地場・旬・自給

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小田原欠ノ上の田んぼ

2022-07-01 04:16:22 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
 小田原の欠ノ上の田んぼ田植え一ヶ月後の写真である。今年は余りに美しい田んぼなので、写真を沢山撮った。おおよそ9葉期10分ゲツの状態。どの田んぼも良く管理されている。今年は梅雨明けが早かったから、生育はさらに良くなると思う。畝取りがかなり期待できる。

 こうなると心配になるのが、倒伏である。田んぼの地面を固めながら管理しないと倒れると思われる。田んぼはぜんぶで20枚ある。それぞれに担当者がいて、管理をしている。水管理は東さんが完璧にやられている。畦の水漏れや畦の低くなったところは26日に直した。

 石垣に帰る日の早朝、田んぼに見に行ったらば、2組もコロガシに見えていた。太田さんが草取りをされていたから、早速9番田んぼの草取りに入った。成田に行くのは9時半だから、充分時間があった。その9時半に成田に行く車の中から田んぼを見たら、児玉さんと思われる人が見えていた。

 こうして、農作業が出来るのは喜びである。私の幸運だと思う。いつまで続けられるか分からないが、一日でも長く続けられるように身体をととのえて行きたい。これから時代が変わる。時代が変わる中で、たぶん田んぼの活動の意味合いも変化するのだろう。

 あしがら農の会の活動は日本全国どこでも可能なものだ。もう30年も継続されている活動になる。石垣島でも同様の活動を始めている。参加費1万円で120㎏のお米が貰える。技術さえあれば、どこでも誰でも可能なものだ。良い仲間が出来て楽しい活動だ。

 何故日本中で始まらないかと言えば、少しも儲かる人がいない活動だからではないかと想像している。多くの人が何かをやる動機は経済的な意味が大きい。それで生計を立てようと考えるのだ。農の会の活動を農家が経営として始める事は難しい。

 では農の会の活動はボランティア活動かというと、それも違う。山林や耕作放棄地を奉仕活動で整備するというのとも違う。自分が食べる農作物を自給のために作るという生産でもあるのだ。しかもかかった費用を参加者で均等に負担するということが基本である。

 誰かが儲かるわけではないので、事業として始める人がいない。また、ボランティア活動だというのでもないから、これまた始める人がいないのかもしれない。しかも農地を利用する活動だから、農業者でなければ始めることが難しい。本当は、あしがら農の会のようなNPOであれば農地の利用は可能なのだが。

 これからの時代に、どこにでも、誰にでも必要な活動だと思う。始めたいという人がいたら、是非とも協力したいぐらいだ。今ならまだ間に合う。田んぼは水路が壊れれば、出来なくなる。市民が使うような、中山間地の道路も十分にはないような田んぼは、すでに水が来なくなってしまった田んぼは多い。

 石垣島では牧場を棚田に変えるところから始めた。これはさすがに難しいことだろう。今ならまだ、復田が可能な田んぼは全国至る所にあるはずだ。2反ぐらいの田んぼが見つかれば、10家族をフェースブックやホームページで集めて、活動を始めればいい。必ずやりたいという人はいる。

 農の会の活動は、人間らしい活動だ。誰もが公平で、人のことを思いやる活動になる。この人間関係が現代社会で失われてしまったものだ。稲作社会というものはそうした協働社会を生み出したものだ。これが苦手になったのが現代人なのだろう。しかし、競争社会の中で、協働社会を経験することは良いことだと思う。

 協働社会の気持ちの良さである。江戸時代の搾取されていたという農民の暮らしが、意外に良い面もある暮らしであったことが分かると思う。日本人と言うものが形成されたのはこの稲作の中で生まれたのだと思う。自然に従い、大きく損なうことなく、暮らしを織り込んで行く。

 その意味では武士や商人は日本人の少数派だ。9割を占めた百姓が日本人らしい日本人なのだ。確かに明治期の日本人は武士的なあるいは商人的な日本人だと思い込んでいた。ところが、戦後社会に一番活躍したのは、稲作農家出身の日本人である。

 そして、稲作農家が少数派になり、ほぼ消えたときに日本の競争力も失われたわけだ。昔から言われたように、資源のない日本では人間が資源だ。資源となり得る日本人は、稲作で培われた日本人だった。稲作が必要とした協働の社会だ。

 日本列島は豊かな場所である。ここでもう一度やり直す気になれば、再生できる。そのためには田んぼの活動をやってみることだ。みんなでやることが難しい人は、まず一人で始める。一人で出来るようになったならば、まわりの人といっしょにやる。いつでも始めることは出来る。




















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堆肥の作り方

2021-11-18 04:17:11 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 子供の頃12月になると落ち葉堆肥を積んだ。堆肥は日本の伝統農業を支えた基本となるものである。江戸時代糞尿が商品になったのは、落ち葉や草と混ぜて、堆肥を作り畑に入れたからである。糞尿も高温で発酵させることで、病原菌や虫は死滅したのだ。

 冬が近づくと、向昌院のすぐ上の金比羅山の落ち葉を斜面全体を掃き下ろしてくる。半日くらいかけて、子供をふくめて一家総動員で横並びになり、掃き降ろしたのだが。その落ち葉の山は木小屋野屋根と同じくらいの高さがあった。一辺が10メートルもある巨大な山になった。

 そのお寺のすぐ上の山はお寺の薪を準備するための山で、クヌギ林を順番に20年ぐらいのサイクルで必要な面積だけ、切ることになっている。クヌギは切れば脇から芽が出てきて、またもとのように育つ。かなり上の方まで林はあった。明るいくぬぎ山だった。子供の頃の話だから、面積はよく分からないが、毎年1反を薪にしたとすれば、20年だと2町歩ぐらいの面積ぐらいになる。

 その2町歩の落ち葉を斜面に沿って下に履き下ろしてくる。最後の当たりはもう子供ではとうてい無理なすさまじい量の落ち葉の量を掃き下ろしていた。そして山のとっつきの畑全体が落ち葉のやまになる。その落ち葉には積み込みながら、下肥をかける。

 下肥は外便所に2つのマスがあり、熟成した2番目の下肥の方をくみ取り、肥桶で担いで、堆肥の山まで運んだ。肩に担ぐときに下手にゆらすものだから、その熟成した下肥がぴちゃんと顔にまでかかり、おつりが来たと大騒ぎだった。何度も行ったり来たりした。熟成のマスは1メートル四方ぐらいあった。それをぜんぶくみ出す。

 落ち葉に混ぜなら山を積み直す。するとすぐに翌日には熱が出る。子供は汚いとも思わずその山に登って怒られたものだ。それだけ作った大きな山の堆肥も何度も一段下に場所を変えながら積み直して春になる。春には石垣の下にまで移動していて、あれっというほど小さくなっている。

 これがその先に続いている野菜畑に入れられることになる。向昌院の当たりの土は石が多くて、作りにくい畑だったのだが、最近見たときには驚くほどよくなっていた。長年のおじいさんやおじさんの努力が、土になっているんだと思った。今はいとこが住職なのだが、田んぼや畑には熱心で、子供の頃のままである。

 ユンボやトラックターがお寺の車庫にはあって、なんと田んぼの会をやっているというので驚いてしまった。思い出せばそのいとこは子供の頃から生き物や植物がやたら好きだった。そして今は蜂蜜ではそれなりの仕事をしているらしい。

 血は争えないと言うよりも、何しろ向昌院の環境が自給自足的生活のお寺なのだ。私もそこで育ったから、今も農業をしていると気が休まるのだろう。いとこも同じなのではないかと思う。おじいさん、おじさん、そしていとこ。まだ未来に続くのだろうか。

 堆肥のことであった。シーラ原田んぼで90㎝立方の堆肥マスを2つ作った。そして、落ち葉と稲わらと米ぬかを混ぜながら、積み上げ、踏み込んだ。そして、翌日に上部の温度を測ってみたら40度あった。たちまちに温度が上がった。

 1週間もすれば全体のかさが減ることだろう。そのうち、左右のどちらかに積み直す。一つに入ってしまうはずだ。何しろ堆肥にして発酵を続けると、落ち葉は燃やすよりさらに量が減ると言われている。発酵の力には驚くべき物がある。堆肥として使えるのは、ほど程の発酵段階の落ち葉だ。

 だから山の木々は何万年という年月、森の循環が続いている。この落ち葉堆肥を田んぼに入れて、田んぼの土をよくしてゆきたい。消耗の激しい亜熱帯の土壌であっても、消耗に負けないだけ堆肥を入れて行けば良くなるに違いない。落ち葉は亜熱帯の森の方が通年生産されているはずだ。山の中で落ち葉の溜まるところを見付けることだ。

 山北で養鶏をやっている頃はそうした山で出来た腐葉土を、大量に鶏小屋に入れていやっていた。鶏がその腐葉土に鶏糞を混ぜてくれて、攪拌してくれる。これを田んぼに入れていた。それで田んぼの土がたちまちに良くなったのだ。

 シーラ原田んぼの堆肥置き場には、各家庭から出る生ゴミを入れたいと思っている。生ゴミの水を切って田んぼまで持ってきて貰う。これを堆肥に加えて行く。攪拌さえすれば、より効果の高い堆肥に代わってゆく。家庭から出る生ゴミは堆肥材料としては最高のものになる。それは人間が食べるものと同じ成分だからだ。

 小田原では20年前ぐらいからダンボールコンポストに取り組んだ。このダンボールコンポストで出来た生ゴミが安全に畑で使えるかの実証実験をした。小松菜を植えて、色々の肥料と競べてみた。生ゴミから出来た堆肥はとてもバランス良く健全に育った。発芽実験でもとても成績が良かった。

 課程から出る生ゴミ堆肥は鶏糞と同じくらいの窒素分があり、肥料としての効果の高い良いものだった。堆肥は発酵が進みすぎると肥料効果は減少してゆく。使う頃合いがある。ダンボールコンポストを良く発酵させるコツは、熱を40度以上に維持することだ。下がってきたら、米ぬかを加えてかき回す。それでもダメなときは天ぷら油の廃油を加える。

 田んぼや畑の堆肥も同じで、温度が下がったら、米ぬかを加えて攪拌してやる。水と空気と米ぬかという養分を攪拌することでまんべんなく混合する。これを繰り返して、植物のセルロース分を分解させ、畑に使う丁度良い腐食にすることが出来る。

 温度は60度位まで上がり、また下がってきたら攪拌という課程を繰り返してゆく。納豆菌が増殖すると温度が60度超えで相当高くなる。落ち葉や草に混ぜてやるものは、鶏糞でも、牛糞でも、下肥でも、米ぬかでも、家庭の生ゴミでも可能である。熱が出ると水分が蒸散してしまうので、適度に水も加えてやる必要がある。

 何度も切り返してやれば堆肥の熟成は早まり、早く使える堆肥になる。来年の春田んぼに入れられるように、頑張って堆肥を作ろうと思う。腐葉土や牛すんの野積みの風化したような肥料も見付けて、田んぼに入れたいと思う。

 今年の目標はイネ作りよりも、田んぼの腐植を増やし、土壌を有機農業が出来るものにすることだ。まだまだ時間がかかるかもしれないが、5年間の長丁場を見据えて頑張るつもりだ。石垣島の田んぼの活動は最後の仕事のつもりだ。


 
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シーラ原田んぼの冬期湛水

2021-11-17 04:38:18 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 シーラ原田んぼは稲刈りが終わり、すぐ耕して3日間乾かしてから水を入れた。すぐ水を入れれば良いと思ったのだが、一度乾かしてから水を入れた方が良いというのが、石垣島で田んぼをやられて来た方の意見だった。本当だろうかと思いながら、助言に従いやってみた。

 一度乾かした土が水につかるとかえって簡単にとろけると言うことだった。乾かす3日間よりも、まだ湿気ている土にそのまま水を入れた3日間の方がむしろ土は軟らかくなると思えた。乾くと日干しレンガのように堅くなるのだから、むしろ軟らかい間に水を入れた方が良いと思うのだが。石垣島の土壌はそういう物だという地元の方の意見に従った。

 3日間程度では乾かしたことにも成らなかったのだが、その上にその間に雨がふった。19日には小田原にゆく。22日以降は農業用水は止めるという連絡が、ダム事務所から来たそうだ。そうであれば14日に1度目の代掻きをするほかない。そして、もう一度17日今日2回目の代掻きをする。

 7日に稲刈りが終わり、すぐ鋤で耕して、10日の夜には水を入れざる得なかった。翌朝には水がほぼ溜まっていた。荒起こしをして、12時間でまた湛水できる田んぼなのだ。畦の直しもまったくしていない。一年耕作して、畦直しがいらない田んぼというのはすごい。縦浸透もほとんど無い田んぼ。小田原とは土壌がまるで違う。

 一番驚いたのは風で土壌が寄せられて、イネを押し倒すのだ。強く風が吹くから、畦際には防風林が必要ではないかと思う。今度作る田んぼは畦を1メートルは取り、畦にブーゲンビリアを植えるつもりだ。ブーゲンビリア園を作られている、山本さんと相談してみたい。

 石垣島の土壌は還元化が進む可能性がある。つまりメタン発酵をしやすい田んぼである。有機質を入れない科学肥料を使う農法であれば、メタン発酵する腐食は少ない。しかし有機農業を目指して堆肥を入れたり、緑肥を育てた農法では縦浸透の無い石垣の田んぼではメタン発酵が起こりやすいことになる。

 どう克服してゆけば良いのだろうか、今後の観察課題である。水管理を初期から間断灌水にするとか、流し水管理にする必要があるのかもしれない。来期は腐敗防止のためコロガシをする必要があるのかもしれない。今年田んぼの奥の法がおかしくなったのは、堆肥などが風に奥に吹き寄せられ腐敗がおきた可能性がある。

 14日には水牛わかばのコロバシャ代掻きである。最近わかばを働かせていないので、大丈夫なのか心配だったが、若葉は元気よくコロバシャ代掻きをしてくれた。ただ、代掻きはしてもしなくても、水はすでに溜まっているほど水漏れの少ない土壌。

 2階代掻きを行いさらに縦浸透を無くすということになる。畦からの水漏れももう一回点検整備である。水が漏れない、縦浸透が無いという状態であれば、一週間に一度雨があれば、水は切れないことになるだろう。

 今日コロバシャ代掻きを行う予定である。丁寧な代掻きをすると、雨だけで水が保たれる可能性が高まる。雨が降らないで水が干上がることがあれば、脇の川から水をポンプで汲み上げることにする。昔のように山の方から雨が入りやすいような構造も考えたいと思っている。これは小田原に行く前には無理なのかと思う。

 水を溜めたならば、出来ればアカウキクサを見付けて入れたいと考えている。アカウキクサがもし見つかれば在来の希少な浮き草である。これを増殖することは絶滅危惧種であるのだから、必要なことではないかと思っている。アゾラの一種であるために、在来のアゾラはすでに純粋なモノは失われているのかもしれない。

 それならそれで、何か冬でも育つ水草を探したい。冬期湛水にして、水草が増えて緑肥になればと考えている。石垣の冬の気温であれば、水を湛水しておけば水温も上がり、水草は増殖するのではないかと見ている。代掻きが終わったならば、18日までに田んぼに入れる水草を探さなければならない。

 冬期湛水で土壌が良くなるためには水草による腐食の増加が必要なはずだ。宮城県大崎市の蕪栗沼周辺のラムサール条約にふくまれている、水田では天然記念物で あるマガンやハクチョウなどの水鳥のねぐらを創出するために冬期湛水を行っている 。

 冬期湛水による一番の水田の改善はとろとろ層の形成が進むことだろう。年間を通して切れ目の無い湛水によって、土壌微生物の活動が活発化して、田んぼ土壌にとろとろ層が形成されることになる。石垣の土壌は独特のモノで、細かな土なのだが、風によって吹く寄せられイネを埋め込んでしまうようなトロトロ層とはかなり違うものだ。

 農薬不使用や冬期湛水を行うことで、石垣島であれば、特別天然記念物のカンムリワシのエサとなる動物が増加するはずだ。カエルが増加することになるだろう。シーラ原田んぼには守り神のように、いつも来ているカンムリワシがいる。餌場にしているに違いない。

 イトミミズ類 、底生動物,昆 虫類,両生類の増加が連鎖的に行われることになる。無農薬で田んぼを行うとどこでも起こることだが、これが冬期湛水になれば、年間を通して生き物が増加して、エサが豊富になる。水鳥だけで無く、陸鳥の餌場になっている茨城県の事例もある。

 以下冬期湛水の事例をまとめておく。

 海外の事例としては、スペイン北東部の 地中海に突き出ているエブロデルタはラムサール 条約湿地であり、その野鳥特別保護区周辺では、EU の共通農業政策による助成金の効果もあり,水鳥の生息環境を向上させるために冬期湛水が広い範囲で実施されている 。

 カリフオルニ ア州では 1991年より水田でのわら焼きが禁止され, その代替わら処理法としてわらを分解するために湛水す る事が奨励されて、冬期湛水が実施されている。

 日本でも 2011年度から環境保全型農業直 接支援対策の要件として冬期湛水管理が採択されている。これは石垣島でも是非行政は検討すべき事では無いだろうか。 2013 年度以降は冬期湛水管理は地域特認取組になり、減 農薬、減化学肥料栽培を実施することが必要条件になっている。実施面積は全国7079haに達して いる。 

 冬期湛水は,冬期から春期に乾燥する地域では土壌有機物が風により減耗してしまうことを抑制し,土壌肥沃度の維持に有効になる。生物多様性の向上や水質浄化といった水田の環境面への効果のほか、雑草抑制などの営農面への効果も明らかになっている。 

 また地下水を環境することも報告がある。地下水位計測の結果、実施田の地下水位の上昇はもちろんのこと、慣行田 での地下水位 の上昇も確認された。このことから、冬期湛水によってもたらされる地下水の涵養効果は 冬期湛水実施田だけでなく、その周囲の地域にまで地下水位の上昇が起きている。

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田んぼは平和な社会を作るため

2021-11-16 04:39:55 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
 


 「上野長一といろいろ米のものがたり」という本を読ませて貰った。栃木で自然農をやられてきた方の物語である。著者は水谷正一という宇都宮大学の農学部の教授だった方だ。同じ農学部だから叔父とも接点があったのかもしれない。この本の中に「田んぼをやることは平和な社会を作るためだ。」こういう言葉が書かれていた。胸に迫るモノがあった。

 感銘を受けた。その通りのことだ。長年田んぼの活動をしてきたことの意味を再確認した。あしがら農の会をやってきたことはまさに平和な暮らしのための、食糧自給活動である。石垣島で農の会を始めたことも平和な暮らしのためである。平和な暮らしを田んぼから学ぼうと言うことである。

 生きている限り続けなければならないと励ましを受けた。石垣島農の会はまだ始めたばかりである。これから形を作り立ち上げてゆかなければならない。干川さんはあと3年はやれると言われている。それなら私は2つ年下なのだからあと5年はやれる。その間に、なんとしても形を作り上げて、次の人達に渡せるところまで進めたい。

 平和のための農業は、土壌を育てる循環する農業である。収奪的な近代農業では無い。未来に続く東洋4000年の循環農業である。人間の暮らしが自然を大きく改編すること無く、継続されてゆくイネ作り。食糧を作るという行為は他の産業とは、成り立ちが異なるものなのだ。

 縄文後期から日本が比較的平和な国として歩んで来れたのはイネ作りが日本の基幹産業だったからだ。イネ作りは人と人の共同作業が必要になる。水を通して、譲り合う経済が生まれる。イネ作りは平和に暮らして始めて可能になる産業なのだ。

 特に江戸時代の幕府と各藩そして庄屋制度、そして大家でもある地主と小作人。まさに封建制度で問題があるが、平和に暮らしていた時代だ。この時代から学ぶものはあるはずだ。小作人制度が深刻化したのは本当は明治時代だったのだ。富裕層による搾取するための、不在地主による小作が広がる。

 人間が生きる食料という基本を自分の手で支えるという自給の思想は、人間がどのように生きるべきかの根本を学ぶことが出来るものだ。生きるためである以上、未来に繋がっていなくては成らない。イネ作りが、田んぼが、自分一代のものではなくなる。

 自分の食べるものを作りながら、未来社会に繋がる生産方法をとらなくては成らない。そうしなければ自分の孫子の時代には、農地や環境が疲弊してしまうからである。この原点を自らの手でつかみ取るための自給活動である。あしがら平野で展開した農の会が、今度は石垣島で平和の活動として、自給活動を展開したい。

 同じ農業でもプランテーション農業はまさに収奪農業である。儲かりさえすれば、土地を荒らしてしまうとしてもかなわないという農業だ。化学肥料や農薬を大量に使い、当面利益が一番であるやり方がプランテーション農業の目標となる。それが植民地から始まったのは、よく分かることだ。土地がおかしくなれば、おかしくない土地に場所を変えれば良いことになる。

 まさに帝国主義の植民地農業はそうして農地を荒らして、植民地国家の食料生産までだめにしていったのだ。綿花を強制的に作らせて、食料生産が出来ない農業にしてしまう。農民が農業に働きながら食べるものさえ不足するというおかしな農業である。

 日本の伝統農業は農地をよくすることがむしろ目的と言えるほど、農耕地を大切にし、未来の家族が暮らして行ける農業であった。それは日本の農業が平和のための農業だったからだろう。自分の子孫が平和に暮らすために、農地の永続性を重要視した。農地を荒らすことはご先祖様に申し訳の立たないことだった。

 伝統農業は平和な国作りをささえる基盤であった。ところが、明治政府の富国強兵政策のもとでは、農業も他の工業のような産業と同じように、効率と利益が優先されるものに変えられていった。江戸時代の農民搾取が盛んに言われるが、問題は明治時代の富国強兵に潰された、農民の暮らしなのだ。

 化学肥料と農薬が利益を上げる重要なものとなった。それは科学の発展がもたらした20世紀の恩恵ではあったのだが、同時に農地の永続性を危うくさせるものでもあった。沈黙の春である。永続性の無い、平和では無い農業の姿である。

 近代農業が地力を衰えさせることになり、病害虫も増加した。利益目的の農業では永続性に問題が出てきたのだ。腐植が失われることが土壌の永続性を損なったのだ。こうなると農業も平和な暮らしのためのものではなくなってくる。収入を得ることが目的の仕事に変わってしまった。

 人間が人間らしく暮らすための営みだった農業が、人間の良い暮らしを作り上げるための仕事では無くなってしまった。そのためにイネ作りは平和を作る仕事だと言われても、どう繋がっているのかが見えなくなってしまったのだろう。

 自給農業を行うと言うことは平和な暮らしとはどんなものなのか。平和な人間とはどんな人のことなのか。そういうことを自学する場なのだと思う。人を押しのける人間では無く、支え合う人間人間になるための場なのだろう。イネ作りをすれば共同する意味を身体が教えてくれると思う。

 田んぼをで成長できない人もいる。自給のための田んぼに参加しているというにもかかわらず、まるで企業での利益競争のように、自分が自分がというような調和の無い人がいる。いかに他の人を支配するかばかり考えている人もいる。それは平和のための農業という自覚が無いからなのだ。自給農業はあくまで平和のための農業である事を忘れては成らない。

 社会が人間をゆがめてしまっていることが分かる。田んぼの自給活動ですらみんなのためにできない人がいるのだ。それでも多くの人はこの自給のための田んぼはどうも、効率重視の近代農業と違うらしいと学ぶことになる人が多い。みんなのために働くと言うことが喜びになるように変わってゆく人の方が多い。

 もちろん変われないで止めてゆく人もいる。一人はみんなのために、みんなは一人のために。農業に興味を持つ人の多くは、今の社会に幻滅をしていることが多い。競争主義社会の疲弊。能力主義社会の耐えがたい圧迫。これを逃れて、別の道から越えてゆこうというのが、自給のためのイネ作り活動なのだと思う。

 命を繋ぐ自給のイネ作り。身体が動く間はなんとしても継続したい。これが命の続く間はやるべき事のようだ。私の絵が田んぼの活動から生まれるものになることを願っている。平和のための楽観の絵である。田んぼの自給活動をめざす人になら伝わる絵である。

 田んぼをやることが平和な社会を作るためであるように、絵を描くことは平和な社会を作るためのものである。私の絵に楽観が宿り、見る人が描かれた絵で楽観を確認できるようなものになることが目標である。それは到達できないことかもしれないが、平和な社会の楽観の表現を目指している絵だという姿勢を継続したい。


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田んぼで堆肥作りを始める

2021-11-13 04:05:46 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 田んぼで堆肥作りを行うことにした。田んぼに腐植を増やしたいからだ。伝統農業では誰もが行っていたことだ。化学肥料が無い時代は落ち葉を集めて下肥を混ぜて大きな山に積み上げていた。子供の頃の境川村では当たり前の事だった。

 来年の田植えまでに少しでも、土壌をよくしたい。それを田んぼに参加しているすべての人で行うことにしたい。参加者が沢山いるのだから、家庭で出る生ゴミを集めるだけでもかなりの堆肥が出来るはずだ。参加者の誰もがいつでも田んぼ良く出来る仕組みが大切だ。

 石垣島には葉山町発のキエーロの活動をされている人達もいる。ダンボールコンポストをやられている人もいる。私は小田原でダンボールコンポストの活動を立ち上げた。その時出来た堆肥の行き場として実証実験農地に小松菜を植えて実験をした。



 家庭ごみの堆肥化したものは肥料効果は高く、安全なものであった。その活動は環境省大臣賞を受賞した。石垣島のシーラ原田んぼでも生ゴミ堆肥が利用出来た堆肥が利用できれば、生ゴミ処理の新しい流れが出来ることにもなるかもしれない。

 もちろん山には年間を通して大量の落ち葉があり、海には季節ごとに打ち上げられる海藻がある。うまく堆肥化して農業利用するのは伝統農業では必要不可欠なことだったはずだ。そうして亜熱帯の土壌を維持していたに違いない。そういう努力で農地の健全な循環が保たれていたはずだ。

 常緑の島には落ち葉が年間を通して沢山落ちている。海岸には海藻が打ち寄せられることがある。これらを機会あるごとに集めてきて、堆肥に加える活動も平行してやりたい。なんと言っても落ち葉堆肥は畑の土壌の改善には最高のものになる。

 周りの山にもいくらでも腐葉土がありそうだ。山の掃除のつもりで、何でも集めて堆肥にしたらいいのだろう。草刈りも常にしなくては成らない。その草を堆肥にすれば、これも材料になる。あの困るアメリカハマグルマも堆肥材料と思えば、我慢できるかもしれない。

 先ずは田んぼの脇に90センチ角のコンパネの枠を作る。四つ作り2段を二つ並べておくところから始めたい。米ぬかも脇に用意しておき落ち葉や草や生ゴミを入れる都度、米ぬかを振りかけておく。これを繰返し、1ヶ月ごとぐらいしたら左右の箱に移し替える。

 堆肥の切り返しになるだろう。雨水は入らないようにビニールシートをかけておきたい。回りはゴムで止めておけば良いだろう。田んぼ参加者全員の生ゴミ堆肥化活動にしたらよい。全員で田んぼの土を、有機農法が出来る土壌に育ててゆくという伝統農業の原点に立ちたい。

 実はこれはアンパルの会の事務局長の山崎さんからのヒントがあって考えたことだ。田んぼの会のみんなが、一つの方向を共有するために何か一緒になってやれることが必要である。それが土作りでは無いかと言われた。こういう素晴らしい人に出会うことで、ついつい本気になってきた。ちりも積もれば山となる。根気よく腐植を増やすことが、田んぼにとって一番重要なことだ。

 すでに山崎さんは落ち葉を集めて持ってきてくれた。堆肥枠の材料は用意したので、17日の日曜日には早速作り、第一回の堆肥の仕込みということにしたい。田んぼに来るときには、生ゴミやその他の堆肥材料を持参で来るというような習慣になれば、田んぼへの参加者意識も変わってくるだろう。

 石垣の土壌の特徴は極端に腐植が少ないと言うことだ。強い日照にさらされていると言うこともあるだろう。田んぼは耕地整理がされて、土壌が人工的なものに置き換えられている感じもする。その土壌で、化学肥料と化学農薬による、大型機械による農業が、一年2回の耕作が繰り返されて来ている。

 こうした耕作の間に田んぼの土壌は腐植を失い、微生物の繁殖もかなり少ないものになっていると思われる。この土壌を有機農業が出来る土壌に戻すためには腐植の量を増やす事が基本になる。伝統農業のように落ち葉を集めることになれば、あちこちの掃除をすることにも成る。

 腐植を増やして、土壌微生物を増加させる必要があるだろう。そのためには良質な堆肥を大量に入れる必要がある。牛糞が長年山積みされているところもあるらしい。これらを貰ってきて堆肥に混ぜて再発行させて、田んぼに入れることが出来れば、土壌改良になる。

 7月から2月までの長期の湛水を行うことが出来れば、これも土壌の腐植を増やすことになるだろう。田んぼで絶滅危惧種であるアカウキクサを増やすことが出来れば、これもよい緑肥になる。アカウキクサが見つからないとしても石垣島で保全が必要な水草類があるならそれを田んぼで育てたら良い。

 長期間湛水すれば、それが水鳥たちの餌場になり、休憩場所になる。土壌も良くなり、その上に石垣島の環境保全にも成る。地下水の環境にも成る。赤土の流出の軽減にも成るだろう。まさに田んぼは循環型生活の基本の農業になることだろう。山崎さんから提案のあった、田んぼで堆肥を作ろうは未来に繋がりそうだ。

 「堆肥場」の目印の旗を立てて貰いたいというのが、山崎さんの要請でもある。旗があれば、多くの人に生ゴミ堆肥などを持ってきて貰えるというのだ。なるほどこれもおもしろい考えだ。風が相当に強いから、丈夫な旗にしなければならないだろう。

 田んぼの活動を、生ゴミを燃やさない活動とリンクさせることも出来る。石垣市の学校給食で残渣が出ていて、堆肥にせずに生ゴミとして処理されているとすれば、それを堆肥化して田んぼに入れたいと思う。各学校で堆肥にする活動を行うのも意義があるだろう。石垣市の給食センターには質問メールを入れたがまだ返事は無い。

 石垣島には生ゴミ堆肥化のキエーロの活動やダンボールコンポストの活動がすでに行われている。学校の食品残渣も堆肥化されているのかもしれない。そうした活動と、連携が取れるようになれば大きなネットワークが出来てくるはずだ。

 島のごみ問題はいかに減量して島の土壌に戻すかが鍵だ。生ゴミは燃やさないですべて堆肥にするくらいの気持ちで進めないと、島はごみが溢れることになる。田んぼの堆肥作りが、生ゴミの減量に繋がれば、田んぼの意義が多くの人に受け入れられることにも成る。

 考えているだけで希望とやる気が出てきた。色々な石垣島で必要な役割が見えてきたような気がする。田んぼを始めるのは止めようと思っていたのだが、やって良かったと思っている。多くの人と繋がることが出来たし、石垣の自然とも繋がりが出来た。

 絵を描く為には田んぼをやる必要があったようだ。絵がドンドン描けているのも田んぼを始めて元気になっているからかもしれない。今日はどのように進めるか、大倉さんという方に相談に行くことにしている。
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石垣島田んぼの稲刈り、脱穀が終わって

2021-11-08 04:03:56 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」

足踏み脱穀機
 石垣島田んぼ勉強会は稲刈り、脱穀が終わった。収穫が無いほとんど無い、辛い結果になった。40名を越えるの参加だった。沢山の方に田んぼ勉強会に参加していただいたのに、収穫が出来なかったのは、申し訳の無い気持ちで一杯になった。この失敗を良く分析をして、次回の耕作に取り組もうと考えている。

 亜熱帯の7月に種まきをするということで、様々な困難が起こるだろう事は、ある程度予想はしていたのだが、ここまで生育が悪いとはさすがに考えていなかった。私の考えが甘かった結果に違いない。すべては準備不足のまま始めてしまったためだろう。

 今回の失敗で学んだことも無かったわけではない。一番学んだことは気候に適合する品種があり、それを選択しなければならないと言うことだと思う。石垣島の熱研の圃場では「とよめき」が成績が良かったと言われていた。次回は作ってみようかと思っている。


千歯扱きの脱穀

 次の課題はいかに有機農業の土壌を作ってゆくのかと言うことになる。石垣の田んぼの土壌は、随分と状態が違う。細かくて縦浸透が無い。田んぼに一度水が溜まれば、縦につまり土壌の下に抜けることはほぼない無い。まるでコンクリートのような防水層が耕土の下にあるような感じである。

 土の粒子が細かい。そして腐植がほとんど無い。長年2期作で連続的に耕作してきた結果なのだと思う。除草剤や殺菌剤剤や殺虫剤が限界まで使われているように見える。その結果有機農業とはかけ離れたものになっている。これは石垣島の稲作が、10ヘクタールを超える10人程度の大規模農家によって行なわれている結果である。

 この有機農業の土壌とはまったく違う土壌をどのように、有機農業向きの土壌に育んでゆけば良いかが、今後の課題になる。参加者全員で腐食を増やす努力をしたい。田んぼのそばに堆肥場を作りたい。参加者はできる限り家で出る生ゴミを堆肥化して、田んぼの堆肥場に持ち込む。落ち葉や腐葉土を集めて田んぼの堆肥場に持ち込む。

 また、来期まで期間が短いので、対策として田植えを遅らせる。そして、すぐに土壌を起して、水を溜める。14日には水牛わかばのコロバシャで代掻きをして、そのまま冬季湛水にして置く。

 この効果は分からない部分もあるが、冬期湛水はたぶん土壌が回復する速度を早めてくれる効果があるのだろう。これは長年石垣島で有機農業をされてきた、下地さんの提案である。田植えも遅くして湛水期間を延ばしたら良いと言われていた。

  もう一つは田んぼに入れる堆肥作りをしたいと思う。良い堆肥を充分に作って、田んぼに入れる必要がある。それをしなければ、また肥料不足の結果になる。これは田盛さんという方が、有機肥料と言うか、有機ぼかし肥料を作られている。ここに加えていただき、肥料作りをやらせて貰いたい。

 今回の勉強会の結果を踏まえ、来年本格的に田んぼに取り組むつもりでいる。今度こそ次に繋がる成果を上げるべく頑張りたい。まだ石垣島での有機農法に適合する品種なども分からないことが多いが、来期は「とよめき」でもう一度挑戦してみる。

〇実施の流れ 
7月4日 苗床の種まき。
7月11日 水牛による田んぼの代掻き。
8月1日 田植え。 
9月初旬  走り穂、10葉期での出穂になり驚き。
9月12日 出穂 
9月22日 穂揃い。まだ分ゲツからの出穂が続いている。
9月22日 イネ開花期に台風が襲来。イネ受粉障害になった模様。株倒される。
10月18日 緑肥の播種ヘヤリーベッチとクロタラリア 
11月7日 稲刈り足踏み脱穀機

 勉強会を通して考えたことや、気付いたこと、を上げておきたい。来年の二回目の挑戦に役立つことだと思う。

  • 田んぼの土壌が有機農業向きにまだ出来ていない上に、肥料不足で成長が不十分だった。
  • 気温が高すぎるために苗が徒長し、軟弱苗になった。台風で苗が土に埋まった事もある。
  • 病害虫が多く、無農薬での対応はまだ見えないことが様々ある。
  • 「ひとめぼれ」は株が出来上がる前の10葉期で穂が出てしまった。本来15枚の葉が出る。
  • 事前の道具や機械および機械小屋などの準備が不十分で、このままでは難しい気がしている。
  • 参加者への連絡方法が確立できなかったため、参加者の把握が出来なかった。
  • ジャンボタニシによる除草方法が見えてきたこと。畦際に水路を作るとよい。
  • 有機農法では2期作はせず、土が良くなるまでは後期は土作りをした方が良さそうである。
  • 石垣島の土壌は細かく浸透性が少ない。畦は穴が空かず強い。縦浸透がほとんど無い。
  • 水牛による代掻きが実現できて、今後も水牛による稲作が行えることが分かった。
  • 初めての参加者による苗作り、苗取り、線引きや、手植えの手順がおおよそ把握できた。
 石垣島には石垣島独特に成立しているイネ作りがある。いままで小田原で見てきた農業とはかなり違っているとおもう。特に2期作の方法は想像していなかったほど違っていた。しかも、農家ごとに違う農法が行われていて、驚かされた。それは自分が耕作してみてよくよく分かったことだ。

 それぞれの農家の方の栽培法が随分と違うやり方をしている。全国的に見ても珍しい事ではないかと思う。小田原でも独自の方法でされている方も、いないでは無いが、一般的には例えば田植えであればおおよそ同じ時期に行われる。

 それは田んぼの用水に水が来る時期などが決まっているから、自然と統一が取れる。しかし、石垣ではそれぞれの農家の考えでかなり時期がずれることになる。各田んぼに水が配管されていて、自分の考えで時期を決めることが出来る。

 また、気候的に1月から8月まで間、どの時期にでも田植えすることが出来るという、気候的な自由さもある。稲作以外にやられている人であれば、パイナップルや、サトウキビの栽培の農繁期とずらして、稲作を行うという人もいるのかもしれない。

 また、台風の襲来が多いということもある。うまく台風を避けて作るためには、それぞれの方の経験からその年の台風を予測して、避けているようだ。こうして、自由に栽培をしている結果から、多様な稲作が出現してきたのでは無いだろうか。

 今年多くの方の協力の下に稲作を行ったにもかかわらず、結果を残せなかったことは実に残念なことであったが、これを次につなげ無ければ、多くの協力いただいた方にも申し訳ないことになる。なんとしても石垣島の有機稲作を実現するまでやってみたい。

 収穫出来るお米がほとんど無い状態での稲刈りであったが、40名もの参加者がいた。石垣島への移住者の間では有機農業に対する関心が実に深いのだとおもう。特に、市民が参加できるイネ作りは提案されたことが無かった結果なのだと思う。

 今回の石垣島田んぼ勉強会が、島にやってくる新規就農者の役に立てる組織になることを考えている。移住者の窓口のような組織はすでにあるが、農業者の窓口はあまりないようだ。そのあたりに私の出来る役割があるようにも見える。

 4つの課題がある。
1,農業および農地に関する情報提供 
2,農業機械の提供。
3,農作業場および拠点作り。
4,お米の販売の研究。

 これからわたしにどこまで出来るかは分からないが、社会的意味では最後の仕事になるような気がする。石垣に来たのは、絵を描くだけの生活のためだったにもかかわらず、こういうことになった。成るべきして成ったような気もする。

 石垣の農業も特に稲作に関しては、後継者が難しくなるとみている。石垣島のイネ作りが未来に継続されるためには、経営的農家では無い人が、支えてゆかなければならないことになる。それは小田原で、また全国の過疎地でおきていることと同じではないだろうか。
 
 
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「北海道のお米が美味しくなった理由は温暖化ではない」

2021-10-30 04:08:31 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 麻生自民党副総理は北海道のお米が美味しくなったのは、温暖化の恩恵だと選挙応援演説で、発言した。この発言が温暖化を良い側面もあることだと、まるで主張しているかのように受け止められかねないと言うことで、問題になっている。

 温暖化して良いことだって確かに無いとは言えない。床屋談義では聞かないわけでは無いし、冗談でついそういうことを私だって言わないとはかぎらない。しかし、自民党の副総裁としての麻生氏が、公の場でそんな科学的根拠のない話をしては成らない。

 トランプアメリカ大統領は温暖化が問題だなど言う科学者は、陰謀論者だと言っていた。つまり政治家はあえてこういう物言いをして、人気取りをする。これで嫌な気持ちにさせられる人が居ることが分からないのだ。不思議なのは温暖化のことを応援演説で持ち出せば、北海道の人なら喜んでくれるという感覚である。

 寒い北海道の人にしてみれば、確かに温度が1度上がれば助かることは色々あるだろう。お米が作りやすくなったと言うことも確かにあるだろう。だからこういうことを言えば、喜ばれると思う感覚がずれている。有り難いかもしれないが喜んでは居られないのが、世界情勢である。

 世界的危機が刻々と迫っている中で、北海道にとっては有り難いなど利己的な感覚を、副総理に公言されてしまえば、北海道に暮らす人としてはどのように受け止めろというのだろうか。普通は何か自分たちの利己心を暴かれたようで気分が悪いのではないだろうか。

 北海道でお米が作れるようになった一番の原因は、品種改良である。温暖化よりも大きな展開があったのだ。「ゆめぴりか」と「ななつぼし」は特Aを取り続けている。こうした北海道の稲作研究者の品種改良の努力があってこそのことである。

 北海道が作りやすくなったかもしれないが、日本全国夜の温度が高くなり、良いお米が作れなくなっている。こちらの方も稲作の品種改良が、米所では今必死に行われている。そうしたどりょくをしている人達に対して、感謝の気持ちは無いのだろうか。

 麻生氏は過去にもひどい発言をしている。〇ナチスは選挙で選ばれたのだから、日本も分からないようにやれ。〇日本は単一民族説。〇日本人は民度が高いからコロナ対策は要請だけになる。どれも、そういうことを自慢げに言うその辺のごろつき親父のイメージである。

 科学的にもう一度考えてみると言う冷静な部分が欠落している。すべて強い思い込みが元になっている。今だって温暖化の御陰で北海道米が躍進したと思い込んでいるに違いない。事実を事実として発言して何が問題なのかと。北海道のお米の品種改良の努力を軽んじているのだ。

 一方で沖縄ではあいかわらず、「ひとめぼれ」が作られている。その理由は沖縄では稲作を諦めてしまったからである。当然、品種改良の努力が無いから、沖縄向きのうるち米が日本には存在しないのだ。沖縄県や特に石垣市でのお米を作り続ける意志が不足しているのだ。沖縄には稲の品種改良の努力がない。

 亜熱帯気候で美味しいお米を、多収で生産できているのが台湾である。台湾は本当にすごい国だ。このことも最近知ったことを書いておく。石垣でのイネ作りがとても難しくて、何故台湾では良く取れているのかが疑問だったのだ。台湾ではまだ水牛でイネ作りをしているところが沢山ある。

 台湾に行ったときどこで食べたお米も美味しかった。日本のお米と少しも変わりが無かった。中国はお米がまずかった。食べられなくなるからと、冗談では無く、本当に日本から電気釜とお米を持参して行ったくらいだ。本当にまずかったのだ。

 ところが台湾は美味しいお米だ。日本が植民地化していた頃、台湾を日本の米の生産地にしようと日本の研究者が台湾で蓬莱米という品種を作出して作られていた。その品種は石垣にも戦前から導入され作られていたという。今は探しても無い。今の味覚では耐えられないものだから無くなってしまった。

 その蓬莱米から、台湾では美味しいお米を作出したのだ。しかも反収500キロは普通に越える品種になっている。理由は蓬莱米にインディカ種を交配して亜熱帯気候に適合する品種を作り出したというのだ。何という素晴らしい研究であるだろうか。

 台湾では民間の力が働いているらしい。詳しいことは分からないが、美味しくて多収出来るお米を作りたいという農家の方達の思いが品種改良に繋がり、素晴らしい品種が生まれたと言うことが書かれていた。台湾は本当に素晴らしい国だ。石垣島と気候も同じなのだから、こういう努力を石垣島でもしてゆかなければならないのでは無いだろうか。

 こうしたお米こそ、温暖化で苦しくなってきた九州四国のお米の品種なども、こうしたインディカ種を利用するという発想で品種改良を始めなければならない。ところが、日本ではこうしたイネの種苗研究が急速に狭められているのだ。つまりお金にならない研究は止めろという政府の方針だ。

 北海道には農業で何とかしなければならないという、強い米作りへの意志があったから、美味しい北海道の気候に適合した新品種のお米が作出されたわけだ。当然それだけの開発事業に投資がされている。日本では、「こしひかり」以降の品種を目指し、品種がどこの地域でも革新されてきている。

 小田原で今年始めて「はるみ」を作った。神奈川のJAが作出した品種である。やはり特Aをとったものである。「はるみ」は神奈川県では奨励品種になっている。たぶん栽培が難しいかと思っていたのだが、これが案外に作りやすい品種で、有機農業で畝取りの出来る品種であった。

 神奈川県の品種開発の努力の成果である。コシヒカリよりも倒れにくくて、株ががっちりと育つ。小田原ではこれからは作業分散のために、「サトジマン」と「はるみ」を作るのが良いかと思っている。どちらも有機農業向きのお米と言える。

 沖縄と気候の似ている台湾では美味しいジャポニカ種のうるち米が、多収されている。理由は品種改良の努力である。それがどうもジャポニカ種にインディカ種を交配して、新しい品種を作出しているらしい。この交配はなかなか先端的だ。その結果亜熱帯気候に適合したイネ作りが出来上がっている。
 
 しかも、どうも民間の組織が様々な交配を試みているらしい。こういう所に日本という下り坂の国と、台湾という上ってゆくところの国の違いが現われているのではないだろうか。日本ではひとめぼれが作りにくい品種であるとしても、奨励品種で農協が購入してくれるとなると、大多数の人がそれ以上のことは考えなくなる。

 来年石垣島で作ってみる品種は「とよめき」と言うものにしようかと考えている。これは石垣島の熱研でも成績が良かったらしい。筑波の農研機構で作出された品種と言うことである。まだ、最終決定では無いが種籾の購入はしてみた。
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「ジャンボタニシ除草」そして料理

2021-10-12 04:50:32 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
ゆであがったところ
炒めているところ
完成した料理

 ジャンボタニシを料理してみました。けっこう食べられます。普通のタニシ料理と同じような味になりました。いくらか柔らかいかもしれません。子供の頃食べた味が懐かしいです。

 田んぼの水を落としたら、ジャンボタニシが沢山いました。大きく立派に育っていました。田んぼで除草を頑張っていてくれたのです。除草剤を使わず、一度も草取りをしないですんだのはジャンボタニシの御陰です。草取りをしないですめば、自然農法の稲作は随分楽になります。

 石垣島の初めての田んぼは上手くゆきませんでしたが、ジャンボタニシの除草効果だけは確認できました。ジャンボタニシをうまく使えば、除草は確実に出来ます。ジャンボタニシを除草に使おうとした人の気持ちが良く分かりました。

 ジャンボタニシはもう駆除しきれない地域が沢山あると思います。小田原の一部の地域もそうなりました。ジャンボタニシを全滅させるほどの殺虫剤を使えば、環境への影響は怖いほどのものになるでしょう。うまく除草に利用して共存する道を是非考えてみて下さい。大型の機械化農業でも可能な技術がありますので、是非とも研究してみて下さい。

 料理の前に「自給の田んぼのジャンボタニシ除草」をまとめておきます。
 
 ジャンボタニシは田植え直後の3葉期ぐらいの小さな苗だと食べてしまいます。しっかりした大苗ならば食べられることはありません。5葉期の苗を植えれば食べられません。5葉期大苗は大型機械化農業でも可能な稲葉式農法でも推奨されています。またその後出てくる分ゲツもジャンボタニシは食べることはありません。

 このことを肝に銘じておけばジャンボタニシの除草利用は可能です。五葉期のしっかりした大苗を田植えするのであれば、ジャンボタニシの被害は間違いなく無いです。もし被害があれば責任を取りたいぐらい確実なことです。但し苗によじ登り産卵をします。その時に苗が倒れてしまうと、倒された苗が食べられる可能性はあります。

 そこで田植えでは出来れば二本植えにします。一本植えだったところでは倒されて食べられてしまった苗がありましたが、二本植えではジャンボタニシの被害はまったくありませんでした。大苗の二本植えこれが最善の対策です。

 また、石垣島のように風の強いところでは一本植えよりも二本植えの方が強風に強いと言うことがあります。風対策ということもあるので次に石垣島でやる田んぼは二本植えにします。土壌が出来るまでは一本植えでは収量が少ないと言うこともあります。

 田植え直後の1週間はジャンボタニシ対策をした方が良いかと思います。畦際に溝を作ります。田んぼの水全体を落とすと、畦際だけ水が溜まるようにします。田植えの時の淺水そのままでも良いです。それはジャンボタニシは水の無い場所は得意では無いからです。すぐ水のある溝にタニシは集まります。

 田んぼ全体の水を浅くすると、畦際の溝の方にジャンボタニシは自然と集まります。ジャンボタニシを捕まえて食べたいときは田んぼの水を減らせば溝にあるまります。草が出ないのであれば、田植え直後の淺水はイネに悪いわけでは無いでしょう。

 ジャンボタニシの密度を減らしたい場合は畦際の水路に集めて捕ればいいわけです。その溝の中に罠を仕掛けておけば、一網打尽になります。バケツを埋め込み、中にドックフードを入れておきます。必要であれば時々タニシ料理に使うことも出来ます。

 田植え直後イネが活着するまでの1週間ほどはよじ登られると倒される可能性があります。この間は淺水にしておけば、溝の方にジャンボタニシは集まり、イネの方には出てきません。1週間が辛抱です。淺水でイネが良く根付いたところで深水を始めます。

 イネが活着したらあとに、徐々に深水にしてゆけば、ジャンボタニシの除草が始まるわけです。それはもう完璧な除草です。ただの一本の草も出しません。出てくる草を食べ尽くします。コナギもヒエも完全に食べ尽くしました。しかし、それを見た近所の農家の方々はジャンボタニシが食べているとは認めてくれませんでした。そんなものかもしれません。是非これを読んだ方は信じてやってみて下さい。ただし、今いない地域に持ち込まない方が良いです。濡れ衣を着ることになります。

 ジャンボタニシはなかなか巧みな行動をします。大きく移動したいときには身体の中に空気を取り込み水面に浮びます。すると風がどこかに吹き寄せます。だいたいに吹き寄せられるような所には草のある場所と言うことになります。株にとりついて産卵したり、食べたりするわけです。

 人に見つかるとけっこう早く行動して泥の中に逃げ込んでしまいます。水が濁っていなければ見付けるのは難しくないのですが、一度取り逃がすと案外見付けにくくなります。ジャンボタニシを捕るよりも、産み付ける卵を取る方が楽です。ピンクで目立つのですぐ採れます。卵さえ採れば、密度は増えません。卵に触ると手がかぶれるとか言いますが、何千回も素手で触りましたが問題ないです。まあ、手袋をしても悪くは無いですが。

 先日、1反3セの田んぼで2人の方がジャンボタニシを集めてくれて、1時間ほどでしたが、併せて二キロありました。大きな奴が400匹ぐらいはいたでしょうか。それくらい普通に増えます。しかしイネにはまったく被害はありません。

 取ったジャンボタニシは美味しく頂かなくては成りません。料理法です。
1,良く洗う。泥まみれなので大きなバケツに入れて、棒でかき回して洗います。5,6回水を替えながら洗います。
2,たっぷりの水で茹でます。泡が出てきますが、吹きこぼれないように沸騰してから15分は茹でました。
3,殻から竹串を刺して取り出します。
4,綿の黒い部分や卵らしき部分は取り除きます。良く取り除けばジャリッとしません。
5,再度洗って水を切って油で炒めます。バターが味的には最善のようです。
6,そのまま塩こしょうを強く振って食べるのが一つ。
7,もう一つは伝統的なものとして、砂糖、酒、味噌で味付けして軽くにます。

 どちらの料理もけっこうな味でした。毎日人体実験に食べておりますが、お腹を壊すようなことはありません。料理時間は1時間ほどかかりますが、田んぼからの恵みと思うと、有り難くいただけます。つい酒が進むところが欠点と言えば欠点です。


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田んぼはハザガケから脱穀へ

2021-09-30 04:01:41 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」

  欠ノ上田んぼと、柿の下田んぼの眺めである。もう終わって何もないところが、柿の下田んぼである。間に柿の木があって、そこから上が欠ノ上田んぼである。上の田んぼの稲刈りは今週の2,3日である。

 奥のまだハザガケが残っているところが、マンゲツモチである。ここも夕方にはすべては脱穀が終わった。台風が来るというので、時間があったので、急遽脱穀をしてしまう事にした。風で倒されたハザガケほど始末に置けないものはない。

 この久野川の欠ヶの上の谷間に、棚田全体では1ヘクタールほどの農地を借りて活動をしている。写真を写しているところが、バス道路でそこより上には欠ノ上の集落がある。江戸時代の初期に田んぼが出来て、集落が広がってきた場所である。

 この上の子の神とさらに上の舟原の集落にも田んぼを借りている。そしてお隣の谷間の坊所でも田んぼをやっている。田んぼのやり手がいないという事で、貸していただいている。機械小屋が舟原にあるので、この周辺で作業をすることが一番都合が良い。

 10月29日脱穀を行った。24,5日に稲刈りをして、ハザガケをしてあった。少し早い脱穀であるが、台風が近づいているので、緊急にやらざる得なかった。幸いなことに、稲刈りをしてから好天が続き、イネは良く乾いていた。一度も機械は止まらなかった。


 田んぼは一つが4畝とか、5畝とかに、分かれていて、それぞれが段差があり、上の田んぼから順番に下の田んぼへと水は廻っている。田んぼの数は20ある。最後の最後の田んぼは水を排水はしない。一番上で入れた水が、田んぼの中で消費される作りである。

 各田んぼに担当が決められている。田植えとか、稲刈りは全員でまとまってやっているが、草取りなどは各担当者が行う事になっている。田んぼによって収穫量に違いはあるが、おおよそ畝取りになっている。お米の分け方は全体で平等に行う。少し、大小はあるので公平という事は難しいところだ。

 お米は1か月10キロ。一年120キロ。費用は1万円というのが、目標である。大体これよりは良い。120キロ配ってまだ余れば、会員価格でもっと欲しい人が、購入できることになっている。

 その販売した費用があるから安い会費になるという事もあるが、ともかくお米を畝取りできるという事がなければ上手く回らない。栽培技術がとても高いという事が、会費が安くなる要因である。

 今年も柿の下田んぼの脱穀した袋の数からすると、畝取りは間違いないと思われる。全体での品種は、「ハルミ」「マンゲツモチ」「サトジマン」である。作りやすい多収米という訳ではない。神奈川県の平均収量は8俵ぐらいだから、安定して10俵とれるという事は有機農法のお陰だと思っている。

 確かに慣行農法よりも手間はかかるが、自然に従う農法の方が、イネが元気になり、大体に背丈も1メートルを超えて高くなる。茎も太くなりがっちりした株になる。サトジマンの止葉は今年も幅2センチ、長さ60㎝あった。分げつは一本植えで20本を超える。

 栽培は緑肥とソバカスで作る。穂肥には食品残渣から作る二見堆肥を使っている。久野にある4か所に分かれた農の会の田んぼはどこの田んぼもほぼ畝取りを達成している。農の会の稲作が農業技術として確立していると言っていいのだろう。


 29日は柿の下田んぼの脱穀を行った。軽トラに積んであるハーベスターで行う。ハーベスターで行う脱穀の方が、コンバインの稲刈り脱穀よりも、5%はお米が無駄にならない。コンバインは食べれるお米まで風で飛ばしてしまう。青米だって十分食べれるのだから無駄にはしない。

 足踏み脱穀機で行うところも一か所あるが、基本はハーベスターだ。一日2~3反ぐらいが脱穀できるペースである。全体を行う時は2台で同時に進めることが多い。大抵はどこかで機械が詰まり掃除をすることになるからだ。

 イネ藁が良く乾いて居ればよいのだが、大抵は雨などでなかなか乾かない。今年は台風が来るというので、その前にハザガケしたところは脱穀した。強い風で、ハザガケが倒されてしまう事が良くある。雨に濡れて、ハザガケの棹が折れてしまう事もある。

 ハザガケは自分の都合ではなく、その時の状況次第で臨機応変にやらなければ、良い作業は出来ない。人の数は最低3人でやりたい。一人だってできないことはないが、どうしてもお米が無駄になる。お米を一粒たりとも無駄にしない脱穀には3人必要である。

 今年意外だったことは「ハルミ」という新しい神奈川県の奨励品種が良くできたことだ。このお米は神奈川県のJAの研究所で作出されたお米だと聞いている。農協自身が作ったお米が特Aをとったということで、とても注目されている。

 特Aということは味覚が良いという事で、たいていの場合は作りにくいことになる。ところが今年の様子では、サトジマン以上にできていた。予想外のことだったが、これはかなり期待できるお米という事になる。味が良くて作りやすいのであれば、今後ハルミに変えてゆくという事も考える必要がある。背丈が低いという事であったが、有機農法で作れば背丈は1メートルを超える。

 サトジマンもおいしいお米なので、早く籾摺りをして食べてみたいと思っている。サトジマンよりも少し早稲傾向があるという話だったが、実際の所はさして変わらなかった。作業をずらすという意味では奨励品種では光新世紀というお米が少し遅いという事になる。

 サトジマンは良いお米だと思うが、こうして作られない事になってゆくのだろう。止葉がとても大きくなり、有機農業向きのお米だと思っていたが、場合によっては「ハルミ」に変わるのかもしれない。何もこだわる必要はない。味が良くて作りやすいのであれば、全く問題がない。

 特Aのお米であれば、販売するとしてもやりやすいであろう。柿の下田んぼのハルミはかなり早く刈った。欠ノ上と作業をずらすためである。早く刈って収量が畝取りで来て、アジも良いのであれば全く問題がない。全く倒れてもいなかった。

  石垣島田んぼの種籾として、「ハルミ」1㎏「サトジマン」4㎏小田原の冷蔵庫に保存。

 
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タネ取り田んぼの自家採種

2021-09-27 04:35:45 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 10月24日種籾の稲刈りをした。サトジマンである。1本植した、株が20本以上の穂をつけていて、病気のない株を選んである。大きな株は26本の穂をつけていた。荒れ地だったところを、田んぼに戻して一年たたない。こんなに立派な田んぼが出来たのは、ほんとうに素晴らしいことだ。気の合った仲間がいたからこそできたことだ。

 農の会という、自給活動の会を始めたことは間違いのないことだった。山北の山の中で始めた、一人の自給がこうして仲間と一緒の自給活動になったことはかけがえのない、様々な出会いの幸運が重なったからこそできたことだろう。農の会の活動の考え方が、広がってゆくことを願っている。

 写真で見ると、3月までは荒れ地だったという事が嘘のような美しい田んぼだ。田んぼではハザガケがされると新しい風景が作られた気になる。右側のまだ稲刈りがされていない田んぼが、私の担当の田んぼだ。一本植で一日かけて一人で田植えをした。

 種もみはその形質を確認するために、一本植でなければならない。一番重視しているのは分げつ力と耐病性である。田んぼには必ず病気は出るものだ。消毒を一切しないのだから、病気が出て普通である。広がらなければ問題はない。


 例えばイモチが田んぼに出たとしても、感染をしない株は必ずある。耐病性がある株なのだと思う。そうした株を選抜して種籾にして行けば、病気の出にくい田んぼになってゆく。だから、田んぼには種もみを採取する1本植の部分を作らなければならない。

 自家採種の株は他とは分けて家に持ち帰り別に天日干しをしている。脱粒するときも丁寧に行う。今年は石垣島の田んぼの分準備するつもりなので、少し多めに種を残した。サトジマンを4キロと。ハルミは直蒔きし田んぼのものを種取りした。

 田んぼの畔に一列植えてあるのはあぜくろ大豆である。小糸在来種という品種で千葉県の小糸川周辺で出来た在来種と呼ばれる大豆である。この大豆も小田原でもう20年は作り続けている。この大豆は収量はそれほど多くはないが、小田原の気候には適合している。ともかく味がよい大豆である。味噌や醤油や納豆を作っても格別な味になる。

 今、ちょうど枝豆ぐらいである。11月に収穫になる。出来ればその頃にもう一度小田原に来たい。大豆が終われば、麦の播種になる。そういえば去年の大麦で出来るはずのビールはどうなったのだろう。11月に石垣の田んぼは終わっているだろうか。

 この大豆で納豆を作り毎朝食べているが、市販の納豆とはかなり違う味がする。おいしいのかどうかは分からないが、その味が自分にとっての納豆の味になってしまった。大豆の味がはっきりとしていていいと思っている。大豆も当然種を残すことになる。

 




 ここはもち米の田んぼである。奥に久野川があり、4メートルほどの谷間になっている。反対側の丘の上に欠ノ上の集落があり、そこは15mほど高い場所になる。久野川に落ち込んでゆく斜面に段々畑が切り開かれいる。良く田んぼが作られたものだ。

 田んぼがこの地域に作られたのは江戸時代初期になる。その頃、一つ上の集落に溜池が作られて、それが元治年間という記録が残っている。その頃に久野地域には田んぼが広げらて行ったようだ。400年が経過している。400回耕作をしたことがある田んぼという事になる。

 田んぼという物は作れば作るほど良くなってゆく、すばらしい農法である。お米を主食にしたことは日本人の循環型の暮らしを生み出したのだろう。水田でのイネ作りを我々の先祖が、大切にしてきた気持ちがよく分かる。欠ノ上に水をひくために、一つ上の地域に溜池を4つ作った。隣の坊所の集落からは一つ山の下をトンネルで水路を通してまで水を引いた。



 それほどの工事をしてまで、田んぼを作ることには意味があった。田んぼさえあれば、食糧自給が可能だという事が分かっていた。政治とは治水であり、水田稲作を通して、集落を形成してゆく。人間の暮らしの調和がそこに生まれた。

 それは江戸時代という、とても封建的で自由のない社会であったわけだ。その暮らしはそのまま受け入れることなど出来ないが、明治時代の富国強兵の時代から見れば、よほど安定した平和な世の中であったわけだ。江戸時代を否定的な媒介として見直す必要がある。

 その封建制や、身分制度を克服したうえで、江戸時代に戻った方がいいというのではなく、新しい人間の暮らしを見つけなければならない。今あるものを受け入れて、充実してゆく暮らしがあるはずだと思う。拡大再生産の人間の暮らしは明らかに、破たんした。


 25日には私の担当の田んぼも、稲刈りが終わりハザガケがされた。今年も見事な豊作である。みんなに助け頂いたお陰である。石垣島に居ながら、小田原で田んぼが出来ることは何ともありがたいことだ。今年も小さな田んぼのイネ作りが出来た。しみじみと充実を感じる。許されたような気持ちだ。

 小田原で確立された小さな田んぼのイネ作りは、安定した自然農法の畝取りを達成している。私が石垣島に引っ越して2年が経過した。私がいなくなってからの方が、以前にもまして安定してきている。久野地区で3ヘクタールほどの田んぼ面積になる。

 この農法は伝統農業の技術と言える。たぶん江戸時代の人がやっていた農法とかなり近いはずだ。トラックターもハーベスターも使うのだが、機械に依存したものでもない。もし、化石燃料が使えなくなったとして、小さな田んぼののイネ作りは続けられるだろう。

 石垣島でも農の会方式の田んぼを始めたわけだが、まだまだ、石垣島の田んぼは土壌も出来ていない。2期作目の田んぼはあまりに気候に適合しない。品種も何が良いかもわからない。「ひとめぼれ」がだめだという事だけはよく分かった。

 何としても石垣島のイネ作りで畝取りできる技術にまで高めたいものだ。徐々に来年の春からの作業は徐々に頭の中にできてきた。来年の挑戦が楽しみである。
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石垣島田んぼ勉強会

2021-09-22 05:51:55 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」

 田んぼの一段上に自然に出来た牧草地がある。昔は五反ほどの田んぼだった場所だ。そこは今は水が来ないようになっている。その自然に出来た牧草地に、水牛を繋がせて貰っている。水牛も3ヶ月近くなり、随分慣れた。当分の間管理を続けることになった。

 今年の5月9日にアンパルの自然を守る会で、有機農業のイネ作りの見学会を行った。その機会にあしがら農の会のイネ作りの話をさせて頂いた。この集まりをきっかけにして、名蔵シーラ原で田んぼ勉強会が始まった。

いままでの流れを整理すると。
7月4日  苗床の種まき。
7月11日~ 水牛による田んぼの代掻き。
8月1日  田植え。 
9月初旬に走り穂、10葉期での出穂になり驚き。
9月12日出穂
9月22日穂揃い。まだ分ゲツからの出穂が続いている。

 いままでに田んぼの作業には40名くらいの方が、参加された。そのうち20名くらいが中心となっている参加者かとおもう。

 田んぼを始めて見て、分かってきたことがいくつかある。まだ分からないことも色々あるが、ともかく石垣島のイネ作りはなかなか手強い。特に2期作を有機農業で行うことは難しいのかもしれない。

1,石垣のイネ作り農業は10ヘクタールほどの規模の農業法人や大規模な農家が中心に行われている。どの方もさらに広げる意欲を持たれている。平均の耕作面積は5,6ヘクタール。

2,遊休農地に見える場所はかなりあるが、簡単には借りられない複雑な条件の場所のため耕作されていないところがほとんどである。リゾート開発によって、農地まで先行投資の対象になったようだ。

3,石垣の亜熱帯性の気候は、予測されたとおり病虫害が多い。ジャンボタニシ、ニカメイチュウ、ウンカ、イモチ、カメムシ。風通しが悪くなると発生する。また、バンカープランツを周辺にどう作れば良いか検討が必要。

4,海沿いの田んぼは風が日常的に強いために台風が来ないとしても、風対策が必要になる。風速30メートル程度で、葉先が黄色くなった。風で倒されることがあるので、二本植えにする必要がある。これはジャンボタニシ対策でもある。

5,田んぼにジャンボタニシがいれば雑草は食べてしまう。うまくコントロールできれば除草に利用できる。田んぼの畦際に溝をぐるっと回す。田植えが終わったらば、淺水を二週間は続ける。溝だけが水が深く溜まる場所にする。その溝の中にジャンボタニシを採取する罠を設置する。

6,品種を適性で選択すれば、有機農業の畝取りの可能性は見えてきた。晩生の品種を何種類か実験栽培する必要がある。

7,苗作りは1月播種で徒長しない苗を作る必要がある。7月播種では苗が軟弱になる。この場合、1メートルに100グラム蒔きよりもさらに薄くする必要がある。出来れば苗床は本田では無い場所にしたい。水管理と、水牛代掻きがうまく回らなくなる。30メートルの苗床が必要になる。今回は20メートル。二キロ播種。

8,シーラ原田んぼは海沿いにあるが、斜面の一段上にはパイナップルとサトウキビの畑がある。さらにその上には放牧地があり、数百頭の牛が飼われている。そこから出る赤土の水や汚染水が、うまく田んぼで溜められている。

 名蔵湾に直接は出ない形になっている。赤土や糞尿の汚染水がうまく田んぼで沈殿されている形になっていると思われる。シーラ原のような農地の配置を、石垣全体で考えてゆくと珊瑚礁が守られるのでは無いだろうか。

9,石垣市の田んぼは耕地の整備が進んだこともあり、冬期湛水することによって、良いイネ作りが出来ると多くの農家の方が言われている。この有利点を生かして、通年田んぼに水を溜める環境保全型農業が可能ではないかと思われる。

10,田んぼの畦はまず崩れることが無い。一度土を寄せて15センチの水が溜められるようにした。15センチの水管理を続けている。畦は強く、ほとんど管理すること無く、そのままの状態が維持されている。これならばさらに深い水管理も可能である。

11,9月19日田んぼの山側にはネットを張った。1,8メートルの高さ。電柵も一応張ったが、今のところはイノシシは来ていないので、通電はしていない。タカ凧も3つ飛ばした。孔雀よけである。来ていた孔雀も今のところ来なくなった。

 現状では水を必要以上に流している農家が多く、慢性的な水不足になっている。澤からの水が減少していると言うこともあるようだ。水にメーターを付けて、無駄に水を流さないように制限することになりそうだ。

 イネ作りは同じ場所で何千年と循環して農業の出来る作物である。環境を育む農業が水田稲作である。貯水能力。地下水の涵養。生物多様性の確保。大規模農家での、有機農業技術も確立してきている。

 アンパルの自然環境を守るためには、水田を継続することが今後一層重要になるのでは無いだろうか。現在の稲作農家は平均年齢が高い。このまま対策を打たないと、五年後には担い手不足が起こる可能性が高い。対策を今考える必要がある。

 9月24日から小田原の稲刈りに行く。10月4日に戻る。田んぼはこのままの管理で問題ないだろう。戻っていつ水を切るか決めたいが、できる限り先に延ばしたい。



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どこでも通用するイネ作り技術はある。

2021-08-26 04:16:06 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」

 
 田んぼは一枚一枚違うから、一般的な稲作技術を語ることは出来ない。このように話す人がいる。そんなことは無い。必ず共通する稲作の基本となる技術はある。それを見付けるのは至難の業だとは思うが、無いわけではない。

 様々な条件下で稲作を行ってきた。その経験に基づき、イネ作りには基本的な技術は存在すると確信できる。特に石垣島という、小田原とは相当に違う稲作を始めて見て、そのことが確信できるようになった。

 基本技術を理解した上で、それぞれに田んぼで応用してゆくことが、イネ作り技術である。稲作技術は基本技術である。まずイネという植物の作物としての性質を把握すること。そして、土壌や気候や水の条件という変化要素を加味してゆく。

 この総合技術がが稲作技術となる。従来の農家であれば、同じ田んぼでやっていればことがすむので、あえて違う田んぼでの稲作という一般論を考える必要が無かっただけである。そのために、様々な自然農法が再現性がないと言うことになった。

 イネの病害虫は関東地方でも、石垣島でもほぼ同じである。稲の生育の段階はやはり、同じである。少し早いという程度である。これほど違う気候。土壌環境の中で、基本技術をどのように応用するかである。有機農業である稲葉式イネ作り法は、ネパールでも日本全国どこでも通用している。

 よく、福岡自然農法は福岡さん以外には出来ないと言うことを言う人がいる。まったくそんなことは無い。福岡さんは自分のやり方を、技術にしなかっただけである。技術とは誰がやっても同じに再現される方法のことだ。福岡自然農法が他の人には再現出来ないのは、福岡さんの田んぼから生み出された特殊解であり、一般化するには複雑すぎる技術の為なのだろう。

 野菜の叢生栽培というものがある。あたかもすべての作物に総生栽培が可能というように読み取っては成らない。出来る野菜と出来ない野菜がある。もし総生栽培で玉ねぎが可能だという人がいたら、その農業としての実践例を教えて貰いたい。無いはずである。

 植物には同じ植物だけの極相の状態を好むものもある。遷移の過程の植物のように様々な植物と共生状態を好む植物がある。作物によってそれに相応しい最善の方法がある。最善を尽くすことが食糧自給の基本姿勢である。自給農業だから、適度に取れれば良いというのでは、自然に対して申し訳ないことをしていることになる。

 農業という条件は、最小限のエネルギー投入で、最大限の成果を得るものである。どれほど素晴らしい技術であったとしても、投下するものが余りに大きすぎれば、農業としては無意味なものになる。自然栽培の中にはその点で農業とは言えないような仕組みもあり得る。

 IT農業とか、土から離れた工場農業など、地球の崩壊に手を貸しているようなものではないだろうか。気候環境、土壌環境に応じて食料生産をする。その食料生産量に従ってその土地に暮らす。これが人類の健全な姿だ。

 自然栽培が一番優れていて、次に有機農業があるというような思い込みを持たれている人がいる。それは偏見であって、一般に食べ物に対するこだわりの強い人の思い込みであることがままある。そもそも、無農薬栽培であると説明があったとしても、その生産法の全貌は何も示されているわけでは無い。

 その点JAS有機基準は全貌が表現されている。これは最低限の守らなければならない基準と言うことになる。ただし、この基準が日本の有機農業の展開の芽を摘んでいるのも事実だ。小さな農家にはこの基準の認定を受けて農業を行うことは出来ないのだ。認定料が高く、しかも書類提出等の手続きが面倒すぎる。

 だから、この基準は守るべき最低限の約束事であるととらえれば良い。その上で、どのような農業技術を構築するかである。本来であれば、食料である生産物を検査する。しかし、それが出来ないために生産法を基準にしているだけだ。

 重要なことは健全な作物が作られることにある。枯れかかった有機基準適合の農業の野菜が、良い野菜などとは言えないのだ。もし、様々な農法の作物を比較して順位を付けるのであれば、その成果物自体を比較してみなければ、結果は出ない。

 例えばそれが稲作であれば、良いお米はその種子保存が優れているはずである。何年間保存して、発芽する力があるかが重要だと思う。農薬を使おうが、化学肥料を使おうが、一番長く発芽できればそれが優れているお米である。

 発芽保存性に於いて、一般に言われている結果が、自然農法で作られたお米が一番長く発芽能力を保ったと言うことである。農薬や化学肥料を多投入して作られたお米は保存性が低いと言うことになっている。しかし、それは作物ごとに本当は違うことになる。

 自分が食べる食料であれば、一般論など無駄なことになる。これならより安全な食料であると言う判断力が必要になる。それが一番分かる為には自分で作ると言うことになる。自分で作ればどれほど良い方法であっても、手に負えない方法であれば、作物が出来ない。ここに農業技術が存在する。

 鶏卵も同じである。良い卵とはどれだけ保存して、雛になるかである。2ヶ月を超えても雛になるのであれば、素晴らしい卵である。どのような飼育をするかでそれは決まってくる。そもそも、雛には成らない無精卵であれば比較のしようも無い。

 石垣島でイネ作りに取り組んでいる。作っているのは「ひとめぼれ」である。このお米は有機農業で作るには難しいお米だと痛感している。これだけ暑い地域で、東北向きのお米を充分に作ることは出来ないことだと思う。3年間じっくりと石垣島のイネ作りを観察してそのように実感している。

 かなりの農薬を必要としているイネ作りになっている。病害虫が多いためである。予防的に農薬の使用をしている。篤農家になればなるほどその傾向が強くなる。そうしなければこのお米は、十二分には出来ないからである。

 ひとめぼれを亜熱帯気候下の8月田植えの二期作で、有機農業で作れるかである。まさにここまで違う条件下で作れるとすれば、有機農業技術として成立していると言えるだろう。自分がいままで学んできた技術が通用するかどうかである。

 自分が試されているようで、実に恐ろしい毎日ではあるが、通用しないはずが無いと考えている。もし通用しないのであれば、いままでの自給農業の探求の日々が嘘になる。特殊解に過ぎないと言うことになる。農業技術は特殊解では意味が無いのだ。

 一日も欠かさず、ほぼ一日中田んぼを見ている。見ていてどうなるものではないが、見ていると分かることがある。水牛が田んぼに入るので、田んぼに行かないわけには行かない。どのみちどこかで絵を描いているのだから、田んぼが見えるところで絵を描いている。

 最近水牛に返事をさせることが出来るようになった。水牛が鳴くと言うことが始めて分かった。もちろん鳴くのは当たり前のことだが、1頭だけでいるとまったく鳴かなかったのだ。先日、おじいさんが通りかかり、なんと水牛に呼びかけて返事をさせたのである。感動してしまった。

 それ以来毎日真似をして、練習をしている。ついに返事をさせることが出来たのである。たいては一体何を騒いでいるのだという顔をしているのだ。何でも繰り返していれば分かることがある。こういうことがおもしろくて、生きているのだ。


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石垣島での農地確保方法

2021-08-23 03:55:11 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 石垣島で農地探しをしている。耕作放棄地が沢山あると見えていたのだが、実は事情があって使えなくなっていると言うことが分かってきた。そのことは前回書いた。ではどうやって探せば良いかである。これを考えなければならない。

 先日5時過ぎに田んぼにいると、農業委員の方がみえた。遊休農地の確認をされているという。どなたからか聞いたようで、私が農地を探していることはすでにご存じだった。そしてこの上の遊休農地を借りたら良いと盛んに進める。もちろんそれが良いのだが、それができないで困っていると話した。

 それなら沖縄県の農業公社に相談に行けと、ポスターをくれた。農業委員会には3度相談に行っている。自分で解決しろと言うだけで、地主さんさえ教えてくれない。そこで法務局に行き、地主さんは自分で調べた。ところが、農業委員会では地主さんとの話し合いや調整などはしないと言うことだった。

 農業委員の人が言われるには、沖縄県の農業振興公社はそうした問題化した遊休農地を何とか農地に戻すための組織だから、そこに相談しろと言うことを教えてくれた。農業振興公社はこういう遊休農地の様々な困難を解決し、農家から公社が借りて、それを使う認定農家に貸し出す組織だというのだ。石垣市にも人が配属されているから、相談に乗ってくれるはずと言われた。

 早速、沖縄本島の公社に連絡をしてみた。驚くほど場違いな電話対応の感じだった。それは農業委員会に相談するべき事案で、公社はそうした問題化した農地の解決などしないと言うことだった。それでも、石垣市におられる出先機関の方を紹介はしてくれた。

 合同庁舎に連絡をしたがなかなか連絡がつかないので、合同庁舎の他の方に相談をした。その方によると、農業振興公社は地主さんとの交渉が成立している案件の、契約の間に入るだけで、土地貸借の交渉などしませんとはっきり言われてしまった。ここでもそういうことは農業委員会の仕事だと言うことだ。

 なるほど、農業委員会に振るだけのようだ。農業委員の方が言われていた、県の公社が遊休農地の解決に本気で乗り出すという話は、どこに行ったのだろう。こんなことだろうとは思っていたが、行政というものが、土地貸借にまったく頼りにならない姿を確認して終わった。

 石垣市の水田農地は遠からず危機的状況を迎える。そのことを真剣に考えている行政の人はどこかに居ないものだろうか。水田が無くなったところでかまわないと考えているのだろうか。あるいは、もう手の打ちようが無いと言うことなのだろうか。水田が無くなるなど考えても居ないのかもしれない。

 与那国島で水田耕作者が一気にいなくなったように、石垣島でも同様なことが起こる。まず、石垣島の環境と文化のためには稲作が無くなってはならないと言う、大前提を確認する必要がある。本島では稲作がほぼ無くなり、実に味気ない景色の島になってしまった。

 島の環境から水田が失われると言うことは、生物多様性の維持、赤土の流出の制御。水資源の確保。環境にとって水という大事なことが失われる。特に石垣島の伝統文化の根底にある稲作が失われてしまう。それでは豊年祭の意味も変わってしまうだろう。

 ラムサール条約では水田環境を湿地の一部としてとらえ、環境の多様性維持の重要な要件としている。稲作は人間の生活の営みが、自然環境の維持に繋がるという、循環型農業の形なのだ。人間の営みの永続性を示しているものが、水田農業なのだ。

 稲作を残すためには、経営という観点だけでは無理になってくる。大型の農業法人などが、大規模農業を行うことは望ましいことであるし、今後も継続されるだろう。しかし、大規模化が出来ない水田が放棄されてゆくことになる。こうしたの遊休農地の増加を防ぐことを今から計画しないとならない。

 そのためには市民の自給的農業である。市民が自分が食べるためであれば、経営を考えないで水田耕作が続けられる。この市民が行う農業は伝統農業の形であり、有機農業と言うことになる。ラムサール条約の意図する環境保全に繋がる水田農業である。

 行政には石垣島の水田が待っている危機的状況の認識が不足している。水田が無く成るとしても、それは行政のかんがえることでも、仕事ではないと考えているようだ。要するに、土地を借りるためもは自分で探さなければならないと言うことになる。

 回りくどかったが、石垣島で土地探しは自分自身でやるほか無いと言うことだ。と言うことは新規就農者がそれをやるのは極めて難しいことになる。先日農業法人から独立される人が、土地の貸借の希望を新聞広告していた。果たして借りられたであろうか。

 一般に農業法人に一定期間勤めていれば、独立するときに新規就農の農地は見付けてくれるというのが普通なのでは無いだろうか。自分で見付けなければ、成らないのだとすると、石垣島は遊休農地が多そうに見えてそうでもないと言うことになるが。

 石垣島に来て、3年目である。私の人間関係で農地を探すことはまず不可能である。そこで今考えているのは、稲作のための農地を購入してしまうことである。ただし、新参者の私が農地を購入することは、さらに借りる以上に難しい。

 そこで第3の方法を考えている。それは今のところブログでは書けない。上手く行けば書きたいと思う。書いてしまえば、実現できなくなりそうだからである。あと10年、何とか石垣島で農業を続けたいと考えている。半年前までは考えても居なかったことである。

 田んぼが好きだし、田んぼをやりながら絵を描くと言うことが、自分にはあっているようだ。動ける間は田んぼをやりきりたい。
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見えてきたジャンボタニシ対策

2021-08-20 04:21:37 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」

 水牛の世話を始めて2ヶ月になる。もうしばらく飼うことに成りそうだ。しばらく生き物を飼っているといなくなれば寂しいことになりそうである。草がある間はここに置いておきたいと言うことだったが、3反の草地だから、1頭には充分あるのではないか。

 水牛は体中に泥を付けている。小さな泥あび場を作ってやったのだ。水をそこに運んでやる。寝転んでいる所に、水を浴びせてやると、何とも嬉しそうに、身体を反転させ、足をバタバタさせて、まるで猫がじゃれているようにしている。表情は無いが、喜んでいるとしか思えない。

 ところが残念なことにこの水たまりに、尿をしたり糞をしたりしてしまう。それを身体にくっつけるから、不衛生極まりない。しかし、どうもそれが好きらしくてどうしようも無い。こっちがその汚さに慣れるほか無い。糞尿泥を身体に付けていれば、虫に刺されないのかもしれない。

 汚いと行っても草食動物の糞尿だから、人間のような汚さは無い。人間ほどきたいないものは無いのかもしれない。牛の糞は燃料にしたり、壁にしたりするようだから、汚いと思うことを止めさえすればいいわけだ。水牛が好きでやっていることだから、そんなものだと思うほか無い。

 石垣島で伝統的農業の水牛を使う田んぼで取り組んだ。まず一番の課題は、ジャンボタニシ対策であった。現在田植え3週間目は過ぎたのであるが、ほぼジャンボタニシ対策は見えてきた。ジャンボタニシは草取りをしてくれる、利用できる生き物だ。排除から、共生を考えるべきだ。習性を知れば怖いことは少しも無い。

 ジャンボタニシと共存する田んぼでのイネ作りの方法を上げれば、大苗栽培をすることである。5,5葉期の二分ケツ苗である。大型機械農業でもすでに大苗栽培技術は確立している。稲葉農法では有機農業で完成した技術となり、10ヘクタールを超える農家が出現している。

 農協の苗生産は大型苗に変えてゆくべきだ。そうすれば、除草剤も不用になり、ジャンボタニシの殺虫剤も使わないですむ。安心、安全な農業に一歩前進である。ともかく草が生えない。ジャンボタニシは草の小さな発芽を嘗めるように歩いている。

 石垣島のジャンボタニシの量は半端ではない。小田原と比べれば、10倍も居るかと思えるほどだ。亜熱帯の気候がジャンボタニシの生息数を倍増させているのだろう。帰化生物の強さなのだろう。これから日本全体でジャンボタニシの生息数が増えるに違いが無い。

 ジャンボタニシを排除するのでは無く、共生できる技術があると言うことを探らなければ、農薬の使用量が増えるばかりである。ジャンボタニシがいる田んぼの雑草知らずのイネ作りが存在することを知ってもらいたい。

 いくつかの耕作方法で考えていることがある。一般には田植え前にジャンボタニシを完全に居なくなるように薬殺している。そして、ジャンボタニシは水が無いと移動が出来ない。そのために石垣島では田植えから2週間ほど淺水にしている。これは水鳥の対策でもある。

 しかし、田植え直後田んぼがひび割れるほど、水を落としていることは稲の生育には余り良くない。それでも徹底した薬殺が出来なかった田んぼではそれなりにジャンボタニシの食害は起きている。殺虫剤を徹底して使うので無ければ、ジャンボタニシは残る。苗が小さければ、ジャンボタニシは水たまり部分のイネを食べてしまう。

 次の対策は畦際を深くする。田んぼ一枚を一周するように溝を掘る。田植え後は全体をヒタヒタ水にして溝には充分水があるようにすると、ジャンボタニシはこの溝に集まる。集まったジャンボタニシを拾えば良い。この溝にジャンボタニシを集める罠を仕掛けるのもさらに良い。

 ジャンボタニシは夜イネを食べていると言われるが、観察の結果では夜は何をしているのか分からないが、朝は居ない。10時頃出てきて、又居なくなる。そして5時頃又活動を始めるようだ。ジャンボタニシを拾って取り除くにはこの時間が一番効率が良い。

 どれほどジャンボタニシを拾ったところで、居なくは成らない。薬殺した田んぼでもどこかで再生していると思われる。いつでも現われて雑草の芽を食べ尽くす。田植え2週間を過ぎたならば、浅水は終わりにして深水にしてゆく。

 深水にしたほうが、がっちりした株になる。10センチ以上の水深を目指す。深水ががっちりした株にする。深水は分ゲツが採れないと言うが、水圧や日陰になるために分ゲツが抑えられると言うことは無い。7葉期の大きさになれば、深水でももうジャンボタニシは草取りに活躍するだけである。

 すると、出てくる分けつを食べてしまうのではないかという不安を抱くだろう。ところが種から出てくる柔らかな芽とは違い、分けつは余りかじられる様子は無い。確かに株にとりついているタニシは時に見かける。しかし、株を押し倒されないかぎり、イネは大丈夫に見える。もう少し観察はしてみたいところではある。

 3週間が過ぎて8葉期になれば、むしろジャンボタニシの利用である。雑草対策のためにジャンボタニシを適度に拾い管理してゆけば良いだろう。適正な量というものがあるのだろう。雑草が全くないという状態はイネには良い効果がある。
 
 一本植えで栽培して、比較の為に一部を2本植えにした。確かに2本植えは倒されないために、ジャンボタニシは余り食べることが出来なかった。また、風の強い石垣島では2本植えで無いと、風に押し倒されると言うことが起こる。

 2本植えにするには十分な量の苗を作る必要がある。これは少し負担になるが、補植の手間が減ると言うことには成るので、石垣島では種籾採取部分だけを1本植えにして、あとは2本植えにすると言うことが良いかもしれない。

 今年は5,5葉期の苗と言っても台風で苗が泥に埋め込まれてしまい、生育がもう一つ弱かった。本当にしっかりした苗が作れれば、1本植えでも大丈夫かもしれない。種籾採取部分だけ1本植えにしてみて、次回は観察を継続してゆきたい。

 一期作の苗であれば、1月6日に種籾の海水選を行う。そして穴あきビニールでの苗作りを行う。穴あきビニールであれば、中にタニシが入れない。風も防げる。石垣島の1月が丁度小田原の4月の気候である。サトジマンを作ることが案外に良いのかもしれない。小田原の田んぼが気になるところである。

 石垣島に向いた、種籾がみつから無いようなら、サトジマンの種籾を使おうかと思っている。夏の間の夜の気温の高さが、一番イネに悪影響を与えているのだろう。これに耐えうる品種を探す必要がある。

 ジャンボタニシ対策は3つである。1、大苗の2本植え。2,田んぼ畦際の溝。3,田植えから2週間の淺水管理。これで草取りがいらなくなるのだから、農薬不使用の田んぼが実現すると言うことになる。


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石垣島の農地貸借について

2021-08-14 04:21:44 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 どこの地域でも、農家になるためにはまず農地の確保が重要である。新規就農者にとってはこれが最大の関門になる。小田原周辺の状況については、随分と関わってきたので、だいたいのことは把握している。希望者に向いた農地が借りられるかについてもかなり詳しい人間だと思う。

 農家に成るためには、農林省などの広報している、表向きの要件も重要ではあるが、実際に生活をしてゆくための、背景となる条件も考えなければならない。例えば、養鶏をやりたいとすれば、建前では出来るとしても、騒音とか、匂いとか、色々な条件でまず出来ないと考えなければならない。

 それが稲作農家を始めたいとすれば、機械ををどのように準備できて、機械小屋はどうすれば良いか。お米の倉庫はどうなるのかなど、違った条件が必要である。野菜農家であればとか、果樹農家であればなど、それぞれの農業形態によって、就農の形も異なってくる。

 小田原周辺で新規就農を希望するのであれば、今でもそうした細々とした状況に応じた相談に乗ることが出来る。その上で、そういう希望であれば、この地域では不可能だとか。誰に相談すれば、判断が出来るとか。もう少し具体的な情報も相談できるかと思う。

 本来であれば、そうした相談ごとをするのが農業委員会や市町村の農政課のはずだ。しかし、実際に相談に行った経験では、90%ぐらいの行政が頼りにはならない。それどころか、たいていの場合いかにも面倒そうにしか対応してくれない。そのために、耕作放棄地が増えてきたという現実がある。

 私が就農した形は山を開墾して農地を作り出し、その土地を農地として認定して貰い新規就農した。当時の山北町ではそれくらいしか方法が無かった。今では小田原の農家である。就業日数を満たしているとかながわ西湘農協で先日計算して言われた。

 今回石垣島で水田農地を探してみて、石垣島らしい様々な状況が分かってきた。石垣島で農業をする気は無かった。技術指導はするから、その他の準備はしてくれたら協力すると言うつもりだった。ところが、始めて見ると田んぼが好きすぎるのだ。それで今も田んぼを探している。

 毎日田んぼにいないといられないほどおもしろい。今2期作の間だけ、緊急で使わせて貰っている。これで田んぼが無くなるというのはちょっと耐えがたい。急に探すことに本気になってきた。それで石垣島の農地事情が大分見えてきた。

 自分で探さないで見ていた間は、随分田んぼ向きの土地が荒れ地になっているから、徐々に放棄地が広がっていると判断していた。ところがこれは違っていた。4つほどの理由で耕作されていない田んぼがあると言うことだ。

 

 1番目は背景にあるのは、遊休農地は確かにあるが、こうした場所を調べてゆくと、簡単には解決できないような、複雑な事情がある。リゾート開発業者が農地の先行買いを進めた時代がある。30年も前からのことのようだ。

 石垣島のリゾート地化を予測した業者は、将来の農地が転用されるだろうと踏んで、農地所有者から仮登記の形で土地を購入してしまったのだ。そしてその農地を抵当に入れてしまう。こうしておけば、誰も簡単には手が付けられない状態になる。そしてこうした農地を、行政に圧力とお金を使い転用をさせる手法である。

 農地は本来農業者以外は購入が出来ないはずである。ところが、仮登記は誰にでも出来る。理由があって手放したい人にしてみれば、売れないはずの土地を買いたいという人が居るのだから、仮登記でも何でも現金を手にできれば良いと言うことになる。

 但し、農地の仮登記というものは永遠に効力があるものではなく、5年を過ぎると一般にはその効力を失う。仮登記をしている間に、仮登記者が農業者になると言うことが想定されて出来ている制度では無いかと思う。農業者で無ければ購入できないはずの農地だから、法的にはこういうことになる。

 しかし、売ってしまった地主にしてみれば、代金は全額を受け取っている場合もだから、法的には所有者ではあるが、所有者という意識はすでに無い。もう売ってしまったと思っている。だから、30年経ったいまになっても仮登記の抹消を裁判所に申請するというようなことは無い。

 何故そういう心理になるかと言えば、農地の先行買い占めを行うような業者というのは、多くの場合得体の知れない業者と言う場合が多い。当然であろう、正式でも無い方法で農地の買い占めを進めるのだ。仮登記の抹消申請でもしようものなら、怖いスジから何が起こるか分からないという不安感を与えている。

 もちろん様々ではあるが、その農地に抵当権を付けてしまうような手法を取るのだから、それなり対抗策は打っていると言うことだろう。こうなるとなかなか解決が出来ない。これを解決できる人が居るとすれば、行政である。

 農地の徳政令である。10年を超えた仮登記の農地を一斉に無効にする手段である。そんなことをやる日本国ではないので、これは期待できない。政府という権力には、実はこの尋常では無い買い占めを行うような業者のお友達が多いようだ。もちろん多額の政治献金はしている。

 2番目にある遊休農地の状況は、所有者が石垣を離れてしまった農地である。石垣市には空き家がかなりある。これと農地も似たような事情と考えていいのだろう。空き家も近所が困るような崩壊住宅もある。石垣を出てしまい、出た親族も意識が石垣から離れてしまったのかもしれない。

 そうした農地は所有者がなかなか特定できない。もう30年以上が経過してくると、相続がされていない農地と言うことになる。こうした場合、どこの誰と交渉したら良いのかが分からないことになる。地主さんの息子さんが沖縄本島に居るらしいと言う噂だけの農地になる。

 3番目は水の問題である。近年水が減ってきているというのだ。水田だから、水が確保できなければ難しいことになる。水が来なく成ったために放棄されている農地がある。水が減ってしまったというより、水路が崩壊してきた事に原因していることがある。

 そうした田んぼを何カ所か調べてみたが、山の山林の状態は以前より密林化が進んだように見える。以前水があったと言うことだし、雨量は減少しているわけでは無い。ダムはいくつも出来たが、ダムの水系とは関係のまるで無いところで水が来なくなっている。

 水源林は自衛隊とゴルフ場用地以外では守られている感じだ。昔はそうした沢からの水しか無かったために、沢水を大切に瓦などを利用して水路を確保し、その管理維持をみんなゆいまーるでやっていた。ところが、今の石垣の水田の大多数は、土地改良整備事業で配管された水田になっている。

 そのために改良区では無い田んぼの水路管理は誰もしないことになったのだろう。欲しい沢水を大事に維持しながら耕作を続けている見事な水でもある。こうしたところは一人の方が、やられている水田がほとんどで、他の人が入ることは不可能なような状態である。その周囲が耕作されずに空いていると言うことがある。

 最後の4番目は、道が無い水田である。昔は歩いて傾斜地を登りその上で田んぼを作っていたらしい。今も道路が無いから、当然水田としては誰も使わなくなり、山に戻りつつある。こうした場所ではどうやって田んぼまでたどり着くかが問題になる。山に戻ったのであれば、それなりの役割を果たしているのだから、それで良いのかもしれない。

 さてどうするかについては、改めて書く。

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