地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

水彩人作品批評 2

2019-09-30 04:38:28 | 水彩画


 水彩人は小さな公募展ではあるが、今年も15名もの初入選の人がいる。初入選の人の作品評を書いてみる。読んでもらえるかどうかはわからないが。

関口茂子 「秋」

 色の圧力が面白い。筆触が良いということなのだろう。色彩の心地よさが際立つ作品。色彩の味わいが品格を与えている。ものに対する見方が良いのだと思う。空間への意識が少し不足している。空間を汚して調和させているのかもしれない。空間の側からものを描くという意識を持つとよいのかもしれない。

辰仁 麻紀 「揺れる秋」

 空間の深さや調子に、たぐいまれな才能を感じる。ものを切り取る美しさが鋭い。日本画的な切り取り方ではなく、この切り取り方に絵画性を感じる。色の濃度の配置が的確。少し気になるのが、材質的な表現である。これだけの空間感があるのだから、もので示すのではなく、色の濃度だけでより深い表現が可能ではないだろうか。ものの説明的なところは、なくしていったらどうだろうか。

友野 郁美 「港への小径」

 構図に面白さがある。降りてゆく道の表し方が良い。入れられた人物が空間を作り出している。風景に入れる点景人物が成功している。影の深い表現と港に広がる明るさの対比が、もう少し明確になるといいのではないだろうか。着色をさらに重ねる場所を探すとよいのだろう。

石井 博子 「静物としての布」

 題名の通り布の表現がすごい。布に命がある。静物画として考えると布が行きすぎているのだろう。しかし、布が描きたいという気持ちが伝わってくる。布を見つめる目がよくわかる。この目が画面全体に及ぶとよいのだろう。布を見る目は素晴らしい。ここまでやるのであれば、布だけの静物ではないだろうか。

長谷川 和子 「御園が染るとき」

 風景に広がる空気感がすばらしい。御園とは地名なのだろうか。何か特別な思いを感じる。画面に物語があるといえるのではないか。点景の人も雰囲気は良いと思うのだが、もう少し丁寧に描きたい。地面の影が染まるというように、影を色で描くほうがよかったかもしれない。

松井 隆子 「Bouguet of Flowers」

 水彩の色の美しさが魅力的である。描写力も素晴らしいものがある。周辺の空間の描き方に、あいまいさがある。ぼかすことで花束がより美しくということなのだろうが、この辺の処理法に、淡彩表現から、感が表現への課題がある。花を見るように、空間を見るといい。

仲田 有紀 「水無月の輝き」
 一つの水彩画法は成功している。花が際立って美しい。みずみずしい切り花が目の前に存在しているようだ。心地よい色の世界に緊張感がある。空間への意識が気になる。花瓶の下の白抜きの部分が花を支えているのだろう。テーブルの影も同じくわずかに塗ることで花瓶や花が支えられている。その最小限の表現という美しさと、物足りなさでもある。この先の世界を是非見せてもらいたい。

小早川 洋子 「蝶が飛ぶ日」

 明るい水彩の表現に惹きつけられる。薄塗りの表現ではあるが、淡彩風のあいまいな表現ではない。で特に服の布の表現が魅力的である。布の模様が美しい。蝶が飛ぶ日ということは春の出発が象徴されているのだろう。蝶に暗示される未来が輝かしいという願いの絵であろう。

佐加井 宏子 「花の交響曲」

 窓辺に並ぶ花が窓越しに見える木々と調和して、確かに花が交響曲として美しい。一つひとつ違う花への丁寧なのまなざしにこの絵の表現がある。花瓶とテーブルの説明的な表現が、少し気になるところだ。

大門 純子 「千体地蔵(A)」

 あたりの緑の表現に面白さがある。地蔵に続く道の表現も独特で面白い。水彩の一つの表現法であると思う。問題は肝心な地蔵である。石仏なのだろうか。並んでおかれたお地蔵さんなのだろうか。中央に大きくあるだけにここの描き方にひと工夫が必要だった気がする。

中尾 つやこ 「時の交差点1」

 色の配置が魅力的だ。そこから絵の不思議感が広がる。動こうと居ている時間を描くことで、過ぎてゆく時間というものへの独特の表現が生まれている。背景を格子にしたところに、時を刻むというような見方ができる。気になるところが色彩が画面に乗っていないような感じになっている。紙を使ってみるとよい気がする。

井上 蓉子 「水辺」

 水辺の心地よい空気が魅力的である。危機の緑の鮮やかな感じも好感が持てる。水の流れもよく描けている。問題は影の部分にあるのではないか。影が手前に黒々とあるために、明るさは弾きたつのであるが、同時に明るい色を見ずらい感じにもしている。

志村 美知子 「コロッセオの悠」

 色彩の微妙さが絶妙である。グレーの中の幅だけで古い建物の魅力が良く表されている。グレーの意思の調子に絞り込まれた魅力がある。気になるのはこの表現が絵具の盛り上げを伴うところだ。水彩の透明感が組み合わさると、より面白くなる気がした。

中谷 澄人 「花と果実」

 素晴らしい静物画である。描く心が伝わってくる。ここの事物一つ一つに伝わってくるものがある。空間や置かれている場の表現も、実に見事である。えがきかたの多様性もある。かなり水彩に慣れているのだと思う。百合の白さの表現など見事である。少し線が早いところがある。ゆっくり止めて、しみじみと伝わるところを作ってみたらどうだろうか。世界観のある絵だ。
 

宮下 幾朗 「雨模様」

 背景が美しい雨模様になっている。雨脚まで描いている。濡れている世界が美しい。花の表現も派の表現も丁寧で美しい。花の中の変化、葉の中の変化を意識すると、さらに面白くなるのではなかろうか。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019水彩人展作品評1

2019-09-29 04:59:20 | 水彩画
 

 水彩人展が始まった。作品が並んで展覧会は私には必要なものだと改めて思った。自分が今何をしているのかが見える。絵は一人で描いて居るから、おかしなところに進んでいる可能性がある。一年に一度、方角を確認するという意味で、水彩人展は私には重要な場面である。

 全体で言えば、水彩人が水彩人らしくなった展覧会のようだ。それは私が思うところの水彩人と言うことではあるが。世間一般の人の眼から見れば、下手な絵の並んだ展覧会に見えるのかもしれない。いわゆる上手な絵は少ない。巧みな上手な絵を目指している会ではないということがはっきりしてきた。完成していないような私の絵もある。水彩画の研究会であるということを基本とする絵の会である。

 水彩人は研究会という形を残しながら、公募を始めた。公募は東京都美術館で展覧会を開催するための手段であった。公募展にするべきではないという意見もかなりあった。しかし、銀座の会場がなくなって、結局のところ、東京都美術館の当時の規約に従わざる得なかったといえる。

 水彩人展という公募団体に出品し、評価されたからと言って、世間的な肩書のような恩恵はない。絵描きになれるわけでは当然ない。それ故に20回も続けてきた結果、水彩人が好きな人が残ったということなのだろう。水彩画が好きな人という意味はアクリル画が嫌いな人ということに近いことなのだろう。アクリル画を拒否する公募展という意味では、唯一の水彩画団体である。

 水彩人は小さい会ではあるが、初入選という人が毎年かなりいる。今年は15人である。二つの要因があるのではないか。一つは水彩人に出してみたけれど、何か合わない。あるいはメリットを感じないので次の出品をしない。もう一つは、自分の絵を研究してゆく意味では良い場ではないか。と参加してくる人がいるということである。

 こうして、水彩画らしい絵がならなんだ。同人26人の絵もそれぞれに水彩画の探求をしている。26人も一人一人見ると、よくなったと思える人もいる、停滞している人もいる。どうも力を失っている人もいる。良くなっている人には声をかけやすいが、よくない人にはあまり意見が言えない。言わなければいけないと思いながら、言えない。迷いながらも、たいていはむりをして言ってしまい後でつらい。

 今年は過去最高の5人の同人が生まれた。すごいことである。新しい同人もまたそれぞれである。こうして仲間が増えてついに30人を超えた水彩人の同人である。10人でやっていたものが、3倍にもなった。

 会員は4名増えた。会員4名も実に新鮮な絵である。今年は初出品で会員になった人さえいる。素晴らしい絵である。初出品の人は15名いる。改めて、個別に作品批評をしてみたいと思っている。まずは、今回の特出している大原さんの絵から。



 大原裕行さんは巨大な絵が出している。500号とか言っていた。大きさがすごいということがまずある。こんな大作が水彩で描けるということを見せている。会としての盛り上がりに大いに貢献している。ただ、大きいだけならば私にも描けるが、大きさに意味のある水彩作品という意味で、大原さんの作品は世界の水彩画史に残るものかもしれない。高いレベルでこのサイズ作品は水彩画ではなかったと思う。

 下の方に横たわる人は死をテーマにしている。まず、威厳がある。鎮魂の静寂がある。悲しみがこの絵を支配している。中央下部の黒々とした死の思いが、空へと上部へ渦巻いてゆく作品である。

 中央では回転木馬が回っている。木馬の表情が無機質で、死の国への道しるべのようである。そして、上部には巨大なジェットコースターが天の国に向かって、渦を巻いている。銀河鉄道の夜ということだろう。

 つまり、死は回転しているということになる。死は回り渦巻いても、同じ場所に戻る。願いである。輪廻の願いが象徴される。死を受け入れられない気持ちが、こうした戻りくる遊具につながっているのだろう。

 大原さんは完成した作品を出すという考えである。それは展覧会として当たり前のことではあるが、わからない要素に無理に結論が出されている感がいくらかある。死と向かい合う意味での天国の意味は大原さんにとってどういうものなのだろうか。死というものの恐怖と悲しみはあるが、死の思いは天国で浄化される。ということなのだろうか。もしそうであれば、ジェットコースターの渦は意味が明確ではないことにならないか。死を受け入れがたいといっているのだろう。

 もちろんロココ絵画のように、死者を天から天使が妙なる調べを奏でながら、舞い降りて、死を迎えるというような優美な過渡ではない。死というもののへの諦念。そこから生まれる生の思想。あるいは詩。そういう次への思いが、作者によって示され用としているのが輪廻。

 何か不足を感じるのは、上部の作者の持ち味である茶系の色彩にあるのではないか。上部のジェットコースターに輪廻の思想があらわされるとすれば、あるいは天国への道が払わされるとすれば、色が少し違うような気がする。
 
 大原さんの絵の隣には松波さんの絵と、私の絵がある。何故か、創立した人間の絵が、3人並んでいる。どういうことだろうか。今までにない展示である。世間的にこの並べ方を権威的なものと受け取られかねないかと心配になる。しかし、私には3人の違いが確認できてありがたい展示だった。並べて学ぶところが大である。

 大原さんの技術と私の描法をよく比較しながら見ることができる。技術をどこまでどう殺すかということだろうと思う。私の絵は実に煮え切らない。煮え切らないにもかかわらず、決めつけている。いいわけではないが、どうしても研究中ということになる。わからないことは分からないまま出してもよい。そう考えている。

 自己批評は改めて書くことにする。

 

 


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貧困自己責任論のおかしさ

2019-09-28 04:48:12 | 暮らし


 100メートル10秒で走れないのは自己責任ではない。努力だけで、競争に勝利できないのが現実である。持っている能力は人それぞれのものである。特別の人以外に、100メートルは10秒では走れないのは当たり前だ。

 大切なことはその人として、十二分に生きることではないか。その人の可能性の限界までゆくと言うことしかない。しかし、その限界はそれぞれのものである。100メートル20秒かもしれない。1分かもしれない。

 一人一人が限界まで生きることの社会というものが理想の社会である。それならば、その人なりに努力している人が貧困で良いわけがない。結果としてはどれだけ努力したからと言って、競争に負ける人は居る。貧困は自己責任ではない。

 努力を精一杯した人が負けた結果、貧困に陥るとしたら、それは間違った社会だ。努力に応じて普通に暮らせる社会にならなければ、努力というものが行われなくなる。100メートル20秒を限界とする人は、どうせ勝てないのだから努力しないという結果になる。
 
 努力しなければ30秒かかるのかもしれない。それでは人間として生まれてきた意味が希薄になる。20秒まで頑張ってみようという気持ちになる社会の方が良い社会だろう。

 そこに貧困自己責任論の間違えがある。確かにこういう風に考えると、努力を怠る人が現れる可能性がある。頑張れば、10秒で走れる人が、努力せず20秒で走り。十分でなく生きてしまう社会は良くない社会では無いか。

 人間を信頼できないというのが、資本主義社会なのだ。人間はずるをして、甘い汁を吸うと見ている。人間は常ににんじんをぶら下げておかなければ、頑張らないと考えているのだ。人間はそんなものでは無い。誰だって一度限りの命を充分に生きたいはずだ。

 人間は他の動物に比べても、いろいろ努力はする。しかし行うべき努力すら確かに怠る。苦しい努力は誰だって限界まではできない。しかし、好きなことの努力は結構頑張れる。大切なことは誰でも好きなことを見つけられる余裕のある社会ではないだろうか。

 好きなことでは生きていけないから、いやいやつまらない仕事を我慢してやる。こういう人生であれば、頑張りも発揮されないだろう。好きなことを自由に追求できる社会が良い社会だ。そこに理想を置くことだ。

 そうした社会に近づくためには、好きなことがいかに大切かと言うことを互いに認めることだろう。好きなことを自由に挑戦すること以上に大切なことはないと言うことを、社会が認めることだ。

 好きなことがコンピュターゲームという若者も多数存在するだろう。好きなことを気ままにやらせたら、ゲームにはまるだけだと思うかもしれない。それはやらなければならないいやなことがあるからだ。本当に人間が解放されて、好きなことを探求すれば、ゲームに落ち込むような馬鹿ないことはない。

 

 
 
 

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島原発汚染水の大阪湾放出の是非

2019-09-27 04:31:09 | Peace Cafe


 福島汚染水は溜まりにたまっている。いくらでも水が湧いてくるからである。凍土壁で防げるとして、膨大は費用をかけたが上手く行かなった。そんなことは素人にもわかる。何度もこのブログにも書いた。全く、原発は科学に基づいていない。

 溜まってくる放射能に汚染された水をタンクにためて、放射性物質を取り除いて海に流すほかない。ところが放射性物質が、完全に取り除くことができない。完全に取り除けるなら、すでに放出されている。約束通り、完全に取り除いて放出すればいいだけのことだ。
 
 
 東京電力福島第一原発の敷地内には、放射能で汚染された水(汚染水)がたまり続けています。多核種除去設備(ALPS)で処理した水など合計で100万トンを超えています。ALPSでは、トリチウムは取り除けませんが、62もの放射性核種を基準値以下にすることになっていました。しかし、2018年9月、東電は、ALPSで処理した水のうち、84%が基準を満たしていなことを明らかにしました。(グリンピース)
 
 しかし、ここまで取り除けば問題ないという考えで、東電は海洋放出をすると主張している。ある程度放射能を取り除けば、問題がないのか。あるいは危険なのか、科学的知見としても意見は2分している。しかし、このまま溜まり続けていていいのかと言えば、考え方次第である。費用がどれだけ掛かろうとも約束通り、取り除く技術が出来るまで、溜め続けるというのが国際的約束ではないのか。

 ALPSという除去装置以上の性能の機械が出来るまで溜め続けるのか、あるいは海に流すのか。ここがもめているところなのだろう。放射能の安全性は、いつも意見が分かれる。安全性は自己当事者である。東電が決めることでは、そもそもない。海に流すとすれば、世界が安全と認めなければならない。
 
 こういう状況の所に、なんと大阪市長が大阪湾で海に流していいと言い出した。条件としては「科学的に安全という確認が取れたら」という事が付いているのだが、大阪市長自身は安全と考えた上での発言なのだろうか。安全は誰の確認があればいいのだろうか。大阪湾周辺の漁業者の了解は大阪市長は得たという事なのだろうか。

 瀬戸内海の漁業者は了解したのだろうか。大阪市長の考えるほど、簡単なことには思えない。大阪湾が流す場所としは全く不適切な場所だ。瀬戸内海から出てゆくことがなくなる。安全であれば、滋賀県が受け入れて琵琶湖に流すという考え方であれば、まだ考えうる。つまり外国への風評被害は相当減少する。
 
 大阪湾も実は閉じた湖のようなものなのだ。瀬戸内海から外へ水が出てゆくことはほとんどないと言われている。だからいいというのか、だからいけないのか。この辺の論議が必要だろう。風評被害というものはどう考えればいいだろうか。科学的に安全だと言っても、消費者にはなかなか受け入れてもらえないものだ。

 つまり維新の会が政権をとれば、こういう訳のわからないことが、実行されるという事になる。大阪市長はパフォーマンスで発言したのかもしれないが、まともな政治家の発言としては、あまりに唐突過ぎないか。
 
 あしがら平野ですら、人が住めなくなると主張した人がいたのだ。そもそも人間は放射能に汚染された中で生きてきたのだ。生命という意味では、生命は放射能に強くさらされながら生きてきたものだ。一定量の放射能であれば、人間は生きることが出来る動物であった。

 問題としなければならないことは、人体に影響が出るのは、人によって異なる点だ。特に成長期の子供の方が成人より影響を受けやすいだろう。わずかな放射能を危険であると考えるのであれば、レントゲンでも、MRIでも、使う事が出来ない。歯医者さんへも行けないことになる。
 
 海水にも放射能は存在する。もしどうしても海に放出するのであれば、太平洋の沖合に流すほかないだろう。どの程度沖合かわからないが、鳥島当たりなら良いのだろうか。日本の領海で、漁場に遠い場所が良い。

 海洋放出に対する、世界の承認を得ることである。日本が福島原発事故で世界中に大きな迷惑をかけたのだ。そのことを謝罪することが始まりだろう。謝罪の上に放射性物質を含んだ汚染水を海に放出するのだが、許可いただけるかと国連での承認をお願いをするべきだ。
 
 汚染水の安全性は、東京電力が主張してもダメだ。日本政府が判定してもダメだ。国連や、IAEAとか、UNSCEARなどの国際機関の了解が得らるという事が前提である。日本国は事故を起こした当事者である。当事者が安全だなどという事は、意味がない。第3者の了解が得られない限り、海洋投棄は出来るはずがない。

 
 
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全国初、石垣島住民投票求める会 自治条例解釈、司法判断へ

2019-09-26 04:49:21 | 石垣島

         
 【那覇】石垣市住民投票を求める会の金城龍太郎代表らが19日、石垣市を相手に、平得大俣地域の陸上自衛隊配備計画の賛否を問う住民投票実施義務の履行を求める義務付け訴訟と仮の義務付けの申し立てを那覇地裁に提起した。住民投票の請求・発議を規定する石垣市自治基本条例第28条の解釈は、司法の判断に委ねられることになった。--八重山毎日新聞

 石垣市でついに行政訴訟である。これは全国初めてのことと新聞に出ていた。今回の問題の出発点は不十分な住民投票に関する条例にある。そのことは行政も認めているところである。住民投票に関して、矛盾した2つの条文が存在している。その曖昧な条例の下に住民投票の請求署名を行い、3分の1の市民が住民投票を求めるという結果になった。

 民主主義というものを考えてみれば、一番尊重されなければならないのは住民の権利である。行政が、住民の権利を重視すれば、当然住民投票はすでに行われていなければならない。ところが、市長と議会多数派は自衛隊を誘致したいと考えているので、住民の意思を無視して、都合の良い条例の解釈をしているに過ぎない。

 本来であれば、住民投票の署名を行う前に、行政は、議会事務局において、住民に対して充分に矛盾した条例を説明して、どういう結果になれば住民投票が行われるのかを、説明する義務があったのだ。

 ところが、不十分な条例を説明をすることなく、3分の1の署名の結果が完全に無視される結果になった。これでは例えば2分の1以上の署名があるとしても、議会の判断で住民投票は不可能という事になる。

 この条例の不備を、議会多数派も市長も、ずる賢く運用したことになった。その結果住民の3分の1もの請求があっても、住民投票が行われないという、前代未聞の結果になっている。これはさすがに日本中から、恥ずかしいこととして見られているだろう。条例云々以前に、3分の1の住民請求があっても、住民投票をしないという事自体が、不自然なことである。

 これは住民自治の大原則をないがしろにしたという事である。ないがしろにした理由は、国防は国の専権事項だという、国の意思を市長や議会が忖度したという事であろう。市長と石垣市議会は、国の側の立場に立ち、住民の権利を売り渡した事になっている。この事実は誰が考えても許されていいことではない。

 考えてみれば、市長側には住民投票をしない理由がある。3分の1の住民が名前を出して、住民投票を請求した事態は、住民投票を行えば、明らかに自衛隊基地反対になるという事が分かったからなのだ。自由民投票を行えば、自衛隊の建設がおかしなことになる。

 尖閣諸島問題が一番の要因だと思われる。市長や保守系議員及び公明党は、尖閣諸島に中国が攻めてくるという心配をしているのだろう。国境に位置する島として当然の心配ともいえる。住民の中にもそうした心配を口にする人は多い。果たして中国は尖閣を武力攻撃するのであろうか。

 もし、そうした心配があるとして、石垣市長は中国に対してなにか行動をしたことがあるのだろうか。中国と平和のための努力を行ったことがあるのだろうか。まず、憲法で示されているように、国際紛争は平和的手段で解決を図る義務がある。市長はすぐにでも、武力攻撃があると思うならば、住民の為に平和的努力を行う義務がある。

 ところが、全く平和的努力もせず、軍事的備えをするというのでは紛争の緊張を高めるだけであろう。石垣にミサイル基地が出来るという事は中国にしてみれば、敵対したという事になる。韓国と中国の関係が悪化しているのも、ミサイル基地の建設に発している。

 石原元都知事が、尖閣国有化を主張して、中国との対立を際立たせた。その理由は危機感を煽り、日本の再軍備を進めようという意思であろう。軍備のない国では安心できないという切羽詰まった考えであろう。

 韓国の竹島と同じである。韓国軍が常駐して、時々韓国の国会議員が上陸する。あれは、日本が本当に攻めてくると考えてのことではない。国内の世論操作である。領土問題を緊張化させることで、国防意識を高める政策である。

 石垣市にも、市長をはじめ中国が今にも攻めてくると考えている人はいる。そういう人にしてみれば、自衛隊基地が出来ることは、なんとなく安全感があるのだろう。次に出てくるのは、小さなミサイル基地ぐらいでは安心が出来ないという事に決まっている。核武装までしなければ、尖閣諸島が守れないという事に繋がる。それが、石原慎太郎をはじめとする、日本の再軍備派のの本当の目的である。

 ところが、一方になまじの基地を作ることは石垣島自体の安全を脅かすのではないかという意見もある。意見は確かに2分しているのであろう。中国の武力にはすでに日本一国では対抗できない。当然アメリカの核の傘に入るという事になる。これが果たして、日本の安全を高めるのだろうか。

 むしろ、アメリカの戦争に日本が巻き込まれるという事にならないだろうか。イラクとサウジアラビアの対立は危険水域に達している。こんな戦争すら、日本はある意味石油を通して、関係がある。もう軍事力で解決しようとすれば、世界大戦もそう遠くない気がする。

 そうした世界情勢を踏まえたうえで、意見が2分しているのであれば、住民の考えを確かめるというのは、当然のことだと思う。そして、住民投票の結果を重んずることではないだろうか。これが出来ないのであれば、民主主義国家とは言えない。国防は国民一人一人に支えられて初めて成り立つものだ。

 これから長い裁判が予想される。もう市長も議会も後に引けなくなっている。これは不幸なことだ。いくつか手立てはある。議会を解散して、選挙によってもう一度是非を問う。あるいは市長が止めて、再度立候補し、選挙を行う。もしこのまま、裁判によって、判決まで進む事になれば、どういう判決が出るにしても気持ちはすっきりはしない。

 前回の市議会議員選挙ではあいまいな態度だったのが公明党である。今度は公明党が基地推進と明確にいうならそれもいいだろう。明確にして市議会議員選挙を行いその結論に従うという事もあると思う。

   石垣島議会ではもう一つ動きがあった。NHKの番組で石垣島の自衛隊基地が取り上げられた。その時に、自衛隊基地が水源地域に作られるというテロップが流れたらしい。私はその番組を見ていないので、性格ではない。

 そのダムは農業用ダムであるので、石垣議会が放送倫理協会に審議を申し出た。水道用ダムと誤解する表現があったというのである。間違えがあるとすれば問題であるが、農業用ダムの水源地に自衛隊基地が出来るのは間違いのないことだ。

 私には水道水と同じくらい、田んぼや畑や家畜に与える水は重要である。何故、水道水でなければ構わないのだろうか。農地が汚染されることがあっても構わないというのであろうか。農業用ダムであれ、水源に作ることが許されないのは当たり前のことだ。



 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

資本主義転換期の絵の在り方。

2019-09-25 04:53:34 | 暮らし
石垣島の美しい放牧地。島のかなりの面積が放牧地になっている。

 世界経済は限界に達しつつある。トランプの一国主義も、中国の国家資本主義も、一国主義になるという事は限界では無いだろうか。相手をつぶさなければ、成長できない世界なのだ。日本は新しい産業や、新しい魅力のある製品を生み出せるような、技術革新は生み出せなくなっている。

 かつて無い状況の中、日本が行うべき事はまずこの状況を認めることからではないか。そして、経済成長の無い中で、暮らしを安定させる社会構造を探ることだ。軍事力が無くとも、国家としての尊厳を維持して行ける道を探ることはできるはずだ。武力を捨てるという事ではなく、どうしたら専守防衛の武力が可能なのか。戦争というものが、経済戦争や情報戦争に変わる中で、新しい国の安全保障を考えなければならない。

 他者との競争では無く、自己革新の世界である。資本主義は他者との関わりばかりに目を奪われてしまう。生きると言うことの最終目的は他に求めることはできない。財力の豊かさでは無く、心の豊かさを求めることである。お金以外の価値を見つけることである。一人一人がお金よりも大切なことを見つける時代への転換ではないだろうか。

 と言っても全体の流れはますます、拝金主義が広がるに違いない。そういう時代の中で、自分自身の心豊かな生き方というものがどこにあるかを、流されないで見つけないとならないのだろう。

 人間が豊かに生きるという意味をそれぞれに発見しなければならない。お金があれば人生の目的がかなうと考えている人は、お金への依存心を捨てることができない。社会は落ちるところまで落ちなければ、新しい価値に進むことはできるものでは無い。しかし、個人としては社会と距離を置くことはできる。

 このまま資本主義が続かないことだけははっきりしている。自分だけが資本主義的成功者になると言うことは、より難易度が上がりつづけている。今後社会の下層に位置づけられる人たちが、資本主義的勝利者になると言うことは幻想である。資本主義が限界に近づくと、階級の固定化が起こる。

 競争社会の競争の条件がそもそも違うのである。下層のものも頑張れば、競争の勝利者になれるという社会は終わった。日本であれば、明治維新とか、敗戦とか、社会がひっくり返ったときが、競争をする条件が並んだときである。こういうときには新しい発想も生まれ安すい。

 持てるものと、待たないものでは、同じ競争にはならない。残念ながらそれを認めた上で、自分の生きる道を考える以外に無い。持てるものというものは才能を含めてなのかもしれない。芸術的感性というものは育ち方でほぼ決まっている。芸術の生まれない国では、どうにも生まれないものなのだ。何度か行った中国では当分芸術というものは生まれないと思った。日本もそういう国になってきたと言うことだ。

 この文化の余裕のような蓄積が、日本では急速に失われている。これは驚くほどの速さである。例えば、梅原龍三郎のような絵画が育つような土壌はもう無い。理解できるような鑑賞者がいない以上、現われることはないものなのだ。

 ではどうするかというところで、生まれているものが私絵画なのだ。私は勝手に私絵画と名乗ったのだが、実は商品絵画ではなく、私絵画を描いている人が大半なのだ。売れる売れないなど全く関係がないほとんどの人の絵。自分の絵を自分で評価し、自分の納得というものに至る。他者からの判断で自分の価値を決めるのでは無く、自分自身の進歩のために絵を描くと言うことを使う。

 絵が評価されるとか、絵が売れて生活ができる。こういうことは嬉しいことであるが、それに惑わされれば、絵を描いて生きると言うこと自体がとんでもないことになる。本当の鑑賞者がほとんど居なくなっている社会なのだ。まともな評論が失われているのだ。

 良い絵を自分で決めること以外にない。その自分の目を磨き上げる日々以外に無い。どれほど偉そうなことを書いたとしても、私の絵は目の前にある。どれだけのものであるかがすべて絵に出ているわけだ。自分の命がけである以上、ごまかしはできない。私の絵が商品絵画の真似事であれば、これほど恥ずかしいことはない。

 一枚描くごとに、新しい何かに気づかなければならない。発見が無ければならない。絵は一枚ごとに変わらなければダメだと思う。絵が停滞すると言うことは人間としての生き方が停滞したのだ。そうした自分という人間の革新のために絵を描いているとも言える。

 昨日分からなかったことが、今日は分かったかもしれないと言うこと。昨日できなかったことが今日はできたかもしれないと。絵を描くと言うことが自分を掘り下げることになっていなければならない。

 そうなれば、社会的評価以上の価値観を持つことができる。それは資本主義社会が終わろうとしているからである。終わろうとして、ゆがんでいる社会の価値観に影響されていたのでは、良く生きることが難しい。

 しかし、私絵画が孤立につながってはならない。孤立すれば人間はおかしなことになる。良い仲間を見つけると言うことだ。その姿勢を失えば、ただの偏屈になる。心を外に開いていなければ、人間はたちまちに病に陥る。閉じた心はより深い殻の中に入り込んで行く。これでは新しい発見が生まれる事は無くなる。

 水彩人の互評会はなんとなく、本音が出なかった。5分間で本音の議論をするなどという事は無理であろう。やはり本展の期間中に十分時間をかけて、互いの絵に対して意見を言わなければならない。その為に作った研究会が水彩人なのだ。

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田んぼは稲刈りが近づいてきた。

2019-09-25 04:30:03 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」



 田んぼは15号台風でなぎ倒されたが、2週間経過して何とか持ちこたえている。根元が折れていなければ、結構立ち上がってくれる。倒れたところは、みんなが縛ってくれた。今年は7月がひどい日照不足で、やきもきしていた。やはり分げつは少ない。

 一度は一週間ほど生育が遅れた。葉の数一枚が一週間と数えて、10枚目が11週目に出た。ここにきて生育は例年に追いついている。毎年、気象が極端化するようで、難しい栽培になっている。


 これから厳しい気候になればなるほど、苗を十分に作ることがより重要になりそうだ。苗が良くなかった仲間の田んぼが今年は収穫できるかどうかの状態になっている。欠ノ上田んぼの苗は過去最高の出来だった。良い苗を一本で植えたので、あの日照不足にも耐えたともいえる。イモチや縞葉枯れ病が出なかったのは、一本植の健全な苗のおかげもある。

 イネが倒れた原因は2つある。一つは7月の日照不足で株が徒長気味であること。そして2つ目は土壌が緩くなり過ぎたこと。深水の結果もある。長年深水を続けてきて、土壌が緩くなる傾向が出てきている。土壌が少しづつ変わるのかもしれない。来年は浅水に変えたほうがいいだろう。



 深水の主な理由は雑草対策である。雑草がここまで減少したのだから、来年浅水で試してみても、草がそれほど出ない可能性も高いのではないか。少なくともヒエが無くなったので、挑戦してみる価値はある。

 倒れた稲には3,4本で麻ひもで結わえて立ててある。これで2週間維持している。収穫まで十分に実りを進めそうだ。倒れた稲はそのままでも起き上がることが多い。慌てて、起こしてしまうとかえって根本が痛むことがある。又緩んだ田んぼに入れば、さらに倒すことにもなる。その状況次第なのだが、結わえて立ち上げる作業は最小限にした方がいい。

 分げつが少なく、徒長気味の稲株になっている。そこに大きな穂が付けば、当然倒れる。倒れるくらい実のらなければ、到底収量が物足りないものになる。今年は畝取りは無理かもしれないと思う。私が石垣に越してしまい、水管理になれているものが出来なかったのだから、仕方がない。来年は解決するだろう。

 稲刈りは予定通り、10月5日と6日である。後9日。稲刈りは遅い方がいいと考えている。全体に穂から緑が消えてからである。穂の色も、黄色からだんだん色を深めてゆく、充実した茶色が出て来てからが良い。穂の葉柄もすべてが黄色になる。

 ここまで待てば、遅れて出た穂のお米も食べれるところまで実る。今は選別して、食べることのできるお米までくず米にしてしまうが、自給の田んぼでは、無駄にするお米はない。刈り遅れると味が悪くなるというが、そんな経験はない。田んぼで立ったまま、ハザガケをしていると思えば同じことである。

 玄米が15%以下の水分量になるまで田んぼにおいて、そのままハーベスターで脱穀した経験も何度かあるが、味が悪いなどという事はなかった。味が早く悪くなるのはよほど早く根が枯れてしまうからではないだろうか。

  田んぼ管理はとても良くできている。草はほとんどない。穂の大きさも十分である。粒張りもどんどん良くなってきている。これは穂肥の効果だと思う。

 水を切っても、雨が降るので田んぼが乾くところまでは行っていない。それでもやっと今日あたりから田んぼがひび割れてきている。水口の遅れている田んぼだけは少しまだ水が欲しいのかと思う。何故か上の田んぼからの水漏れで、水口田んぼが乾かない。上の田んぼが水を切れば、乾いて来るから丁度良いかもしれない。

 この後雨が降っても水が田んぼに溜まるようなことはまずい。雨がさっと流れ出るように、溝切をしなければならない。


 

 


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

次の時代の生き方に必ず役立つ自給の為の2冊の本

2019-09-24 04:13:47 | 自給

大豆畑の一つ、大豆畑はあと2つある。

 先日10年後の世界のことを書いてみた。日がたつにつれて、外れていないような気が強まっている。気候変動などほとんど対策が取られないまま、10年が経過するだろう。一国主義経済は解決できないだろう。世界の人口増加は止まらないし、日本の人口減少も止まらない。

 日本はいかにも安倍総理大臣なのだと思うようになった。私が安倍氏を嫌いなのは、安倍氏が自分の中の否定しなければならない、醜い部分を体現しているからなのだと思う。それは格好つけであり、口先だけであり、拝金主義である。

 安倍氏のことも日本のことも諦めるほかないと思うが、次の世代の人たちが、この悪くなる世界の中でどう生きるかは、厳しいものになるだろうと思う。そんなことを言っているだけでは、こんな時代にしてしまった一人として、申し訳ない限りである。

 次の社会で自分らしく生きるには自給自足的生き方ではないかと思っている。資本主義末期の社会に巻き込まれず、それぞれの生き方をするためには、自給自足的生き方だ。

 食糧の自給自足は一日2時間の労働で可能だ。極端に言えば、勤めながらでも作り出せる時間である。勤めていたとしても、自分の自由になる時間の大半を食糧自給に充てれば可能なことなのだ。

 私は30代後半に自給自足に入ったのだが、それからかなりデーターを取りながら、やってきた。機械力を使わない自給自足である。化石燃料を使わない自給自足である。今後機械力に頼る自給自足は不可能になる可能性があると考えていた。自分という体力だけでの自給自足を試みた。

 それは3年で可能になった。体力のある30代だからできたのだと思う。チェーンソウもなく。耕運機もなく、かりばらい機すらない自給自足である。70になって何故できたのだろうかと思うが、確かにできたのだ。

 その頃は、世田谷学園に週3日間勤めていた。自給自足と自然養鶏が出来るようになったらば、勤めは止めようと考えていた。その自給自足生活を人に伝えようというのが、あしがら農の会であった。

 一人の自給よりも、みんなの自給である。30年前に自給自足を始めたころ、私が死んでしまうころの日本は行き詰まると考えていた。そんな時代でも、自分らしく生きるためには自給自足しかないと考えていた。

 自給自足をやってみて、一番の課題は技術の伝承だと思った。機械を使わない農業には伝承されるべき技術が失われていた。その為に技術を自分で見つけて、残さなければならないと考えた。それが「発酵利用の自然養鶏」「小さな田んぼのイネ作り」の2冊の本に残したものである。

 自給自足をする人にはこの2冊の本は必ず役に立つ。この本に書き残した技術は直接役立たないかもしれない。農業は地域が違い、土地が違えば技術もかなり違う。今後気候が変われば、さらに違う事になるだろう。しかし、この2冊の本に書き残した考え方は参考になるはずである。

 考え方としては自給自足はみんなでやるものだという事だ。自給自足が自己満足に終わってはならないと思う。自給自足の生き方を次の人にバトンタッチすることが大切だと思う。技術は伝承されなければならない。

 一人の自給自足の半分の時間でみんなの自給は可能になる。この点、私たちの世代よりも可能性は生まれていると思う。私たちの世代は、つまらない自己主張世代で、上手く力を合わせるという事が苦手だ。しかし、若い人たちと接していると、とても調和できる才能がある。

 技術を獲得すれば、半分の時間の自給自足になる。一人の自給がみんなの自給になれば、また半分の時間の自給になる。つまり、4時間かかる自給が、1時間の自給になる。これは私の実体験である。何十年も一日の自給の為の労働時間を記録してきた結果分かったことだ。

 完成された形では一時間で自給自足が出来た。確かに、自給を完成させた人にしてみれば、みんなでやることは負担になるのかもしれない。しかし、長い目で見ることが出来れば、みんながいるからできるのだ。一人で続けている人の結果をみてみると、それはよくわかる。

 人間は人と助け合う事で、人間を深めてゆく。一人でいれば、独善になり、奇妙な歪みを持つことになる。自給が人間として豊かに生きるためのものであるにもかかわらず、自分の人格をやせ細ったものにして行く。それくらいならば、勤め人として生きた方がマシではなかろうか。と言ってもそれはやったことがないからわからないことだが。

 自給の為の本を2冊書いた。自然養鶏と田んぼだ。自給自足にこの2つの組み合わせは大切になる。実はあともう一つ、自給の為の野菜作りを書こうと考えていた。残念ながら、これは出来なかった。大豆、小麦、タマネギ、トマト、これは自分なりには挑戦したのだが、難しくて完成できなかった。

 農の会では引き続き挑戦を続けている。かなり技術が整理されてきている。様々な野菜を含めて、根守さん渡部さんを中心とした、有機農業塾。そして、大豆の会の太田さんの技術。お茶の会の技術も価値がある。

 農の会の力で、これがまとめられれば、完成という事になる。あと5年小田原に通い。何とかこの本がまとめられるまでかかわることが出来ればと考えている。


 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

21回水彩人展の作品について

2019-09-23 04:04:54 | 水彩画
 

 20日、21日、22日と水彩人展の準備があった。東京都美術館美術館の地下での仕事である。20日の早朝に絵やコピー機を積んだ車で東京都美術館に出かけた。小田原から、都美術館まで2時間半ほどかかった。朝ラッシュに遭遇した。遅れたら困るので、5時半には出たので、8時には着いた。9時15分に美術館には入れるので、それまで予定通り、朝食を食べコーヒーを飲んでゆっくりしていた。

 搬入受付から、データー打ち込みが私の担当なので、これに専念した。と言っても私は回りで、サポートしただけだった。急いでパソコンやコピー機の設置、3台のパソコンの連結。ハブを忘れて来たたことがわかり、トラブルになるが、初日は1台で印刷をすることでしのぐ。データーの連結はUSBメモリーを使う。

 ここで、アートラインという業者搬入分を先に入力のつもりが、約束しておいた、一般の搬入票が見つからない。何という事か、結局しばらく人の配置が無駄になる。この時はアートラインは一般搬入がないという話になっていた。後で分かったのだが、別の所で資料作りに利用していた。全体の流れを理解していないので困る。

 12時までに搬入が終わるが、一般搬入の人は95名であった。毎年こうして、新しい人が搬入してくれるので、新鮮な作品を見ることが出来る。どこの公募展も参加者が減少しているらしい。一番の原因は地方からの出品が輸送の関係で困難になっていることにある。東京近県以外の参加者が極端に少ない。

 大きな団体で、地方で作品をまとめて、一括輸送できるところはまだよいのだが、個人で地方から作品を搬入することはかなり困難になっている。石垣島に越してみて良く分かった。何とか地方から、作品を巻いて筒に入れて送ることで出品できないかと思っている。受け付けて、こちらで額装を準備して、搬入する方式である。何か方法を考えなければ、地方からの出品はさらに減少してゆくだろう。

 今考えているのは小田原には手持ちの額が20号、10号前後ならば、10づつは持っている。加えて使わない額をみんなから集める。そして、地方から、絵を巻いて筒に入れて送ってもらう。これを業者にお願いして額装して、搬入する。少し早めの搬入締め切りにする。来年から是非試みてみる。

 もう一つは地方からでは出品はしたが、東京まで来れないという人もいる。そういう人のために、ビデオ撮影をして、ホームページに載せられないかという事である。撮影だけは今年はしてみようと考えている。地方出品者の中の希望者にはDVDにして販売するとか。


 
 12時から審査が始まり、ずいぶん時間がかかった。結局まるまる2日間審査にかかったことになる。せっかく出品してくれたのだから、出来る限り丁寧に見させてもらう。どうしても展示から外れる作品もあるのだが、そうした作品には理由を、作品評のような形で添えて返却することにしている。
 
 今年も初めて水彩人に応募してくれる人がずいぶんいた。作品として出来上がっている人もずいぶんいた。作品が悪いから、展示できないという事よりも、水彩人の求めている水彩画の方向とは違うという点で判断が分かれる。今年も、他の公募展ならば、評価されるだろうと思われるものが、何人も展示されない事になっている。

 審査3日目の午前中は同人の作品の互いの作品の批評会であった。発言しない様にと思って参加した。他の人の意見が聞きたいと思った。誰がどのように人の作品を見ているのか聞いていると、その人の作品以上に、絵というものをどう考えているのかがわかる。たとえば、必ず額が気になる人がいる。そいう人は展示をする意味を重視している人なのだろう。

 批評を聞いていると、大半の人が絵作りを問題にしているという事が良く分かった。作品としてうまく出来上がっているかどうかを見ているようだ。これは普通の公募展で言えば当然のことだとは思うが、私はそのことは絵の批評ではないと思っている。

 出品するのであるから、作品は描いた人からも、見る人からも等距離のものである。同人の場合の互評は作者が何を描こうとしているかが問題である。絵作りの上でおかしくとも、それはそういう表現として受け取らないとならない。それは絵の目指すところを話し合いたいという事かと思う。それには時間がなかった。

 多くの人が絵の指導をしている。その経験が人の絵の見方をゆがめているのだと思えた。ここは欠点だから、直せばいいという指導する目で作品を見る。それは自分の生徒に行えばいいのである。作家同士が作品を批評し合うという事は、その人が何を表現しようとしているのかを問題にしなければならない。

 絵が上手になるために水彩人をやっているわけではない。絵は何を描くべきなのか。そもそも絵画とは何を目指しているのか。作者として何を表現すべきなのかだけが問題なのだと思う。そういう眼から、他の人の批評を聞いていた。

 なるほど、教室の先生の意見がおおかった。その人の世界を表現するためには、この欠点を直すべきだというような意見なのだろう。本来の批評はその人の世界の表現が、深まっているのか、方向がそれてしまっていやしないか。ここに話を向けるべきだと考えている。

 絵がおかしなことになっている人もある。そのおかしさが、次に進むためには必要なことであとすれば、おかしさの理由が問題なのだろう。そこを語り合うべきだと思う。

 絵は常に自己否定してゆくものだと考えている。前に進むという事は、新しい世界を切り開くという事である。つじつまが合わなくて当たり前である。それが水彩人展が研究会であるという意味だと思っている。

 絵を語る会はこの点では、その人の方角がいつも問題になる。極端に言えば、こういう時代の中で、こういう方角を模索することにどういう意味があるかというようなことである。その人作家としての連続を見なければ、意味がない。

 10月1日には展示作品の絵を語る会を行う。私は自分が今何をしているかを語ってみたいと考えている。それは絵を並べてみて、自分自身が確認できるものでもある。語ることで自覚するという事でもある。絵を描いているだけでなく、こうして水彩人に作品を並べるという事は、自己確認のためである。

 自分の絵が自分というものへの途上であってほしい。自分の世界観を探っている物であってほしい。果たしてそうなっているかどうかを確認したいと思っている。いまさら上手な絵を目指したところで始まらない。

 水彩人展は9月27日の金曜から始まる。初日は14時から開展である。上野の東京都美術館。会期中は03-3823-6921で水彩人事務所に連絡が付く。10月5日までである。

 

 

 

 
 
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田んぼの風の唄 をつくる。

2019-09-22 04:17:57 | 楽器


「かかしになれるかな」

田んぼに風が吹き抜けている
土を起こす。汗に風に飛ばされる。
風になる。田んぼになる。かかしになれるかな。
チョウチョが肩に止まる。
雲は飛んでゆく
黙っているとそれでもいいという気になる。

田植えの足が泥に捕まる。
深すぎた田んぼ、浅すぎた田んぼ
風になる。田んぼになる。かかしになれるかな。
深い土はまだ冷たい。
植えた苗にもう涙が
今年の草はどんなものだろうか。

あぜ道のクローバーが足をぬらす。
白い花が踏んでもいいと言っている。
風になる。田んぼになる。かかしになれるかな。
せぎに泳ぐヤマメ
せぎに空が流れる
歌が歌いたくなり、そっとうたってみる。

稲穂の波に飲み込まれる。
そっと触ってみる。稲穂の重さ。
風になる。田んぼになる。かかしになれるかな。
田んぼから帰る夕日
明日も天気になりそうだ
息を吸うと稲穂の匂いがした

切り株にはひこばえが出た。
霜柱が立つ。レンゲが凍えている。
風になる。田んぼになる。かかしになる。
田んぼでうまれて、田んぼに帰る
種をまけば、芽は出る、
米が実るのは自然ということのようだ


「あしがら畝取り唄」

5俵までは捨てておけ
6俵の当たり前は苗作り
7俵取るのは、草取り、草取り
8俵望むは、土作り
9俵超えるは追肥、補肥
10俵決めるはコロガシばかり、
10俵上は、お天道様










コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上級国民という言葉が何故使われたのか。

2019-09-21 04:45:51 | Peace Cafe


 10年ほど前に階層社会という言葉が出現し、定着した。社会が階層化し始めているという指摘が、いかにもこの社会を表しているかのようだった。そして、池袋暴走事故以来上級国民という言葉が使われるようになった。これはかなり嫌な印象があることばだ。

 階層社会と言う言葉が使われ出した際、階級社会というものを階層という言葉で曖昧にしてはならないということが指摘された。学問用語的に言えば、その通りではあったのだが、階級社会という古い概念ではそのとき起きていた社会の階層化状態が表しきれなかったきがする。階級という言葉は余りに概念的で、生活実感が薄くなっている。

 階層社会とは競争主義が生み出した社会という印象である。競争で勝ち抜いたものが、上の階層にたどり着ける。競争に敗れたものは下層で甘んじるほかない。こうした競争の結果生まれた生活水準の層のようなものが、階層という言葉で表された。階級と言う言葉が定義した、資本のあるなしで分けると言うことを曖昧にした。

 そこにはどことなく能力競争に負けたのだから、仕方が無いだろうという空気感を含んでいた。いかにも能力競争が正当なもので、誰にも加われるもののような印象を与えていた。そんなはずは無かった。競争はスタート地点がそもそも違っていた。

 そこで現われたのが上級国民という言葉である。上級国民と言う言葉には、貴族階級というような持って生まれた所属を感じさせるものがある。アベ氏などがその典型例である。能力競争でいえば、出身大学も一流というわけでは無い。上級官僚出身でもない。アベ氏は周りが作り上げた存在という意味が強いだろう。

 そういう、生まれで地位が約束されたような社会になり始めているという予兆が上級国民という怖い言葉で表現された。上級国民と呼ばれたのは、池袋でとんでもない暴走事故を起こした、元官僚である。この人が逮捕されない。過去の功績が配慮されて、情状酌量されるのでは無いかといわれた。

 法律の前でそんな馬鹿なことがあっていいはずが無いという、庶民の気持が、上級国民という言葉による告発になったのだろう。厳罰を求める署名が石垣島でも行われている。亡くなられた親子が、沖縄出身の方と言うことがある。

 競争が平等では無いという、鬱屈した想いも社会全体に溜まってきている。この平等では無いには、学力競争自体が、地域格差が生じていると言うこともある。家庭の経済が競争に反映しているとデータに表れている。どうも競争が平等という事に、疑問が生まれている気がする。

 また、競争が拝金主義に偏重しているのでは無いか。社会の中で大切なものとするべき仕事が、拝金主義でおかしくなっているのでは無いか。例えば、稲作農業は大切な仕事ではあるが、世界経済の中でないがしろにされてしまうのもやむ得ないだろうと言うことになった。

 伝統文化を支える工芸なども、生活すること自体ができなくなっている。そのために、日に日に失われている。芸術分野でもお金になる芸術とならない芸術が存在する。純粋に文化としてそのものの価値をみるという社会では無くなっている。

 こうして、社会が経済によって固定化がされ始めた。それは資本主義社会が進めばそうなる。資本を持つものは資本が利潤を生み、より大きくなって行く。一方で、資本のないものは労働価値で量られ、労働者の立場に固定化されて行く。

 すでに、特殊例を除いて、なかなかこの状況を乗り越えることが難しくなった。それほど富が偏在するようになっている。それがまるで、貴族社会の到来のように、上級国民という言葉に表されたのでは無いだろうか。

 上級国民の世界には上級国民以外は立ち入れない。生まれたときから立場で、生涯の姿が決定されているのでは無いか。この恐怖である。もう努力も能力もさしたる意味が無くなっているのかもしれない。というような気持がにじみ出ている。

 もちろんそんなことは無い。よりよく生きることは誰にでも可能である。経済的競争に入り込むことは極めて困難になっていると言うことだ。社会では経済的成功だけが目標の人がばかりだから、そういう意味の絶望感が広がっているのだろう。

 よりよく生きることがお金などと全く関係がないものだ。よりよい養鶏も、よりよい稲作も、よりよい絵画も、お金とは関係が無い。お金で測る尺度など捨てればいいだけのことである。拝金主義に自分の一生を台無しにしてはならない。

 時代のゆがみが、まともな養鶏を許さなくなっている。当たり前の稲作を許さなくなっている。私のやってきたような、農業は貧乏農業と切り捨てられる時代なのだ。しかし、切り捨てて、経済的成功を目指す農業に価値があるとは私には思えない。

 どちらに生きるか方向を決めるのは自分である。上級国民などと関係なく生きる方がいい。

 

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いよいよ水彩人搬入日

2019-09-20 04:45:34 | 水彩画

船原溜池
 今日は水彩人の搬入日です。私は車で東京都美術館まで、作品を持ち込みます。作品は17日に石垣から、小田原まで直接持ってきた。そして小田原で額装した。額装は予定通りできた。初めての手順なので、石垣ではあれこれ心配したのだが、何とかなった。

 石垣で額装して、航空便で搬入するのはサイズ的にかなり高額になってしまう。自分で搬入すると小田原から上野までの車代と言う位で、格安になる。これからもこのやり方になるのだろう。小田原に準備して置くものもよく分かったので、今後はこの方式で行きたい。

 水彩人に出す絵は額装するときに、前の額に入っている絵より良くなっているかなというのが、一番気になる所だ。絵は額に入れてみると違うものだ。自分としてはそれなりになっとくはできたので、良いかなと思った。

 水彩人展準備で課題なのがコピー機である。私の家にあるコピー機を持って行くのだが、これがしばらく使っていなかったものを運ぶので、例年くりかえすのだが、上手く行かない。ノズルが乾いているのだろう。今回も、回復に手間取った。

 コピー機と3台のパソコンとを繋ぐのだが、上手く行くだろうか。とても心配である。毎年これで一苦労である。コピー機は日常使っている物であれば、様子がわかる。小田原のものは使っていないコピー機なので不安がある。コピー機をレンタル会社から借りたのでは、スムースには行かない。費用もばかにならないので、こんな方式にしたのだが、何とか切り抜けてもらいたい。

 今年は水彩人も21回展で、新装開展という形だ。個人的には研究会に戻る時ではないかと思っている。今までは公募展にするという事で、ずいぶん無理な頑張りもあったと思う。何とか水彩画の第3の存在にはなった。この先必要なものは何かと思うと、やはり純粋に水彩画というものを探求するグループではないかと思っている。

 ただこうした組織は組織自体の動きがある。50人もいる仲間が自然に動かしているともいえる。一人がどう動かすかというより、全体の動きに抗しがたいものもある。どんな方角が水彩人なのかを見定めるのが、21回展なのかもしれない。

 10人から始まったものが、50人になったという事だけでも公募展にしてよかったと思う。ただ今後これが100人の仲間になることが良いことなのか、50人を維持しながら、より緊密な形を求めることが良いのか深く考えなければならない。
 
 やはり、私個人としては自分の絵である。たぶんそれは誰しも同じことだろう。自分が絵を続けるうえで、どんな水彩人であれば、有難いのか。それを考えなければならない。後どれだけ絵が描けるかもわからない。その絵が少しでも前進するための会であるという事がすべてである。

 その意味では規模としては今くらいが限界のようには感じる。これ以上大きくなると、会の中に考え方の分離が生じるのではないだろうか。今はなんとか、会を出来てきた初期の考えが維持されていているのではないだろうか。

 今後の方向を、どんな会にして行くのかを、会期中にみんなとできるだけ話し合いたいと思う。全員を会員にするというのもいいのかもしれない。現在のように、同人と会員がいるというも、あまり好ましいものではない。

 絵を研究しようという気持ちが生かされる場でなければ、今後水彩人の意味はないと思う。なんとなく書いていて落ち着かない早めに出掛けた方が良いかもしれない。文章が途中であるが、仕方がない。

 

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豚コレラはついに埼玉県の養豚場にまで広がった

2019-09-19 04:03:31 | 自然養鶏


 豚コレラが、埼玉県まで広がってきた。一年で岐阜から埼玉まで感染はひろがるようだ。野生動物のイノシシがこの病気を広げていることはまちがいがない。イノシシの感染への対応を考えない限り、こんごのワクチン接種の判断もできない。ところが、農水省のホームページに掲載された、対策本部の発表ではイノシシへの対応は出ていない。打つ手なしと言うことなのか。

 2018年9月に岐阜県で最初に養豚場での豚コレラが確認された。同時期にイノシシの豚コレラを確認後、今までに2150頭を調査して徐々に感染が岐阜県全体に広がっていることが確認されている。長野県では検査した イノシシ318 頭のうち、109 頭で豚コレラ陽性が確認されている。いったんイノシシに感染が始まれば、感染の拡大は防ぎようが無い。

 関東にまで広がるには一年かかったと言うことだろう。今後この感染の拡大は日本全体に広がると見なければならない。養豚をしている人たちにしてみれば、極めて深刻な状況である。当初、イノシシにワクチンの入った餌を食べさせれば拡大が防げるとした判断がいかに甘いものだったかが分かるであろう。

 イノシシの生態の把握ができていないのだ。イノシシは移動範囲が狭いから他の群れには感染が拡大しないという見解でイノシシにワクチン餌を与えたのだ。残念なことにイノシシに対する基礎研究が不足している。ワクチン抗体のあるイノシシは自然界に対してどういう影響があるのだろうか。

 鳥インフルエンザの時も、渡り鳥に対する基礎研究がいかに不足しているかが痛感された。韓国から日本に渡る鳥に関しての調査は無いに等しかった。たしか、福岡で感染したカササギが見つかり、カササギが飛んでくることが確認された。今回の豚コレラでは、人が感染を広げていると言うことばかりに気をとられていた。これがイノシシへの対応を遅らせたのでは無いか。そして現在は打つ手が無くなった。

 放牧養豚をしている知り合いのところも、感染地域になった。どれほどつらいだろうか。自然の状態で豚を飼っていれば、イノシシと接触が起こることは普通のことになる。豚にとって良い飼育をしている養豚場ほど、つらい結果になる。それは、自然養鶏と鳥インフルエンザも同じ状況に陥った。あのときのつらさが、養鶏を止める日を決めた。

 緊急的問題になっているのが、豚にワクチンを使うかどうかである。使うと日本が清浄国で無くなり、豚肉の輸出ができなくなる。野生のイノシシに感染が広がっている状況で、清浄国などと主張すること自体がすでに馬鹿げているのだ。

 豚にワクチンを打てば、豚への感染は防げる可能性は高まる。しかし、イノシシへの感染が拡大した以上、かなり長期にわたりイノシシ間の感染は続くであろう。どういう拡大をして行くか。また野生イノシシの頭数がどのくらい減少するか。この機会にイノシシの生態調査を徹底してやるべきだろう。

 豚コレラは感染イノシシの致死率は高いらしい。それであるならば、案外に四,五年の時間をかければ治まるかもしれない。それでも何十年の間、感染は残るだろう。そのときのイノシシは豚コレラに耐病性を獲得して、また増加すると言うことになるのかもしれない。野生のイノシシが激減してくれれば、ありがたいと言う側面もある。いずれこの経過観察は、貴重な資料になる。

 狼は狂犬病でいなくなったという説があるが、本当なのかどうかも今回のイノシシで分かるのでは無いだろうか。イノシシがいなくなることはなないはずである。豚コレラに免疫力のある、イノシシが登場してくるはずである。野生動物の生き残るものは何万年の時間の中でそうした力のあるものが生き残ってきたものだと考えられる。イノシシは増えすぎた。これがイノシシの感染拡大につながっている。

 家畜の病気には人間にも感染する恐ろしいものがある。家畜を飼うと言うことはそうした深刻なものなのだ。アフリカ豚コレラは人には感染しないが、ワクチンがないので日本で感染が広がれば、対応方法が無くなる。

 中国ではアフリカ豚コレラが3月に発見されて、忽ちに全土に感染が広がり、中国ではほぼ養豚業自体が壊滅の危機を迎えている。中国の畜産の方法は、極めて危険だと考えていた通りの結果になっている。大規模畜産の限界なのだ。どれほど外界と遮断したところで、鼬ごっこである。

 中国は世界の半分の豚肉を生産している。豚コレラは半生肉ぐらいであれば、数週間菌が生き残る。そして感染を広げる。またダニが感染源になるというから、相当厳しい防疫体制を取らなければならない。日本に豚コレラが入ったのは旅行客が持ち込んだ、肉が疑われている。例えば、骨付き肉を持ち込みその調理カスが、ごみとなりイノシシが食べる。

 こうした不安を畜産は抱えている。それもあって、私は65歳で止めることを決めていた。もしもの事を考えると、年寄りには無理な仕事だと思う。自分の都合で、もしもの事態を引き起こしたら、周辺の養鶏家に申し訳が立たない。

 畜産は小さく分散して行うべきだ。そして肉はそんなに大量に食べるものではない。仏教徒の肉は鶏肉までと考えた選択は間違っていない。現代の飽食の食文化が間違っている。

 よりよい畜産を目指すと言うことが、自然界との接触が増えると言うことになる。自然界に存在する病気がいつ家畜に伝染するか分からない危険度が高い。自然と遮断して消毒を徹底すれば、耐性菌や新しい病原菌の出現に繋がる。良い畜産が食べる人のためだと考えて自然養鶏を実践していたが、余りに手間暇がかかり大変なので、笹村方式は次の社会にしか、受け入れられないようだ。

 一方で自然との遮断度が高い、大規模畜産の家畜の飼い方が、とんでもない形になっている。耐性菌などもこうした大規模畜産から出現していると見られる。病気を消毒で抑えるという形は、病原菌との競争になる。だにで感染するアフリカ豚コレラを防ぐためにはどれだけの消毒が必要になるのだろうか。より強い化学薬品で消毒をすれば、病原菌の変異の可能性が高まる。

 今起きている、豚コレラはもっと怖い畜産由来の病気が起こる事の予兆である。こうした家畜の飼育がされている以上、パンディミックが起こると考えて対応策をいまから準備する必要がある。まず日本では外部からの流入を徹底的に阻止する態勢を作ることが、当面の対策になる。

 水際作戦である。狂犬病の予防注射など止めて、その予算と人員で、防疫体制を水際に集中させる。そうすれば、狂犬病予防にもなるし、また他の病気の流入も防げる。幸いなことに家畜に感染する病気は鳥以外では、飼料や家畜の入国審査に手間暇をかければ、阻止できるものが多いはずだ。

 セアカゴケグモは1995年に日本でも見つかった。その後水際で押さえ込めるかと見られたが、結局の所、日本全国で見つかる状態になってしまった。幸いなことに当初恐れられたほど怖いクモでは無かったので、実被害はない。

 どうやって日本への侵入を防ぐのか。輸入が増える中、検疫態勢が手薄らしい。ここにはかなりの費用と人員をかけてもいいのでは無いだろうか。検疫費用として輸入品に上乗せすればいい。これは日本の特殊事情と言えるのでは無いだろうか。輸入品がその分高くなるが、それは仕方の無いことである。国内のまともな畜産製品の奨励にはなる。

 人員は狂犬病予防注射を止めればいいのではないだろうか。その分余る獣医師によって水際で徹底して防疫する。薬を使う病気への対応は必ず大きな病気を呼ぶことになる。今考えることはどうやって日本への病気の流入を防ぐかである。
 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千葉の停電は2週間ごえらしい。

2019-09-18 03:22:51 | Peace Cafe

 
 千葉県の停電が1週間経った16日時点で、まだ11万戸。18日時点では6万戸の停電が続いている。こんなこは電力で生活が維持されている社会ではあってはならないことだ。せいぜい3日で直せる状態にしなければならない。

 電力供給会社として、責任問題では無いだろうか。東電は原発事故以来電線の整備を怠っているのでは無いだろうか。そう考えて調べてみたら、設備整備費用を減らしていると日経新聞に出ていた。

 鴨川に住んでいる友人に電話をかけたら、昨日やっと電気がきたと言うことだった。停電を想定して、食料の準備などしていたので、なんとかなったと言われていた。ほっとしたようだった。NPOの人が水の配達をしてくれたそうだ。

 今回の台風では伊豆諸島でも家屋の倒壊が多く、600軒とある。こんな台風が今後は増えて行くにちがいない。ただでさえ過疎化している島ではこういうことを契機に、さらに人口減少が進むことになりかねない。何らかの支援が必要なのでは無いだろうか。

 今回の台風では小田原の田んぼのイネも大分倒された。農業被害もかなりひろがっているのだろう。しかし、停電に伴う農業被害というものもある。例えば、お米を乾燥する機械や、脱穀、精米の機械も電気だ。畜産では扇風機が無ければ、生き物が死んでしまう所あるはずだ。野菜の袋詰めや、選別も機械の力を借りている。

 東京電力は送電関連の設備投資を抑えることで収益を確保してきた。91年には送電や配電設備などに約9千億円を投じたが、15年には8割減の約2千億円まで減少しているとある。これでは老朽化が進むはずだ。時代が進めば停電は減るだろうという感覚だったが、これからは東電の管内では停電は増えてゆくと考えなくてはならないようだ。

 映像で見るところでは倒木で電線が切れたり、電柱まで引きづり倒されたように見える。こういう危うい樹木の伐採と言うことが、直接的な電線の維持管理である。小田原の家に来ている電線は樹木が被さるところがある。それで東電に危なくなると管理をお願いした。かなり手間取るがやってくれた。

 地域が過疎化してきて、住民が手入れを怠るようになることでも、電線事故は起こるのでは無いだろうか。様々な要因が重なり、電力設備の維持と言うことが危うくなっているようだ。石垣でも家を作るときにソーラーパネルをやっらばどうかと言う話があった。考えてやらなかった。それは台風がこれだけ強い地域では保守管理が大変だと思ったからだ。

 石垣ではメガソーラーが建設されている。大きな農地の整備をしている、石垣島農地改良事業伴い、ダムの前面の平地に15000キロワットの太陽光発電である。ここは牧草地かと思っていたので、少し驚いた。いつも風があるから、風力発電なら理解できるが、ソーラーは台風被害がある。加えて日照時間の問題もある。熱すぎると発電量は下がる。しかし、結構太陽光発電は見られるから、強風対策は可能なのだろうか。

 東京電力は原発事故被害者に対しても補償金を、渋っている。あしがら農の会ではお茶畑が被害を受け、お茶を廃棄した。これは明らかな事実であるにもかかわらず、その補償を東電はどうしてもしなかった。その理由が自分たちで飲むためのお茶の補償はできないと言うことだ。NPO法人の事業としてやっているものを補償しない態度はおかしい。

 原発事故のおかげで、被害を受けたのは事実だ。お茶を廃棄しろと命じたのは、国である。廃棄して、農地の表土を取り除き、お茶の木も大幅に切って再生した。これも指示があったので行った。こうした被害を受けたのは事実であるにもかかわらず、東電は補償をしないのだ。こんなことは社会正義に反する。

 すべては原発事故につながる。原発事故さえ無ければ、千葉の停電もこんなには長期化しなかったはずだ。千葉の停電は想定外とは言えないだろう。設備投資を抑えてきた結果起きた停電ではないか。

 少なくとも日常の管理維持をしていれば、半分位の時間で修復できたのでは無いだろうか。風の強いところや密集地では電柱の地中化を行う必要がある。要所が確保されていれば、いざというときの対応も素早くできるのでは無いだろうか。

 生活の電気への依存が高くなっている。たとえば、石垣では冷房が無ければ、年寄りには暮らせないだろう。冷蔵庫が無ければ暮らしにくいだろう。電気の生活インフラとしての比重は高い。多分他の島も似たような状況だろう。

  2015年、台風15号が直撃した石垣島では、8月23日の午後9時すぎに 観測史上最大の瞬間風速71.0メートルを記録 している。これは日本で7番目の記録である。宮古島では85.3メートルと言う記録さえある。今後こんな強い風が吹く可能性が日本中どこにもある。

 この事態に今から対応を準備するのは各電力会社の義務である。そのために電力価格が高くなったとしても、やむ得ないことである。政府に原発を押しつけられて従った結果である。原発は政府の責任で片付けるほかないのでは無いか。

 東電を原発から切り離し、すべてを廃棄する。その費用も国が負担するしか無い。国の方針が間違っていたのだ。東電には今ある電力を守っていって貰わなければならない。こうした停電が頻発するよう名社会では困る。誰も当事者として責任をとらない東電に対する怒りはあるが、それとは別のことと考えなければ、ならない。
 


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石垣島で太極拳

2019-09-17 04:54:50 | 石垣島


 石垣島で太極拳教室をはじめた。アトリエが少し広いのでそこでやっている。内の奥さんは、以前から沖縄本島で医師で太極拳の指導もされている、帯津先生の所に通っていた。沖縄本島に暮らしていた頃のことだ。今は石垣島から、本島の帯津先生の教室に通っている。

 石垣島には太極拳教室が無かった。(申し訳ありません。コメントを頂き調べましたところ、太極拳教室はありました。)帯津先生から太極拳に興味のある人を紹介いただいたことがきっかけで、太極拳を家のアトリエで始めることになった。その後、白保のやちむん館での教室がはじまったので、今は石垣島に2つ太極拳の場ができたことになる。

 私は太極拳を知っているわけでは無いのだが、動く禅と呼ばれているところに少し興味があった。それは日本で太極拳を広めた、楊名時先生とお会いしたときに、この方は禅僧と同じ匂いがする方だと思えたからだ。普通で自然である大きな姿に感銘を受けた。

 銀座の史染抄ギャラリーでの個展に見に来ていただいた。あの頃は毎月のごとく、個展をやっていた。山田さんというオーナーとどこか通ずるところがあった。そういえば、あの画廊を通していろいろの方と知り合いになった。今はあの画廊も無い。

 楊先生から、あなたの絵を中野の道場に飾りたいと言われたことが、実現できないままに、先生は亡くなられた。内の奥さんは学生時代から、長いこと太極拳を学んできた。私の父は戦前の中国の太極拳のことをよく知っていた。あれは良いものだと話していた。内の奥さんのことは太極拳をやる人間なんだと理解できたようだった。

 太極拳の教室を始めたお陰で石垣の方の知り合いが増えたようだ。有難いことだ。良い人間関係が広がればいいと思っている。新しく引っ越してきたものとして、太極拳を通して地域の人と知り合う事が出来ることは、大変ありがたいことだとおもっている。

 太極拳にも様々な流派があるらしいが、楊名時太極拳である。NHKの青山の教室で楊先生から指導をしていただいていたそうだ。そういう人間の出会いは、幸運だったと言えるだろう。それから40年以上太極拳を続けることになったのだ。

 太極拳は人間によって伝わるものがある。道とつくものはすべてがそうなのでだろうが。素晴らしい楊先生だったから伝わるこころがあるのだと思う。形だけならビデオを見ても、DVDを見てもわかるが、肝心なことは見えないはずである。

 小田原で指導いただいていた、辻村先生が石垣まで指導に来てくださった。本当に有難いことだ。辻村先生は小田原で太極拳を長年指導されてきた方である。カヨ子さんも小田原に越してから、指導を受けていた。

 カヨ子さんを心配してくださり、わざわざ石垣まで来てくれたのだと思う。なんというありがたさかとおもう。そういう立派な心の方だから、教えられた深いものがあったのだと思う。アトリエで石垣で生徒になられた方の指導もしてくださった。

 笹村アトリエが石垣の太極拳の種になればと思う。帯津先生は八重山民謡の鷲の鳥節を英訳して、それに合わせて太極拳が出来ないかということで、今かよって見える方と連絡を取られたという。石垣にはすでに鷲の鳥節での舞踊はある。これが太極拳の動作ではどうかと言うことだ。

 太極拳がぼけ防止になると言う医師の話を読んだ。それならと言うことで、わたしもやってみることになった。あさ、6時頃から15分ほどのことだ。アトリエのスペースが使えるのでいい。アトリエで絵を見るためにはなにも無い空間で無ければならないので良い広さがある。

 夜明けが太極拳をやる時間だ。明るくなる時間が一番の時間だと思う。座禅がそうである。朝か、夕方である。一日の始まりに静かに動いてみる。なかなか悪くは無い。私は太極拳をやるのは初めてのことだ。奥さんがやっているので、いいかなという感じだった。これからは石垣にいるときはやるようにしようと思っている。

 覚えるのは苦手だから、見てまねている内に身につけばいいくらいだ。そこは違うなどと言われると、すぐヤル気がなくなる。それらしくやるだけでいい。いつか身につく気がする。技の説明が入るのだが、あれはいるのだろうか。まあ、教わるのだから我慢もいる。

 教えるという事は教えられるという事になる。人と一緒にやるという事が大切なのだと思う。形だけなら覚えられるだろう。しかし、そうして学んだものでは、肝心な心の部分が伝わらない。禅を一人でやってはならないと言うことと同じだ。太極拳が伝えるのは、やはり動く禅である。

 アトリエはいわば禅堂である。禅堂だから、動く禅の太極拳をやるにはちょうど良いのでは無いだろうか。禅堂も形だけでは心地よいものにならない。そこでの修行が積み重なって始めて、修行の場になる。禅堂の厳しい空気は修行の結果生まれるものだ。

 自然の中で絵を描く。そして、アトリエで繪を眺める。アトリエがよい空気で満たされていなければならない。雑然としたところでは何も見えない。ここで朝太極拳のまねごとをしている。動きをまねるだけであるが、それでも座禅をしているような心持ちになることがある。

 公園や森の中で行うのも良い。樹林気功というものがあるように、自然の中で座禅を組むのもよい。自然の持つ力を受け取る。しかし、外界から遮断された場所で、座禅を組むことも必要だとおもう。それは自分の内側のものとの対話である。達磨大師は洞窟の中で九年間修行したのだ。

 我が家の太極拳教室はどなたにも参加してもらえる。石垣には太極拳教室が無いから、良い場になり、その太極拳を伝える役目が果たせればいいと思う。といっても、広さから言ってあと1,2名なのだが。希望者はこのブログのコメントで連絡をいただければ、対応したいとおもいます。費用の心配はないです。

 
 
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする