1月31日(日) 3/-3℃
北信濃の 龍・虎 の “傷”
“傷” です!
何かいいことありました?
甲斐の武田信玄が信濃に侵攻してきて、北信濃の武士たちが越後の上杉謙信に助けを求め、以来、5度にわたって戦が繰り広げられたあの「川中島の戦い」・・・
そりゃ
信濃の民とすれば “傷” を負わされた以外の、何物でもないでしょう
♬ 「鞭静粛粛・・・」も有難迷惑の話なのです
・・・ということで、北信濃の「この辺り」には 龍・虎 の「川中島の戦い」にまつわる伝承や足跡が多く残っています
この「地区」の、『民話の会』の皆さんが発行している民話集・・・・
第2集は山城や館、古道の話なのですが、その多くに 龍・虎 が関わっています
「川中島の戦い」が、「この辺り」の歴史の主旋律です
第2集には
――多くの地元の国衆たちが服従を余儀なくされ、あるいは越後の上杉氏の庇護を求めて領地を去り、また戦いを挑んだ者は敗れて没落していった。そしてその陰では、焼き討ちや略奪にあう民衆の悲惨な歴史もあったのである。
まさに、それが現実だったことでしょう
4度目となる、永禄4年(1561)の最大の戦いは八幡原(長野市更北)が主戦場ですから、千曲川をはさんでほど近いこの「地区」に、いろいろと伝承や足跡が残っていて当然なのです
◆この地を領有していた井上氏は、状況の中で、上杉と武田の間を服従した
◆川中島平を見下ろす山手には、「謙信道」や「本陣跡」が残る
◆旧商家、H宅は上杉方に6尺棒200本を工面したという
◆要害の「山城」を巡っては、武田方と上杉方が攻防戦があった
◆千曲川近くのT宅(元天台宗の寺)には、傷を癒した(?)信玄からのお礼の弓が残る
ちなみに、このT宅は、木下惠介監督の松竹映画『笛吹川』の、ロケの休息所に使われました
『笛吹川』は、武田家の最後を高峰秀子さんらの熱演で描いています
これもご縁ですね
(高峰さんから贈られた映画で履いた草鞋と、趣味で作られた陶器・・・)
◆戦いを終えて帰途の謙信が、喉を潤した「錦が池」が今も残る
◆○○氏は、上杉方・・・
◆□□氏は、武田方・・・
・・・・と、この「地区」にも 龍・虎 の歴史がいっぱい
北信濃は “傷” 跡地帯ですね
その謙信・上杉方の、北信濃における防衛ラインが千曲川を隔てる飯山の「飯山城」でした
江戸期、享保2年(1717)からは本多氏が10代にわたっての藩主です
今は北陸新幹線の「飯山駅」もできて、近くの野沢温泉も含め魅力を高めています
で
jiiji は自然・景観も、歴史も、人も大好きなところで、よく出かけます
名物「笹寿司」は、越後から出張ってくる上杉軍の “兵糧” でした
そうそう・・
他に名物と言えば「富倉蕎麦」「酒の、水尾と北光正宗」「野沢菜」「アスパラ」などもいいですね
そして
なんと言っても最高は「本多の鰻」
さあ、今日で1月も終り・・・
「この辺り」は、北陸や東北と比べて雪も少なく、まあまあ過ごしやすい「冬」でした
雪かきもラク
シニアには何よりです
で
今日は「愛妻家の日」でもあるそうです
1をアルファベットのI(あい)にみたてて・・・)31(さ・い)の語呂合わせ
いつも感心させられますが、こういう発想ができる “柔軟な頭” の持ち主がいるものですね
何もないよりはいい!!
あれば、その日の味わいが増してきます