能登の日曜日は、「どこでも」「いつでも」地震は起こりうることを教えています。
M6.9の震度6強。
被災された方、今も余震にさらされている皆さんには心よりお見舞申し上げます。
先の見えない地震の怖さは、体験した者にはよく分かります。
もう40年以上も前になりましたが、松代町(現在は長野市)を中心に、北信濃を震撼させたのが「松代群発地震」です。
1年半もの長きにわたって、有感地震(震度5と4だけでも62回)が昼夜分かたず続きました。
ゴーッという地鳴り音が、今でも私の記憶に残っています。
当時の中村兼治郎町長は、「学問が欲しい!」とマスコミに訴えました。
地震予知の貧弱さを嘆いたもので、まさに名言。
あれから大きく進んだ地震予知ですが、短くて何百年という地球年齢での「くしゃみ」を、事前に言い当てることは永遠のテーマかもしれません・・・・。
松代町に近い我が家も激動しました。
夜は、老朽母屋を避けて鉄骨の狭い倉庫で寝りました。
軟弱な地盤ゆえか床下には地割れ(小さな断層)が走り、裏山からは落石の危険がありました。
毎日が恐怖でそれもエンドレス・・・。
地震が終息した後、父は一念発起。
「百年の計」で新たな土地に家を造りました。
自然災害に絶対という対策はあり得ませんが、「より安全」を求めることはできます。
より安全を図ることは、政治であり、行政の役割です。
しかし、そこにも限界があります。
昔から言われるのは「川のそばや崖の下・・・」。
「人口の縮小」→「中山間地の過疎の進行」→「インフラ維持の困難」を考えた時、自らリスクを軽減する努力(判断)もまた必要だと思います。
M6.9の震度6強。
被災された方、今も余震にさらされている皆さんには心よりお見舞申し上げます。
先の見えない地震の怖さは、体験した者にはよく分かります。
もう40年以上も前になりましたが、松代町(現在は長野市)を中心に、北信濃を震撼させたのが「松代群発地震」です。
1年半もの長きにわたって、有感地震(震度5と4だけでも62回)が昼夜分かたず続きました。
ゴーッという地鳴り音が、今でも私の記憶に残っています。
当時の中村兼治郎町長は、「学問が欲しい!」とマスコミに訴えました。
地震予知の貧弱さを嘆いたもので、まさに名言。
あれから大きく進んだ地震予知ですが、短くて何百年という地球年齢での「くしゃみ」を、事前に言い当てることは永遠のテーマかもしれません・・・・。
松代町に近い我が家も激動しました。
夜は、老朽母屋を避けて鉄骨の狭い倉庫で寝りました。
軟弱な地盤ゆえか床下には地割れ(小さな断層)が走り、裏山からは落石の危険がありました。
毎日が恐怖でそれもエンドレス・・・。
地震が終息した後、父は一念発起。
「百年の計」で新たな土地に家を造りました。
自然災害に絶対という対策はあり得ませんが、「より安全」を求めることはできます。
より安全を図ることは、政治であり、行政の役割です。
しかし、そこにも限界があります。
昔から言われるのは「川のそばや崖の下・・・」。
「人口の縮小」→「中山間地の過疎の進行」→「インフラ維持の困難」を考えた時、自らリスクを軽減する努力(判断)もまた必要だと思います。