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川勝平太静岡県知事の辞任

2024-04-12 04:35:46 | Peace Cafe


 川勝氏が失言で辞任になった。残念なことだった。右翼報道に狙われていたのだから、用心して欲しかった。川勝氏が早稲田大学の教授だったころに、農文協で企画した座談会でお会いし、話を聞いて頂いたことがある。小さな農家が政府の農政の結果継続できなくなる話をしたが、良く理解してくれた。

 何故政経学部の教授が農業の話のまとめ役なのか分らなかったが、これからは市民が自給農をする時代が来ると言うことを、理解して貰えたと思えた。何を答えてくれたのかは忘れてしまったが、紳士的な立派な方で、反政府の印象は強かった。

 その後静岡県知事になられた。リニアモーターカーの反対で目立っていた。いわゆる報道機関ではまるで工事を止めてしまう、元凶のように書かれることが多かったが、このリニアの中央アルプストンネルは、許されれない、破壊工事だと考えていたので、川勝氏が頑張っているのを応援する気持ちでいた。

 いまや残念なことに報道は大本営発表しか出来ない。批判精神を喪失した。調査報道の能力を失った。だからこのリニアモーターカー工事のとんでもない実態が理解も出来ないのだろう。だから伝えようとしない。この工事は全く現実的では無いような工事なのだ。実際に一日平均1m程度しか進んでいない。

 それは川勝知事とは関係の無い、実現不可能とも言える難工事なのだ。この不可能な工事をごまかすために、川勝氏を取り上げてごまかしてきたのだ。そして、川勝氏を悪者に仕立てるために、失言をことさらに取り上げてきたのだ。足をすくう報道の共同作戦だ。

 多分そういう依頼を受けての報道の忖度報道に違いない。だから川勝氏はどんなに腹が立とうと辞任しては成らない。まさかの辞任報道で、がっかりした。自民党政治家のような、厚顔無恥の粘りは無かった。あの二階氏は「馬鹿野郎」まで発言して、報道はスルーだ。

 森氏など失言のオンパレードだが、パー券キックバック問題では、筆頭の責任者にも関わらず、政倫審にも出ないで済まそうとしている。何故責任者が守られるのかおかしな政党と報道である。犯罪行為として告発すべき責任者が見逃されている。

 川勝知事は学者だから、知性を重んじる人なのだろう。職員に知性在る仕事を期待したい。と言うことだったのだろう。確かにその発言の際に、分りやすい比較として、肉体労働者ではないという意味を持ちだしたのだろう。分りやすい事例が良くは無かった。

 しかし、その通りだと思うのだ。小田原では、農政課の職員が直接道路直しをしたりする肉体労働をする。費用が無いから自分たちで工事をしてしまうと言うのだが、高い給与の市の職員かもしれないが、肉体労働者に較べて運動能力は格段に低い。仕事が農家の半分だ。これも差別発言になるか。

 市の事務職員が肉体労働はやってはならないということだ。多分静岡県でも同じではないか。頭を使って仕事をしろと日ごろから言いたかったのだろう。県の事務職員は頭脳労働者と言うことだろう。それは別段肉体労働者を差別することではないだろう。言い方は良くは無かったのだろうが、趣旨は理解できる。

 百姓の一人として、肉体労働者はとても素晴らしいと思っているから、肉体労働を低くみる考え方自体が間違いだと思う。給与が安い世の中の方が異常だと思う。給与は頭脳でも肉体でも同じだろう。ここに能力差別の問題がある。頭の方が肉体より偉いはずが無い。頭も身体も繋がっている。

 先日、世田谷区の障害福祉課のかたから、障害者差別に対する法律が出来たことの説明を受ける機会があったのだ。石垣市でもそういう説明が進んでいるはずだ。様々な障害者の能力差別がとても気になっている。使える障害者の雇用が優先される。

 この説明を聞いていて、改めて能力差別が根本問題にあると考えた。能力差別に踏み込まずに、障害差別だけを取り上げるために、差別の根源に踏み込んでいない。障害で人間は差別されては成らない。その本質的な意味は人間は能力で差別されてはならないと言うことのはずだ。

 能力を用いて、お金持ちになったのだから、その立場は大切にされてしかるべきだという考え方の世の中である。この考え方が、差別の背景にある。能力がないから、貧乏であるのは仕方がないと言うことになる。障害があるので、能力が阻害されているから、貧乏でも仕方がないとなりかねない。

 日本国憲法第二十五条は、(1)「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」 この意味はすべての国民は等しく健康で文化的な最低限の生活を営むべきである。と考えて良いのだと思える。能力があるから贅沢な生活をするなど、馬鹿馬鹿しいことだ。

 誰もが普通に平等に暮らして、生きられればそれでいいのだ。何故金持ちと貧乏人が居るのか。それは能力の違いだから仕方がないと、決めつけて良いものだろうか。みんなが普通に暮らして、好きなことをして生きれば良いのではないか。特権階級が居なくなれば、社会はそれが可能になるはずだ。

 みんなが楽しく暮らす。それが社会の目標ではないのか。障害者差別を問題にする根本に能力差別の問題があることを忘れては成らないと思う。川勝知事辞任のことだった。報道は全く低下したのだ。沖縄の報道はさすがにそうではないが。石垣島でも八重山毎日新聞以外の大手の報道は偏向している。

 特にNHKはひどい。何故かは想像できる。誰かを忖度しているのだ。あらゆる機会にのぼたん農園を取材して欲しいとお願いしているが、一度も来たことすら無い。何故か避けている。報道はしないでもかまわないが、実情の取材はして欲しいとメールを出すのだが、見に来ることすら無い。今度銀行の方々がやる稲刈りの取材に来て欲しい、と嫌みのメールを出してみよう。
 


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