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水彩人小品展

2015-07-31 04:55:48 | 水彩画

水彩人小品展を8月1日から8月10日まで横浜の関内の「ガレリアセルテ」で行う。JR関内北口1分。セルテビル3F。電話045-651-5471 同時開催で隣にある「せんたー画廊」で水彩人女流展を開催する。

水彩人の同人、会員のほとんどの人が出品する予定である。久しぶりに絵の仲間と会えるので、楽しみである。

「命の泉」という絵を出した。水がなければ人間は暮らすことはできない。水の湧くところを求めて、人は暮らし始めた。久野では縄文期から人が暮らしていたようだが、住居跡が時代によって、山の傾斜地を上がったり降りたり、しているらしい。その理由が、水が高いところで出た時代には高いところで、水位が下がると、低いほうへ住居が移動したらしい。できれば高いところで暮らしたいとは考えるのだが、水を担ぎあげるのも大変なので、家のほうが移動したのだろう。写真の水は私の家の湧水である。命の泉である。一年中枯れることなく、流れている。飲み水はこの水を使っている。朝水を汲んでくるのである。水に対する思いである。このことを絵にした。別段、水を直接に描いたわけではない。水があることで成り立つ人の暮らし全体を描いた。

 

今は家のギャラリーにかけてある。中版全紙の作品である。

31日に飾り付け、1日にオープニングを行った。この暑い最中どれだけの人が来てくれるのかわからないが、水彩画に関心のある人には、興味深い展覧会にはなったと思う。作品はそれぞれの方向で制作されている。そこが面白いと言えばいえるのだが、とくに女流展との同時開催ということで、その同人の女性作家の制作の本音のようなものが見える。つまり、画廊の企画展に出している絵と、小品展に出している絵が、少し違う人もいる。その違う理由の中に、その人にとっての絵画の意味のようなものがいつもより出ているように見えた。一言でいえば、公募展に出す絵は少し難しい絵で、画廊に出す絵は一般受けのする絵にする。全く同じ人もいる。これこそ、変わりがたいその人の絵ということなのだろう。

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東芝の粉飾決算

2015-07-30 04:46:33 | Peace Cafe

東芝で長年粉飾決算が行われていたことが、騒ぎになっている。原子炉が福島で壊れてから、この会社のおかしさは増したようだ。早く上場を停止させる必要がある。3人の社長は当然逮捕し、収監して詳しく調べる必要がある。ホリエモンと同じことだろう。日本発のグローバル企業がこんなことをしているのだから、企業などというものほど倫理を失っている。3人の社長がそろって、罪の意識がない。当然のことだろう。利益至上主義だと、糾弾されているが、企業が利益至上主義は当たり前のことに違いない。もっと頑張って利益を上げろと社員に指示を出したことが、粉飾決算につながったという筋書きのようだが。そこがおかしい。社長に指示に従って利益を嘘で塗り固めたことが問題なのだ。つまり、出世したいから、上司の気にいるように犯罪に手を染める社風だということなのだろう。まあ原発を作るような会社だから、そういうことになったのか。そういうことは関係がないのか。会社とは縁のない人生だから、企業というもののことが良くわからない。

儲かるなら、何でもありというのがグローバル企業だと考えているが、東芝もそうだったのではないか。安倍氏の背景にある精神風土と近いのではないだろうか。安倍氏を軍国主義者だと考えていたのだが、実態が見えてくるに従って、金権主義者の方だということが分かった。安倍氏がただの右翼なら、まさか明治の産業遺産のいちゃもんに対して、強制労働を認めるわけがない。アベノミックスのためなら信じるものも売り渡すタイプの人なのだ。そこがたぶん票を集めた、日本人に受けるところなのだろう。ところが、世界企業をバックアップするためには、自衛隊の海外出動も必要だということになった。石油輸入のためなら戦争も辞さないとなった。中国との経済競争に勝つためなら、アメリカとの軍事同盟を強める。東芝という会社でおきたことは、日本の大企業一般の精神ではないだろうか。会社が儲かるなら、日本がどうなろうと構わないという馬脚が見え隠れする。その東芝の手先が原発再稼働を推進し、原発輸出に熱心な安倍政権なのではないか。

利益至上主義が限界を超えた。利益を一部の人がため込み始めている。東芝を見ていると、企業倫理などというものはないと考えたほうがいい。その結果、格差社会が深刻化している。子供の6人の1人が貧困という、経済大国。年々、生活保護世帯が増え続ける経済大国。利益を生み出した人間が多くもらうのは当たり前という社会。つまり日本がアメリカ化してきたのだ。貧しい人間が貧しいことは、自己責任だという社会がやってきているのだ。能力主義社会。それでなければ、人間は努力しない。人間を信じていない社会である。もうひとつ怖いのは、6人のうちの5人がその貧困に気付かない社会である。貧困が囲い込まれ隠れている社会。たとえば路上生活者は減少した。と同時に、貧困ビジネスが登場している。生活保護費のピンはねである。行政も、路上生活者が社会に存在しているより貧困ビジネスに収容されたほうがましだと考えている節がある。

日本全体の方向を立て直す必要がある。遠回りのことだけど、どんな自分になりたいかである。人間それほど悪いものとは思わない。せっかく生まれてきたのだから、なりたい自分に向かって、自分を全うするということだろう。一人の方向も、会社の方向も、国の方向だって同じことだと思う。美しい日本、瑞穂の国日本。このことを総理大臣が口にするだけでなく、実行に移せば価値観が変わる。美しい日本に、原発はいらないだろう。東芝はこの機会に会社の方向を変えたらどうだろう。しかし、報道の大企業批判は実に甘い。例の、産経と読売以外の報道には、広告を出すなという、自民党の研究会の発言である。東芝から広告をもらっている報道は、矛先が鈍くないか。これは明らかに粉飾決算で、社長の収監、東芝の上場停止以外考えられない。どうした、NHK。こういう時こそ出番だろう。

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和服の生活

2015-07-29 04:24:19 | 暮らし

 沖縄絣模様の簡易服。

せめて三線を弾く時ぐらい、沖縄の服を着たいと思う。もちろん普段から和服を着て暮らせればいいのだが、さすがにそこまではできない。人目をひきそうで抵抗がある。人目はあまり気にしないほうではあるが、さすがに本格的な和服を着て出歩くのはまだできない。それでも年もとってきて、どうせ変人ということで大丈夫になってきたので、そろそろ和服生活をねらっている。まずその前段として、簡易型の上着として、和服を少し加工したものを作ってみた。これだと和服を1時間くらいの加工で何と簡易上着に作り替えることができる。この2着は琉球絣である。1100円と1200円で購入した。正絹で作られた、立派な織物である。たぶん松本で作られたものではないかと想像している。本場の琉球ものとは少し違う感じもあるのだが、本物の久米島絣のものも3枚まだあって、作り直すつもりだ。生地を見て生産地がわかるというような眼はまだない。何しろ琉球の名のついた織物が日本の各地にあって、西陣の琉球柄というようなものまである。

このたくさんの和服は、私が裁縫で、簡易型に改良したものだ。

本場久米島織という、米沢で作らてた物とか、意味かわかりにくいものがいろいろあるのが和服の世界のようだ。。証書が貼られていれば、一応そうなのかと思うが、仕立てられている場合はよくわからないことになる。私がいつも気になるのは、苧麻がなぜ本麻という表示になるのかということである。苧麻はイラクサカの植物のカラムシである。どう考えても麻ではない。上布という枠もあり、これだと麻も、苧麻も含まれる。上布には、能登上布、宮古上布、八重山上布、近江上布、越後上布などが有名なようだ。一般に麻織物のことのようで、苧麻もこれに入れるということのようだ。それは布を税として上納するということからできた名称なのだろう。琉球でも養蚕がおこなわれていて、素晴らしい絹織物がある。那覇と久米島にあったという。久米島絣というものはいま盛んに作られている。全盛期には年間何千たんという反物が出荷されたという。現在重要無形文化財にしてされている。(1)小千谷縮(2)越後上布(3)結城紬(4)久留米絣(5)芭蕉布(6)宮古上布(7)久米島紬。最後の3つが沖縄のものである。

宮古上布を制作されて方からうかがったのだが、本来の重要無形文化財としての指定を厳格に考えれば、指定に従っていると言えるものは宮古島で織られているものの中でも、少ないらしい。だから複雑に証書が貼られることになるようだ。良い誤解をされることが、織り手の暮らしを維持してゆくということもあるようだ。私の着物の選択はそこまでの難しいことまでは考えていない。自分の審美眼で、良さそうだなと思うもので格安で買える範囲のものを購入して見た、素人である。そして、普段着にできるように自分で加工する。それも一時間ぐらいで加工できるものを作っている。そうすれば、みごとな絹の布の上着が1000円くらいで作れるということになる。もちろん私のような購入者では、織り手は困るのであろうが、私が買わなければたぶん廃棄されるものではないか。

三線を弾くというときにはいいのだが、残念ながら農作業のときには使えない。先日のダイナシティーである沖縄フェスタには、着て行った。涼しそうではあるが、別に涼しいこともない。宮古上布の苧麻のものや、能登上布の麻のものも、購入した。これなど本当に織られた人に申し訳のないような価格であった。苧麻と麻と比べると様子が確かにちがう。麻のほうが荒くゴワゴワしているようだ。麻にもいろいろあるのだろうが、まだそこまでは分からない。苧麻のほうがかなり繊細な感じだ。上布の場合もったいなくて、手を入れるようなことはできない。そのまま、浴衣のように使える。しかし、まだ洗濯ということをしたことがないのだが、洗うのは普通の洗剤で、洗濯機で良いというのだが、まだ怖くてやっていない。近く洗った結果を書くつもりだ。それにしても正絹の手織りの着物が、Tシャツより安いというのは、今の日本を現している。口先だけの美しい日本ではだめだ。

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電気柵事故(裸電線事故)

2015-07-28 04:25:14 | 自給

電気柵は長年使っている。現に今も養鶏場でも畑でも使っている。電気柵で2名の方が感電死したという事故で、驚いた。私自身何度も確認のために触ってみた。これでイノシシが入らないということが不思議なくらいの、気持ちが悪い程度のものである。何故電気柵で事故が起きたのかわからなかった。報道は電気柵に触れて死亡という表現を使っていた。詳細が分かってきたら、裸電線に人が触れて死んだ事故だ。裸電線を人が近づくところに張っているなどという行為自体が許されるものではない。裸電線を電気柵と呼ぶ報道も、ひどい知識不足だ。電気柵で獣害を防いでいる一人としてははなはだ迷惑なことだ。裸電線を張り巡らせているのでは、事故が起こるのを待っているようなものだ。今回の事故と電気柵を関連付けられては困る。市販の電気柵には、漏電遮断装置が付いている。電気もごく短い時間パルスで流れるようになっている。裸電線を張るのとは全く考え方が違う。初めて電気柵を設置した時には、何度も自分で握ってみて試してみた。気持ち悪いぐらいで、痛いということもない。ところが、イノシシなどには、この気持ちの悪さが応えるらしく近づかなくなる。

もし裸電線を張り巡らせれ漏電を続ければ、電気代だってばかにならない。電気柵はそもそも電気代はほぼかからないものだ。電圧は上げるが、電流は下げる装置もついている。自作出来るようなものではない。電気柵の装置を購入して専門家に頼むのが当たり前のことだ。それほど高いものではない。1万円程度である。電気柵のプラス端子は張り巡らせる線に接続されており、発生したパルス電流は電牧線に伝わる。一方マイナス端子はしっかりと地中にアースする。動物が触れたとき、電線のプラスともう一つマイナス線があったほうが確実である。たとえば、空中でその線に触っても電機は流れない。動物が2本のプラスマイナスの線に触れたとき、気持ちの悪いショックを受け、電気柵に近寄らなくなる。以前、電気柵を危ないから取り除いてほしいと言われて、せっかく設置したのに、取り外したことがある。電気柵が別に危険なものではないということが、その時も理解されなかった。今回のように裸電線を張り巡らしてあるものと同じ扱いを受けることがある。今回の事故でそうした電気柵の誤解がさらに広がることになったのだろう。その責任は報道にある。

裸電線の違法張り巡らし事故と表現すべきだった。私は養鶏をやってきたから、獣害対策には本気で取り組んできた。電気柵はもっとも有効な対策法である。電気柵がなければ今の増えている獣害に対策はないとまで言える。一夜にして、何ヶ月かの耕作の結果をふいにした経験がある。多くの人がそれで耕作をやめることにつながる。今回の感電事故で、電気柵への誤解が広がり、間違いなく耕作放棄地がさらに増えることだろう。電気の知識がいくらかある人で、この電気柵の原理を誤解している人が結構多いい。私はマイナス線と、プラス線を両方張るのが効果が高いと考えている。それは地面が絶縁状態であれば動物に電気が流れないからだ。触れたとしても人体には安全なものでなければ、電気柵とは言えない。人が触れて感電死するようなものと電気柵が考えられるようになれば、大きなダメージだ。

以前も、鳥インフルエンザでは、政府の出した一方的な情報が、鶏を飼うという文化全体の衰退に導いた。鳥インルルエンザの人感染が10年間でどういう経過をしているか、きちっと報道すべきだ。私が当初予測した通り、人人感染は起きていない。これは世界の製薬大企業が、営業のために政府や、国連を動かしているとおもわれる。報道が、科学的な知識を十分に発揮しなければだめだ。安易な報道が社会を変えてゆく。そういえば24時間ぶろというのも、結局なくなった。あれはサルモネラ菌に対する誤解だった。今小学校などで鶏飼育をしているところは少ないだろう。日本鶏は天然記念物であり、日本の江戸時代が作り出した、庶民文化なのだ。今回の事故は電気柵事故ではない。裸電線事故である。その違いを明確にしないと、相当の山の中でも電気柵が使えなくなるだろう。報道は無知というか、無神経さから、さんざ電気柵の誤解を振りまいている責任がある。電気柵が人体には安全なものだということを、伝える義務がある。

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舟原納涼祭

2015-07-27 04:49:35 | 地域

舟原では7月25日の夜納涼祭が行われた。公民館が主催で行われている。今年は公民館長をしている。2回目なので、納涼祭の準備運営も2回目であった。たぶん全国各地で、それぞれの形で納涼祭が行われていることだろう。昔でいえば盆踊りである。60年前の山梨の山間の集落でも、盆踊りというものがあった。子供心には賑やかで盛大であった。屋台もいろいろ出ていた。やぐらが組まれ、それを何重にも取り巻いて踊っていた。舟原でも、昔は盆踊りだったのだろうが、私が初めて来たときには、納涼祭になっていた。その名称変更の理由は分からないが、他でも盆踊りとは言わないから、何か理由があるのだろう。越してきた当初は参加しずらい行事であった。加わることができなかった。いくつかの仲間内の輪があり、お酒を飲んでいた。越してきたばかりで知り合いがほとんどいない人間には、居ずらい空気があった。そんな空気は今もあるのだろうと思う。参加者は当時も多くはなかったが、今は役員以外の方はなかなか来てくれない納涼祭になっている。

盆踊りから納涼祭に変わり、祖先の供養の祭りという、地域の伝統行事の継続が難しくなっている。今も盛んに続いている全国の夏祭りは、一年一度の故郷を思い出し、ご先祖の生きた、地域とつながる日ということがあるのではないだろうか。故郷にそのまま居られるという人は数少ない。大半の人が故郷を離れ、都会暮らしということになっている。この夏祭りの日を機会に、実家に戻り、親の顔見て安心する日ということになっている地域もあるのではないだろうか。久しぶりに同級生と顔を会わし、近況を語り、飲み交わす。そんな同級会的機会なのかもしれない。舟原の夏祭りは、子供たちの楽しい場を作るということが主たる目的になってきているようだ。それは子供会の活動母体として生きているから、自然そのようになってきた。子供会は学校でのつながりもある。また若い人たちの多くの方が、新しくこの地域に移り住んだ人ということもある。舟原では幸い子供が増えてきている。

子供のゲームコーナーは、行列ができるほどにぎわっていた。運営している役員のお母さん方が、盛り上げるのがとても上手なのだ。20人くらいの子供がいただろうか。例年以上に生き生きとしていた。ここまで準備してくれたのは大変だったと思う。地域の行事に時間の避ける若い人たちも少ないと思われる。大きな負担になっているのでないかという心配もある。全体を企画している各組の模擬店と、子供たちの関係はどうなのだろうか。それでも、子供たちの喜んでいる姿を見ると、やっぱり夏祭りができて良かったとおもった。舟原には6組組み分けがる。各組15軒くらいの家がある。各組みから役員は3名出ている。そして自治会長と副自治会長。交通部会。公民館の正副。総勢23名の役員ということになる。子供会は3~5名くらいの人でやられていたように見えた。役員の人たちは各組子供会と独自に分担があり、それぞれの模擬店をある意味自主的に作り上げている。申し送りをしながらこの大変な作業をこなしている。

地域主催で行う、唯一の活動が納涼祭なのかもしれない。反省会では来年は、もう一度開催内容を見直し、子供がうまくかかわれる形の納涼祭を考えようということになった。自治会活動というものが、その実態を失う中で、毎年、どのように運営すればいいのか悩ましいところである。お祭りも花火大会も、大きな開催がすぐそばで全市的に行われている。そちらに出たほうがいいというのが、普通になってきている。薄れてきているとしても地域の住民のつながりを再確認するような活動も必要だという気持ちを持たれている人もいる。たぶん数年先には納涼祭自体を、どうしようかということになるのだろう。今はまだ、団塊の世代が中心に動いていて、子供のころの懐かしい盆踊りの記憶が残っている。あと5年すると、団塊の世代も70台になり、動けなくなるだろう。次の世代まで切れ目ができる。きっと次の世代の人が、その世代にあうように変えてくれるのだろう。

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三菱の強制徴用

2015-07-26 04:23:24 | Peace Cafe

三菱マテリアルは強制徴用された中国人3765人に対し、1人当たり10万元(約200万円)の賠償金を支払うと表明した。最高裁が賠償請求を認めなかった中国人被害者に対して、日本企業側が謝罪・賠償する新しい決断をした。三菱マテリアルは今月19日(現地時間)、第2次世界大戦中に強制労働をさせられた元米国人捕虜に謝罪もした。強制徴用問題は、過去解決済みということで日本政府も、日本の最高裁も、賠償を認めてこなかったことである。三菱側は「元労働者の人権が侵害された歴史的事実」と「使用者としての歴史的責任」を認め、「深甚なる謝罪と哀悼の意」を示す用意があるとしている。徴用というものは、私の母も、名古屋の繊維工場で徴用されていた。母はお国のためだから、当然と考えていた。もちろん恨みもないし、お国のために必死で働いたと話していた。工場で働いていたときに、大きな地震があり、大変だったことをよく話した。

母は、山梨の山の中から、名古屋の体育学校に進学した。祖母は看護師さんだったということもあり、医学の道に進みたかったという。体の弱かった母を丈夫にするには、体育学校に行かせるのがいいという判断で、祖父に無理やり名古屋の体育学校に入れられたらしい。母は小児結核をやったことがあり、体が十分でなかった。しかし、体育学校の授業に通った時期はわずかで、ほとんど名古屋の工場で働いていた。何とその頃の母の同級生が私の絵の呉の友人に偶然いた。いろいろ話を聞かせてもらったことがある。ただただ、お国のために働いたということだったらしい。日本人であれば、大半の人はそうだったのだろう。しかし、中国人は日本と戦っている人たちである。日本の企業のためは、反中国ということになる。それを強制的に徴用されやらされたのである。私なら我慢できないようなことだ。

母の人生は、戦争で大きく影響を受けた。人間にとって最も大切な、自由に人生を歩むということを、決定的に制限されたのだ。しかし、政府や名古屋の繊維工場に賠償請求をしたいなど少しも考えなかった。それが自分の生き方と言える様に、戦争に巻き込まれていたからだ。一方、日本のために、徴用された中国人、さらに数の多いい朝鮮人には耐えがたいことであったはずだ。三菱はここでも米国人捕虜には、謝罪をしているから、朝鮮人労働者はいなかったということなのか。当事の世界情勢を考えれば、悪かったのは日本だけではない。戦争をしたすべての国に問題があったはずだ。敗戦国だけが責任を追及されるという、不公平に不満はある。シベリアの抑留、強制労働など、人道に反する行為だ。敗戦国日本が口にすることは少ない。日本は潔く非を認め、二度と戦争などしないということになる。日本が堂々と正しい道を歩めば、黙っていてもそのことはいつかは正当に評価される。そうしたことが分かる世界の人たちと、日本は連帯すればいい。

日本政府は、安倍氏は戦争被害に対する謝罪の表明をやめるかもしれない。そして戦後70年の平和国家としての日本の歩みを強調しようとしている。そのことがどのように、強制徴用被害を受けた人たちの心に受け止められるのかを考えれば、許されることではない。日本が戦争で行ったことを正面から受け止め、謝罪し、必要な賠償を行うべきだ。今回三菱が賠償を決めた背景にあるのは、グローバル企業として、世界に通用する姿勢を考えたからであろう。日本政府が謝罪をしないということは、日本国が世界に通用しないということになる。世界の目はそれほど日本に厳しいものになっている。中国の覇権主義と同じように、安倍政権の方向転換が、危険視されているのだ。今まで、日本が敗戦国でありながら、世界に許され、受け入れられてきた理由は、二度と戦争はしないと誓い、武力を捨てたからだ。

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小田原で聞いた下地勇

2015-07-25 04:57:21 | 身辺雑記

小田原のダイナシティーで、沖縄フェスティバルがあった。沖縄ブームが小田原にも来ている。19、20日と一流の沖縄の唄者が、小田原で唄った。三線の響きが小田原の空間に広がるのは心地よい。19日も行くつもりだったのだが、岩本さんから、大量にネギの苗ももらってしまい。300本くらいあったようだ。これを植えることが優先になって、5時から、城 南海さんを聞いてみたかったのだが、行けなかった。奄美大島の方で、すごい唄の実力のある方だ。たぶん奄美の古典で培ったものがあるのだろうと想像していて、奄美の唄と、琉球の唄の感触の違いを一度聞いてみたいと思っていた。三線でもかなり異質な者の印象がある。この方が小田原で歌うだけでもすごいのだが、何と20日には、下地勇さんと上間綾乃さんという、沖縄の今を代表するといってもよい2人の唄者が来て唄ったたのだ。下地さんは古謝さんを聞きに行ったときに、聞かせていただき、びっくりさせてもらった人だ。

下地さんをどうびっくりと言って、表現が難しいのだが、宮古島の古語で歌う。それは宮古島の人にも聞き取れない唄も多いいということらしい。その表現法がアナーキーである。言葉の意味よりも、歌でありながら、言葉との境で音楽全体で伝えたいということか。突き抜けたエネルギーの人だ。唄を聞くということは、唄う人のエネルギーをもらうことだとよく分かった。エネルギーをもらうとは、癒されるとか、元気が出るとかいう、受身のものではない。今の自分を自己否定して、新たな自分の模索を始めろと、突き動かされることだ。下地さんの唄は、絵でいえば抽象画である。正確にいえば、パフォーマンスである。やり遂げつという姿の表現だ。それが宮古島の水土をから生まれた、叫びになっているのだ。一種の土俗である。そして、その土俗性が地球全体につながっている。ボサノバであったり、シャンソンであったり、チャドであり、ジプシーキングでもある。表現の本質を打ち抜いている。

それは古謝さんの歌でも感じるところだが、土地の文化に根差したものこそ、人類共通の文化になるということを再認識した。自分の生きている場を掘り下げる以外世界に連なることはできない。今の日本が世界に通用しなくなってきているのは、浅はかなグローバリズムというか、新自由主義経済の共通価値観のつまらなさにある。話がそれた。上間綾乃さんという、沖縄の今を代表するミュージシャンが唄った。生では初めて聞いた。改めてこれは沖縄の演歌なのだと思った。つまりメッセージソングである。人間の生き方をじかに伝えようとしている。明治の演歌が政権批判であったように、愛や恋の唄という、レベルの演歌でなく、本当の日々の暮らしに息づく、大切なところを伝えようとしている。日常の当たり前の暮らしの中にある何かに焦点を当てることで、その色合いを変え、その重要性を伝えようという魂が息づいている。「てぃんぐさぬ花」は、えも言われる、妙なる響きであった。普通の声で本当の思いが伝わるということを改めて思った。

二人の唄者の間に、やなわらばーという2人組の石垣出身の歌手が歌った。初めて聞いたのだが、ハーモニーを大切にしているようだった。とても上手ではあるが、私の好みのものではなかった。ところが、人気がある人たちのようで、一番人だかりが起きた。上間さんが終わってから来た人がいて、下地さんが始まる前に帰ってしまう人がたくさんいたのである。これにはもったくなくて、せめて下地さんを聞いてみてくれと押しとどめたくなった。私などは、何と1時から、7時30分まで、いつの間にか経ってしまった。6時間以上あの炎天に座っていたことになる。百姓で炎天下は鍛えている。それでもあとで手が真っ赤であった。唄というものに堪能した一日だった。それで思ったのはやはり、小田原で歌うということは、どこか地元で歌うのとは違う。下地さんも沖縄で歌った時と、かなり様子が違った。力が入っているというか。当たり前ではなかった。沖縄の唄を沖縄で聞くということのほうが、やはり面白い。宮古島の夏祭りで唄う下地さんを聞いてみたいものだ。

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田んぼのとろとろ層とは何か

2015-07-24 04:30:21 | 稲作

田圃でも土壌が良くならなければ、良い耕作ができないのは当然のことだろう。田んぼの土壌で良い状態とは、表土にとろとろ層が厚くあるということになると考えている。それは田んぼは水を生かす場だから、水が生かされる層が厚くあることが大切だからだと考えている。田んぼの土は田んぼによってずいぶんと異なる。田んぼの場合、100年、200年同じ場所で田んぼを続けられたところが多い。つまり、長年の田んぼの耕作でどんな土になったのかということを判断しなければならない。2か所で、全く山を開墾して、田んぼを作ったことがある。この場合どういう土壌になるかと言えば、ざらざらの粘りのない土壌である。関東ローム層は代掻きをすればそのまま田んぼになる。そこでも畝取りをした。だから土に合わせた最善の管理をすれば、田んぼは割合と融通がきくものだ。粘土分が多いということが良い土壌ということではないようだ。問題は田圃でも腐食がどれだけあるかということになる。腐食がとろとろ層を作り出す。

水中で煙のように、ほこりのように舞い立つものがとろとろ層だ。とろとろ層の厚さをはかる器具というものあるようだが、そうではなく、手で触り感触で知るべきものだ。ここ数10年の間に、植物がどれほど入っているかである。腐食が多くあって、水はけが良いというような状態が、やはりイネの根には良い。減水深が少なく、水持ちがいいということが良い土壌ということはない。減水深の大きい不耕起栽培のほうが稲にとって良いということも、何度か体験した。話が複線化してしまうが、何故、冬季湛水や不耕起栽培をしないかということである。水漏れなどが起きる棚田の田んぼでは無理だった。棚田では、しっかりとした水漏れ防止をすることが、管理を可能にすることである。田んぼを何度か崩壊させて分かったことである。代掻きを厚くする、丁寧な代掻きをするということが、田んぼを維持するための物理的条件になる。一方平地での田んぼであるなら、水温は高い、日照は十分にある、水漏れもしにくい、ということになるから、冬季湛水も、不耕起栽培も可能になる。

物理的にとろとろ層的なものを作るのであれば、トラックターで深く、丁寧に代掻きをすると、表土に細かな土が浮き上がり、とろとろ層ができる。この人工的なとろとろ層でも実は、抑草効果はある。たいていの場合、深いシロカキは表土に雑草の種を浮き上がらせることになり、まずは雑草に覆われることになりがちである。それは田んぼの歴史による。深いシロカキを5年続ければ、草は減ると思われる。除草剤を使わない人でそんな大変な実験をしてみる人が、実は何人かいて、12俵とかいう収量の人を知っている。MOA農法の人だ。その大変な草取りに相当回手伝いに行ったので、よくわかることだ。深いシロカキは、大型トラックターがなければできないから、自給には向かない。とろとろ層は微生物が植物を食べて分解してゆく過程でできる。腐植質を入れ続ける必要がある。冬季湛水も効果が高い。冬の緑肥以上の水中での植物質の生産量がある。

ここでは浅いシロカキ、あるいシロカキなしでも、煙のようなとろとろ層を作る方法である。徹底して堆肥を入れることだ。できれば植物性の堆肥がいい。畔の草を田んぼに入れてはいけないという人がいるが、トンデモナイことで外に捨てたらもったいないことだ。とろとろ層は腐食を微生物が食べることでできる。その条件を整えることが重要。それは一年1ミリというようなささやかなものだろう。しかし、100年続ければ、10センチになる。5年やれば、5ミリになり、やっと抑草効果が出てくる。微生物を田んぼで増やす。私はソバカス抑草である。一年を通して入れ続ける。もちろん入れすぎれば、稲が倒れたり、過繁茂になるだろうから、手加減をしながら入れる。入れられる限界を見極める。冬は緑肥を栽培する。緑肥にもソバカスを与える。藁を田んぼで腐食させる。これにもソバカスを加える。すべてがととろとろ層の形成につながる。あくまで抑草効果であり、除草効果ではない。米ぬか除草から、ソバカス抑草へ。それにしても、とろとろ層の実態は、全く表現できていない。

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大豆の栽培、叢生栽培

2015-07-23 04:28:04 | 自給

家の大豆畑 わずか濃い筋が大豆。分からないかもしれないぐらいの状態。

ここまでが家の大豆。

以下、大豆の会の畑

上のほうの草だらけの畑が家の大豆畑である。こんなに違うのが毎年のことである。何故、こんなことになっているのかと言えば、実験が好きなのだ。何かを想定して栽培して眺めているのが一番楽しい。まるで子供のころ海に連れて行ってもらえた日のような喜びがわいてくる。毎日の変化を見ているのが、一番面白い。そして、叢生栽培でうまくいった時の喜びは大きい。そのために、失敗しても失敗しても少しづつ変えて、挑戦してみる。草があるほうが好きなのだが、それで収穫をできるところまで、手間をかけずに持ってゆけるかである。たいていの場合は、草を出さないようにしたほうが楽だったというくらいになってしまう。

農の会の畑は、失敗するわけにはいかないので、一番確実なところで進めている。もちろんみんなの畑だから、みんなで相談の上草を取る農法になっている。大豆の会では、苗づくりで工夫する岩澤方式を工夫を重ねながらやってみた。結論としては肥料の問題で有機農業では難しすぎるということで、ついに今年から辞めた。大豆は反収で300キロは取っているから、悪くはない。徹底した管理の結果良くなってきたのだ。かかしがいるのが大豆の会の草取り前で、その下が草取り後である。

家の畑のほうは、かろうじて筋で見えているのが、大豆である。同じ日に、同じ種まき機で同じ種をまいた。その後の成長はほぼ同じである。いや、よく目と言えるだろうが、家のほうの大豆のほうが、現状ではいいのかもしれない。草があっても今のところ大豆は普通に成長している。畑の土壌がほぼ完成しているということが大きい。6年前私の畑になったときは、まるで砂漠であった。その数年前までは、見事な販売用の野菜が取れていた農家自慢の野菜畑であった。使ってみて、これは工場栽培だと思った。土は物理的に土であるが、作物をはぐくむというものでなく、化学肥料を吸い込ませる培地のようなものである。その後堆肥を繰り返し入れ、緑肥を育て、やっと自然農法で使える土壌になってきたところである。悪い草もさして生えなくなってきた。

どちらの畑も、麦と大豆の裏表栽培で連作である。麦はまだ収量が低い。つまり、大豆は肥料が少なくていいということが、結果として出てきた。麦は肥料で取る作物のようだ。有機栽培で必要な分の肥料を入れるのは、大変なことになる。もちろん購入の肥料を使えば、違うのだろうが、それでは自給から外れる。家のほうでの麦は収量がいい。それは畑の土壌ができているからで、同じくらいの堆肥を入れたとしても、収量は違うのだと思う。つまり草があっても土壌ができていて、肥料が十分あれば、そこそこ行くということになる。大豆の会の畑は、以前みかん畑で、今年で4年目になるのだと思う。元果樹畑というのは、土壌が悪い。何か偏っているような感じだ。それでも今年はだいぶ土壌が良くなってきている感じがする。それなら叢生にしたっていいだろうとはいかない。

叢生ではまだコントロールを超えるリスクが高すぎる。家の畑の実験なら、どんな冒険でもできるが、みんなの自給がかかっている場合、確実に取らなければならない。収穫がなければ、味噌も醤油も一年ないことになる。自給というのは、そういう厳しさもある。牧歌的なものでもないし、営業農家のように、今年勝負をかけて採れなければ出稼ぎに行けばいいというような、ものでもない。自分の場合、もしお米が採れなければ食べないというような覚悟で作っている。そうしたぎりぎりの気持ちで作るのでなければ、自給農業は面白くならない。大豆は水分である。特に花の咲くころ、土壌に水分があるかないかで収量が決まる。このときに草があることが良く作用することもある。悪かったこともある。

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補植についてと7月20日の昨年との比較

2015-07-22 04:57:48 | 稲作

欠ノ上田んぼは去年は過去最高の出来で、畝取りをした。その時の写真記録と比較してみて、今年の生育を判断したいと思う。4,5,6週目と日照が少なく。特に川沿いの田んぼでは日照不足が生育に影響している。

補植は6月中に終わらさないとならない。7月に入ってから植えたものは良い株にはほとんどならない。穂も小さいし、分げつも足りない。遅れて補植するときには、分げつが期待薄なので、8本ぐらいまとめて植えたほうがいい。補植用の苗は、田んぼわきの水温の温かくなる条件の良いところに、細かく分けておいておく。田んぼの中の株とそん色ないように育てておく。8本ぐらいでひと塊りになるように分けておけば一番いいだろうが、少なくとも風通し良く、日当たり良い状態にしておく。

2014年7月22日9時の1番田んぼ(コメントはすべて下の写真について)

2015年の7月21日13時の1番田んぼ

 1番田んぼをの上から見たところ、日照不足が反映して、川沿いの生育が遅れているのがわかる。水尻では、ほぼ昨年に追いついてきた。

2014年 2番田んぼ

2015年2番田んぼ

 2番の田んぼを上からみると、遠くてよくわからない。水尻はやはり追いついてきた。

 

2014年3番田んぼ

2015年3番田んぼ

3番の上から、ここでも一番上の水口が遅れているのがわかる。しかし、水尻では追いついた。

 

2014年4番田んぼ

2015年4番田んぼ

 

4番の田んぼを上から、かなり良いのだが、昨年のすごさからみると、もう少しかもしれない。白い点々とあるのを大きな陥没があり、補修したところ。

2014年5番田んぼ

 

2015年5番田んぼは昨年より良いようだ。シロカキをしなかったとことと、緑肥が大量にあった。昨年水が良く切れたが、今年はよく水がある。

 

2014年6番田んぼ

 

2015年6番田んぼ

 

6番5番の上から、6番は上から水がわいているので、そのあたりの生育が悪い。

2014年7番田んぼ

2015年7番田んぼ

 

7番の田んぼ上から、昨年に追いついてきたか。

2014年8番田んぼ

 

2015年8番田んぼ

 

8番の上からみて、昨年より遅れている感じがする。

2014年9番田んぼ

2015年9番田んぼ

 

9番の田んぼを上からみて。昨年より少し遅れている感じがする。

2014年10番田んぼ

 

2015年10番田んぼ

10番の田んぼを上から見たところ、昨年とほぼ同じくらいか。

2014年11番田んぼ

 

 2015年11番

2014年下から見上げたところ。

上から見た11番の田んぼ、昨年と同じくらいなのだが、株が去年よりしっかりしている気がする。

 

 2015年下から見上げたところ

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雑草と作物の関係

2015-07-21 04:33:16 | 自給

自然栽培をすると、先ずの課題は雑草のことである。たぶん草を敵としないとか。叢生栽培とか、草と共生する農業というものを、希求する気持ちを持つことから始まる。私はそうだった。その理想から出発するのは、正しい方向である。ただ、正しいということを達成するまでには長い道のりがある。自然農業はなかなか難しい。雑草に負けてしまい、作物がなかなか作れないのが普通である。作物だけあって草一本ないというのは、環境として異常な状態であり、いい感じはしない。しかし、農業では一般に長ネギなら、長ネギだけある状態というのが、普通だし、良く管理されているということになる。工場内の管理栽培なら、その作物以外のものが存在することなど、拒否されている。しかし、自然栽培ではありとあらゆる草の中に、作物が生きているとすれば、素晴らしい栽培というような主張がされる。もう一度書くが私もそれを目標に自然農業を探求してきた。しかし、現在の状況では、草一本ない稲作が、一番いいと考えている。

理由はいろいろあるが、それが一番収量が上がるからである。粒張りの良い見事なお米が実るからである。雑草と共生する稲作をさんざんやった。しかし、それではだめだった。草の中に種を蒔いて、収穫のできる稲作というようなものも、何度か挑戦した。全く駄目だった。今年も直播の研究栽培はした。やはりだめだった。難しい理由はいくつもあるのだが、いくつもの障害があり、一筋縄では行かない感じである。一方に草のない状態はやはり良くない自然環境である。土壌は草が多く出て、枯れて、蓄積されて、腐食が増えてゆけば、良いものになる。だから、もしその場に草が足りないなら、外から落ち葉を入れるとか、草を入れるとかして腐食を増やす必要がある。もちろん自然栽培を目指す場合のことだ。そのために緑肥作物を栽培して土壌にすき込むというようなことも行うことになる。

それを作物を作物の栽培と同時に行いたいという気持ちである。今、大豆が生育している。みんなでやっている大豆の会の畑は、草を取りを行い全くない状態である。自分のところの畑では、草と一緒に大豆が出ている。気持ちとしては家のほうの大豆のほうが好きである。しかし、家のほうの大豆が上手く収穫まで行くかは別問題である。1、まず問題となるのは、肥料の取り合いである。草に肥料を取られてしまう可能性である。これには土壌の状態が関係する。土壌が良い状態になっていれば、意外に雑草の影響が少なくコントロール可能である。そんな良い土壌になるには、5年はかかる。良くなっても手を抜いていればすぐ状態が悪くなる。ともかくあらゆる方法で腐食を入れ続けるということになる。2、次は単独で居たいネギ類のような作物がある。込み入っているのは構わないので隣のネギとすぐそばでいいのだが、他の作物の根がそばにあるのを嫌う作物を見分けなければならない。

3、雑草との日照の取り合いが起こる。普通、雑草に負けるのはこれが一番の原因になる。雑草は作物より生育の早いものがいくらでもある。そこで、困る雑草を減らしてゆくということになる。居てもいい雑草と、いてもらっては困る雑草を調整する。居てもらっては困る雑草の種を落とさない。宿根であれば、根こそぎ退治する。土壌が良くなると大きな方向としては、困るような雑草は減ってゆく。困らない雑草を敵にしないということも効果がある。しかしこの3つの要因をコントロールしてゆくのは、雑草を取り切るより手間がかかる。特に良い土壌になるまでの過程は、苦難の道である。面倒な、頭を使う作業が続く。田んぼでは私は諦めて、草を取り切る道を選択した。

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田んぼの干しと間断灌水

2015-07-20 04:06:13 | 稲作

今年も田植え以来、深水管理できた。そのおかげもあって、ヒエは生えない。コナギは出ないわけではないが手に負えないほどではない。それはソバカスを撒いて転がしをしているということも効果をあげている。田んぼでは草の出ない土づくりが大切。コナギの出にくいとろとろの土になっている。表土が日を追って細かくなり、今は水の中で手が土に触れるとほこりが舞い上がるような感じである。微生物のふんが表面を覆っているような状態ではないか。腐食が溶け出してもいる。7月後半に入ると、状況に応じて、難しい水管理をしなければならない。頭を悩ますところである。自然農法では、干しは基本的に行わない。そのことをいろいろ考えてきたのだが、ひとつ大きな要素が分げつの問題だと、思い至った。一般の農法では、田植えをする苗の数が多いい。だから1本の苗が、2次分げつまで進み、3つの株になれば人株が20分げつくらいになりすでに十分である。自然農法では、植える苗が1本2本である。当然、3次分げつか、4次分げつまで必要とする。最後まで穂数が不足しがちである。

自然農法で過繁茂で困るなどということはないのだから、無効分げつを止めるという発想の干しは必要としない。野生のイネのことを連想して考える。水位が高くなり、水が覆った河畔で稲は成長をしてきた。徐々に水が引くという合図で、稲は穂を形成するのではないだろうか。稲が十分に成長して、がっしり株になれば、幼穂の形成が始まる。この時期からただ水が満水ではない状態を作り始める。分げつが20本にもなっていれば、完全に水をひかせてから水を入れる。加減は難しい。天候なども見ながら、ともかく稲にだんだん水は来なくなるということを知らせてゆく。それは同時に稲の根元が固まってゆくことでもある。これも稲の実り方で必要度が違う。倒れるほど稲が実りそうもないなら、水はできるだけ切らずに合図を送る程度の水の引き方を続ける。それもだいたい、8月21日の出穂あたりに向けて逆算してゆく。分げつが足りないとか、十分がっしりしている場合は、間断の灌水をたまに水を切る程度にする。今年のように、日照不足で株が柔らかい場合は、水は落としにくい。

同時に、しっかりした株で、背丈もあまり伸びていない良い状態のイネであれば、水は切らないでもいい場合もある。深水と、ひたひた水を繰り返す程度で行く。深水とは8センチ以上の水である。このように、逆のことを同時に考えることになる。ひたひたとは、土にひび割れが起こらない程度である。この時期葉の厚さと幅が増してくるのだが、株を握って感触で硬さを記憶しておく。硬くなったら十分の生育をしたので、干しを強くしてゆくという感じだ。どうしても田んぼの中央部の株は、日照が不足しがちで柔らかいので、それも考えて握って覚える。葉の色の観察も大切である。葉は色を濃くしてくる。黄緑から深緑になってくる。自然農法独特の葉色の変化である。この葉色の濃くなる感じもシグナルである。葉が濃くなるには日照が必要である。光合成をする力を蓄えたのだ。これが慣行のイネと一番違うところである。葉色が増していつまでも成長を続けるのが、自然農法のイネの特徴なのだが、これを穂を作る方向へ転換するのが水管理になる。

稲にはいつまでも株の成長を続けようとする性質がある。これを終わりにするというより、同じ生育の途上で幼穂が形成される気がする。分げつをしながら、株の背丈をのばしながら、株の中に穂が延びている。成長期に穂も作られる印象である。だから、強い干しは良いことがない。水を浅くしても草が生えなくなったので、水を浅くしてゆくぐらいの感じではないか。7月後半のイネは一番生育量が大きい。今年の収穫量がここで決まるといってもいい時期である。分げつが20になっていないなら、干しはしない。そして分げつを増やしながら、幼穂の形成をしてゆく。そのためには葉の光合成と、根の活力である。大きな葉を出すことと、根が活性化していて、どんどん伸びるようにする。水管理は難しい。

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安藤忠雄氏の「私も聞きたい。」

2015-07-19 04:06:29 | 暮らし

国立競技場の建設費が、莫大な額になるようだ。施設の奇抜さで、日本の自慢したいということが、背景にあるようで悲しくなる。だいたいにオリンピックの経済効果ということが、こういうことになるのだと思う。オリンピック施設を作ると言えば、でたらめな出費でも結構認められてしまうだろうという、思惑があるのではないか。安藤忠雄氏(73)が16日に会見。デザイン選定後にコストが増大した過程では、事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)から一切説明がなかったと主張している。公共事業というものは、訳のわからない形で、何でも倍額になると聞いたことがある。欠ノ上で田んぼの再生を「元気回復事業」という公共事業で行ったのだが、時間もコストも、倍額以上にかかった。公共事業というのは、どうも建設するものの価値というより、仕事を提供する価値というところにかなりの主眼が置かれる。だいたい、前の国立競技上で沢山だと思うが、今日本がそんな無駄使いをする余裕がある訳がない。それを復興予算に回すことのほうが、よほど日本のためになる。

東京都が新都庁を作る時も丹下事務所に、怪しいお金が流れたというので、逮捕者まで出た。私の知り合いがその一人だったので、名前が新聞にあったのでよく覚えている。小田原の市民会館問題を思い出す。曲面の壁の絵画の展示室が設計されていた。平らの絵をどうやって飾るのか不思議な展示室だった。設計した方に、過去に曲面の壁の絵画展示室というのは、あるのですかと質問したら、他には知らないと嘯いていた。飾る絵のことより、自分の作る建造物の面白さにとらわれている。大切なのは競技場を使う選手と観客である。選定委員会には、現役競技者の代表はいたのだろうか。器を立派にするということや、メダルを増やそうということは、もう乗り越えるべきことだ。国立競技場を、しっかりと補強すればそれでよかった。立て直しになった理由は、森氏など議員連盟の圧力である。日本のおもてなしは、箱モノの立派さではなく人間の心の問題である。人口の減る時代に、巨大化する発想がおかしい。小田原の競技場を考えると、252億円のものを全国に10作ったほうが競技者にも、観客にもいいはずである。

安藤忠雄氏が1300億円と思っていた。2520億円になると聞いてびっくりした。と会見で述べた。安藤氏は日本が誇る最高の設計家だ。この人を審査委員長にするなら、費用のわかる人を補佐につけるのが常識だろう。安藤氏が審査した時点と比べて倍額になったわけだ。安藤氏自身は自分は建築デザイナーで、こんな巨大な建築の建設費については、経験もないし分からないということだ。当然だ。丹下事務所なら、デザインと建設費の関係もある程度は理解できただろう。設計家は自分の創作意欲に基づき、勝手な絵を描くものだ。それを現実に添わせるために調整する人がいなければ実際の建築物はできない。安藤氏は芸術家である。理想を求める奇抜な設計を好むデザイナーと、現実から飛躍する発想の安藤氏が、重なり合って、途方もない価格の世界に類を見ない巨額な競技場が作られようとしているのだ。そんな費用はどこにもないのが今の日本の現実。

白紙撤回をしたのは、ずるずるしていて、最悪の事態にならなかっただけましではある。安倍氏はそれを手柄顔をして発表する前に、国民に謝罪するのが先であろう。監督責任は最終的には総理大臣にある。国民の批判が大きくなる前には、もう今からでは見直しは間に合わないと国会答弁していたのを忘れたのだろうか。サッカーのワールドカップは他の会場でやるべきだという質問には、国立でやると答弁していた。1週間で国会答弁を覆す総理大臣の発言の責任を、問うべきだだろう。そして、心機一転し良いオリンピックにするためには、組織委員長たる森氏を辞任させることである。このままでは森氏はまたろくでもない発言をして、オリンピックに迷惑をかけるに違いない。

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田植え7週目の欠ノ上田んぼ

2015-07-18 04:17:38 | 稲作

台風11号に伴う大雨で、濁流と化した久野川

欠ノ上田んぼは久野川に接してある。2012年6月20日の台風の大雨で河岸の石積みが崩壊し、大きくえぐられたことがある。それ以来、大雨が降り続くと心配になる。今は入水口の水門を下げてあるが、それでも周辺に降った雨が田んぼの水路に流れ込んで、吐ききれない水となっている。この水が田んぼの下にもぐりこんで、地下トンネルになっているようだ。昨年はそのトンネルに田んぼが崩落して、田んぼの真ん中に大きな穴が開いた。結局完全に治すというようなことはできないから、だましだまし、手入れをしながら田んぼの耕作を続けている。たぶんこうした谷戸田はどこもそういう手入れを続けることが当たり前のことなのだ。そういうことが今頃になって分かった。冬の間に土木作業を行い田んぼの整備をするのが、普通のことである。台風が直撃でなかったから、本当にありがたい。と言っても四国のほうで大きな被害のようだから、日本は常にこうした災害の中に暮らしてゆく覚悟が必要だ。日本列島に住み着いた祖先はこの土地の素晴らしさに離れがたかったのだろう。

11番から、上流方向を見ているが、田んぼは何事もないかのように静かである。

今年は、どことなく生育が遅れている。分げつが取れるのが遅れている。全体にわずかに硬さが足りない。天候のせいもあるが、田んぼの地力の問題もある気がしている。2年前に稲が倒れてから、どうしても肥料を控えめにしている。それが今年になって、分げつ不足になって表れたのではないかという、不安である。しかし、稲は部分的には緑を増してきた。この緑が増してくれば、分げつもそろう可能性が出てきている。そこへ来て大雨だから、これで梅雨明けとなってもらいたいところだ。このあたりが、地力で作る稲作の難しいところである。一部昨年より良い田んぼがある。それは緑肥を冬場育てた田んぼである。緑肥というものの大切さを考え始めているが、これも、収穫が終わってみないと見えないとこだろう。つまり、今遅れていてもまだこれから良くなる可能性がないわけではない。

 

3番の苗床だった田んぼから下の段の方向を見ている。

3番は苗床だったのだから、昨年より肥料分はあるはずである。確かに今のところ昨年より良い。良いといって水面が見えるあたりが、水口でやはり生育が遅れている。昨年より、3番が良くなって、倒れないのであれば、苗床に入れた程度堆肥をどの田んぼにも入れることは、田んぼにとって可能だということになる。画面が暗いのは緑が濃いのでなく。また雨が来たところだ。結局この雨は、昨日はかなり降ったことになる。

2番から下を見ている。少し見えているのが5番。

この2番、5番は緑肥を蒔いた田んぼだ。緑肥は大麦と、ヘヤリーベッチを混ぜて蒔いた。よく茂った。ハンマーモアーで砕いて、それからトラックターで漉き込んだ。一部にはかなりの生の麦藁もあったのだが、なんの問題もないものだ。5番など、シロカキもできず、アラオコシして水を入れて、田植えを行った。それなのに一番分げつが取れている。これは大いに参考になる。シロカキはあまりしないほうがいいという可能性と。腐植質はできる限り田んぼに入れたほうがいいということ。この手前に水路がある。この水路から、2番に水が入り込んでいる。それもあって、このあたりは生育が遅れる。暑くなればこの差はたいていは分からなくなる。

この1週間で確実に生育したことが分かる。葉の厚さが加わった。幅の広い葉が出た。色は黄色っぽさが抜けて緑が増した。畔の草は刈っても刈っても出てくる。年5回と言うが、この調子で行くと、年7回になりそうだ。

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ホルムズ海峡は海外派兵の突破口だ。

2015-07-17 04:30:04 | Peace Cafe

石油が通るホルムズ海峡の封鎖は武力行使の新三要件のうち、第一要件の「日本の存立が脅かされ、国民の生死にかかわる明白な危険」に当たると安倍政権は主張している。オイルショック以降、石油というものは、十分な備蓄を行っているはずである。海峡が封鎖されて、石油がなくなるまでは、200日の猶予があるということになる。にもかかわらず、岸田外務大臣は封鎖された直後に、国際貢献として機雷除去を行うと述べている。これでは、日本の存立が脅かされた状況とは言えないのではないか。戦争になりそうな行為は、極力避け最後まで平和的な解決を図ることが、世界平和のためであろう。そのためにイランとの長期にわたる外交交渉が行われ、やっと一定の原爆開発の阻止が決まったのである。ホルムズ海峡の機雷除去に、自衛隊が出動する前に、アメリカの石油を日本に回してもらうことが、同盟国としての在り方であろう。

日本の存立が脅かされるという第一の要件は、むしろ日本が戦争に巻き込まれることから始まるのではないか。実力行使で機雷の除去に向かう前に、やるべきことはいくつもあるのは当たり前すぎることだ。そうした平和的努力を行うための日本の役割というものの、実力を向上させることが、日本国憲法によって求められている、日本政府の方向であろう。にもかかわらず安倍政権がホルムズ海峡への自衛隊の派兵を、事例の第一に出したのは、国民は自分の生活ばかり考えているのだから、石油が来なくなるということで脅かせば、それなら自衛隊を出すこともやむえないと考えるに違いないと、政府が国民を甘く踏んだところにある。岡本氏という元外交官は、参考人としての説明をした。日本の優位な青年が海外のテロで殺されたのは、自衛隊が武器を持って防御できなかったからだ。だから、日本の青年が海外で平和活動を行うために、自衛隊の武力が必要なのだと説明した。何という、国際情勢に理解のない、元外交官であろう。

海外で殺されている平和活動家は、アメリカ人が一番多いいのである。武力をもってテロ行為を制圧できるなどということはない。日本の自衛隊が出かけてゆくということは、必ず志ある日本の青年の死ぬ数が増えるはずだ。平和活動を行う青年が死ぬことが間違えなく増える。国の参考人として、こんな間違った発言をした岡本氏はその責任を今から覚悟しておく必要がある。安倍氏は、衆議院での法案の通過に際し、「国民の理解はいまだない。今後も理解を深める努力をする。」と語った。国民はだいたいのところは理解したうえで反対をしているのだ。国民を理解力のないバカ扱いするのもいい加減にしてほしい。少なくとも憲法学者の方々のほうが、安倍氏より頭もいいし、理解力もある。自分と違う意見の人を、いつまでも理解力のない人と決めつける人間のことを。理解力不足の総理大臣というのだ。

日本には日本らしい平和活動があるはずだ。武力的でない平和活動を模索する必要がある。武力で平和を維持しようということは、すでに世界各国が行い失敗している現実である。暴力の連鎖が起こり、いつまでたって戦争は絶えない。このままの方向では世界は破滅の道に進むだろう。日本が世界で唯一、理想主義の武力を用いない平和を目指す国としての憲法を持っている。この日本が理想主義を持っていたといことが、日本の経済成長の大きな要因でもあったのだ。そのことを生活者は知っている。世界が日本を受け入れてくれたのは、平和憲法を持って軍事力を放棄したからだ。そのことによって日本は経済復興ができ、世界第2の経済大国にまでなれたのだ。今後アメリカとの武力同盟国を強め、武力で汚い仕事もする普通の国になることが、日本らしい国際貢献とは到底言えない。日本の平和憲法は世界の希望なのだ。解釈変更で捨て去るには、人類のためにいかにももったいない。

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