地方で考える ●oyajiの侃々諤々

北信濃の豊かな自然と歴史に抱かれて過ごす日々・・・

ちょっと斜に構えてみれば
???と思うことも多いですね~

志の輔さん、いい貢献してますね。 

2011-02-28 | 小さな旅
今日で2月も終り。
今朝は春の雨・・・。
畑の残雪もすっかり消えて、しばらくすると雑草との戦いが始まります。

先日、キノコ栽培を営むTさんの話を聞く機会がありました。
自らも甲子園出場の経験を持つTさんは、あることがきっかけで地元の小学生に野球を指導するようになって20年。
長い体験にもとづく、子育ての重い内容でした。

そのひとつは「今の子供たちは会話ができない」「親子で会話をしてほしい」。
で、
Tさんが受け入れている中国研修生のこと。
20代の女性でも、中国の父親と長電話で会話するそうです。
何事も父親が家族の要!
かつての日本の姿でした。

翻ってわが家・・・。
う~ん、
子供たちとの「会話」は女房任せみたいなものでしたから、
その点ダメですね。
まだまだ女房の通訳  を介しています。


時間が空いたので土日は、義父を誘って急きょの  富山県高岡市。
瑞龍寺と高岡大仏・・・。




僅かな区間でしたが、万葉線にも乗ってみました。




「次は○○です・・・」
の車内アナウンスはご当地出身の立川志の輔さんの声 
土、日、祝日だけのようですが味があります。
志の輔さん、いい貢献してますね 



80を超えている義父は多少足取りが衰えてはいるものの、まだまだ数時間のドライブならOK!
旅先の居酒屋でしばしの「会話」がいつものパターンです。

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朝寝朝酒朝湯が大好きで・・・。

2011-02-25 | Weblog
・・・と言っても、おはら庄助さんのことです。
最近の歌は少しも覚えないのに、子どもの頃のそれは忘れないんですね。
♪「ガード下の靴みがき」に続いて  こんな歌も浮かびました。

  ♪飲めや歌えや 世の中は
  酒だ酒だよ 瓢箪ブギ  
  どうせ飲むなら 養老の滝を
  飲んでみたいな 腹一杯
  滝がお酒に なったとさア~~~


え、
ほんとかね?
滝がお酒になる  なんて・・・と、左党には飛びつきたくなるような歌は
春日八郎さんの『瓢箪ブギ』。
シッカリ覚えています。
 

まずはその原点、「養老孝子伝説」。
なるほど、なるほど・・・。
美濃の国の孝行息子が酒が好きなoyaji(じゃなくて親父)に養老の滝から流れ出る美味い酒を飲ませたという伝説。
まあ、
昔の左党は「飲んでみたいな 腹一杯」という思いはあったでしょうね。
酒は超高級品・・・。
 ♪「おはら庄助さん なんで身上潰したぁ 朝寝朝酒朝湯が大好きで それで身上潰した~~ぁ もっともだ もっともだ」
・・・なんて歌があるように、酒で財産を失ったり、身を滅ぼした話は昔は数多。

でも、
今の酒の価格からいったら身上潰す前に体が潰れます!!

で、
話しは展開して 「養老乃瀧」 ・・・。
どこかで出会ったことがある暖簾ですね。
老舗の居酒屋チェーン店 
元祖は、「木下藤吉郎」こと1938年に長野県松本市で「富士食堂」を創業したYさん。
創業者の生家のあった場所は長野県東筑摩郡の旧四賀村(現松本市)でしたか?
四賀は、もうすぐ咲き競う福寿草の里。



(四賀の福寿草:昨年撮影)


雪が溶けて、やがて顔を出す福寿草・・・。
春を告げてくれます。
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「宮城の母さん」、めげないでください!

2011-02-24 | Weblog
この人のイメージは♪「ガード下の靴みがき」・・・。
最近の歌は少しも覚えないのに、
子どもの頃のそれは忘れないんです。
やっぱり年のせいですか~ 
  ♪・・・街にゃネオンの 花が咲く
  おいら貧しい 靴みがき
  ああ 夜になっても 帰れない


作詩は宮川哲夫さんで作曲は利根一郎さん。
昭和31年っていえば、まだまだ戦争の傷跡が残る頃ですね。
愛くるしい顔に、優しさと、「影」を漂わせる宮城まり子さん。
「貧しい母子家庭に出生、幼くして母、弟と相次ぎ死別するつらい少女時代を送った。東京蒲田に生まれ、小学校3年から大阪で育つ」(ウイッキペディアより)が原点なのでしょうか、歌手や女優で活躍したその後、肢体不自由児の福祉施設「ねむの木学園」を設立して、社会福祉がライフワークになって・・・。
 83歳になった今に、辛い出来事に見舞われました。

《「お金は子どもたちにあげたかった」 宮城さんが手紙》    (2月22日asahi.com)
「・・・手紙は「母のお願い」と題され、原稿用紙2枚に直筆で書かれている。骨折で入院しているベッドの上で書いたとしている。要旨は次の通り」

 なんということでしょう。三十五年働いた女性が、内緒で預金通帳を持ち出し、大切にしまってあった、四十年間必死でためて来たお金を男の人にあげてしまいました。まり子が自分で使ったのならうれしいけど。(お金は)私の死んだ後、身体が悪く、不自由で、父母のいない子にあげたいと思っていました。こども達は今、動揺しています。一日も早く捜査がすみ、もとの明るいねむの木学園にして下さい。私はあの子たちの「母さん」なのです。


静岡県掛川市に 「ねむの木村」 があるなんて、知りませんでした。
そこには宮城さんのパートナー、吉行淳之介さんの文学館もあって・・・。
掛川というと山内一豊と掛川城が浮かびますが、
今度は、
「ねむの木村」に足をのばしたいと思っています。



梅は咲いて、掛川はもう春?
「宮城の母さん」、めげないでください!
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これが桑名の「焼き蛤」ですか~~。

2011-02-22 | Weblog
名古屋駅から電車で桑名に・・・。
かつて東海道の有数の宿場町。
目的は勿論 「焼き蛤」 。
いつもは高速道で通過するだけの桑名ですが、一度は立ち寄ってみたかったまちなのです。

蛤といえば北信濃では「お吸い物」。
めったに口にできない、お祝い膳での高級料理 

で、
これが桑名の「焼き蛤」ですか~~。
なるほど、なるほど 
お銚子も2本いただきました。



「その手は桑名の焼き蛤」。
そんな計略(旨い話)には乗れないよ・・・という意味ですが、
桑名の地名と「食わない」、
美味い蛤と「旨い話」をひっかけて、
誰が言い出したものか桑名の焼き蛤より旨い!!


濃尾平野を流れる木曽川、揖斐川、長良川や小牧、清洲、大高などの地名・・・。
この辺りを走ると、織田信長や木下藤吉郎や蜂須賀小六が活躍した時代が忍ばれます。
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「顔を隠すのが伊達直人 本音を隠せないのが菅直人」

2011-02-19 | この「国」のこと
 ネットにとびまわっているものをコピーさせていただきました。

「庶民を勇気づけるのが伊達直人 庶民を落胆させるのが菅直人」

・・・なんてウマイことを言ったものです。
確かに、
政権交代はもはや政権後退状態。
多くの投票者を落胆させています。

「プロレスがあるのが伊達 プロセスがないのが管」
「仮面を被って戦うのが伊達直人 仮免で国を動かすのが菅直人」
「ここ一番で本当に頼りになるのが伊達直人 ここ一番で全く頼りにならないのが菅直人」
「裏切り者!とミスターXから目の敵にされているのが伊達直人 裏切り者!と小沢一郎から目の敵にされているのが菅 直人」



・・・も、ポイントを突いている感じです。

◆17.8%に落ち込んだ支持率 (時事通信2月10~13日調)
◆小沢系16人の民主会派からの離脱
・・・となると、
菅内閣はすでに危険水域を超えています 
八方ふさがり解散 もありですね。



もう少しコピーさせていただきますと、

「子供達にランドセルを背負わせたいのが伊達直人 子供達に借金を背負わせたいのが菅直人」
「贈与するのが伊達直人 増税するのが菅直人」
「希望を与えるのが伊達直人 希望を奪うのが管直人」


う~~ん、当初の高支持率に気をよくして消費税値上げを公言した菅さん。
一身に矢を浴びています。
やることをやってませんからね~。
でも、ここまでコケ落とされると、かわいそうな気がします。

そこで、

「正義が通るのが(漫画の世界)伊達直人 正道が通らないのが(政治の世界)菅直人」
「顔を隠すのが伊達直人 本音を隠せないのが菅直人」
「一過性なのが伊達直人 一年生なのが菅直人」

・・・なんて、oyajiは多少ヨイショしてみました。

それにしても「正義」待望論ですね 
ダメなら代ることは当然としても、
問題は、
誰か他にいますか?

 民主党なら前原さん、岡田さん、仙石さん・・・。
強制起訴された小沢さんの芽はないでしょう。
解散総選挙で政権交代した場合は、谷垣さん?
それとも石原さん?
まさか「みんなの党」の渡辺さんってこともないでしょう。
いずれも”帯に短し”?

それに、政界再編でネジレが解消したとしても複数政党の連立政権。
またまた「百家争鳴」、
いや、
「百家迷走」もありですね。

この春の選挙では、
タイガーマスクのコスチュームで選挙戦・・・なんてのもありですか 
「伊達直人」
「タイガーマスク」
の無効票がかなりでるでしょう。
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「温湯蓮根」の始まりは、今から170年前・・・。

2011-02-16 | Weblog
かつては千曲川の滞水地だったと思われますが、背後に山を抱く湾曲状の一帯は湿田地帯で、その土質ゆえか特産の蓮根は独特の “ぬめり” があって美味!!
最近は栽培する人も僅かで、今や希少価値 
需要がピークとなる年末には、地元でも手に入らないほどの人気振りです。

それに、
半年ほどの間に泥田で「芽を出しー花を咲かせー枯れていく」蓮の景観は、
目と心を癒してくれる美しさばかりではなく、
どこか、
果かない人の一生を感じさせるものがあります。

        

            

            

            


先日、Iさんが一枚のコピーを持ってきてくれました。
 「恐れ多いとは思いますが、書面にてお願い申し上げます」

それは、
天保13年(1842)8月に、
上高井郡綿内村の佐源太外3名が、
須坂藩に蓮栽培の許可を願い出た文書の下書きを口語意訳したものでした。
つまり、
稲作には土質が適さず出来が悪いため、
前年(天保12年)、
試験的に3俵ほどの土地に蓮を植えたところ9俵ほどの広さにまで繁殖したので、
さらに6俵地を加えて蓮田としたい・・・と、
須坂藩に願い出た次第です。

ここに温湯蓮根のルーツ  がありました。
子どもの頃、
「温湯に蓮根を持ち込んだのはシンペイさん・・・」
と聞いたことがありましたが、
確かに、
願い出た「外3名」の中に親類惣代新平の名前があります。

天保12、13年というと、洪水や冷害にみまわれた天保の大飢饉から数年後・・・。
この辺りがどの程度影響を受けたか、
蓮栽培転換への要因として絡んでいたかどうかはわかりませんが、
興味も湧きます。

わが家のルーツはこの温湯・・・。
天保の時代は、4代目弥作の頃ですね。
どんな生業をしていたか、
どんな暮らしであったか、
こちらも興味が湧くところです。
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ローカルメディア『松代テレビ局』

2011-02-14 | Weblog
2月14日朝。
庭には連休の残雪がまだ・・・。
今日はバレンタインデーですね。
恵方巻きだバレンタインだと、子供の頃にはなかった”風習”が商業ベースで定着していきます。
それとは逆に、
餅つきの音も、「オニワ外~ 福は内~」の豆まきの声もすっかり聞かれない 
寂しいですね。

寂しいといえば、長野電鉄活性化協議会での屋代線「廃止」決定・・・。
今後の議会動向もありますから、
まだ最終決定とは思っていませんが、
大きな峠を超えてしまったことは確かです。

さきほどYAHOO!JAPANで、「屋代線」「廃止」を検索したら約48,900件のヒット。
ウイッキペディアには、
すでに、
「2011年(平成23年)2月2日活性化協議会の議決により廃止が決定」
と記載されていました。

で、
少々覗いてみますと
「当然」
「やむをえない」
「残念」
「拙速」
「反対」
「三セク検討」
「バス活用」
・・・など反応は様々。
「残念」が多かったようです。

中でも、
《鉄道ダイヤ改正ニュース》 http://dia.seesaa.net/article/183921629.html
のコメント欄のやりとりは、
感情論を超えてoyajiには読み応えがありましたね。

今週は、
2月2日の協議会決定を巡っていくつかの動きがありそうです。
沿線の中央に位置する松代藩の城下町、松代。
ここの住民が自主運営するローカルメディア 『松代テレビ局』 も、屋代線の存続運動を大きく取り上げています。



(『松代テレビ局』のHPより)

屋代線の動向とは別としても、
地域情報を積極的に発信する『松代テレビ局』の挑戦にも注目です。
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ということは、ここにも投資ですか?

2011-02-12 | Weblog
中心市街地に賑わいを取り戻そうとする法律、通称 中心市街地活性化法 。
現在、
100市において103の基本計画が国に認定され、
この「まち」もその中の一つです(平成19年に策定)。

都市間競争に後れをとらないためにも、市民の憩いのためにも、賑わいの「顔」を持つことは必要だと思います。
が、
この「まち」の中心市街地区域は中央通りを縦軸とした善光寺から長野駅東口にまで至る200ha。
広いんです。

その中央東に位置する歴史ある繁華街、権堂地区・・・。
飲みにいくとなると、
「ゴンドーいくで~」
・・・でしたね。
お色気もほどほどにあって  
でも、
今では駐車場ばかりが目立つ状態。
oyajiも権堂は遠くなりました。
そんな中で、権堂の再生計画づくりが始まっています。



ということは、 ここにも投資ですか?
市民会館誘致が頓挫したことへの代償・・・という醒めた見方もありますが、
そもそも、
200haにも及ぶ広大な区域に、
どこまで投資が可能なのか?!
すべきなのか?!
疑問が湧きます。

縮小社会でパイは小さくなる一方ですから、あちらが賑わえば、こちらは廃れる・・・のは必至。
長野駅周辺も、
トイーゴ一帯も、
善光寺門前も、
権堂地区からさらに東域まで賑わうことなど、まあ、無理というものです。
立派な街並みに整備されても、
人影がまばらなんてところは全国方々にみられます。

郊外に住む一人としては、
中心部への一極投資よりも、
むしろ、
旧町村エリアに立った”ミニシティ”が優先されるべきではないかと考えるようになりました。

この「地区」の商店街はすでに壊滅しています。
もう10年もすれば、商店はほとんどなくなるかもしれません。
鉄道も廃止されようとしています。
こうなると、
200haの中心市街地の賑わいよりも、
身近なまちづくりに拘らざるをえないのです。


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「着陸の瞬間、一斉に拍手」

2011-02-10 | Weblog
 「着陸の瞬間、一斉に拍手」・・・の見出しを見て、30年近く前、初めての中国旅の帰路、「ドスン・・」という音とともにパキスタン機が成田の滑走路に着陸した時の機内を思い出してしまいました。

《着陸の瞬間、一斉に拍手…エジプトから帰国便》    (2月1日YOMIURI ONLINE)
「エジプトの反体制デモに伴う混乱で、カイロ空港に足止めされていた日本人観光客らのうち、335人を乗せたエジプト航空機が31日夕、成田空港に到着した。乗客らは疲れ切った表情を浮かべながらも、無事帰国できたことへの安堵感から笑みもこぼれていた」


まあ、あの時は騒乱の国から脱出・・・というわけではありません。
往路は日航ジェット機でしたが、
帰路はターバンを巻いた機長のプロぺラ機。
お互い口にこそ出さなくとも、
飛行機に慣れない同行20数名には一様の不安があり、
滑走路に着輪した安堵感が期せずしての拍手につながったというわけです。



(中国の影響を受けた平城宮)


「一衣帯水の国」中国・・・。
不幸な歴史もありましたが、日本にとっては最も交流が深い国。
わが家の「三代」にとっても、
  ◆ 父→→徴兵されて旧満州国へ
  ◆ Oyaji→→□□□市友好訪問団のメンバーとして□□□市と北京市へ
  ◆ 息子→→企業の海外派遣で△△市へ
・・・という直接の関わりです。

Oyajiの中国旅は□□□市への友好訪問。
社会主義経済ということで、
広大な農地にソ連型の集団耕作を想像しましたが、
「請負制度」?ですか、
個人耕作が主体で日本の農業風景と同じだったことは意外でした。
(当時は)ホテルでは鍵もいらないほどの安心・安全感。
(演出されたとはいえ)熱烈な歓迎 
それに、一番は料理が美味しかったことですね。

 友好訪問というと、名立たる人たちが公費でというのが定番です。
行政や議会や経済界の肩書きのある人。
労働界ならば大幹部・・・。
逆の、訪日の場合も多分そうでしょう。

そんなことに疑問を抱いていたOyajiが提案した友好訪問は、
「開かれた募集」 (誰でも参加できる)
「費用は自費」」 (多少の補助はあっても)
・・・の、
いわば草の根方式。
数回続きました。

今や日中関係は新しい時代。
国内格差はあっても、
“貧しい国”から“高度成長の国”に変わり、
日本の観光地や遊興地には中国語がとびかいます。
土地やマンションの購入も多いそうで、バブル期の、かつての日本を思わせますね。

ところで、
中国△△市へ赴任中の息子とは、
携帯電話でもインターネットでも会話することができ、
随分と便利・・・。

「三代目」が中国から何を感じて帰るか、興味の湧くところです。
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誰が(どこが) 押さえるか?

2011-02-09 | Weblog
「オヤジ、どうするのさ~」
「そんなもんお前、俺から汲々することないだろ~」
「“愛知旋風”に○国○が乗ったら、かなり手強そう・・・」
「でも、自民党がそれに乗れるわけないだろう?!」
「・・・だからさ~、やっぱりオヤジしかないんだよ」
「その前に解散総選挙もあるかもしれんぞ。まあ、あわてるこたぁないさ~」

・・・なんて、
石○家の会話があったかどうかは定かではありません。

《「都知事選:自民党の石原幹事長 慎太郎氏に出馬要請へ」     (2月8日毎日jp)
「・・・石原知事を巡っては、自民党を支援する「都各種団体協議会」も立候補を要請する方針を決めており、同党内では「(石原知事出馬の)流れはできつつある」との見方が広がっている。ただ、石原知事は民主党などの動向を見極めるため、都議会最終日の3月11日ごろまで最終判断を持ち越すとみられる」


4月10日の東京都知事選まであと2か月。
首都東京を 誰が(どこが) 押さえるか?
政局に大きく波及すことは必至ながら、
今だ有力候補の構図が見え切りません。
共産党は小池晃さん。
そんな中でまた一人  。

《ワタミ会長が出馬? みんなの党に協力要請》    (2月9日産経ニュース)
「飲食店チェーンなどを展開するワタミ会長の渡辺美樹氏(51)が4月の東京都知事選への出馬を検討していることが8日、明らかになった。みんなの党(渡辺喜美代表)に協力を要請し、同党も連携できるか党内で協議している」


で、
1月23日に放送されたフジテレビ「新報道2001」の世論調査(1月20日・500人対象)では、

【問】4月予定の東京都知事選で出馬が取り沙汰される人で誰を支持するか
   石原慎太郎  30.8%
   東国原英夫  22.6%
   蓮舫        8.8%
   舛添要一    12.6%
   猪瀬直樹     8.2%
   その他、分からない  17.0%

これで見る限りでは、やはり現職石原さんの動向が最大の焦点。
(やる気十分!知名度も抜群ですから、表明のタイミングを計っているのでしょう)

それに、
 今や竜巻状態の“愛知旋風”や「地域政党」の動きと東国原さんの動き・・・。
愛知に続いて、大阪、東京でも旋風が吹くか注目です。
蓮舫さんは民主党低迷の波を受けていますね。

 それにしてもこの人  、田中康夫さん。
元長野県知事にして一世を風靡(プラスもマイナスも・・・)
今は「新党日本」の党首で、衆院議員。



最近は沈黙気味です。
かつては勢いがありました~。
当時は、いずれ都知事選に転向か  と予測していたのですが、
でも、
メディアに載らない田中さんでは情報発信力はありませんね。
 「後発」の東国原さんが挑戦するとなると、
心中穏やかならずでしょうか。
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「過去」Ⅱ。

2011-02-08 | Weblog
2009年9月、大きな期待とともに実現した政権交代。
民主党は政権政党の重みに苦しんでいますが、
長期自民党政権からのChangeによって、
「癒着」や「しがらみ」・・・といった負の部分がえぐり出され、
それがどのような変化と改革につながっているのか、
さっぱり見えてきません。
(何もない?)

中央から市町村の末端にまで、長年にわたって張り巡らされてきた権力・利権構造をガラガラポンと壊したかった・・・oyajiの期待はそこが一番でした。

「政治と金」の問題は小沢さん、鳩山さんだけかのような扱われ方ですが・・・長期政権下でもいろいろあったはずです。
逆にいうと、
政権が交代しても負の部分はガッチリと隠ぺいされている。
一心同体だった官僚機構のガードが固い?
民主党政権にそれをえぐり出す力がない?
あるいは、
えぐり出したらわが身にも傷が及ぶ?

《愛知惨敗、背景に民主への失望 枝野氏「反省ある」》    (2月7日asahi.com)
「・・・枝野氏は「鳩山政権以来行っていることが国民に十分伝わっていない、という反省はある」と語り、敗北の背景に民主党政権への失望があると認める一方、4月の統一地方選への影響については「党の方で、しっかり分析するのではないか」と述べるにとどめた」


確かに失望はあるでしょう。
マニフェスト(政権公約)についてもそうです。
妥協せずに住民税減税と議員歳費削減を押し通そうとする河村流は、
「大衆迎合」「ツケを残す」と批判もあるにせよ、
きわめて単純明快。
圧勝は、マニフェストの形骸や修正ばかりの民主党政権にたまっていたフラストレーションが、一気に吐き出た結果かもしれません。

とはいっても、
住民税減税と議員歳費削減の“一点突破”だけで勝負できる「河村政権」と民主党政権を比べるのは酷・・・。
政権交代に寄せられた「一票」にはいろいろな思いや要素が込められていて、
マニフェストのすべてに賛同して投じられているわけではありませんから、
 玄葉国家戦略担当相の発言は理解できます。

《玄葉氏、野党の解散要求に強弁「政策すべて支持して政権交代選んだ人少ない」》    (2月4日産経ニュース)
「・・・4日午前の閣議後の記者会見で、同党の衆院選マニフェスト(政権公約)を実現できない場合の衆院解散・総選挙を野党側が求めていることに対し、「基本的な理念が180度変わるなら別だが、そうでなければ解散にはつながらない。政権交代したときも、(マニフェストの)政策すべてを支持して投票した人は極めて少なかった」と否定した」


でも、
閣僚がそれをいっても言い訳にしか聞こえませんね。
そもそも、マニフェストに甘さがあったわけですから・・・。



で、
愛知に学ぶとすれば大衆の気持ちがどこにあるかでしょう。
公務員や議員削減に切り込まず、
消費税アップだけを説いても大衆の気持ちはつかめないと思います。
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「過去」

2011-02-07 | Weblog
過去・・・。
誰しも、汚点や勇み足はあるはずです。
が、
いつまでもそれを引きずっていても仕方ない 
何処かでピリオドをうって、
リセットし、
新たなスタートを切らなければ・・・。
それを受け入れる懐の広さを、
この世の中は持っていると思います。

「八百長」問題で激震が走る大相撲界ですが、
名解説者だった玉の海さんの告白  は重いですね。


《先人の遺言に耳傾けるとき 玉の海梅吉さんの告白》    (2月6日産経ニュース)
「八百長はない。絶対にないというだけでは何の解決にもならない。一時的に逃げることができても、本当の相撲界を考えてみた場合、避けては通れない。相撲界は、何らかの形で過去にけじめをつけなくてはならない」


『これが大相撲だ 生きて、みつめて』(潮文社)という著書で、
自らの八百長を告白した玉の海さんが、
昭和59年3月のインタビューに答えた言葉だそうです。

続けて引用させていただけば、

「・・・玉の海さんによれば「三バカ」とは、「八百長をやるバカ、やらぬバカ、これを口にするバカ」を指すのだという。昭和14年1月場所11日目。相手は全勝の出羽湊。玉の海さんは、すでに勝ち越していた。使者は出羽湊と同じ部屋の笠置山。「なんとかならんだろうか」。情において相手の立場を理解した玉の海さんはこれを受け、一生悔いた。これ以後は八百長の申し入れを、すべて断ったという」

で、

 「50年も相撲を見ていると、見てはいけないものまで見えてしまう。やぐら太鼓の聞こえないところで暮らしたい気持ちでいる」
 「この問題に踏み込むと、いろいろと傷つく人もいる。話が過去に及べば、厳重に取り締まるべき立場の人間まで言及される可能性だってないとはいえない。しかし、勇気をもたなくてはいけない」


・・・は含蓄があります。

「あった」と認めれば、
輝かしい先人の記録さえ、
大きくキズがつくのかも知れません。
全ての膿を出し切ることの難しさを、一身に背負っての放駒理事長でしょうね。

過去にも「あった」し、
これからも「あるかもしれない」・・・。
が、
「あってはならないこと」
なので、
もし八百長があった場合は、
これからはこのように
「厳重に処分する」
・・・とするのがスッキリした対処法では?

ルールや法律をいくら設けても、
そこから逸脱することが起こるのはどんな分野でもありうること。
「ある」ことを前提に受け止めるしかないでしょう。
国技の看板のもとに、無謬性を取り繕うとするところにそもそも無理があるはずです。



昨夜はNHKの大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』。
http://www9.nhk.or.jp/go/story/story05.html

「本能寺の変」はいつみても胸を震わすものがあります。
あの場面にお江が登場してくる演出には、
いささかという思いもしましたが信長の
「思うままに生きたぞ」
・・・は絶妙のセリフ。
そんな濃密な人生  を送りたいものです。

 (生まれた年が1573年のお江は、本能寺の変の時はまだ9歳。すでに大人の上野樹里さんが演じていますが、167センチの彼女・・・。もうしばらくは子役を使ってあどけなさがほしかったですね)
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「過去に一切なかった・・・」

2011-02-06 | Weblog
さあ、
どう解決するか魁傑(かいけつ)、放駒理事長・・・。
でも、
「過去に一切なかった」
と言い切ってしまって大丈夫なの?という思いはしますね~。

《[八百長疑惑]「早急に事実確認」理事長、苦渋の会見》    (2月3日毎日jp)
「角界に衝撃が走った大相撲の八百長疑惑。2日午後に緊急に開かれた日本相撲協会の理事会後に会見した放駒理事長は聴取した力士の関与について「確証を得ることができなかった」と苦渋の表情を浮かべた。「過去に一切なかった、新たに抱えてしまった問題」と2度述べて従来の角界に八百長はなかったと強調。「早急に事実関係を確認したい」と繰り返すにとどまった」


確かに、
放駒親方の内弟子にはガチンコ力士といわれた横綱大乃国(現芝田山・「スイーツ親方」)がいます。
八百長とはまったく無縁?だといわれた 
輝かしい成績は残さなくとも、
立派な相撲道です。
放駒理事長の周囲はそうなのかもしれません。


ところで、
「八百長」の意味と、その由来は?
『語源由来辞典』(http://gogen-allguide.com/ya/yaotyou.html)によれば、
「事前に勝敗を示し合せ、勝負をつけること」
で、
明治時代の八百屋の店主・長兵衛(ちょうべえ)が、相撲の年寄・伊勢海五太夫と碁をする時、商売上の打算からわざと負けたりして勝敗をうまく調整し相手のご機嫌をとった。
その長兵衛の通称、「八百長」に由来するということです。

まあ、
いままでも八百長疑惑はいくつもあったこの世界。
あっても不思議はないし、
むしろ「過去に一切なかった・・・」という方が信じがたい 

 
           (あれは「あ・うん」の呼吸?)


噂や1・2の発言の類なら「ない」と頑なに否定もできますが、
今度は削除メールの復元という証拠付で、
当事者3人が認めているということですから、
放駒理事長、
どう解決するか、
それこそ 土俵際 です。
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「65歳以上の市職員OB」

2011-02-05 | Weblog
2月3日放送の、NHK・クローズアップ現代は《働くのがこわい 新たな“ひきこもり”》。
全国で70万人といわれる“ひきこもり”は長期化、高年齢化し、その過半数は30代ということです。
親がサポートできるうちはまだしも、
その先は、
さらに深刻化することは避けられません。

“就職氷河期“という背景もあるわけで、
「新卒」という機を逃してしまうと、
空白の履歴が長く続いてしまうと、
転退職が重なってしまうと、
門戸はますます狭まってしまう 

で、
一方ではこんな  一面も。

《天下り390人、全員退職 23年度末までに 大阪市》   (2月3日産経ニュース)
「大阪市の平松邦夫市長は3日、市の外郭団体に再就職している65歳以上の市職員OBについて、平成23年度末までに全員退職させる方針を明らかにした。15団体で計390人(昨年7月現在)に上っており、民間からの公募などに切り替える。市は当初、25年度までに退職させる方針だったが、「天下りというそしりは免れない」との認識を示していた平松市長が2年間の前倒しを決めた」


マクロでみれば少子高齢化社会・・・。
年金受給年齢の引き上げや、
高齢労働力の活用、
生きがい対策などから定年退職組が働ける場所を確保するのは必要ですが、
恵まれている「お役人さま」が、
65歳を過ぎてまでも自ら “恩恵” に浴し続けるなど 言語道断!!

働くなーではありません。
働くならー別のところで・・・。
ボランティアの分野でという途もあるわけです。
まあ、
大阪市の場合は特異としても、
多かれ少なかれどこにもありますよね。

その代替で“ひきこもり”や“就職難民“の雇用ができるかどうかはともかく、
シルバー世代よりも、
定職がない若者たちの雇用対策!!
勿論、
働こうとすれば働くところはそれなりにあるはずですが、
高度成長の中で、
“売り手市場”であったoyajiの時代とは大きく異なっていることは確かです。



 定職につけず(つかず)、
結婚もままならない若者たちの行く末を考えると、
もっと政治がでてくる分野だと思います。





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「屋代線を愛する伊達直人」さんの思いも空しく活性協、屋代線の「廃止」決定。

2011-02-03 | Weblog


大正11年(1922)以来の長野電鉄屋代線は、米寿とともにその歴史に幕が降ろされようとしています 
2月2日に開かれた法定協議会は、
委員の多数決により、
「廃止してバス代替」 を決定。
会長を除く26名の委員(代理含む)の判断は、
◇11名が「実証実験の継続」
◇14名が「廃止してバス代替」
で、
「白紙」が1名。
「休止してバス代替」は予想に反してゼロでしたね。

長野電鉄の厳しい経営環境や、
画期的な増客策が描けないことや、
「バス代替でもよい」というアンケート結果が1位を占めたことなどからすれば一つの帰結ですが、
3年間の総合連携計画を策定しながら、
実質僅か1~3か月の実証実験結果をもとに、
突如として「バス代替」を割り込ませた手法は、
存続運動を展開してきた沿線住民に不信と憤りを与えたことも確かです。

《長野電鉄屋代線:廃止へ 90年の歴史に幕 沿線3市活性化協議会、多数決で /長野》   (2月3日毎日jp)
「・・・活性化協議会は2日、同線を廃止し、バス路線に転換することを14対11の多数決で決めた。約2年に及ぶ議論はこれで決着し、90年近い屋代線の歴史は幕を下ろす。同社は代替バスのコースなどが決まり次第、早急に国に届け出る方針で、早ければ年内に廃止される可能性もある」


で、
この長野電鉄活性化協議会。
再生・活性化に向けて熱い論議・・・というよりは、屋代線の エピローグを演じる場 だったようです。
毎日新聞は、
「・・・協議会は地域公共交通活性化法に基づいて設置され、当初は屋代線の存続の方策を検討する目的とみられていた。しかし長野電鉄は赤字経営を理由に、存続に消極的な姿勢を強く示し続けた。これを見て、存続による費用負担増を懸念した3市も「廃止やむなし」に転換。活性化に向けた実証実験はわずか3カ月で打ち切られ、行政主体の事務局が廃止などの3案を突然示すなどし、住民らの反対を押し切った」
・・・と、
その背景をズバリ書いています。

この「地区」も走る屋代線、
 こんなことに挑戦することもなく、
多分、
すでに廃止された木島線のように、
雑草だけが生い茂る廃線敷が“遺物”として残り続けるのでしょう。

 



失ってみてその価値がわかる?社会資本としての屋代線・・・。
ソロバン勘定でしか判断されなかったとしたら、
残念です。
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