地場・旬・自給

ホームページhttp://sasamura.sakura.ne.jp/

暖房はコタツ

2007-12-31 06:24:49 | 自給
政府は30日、地球温暖化対策の一環として、太陽光発電の普及を進めるため、一般住宅への太陽光パネル設置を現在の約40万戸から、2030年までに全世帯の約3割に当たる1400万戸に拡大する方針を明らかにした。しばらしいことだ。最近の太陽光パネル普及は勢いを失ってきた。私の計算では、日本の家屋全戸に、太陽光パネルを設置すると、丁度原子力発電の量になる。風力や、水力も、小さい単位で上手く使えば、化石燃料を使わないでも、電力は賄える計算になる。問題は蓄電池の性能。蓄電池を効率の良い、低価格のものを開発すること。コンデンサーも現状では問題。以前養鶏場の200ボルトのモーターを風力で使えないか、計画したが、一日5分程度強い電力がいる。と言うような利用には、上手く機能しない。もし全戸が自家発電になったら、売電が出来ない。東電も倒産している。電力会社がなくなっても、困らないシステムには、蓄電池とコンデンサーが不可欠。

太陽光パネルだけでなく、風力との組み合わせが大切。夜や、雨の日に可能な風力利用があれば、システム発電規模を小型化できる。蓄電池は電気自動車のほうで、だいぶ開発されてきているようなので、これを上手く家庭用に使いたい。自動車に乗せるぐらいだから、小型化は始まるだろう。夜間電力は割安と言う具合に、電力は使用のピークを低くすることが、家庭発電システムでも大切になる。それでも蓄電池があれば、東電がいらなくなる。エネルギー自給になる。最小限の家は風力発電装置を付けたいと考えている。確かに、それ以前に省力生活のほうだ。今年は暖房を使わないで、何とか乗り切る予定。今までの所大丈夫。食事の時はコタツ。後はともかく、厚着。厚着と言えば、寒い間は身体も少し脂肪がある方が遊離だろう。やせぎすなので骨身に堪える。

自給生活は来年に賭けるが、本当の所食糧自給に何時間かかっているか。これを毎日ブログの末尾に、累計して行こうと思う。1ヶ月60時間1年730時間以内が目標だ。ブログダイエットと言うのがあるそうで、意識化すると言う事が大切。計画し、継続する。ブログはこの大きな動機付けになる。人間は弱い、一人では出来ない。しかし、大抵の事は一人でやるしかない。「自給自足の探求をしてます。」こんなことは部落の人に話したら、笑われるだけの事だ。ついこの前まで誰でもしていたし、今時そんな割に合わないことは、誰もやらないことだ。米など買うのが一番安い。農家の人だってそう言う事を言われる。田んぼなど物好きがやることだ。と言う空気がある。ブログはその点、細いけれどどこかにつながっている。ハウスを2つ移動した。以前養鶏場にあったものを、上の畑に移した。飼料置き場と、苗作りの場所にしたいと考えている。まだ使ってみないとどうなるか判らないが、この場を、自給自足の探求の場にするには、色々準備が要る。

灯油ストーブを止めたら、灯油の購入はぐーんと減っている。安い石油の店まで買いに行く手間も、だいぶ楽になった。ブログでのNさん推奨のモンベル下着のお陰だ。厚着をしている気がしない。数値化すると言う事では、電力は数値化している。発電量と、売電量。購入電気量。一年を通して、拮抗はしている月もあるが、購入電力のほうが少ない。200万円かかって、毎月7000円で、20年。利用料金でなくて、販売料金の事だ。産油国イバッテイラレルノハ今の内だぞ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

私的10大ニュース

2007-12-30 07:06:35 | 身辺雑記
いよいよ後2日周辺の片付けも、後竹薮の一部だけ今日行えばほぼ終わる。どうも明日期末試験だ、と言うと、机の片づけがしたくなる。本が読みたくなる。それでもだいぶけりが付いてきた。年賀状も昨日やっと出した。年賀状は今年は、絵の印刷物にした。絵葉書があったと言う事と、一枚ずつ手書きする時間が取れなかった。年賀状には私的10大ニュースを書く。

恒例:私的2007年の10大ニュース
1、 水彩人都美術館で9回展を開催。
2、 最小限の家建築申請受理され、建築開始。
3、 養鶏業の2年後の終了を決め、通知。
4、 家の周辺の竹薮や畑を整備する。
5、 地元舟原で田んぼ2反5畝を耕作。
6、 田んぼソバカス抑草に光が見える。
7、 地域のごみ市民会議をはじめる。
8、 有機農業推進法にむけて、活動。
9、 ピースカフェあしがら一段落。
10、 鎮江市に自然養鶏指導交流で出かける。
番外   養生法確立に向け、実践を深める。

これからの事もあれば、一段落と言う事もある。1、「水彩人」展はなかなか良かった。私自身の絵を振り返る。大きな機会になった。8枚の水の連作を出した。この連作は「水の間」の8枚の襖にするようなものだ。2、建築申請の問題点を、身をもって体験したことは成果だ。3、養鶏業を終了する。笹村の養鶏業の成立は示せたと思うので、完了していいと考えている。4、この所、竹薮と戦っていたようなものだ。2反の竹薮を畑に戻した。5、地域で田んぼでさせてもらえた。これは夢のような、あり難い事だった。6、蕎麦の製粉粕を利用した、田植え直後に田んぼに撒く。1ヶ月田んぼを覆うことが出来れば、草は生えない。7、ごみを通して、地域の暮らしを見つめなおす。地域のコミュニティーを再建すること。8、有機農業は時代の方向。これは誰も止められない。9、ピースカフェの紙面を終了。9条の改定が当面なくなった。10、中国の自力更生。毛沢東思想は何処へ行った。

番外、養生法は年を取ったと言う事。長時間の肉体労働がこたえるようになった。昔、陸上競技で長距離をやっていた。体力に自信があった。所が今年は、若い人から後れをとる様な感じがした。年齢相応が一番いいと思ってきたが、年齢に付いて行けなくなったらまずい。そこで、あれこれ始めた。養生法は20年位しないと、結果が出ないので、まだ善悪は何とも言えない。あくまで知的な養生法で行きたい。それも自給的なものに限る。何とか水。とか、ヒーリングとか。こういうのは大嫌いだ。

来年は自給自足を具体化する年。面積100坪。毎日の労働2時間。一年730時間の自給自足。100坪の内、30坪が田んぼでお米50キロ。50坪が畑。家庭菜園をやられた人なら、50坪の畑で、どれだけ沢山の野菜が収穫できるかは、よくわかると思う。これを、2時間の労働の範囲で、どれだけ合理的に回すか。どう作付けしてゆけば、一年間の食料がまかなえるか。どんな作物が自給に向いているのか。これを整理してゆきたい。鶏との組み合わせも、大切な要素。肉と卵は重要なものになる。肥料も大事。大豆とお茶は共同で作っているが、共同の方が合理的なものも多いい。果樹などもそうだろう。この組み合わせも、柔軟に考えたい。端境期の問題。保存食の問題。ビニールハウスの問題。苗作りの問題。課題は多いいのだが、楽しい自給生活になるよう、探求したい。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

鬼すだれの制作

2007-12-29 08:24:41 | 自給
鬼すだれを作った。伊達巻を作ると言う段になって、鬼すだれを作った。その辺では売っていなかったと言う事と、竹薮に対して、何かしなければ、申し訳がないような気がしていた。やたらに切り開いて、竹を無駄にしている。3つ作った。3つ作って1時間づつ3回で、3時間ぐらいかかった。一つなら、1時間30分はかかるもののようだ。写真では判りにくいが、実用的であり、自分なりの伊達巻の溝になる。そんな具合のものを作った。余り整えてはない。整えた、杓子定規と言う感じが嫌いなのだ。畑でも器具で、糸を張り、まっすぐというのでないときがすまない人がいるが、私は、機械で植えたような畑は、大嫌いだ。折角手で植えるのだから、自分の呼吸と、畑全体の空気で、自由にそのときの気持ちどおりに、植えたほうがずっと気持ちが良い。あそこで曲がったのは、疲れたからだな。あそこでは石があった。そんな記憶まで含めて自分の畑だと思う。

鬼すだれは実物は見たことがなかった。おおよその想像はついていたが、この程度のものを作るのに、真似るのは嫌だ。自分の作る独自の伊達巻をイメージして、それに相応しい鬼すだれにした。真似ると何か決まりがあるような気がして、自分のイメージが膨らまないものだ。真似たくないと言うのは性分で、へそ曲がりと言う事だ。折角作るのに、他と同じじゃ馬鹿馬鹿しいと言う気がする。何を作るのでも、真似から始まるのは当然だが、真似た後は、出来るだけ真似からはなれないとならない。農業でも、絵でも同じ。離れる時は、恐いしレベルダウンだが、そのほうが面白くなる。何かが出てくる。内側の竹の起伏も、わざとでこぼこさせたままにした。それのほうが、卵の焦げ具合と相まって、おいしそうな伊達巻になると思ったからだ。出来上がりに焼印も押したいと思っている。

昔の暮らしでは竹薮は、必要なものだった。箒からざる。背負い篭に米揚げざる、そばをすくう柄杓、弁当箱。何でも丈でこさえてしまった。子供の頃のトイレは、床から壁から、便器まで全部が竹で出来ていた。それはスースーしたけれど清潔感があった。何年かに一度作り直していた。このありがたい竹林が、迷惑千番になったのは、暮らしの方が変わったからだ。特にプラステック製品の登場だ。ビニール紐で出来た買い物篭は、確かに面倒はなく、安いし、丈夫なものではあったが、今思えばずいぶん手作業を馬鹿にしたものだ。あんな材料で手間暇かけて、平気でぶら下げたかと思うと、がっかりだ。便利は判っているのだが、竹林がかわいそうだ。ブラステック製の鬼すだれで作った、伊達巻など、私は嫌だ。プラステックの小さなすだれに載った、干物。こういうお土産がある。檜の葉っぱでも敷いたほうがずっと感じが良いのに。

出来上がったタイミングで、まごのりさんが貸してくれることになった。始めて実物をつぶさに見た。なるほど良く出来ている。鬼というだけあって、内側は三角錐にとがっていた。これでは鳴門巻きのような、星型の伊達巻になりやしないか。しかし、これが昔からのもだとすると、私の作ったものでは、山形がつかないことになる。そんなはずはない。これで全部で4つ鬼すだれが揃ったので、伊達巻作りには入れる。自給と言うのは、全てに及ぶ。じゃぁー砂糖はどうなる。いつも思うのだ。だから昔は蜂を飼った。一本は折角だから、久野の蜂蜜で作るか。そうして、せめて一切れでもみんなに食べてもらおう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

地域のごみ市民会議

2007-12-28 05:44:50 | 環境関連
[地域のごみ市民会議]いい名前のようで、すぐ忘れる。欲張りすぎた名前なのだろう。昨日は、箱根町の処理の現状を見学させてもらった。実際に見てみると違う。この組織は小田原、湯河原、真鶴、箱根で現在検討が進められている。ごみ処理広域化の問題を検討している。今年二度のフォーラムを行った。この会では市民案を作ることを、大きな目標としている。ではどんな市民案を目指しているかと言えば、循環型社会を作るための、ごみの処理法を探求することが基本のつもりだ。大きな方向は決まっていて、そこへの道筋を検討しようと言う事だと考えている。例えばプラスチックの焼却が、安上がりだからと言って、燃やせばいいとは考えていない。広域化という国の方針を受けて、広域化が止む得ないものなのかどうか、もしやむえないものなら、それを生かした、循環型のごみ処理は考えられないか。検討してきた。現在の一番の課題は、行政がこの検討に市民を排除いている点だ。市民には、出来上がった結論さえ見せればいいという、市民不在の手法で、施設の振り分けまで、検討が進んでいるようだ。

私は、20何年か前、自給自足を目指して、山で生活を始めた。13年暮した。ごみの収集などないわけだから、ごみの出ない暮らしを目指さざる得なかった。その体験を通して、ごみ問題は暮し方の問題だと気付いた。そして、自然養鶏を始めた。それは、地域で出ている食品残滓の飼料化、まだ飼料にできるものは、ごみにせず、飼料にしてゆきたいという考え方だった。それが仕事になった。仕事として成立することを証明しなければ、食品残渣の飼料化は進まないと考えたからだ。その後、山の中から、小田原に移ったのことも、仕事としての成り立ちを明確にする。ためでもあった。田んぼや畑を含めた食料全般の自給を、市民が担うと言う所に向かった。暮らし方のほうは、より簡略化して、お金で代替してゆく。ごみは分別もしないで、全てを燃やす。これでは地球は廻ってゆかないだろう。

ごみをどのように循環させるかが基本だ。その為に広域化が、可能であるか、どうかを検討しようと言う事、広域化することは、循環の輪が大きくなると言う事で、困難は増えるだろう。見えなくなるから、市民の協力体制も弱くなるだろう。そこで、広域化の中でも、細分化したほうがいい部分を、上手く取り分けられないかと言うのが、実際上の方策に見えている。一言で言えば、生ごみのような、燃やすべきでないものは、地域地域で、堆肥化する。これは各家庭で行うのが、一番だが、それが無理でも、せめて、部落単位。それが難しければ、校区単位。生ごみがなくなればごみは半分になる。半分になったごみの、15%は紙。これもリサイクル可能。結果的には焼却灰の最終処分場も、ずいぶん小さくなるはずだ。

廃棄物会計の重要性は、それらの総合的な処理法を検討して、コスト計算をする点にある。単純に、プラ類のリサイクルはコストが大変だ。と言う事ではなくなってくる。燃やした場合の、環境対策費、測定費、ひいては周辺の土地の価格の値下がりまで、ごみ処理法は影響する。炉が半分になればの建築費は半分になるし、解体コストも半分になる。環境的に素晴しい施設であれば、周辺の土地の値下がりも押さえられる。運ぶごみが半分になれば、道路の建設費から、交通渋滞による、住民の負担も大きく減少する。
先ず、環境省の作った廃棄物会計による、1市3町の現状の把握が、緊急課題だ。その上で、広域化した場合の、幾つかの分別法や、生ごみ処理の方策などをの、事例ごとにコストを試算することだろう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「農山漁村の郷土料理百選」

2007-12-27 05:41:23 | Peace Cafe
農水省が、郷土料理100選を行った。99品選んで、後1品は自分で選ぶと言う所がちょっといい。神奈川県が「かんこ焼き」と「へらへら団子」選定過程で上げられていたのは海軍カレー!しらす丼!サンマーメン!だそうだ。服部料理教室の服部氏が委員長で選んだと言うが、やはり神奈川県は苦労しただろう。この農水省の企画にたいして、意味ないんじゃない。と言う意見がある。名水百選とか、疏水百選。農水や環境省関係の百選は色々ある。これはこれで行政的には、役に立つことになっている。小田原百景成るものもあるが、馬鹿馬鹿しいようだが、これを根拠に次の事業を立ち上げることになる。行政は根拠がないことはしにくい。へらへら団子なるものは、たぶん大半の神奈川県民が知らない。それでも、「へらへら団子で、町興し事業」とかなら、予算措置を付けることができることになった。

かんこ焼きというからわからなかったが、「おやき」の事だ。お焼きと言うとどうしても、長野県のイメージが強いから、かんこ焼きと言ったのだろう。「かんこ」と言うから、お祝い席で食べるので、歓呼焼きかと思ったが、雅楽の太鼓の事だとある。自然な感じがしない、誰かが命名してしまったような名前だ。太鼓焼きと言ってしまえば、中は小豆の砂糖餡が普通だろう。そこで凝ってかんこ焼き。これで何のことやら分からなくなった。へらへら団子は、見たところごくごく普通の団子のようで、これを神奈川の郷土料理といわれても、困る。へらへらと言う名前から、団子が、薄く延ばした、きしめんを更に幅広にした、様なものに、餡子を付けたものだろうと思った。そんなお汁粉を食べたことがあったからだ。

農水が郷土と言う形で何とか、地方を元気付けようと言う意図は、理解できる。実は、かんこ焼きで紹介されていた、確か津久井の田中さんと言われる方の所に、何年か前に、おやきを習いに行ったことがある。麹を作って、それと小麦粉を混ぜ混んで、3,4時間発酵する。ふっくらとした所で、蒸す。酒饅頭で中身が、お惣菜と言うようなものだ。その田中のお婆さんが、新聞に載っていた。確かおやきとそのときは言われていて、かんこ焼きとは聞かなかった気がする。お焼きの方が通りがいいので、外部の人向きにおやきと言っていたのかもしれない。そのとき習った場所が、道志川沿いの景観のいいところだった。民俗学をしていた父は道志は良く訪ねたところだったらしく。昭和初期の道志の事を聞いていたので、妙に懐かしかった。日が暮れて「来者勿拒、去者勿追」 とある禅宗のお寺で泊めてもらった話を聞いたが、今もあるのだろか。

津久井でも、おやきをあまりやらなくなったが、昔はどの家でも、何かと作ったものだ。と言われていた。今はお土産として売っている様だった。神奈川県の農村漁村はなかなか微妙な所がある。横須賀の海軍カレーと言われても、それは都会のことだろう。村の料理これを大切にしなければならない。と言うのは当然の事だ。暮らしを深めてゆくには、伝統を探ると言う事は大切なことだ。農の会周辺でも、小麦を作り、パンを作る。こちらの活動が盛んなようだが、興味が湧かない。あしがらのと言えば、茹で落花生などどうだろう。パンならバターピーナッツがアメリカ的につながる。塩味だけの落花生の素朴なおいしさも、格別なものがある。スアマというものを、小宮のおばあさんが教えてくれたが、これは郷土料理なのだろうか。スアマがお菓子のほうのウイロウとほぼ同じものだから、ウイロウが小田原のものなのだから、案外郷土の物かも知れない。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

患者一律救済へ

2007-12-26 05:52:35 | Peace Cafe
C型肝炎訴訟で、福田首相が良い判断をしてくれた。判断が遅れた理由とか、何故議員立法でやるのか、裏がないのか、心配なところはあるが。これで少しでも患者の皆さんが、明るい気持ちで年を越してもらえる、良い決断をしてくれた。福田首相はこの問題では当初より、一律救済したい意向と噂されていた。2001年7月のハンセン病熊本地裁、患者側全面勝訴判決を受けて、控訴する意向だった、国の方針を変えたことには、福田氏の意向が働いたと言われている。その線から考えても、患者の立場を大切にするはずと期待していた。支持率の回復の為だから、おかしいと言う論調もあるが、それだけ国民の意向を大切にすると考えれば、悪い姿勢ではない。

薬害肝炎リスト放置問題で、厚生労働省の調査プロジェクトチーム(PT)は11月30日、患者に告知しなかった5年前の同省や職員の対応について「責任は問えない」とする最終報告をまとめた。PTの責任者、西川京子副大臣は会見で「職員に隠蔽(いんぺい)の意図はなかったが、文書管理は極めてずさんだった」と述べた。これが厚生省の姿勢だ。早く伝えれば、命を救えたかもしれない事件だ。それを理解できない職員がいたとしたら、一体厚生省の意識レベルはどこにある。防衛省でも、インド洋給油量の間違えが、イラクの作戦に参加できないとした、国会答弁につながった。これも、隠蔽する意図はなかったとなっている。法律で問えるかどうかで無く。常識的に推測すれば、隠しておいたほうがいいと判断した。役人がいたと、見るのが当たり前だ。穿って考えれば、厚生省の為に、良かれと判断をしてくれた職員を罰することはできない。と言う事じゃないか。

7月の参議院選挙のとき、5000万件もの統合されていない年金記録の、整理統合がいつまでに出来るかが、問題化していた。自民党は年度内には何とかできると明言した。出来る訳がないというのが大方の意見だった。にもかかわらず、当時の安倍総理は、最後の1人まで、年金を正す。と何度も叫んでいた。福田首相は公約違反というほどの事はない。とか、公約といほどのものか、その辺を忘れていたなど、すかし戦術の失敗で失速した。公的年金の無年金者が、推計で118万人に上ることが、社会保険庁の調査でわかった。 現時点で納付期間が25年に満たず、今後、保険料を支払わなければ、無年金者となる人は、60歳以上で37万人に上る。このため、最大で155万人が無年金者となる可能性がある。これが日本の年金の実態だ。こんな信頼感のない、体たらく状態では、年金の不払いが増加するのも当然のことだ。そこで、出てきたのが、税で補填する年金制度だ。この場合企業の半額事業者負担の、厚生年金も、一律免除になるのだろうか。

患者の皆さんの一律救済の手法は、議員立法と言う事になりそうだが、何故政府が発議しないのか、その理由が良く判らない。国の責任を国賠法で処理するとすれば、国が起こした過ちに自己矛盾が生じないだろうか。水俣病訴訟においては、国はその責任を一律には認めていない。今回のように原告団が団結して和解交渉に当ることが出来なかったこともあり、一部和解、一部訴訟継続と、未解決患者が存在している。今回の一律救済法案は、年内に法案の原案を作り、来年14日までの会期末までには、成立したいとしている。もしかして、国会会期の延長と絡ませようという意図はないか。インド洋給油と絡ませようと言う意図でないといいのだが。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

アシダカグモ

2007-12-25 07:06:29 | 身辺雑記
大きな蜘蛛がいた。足を入れない体長が、4センチ。雌のカブトムシぐらいだった。アシダカクモというらしい。時々は見かけてはいたが、これはそれより一回り大きかった。計って4センチあった。頭に黒い紋がないから、雌だ。図鑑では雌で3センチと表記されているが、4センチのものもいると言う事だ。ひよこの孵化の小屋を片付けていて、見つけた。おとなしい奴で、逃げたりしない。くもの巣の様なものもない。のそのそしていて、愛嬌もある。クモとか、蛇が嫌いという人がいるが、これは不思議なことだ。蜘蛛も蛇も悪さはしない。ネズミやゴキブリの天敵だから、大切にしなければいけない。こののそのそした奴が、すばしっこいゴキブリを食べると言うから、捕食の際変身するのだろう。

蜘蛛の巣があるのがいけないという、自然養鶏の指導をした人がいる。蜘蛛の事も、自然の事も何も分かっていないのだと思う。蜘蛛の巣があると、スズメは嫌がる。その周辺は飛ばない。鳥の類に巣が壊されないように、わざわざ目立つように、巣を光らせる種もあるらしい。最近温暖化だから、熱帯性の毒蜘蛛も生息するらしいので、油断は出来ないが、普通にいる蜘蛛が病原菌の元凶とか、そんなこともないから、大切にしていて、間違いがない。子供の頃、天井から、突然するすると降りてくる、盗人蜘蛛と呼ばれたくもがいた。オニグモともいった。背中の模様が、丸で鬼のようだったからだ。これが来ると泥棒が入るとも言った。大きさは小さく、1センチぐらいだったと思う。竹薮の脇などに沢山ぶら下がっていた。ついでに調べてみると、正式なオニグモとは大きさ模様巣もまるで違う。子ども達が勝手に、読んでいた名前だったようだ。

育雛小屋だったところを、農機具置き場にするために片付けた。越してきた時からあったわけのわからない、炊事場と、トイレがある。便利なようでめったに使わない6畳ほどの小屋だ。周囲の壁の概観は杉皮葺きで竹で止めてある。しかし内側ベニヤ張りで、その下の方は、ステンレスが張ってある。それでトイレがあるのだから、こんなに奇妙な小屋はない。外観も凝っている割りに屋根は、波板トタンで葺いてある。このちぐはぐな感覚は、やはり作った人の思想を表わしている。作った人はずいぶん前になくなられたわけだが、残した家に、考え方を残している。だから、他人の作った家に住むと言う事は、その人から何らかの影響を受けていると言う事になる。

道具置き場が出来ると、農機具が一箇所に集められるので、便利になる。農機具は妙な形をしていて、整理の難しいものだ、壁に立てかけるか、吊るすしかないから、どうも場所取りになる。最低限の道具にしなければ困るのだが、年に一回しか使わないが、どうしても必要と言うような、融通の利かない道具が多いい。田んぼのころがしなど、他の作業には、全く融通がない。鍬でも、何種もないと、用が足りない。シャベルなども、7本ほど、分散しておいてあるという、何とも情けない状態だ。これを整理する。これが今年の最後の仕事で進めているのだが、整理する程、実用的でなくなるようで、混乱のまま受け入れる。つまり、いい加減でも耐えられるような、混沌のままの受け入れ精神。こっちの方が重要かもしれない。蜘蛛が不気味だと言うのも、故なき濡れ衣だ。つまり訳のわからん整理の付かない奴を、どう納得するかと言うのも、重要だろう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ヒーリング「神世界」でした。

2007-12-24 05:35:15 | Peace Cafe
世はどうも、スピリチュアルブームということらしい。病気が治るというのが、大抵の場合キーワードのようだ。のうのうと神奈川県警幹部、署長クラスだそうだが、犯罪とは思わないと居直っている、らしい。テレビでも、前世が云々などと言う、訳のわからないものが、頻繁に流されている。今日の星占い。が天気予報のように流される。迷惑なだけでなく危険な話だ。人間の個人としての自立が弱まっている証。こうやって、洗脳のような形のメディアの垂れ流しが続けば、オウム集団の登場を、促していることになる。国会で冗談めかして、UFO論議だ。冗談のつもりが冗談ですまない人がいることを、忘れてはいけない。新興宗教ブームと言われて久しいが、これが、とっつき易い形に変化している。ヒーリングとか、癒しとか、当たり障りのない所から付け込んでくる。新しい言葉に置き換えてはいるが、人間の知性に対する挑戦だと考えたほうがいい。狐つきとか、お犬様とか、やっとそうした愚かしさから人間が抜け出たかと、思えば、またぞろ先祖がえりのようだ。

神奈川県警の警備課長を解任された吉田澄雄警視が霊感商法に関与していた。とされる事件で、投資話を持ちかけられ現金を振り込んだ部下が「上司だから断りにくかった」と話している。勧誘は警備部のほか刑事部、交通部、警察署員まで及び、グッズ購入などで700万円をつぎこんだ巡査長もいた。県警は上下関係を利用し広範囲に勧誘を繰り返していたとみている。神奈川県警の内部の人間関係が、ぐちゃぐちゃで、統制が取れていないことが窺い知れる。霊感商法や詐欺に警官が加担していたとしたら、警察への信頼は失墜する。関与の度合いなどを徹底解明しなくてはならないが、疑惑捜査の主体が神奈川県警でいいのか。同県警では1999年に警備部外事課の元警部補による覚せい剤使用が発覚。組織ぐるみの隠ぺいが明らかになり、当時の県警本部長が犯人隠避罪で有罪判決となった。警察庁は、平成11年9月の神奈川県警察における一連の不祥事案において、事案が県警察内部で隠ぺいされ、適切な事案の報告が行われていなかったこと等の反省に基づき、「不祥事案の未然防止と適正な処理について」の指示が出されている。

根本的な原因が県警にある。その捜査を県警が行う。これでは駄目だろう。吉田警視はたたき上げの星だそうだ。外務省でもそういう事件があったが、官僚機構の中では、上級試験の合格者が幹部を占める。しかし、世渡りの上手い、抜け目のないような人間が、仕事ができると言うような理由がつけられて、上層部の職務に付く。人間の裏側に熟知したタイプだろう。通例として、お金に対して、特に使い方において、汚いことが平気で出来るような人間が多いい、と想像される。そのたたき上げ方が大きなストレスになっただろうし、お金も必要だっただろう。「神世界」との接点はその辺りだろう。

日本社会の方向性の喪失、これがヒーリング「神世界」のような、人間の弱さに漬け込む、悪徳商法の頻発になる。一番は政治の責任だ。政治世界が悪徳商法の見本市状態だ。解決には、自立した個人の確立しか道はない。民主主義の確立。小田原市の教育委員会のように、「おだわらっ子の約束」などを押し付けていれば、子供の置かれる環境は悪くなるばかりだ。自分で自分の生きる目標が見えるためには、教条的に正しい道などを示してもらっても駄目だ。そんな教育をしていれば、より都合のいい、エセ宗教に洗脳される基になる。何が正しいかを自らが「思考」できることが大切。早寝早起きもいいけれど、それを正しいこととして教えるのでなく。当人がそうしたいと思うように考えられる人間を育てなければ、教育じゃない。教育勅語の失敗を又繰り返せば、軍国少年が、金権人間に代わるだけになる。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

卵とアトピー

2007-12-23 04:52:37 | 自然養鶏
アトピーの原因が卵と指摘される人は多い。私のところでも、自然卵ならアトピーが起きませんかという、電話や手紙が時々ある。「もし本当の卵アレルギーなら、どんな卵でも同じです。」と答えるしかない。所が、玄米卵ならば、食べても大丈夫と言う人は、確かにいる。だいぶ前になるが、ひどいアトピーのいとこが、人体実験をかって出てくれたが、確かに玄米卵では大丈夫なのに、スーパーで買った卵では、全身にアトピー性皮膚炎が広がった。繰り返しても同じ結果になった。心理的なものなのか、何か含有物に異なるものがあるのかは、不明だ。そうしたことは確かに起こる。と言って、よくある広告のように、「自然卵ならアトピーの子供でも食べれます。」などと書けば食品偽装だ。卵の白身に含まれる蛋白質オボムコイドが原因して、アレルギー反応が起きている。卵アレルギーならどんな卵でも同じだ。昔はめったに無かったのに、何故、増え続けているかといえば、環境の複合汚染や社会の複雑化で免疫力の低下が起きているのが、主要因と考えられる。

免疫学は難しい。どうも哲学的、全体的で、人間の内部的そのもののようなもので、そのスーパーシステムの解釈にかかわってくる。「どうもそれはいただけない。」と体が反応している訳だ。牛乳や卵の蛋白と言うのは、身体が取り入れやすい形をしているはずだ。つまり幼態という、まだ体験のないものが摂取しなければならない。百戦練磨の兵でなく、初年兵だ。初めてのものが取り入れる食べ物は、人なら母親のお乳である。鶏なら、白味や黄味だ。だから、間違っちゃいけないように出来ている。だけれども、そうしたたんぱく質は、他の生き物にとっても取り入れ易い側面もある。そこで、「間違っちゃいけないよ。それはお母さんじゃないよ。」と言う黄色信号が出る。これが免疫反応。しかし、この枠を超えてしまえば、つまり免疫力が出来てしまえば、平気になって、猿の子供を犬が育てることに成る。自然界ではめったにあっては困ることなのだ。

「自然卵なら大丈夫」の原因の多くは、卵アレルギーではなく、卵に含有する、他の、例えば飼料にある、保存料やら、金属類だったり、薬剤の事が原因の場合だ。めったにないだろうが、ひどい場合は抗生物質の事も考えておいたほうがいい。食べ物はあくまで自己責任。自分の身体の事。何にしろ、その生産過程が見えないものは出来る限り食べない方がいい。そんなことは出来ないのが普通だろうから、食べるものは、一期一会で、全てを託す以外ないものという認識。私は牛乳がダメだ。牛乳を強制されて苦労した。牛乳が健康の元だと、そう思っていた。何故こうもお腹が痛くなるのだろうという、長い間無駄な苦労をした。飲んでいれば免疫が出来ると、親類の医者が、更に進めるので、いよいよ拍車がかかったが、ついにダメだった。卵がダメなら食べないほうがいい。

しかし、最近は小麦アレルギーとか、お米アレルギーとか、これでは暮せない。と言うほどの状態の子供もいるようだ。それは本当につらいものだ。一緒に暮していた、いとこが、余りに辛いので自殺しようとした。真剣に話し合って止めたことがある。他人事で無く考えて来たつもりだ。大人になった今はすっかり元気になって、あれほどのアレルギーが良く治ったと思うほど、病気の痕跡もない。病気で周りの者にできることは少ないのだが、免疫力形成には、ストレスと言う要素も大きいらしい。せめて、落ち着いて、治療い専念できるような環境を作ること。卵だけを避けるのでなく、食べ物全体に細心の注意を払うこと。総合的に健康な身体を作り出すこと。落ち着いた安定した精神的状態の形成のための修養をすること。免疫力強化の総合的対策が大切だと思う。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

田んぼの面白さ

2007-12-22 04:19:09 | 稲作
田んぼは他の作物よりあきらかに面白い。こう決め付ければ、きっと他の雑穀や、野菜や、果樹に怒られるだろう。でも、そんな風に言いたくなるぐらい、たんぼはきわだっておもしろいし、奥が深い。日本人の暮らしと古くから、切り離せないように結びついて、存在している。稲作は文化だから面白い。もう日本人が日本人である由縁の、半分ぐらいは田んぼから来ている。縄文時代晩期日本列島で稲作が始まる。田んぼそのものは、稲作とはかぎらない。沖縄では田芋たーむーと呼ばれるサトイモの一種が、田んぼで栽培されている。サトイモ(トロイモ)文化圏は広く、古く、むしろサトイモの田んぼに、雑草として、稲が生えたことが、稲作の始まりでないかと言う仮説もある。稗作が、東北などで稲作が出来ない冷や水の所で作られたことと似ている。

歴史:長江下流の浙江省寧波の河姆渡(かぼと)村から約7000年前の田んぼが見つかっている。陸稲は更に古く、1万年以上前に遡る。日本に於ける栽培は、柳田國男仮説の黒潮にのって、やしの実とともにやってきたという説が好きだ。岡山県灘崎町、彦崎貝塚で6000年前の地層からイネプラントオパールが発見されたことによって、縄文時代前期にまで遡れるとする説も出てきている。足柄平野では、農の会の諏訪間順さん等の研究成果によって、中里遺跡が、弥生時代において、東日本最大の最古級の集落であり、稲作が盛んに行われてきたことがわかってきた。やはり農の会の小宮さんの家からは、縄文晩期の土偶(重文)とともに、炭化米が多数発見されている。2500年ほど前から、足柄平野で稲作は始まったと見て良いようだ。

生物:稲の生物的な概観を見ると、学名はOryza sativa 多年草。湿地作物。風媒花であるが大半が自家受粉する。生育段階を順に書くと、播種期 、育苗期 、移植期 、活着期 、分結期 、最高分結期 、減数分裂期 、幼穂形成期 、穂ばらみ期 、出穂期 、穂ぞろい期 、開花期 、乳熟期 、黄熟期 、傾穂期 、登熟期 、成熟期 となる。例えば、普及所からは以下のような通知が出る。「追肥にあたっては必ず生育時期の確認をア 幼穂形成期が早まる予測です。追肥にあたっては必ず幼穂の長さや止め葉の抽出期を確認してから実施して下さい。」止め葉とは最後に出る大きな立ち上がる葉の事で、稲穂の充実には一番大切なものとなる。この葉は16枚目という風にも言われているが、数えると大抵は14枚目と成る。もう一つポイントが田植え時期の、機械植えよう箱苗では3葉期。手植えでは4葉期、4.5葉期、5葉期。この辺りは分結(株別れ)が始まる時期でもある。分結は最終的には10本から20本になるのが一般的であるが、30本を越えることもある。分結した株に全て穂がつくとは限らないが、できるだけ、穂のない無効分結を減らしたい。一つの穂には、100粒から120粒のお米が出来る。1粒のお米は1000倍以上になると言う事。

機能:田んぼの機能がすぐれているのは、水を張ることで、雑草の抑制が出来ることや地力の衰退が起き難いことが上げられる。そのため、稲作は労働時間が最も少ない作物となっている。主食の栽培に最適な、方法である。機械力を使わないで行った場合でも、年間10回から20回の作業で、収穫が出来る。最も合理化されたといわれる、機械化された大規模農家では、1反あたり、の労働時間が、39時間と言われる。その他生物の多様性の維持。水利的に貯水機能。気候の温順化。など環境的な機能が豊かである。日本の米の総生産量は、奈良時代が約100万t、江戸時代が約200~300万t、明治時代が約600~700万t、そして昭和20年代になると1000万tをこえるまでになった。奈良時代の水田面積はおよそ100万haに達していた。現在の耕地面積が、日本の全耕地面積は約500万ha。うち約270万haが水田、約230万haが畑地となっている。お米の生産可能量が1400万トンと計算されている。今年の生産量が850万トン。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

最小限の家・土台

2007-12-21 06:34:09 | 最小限の家
12月からは、建築を開始できる許可が出ている。整地をして、地縄張りをして、糸を張る丁張り(ちょうばり)というところまでは、ずいぶん前からやってあった。行政の人が見に来るに当って、何処に作るのか、丸でわからない状態では、説明の方法もないと考えて、そこまでは完了して見てもらった。これが合法か、違法かは判らないが、さすがにこの点では注意もされなかった。山の中ではこのやり方しか場所を示すやり方はないだろう。写真は土台だ。自分で作るつもりだったが、ホダさんに話したら、うちの山に丁度いい石があると言う事で、どんどん進めてくれた。総量で2トン以上ある。これに連結すれば、どんな風でも飛んで行くことはないだろう。すごい土台になった。ほれぼれしてしまい。しばらく眺めていたい気分になっている。土台がしっかりしていると言うのは、何よりの事だ。この石に穴を開けて、ボルトを止め、柱を立てることになる。すでに、その墨も打ってある。

この石の土台を見ていると、高床に成る。立ち上がった柱に、段違いで横に桟を入れたい。その横桟には名前があるのだろう。どうも建築用語に無知なので、いけない。上がり框、あがりがまちと読むそうだ。玄関のところにある入り口の板だ。素晴しい用語があふれている。専門家風にこういう言葉を使いたいものだが、残念ながら、全く不案内だ。そして壁板の落としこみとなる。板倉で基本は作る。土台の向こうに置いてある板で、床から壁から、全てをまかなう予定だ。いずれゆっくり、楽しんで作りたいと思っている。

今年も終わりに近づいて、辺りの片付けにおわれている。今年で、新たに始めることは、全て始めた。これは家の周辺や、実際の農業や養鶏の方もそうなのだが、今までやってきたことの方も、整理している。黙っていても、あれをやらないか、これを一緒にと言う話の方が、向かってくる。ほおって置けないこともある。目途がついたことは、終わりにしたいと思う。その一番が養鶏だ。養鶏場の片付けも始めた。こちらの片付けは、2年はかかるので、徐々に進めざる得ないが、家の周辺の片付けぐらいは、年内に終わらないといけない。家の脇にハウスを建て直したので、だいぶ展望が見えてきた。雛の育趨小屋も年内に整備が終わりそうだ。そういえば道具置き場も、整理が付きそうだ。場所がないから、どうしても道具があふれて管理が悪くなる。いざ使おうとして、探すほど馬鹿なことはない。今度はなかなかいい道具小屋が出来た。小屋の前で、整備も出来る場所になった。整理を始めてみると、驚くほどの無駄に気付く。物置と、道具置き場をごっちゃにしたのがいけない。それぞれに分離すれば、3箇所だったのが、2箇所になる。いつも緊急的に広げてきたことの、付けが来ている。

年内に最小限の家の、柱材料の見積もりをする。これはどうも完全には出来ないのだが、模型に基づいて、拾い出すつもりだが、太さが良く見えない。素人には全てを同じ太さでやる方がいいという説もあった。この辺りは、専門家に相談したい。柱は落とし込みにするので、少し太くないといけないのだろう。私は3.2メートル角の家なら、4つの角だけの方が、姿がいいと思うのだが、間に一本柱がいるというのだ。本当だろうか。太い柱が、4つ角にあるだけの方が何しろ作り易い。基本はキュウブだ。同じ長さの柱だけで出来ていれば更に、簡単な素人向きになる。こう言う事は専門家に聞くと、即座に否定されるだけなので、面白がって相談に乗ってくれるような、上手い人はいないものだろうか。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

薬害肝炎の国の回答が今日出る。

2007-12-20 07:48:53 | Peace Cafe
被害者が国を相手に訴訟しなければ成らない。こんなひどいことがあるだろうか。国に殺された人が、沢山いる。血液製剤フィブリノゲンの在庫が、無くなるまで、人の命を軽んじていた、厚生省。ミドリ十字は悪魔の製薬会社だ。その前身が軍の悪魔グループ。血液製剤による、薬害で病気になった人が、厚生省の地下倉庫の棚で、文字どうりたな晒しにされてきた。このことに責任を感じる厚生省の役人はいないと言う。恐ろしい役所だ。ダッカ事件の時に、一人の命は地球より重いと言ったのは、お父さんの福田さんではなかったか。あれもずいぶん馬鹿げた発言と言われたが、息子の福田氏は、今日の回答に向けて、どんな発言をするだろうか。救える命を見殺しにした責任は、裁判では問えないかもしれないが、私はこうした、役人の責任逃れの対応は、決して忘れない。

現在の回答は、アメリカで血液製剤の危険が指摘されて、国が気付くべき時期をいつにするかと言う事のようだ。これは最低限の責任の事で、本来薬は害があってはならないものだ。危険に気付くことができなかったのは、時期がいつであろうと国に責任がある。法はこのことをどう裁くかは別にして、危険な薬を認可して、その為に肝炎になった人すべてが、救済され無ければならないことは、当然の事だ。原告団の患者の方達が、自分の救済だけでなく、全体の救済を主張されていることは、正しい姿勢であるし。美しい姿だ。これに耳を貸さない政府だとしたら、国民の大多数のものは、次の選挙で自民党には投票しないだろう。

行政と言う組織は、何故、国民の側に立たないのだろうか。否立てないのだろうか。厚生省の役人になる人は、いわゆる優秀な人なのであろう。それが、薬害にあった可能性のある人の名前のある名簿を、何故、連絡してあげようと思えなかったか、早く気付けば助かるのだ。何故軽く見たか。そうではなくて、意図的に隠したと考えた方が、事実に近いのではないか。その後の経過、結果から見れば、そう考えたくなる。当時、可能性のある人は、自ら名乗り出て、病院で検査を受けるように、報道があった。それでも大半のものが、検査を受けなかった。その危険に気付かなかった。使用可能性にきづかなかった。医療はそういうものだろう。輸血を受けたというなら別だが、手術の際に使った薬までは頭が廻らない。

ほんの一部かもしれないが、製薬会社側から名簿が出た。出した側では、厚生省から連絡が行っていたと、思っていたのだろうか。いずれも事の重大さの、認識がない。人の命の重さに、自分の家族がこうした事態に巻き込まれたような、深刻な認識になっていない。ここに行政の、人間性の欠落がある。人間性を亡くさなければできない、仕事に、官僚の仕事がなっている。人間的であれば、耐え切れないような、無残なことを平気で出来るような、体質の人間になるように仕向けられている。これが、薬害問題が、繰り返される原因だと思う。人間的であればあるほど、評価されるような仕組みに、行政組織を変えて行かなければならないのだろう。そんなことを思うと、不可能に見えてくる。本当に人間は大丈夫なのか。暗澹たる思いになる。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

銃ずさん管理

2007-12-19 08:07:30 | 身辺雑記
銃乱射のアメリカまがいの事件が起きた。模倣犯のように見える。更に続かないことを祈るばかりだ。何故、日本に何十万もの銃が野放しになっているのかが理解できない。日本で猟を職業にしている人など知れた数だろう。趣味だ。動物を遊びで殺して楽しむのが、趣味と言うのは随分の悪趣味だ。これがどういう訳か、お金持ちのステータスな趣味だと言う。山北では何しろ、前町長の弟さんは銃砲店をしていた。山北では、何しろ猟場と隣りあわせで住んだものだから、苦労したし恐かった。相手は銃を持っている。猟で興奮した相手とどのように対応したらいいのか。信濃町にある、日本猟友会にまで相談に出かけたこともあった。森繁久弥氏から、三橋達也氏に代表が移った頃の事だ。猟を趣味にしている俳優の演技など見たくないものだと、筋違いの腹まで立てた。もちろん警察にはそれこそ何度もお願いした。

今回の事件でもこの点が、重要だ。そんなことをあなたに言われる筋でない。と言うように交番で言われたらしい。丸で私のときと同じなのだ。警察が管理してきちっとやっていることに、いちいち住民が口を挟むとは、何様だと思っているのか。こういう反発心が警察にはある。前に書いたかもしれないが、一時停止の取締りを私の家のすぐそばで、しょっちゅうやっている。危ない所だから、ありがたいとも言えるのだが、道を直すか、信号をつけたほうがいい、所だ。その話は別だった。その取締りを、しばらく見ていると、どういう基準でやっているのかがわからない。そこで尋ねた。「取り締まりはどんな基準でやられているのですか。」興奮して出てきた警官が「そんなことを説明する義務はない。」怒られてしまった。猟銃所有者と、警察は仲間意識がある。今回の佐世保の事件でも、隣の家の住民がこの点で、警察の対応に対し怒りのコメントをされている。

この背景には猟友会と、警察との、不思議な関係が隠れている。銃を持つと言う事で、何か根底のところで性格が似ている。そこで、一般市民とは距離のある、特別な共有意識が存在する。そのために、銃所有について、市民が質問をすると、防御的に成る傾向がある。まして、防犯協会の活動や、害獣駆除の事で、協力関係が出来上がっていることがある。町会議員などが、その地域の猟友会の会長などになっていることも多い。そうでなくても、大抵は地域の有力者だ。銃砲所持や管理を取り締まると言うより、銃所持者を保護する意識がどこかにある。私も怒りに我を忘れることはある。そのときに銃があるのは恐いことだ。気分晴らしに発砲したくなるかもしれない。

銃管理をこの機会に、徹底する。警察に銃と弾はすべて預ける。必要なときに、出かけて行って、届けをして使う。当然の仕組みだ。町村氏は日本は世界1銃刀の管理が厳しい。と説明していたが、今の野放し状態が世界1の訳がない。今の状態を、管理が厳しいなとよくも言えるものだ。これは悪い心で銃を持つ人にしてみれば、何でもできる世界1の国に見えるだろう。例えば公道で、通行する人に対し、銃を撃てる状態でもっていてはならない。ことに成ってはいる。しかし、私の養鶏場の前ですら、銃を撃てる状態で抱えて歩いてゆく。害獣駆除と言う事になっている。害獣駆除であろうが、法の範囲でやらなければ、危険でならない。警察は、お願いしても全く取り締まることはない。この背景に、ある不思議な関係を、この機会に一掃すべきだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

南京市鳥インフルエンザの経過

2007-12-18 05:07:07 | 自然養鶏
今年、中国の鎮江市に行って、鳥インフルエンザの実験をしているのが、中国だと実感した。同じ江蘇省の南京市で、人人感染が起きたようだ。報道がされている。11月24日、南京市の24才の男性が発熱し、11月27日に、左下肺炎で入院したところ、急激に症状が悪化し、12月2日に死亡した。中国衛生当局の検査でもH5N1感染が確認された。ところが、この死亡した24才の男性の父親である陸偉さん52才が、12月3日の晩に発熱し、肺炎で南京市第二醫院に入院した。12月6日の中国当局の検査でも、H5N1が検出された。その後の報道を待っていたが、感染の広がりはなく、濃厚接触者の観察も解除された。これが本当に人人感染かは、不明のままだが、病気をされた方には申し訳ないが、鳥インフルエンザが、どのような病気であるかの一端は見える。死ぬのはいつも若い人だ。免疫の問題だと思う。

「人人感染は常にありえるが、大流行するようなタイプの病気ではない。」これが私の見方だ。インドネシアは中国以上の蔓延状態にある。昨年の死者合計が75名今年は45名。世界全体でも、今年は減少に向かっている。いままでの感染者総数が340人で、死亡者数が208人となっている。この病気を意図的に大げさに流そうと言う、力が働いていることに注意する必要が在る。一つは、国外にいる中国反政府運動家。もう一つは製薬会社とそれに関係する、日本の厚生省および、WHO関係者。全ては推測的発言だが、一応はその可能性を疑っておいた方が、正確に状況判断が出来る。中国反政府運動には、宗教的なものと、政治的なものがあるが、中国政府の発表は疑わしいと、早速発言している。確かに疑わしいのかもしれないが、嘘である証拠もない。WHOは人人感染が起きたと判断し、その場合の大流行の危機の方を強調している。呼応するように厚生省は、一貫してインフルエンザワクチンの生産体制の強化と、タミフルの備蓄を行う、図式。

現代人の病気に対する恐怖感。ここを衝いて煽る。何でも抗菌グッズにすれば売れるという様な、日本人のおかしな衛生観念が背景にある。洗脳されてしまったともいえる。すでに、タミフルの備蓄に疑問を挟める空気ではなくなっている。日本での、養鶏に対するワクチンの強制すら遠くない気がする。この病気は少なくとも現状では、何もなく消え去る可能性の方がはるかに大きい。毎年今頃になると、朝鮮半島では発生が伝えられ、日本への波及が起こる。今年が山場だと思う、もしこの冬の発生がなければ、この地域では収まる可能性が高い。現状においてはすでに、問題核心部分は野鳥の中で起きていることだ。大規模薬漬け養鶏場で起きた、ウイルスの変異が発端であった可能性は高いが、その後はこれが野鳥に広がり、感染と免疫が計られているはずだ。これが何処で収束するか、時間が掛かると思う。もう養鶏場の中の問題ではないのだ。

中国では、鶏は日本的な観点で言えば、大半の小規模養鶏場や農家の庭先養鶏は野放し状態だ。それでいいはずだ。それであっても感染はきわめて限定的なものだ。大規模の養鶏場では、2005年から政府の責任でワクチンが接種された。所がワクチンはまだ完全な段階ではない。同時に不法ワクチンも出回っているらしい。不活化ワクチンは、(1)一定期間発症と死亡を防ぐことが可能で、(2)ウイルスの増殖及び排泄ウイルス量を減少させる効果はあるが、感染及び排泄を阻止することはできない、あるいは阻止可能期間が5ヶ月以下、であると言える。(3)遺伝子組み換え生ワクチンについてはその効果、強弱が異なるが、やはり完全なものではない。また、遺伝子組み換えのため、使用が規制されている。と言うのが衛生研の考えだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ピースカフェ不定期刊行へ

2007-12-17 05:25:13 | Peace Cafe
ピースカフェー26号は「あしがらの俳句」特集です。私の作った句です。

「石、ガツッン 鍬、明神に 黒く立つ。」
「冬は来た。 竹踊らせて 鋸を噛む」
「枯葉霜 さくさくさくっと 踏み分けて」
「霜降りて 芽を出す草の 春の夢」
「草取りて ネギ類の自尊 許せしか」

26号のあしがらの俳句特集ではあしがら地域が、文学的な土壌である点に着目しようとしました。多くの文学者が生まれ、住んだ地です。文学館の説明には書かれていないことでは、太宰治は逃れるように小田原にやってきて、「斜陽」を書いたそうです。紙面にも書かれているように、今も文学活動は盛んです。
 ピースカフェーは26ヶ月前ですから、2005年の11月に始まりました。憲法9条の日本の平和主義が、変えられてしまうのではないかという、危機感が出発点です。あらゆる角度から、平和主義を守らなければ成らない。我々としては市民活動の分野からも、声を上げなくてはならない。そして、平和主義の新しい芽を育てなければならない。このように考え、第21回参議院選挙の2007年7月を重要な目標地点とし、活動を始めました。
 
 そこまでの時限的活動として、出発しました。参議院選挙では幸いなことに、憲法改定を目標とした、安倍自民党は、国民から強く批判され、大敗の結果となりました。ピースカフェが役に立ったと言うほどのものではありませが、止むに止まれぬ気持ちは、全国民に満ちていたのだろうと思います。選挙後の民主党内の憲法改定論者との連立など、油断できない状況もありました。しかし、現時点では、ほぼ、そうした可能性も無くなり、新たな状況を迎えていると思います。

ここで一先ず、月例で発行してきた、「ピースカフェあしがら」は終わりに致します。ただ、毎月3000通が配られるまでに育ったものを、ただ止めてしまうのも、もったいないだろうという声もあります。そこで、常連の中から、こういう特集を組みたいという意見があるときには、その発案者が提起して、発行する。こういう新方式で進めようと言う事になりました。今、「お産特集」や「原子力問題特集」の意見が出ております。すぐにでも1月に出されるかもしれませんし、また、ここで終わるかもしれません。

又、あしがら地域では、ごみ処理広域化が協議されています。ごみ問題は民主主義学習の最適な課題となります。広域化して見えなくなる危険があります。広域化における経済的合理性も、大いに疑問が出てきています。この問題にも取り組みを強めてゆくつもりです。国全体としては、農業問題が深刻化し、私自身の暮らしにも、大なり小なり影響があります。昨年12月に有機農業推進法が制定され、この課題も地域地域で進めなくてはなりません。小田原市が、全国最初の有機農業推進計画制定の市になるよう、進めるつもりです。足元から、暮らしの視点から、取り組むべき課題は押し迫っている様相です。

以上のような、案内を郵送分のピースカフェにはつけました。TAKEさんの発案で平行して続けられてきた。ピースカフェ連携のブログも、徐々に定着してきました。これからも連携を広げるように、努力したいと思います。ブログでの連携は、個別的でありながら、一定の繋がりが持てる。今までにない、個人の責任と一定のグループでの主張と言う、新しい可能性が在ると考えています。細部が細部のまま群である。まさに民主主義の学習です。まだ、インターネットの世界が、どのように展開されるのか、未知数ですが、個人が、マスメディアと同じ条件にいる側面もあります。この可能性に今後も挑戦してみるつもりです。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加