺跡として貴重である。

                              令和2年1月31日 長野市教育委員会

 

 

昨日のブログに「近々、横田城跡を訪れようと思っています」と書いたばかりでしたが、速攻です

義仲と嫡男義高が “散る前“ に・・・

そんな思いが手伝いました

「横田河原の戦い」は、義仲の華々しいデビュー戦 

「川中島の戦い」は有名ですが、こちらはほとんど知られていません

 

(近くには、子孫が立てられた木曽義仲の墓石がありました)

 

頼朝と敵対して滅ぼされ、「朝敵」ともされた義仲・・・

それなのに、義仲にまつわる史跡や伝説はすごく多いですね

それは

人気が高かった証拠 

あやかりたいーーという気持ちの表れかもしれません

 

 

 

 

昨日の『鎌倉殿の13人』は、今朝、録画で・・・

 

《「鎌倉殿の13人」上総広常ロス広がる 今作最大の衝撃にネット絶句「噂に違わず神回」「言葉が出ない」》   (4月17日スポニチ)

「・・・18年ぶりの大河出演となった俳優の佐藤浩市(61)が圧倒的な存在感を示してきた“坂東の巨頭”こと房総半島の豪族・上総広常が“非業の死”を遂げた

 

権力者の道は、壮絶です

非情です

クワバラクワバラ 

 

 

 

 

今日の「旧い写真」は、の講習会風景 

Aさん宅の写真です

戦争で多くの男手を失い、農耕の場面でもカアチャンたちが頑張っていました

Aさんの父も戦死し、写真の女性は母親だそうです

 

 

モンペにアネサンカブリの姿は、母を思わせます

(あの頃は皆そうでしたが・・・)

とにかくよく働いたわが家の母です

”ヒロットリ” (賃仕事)にも出ました

一番最後に寝て、一番早く起きて・・・

子どもも育てて・・・

戦後の農村を支えた女たちです

 

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まさか・・・

2022-04-17 | Weblog

4月17日(日)                     19℃ 

 

 

予報通りの、寒い朝・・

薄く霜がきています

 

 

 

 

「今度はウチで、バーベキューでもやろう」

「そりゃいいね、楽しみにしてるよ」

あれは2019年の10月・・・

 

高校時代の親友Kと飲むのは久々でした

夫婦同士4人の、初顔合わせの楽しい「酒」の語らいです

そして

来年にでもできると思っていたことが まさか の疫病騒動 

2年半が過ぎても先が見えません

まさかまさかの連続です

 

 

ロシアの「侵略戦争」も、その、まさか 

21世紀の時代に、あれほど明確なウクライナ侵略が起こるとは、思いもしませんでした

ロシアが尊厳と信頼を取り戻すためには、ロシア人自らが ”狂ったロシア” を断罪するしかない・・・と思います

 

《「プーチンはウクライナ人を殺し、同時にロシアも殺している」ロシア人作家が語る“本当のロシア”とは【報道特集】》   (4月6日TBSニュース)

「・・・アクーニン氏: 2月24日以降、ずっと悪夢を見ているような気がします。プーチンはウクライナ人を殺し、それは同時にロシアという国も殺しています。ロシアはもう致命傷を負っていて、破滅の運命にあると思います」

 

 

 

 

 

 今日の「旧い写真」は、これ ☟

 

 

大正11年(1922)の、千曲川の木橋架橋の様子ですね (Hさん宅保存)

これで、中州を挟み「犀川木橋」と「千曲川木橋」ができあがります

重量制限で、後の路線バスも運転手以外は歩いて渡ったという懐かしの木橋です

 

(横に、建設中の鉄橋が見えています)

 

洪水になると、消防団などが橋板を外しました

それこそ命がけです

 

(洪水で流された橋・・・)

 

直通の鉄橋になったのは、昭和41年(1966)になってから・・・

左岸、右岸の往来が容易になり、市町村大合併への機運も醸成されていきました

 

 

ローカル紙『週刊長野』の市政アーカイブ記事には


《04 〜相次ぎ永久橋に架け替え〜 》  (2012年8月25日号掲載)
「・・・新落合橋の建設工事は倉島市政の1962(昭和37)年に始まり、夏目市政の66年に竣工した。長さ948メートル余。洪水に備えて橋げたが高く耐震性の強い鋼板橋で、当時は県内最長の橋であった。この架橋は若穂地区の長野市への合併の有力な要因となった。次いで屋島橋も70年に永久橋となった。 (『長野市誌第七巻歴史編 現代』による)」

 

 

 

 

 

『鎌倉殿・・・』の、今日の第15回は「足固めの儀式」・・・

悲運の木曽(源)義仲 

享年31歳です

まだ若かった!!

義仲を討った源義経も、5年後には平泉で自刃に追い込まれます

同じく、享年31歳・・・

 

近々、横田城跡を訪れようと思っています

千曲川のあの界隈は武田・上杉の「川中島の戦い」が有名ですが、「横田河原の戦い」の舞台でもあります

ほとんど知られていません

ちょっと寂しいですね

時代は4百年近く遡るとはいえ、それは「木曽義仲」の歴史評価や人物イメージによるところが大きかったように思います

青木崇高さんの「木曽義仲」・・・

市川染五郎さんの「木曽義高」・・・

UPするでしょう 

とにかく、ありがとう!

 

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Q3の答えは、蓮根料理で、「レンコンの小豆煮」です

2022-04-16 | この「地区」のこと

4月16日(土)                      12/5℃

 

 

 

前住地は北・東に山を背負った、山裾の小さな集落です

その昔は千曲川の滞水地・・・

戦後の耕地整理で改善されたとはいえ、湿田の様相は今も残ります

☟ 農道が沈下により傾いています

(逆に水田部分が隆起)

 

 

江戸後期・・・

集落の Iさんが、藩の許しを得て蓮根栽培を始めました

土質にあったようで、粘り気のある美味な蓮根として好評!!

それがこの地の名産品として、現在にまで至ります

☟ 蓮の一年です

 

(ここは手掘りです)

 

Q1 これ、何だかわかりますか?

 

 

Q2 これも、わかりますか?

 

 

Q1の答えは「蓮の実」・・・

 

 

この実が、土中で固くなります

子どもの頃のおやつでした  

 

Q2の答えは、蓮の球根ではなく、慈姑(くわい)です

蓮田の一画に植えている人もいます

これが苦味のある、粋な味・・・

jiiji の好物です

 

最後のQ ☟

Q3 何だかわかりますか?

 

 

Q3の答えは、蓮根料理で、「レンコンの小豆煮」です

油炒め、天ぷら、酢レンコンなどが定番ですが、小豆煮は珍しいですね

ちょっと、この地の蓮根について触れました

 

 

 

 

 

 今日は「ボーイズビーアンビシャスデー」だそうです

This is a pen 程度しか語学力がない身でも、なぜか、「ボーイズビーアンビシャス=少年よ大志を抱け!」はわかるんですね

それに「オブザピープル バイザピープル フォーザピープル=人民の 人民による 人民のための」政治も 

 

「ボーイズビーアンビシャス」は、札幌農学校(現在の北大)で教えたクラーク博士が、北海道を去る際に生徒たちに贈った有名な言葉ですね

まぁ

今さらになりますが、成就の有無にかかわらず、少年期の「目標」は重い価値がありますね

jiiji なんぞの目標は、単に「早く働いて親を助けたい!」レベルでしたから、そこまでです 

もちッと大きな「目標」でありたかったと、思うこともあります

 

 

 

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